「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

当ブログの内容は編集者個人の見解であり、「市民の会」の公式見解ではありません。当ブログへのリンク、記事内容の引用等はご自由に!

鳥取県沖の海底断層について

 今年の元旦に発生した能登半島地震マグニチュード7.6)をきっかけにあらためて地震に関する情報を調べてみたところ、自分にとって初めて知った情報がありました。

 鳥取県の海岸線のほぼ全長にわたって、岸から10~25kmの沖合に長大な断層が連なっているという事実です。さらに、その断層が今後動く確率はかなり高いそうです。

以下、この断層に関する資料を紹介しておきます。

 

(1)鳥取県公表記事、及びその他の記事

日本海南西部の海域活断層の長期評価公表に係る比較検証会議について(鳥取県)

このサイトの内容を以下に簡単にまとめた。

・国の地震本部が2022(令和4)年3月に公表した「伯耆断層帯」は、県が2018(平成30)年に公表した「F55断層帯」と基本的に同一とみなされる。

・この「F55断層帯」は、元々は国が2014(平成26)年に想定したもの。これを元に県がその被害想定を検討し2018年に公表した。

・「F55断層帯」は最大でマグニチュード8.1、県西部の海岸付近で震度6強津波高さは最大で5.5m(鳥取市)。人的被害は最大の場合、死者約100(うち半分は津波による)、負傷者約970。建物被害は全壊約5,760、半壊約22,680。

・国が2022年に公表した「伯耆断層帯」による地震の想定は、最大でマグニチュード8.1であり県の想定と同じ。

・国が2022年に想定した日本海南西部の東部地区(兵庫・鳥取県境から島根県出雲地域に至る沖合)全体の活断層伯耆断層帯もこの中に含まれる)での発生確率は、「今後30年以内にM(マグニチュード)7.0以上の地震が発生する確率が3~7%。

 次の記事では、今回の能登半島地震の断層が地震本部の長期予想の対象外だった理由について述べられています(7~8ページ)。海底の断層の評価は山陰沖から始まっており、まだ北陸沖までは評価が進んでいなかったとのこと。

「【全国の活断層】Sランク最新の地震発生確率が公表 そこに『今回の能登半島の活断層』がないのはナゼ?南海トラフ巨大地震は70~80%の発生確率【海溝型地震】」
また、この記事によると、「兵庫県南部地震は、直前の確率値が【0.02%~8%】。2016年の熊本地震も【ほぼ0%~0.9%】と、決して高くはありませんでした(6ページ)。」との記載もある。「伯耆断層帯が動く確率は今後30年間に3~7%」というのは決して低い確率ではない。

 次の記事によると、水深200mでの津波の速度は160km/時とのこと。10km沖合が震源の場合、地震発生の数分後には津波が海岸に押し寄せることになるだろう。

「津波の基礎知識」

 

(2)地震本部の公表記事

 次に、この「伯耆断層帯」そのものについてもう少し詳しく見ていきましょう。

「日本海南西部の海域活断層の長期評価」
 このサイトの下部から下記のサイトに入って伯耆断層帯の記載を確認できる。
「日本海南西部の海域活断層の長期評価(第一版)―九州地域・中国地域北方沖―」(このファイルは70MBと非常に重い。)

 詳細についてはそちらを参照されたいが、まず注目されるのが、図-1に示すこの海底の断層帯と「宍道鹿島断層」の位置関係である。

図-1 伯耆断層帯宍道鹿島断層の位置関係(図はクリックで拡大、以下同じ)

 境水道は宍道鹿島断層の延長部分と見なされているようだが、その境水道のさらに延長線上に「伯耆断層帯」が連なっている。

 島根原発近くの宍道鹿島断層の西端付近から伯耆断層帯の東端(兵庫県新温泉町の沖合)までは約130kmある。今回の能登半島沖地震では能登半島から佐渡島西方までの約150kmが一気に動いた。山陰沖でも、それに匹敵するような長さで断層全体が一気に動く可能性がある。

 その場合には、「伯耆沖断層」全体が動いた時に想定されているマグニチュード8.1よりもさらに大きな規模の地震となり得る。宍道鹿島断層から2kmしか離れていない島根原発も、かって日本の原発が経験したことがないほどの激しい揺れを経験することになるだろう。

 また、島根原発よりさらに西側の島根半島西半分の地形も注目される。能登半島北側の海岸線は、能登名物の千枚田に見るように急傾斜で山が海に切れ落ちているが、この島根半島の海岸線に沿う内陸側は能登半島北部よりもさらに急傾斜である。

 あまりにも傾斜が急なためなのか、航空写真で見ても一面の森林で、田んぼも畑も見当たらない。現地に行ったことはないが、地形図を見ただけでも、この部分の地形はほぼ絶壁に近いと想像できる。

 このほぼ絶壁状の地形だが、これは海岸近くの海底で断層が東西に伸びており、その南側が長期にわたって地震のたびごとに隆起し続けた結果を示している可能性が高いと思われる。

 なお、「日本海南西部の海域活断層の長期評価(第一版)の概要」のP12には、「海岸から5-10km程度の浅海域等では、反射法地震探査等のデータが限定され、認定できていない活断層が存在する可能性がある」との記載がある。現時点では海岸近くの海底断層を正確に確認する技術は確立されていない。

 仮に島根半島西端の日御碕付近まで宍道鹿島断層が伸びていると仮定すると、全長160km超の巨大断層となる。断層の動いた長さが長いほど地震マグニチュードも大きくなるとされているので、長い断層ほど、それが一体となって連動した場合の危険度は高い。

 マグニチュード8.4(モーメントマグニチュードMjは9.0)であった2011/3/11発生の東北地方太平洋地震東日本大震災)では、南北500kmの範囲で断層が動いたとされている。

 次に図-2が注目される。これは、「日本海南西部の海域活断層の長期評価(第一版)―九州地域・中国地域北方沖―」のP62にある「伯耆断層帯」の断面図である。

図-2 伯耆断層帯の断面図

 この断層は右横ずれ断層(断層の区分については下記を参照のこと)だが、縦にずれる成分も含まれており、東部では断層の北側が上にずれる動きをしている。断層が上下方向にずれた場合には、当然、津波が発生することになる。

「正断層・逆断層・横ずれ断層」
 中部の断層は南と北のどちらが上にずれるのかがよく判らない。西部に至っては、断層そのものの存在が不明瞭なように見える。ただし、この西部での断面図からは、以下に述べるような貴重な情報を得ることもできる。

 出雲地方でたたら製鉄が始まったのは約1400年前、七世紀のことと言われている。この製鉄法では砂鉄を原料とするため、各地の川沿いで山を切り崩して土砂を水路に流しながら砂鉄を採取する「鉄穴(かんな)流し」が行われて来た。その結果、下流域には膨大な量の土砂が堆積し、浅い海を陸地に変えた。

「出雲國たたら風土記」

 図-3に出雲地域の海岸線の変遷を示す。出雲平野は斐伊川から流れて来た土砂によって、弓浜半島日野川から流れて来た土砂によって形成されたのである。これらの膨大な量の土砂の大部分が、かってのたたら製鉄の副産物であったことはほぼ確実だろう。

図-3 出雲地域の海岸線の変遷

 図-2に戻ると、西部の断面図は主に日野川から流れて来た大量の土砂の連続的な堆積を示していると推定されるが、この堆積層には断層の存在が明確には認められない。このことは、たたら製鉄が始まった七世紀以降の約1400年間では、すくなくとも西部については大きな断層活動が起こっていないことを示していると考えられる。

 実際、鳥取県東端から出雲地方にかけての沖合では、歴史的にも過去の地震活動の記録は皆無とされている。これらの事実から、現在、この地域では大きな地震が発生する確率がかなり高まってきているものと思われる。

 以上、新たな防災上の知識として山陰沖の海底断層について述べてきました。この断層について調べてみると、今回の能登半島地震を超えるような巨大地震を引き起こす可能性も見えてきました。その結果として、島根原発の耐震性に対する不安がさらに増すことになりました。

 また、日本海側では大丈夫だろうと思っていた津波被害も、今後は想定のうちに入れておかなければならないことも判りました。海岸近くにいる時に大きな地震が起こったら、とにかく陸地の方へ、高い方へと一目散に逃げなければ危ない。地震後の数分間の行動で自分の生死が決まることもあり得ると考えるべきです。

 今後30年間に南海トラフ巨大地震が発生する確率は70~80%と言われており、ほぼ確実に発生するであろうことは間違いない。その前後には西日本の内陸部や日本海地震が頻発することも確実だと言われています。今日や明日に起こっても全く不思議ではなく、既に想定内の事実として捉えるべきでしょう。

 日頃からの防災意識と、非常時への準備・備蓄を常に心がけておきたいものです。

/P太拝

地震が明らかにした 風力発電の「騒音?」問題の原因

 今回もまた地震にまつわる話ですが、話の行き着く先は、先回までとは違って原発の危険性ではありません。今回の話の行き先は風力発電。以前にも取り上げたことがある、風車による「騒音」問題です。

 元旦に起きた能登半島地震を新潟側で体験された鳥取大学工学部の香川教授の話が、日本海テレビの記事に載っています。1/10付の記事であり下に示します。

 テレビ局のサイトにこのように記事が載るということは、当然同じ内容がテレビのローカルニュースで流されたのでしょうが、残念ながら筆者はそちらの方は見ていませんでした。

「「ここまで大きな地震になるというのは…」専門家の予想を上回った能登半島地震 新潟で自らも強い揺れに見舞われた専門家が解説 得られる教訓とは?」

(1)地震のゆれ方と家屋倒壊の関係

この記事の中で特に注目したのが、この地震でのゆれ方についての部分。

図-1 能登半島地震でのゆれ方と家屋倒壊の関係(以下、図と表はクリックで拡大)

 以下に香川教授がこの図を説明された部分を引用する。

「青色の部分は1秒間に2、3往復くらいの細かい揺れ。木造家屋が揺れて崩れやすい状態になります。耐震改修すればこの影響は少なく抑えられます。

 赤色の部分は1秒から2秒かけて1往復するくらいの、ゆったりした揺れです。青色で崩れかかって強度が下がってしまった家が更なる揺れを受け倒壊する、と考えられます。今回の能登半島地震震度6強を観測した石川県穴水町のデータですが、特徴的なのが弱った住宅にとどめを刺すような赤色の揺れが非常に大きいことです。」

「石川県では17年前に震度6強、30年前にも震度5と大きな地震を経験していて、香川教授によると『少しずつ住宅が弱まっていって、今回の揺れで一気に倒壊した』と考えられるということです。丈夫な住宅でも複数回の揺れには耐えられないというデータもあります。」

 他の地震の周期分布も探してみて、同様の図が載っている記事を見つけた。この記事の中の、2011/3/11発生の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)と1995/1/17に発生した阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)における各地のゆれ方の周期分布を下に示す。

図-2 東日本大震災阪神淡路大震災における各地のゆれ方の周期分布

 この図の横軸は図-1と同じく振動の周期であり、阪神淡路大震災では図-1の能登半島地震と同様に周期が1~2秒の付近にゆれのピークがある。一方、東日本大震災では図-1の青色の部分、0.3秒付近にピークがある。

 阪神淡路では神戸市内の木造住宅の多くが倒壊したのに対して、東日本大震災では倒壊家屋はわずかだったが、このゆれ対周期でのビークの差が家屋倒壊発生の差に大きく影響していることは間違いないだろう。

 図-2を引用したサイトには各種建築物が持つ固有振動数(共振周波数ともいう)の範囲を示す図もあるので、それも下に示しておこう。この図でも横軸は振動の周期を示す。

図-3 各種建築物の固有周期の範囲

 木造住宅や学校など、比較的低層の建物は周期が0.5秒以下に収まっている。ただし、これらの建物が老朽化したり、何度かこの固有振動数に近い地震で揺さぶられて各部材の間の接続強度が弱くなった場合には、その固有振動数は図-1の赤色の部分に移行して次の地震で倒壊する可能性が高まることになる。


 また高い建物ほど固有振動数は低くなる。つまり、高い建物ほど、より長い周期で大きくゆれやすい。高層ビルが地震の時にゆっくりとした周期で大きくゆれるのはこのためである。
 次のサイトでは、高さの違う二つの建物について、そのゆれ方の違いを比較する動画を見ることができる。
「地震と建物の共振」

 次に、固有振動数(共振周波数)がどのように決まるのかを、簡単なモデルをもとに見ておこう。

 建物の部材を構成する木材、金属、コンクリート等も、それが破壊するほどまで圧力をかけない範囲では一種のバネと見なすことができて、圧力に比例してその量は小さいものの伸び縮みする(弾性変形)。対して、部材が壊れるほどまでに力を加えた場合は「塑性変形」が起こったと言う。

 次の図は壁に固定されたバネの先端におもりがついた振動系を示す。おもりは平面の上に沿って振動できるものとし、平面とおもりの間の摩擦は無視する。

 壁を取り去って、これと全く同じ振動系がこのバネの左側にあって左右対称になるように互いに接続されていると想定すれば、建物の簡単なモデルと見なすことができる。

図-4 簡単な振動系

 この図の中の「バネ定数 k」はバネの強さを表す値であり、kに比例してバねがおもりに及ぼす力は強くなる。mはおもりの質量。この振動系の固有振動数は図中の式にあるように、k/mの平方根に比例する。

 おもりの重さはそのままで、バネを形づくっている鋼線を同一の材質でもっと太い鋼線に替えれば、バネの強さはさらに強くなりkの値も上がる。それによってこの振動系が持つ固有振動数は高くなり、振動の周期は短くなることになる。逆に弱いバネに取り換えれば、kの値が小さくなり、固有振動数は低い値となってその周期は長くなる。 

 家屋が何度も地震で揺さぶられると、柱や壁など、その構成部材間の接続強度はしだいに低くなってくる。家全体をバネに例えれば、そのバネ定数は低下して共振周波数は下がり、固有周期は長くなる。 図-1の所で説明された固有周期の青色から赤色ゾーンへの移行は、具体的にはこのような過程を経るとものとして理解することができる。

 老朽化などで赤色ゾーンに移行してしまった家であっても、耐震金具等で要所を補強することで、完全にもとに戻せるとは言えないまでも、再び青色ゾーンに近い所まで回復させることはできるだろう。

 

(2)家屋の固有振動と風車による「騒音?」被害の関係

 三年近く前、筆者は当ブログで風車の低周波騒音による健康被害について論じた。当時下した結論は、風車が発生させる低周波音波の振動数と近隣の家屋の持つ固有振動数が一致し、風車から家屋に振動エネルギーを連続的に供給したことで家屋が大きく振動した結果、居住者に健康被害を引き起こしたのだろうというものであった。

「鳥取市の大規模風力発電事業の問題点(4)-風車の超低周波騒音による健康被害の原因-」


 今回、地震による家屋倒壊現象についてより詳しく知ったことで、この記事での結論の信頼性がより高まったと感じている。具体的に見ていこう。

表-1 計画中の「(仮称) 鳥取風力発電事業」で予定されている4500kW風車の仕様

 上の表は、現在、鳥取市南部の中山間地で外資系の事業者によって計画されている大規模風力発電所で採用される予定の4500kW級風車の仕様である。(2018年2月付 「(仮称) 鳥取風力発電事業 環境影響評価方法書」による)


 この表の中で注目すべきは「定格回転数 15~19rpm」の項目である。これは、この風車の定格出力4500kWは風車がこの回転数の範囲で回っている時に生み出されるということを意味している。運転時間の中の多くにおいて、風車はこの回転数の付近で回っていると想定してよいだろう。
 現在、風力発電に採用されている風車の大半が回転軸が水平で三枚羽根の構造となっている。この構造の風車の発する音波の多くが、羽根が支柱前を通過する時に支柱との間の空気を圧縮することで生み出される。従って、その音波の大部分が風車回転数の三倍の振動数の基本周波数、及びその高調波から成っていると考えてよいだろう。

 従って、表-1の風車が定格出力で回っている時に発生する音波の基本周波数は、定格周波数の三倍の45~57rpmとなる。これで1分=60秒を割れば、その周期は1.05~1.33秒となる。

 この周波数範囲は、図-1で示した赤色ゾーン「共振で倒れかかった家が倒壊するゆれ」の中に含まれている。実際には、地震の振動が地盤を経由して伝わるのに対して、音波は空中を経由して伝わるからそのエネルギー強度は地震よりもはるかに弱く家屋が倒壊するまでには至らない。しかし、弱い音波でも、家屋の固有振動数に一致して繰り返し押し引きを続けていれば、かなり大きな揺れになるであろうことは、以前書いた記事の中でブランコを例として説明したとおりである。

 日本各地で発生した風車による健康被害については、筆者が三年近く前に書いた次の記事の中で十件の事例を紹介している。

「鳥取市の大規模風力発電事業の問題点(5)-全国各地の風車による健康被害の実例-」

 この計十件の健康被害者の大半が睡眠被害を訴えている。要するに、家の中にいる時に特に被害を感じているのである。事例(4)では、対策として「事業者が自宅の窓を二重サッシにしたが効果なし」とあるが、家全体が揺れているのだから、窓だけ対策しても効果がないのは当然なのである。 また十件の事例中四件では、被害者が明確に「家の振動」を訴えている。

 なお、この十件の事例の大半が、風力発電所の建設が一種のブームであった2000年代初頭から2010年頃にかけて設置されているが、当時の主力は出力1500kW程度であり、現在の地上風力発電設置計画の主流である4000kW級よりは一回り小さい。しかし、調べてみたら定格回転数の範囲は現在と似たようなものであった。 
 その一例を挙げれば、2007年に琴浦町内に設置され、2020年にブレード破損の事故を起こしたGE製の風車の定格回転数は11~20rpmとなっていた。下にこの事故に関する資料を示しておこう。

 この風車から出る音波の基本周波数の周期は1.0~1.82秒となり、やはり図-1の赤色のゾーンに入っている。なお、この事故の発生原因については、事故発生してから五か月後の時点で、ブレード(羽根)先端部の製造時の欠陥によるとものと確定したようだ。
「東伯風力発電所 4号機ブレード折損事故について」


 家屋の固有振動数の実測例として、上述の以前の当ブログの記事、「鳥取市の大規模風力発電事業の問題点(4)-風車の超低周波騒音による健康被害の原因-」の中に含めたデータも示しておこう。

 下の図はその測定例だが、横軸が周期ではなくて周波数になっている。家屋の振動のビーク8Hzを周期に換算すると0.125秒となる。

図-5 新築木造住宅の共振周波数分布

 この値は図-3に示された木造住宅の固有周期範囲の0.1~0.5秒の中でも短い方に位置する。その理由は図-6に示すように、このデータを取った木造家屋が新築直後の住宅であったためだろう。

図-6 図-5の新築木造住宅の外観


 新築直後には家の各部材がしっかりと固定されて互いに強く結びついているが、時間がたつとともにお互いの間の結びつきが弱まってくる。いわゆる老朽化であり、それにつれて固有周期もどんどん長くなる。

 老朽化して各部材の結合が弱くなった所に、その固有振動と一致するピークを持つ地震阪神神戸大震災や今回の能登半島地震のような直下型地震)がやって来れば、家はあっという間に崩壊してしまうのだろう。

 三年前、風車から発生する音波の周期に比べて図-3の木造住宅の固有周期がかなり短いことを疑問に感じていたが、今回、最初に示した図-1を見たことで、ようやくその疑問が解消できた。

 以上のように考えると、風車から等距離にあっても、古い木造住宅の中では振動がひどくて寝ていられないが、鉄筋コンクリートの住宅や、木造でも新築であれば中の住民は振動をほとんど感じずに安眠できるということが実際に起こっていると考えられる。もちろん、近所に風車が建ったために被害を被った古い木造住宅の住民自身には全く責任はない。

 責任が問われなければならないのは、あえて住宅に近い所に風車を建てた事業者である。彼らには既に発生している健康被害者に対する賠償責任があることも明白である。

 さらに健康被害の真の原因が住宅の低周波振動であったのに、ことさらに「騒音」問題にすり替えて健康被害を矮小化し被害者の訴えを無視し続けてきた環境省の責任も極めて大きい。

 日大の町田信夫教授なども、全国各地で講演会を開いては「風力発電による健康被害はたいしたことはない」とその安全性を盛んに宣伝して来たらしい。カネと権力を持つ側に常に味方する典型的な「御用学者」の一人であると言わざるを得ない。

 下に同氏の講演資料の一例を載せておこう。同氏はこの中で、「風車騒音が人の健康に直接的に影響を及ぼす可能性は低いと考えられる。」、「風力発電施設から発生する超低周波音・低周波音と健康影響については,明らかな関連を示す知見は確認できない。」との結論を下し、風車が原因の健康被害をほぼ否定してしまっている。

「風力発電施設における騒音及び超低周波音について」

(3)風力発電による「振動」被害にあわないためには

 ここまで論じて来たことを元に、我々が今後このような被害にあわないためには、また現実に被害を受け続けている場合にはどうしたらよいのか、その問題を考えてみたい。その前に、言葉の使い方に注意しておきたい。この種の健康被害については、従来は風力発電による「騒音」問題と呼ばれて来たが、これは明らかに「振動」問題である。

 人間の可聴周波数の範囲は20Hz~20kHzと言われている。「騒音」という言葉をいったん使ってしまえば、「20Hz以上での音波を測定しましたが、騒音の環境基準値を下回っているので問題はありません」と言われて健康被害は無視されてしまう。これが今までの被害者が体験して来た典型的なパターンである。

 今後は「風力発電から来る低周波振動による健康被害」として、この問題があらためて問い直されなければならない。この記事のタイトルに「騒音?」という文字を入れたのも、それが理由である。

 具体的に、どのようにしたらこの種の健康被害にあわなくて済むのだろうか。

 既に風車によると推測される健康被害を受けている場合には、まずは実際に風車の稼働に連動して自宅が振動していることを示すデータを取得する必要がある。一例でもそのような確認例が出てくれば、今後は地上での風力発電所の建設を見合わせる事業者も増えるだろう。

 以下、筆者が考えた家屋振動の測定手順を示す。測定器さえ確保できれば、測定自体にはたいした時間はかからない。

① 振動計をレンタル会社から借りる。「振動計+レンタル」で検索すれば、提供してくれる会社は多数ある。

 振動計の大半が測定周波数範囲が1Hz以上だが、風車の基本周波数は1Hz以下だから、測定周波数0.1kHz以上のものが必要である。このようなタイプのものは少数だが、レンタル費用は一か月間借りても数万円程度で済むようだ。より短期のレンタルにも対応してくれる会社が大半。

 少し調べてみた限りでは、例えば、次の機種の組み合わせで0.1Hz以上の測定が可能なようだ。「リオン製 振動計VM-83+同社製 サーボ加速度計LS-10C」

② 風車が稼働中に不快に感じる時、または明らかに自宅が振動していると感じる時に、レンタルした振動計で自宅内の数か所(床、主な柱、壁など)を測定する。

③ 自宅内での振動測定と同時に、ビデオ等で風車が回転している様子を撮影しておくことを推奨したい。

 風車の羽根が支柱を横切る時間間隔から、同時に風車から発生している音波の基本周波数を推定できる。風車と自宅の振動の周波数が一致していれば、自宅の振動が風車によるものであることの証明になる。

 どの程度の振動であれば健康被害として訴えることができるのかはまだ調べてみてはいないが、振動の程度が明らかに睡眠妨害を引き起こすとされるレベルであれば、訴訟して裁判に勝つことも可能だろう。そのあたりの調査が今後の課題。

 

(4)再生エネルギーの今後

 これまでに何度も書いて来たが、あらためて言っておきたい。

 日本のように山地が多く数少ない平地に人口が密集している国では、上に見て来たように住民に健康被害を与えかねない風力発電は不適である。人の住んでいない山地に建てればよいではないかという人もいるだろうが、日本の山は急峻であり、温暖化で集中豪雨も年々増える一方である。山に道路を作り森の木を切れば、保水力が失われて水害が増加することになる。地上の風力発電所を今以上に増やすことはもはや無理だろう。

 政府はこれからは洋上発電を大いに推進すると言っているが、2022年11月の当ブログでの三回連続の記事に既に書いたように、日本周辺の海上は北欧・西欧に比べて風量が劣る上に、浅い海が少ないので高コストの浮体式に頼るしかない。また、主要部材の大半が欧州からの輸入であるために、最近の円安でさらにコスト高になっている。

 2022年に三エリアでの着床式洋上風力事業を超安値で落札した三菱商事などの企業連合も、今頃は頭を抱えていることだろう。今後、洋上風力を推進するためには電力料金の大幅値上げが不可欠だが、そんな計画を口にしただけでも与党は政権を失いかねない。日本の洋上風力も、地上風力と同様に既に八方ふさがりの状況と見てよいだろう。

 では、日本は再生エネルギーの中では何に注力すべきなのか。二年前の記事では、日本発の技術であるペロブスカイト太陽発電に大きな投資をして育成を急ぐべきだと書いたが、最近になってようやく関係記事が増えて来た。

 この新型の太陽電池の基本特許を押さえられなかったのは残念だが、今からの投資でもまだ遅くはない。欧州から風車を買ってさらに貿易赤字を増やすよりも、自前の技術を育てて海外に輸出するべきだ。今までは都会の高層ビルは地方で発電した電力を消費するだけの存在でしかなかったが、この技術ならビルの壁や窓を利用して発電することができる。エネルギーの地産地消を実現できるのである。

 しかし、ペロブスカイト太陽発電だけで国内の電力需要がまかなえるわけでもない。省エネをさらに進めると共に、他の再生エネルギーの芽も育てなければならない。ペロブスカイトのような画期的なアイデアに期待したい。

 他の国に比べれば、日本にはいわゆるオタクが多いと思う。オタク、イコール、マンガやアニメ、クルマなどに夢中になる青年・中年層だけとは限らない。研究者や技術開発者も、その行動形態をみれば判るように、立派なオタクの一変種なのである。メシを食うのも眠るのも忘れて研究や開発に熱中するような人間でなければ、新しいものは生みだせない。

 中国や韓国の研究者は、当面はカネにならないとわかったら、さっさと見切りをつけて別の研究テーマに移ってしまうタイプが大半なのである。日本の多くの研究者のように、カネになるかどうかもよく判らないテーマに長年コツコツと取り組んでいるタイプには、めったにお目にかかれない。

 問題はその先にある。せっかく生まれたアイデアを理解して評価する能力があり、かつ、これはと思う案件への大きな投資を決断できるリーダーが今の日本にはごくわずかしかいないのである。

 政治家も役人も大企業の幹部も、みな目先の失点を恐れて大きな決断を先送りするばかりである。彼らには、自分の任期中は何事もなく無事に定年を迎えて退職金をガッポリ受け取るか、自分の子どもに自分の跡をつがせることにしか興味がないように見える。

 原発風力発電も、結局は、日本の地理的条件を無視した欧米のサルマネでしかなかった。特に原発については、これからその後始末に苦しむことになるだろう。その後始末は、今まで熱心に推進して来た業界だけの責任でやってもらいたい。くれぐれも、その負担を我々国民に押し付けないで欲しい。

/P太拝

 

 

 

原発からの「核のゴミ」処分場問題・テロの脅威

 先週の1/17に1995年に阪神淡路大震災が発生してから28年目を迎えました。

 あの日の朝六時前、自宅の二階で寝ていたら、遠くから次第に振動が近づいてくるの気づいて目が覚め、飛び起きたことを覚えています。恐怖を感じるほどの揺れではなかったものの、今年元旦の能登地震に比べれば相当に大きな揺れでした。

 今と違ってネット経由の情報はわずかしかなく、テレビのニュースを見ても詳しい被害状況が判らず、たいしたことは無かったのではと思いながら普段通りの時刻に会社に向かいました。職場で始業時間を過ぎてしばらくすると「電話がつながらない!」との声があたこちで上がり始めた。誰かがテレビをつけたら、あの高速道路が横倒しになっている映像が真っ先に眼に飛び込んできて大騒ぎとなりました。

 昨日読んだニュースによると、次は福井県鯖江敦賀が危ないのではという指摘もあるそうです。巨大地震が福井の原発銀座を直撃しないことを祈るばかりです。

「地震専門家「次は鯖江市と敦賀市を注視」 40年前から能登半島で独自調査 エネルギー放出直前の可能性も」

 さて、前回は中四国原発地震が直撃する可能性について書きましたが、今回は原発から出る放射性廃棄物(いわゆる「核のゴミ」)、中でもウラン等を燃やした跡に残る使用済み核燃料等からなる「高レベル放射性廃棄物」の処分地問題について取り上げてみたいと思います。また、原発に対するテロや軍事攻撃の脅威の深刻化はロシアのウクライナ侵攻の現状に見る通りです。この点についても考えてみたい。


(1)「核のゴミ」の処分地問題

まずは、この「使用済み核燃料」についてその概要を予備知識をまとめておきたい。
「使用済み核燃料」

上のサイトによると、一般に核燃料として使用されるウラン235核分裂によって原子炉内で燃焼させてエネルギーを取り出したあとには、プルトニウムやその他の放射性生成物が残る。

「3%濃縮ウラン燃料 1ton 投入時の組成、ウラン238が 970kg、ウラン235が 30kg」

    原子炉での燃焼後、      ↓

ウラン238が 950kg、ウラン235が 10kg、プルトニウム 10kg、生成物 30kg。」

 

 この使用済み核燃料に含まれるプルトニウム放射能は非常に強く、ごく微量を吸い込んだだけでも、肺での発ガン発生確率が非常に高くなる。また化学的な毒性も強い。 「かつて人類が遭遇した物質のうちでも最高の毒性をもつ」という指摘も存在する。

 プルトニウム239の半減期は2.41万年であるため、今から10万年経ってようやくプルトニウム239が放出する放射能の強さが現在の16分の1以下にまで減るという計算になる。

 また、原子炉を用いて人工的に得られるプルトニウムは、自然採掘した天然ウランから核分裂可能なウラン235を濃縮するという複雑かつ困難な工程が不可欠なウランに比べて、はるかに容易に原子爆弾を作れるという特徴がある。実際、北朝鮮の核兵器開発では、当初は黒鉛減速炉を建設して、北朝鮮国内に豊富に存在する天然ウランをその燃料として使用することで核兵器用のプルトニウムを大量に生産しようとしていたものと推測されている。

 このように燃焼後の核燃料から再びその一部を抽出して燃料とし、再利用するのが「核燃料サイクル」計画だが、日本国内での実施は、六ケ所村の再処理工場の竣工が26回連続で延期になることなどによって当初計画よりも大幅に遅れており、一部の使用済み核燃料をフランスや英国に送って処理してもらっている状況である。。

 このような、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、ウラン238と混ぜて再び既存の原子炉で燃やすというのがプルサーマル計画である。

海外で抽出したプルトニウムを使ったプルサーマル計画は既に一部の原発で進められており、現時点では玄海、伊方、高浜の三原発で実施中。

 さて、この使用済み核燃料だが、強い放射線を出し、かつその半減期が極めて長いので、少なくとも10万年間は外部に漏れださないように一定の区域内に保管し続けなければならない。

 また、原子炉から取り出した直後は核分裂による発熱量が大きいために、まずは地上で30~50年冷却したのちに深さ300m以上の地層に埋設処分される予定となっている。日本ではこの埋設処分の候補地が、1963年の原発による発電開始から60年経った現在になっても未だに決まっていない。これが「原発はトイレのないマンション」と言われ続けているゆえんなのである。

 この候補地については、2002年に原子力発電環境整備機構(NUMO)が地層処分を行う場所の公募を開始。2028年までに調査を終えて処分地を決定、2038年までに処分を開始するタイムスケジュールとなっている。

 2017年には経済産業省資源エネルギー庁地層処分の適・不適の別を記した「科学的特性マップ」を公表している。下にそのマップの一部を示す。緑色の部分が処分場としての適地である。日本全国の図については、経産省資源エネルギー庁のサイトを確認していただきたい。

「科学的特性マップ」で一緒に考える放射性廃棄物処分問題」

 さいわい、我が鳥取県は、ほぼ全県が茶色(火山活動の恐れあり)に塗られていて不適当な地域の方に分類されている。

図-1 使用済み核燃料の地層処分に関する適・不適マップ(北海道南東部)

                (図と表はクリックで拡大、以下同様。)

 現時点でこの処分場の候補地として調査に協力を申し出ているのが北海道の神恵内村寿都町の二つの自治体である。

 上の図に見るように、これらの自治体は北海道電力泊原発のすぐ近くに位置している。おそらく、泊村に巨額の原発交付金が落ちるのをみて、「うちの街にも、あんなふうに税金をドバドバと落としてくれたらいいのに・・」と、うらやましく思った首長や議員がいるのだろう。

 なお、海外からのスキー客で近年大盛況のニセコスキー場があるニセコアンヌプリ山は、この泊原発から22kmしか離れていない。コロナ後のニセコでは、現在、一泊15万円のホテルが満杯になるという繁盛振りだとか。

 仮に、泊原発放射能漏れ事故でも起こした場合には、ニセコのホテル群は一転してカラッポになることだろう。近隣の大半の自治体にとって、いまや原発は心配の種でしかない。

 さて、この神恵内村だが、上の図に見るように茶色に塗られていて火山活動が予想される地域である。つまり、使用済み核燃料を10万年間安全に保管できるかどうかに疑問符がつく地域なのである。以下、この村での地層処分の安全性に疑念を投げかける記事を紹介しよう。

「地震大国・日本で核のゴミの地層処分は可能か、学者と電力業界の評価真っ二つ」

 この記事の内容は、この積丹半島の地質を長年調べて来られた岡村聡・北海道教育大名誉教授(地質学)の見解を紹介するもの。要約すると以下のようになる。結論としては、この地域に地層処分場を建設することなど、到底ありえないとのこと。

神恵内村の北側にある積丹岳(積丹半島の中央部に位置)は、第四紀(約258万年前~現在)に活動した証拠が見つかっていて、その周辺での地層処分は不可能。
神恵内村の大部分が、噴出したマグマが海中で冷えてできた水冷破砕岩からなる岩盤から成る。この岩は亀裂が多いために地下水を通しやすく、かつ不均質で弱い。
積丹半島の大半がこの水冷玄武岩に覆われている。1996年には半島西側の古平町の豊浜トンネルで岩石崩落事故が起きて、バスの乗客など20名が圧死。このトンネルの岩も水冷玄武岩だった。
・もう一つの候補地である寿都町も、同様に極めて不均質で複雑な中新世の火山岩類からなる。これらの火山岩は主に海底火山の噴出物からなり、かつ不均質で少し離れるだけで地質状況が全く変わる。しかも高透水な層を含んでいて、現在の技術ではこのような地質構造を非破壊で明らかにすることは困難。
・2019年に原子力規制委が泊原発の位置する半島西西岸に活断層があることを指摘、この活断層は村全体に伸びているものと推測される。2018年に発生して43名が亡くなった北海道胆振東部地震は、既知の活断層から約15kmも離れた未知の活断層によるもの。現在の地震学のレベルではこのような地震を予測することはほぼ不可能。

 上に挙げたニセコアンヌプリ山も約25万年前まで活動していた火山であり、20世紀初頭の火山活動が記録されている火山もすぐ近くにある。泊原発の周辺は、いつ大規模噴火が起こってもおかしくない地域なのである。これほどまでに原発建設や使用済み核燃料の処分場設置には不適格な地域も珍しいように思う。

 少し別の観点からも、この処分場問題を考えてみたい。日本では、阿蘇山のような巨大カルデラが約一万年に一度の頻度で巨大噴火によって形成されることが既に明らかになっている。「破局噴火」とも言われるこの種の巨大噴火は、この数十万年間では主に北海道と九州で発生している。

 日本列島にはこの種の巨大噴火でできた地形が数多くあり、例えば槍や穂高などの北アルプスも、約170万年前まで連続形成されていた巨大カルデラ群の残骸であることが明らかになっている。

 一例として下の図に九州南部で発生した巨大カルデラ噴火を示しておこう。図中の赤字は噴火した時期を示している。

図-2 九州南部で発生した巨大カルデラ噴火の位置

 古いカルデラは、新しい噴火で覆いつくされて地表からは確認できなくなっていることが多いので、11万年前から現在までのカルデラ噴火に絞ってみると、現在までに四回起こっている。九州南部だけで見ても約三万年に一度の頻度だ。

 下の図-3に9万年前に発生した阿蘇山の大噴火による火砕流と火山灰の広がりを示す。火砕流は九州の大半を焼き尽くして、その先端は山口県まで到達している。愛媛県でも、ちょうど現在の伊方原発があるあたりまで来ている。

 

図-3 阿蘇カルデラ噴火時の火砕流と火山灰の広がり


 伊方原発の運転差し止めを求める訴訟では、2017年の広島高裁で、いったんはこの阿蘇噴火による危険性を認めて運転差し止めの仮処分が出たものの、その後でどこかからの圧力があったようだ。結局、同高裁は「自然災害の危険をどの程度まで容認するかという社会通念を基準に判断せざるを得ない」と一転して運転再開が認めた。

 広島高裁の裁判官のいう社会通念とは、どうやら、「阿蘇からの火砕流によってほぼ九州全土で伊方原発と共に数多くの人びとが焼け死んで埋められ、その後の強い放射能原発に近づくこともできず、さらに四国やその他の地域までもが放射能汚染で居住不能となっても、これも我々の運命だとキレイサッパリとあきらめること」であるらしい。 

 9万年前は、我々ホモサピエンスはまだ東アジアには到達していなかったはずで、九州は人類無住の地であり、この巨大噴火に直撃された新人類の犠牲者はいなかっただろう。

 もしかしたら、あのデニソワ人の一派が既にこの列島にまで来ていたのかも知れないが、彼らの痕跡は日本国内では未だ発見されていない(近年、デニソワ人に近い可能性がある旧人類の骨の一部が中国大陸で数例発見されている。)。

 以上の九州の噴火の歴史から見れば、10万年もの間、外部への放射性物質漏出があってはならない地層処理処分場を九州に設置するのはまず無理な話だ。

 

 北海道西南部に戻って、この地域での破局噴火についても見ておこう。上で紹介した「破局噴火」のサイトによると以下のようになる。

4.6万年前 - 支笏:マグマ水蒸気爆発 → 降下軽石火砕流噴火。総噴出量 100~130 km3 DRE。
10.6万年前 - 洞爺:洞爺火砕流。総噴出量 38~77 km3 DRE。
110~135万年前 - 北海道道央?:支笏泥溶岩
162万年前 - 赤井川:長沢火山噴出物中部
206万年前 - 赤井川:長沢火山噴出物下部

 10.6万年前以降の巨大噴火でできた噴火口に水が溜まってできたのが、現在の支笏湖洞爺湖である。赤井川は積丹半島の中央部の神恵内村泊原発のすぐ近くにある川で、この川の位置を中心に破局噴火が二回起こっている。上で触れられていたもろい水冷玄武岩はこの時にできたらしい。

 支笏カルデラの噴出量は7300年前に発生した鬼界カルデラ噴火とほぼ同じ量を噴出している。図-4に鬼界カルデラ火砕流の広がりの範囲と、それをコピーしたものを北海道の近くに張り付けて示しておこう。

図-4

 その広がりの半径は最短部で約100km。赤い小さな丸で支笏湖洞爺湖の位置を示したが、支笏湖から積丹半島の突端までは約90km。

 仮に神恵内村に使用済み核燃料を埋設処分したのちに火砕流がその上を覆いつくしたとしたら、その時点で我々の子孫が(AIに負けて絶滅することもなく・・)まだ生き残っていて、かつ、使用済み核燃料がその地に埋まっているという情報が消えずに残っていたとしても、当分の間は何も手がつけられないだろう。その後、岩盤の中のひび割れた隙間を通ってプルトニウムを含む地下水が地上まで上がってくる事態も想定される。

 もう一つの候補地である寿都町も、洞爺湖から約50km、支笏湖から約80kmであり、過去と同様の規模の噴火が起こった場合には、この町も火砕流に埋もれる可能性が高い。この先、せいぜい数十年程度しか続かないであろう国からの交付金と引き換えに、将来世代に負担をかけることがあってはならない。

 使用済み核燃料の最終処分場に手を挙げている自治体に、伝えておかなければいけないことがもう一点ある。それは自分たちの地域に処分場が出来てしまったら、地域からの出身者が将来差別を受けかねないという現実だ。

 福島第一の事故のあとで避難を余儀なくされた人々、特に子供たちは、各地の避難先で「放射能がうつるから近寄るな!」等の残酷、かつ根拠のない暴言やイジメに苦しめられた。

 何かの理由を見つけて他人を見下すことでしか自己肯定感を得られないタイプの人たちというのは、いつの時代でも、どこの土地にも、必ず何人かは居るものなのである。本当に情けない人たちと評するしかないのだが、この種の人たちが未だに多い現状では、自分の子や孫が将来に差別を受ける原因となるような施設を自分たちの土地の中に作らせることは避けるべきだろう。

 

 最近、フィンランドやフランスで使用済み核燃料埋設処分場の建設に着手したという報道が眼につくようになって来た。それらを見習って「日本でも早く処分場をつくろう」という声が経産省や電力業界から聞こえるようになったが、なんでも欧州のサルマネさえしていればよいというものでもない。

 少し話が脱線するが、これは日本の風力発電業界にも共通する姿勢であり、この業界は、一年中強い風が吹いている英国やオランダ、ベルギーなどの北海周辺諸国と強い風は冬にしか吹かない日本との差を故意に無視して、「将来は風力発電、特に洋上風力しかない」と主張している。

 同じ大きさの風車を日本とベルギーに建てても、日本の風では絶対にベルギー並みの発電量は得られない。おまけに風車本体は欧州からの輸入に頼っている。これでは、日本で風力発電で得た電力の料金が欧州よりも高くなるのは当然の結果なのである。

 さて、処分場問題での日本と欧州との一番の違いは地盤の安定性である。下に「地質学者ら指摘「日本には適地ない」、放射性廃棄物「地層処分」の重大リスク」という記事に掲載されていた図を紹介しておこう。この記事の結論はそのタイトルにある通りだ。日本には「核のゴミ」を埋める適地はどこにもないのである。


図-5 世界各地の地質区分

これは世界各地の地質を地質学で使われる区分概念に基づいて色分けした図である。図の左下に地理的区分を示しておいたが、あらためて以下に説明しておこう。

 

茶色  :「楯状地」5億7千万年以上前に形成された、先カンブリア時代後の地殻変動の影響をほとんど受けず、造山運動や断層運動他の構造運動が非常に少ない、比較的平らな地域。

ピンク色:「卓状地」地球の初期に火成岩と変成岩が一体化してできた基盤岩が平坦または緩やかに傾斜した、主に堆積岩からなる被覆物によって覆われた地域

薄緑色 :「造山帯」 造山運動の起こった地帯、また、起こっている地帯。ふつう褶曲山脈が形成され、地層の著しい褶曲、広域変成帯の形成、花崗岩類の貫入などで特徴づけられる。

青色  :「盆地」周囲を山地や丘陵に囲まれた、周辺よりも低く平らな地形。

紫色  :「巨大火成岩岩石区」 広大な範囲に渡り火成岩が分布している地域。大陸地域の洪水玄武岩による台地、海底での海台が形成される地域、大規模な貫入岩脈が残っている地域など。

黄土色 :「大陸地殻延長部」大陸を取り巻く海面下の大陸の延長部分をいう。

  この中で楯状地と卓状地は過去数億年から数十億年にわたって火山活動がない極めて地質が安定している地域である。

 その対極にあるのが造山帯だ。ここは日本のようにいたる所で火山活動が起こっていたり、ヒマラヤ山脈のように南のインド大陸と北のユーラシア大陸からの圧力を受けて年に5mmの割合で標高が高くなり続けている地域なのである。そのような絶え間ない地殻変動の結果、造山帯では巨大地震が頻発している。日本列島の大半がこの造山帯に含まれている。

 下の図に世界の地震発生地域を示す。これも図-5と同じ記事から取得したもの。

図-6 世界の地震分布 

  赤い丸が2011~2020の十年間に発生した地震震源を示しているが、図-5の造山帯の分布と地震の分布がピッタリと重なっていることがお分かりだろう。日本列島の全体が赤色に覆い隠されて海岸線が見づらくなっている。
 それに対して、処分場建設に着手したフィンランドで記録された地震は10年間でゼロ、フランスでは数回発生しているが、みな小規模なものであり、処分場に対する危険性は日本よりもはるかに少ない。

 日本での地震や噴火のリスクを隠しておいて「欧州で処分場を建設しているから、日本でも建設を急ごう」というような発言は、本当に無知、かつ無責任の極みだと思う。

 処分場適地も確保できない原発再稼働を強行し、現在も埋める目途も立たないままに日々ダラダラと核のゴミを増やし続けている電力会社と原発関連会社、さらに両者からの政治献金を受け取り続けて来た政治家連中には、彼らの主張のせいで余計に増えてしまった核のゴミの十万年分の保管・管理費用を前もって負担してもらわなければならない。前金払いのその費用、いったい、いくらになるのだろうか?


(2)原発に対するテロ攻撃の脅威

 上で述べたように、標準的な核燃料を原発で燃やすと、プルトニウム1%とその他の放射性物質とを含む使用済み核燃料に変わる。これらはまだ大量の熱を放出しているので、原発敷地内部で水冷または空冷の状態でしばらく保管されることになるが、この保管施設に対する攻撃への警戒も、原子炉本体と同様に絶対に必要である。

 現在、日本国内の各原発には、2023年9月現在で16,580 tonもの使用済み核燃料が保管されており、六ケ所村、又は海外での再処理を待っている状況にある。その内訳については電気事業連合会の以下のサイトで確認できる。

chozo.pdf (fepc.or.jp)

 十年ほど前は、「ハイジャックされた飛行機が原子炉に突っ込んでも大丈夫なのか」というような疑問がよく話題になった。使用済み核燃料の保管施設の強度は、原子炉本体に比べればはるかに弱いだろう。

 ロシアのウクライナ侵攻でドローンが戦場で大量に消費され多数の人々の殺傷を続けている現在、「ドローンが、使用済み核燃料の保管施設や再処理工場に突っ込んでも大丈夫なのか」という質問も必要になってきた。

 2015年に筆者が当ブログで原発再稼働に反対する記事を書いた頃は、一番安価な攻撃手段として漁船に偽装した小型船からのミサイル攻撃があり得るだろうと想定していた。旧ソ連圏では軍による兵器の横流しが横行していて、そのルートを使ってテロ集団がミサイルを安価に入手できたからである。

 ドローンのような小型で安価な兵器が次々に登場するにつれて、原発周辺の警備費用はますます膨らむぱかりである。近い将来には、警備コストの上昇によって原発からの電力が再生エネルギーのそれを上回ることになるだろう。警察や海上保安庁原発警備のために費やしている税金を財源とする公的支出も含めれば、既にそのレベルに達しているのかもしれない。もはや原発は日本社会に対する負債、お荷物となってしまっているのである。

 仮にドローンで攻撃された結果、保管施設内で爆発が起こって大量の放射性物質が飛び散ってしまったら、福島第一の事故の時と同様に周辺住民は直ちに退避しなければならない。避難対象範囲は飛散した放射性物質の量と風向きしだいで決まることになる。 

 爆発によって放射能で高濃度に汚染された原発敷地内は極めて危険である。復旧対策の人員が入るのは容易ではなく、ロボットくらいしか入れないかもしれない。しばらくの間は、プルトニウム等の汚染が広がるのをただ遠くから眺めているだけになる可能性が高い。

 テロ集団以外では、例えば仮想敵国が原発を狙う可能性も以前から指摘されている。その筆頭として北朝鮮が挙げられる。

 既に2017年の時点で、北朝鮮は仮に米国と全面戦争に入った場合には日本の原発も狙うと公言している。

「質問者:日本に対しては、どこに狙いを定めているのか?

 北朝鮮高官:第一に首都圏の横須賀基地、第二にわが国への攻撃に利用される在日米軍基地、そして第三に、日本海側に広がる原発だ。・・・」

 

 日本の原発がミサイル攻撃を受けた場合に想定される被害を試算した記事があるので、以下に紹介しておこう。
「もし北朝鮮のミサイルが日本の原発に直撃したら…!専門家が試算した、「約37万人死亡」という「ヤバすぎる被害」」


 2022年のこの記事では、場合によっては、原子炉内の核燃料の一部が漏出した福島第一の事故よりもはるかに甚大な被害が発生するとしている。

 この記事の中ではミサイルで原子炉を狙うと想定しているが、ドローンで使用済み核燃料保管施設を狙った場合も同様の結果となる可能性がある。爆発の規模や気象条件によっては、さらに巨大な被害になるのかもしれない。この記事で想定された東海第二原発には昨年九月の時点で370ton、原子炉内にある核燃料の約千五百倍(推定値)もの使用済み核燃料が保管されているからである。

 中国に関しては、他国に対してこのような原発攻撃を仕掛ける可能性は少ないだろう。2022年時点で中国では原発77基が運転または建設中であり、その大半が海沿いに面している。
「中国の原発発電量、22年は全体の約5%に」

 他国の原発を攻撃すれば、その報復で自国の原発も攻撃される可能性が極めて高いからである。一方、北朝鮮の核施設の大半が地下に建設されていると推定されるので、仮に報復してもその効果は乏しいように思われる。

 ロシアも、日本の原発も含めて、日本を攻撃対象とする可能性は乏しいだろう。彼らは地面を掘って取り出した天然資源を他国に売ることでしか稼げないのだから、戦争を仕掛けて自国軍の装備と人員を犠牲にしてまで、この小さな島国を獲得するのは経済的に無意味であるからだ。

 北方領土は実質的にロシアが既に自国領土化しているので、日本が仕掛けない限りは紛争にはならない。米軍基地に関連した局地的な小競り合いはあるのかもしれない。

 温暖化の進行に伴って、今後、中国がシベリアへの進出を加速することは確実視されているので、今は良好な中国とロシアの間の関係も今後は対立が激しくなると予想される。中国のけん制役としての日本の役割に期待する意味でも、ロシアは日本との決定的な対立は避けるのではないだろうか。

 こうしてみると、日本の原発に対して攻撃を仕掛ける可能性のある国は北朝鮮ぐらいしかないのだろう。仮にそれが実行に移される時が来るとすれば、金正恩王朝が追い詰められて最後に暴発する時なのではなかろうか。

 「虎は死んでも皮を残す」というが、「金王朝は滅んだが日本を道づれにした」ならば、少なくとも朝鮮半島の中に限れば、将来の歴史家の中で金王朝を評価する人たちが一定程度は現れるように思う。

 日本の原発に対するテロの可能性も、今のところは北朝鮮を背景とする集団によるものくらいしか考えられない。原発攻撃をちらつかせて政府を脅迫し、巨額のカネを得ようとするテロ集団というのは映画のストーリーでよく見かけるが、現実には実行はほぼ不可能だろう。

 ただし、米国のように世界中の紛争に軍事介入する国であれば、恨みによる報復としてその国の原発が狙われることは大いにありうる。今後、日本が外国の紛争に大規模に軍事介入するようなことはまずないだろうが(台湾有事は別として)、今までのように、他国からの恨みを買わないような外交政策を堅持し続けて欲しいと思う。

/P太拝

 

中国四国地方の原発と活断層の位置関係

「新年あけましておめでとう」と言いたい所ですが、新年早々の元旦の夕方に大地震が起こってしまいました。

 ちょうどサッカーの日本対タイの親善試合中継を見終わった頃、室内の天井の照明が揺れ始めた。かなりの振幅で揺れたので近くでの地震かと思ったが、震源はここからは350kmも離れた能登半島だったとのこと。鳥取市の震度は4でしたが、この震度の割にはそれほどゆれなかった印象でした。

 一週間以上たった現在でも、日に日に死者と行方不明者増えるばかりです。亡くなられた方とそのご家族には心からお悔やみ申し上げます。道路状況が非常に悪いとのことで、被災された方々にはまだ十分に物資が届いていないそうです。自衛隊や専門家、物資輸送の車を優先すべきであり、一般人が入るのは後からでも遅くはないでしょう。

 

 さて、今回の能登での地震によって恥ずかしながら初めて気づいたのだが、能登半島にも原発があった。「原発銀座」の福井県の陰に隠れていて認識不足だったが、能登半島の西側に北陸電力が所有する志賀原発(一号機54万kW、二号機120.6万kW)が既に設置されていた。

 幸い現在は停止中であったものの、この一号機の真下に断層が存在することが既に指摘されており、この原発の稼働停止状態は今後も長期にわたって続くことになりそうだ。「志賀原子力発電所」


 今回の地震では、発生当日には原発にトラブルはなかったと林官房長官が得意げに発表していた。しかし数日後には、変圧器の油が流出したとか、住民の避難路が地震で寸断されて交通止めとか、周囲の測定値に比べて北陸電力の発表した振動値が異常に低いとかの問題が次々に明らかになって来た。また、震源に近い地域に設置している放射能測定用のモニタリングポストの多くが1/4現在で測定不能になっており、原発周辺で不安の声が高まっているとのこと。
「志賀原発の周辺15カ所で放射線量を測定不能 モニタリングポストが「壊れているのか、埋まっているのか…」」


ここ数日で出て来た他の記事もいくつか紹介しておこう。

「志賀原発2号機の変圧器からの油漏れ、当初の5倍超 能登半島地震」

「能登半島地震・志賀原発 避難ルート「のと里山海道」は一時全面通行止め 避難計画は“絵空事”だった」

「能登半島地震で露呈した原発の「不都合な真実」 政府が志賀原発を“異常なし”と強弁した理由」

 これからも、世間がこの地震のことを忘れた頃になってから、原発に不利なデータがポツポツと後出しで出て来るのだろう。この国には、国民を守ることよりも、自分が座っている椅子を守ることの方を優先する人間が多すぎるのである。彼らの多くが高い社会的地位に付いており、かつ一般国民を守るべき職業上の責任を有しているのにもかかわらず。

 

 さて、注目されるのは、この志賀原発と今回の震源域との距離がかなり近いということだ。下に1/3時点までの震源の分布を示す。赤い丸が1/1に発生した震度7の震央地点、青い丸が志賀原発の位置。赤い直線が震源の中央線であり、今回はこの付近の断層が動いたと推定される。

 この付近の断層については、従来はその存在が確認されていなかった。後で示すが、2020年の時点では能登半島の先端部は他の地域に比べて地震が発生しにくい地域とされていた。

図-1 能登半島地震震源分布(図、表はクリックで拡大、以下同様。)

「令和6年能登半島地震 地震の活動状況まとめ(3日20時)」 より

 この赤いラインと志賀原発の間の最短距離は約13km。一般的に言って、特定の活断層が活動した後にはその周辺の断層が次々に活動期に入るとされているので、志賀原発の直下を走る断層の危険性がさらに高まることが予想される。


 なお、「志賀原子力発電所」の中で示されている2001年以降、及び2016~2017年の震源マップを見ると、上の図に示した赤いラインに沿ってすでに地震が頻発している。志賀原発建設前には地質調査が実施されているはずなのだが、この種の調査があてにならないことがよく判る。

 

 他の原発とその周辺の活断層の距離が気になったので、とりあえず中国・四国地方原発について調べてみた。そのための資料として、国の「地震本部」が公開している以下のサイトを参考とした。
「主要活断層の評価結果」

 中国・四国地方原発は、現在は以下の島原発愛媛県伊方原発の二か所。

 なお、福井県内の若狭湾沿岸には、廃炉処置中も含めて六ヶ所に合計15基もの原発が既に存在するが、その周辺でも活断層が多数確認されている。これらについても別の機会に調べてみたいと思っている。

 

(1)島根原発

 

 島根原発は1号機は廃炉決定済。2号機は2022年に島根県が稼働に合意し、現時点では2023年度中、要するに今年の春までには稼働再開の見込みとのこと。
 地震本部のサイトから得た下の宍道(鹿島)断層の地図に、島根原発の位置を青い丸で書き込んだ。黒い線で示された断層までの距離はわずか2kmに過ぎない。

図-2 島根原発宍道(鹿島)断層の位置関係

 ちなみに原発から松江市中心部の島根県庁までの距離はたったの9km。仮に放射能漏れ事故が発生した際に北寄りの風が吹いていたならば、県民・市民に避難行動を指示する立場にある島根県知事・松江市長と県職員・市職員自身が真っ先に避難を強いられることになるだろう。

 鳥取県側で言えば、境港市役所までが21km、米子市役所までが32km。風速5m程度の西寄りの風が吹いていた場合、放射性物質は事故発生の数時間後には境港や米子に到達する。

 上の図を見ると境水道もこの断層の延長線上にあり、この部分までもが動いた場合にはさらに巨大な地震になるものと思われる。当然、境港や米子の市民にとっても、地震そのものによる被害も深刻な規模となることだろう。今後は境水道の部分もこの断層の延長に含まれる組み込まれる可能性が高い。

「島根原発2号機 宍道断層の再延長検討 中電 対策費増す可能性」

 また、下の図のように、さらに東に伸びて鳥取県沖西部断層や鳥取県沖東部断層に連なっている可能性までもが指摘されている。

図-3 島根原発周辺の活断層の位置

 「福島~山口 いのちの会のブログ」 より

 鳥取県の沖合にあるこれらの断層までもが動いた場合には、その直後に鳥取県沿岸に津波が押し寄せる事態も想定される。マグニチュード7以上の震災に加えて島根原発からの放射能漏れ事故が発生した場合には、少なくとも山陰両県については、13年前の福島県と同じく県外への大規模な避難が必要となり人口が激減することになるだろう。

 1/4付の次の記事によると、この宍道(鹿島)断層の危険性は、境水道部分を加えない現時点でも既に四段階の危険度ランクの中で一番高くなっている。地震本部の評価によると、仮に全体が動いた場合には今回の能登地震と同様のマグニチュード7以上となる可能性があるとのこと。

「「西日本は南海トラフ発生前の地震活動期」能登半島地震 “流体の影響”研究する専門家指摘 阪神・淡路大震災前より “切迫”評価 危険度「最高ランク」の活断層とは」

 また、上の記事の4ページ目には、京大の西村教授の発言として以下の記載がある。我々、鳥取・島根両県民には十分に注意しておきたい内容だ。実際、2000年に発生したマグニチュード7.3の鳥取県西部地震も「未確認の地下断層による地震」であったとされている。

活断層というのは、断層のズレが地表に明瞭に現れて地形になって現れている所だが、山陰地方では地下に伏在していて地表に現れていない断層がいっぱいあると考えられている。特に最近の100年間では、マグニチュード7クラスの地震がかなりいっぱい起こっている。

 また、微小地震の数を見ても、山陰地方は日本の中でも内陸地域では地震活動が高い場所で、広島県北部の三次市やその周辺も含まれる。そこでは活断層がなくても、周囲に比べて地震活動が高く、今後大きな地震が起こりやすい場所。」

 

(2)伊方原発

 愛媛県西部にある伊方原発については、1号機と2号機は既に廃炉が決定済。3号機は2022年1月より稼働を再開している。この原発についても、島根原発と同様に地震本部が公開している下に示す地図の中に青い丸でその位置を示した。

 なお、地図上を右上から左下に横切っている黒い線の集まりは日本列島を南北に分けている中央構造線に沿った断層の集合である。伊方原発と、この図から読み取れる一番近い断層との距離は5kmである。

図-4 伊方原発中央構造線の位置関係

 中央構造線とは、海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込む圧力を受けて生じる地殻の裂け目である。四国から九州にかけたこの線よりも南側の地殻は、大陸プレートの下に潜り込むフィリピン海プレートからの南西方向への圧力を絶えず受け続けている。その圧力に耐えきれなくなるたびに、この裂け目がずれて大地震が起きるのである。


 静岡県から宮崎県の太平洋沿いに位置する南海トラフは大陸プレートとフィリピンプレートとの境界線を示しており、現在、ここでのマグニチュード8~9クラスの巨大地震の確率が高まっている状況にある。その発生確率は昨年末時点で今後30年間に70~80%とされている。この巨大地震の発生前後には地表近くを震源とする直下型地震が頻発しており、この中央構造線の周辺で想定される地震もその直下型の一例である。

「南海トラフ地震に関連する情報」

 

 地震本部の評価によると、この伊方原発近くの中央構造線伊予灘地域の活断層の危険度は、四段階のうちの上から三番目(今後30年以内の発生確率:ほぼ0%)となっている。その主な根拠は1596年の慶長伊予地震慶長豊後地震でこの伊予灘地域の断層が動いたと想定されていることによる。

 しかし、参考文献を詳しく読んでみると、この時代の断層活動が実証的に確認できた地点は全長約90kmに及ぶこの断層区分の両端でしかない。伊方原発が位置するこの断層区分の中央付近の断層が、実際に動いたかどうかの確証は未だに得られていないようだ。従って、危険度が上記よりも高くなる可能性がかなりあるように思われる。

 「中央構造線」の中の「伊方原子力発電所近くの活断層」の中から、伊方原発に想定される地震の規模に関する記述を以下に抜き出しておこう。

 「伊方原発活断層との距離は約6 kmであるが、活断層調査にあたった高知大教授・岡村真によれば、もし伊方原発に最も近い活断層で、あるいは中央構造線断層帯全体が一度に動いて、予想される最大規模のM8の地震が起きた場合、原発周辺は震度7の揺れに見舞われる可能性があるという。」

 現時点から見れば「よりによって、なんでこんな地質的に不安定な場所に原発を建てたのか」と思うのだが、計画を立案した1960年代には(今でもそうなのだが・・)、「なるべく大きな都市から離れた辺鄙な田舎で、事故が起こっても都市部の被害が少ない場所」であることを最優先してこの場所を選んだのだろう。

 最後に「国の現在の地震予想がいかに当てにならないか」という実例として下の図を紹介しておきたい。これは現在も地震本部のサイトに公開されている図であり、2020年時点での直近の全国地震動を予測しているものだ。

 日本海側の大半の地域と同様に、今回の地震が発生した能登半島の先端部分は、危険性が一番低いのと二番目に低いのとのいずれかに含まれている(これら二つのクラスの色分けはよく似ていて、どちらなのかは判別できない。意図的にそうしたのかもしれない。)。

図-5 全国地震動予測地図

 

 国の今までの地震予想が全くあてにならないことを、この国のどこに住んでいようと震災への備えは常に万全にしておかなければならないということを、この図の内容に反して、今回能登半島の先端で大地震が発生したという具体的な事実が示している。

 さらに、政府や各電力会社が今まで言ってきた「既に設置した原発に関しては、地震被害に逢う可能性は極めて低い」という主張は単なるマユツバに過ぎなかったということも、この図が示しているのである。

/P太拝

英語教育がもっと必要な日本

今年の春以降、なにかと忙しくてしているうちにもう半年以上も当ブログを更新していませんでした。やっと時間が取れるようになってきたので投稿を再開したいと思います。以前と同様、取り扱う話題が雑多を極めることになるでしょうが、眼を通していただければ幸いです。

 

(1)鳥取西高の英語授業風景

先週のこと。ふだんはめったに見ない18h過ぎのテレビのローカルニュースを見ていたら、鳥取西高の英語の先生が教育界における国際的な賞を受賞とのニュース。その授業内容が詳しく紹介されていました。何の知識もないままにぼんやりと見始めたものの、これが大変に面白い。ちょうどその時に見たニュースがそのままの内容で動画公開されていましたので、下に紹介しておきます。

「鳥取西高の英語教師が”教育界のノーベル賞”「グローバルティーチャー賞」世界トップ50に選出」

 

以下、この松田先生の英語の授業方法の要約。

・生徒が興味を持ちそうな国際的な時事問題、世界の生活習慣等々の話題を先生が選んで英語で概要を紹介。このニュースの中では「世界の祭り」が取り上げられていて、地元のしやんしやん祭りにも触れていた。

・この話題について生徒同士が意見交換や議論を行う。これらも全て英語で議論するのがルール。大体、授業時間の半分以上がこの議論に費やされる。

・授業の中では生徒のグルーブがこの話題に関する意見をまとめて発表することもある。もちろんこの発表も英語。

 

この授業方法を始めてから英語に興味を持つ生徒の割合が急速に増加、生徒全体の英語力も大幅に向上したとのこと。そりゃ、そうだわね・・。
ニュースの中では、ある生徒さんが「英語の授業が面白くてしょうがない」と語っていた。中にはこの授業をきっかけに将来の進路を決めた生徒も過去にいたとか。

筆者が高校生活を送ったのは1970年代の初頭。当時の英語の授業といえば文法の解説、教科書のリーディング、単語の暗記など。英語で自由に瀬先生や生徒仲間と会話することなと一度も経験したことはなかった。このようないわゆる受験用の英語授業が今でも主流なのだろうが、この種の無味乾燥な授業内容では、英語そのものに対する興味はたいして持てないだろう。

通っていた中学や高校の授業は英語も含めて大体はつまらなくて、よく授業時間中には隠れて膝の上においた文庫本を読んだりしていたものだが、自分が興味を持てる分野については熱心に取り組んだ。英語に関しては、当時はやっていたフォークソングやロックの歌詞の意味が知りたくて、自宅で辞書を引きながら日本語に訳したものである。ビートルズPPM、S&Gなどの歌詞は今でもそのままが頭に浮かぶ。

自分の関心がある分野については、それが外国でのことであれば英語を勉強してでも知りたい、また自らが考えていることを別の国の人に英語で表現してみたくなるものである。上で紹介した動画の中に出て来る高校生の表情を見れば、彼らがこの授業を楽しんでいることは一目でわかるだろう。

今までの日本の英語の授業では、生徒に勉強したいという動機づけをしないままに単なる知識だけを詰め込んでいた。生徒に動機付けさせるものとしては、「テストで良い点を取って良い大学に入ること、そして良い会社に入ること」だけだったのである。これでは大学に合格さえしてしまえば、その後は英語のことなんか忘れてしまう。次に述べる日本人の英語下手の根本原因もこの点にあるのだろう。

「英語を勉強して外国のことをもっと知りたい、外国の人に自分のことを知って欲しい」という動機づけが最初に必要であり、それさえできれば、あとは生徒が勝手に自分自身で学んでいく。結果的に英語の能力が向上すると同時に、受動的ではない、自ら積極的に考えて将来に向けて行動できる人間が形成されていく。物事の順序がまったく逆なのである。

この松田先生の授業が日本の教育が抱える問題点をあらためて浮き彫りにしてくれたと思う。他の先生もどんどんと積極的に松田先生のマネをすればよいのだ。

マネする分野は英語だけには限らない。中学・高校の授業内容で自分が記憶していることはこれと言って思い浮かばない。総じて退屈だったという記憶しかない。はっきりと覚えているのは、中学の時のカエルの解剖でカエルが逃げ出した事件とか、中学の音楽の授業ではやり始めたばかりのフォークソングを歌った事とか、先生の授業中の脱線話(戦後の苦労話など)とか、数少ないものでしかない。

もしも中学・高校の先生がこの文章を読んでいるならば・・・、

「そこのあなた、退屈な授業ばかり繰り返していると、不平は言うけど自分からは動こうとはしない、やる気が無い受け身ばかりの日本人をさらに量産することになりますぞ」と言いたいものである。

 

(2)日本人の英語力、世界の底辺レベルへと落下の一途

上で素晴らしい英語授業の一例を紹介したのだが、日本人全体としての英語能力は年々低下するばかりのようである。以下に、数日前に読んだ記事を紹介しておきたい。

「英語力、日本は過去最低の87位 若い世代で低下目立つ」

日経の記事を読むには会員登録が必要なことが多いので、同じランキングに関するものだが、共同通信の記事も紹介しておこう。

「英語能力のベンチマーク「EF EPI英語能力指数」2023年版世界ランキング公開」

このデータをまとめた会社は語学教育を専門としているので、このテストを受けた人の多くがそれぞれの国で語学学校に通って英語を勉強しているというレベルなのだろう。そのように英語の勉強に意欲的なレベルの人たちの中でも、既に国ごとにこれだけの差がついているのである。英語の勉強に興味がない人も含めれば、国全体での英語能力の格差はさらに大きいものと推測される。

このランキングの全体については次のサイトで知ることができる。

「世界最大の英語能力指数 ランキング」

英国と米国に地理的に近い国ほど英語能力が向上することは明らかなので、地域的に近い国同士の中で比較してみたい。このサイトから、日本を含む東アジア、東南アジア、南アジアの計18カ国を抜き出した順位を下に示す。

日本は18カ国中で15位。日本よりも下にはミャンマーカンボジア、タイの三か国がいるだけという「トホホな結果」なのである。カンボジアとタイは観光立国の国のはずなのに、英語能力が低いというのは意外な話だ。

ネパール、ベトナムバングラデシュと、現在の日本に多くの出稼ぎ者を送り込んでいる国々の英語能力がそろって日本よりもはるかに高いことにも注目すべきだろう。今後、英語の話せない人が多い日本に行くよりも、もっと英語話者が多い国に行った方が楽だし稼げる、将来の可能性が広がると彼らが思うようになることは想像に難くない。

日本で働くためには日本語が話せることが必須という日本側のかたくなな態度に加えて、現在の円安がこの傾向に拍車をかけている。外国から労働力を呼び込んで今後さらに深刻化する人手不足を解消するためには、むしろ日本人の方が英語を話せるようになることが必要なのではなかろうか。

日経の記事などによれば、最近の若い世代は上の世代よりも英語能力の低下が目立つとのこと。これはアジア、特に日本と中国に顕著に見られる傾向で、新型コロナの影響と推測されているらしい。しかし、コロナの影響は全世界に及んだのだから、やはり近年の日本の若者は他国に比べて英語学習に対する積極性に欠ける傾向が強くなっているのだろう。

中国も日本と同様に若い世代の英語力が低下しているようだが、これは中国の若者が自分の将来に希望が持てなくなったことと関係しているようにも見える。いわゆる「寝そべり族」(躺平族(タンピンズー))が発生した結果なのかもしれない。もっとも、このタンピン族については、筆者には日本の若者の方が先輩のように思えるのだが。

日本人の英語能力のどこが特に弱いのかも見ておこう。次の記事は日経の今年7月のものである。

「学力テスト中3英語「話す」正答率12% 6割全問不正解」


この結果については「問題が難しすぎた」との批判もあるようだが、やはり話す能力が弱いことは確かだろう。その意味でも、上に紹介した松田先生の授業方法は非常に適切かつ有効であると思う。


(3)国全体が「ひきこもり」になりつつある日本

最近の円安で国内の物価が急速に上昇すると同時に、国内の給与水準と海外のそれとの間に非常に大きな格差が生じてしまった。これを受けて若年層の一部では「海外に行ってもっと稼ごう」という声が高まりつつある。関連する記事をいくつか紹介しておこう。

「海外なら同じ仕事で年収数倍に!? 「正直、もう日本では働きたくない」、オーストラリアがアツい理由」
「ハワイで働く日本人ウエートレス 朝だけ週数日勤務で「月収100万円」」

「日本企業の経営幹部の給料が「タイ・フィリピン以下」の衝撃、日本は出世するだけ損?」
「世界の平均年収 国別ランキング 2022年」
昨年のデータだが、名目換算でも既に日本は韓国よりも下になった。

 

しかし、安い仕事しかなくても国内にしがみついていたい人の方が、まだ全体としては圧倒的に多いのだろう。慣れない英語や外国語を使うよりも日本語で用を足せる方が楽なのに加えて、犯罪に遇う確率も国内にいる方が低いだろう。

給料は安くても、娯楽はもっぱら安価なネット経由ですませればそんなにカネもかからない。そうしてネットの中の仮想空間に入り浸っているうちに、現実の社会の中で生きている生身の人間との対応には自信が無くなってくる。「会社にかかってくる電話に出るのが怖いと言って、新卒社員がすぐにやめた」との話を読んだ時には驚いたものである。

若者自身の給料よりも親世代の年金の方が多いという世帯は少なくはないだろう。余裕のある家の場合、就職難を理由にすれば親もスネをかじられるのをある程度の期間は許してくれるかもしれない。ここまでは中国の「タンピン族」の発生と全く同じパターンである。

安楽な生活に慣れてしまった結果、そのうちに外で働く自信を失って家から出られなくなる。「ひきこもり」の誕生だ。中国の「タンピン族」と異なる点は、「ひきこもり」の背後には恥の感情が非常に強く存在することだろう。「タンピン族」にはそのような感情はなく、自宅にこもりっぱなしの自分の生活を平気でSNS上に公開してあっけらかんとしている。

日本の国全体も同じような経過をたどりつつあるのではないだろうか。この場合には、親の年金に相当するのが企業・金融機関・個人が過去の海外への投資から得ている収入である。貿易収支も、海外のIT企業に支払っているサービス料も既にマイナスなのだが、過去の海外投資から得た配当と利息収入で埋め合わせることでなんとか合計での経常収支を黒字化しているのが今の日本経済なのである。

一人当たりの名目GDPが米国を抜いて主要国中トップだった1990年代の遺産のぬるま湯にひたっている間に、いつのまにか「引きこもりのゆでガエル」となりつつあるのが外から見た日本の現在の姿ではないだろうか。

「引きこもり化」の一例として海外への留学生数の推移を下に示しておこう。

 

・各国からの留学生数の推移

上のグラフはコロナ禍前の2018年までの各国から他国への留学生数の推移を示したものだが、日本のそれは2004年から2018年までの間に三割程度減少している。人口が日本の四割ほどでしかない韓国が送り出す留学生の数が日本よりも一貫して多いことにも注意すべきだろう。

 

「国全体が引きこもりになって、いったい何が悪いのか」という意見もあるのかも知れないが、我々が十分に認識しておかなければならないのは、現在の日本という国は、鎖国していた江戸時代のように海外との貿易をいっさい絶ってしまった場合には、今の人口の二、三割しかまともに生きられない国になるだろうということだ。

日本が消費するエネルギーの大部分は輸入に頼っており、我々が毎日食べている食料もカロリーベースにして六割超を輸入している。仮に海外からの輸入が全て停まったとしたら、国内で自給できる食料はコメとイモ類とわずかな野菜だけになる。肥料の大半も輸入に頼っているから、これらの品目の現在の生産量すら維持できなくなる可能性は高い。

家畜用飼料も大半を輸入に頼っているので、食肉の生産量も激減する。原油が輸入できなくなれば燃料不足で漁船も海にでられなくなり漁獲量も激減する。毎日、肉や魚を食べられる現在のような食生活を維持できるのは少数の富裕層だけに限られることになる。

一般庶民のタンパク源は豆腐や納豆くらいしか残っていないだろうが、大豆も大半が輸入に頼っており、これらも品薄の状態が続くだろう。ガソリンが無くなればトラックやマイカーも無用の長物となり、輸送交通手段は自転車やリヤカーが主力になることだろう。

日本のエネルギー自給率について言えば、再生エネルギーが増えつつあるとは言っても現時点では10%強でしかない。残っている利用可能な電力源は水力と太陽光程度しかないので、北朝鮮のように一日の大半が停電ということになるだろう。

水道のポンプも電力で動かしているので断水時間が長くなる。インフラは徐々に劣化していくが、設備機器や建築・道路の原材料の大半は輸入に頼ってきたので補修も追い付かない。早晩、国全体が約百年以上昔の明治時代の生活レベルに落ち込むことになるだろう。

さて、このように日本が海外から食料や原油などを輸入できなくなる日が来ることが実際にあるのだろうか。そんなことは絶対にありえないと断言できるだろうか。

当ブログの以前の記事で「台湾有事」の可能性について考えてみたことがあった。仮に習近平政権が台湾を併合した場合には、日本の主要輸送レーンは台湾東岸から発射されるミサイルの脅威に直接さらされることになる。

さらに南シナ海全体が自国の領海であると強硬に主張し続けていることに見るように、彼らが台湾併合後に「琉球諸島も元々は自分たちに属していた」との主張を強めることも確実だろう。実際、明治政府による軍事的圧力を背景とした1875年の琉球処分(琉球の日本への併合)以前には琉球王朝は清にも朝貢しており、現在の沖縄県の範囲は日本と清との両方に属する両属的存在と見なされていたからである。


このような状況に至った場合、軍事力による日本領土の奪取には至らないまでも(その場合でも尖閣諸島は例外)、中国がまずは沖縄県内の米軍・自衛隊基地の撤去、同地域内における港湾の中国軍による利用、ミャンマーラオスカンボジアパキスタン等の近隣諸国と同様な経済的利権の獲得などを次々に要求してくることが予想される。

日本への海上輸送レーンに対する圧力・威嚇は、そのような要求実現のための最も容易かつ効果的な手段となり得る。仮に日本向けのタンカー一隻の近くにミサイルが撃ち込まれた場合、その直後に世界中の海運業者が日本向けの船の運航を一斉に停止する事態も想定される。日本と海外との間の貿易途絶の可能性は単なる空想の産物、絵空事と笑ってすます訳にはいかないのである。

さて、海外の危険地域に行っている日本人のジャーナリストや商社員が誘拐されたり殺害される事件が過去に何度も発生しているが、そのたびにネット上にあふれるのが「自分から危険な場所に行った以上は自己責任」だとか「救出のために国民の税金を使うな」との意見である。

外国人のジャーナリストから買った情報だけを頼りにして国や会社の方針を決める訳にはいかない。現地の生産品を買って輸入するべきなのか、現地に投資するべきなのかも、日本人が実際にその場に行ってみなければ判断はできない。さらに、世界各地の人々との強い信頼関係も築かなければ正しい情報は得られず、安定した取引もできない。

このような能力を持った人々が世界の各地に出かけていかなければ、今の日本という国は成り立っていかないのである。危機に陥った彼らを「それみたことか」と笑っている人たちは、自分が彼らから日常生活を維持する上での恩恵を間接的に受けていることを知らずにいる。

既に、日本という国は内に閉じこもっていては成り立たない国になってしまっている。日本人はもっと海外に出て行かなければならない。日本の外に出て、外国人とビジネスや勉強の面で真剣にやり合っているうちに、彼らと我々日本人との間のものの考え方の違いが非常に大きいことが初めて認識できる。外から日本という国を見つめ直すことで、日本の良い点も悪い点もはっきりと見えるようになる。

筆者自身、会社員生活の後半を迎えた頃に中国や韓国に頻繁に長期出張を繰り返すようになり、現地のさまざまな会社の人たちと直接交渉するようになってから、はじめて日本人の欠点をはっきりと理解できるようになった。それは、「日本人は個人としての責任を背負うことを極端に恐れる。常に集団の陰に隠れ、その一員としてふるまおうとし、その集団に所属することで安心するのと引き換えに、自身の持って来た意志や意見を簡単に捨て去ってしまう。」ということだ。

この同調指向性が、肝心な場面での思考停止と決断の先送りを生んでいる。最近の日本企業の業績不振、さらに日本全体の経済停滞と国際的地位の低下の最大の原因はこの点にあると思っている。

もっと英語を使いこなせるようになろう、狭い日本の中で互いにグチを言い合って自己満足していないで、どんどんと外国に出て行こう。

英語の能力が中途半端でも、学校で習った英単語をほとんど忘れてしまっていても心配はいらない。一週間ほど現地にいて、食事をするにもホテルに泊まるにも英語や現地の言葉を使わなければできないとなれば、あれこれ努力することでなんとか話せるようになるものだ。「必要は発明の母」ならぬ「必要は語学上達の母」なのである。

/P太拝

My favorite songs(18) 加川良

今年の二月、このブログの先々回の記事の原稿を書くために、過去の殺人事件に関する大量の記事をずっと読んでいた。その内容のむごたらしさにうんざりしていた頃、頭の中に浮かんできたのが加川良さんの歌の歌詞だった。特に以下に紹介する中の最初の二曲が何度も頭の中を駆けめぐった。

二つともに葬式に関する歌なのだが、この歌詞を頭の中で唱えているうちに、なぜか自分の気持ちが落ち着いたのである。自分にとっての念仏のようなものなのかもしれない。


(1)「その朝」

「寒いある朝 窓辺で立っていたら
 かあちゃん連れて行く
 天国の車がやって来た

(A)やがて俺達
 一人ぼっちになるのかな
 でもよー 俺が死んだら
 また母ちゃんに会えるよネ

 車屋さん車引きさん 静かにたのみます
 あんたが連れてゆく
 それは寝ている母ちゃんだからネ

(A)繰り返し

 涙こらえどこまでも 車の後を追いかける
 でも母ちゃんが墓に入る時
 目の前がかすんだヨ

(A)繰り返し  」


(2)「赤土の下で」

「奴を埋めるにゃ金はなし
 お役人が死体を横目でにらみ
 鼻をつまんで 出した金
 1万 642円

 3分待ったら 葬儀屋が
 ジャンパー姿でやってきた
 入ってくるなり 出た言葉
 あと 2万円はいりますぜ

 葬式にも いろんな型が あってね
 この死体にゃ悪いけど 霊柩車はつきません
 でも そう きっと 友達が
 花束 送ってくれるでしょうよ

 2日たって 坊主がやってきた
 光った 自家用車でね
 衣のシワを気づかい説教
 請求が 2000円

 赤土の中に 奴は埋められ
 道端の小石が 目印さ
 神よ 奴の魂たのみます
 墓場の土に請求こねえようにネ

 何がどうなり こんなにも
 葬式ってやつは こんなに高い
 俺たち 貧乏人
 おちおち死ぬ事にもかかれない」

以下、筆者と同世代の方であれば大体はご存じとは思うが、彼の初期の歌を中心にいくつか紹介しておこう。

 

(3)「教訓Ⅰ」

加川良の代表曲。

 

(4)「戦争しましょう」


その前の曲とは正反対な内容。思うに、加川良ほどに、いわゆる「同調圧力」から遠い場所で生きてきた、あるいは生きようとしてきた人は他にはいなかったのではなかろうか。彼が言いたかったのは、「自分の生き方は、自分で責任を持って決めて、それを貫きなさい」ということなのだろう。

 

(5)「ラブ・ソング」

(6)「流行歌」

以前、ハンバートハンバートを取り上げた時にもこの唄を紹介したが、あらためて再掲しておきたい。
彼の作る唄は、我々の日々の生活の中で思わずついてしまう「ためいき」を、寄せ集めてできたもののように感じてしまうのである。

「マッチ 一本 火をつけて
 明日を のぞいたら
 夜空 いっぱい 想い出が
 ふるえていました

 だから僕は 火を消して
 夜空を 見上げ
 想い出 いっぱい かきあつめ
 そして 唄います

 君は君のことが 好きでありますように
 僕は僕のことが 好きでありますように

 マッチ 一本 火をつけて
 夜空を 見上げたら
 私だけの明日が
 のぞいていました」

 

(7)「伝道」

「悲しい時にゃ 悲しみなさい
 気にすることじゃ ありません
 あなたの だいじな 命に
 かかわることも あるまいし

 そうです それが 運命でしょう
 気にすることじゃ ありません
 生まれて 死ぬまで つきまとうのは
 悩みというものだけなのですよ」


(8)「夜明け」

「生まれるって つらいね
 死ぬってことは さみしいね

 だからその間に つかもう
 少しばかりの 愛するってのを」

 

/P太拝

1970年代は今よりもはるかに自由だった

ふだんはまる一日テレビを見ない日も多いが、一昨日の日曜日の夜、先日のWBC中継以来、久しぶりにテレビを見た。NHKの恐竜特集番組である。

19h半からの「ダーウィンが来た」と21h台からの特集番組の二つに分かれて「6600万年前の隕石衝突後も、一部の恐竜は数十万年間は生き残っていた」という驚くべき内容を紹介していた。それはそれで面白かったのだが、強く引き付けられたのが、その間の時間つぶしに見た、20hからのNHKEテレの「日曜美術館-辻村史朗の「器と心」-」だった。

この番組をぼんやりと見ているうちに、自分も陶器に引き付けられた時期があったことを思い出した。1970年代の終わりごろは東京周辺に居たのだが、陶器を売っている店の前を通りかかると、店の中に入っては売っている皿や茶碗を眺めることを繰り返していたものである。その頃に買った安物の茶碗のいくつかは、今でも実家の戸棚の中で使われないままに眠っているのかもしれない。

辻村氏の人柄や作風、山の中での暮らしぶりについては、今週末までは「NHKプラス」で見ることができるはずだ。その後は「NHKオンデマンド」で見られるかもしれないが、どうなるかは判らない。

見ていて驚いたのは、彼は作った作品全てを一個も廃棄することなく周辺の山の中に放置しておいて、必要があれば藪の中に掘り出しに行くことだ。まるで地面の中から陶器が自分で生えて来たかのような光景である。

人里離れた山の中で、自力で家を建て焼き窯を作り、誰にも師事することなく、その時々に自分の作りたい作品を完成することに夜も昼も没入する。いいなあ。

現在は、白地に赤みのある鉄釉の入った温かみを感じさせる志野焼の再現に数年間取り組んでいるとのこと。自分もあのような茶碗を手に入れて、両手で抱えてその感触を確かめながら抹茶を飲んでみたいと思った。この山中で辻村氏に50年間連れ添っている奥様も、気品を感じさせる素敵な人だ。

番組の途中、ご夫妻がこの山中で焼き物を始めた頃の写真が何枚か紹介されていた。自分の作りたい焼き物を一心に作り続け、カネが必要になれば二人で山を降りて街で作品を売る生活。ジーパンと長髪姿の彼らの写真を見て思った。「ああ、この頃の自分は、こういう人たちに憧れていたんだった。懐かしい。」

1970年代の大半、筆者は学生で、自分はこれからどう生きるのか、非常に迷い続けていた。同じところをグルグルと回り続けるような不毛とも思える時期だったが、考える時間と自由だけは存分にあった。社会に出る前のモラトリアム時期と言われればそれまでだが、こういう時期は誰にも必要なことなのかもしれない。辻村氏も、禅宗の寺に入ったり絵の修業をしたりしたのちに陶芸一本に打ち込むようになったらしい。

1970年代とは、ベトナム戦争が終わり、大学の騒乱も終息して価値観が揺れ動いた時代だったが、社会の中のエネルギーはまだ十分に残っていてあちこちではじけていた。

学生仲間で夜間に近郊にハイキングする「夜間歩行」を毎年開催していたが、歩いていると明らかに飲酒運転と判る車がフラフラと走って来てはそばに停まり、「おい、兄ちゃん、乗ってかねーか!」と誘われて断るのに一苦労したことが何回かあった。今だったら即刻警察に通報されて大問題になっていただろう。荒っぽいが、社会の中の規制がまだゆるくて、自由な空間があちこちに残っていた時代であった。

いつから今のように自己規制ばかりが求められる息苦しい世の中になってしまったのだろうか。若者たちは、自分を表現するよりも自分を守ることだけに必死になって、バカ丁寧な話し方ばかりをするようになってしまった。

辻村夫妻のように、真っすぐに突き進んでいくだけの青春。自分にもその機会がいくらかはあったのかもしれないのに、目の前の生活に追われているうちに逃してしまったのが残念だ。

/P太拝

 

三代ごとに政府が潰れる国(4)-犯罪の動機-

このシリーズ記事は、元々は昭和戦後~現代と明治~昭和戦前の各分野における共通点を探ろうという視点で始めたものです。

しかし、犯罪について時代を越えた共通点を探ろうとしたところ、戦前の犯罪記録はわずかしか残ってないことが判りました。明治時代には全国紙という存在自体がまだ成立していず、地方紙をいちいち調べなければ各地の状況は把握できないようです。このため、この犯罪面については、明確な記録が残っている戦後以降のみを対象とすることにしました。

先回の記事では、日本だけではなくて世界各国でも犯罪件数は徐々に減少していることを見てきました。しかし、生活実感としては、むしろ日常生活の中で犯罪に出会う機会が増えているように感じます。これには無関係の通行人が被害を受ける、いわゆる「通り魔事件」の近年の激増が影響しているのかも知れません。

今回は犯罪動機の推移とその背景について調べてみることにしました。

 

(1)凶悪犯罪の動機の推移

下の図に昭和期以降の凶悪犯罪における犯行動機の比率の推移を示す。対象とした事件としては、以下のサイトに載っていた事件から二人以上を殺害した事件のみを抽出した。1970年代までのこれらのサイトに載っている事件の大部分が三人以上殺害の事件であった。1980年代以降には二人以上殺害の事件も(その全てではないはずだが)かなり記載されている。

なお、「あさま山荘事件」、「坂本弁護士殺害事件」、「和歌山カレー毒物事件」などの重要と思われる事件がこれらのサイトには載っていなかったので、適宜追加した。

①    大量殺人 - Wikipedia    
②    日本の殺人事件の死者数ランキングTOP50【2023最新版】    
③    図録▽他殺による死亡者数の推移 (sakura.ne.jp)    
④    通り魔 - Wikipedia    
⑤    Category:日本の連続殺人事件 - Wikipedia    
⑥    昭和戦前の大量殺人事件|相馬獄長|note


犯行の動機を以下の八種類に分類した。
    
金銭: 金銭奪取が主目的。

怨恨: 客観的には恨む根拠が希薄な、いわゆる精神障害による怨恨事件も含む。

心中:家族を道連れにした自殺、または家族を殺した結果として自分も自殺。

愉快:リンチ等で人が苦しむのを見て楽しむ。又は、人を支配できる権力を求める。

通り魔: 特に襲う理由が無い無関係の人を襲う。「刑務所に入るため、死刑になるための犯行」のような自殺的犯行も含む。

性欲:自らの性的欲求を満足しようとした結果、殺人に至る。同性・小児を対象とするものも含む。

政治テロ:政治体制の変革が主目的。

不明:動機不明

なお、通り魔事件については、1980年代以前にはほとんど見られず、2000年代以降に激増しているが、事件の性質上、被害者が一人の事例が多い。そのため、その大半がこの図中の分類には含んでいない。

図-1 凶悪事件の犯行動機(以下の図、表はクリックで拡大)

この図を見て判ることは以下。

・金銭目的の犯罪は経済発展と強い相関がある。戦後の高度成長期の1950~70年代とバブル経済全盛の80年代には金銭目的の犯罪が少ない。バブルがはじけた1990年代以降はこの種の犯罪が激増している。特に経済高度成長の最盛期であった1960年代には、凶悪事件の発生件数自体が少ない。

・心中や性欲目的の犯罪は時代を問わず散発的に発生している。

・政治テロとしては、二・二六事件(1936)、あさま山荘事件(1972)、三菱重工爆破(1974)、松本弁護士一家殺害(1989)、松本サリン事件(1994)、地下鉄サリン事件(1995)の五件を取り上げた。

12人を殺害した「連合赤軍リンチ殺人事件」(1971)は、閉そく状況下での仲間内の怨恨が動機であるとした。2000年代以降は政治変革を目的とする大事件は発生していない。昨年七月に発生した「安倍晋三銃撃事件」は被害者が一人であるために元々この図には含めていないが、個人的怨恨が動機とみてよい。

・愉快犯と通り魔犯罪は1980年以降に徐々に増え、近年では激増している。愉快犯の代表例としては「パラコート連続毒殺」(1985)、「北九州監禁殺害」(1996)、「大口病院連続点滴中毒死」(2016)、「相模原障がい者施設」(2016)等が挙げられる。いずれも不特定多数の他者、または自分の支配・監督下にあるか、又はあった人間を苦しめて殺害することを喜びと感じている点が、自殺・自滅傾向を有する通り魔事件とは異なる。

なお、このグラフに示した計128件の事件の中には、鳥取市に関係する以下の二件も含まれている。今回は詳しくは触れないが、別の機会にあらためて取り上げてみたいと思っている。

「スナックママ連続殺人事件」
「鳥取連続不審死事件」


(2)主要事件の犯人の精神的傾向

最近の凶悪事件にはどのような背景があるのだろうか。このような犯罪を減らすためには、私たちはどうすればよいのだろうか。そのような問題意識のもとに、より詳しく個々の事件について調べてみたい。

下の表には過去約20年間における「通り魔的要素」を含む凶悪事件の主要例を挙げた。通り魔的犯罪はその大半が男性によるものだが、女性による犯罪も含めておきたいと思い、当時世間を震撼させた連続詐欺殺害事件三件を追加した。


表-1 最近の凶悪事件の犯人の背景

この表を作る際には各事件に関するwikipediaの記載内容を主とし、他のいくつかのネット上の記事の内容も参考とした。それらの記事を各事件について各一点だけを以下にあげておこう。

①    池田小、秋葉原…大量殺害を起こした「犯人たちの戦慄肉声」 | FRIDAYデジタル (kodansha.co.jp)
②    鳥取6人不審死事件 35歳ホステスが男性を次々篭絡した妖艶手口 | FRIDAYデジタル (kodansha.co.jp)
③    関西青酸連続殺人事件|結婚したら殺される!恐ろしい後妻業の女 (guardians7.com) 
④    木嶋佳苗の現在!生い立ち・獄中結婚した夫3人・テクニックも総まとめ【首都圏連続不審死事件の犯人】 (newsee-media.com)
⑤    【土浦連続殺傷事件】金川真大の生い立ちから死刑まで!家族は? | 女性が映えるエンタメ・ライフマガジン (windy-windy.net)
⑥    「食べるのが遅いと新聞のチラシにぶちまけて…」秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大が語っていた“歪んだ親子関係” |  文春オンライン (bunshun.jp)
⑦    大阪個室ビデオ放火事件|中途半端な自殺願望で16人が犠牲に (guardians7.com)
⑧    《相模原45人殺傷事件》「こいつしゃべれないじゃん」と入所者に刃物を 植松聖死刑囚の‟リア充”だった学生時代 | 文春オンライン (bunshun.jp)
⑨    マスコミが絶対に報じない、猟奇的な「座間事件」が起きた本当の理由(阿部 憲仁) | 現代ビジネス | 講談社(1/7) (gendai.media)
⑩  「京アニ事件」から2年 青葉真司の「呪われた」家系図 祖父、父、妹が揃って自殺

⑪    生活保護があっても、北新地ビル放火殺人事件を止められなかった理由 | | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)


まず、上記表中の②~④、三件の女性による詐欺殺害事件について見ていきたい。表に記載した殺害人数以外にも、これらの犯人の周囲では男性の不審死が数多く発生しており、実質的な被害者はこの数倍になるのではないかと推測されている。

奇妙にも、この三件は時を同じくして共に2000年代の後半になって明らかになっているが、これは偶然ではないのかもしれない。1990年頃に始まったいわゆる「経済停滞の失われた20年」の後半期に相当している。バブル期の狂乱経済に憧れたりその記憶が消えない世代にとっては、自分の中に育てて来た理想の自分と現実とのギャップに悩んでいた時期なのではなかろうか。

体力が男性よりも劣る女性には暴力事件よりも詐欺事件の方が手を出しやすいのだろう。最近では、青酸、睡眠薬練炭による一酸化炭素の併用などによって、非力な女性であっても身の回りの男を次々に殺害してカネを奪うことが可能になった。

一般的に言って、科学技術が発達した結果として自分が直接に暴力を振るわなくても殺害可能となったことで、以前よりも殺人に対する心理的障害が相当程度低くなってきたように思われる。殺害相手に対して毒物をもる行為は、爆撃機の操縦士が敵国の市街地に向かって焼夷弾原子爆弾を落とすためのボタンを押す行為と心理的には似たようなものなのかもしれない。相手が苦しむ様子を直接見たくなければ見なくてもすむのである。

「・・・過去においては、誰かが人を殺した場合には、その人のなかに自分の行動についての十分な人格的な実感が生じたものである。しかし、殺人が飛行機上の遠く隔たった高所から「科学的」に行われる場合には、情況がまったくちがってくる。ボタンを押せば、十万人もの人間が絶滅されるのだからである。・・」 (「近代人の疎外」 P42  パッペンハイム 岩波新書 1960)

もう一つ言えることは、相手を自分に引き付けるためにも魅力を振りまいて十分にサービスし愛想よくしておきながら、その一方では、計画通りに相手を殺害するために冷徹かつ着実に殺害を準備できているのが不思議に感じる。相手に対する憎悪や憎しみの感情が少しでもあったならば、こううまくはいくまい。

これから言えることは、これらの事件の犯人にとっては、殺害対象の男は特に好悪の感情の対象となる存在ではなくて、むしろ銀行のATMのようにありがたく生命を持たない物質的存在なのではなかろうか。あるいは自分の仕掛けた罠にかかった獲物、後で解体して食べる肥った獲物ほど可愛くみえるということなのかもしれない。

さらに不思議なのは、特に容姿が優れているとも言えないこの三名の女性に、まるでミツバチと花との関係のように男たちが次々に引き寄せられていったことである。これは彼女たちが、ユングが唱えた元型(アーキタイプ)の中のグレードマザー(太母、地母)の役割を無意識のうちに演じていたことであろうことを示している。


次に男性による大量殺人事件について見てみよう。⑤の事件は殺害人数が二人と少ないが、⑥の秋葉原事件では犯人自らこの土浦事件の模倣であったと述べており、家庭背景もかなり特異と思われるので載せることにした。

以下、各事件に共通する注目点を挙げてみたい。

(a)母性的存在の不在

上の表で男性が犯人の場合には、⑤と⑧以外の犯人には、いずれも母親かそれに代わる存在が希薄である。母性的存在とは、基本的には子の存在を全て肯定し、子を受け止めて保護する存在なのだろう。「安心して甘えることができる相手」と言い換えてもよい。その意味では女性に限られるわけではなく、男性でもこのような役割を果たすことも可能だろう。

①のケースでは、犯人Tは幼少時から母親に嫌悪され蔑視されながら育ってきたようだ。一方で父親は極めて厳格な性格だったとのことで、家庭内には彼が癒され安心できる居場所が最初から無かったように見える。

数年前、何気なくラジオを聞いていたら、寮美千子さんという方が奈良少年刑務所を取材した時の話をしていて、それを聞いて衝撃を受けたことがある。

彼女の話によると、入所者の少年の中のかなりの割合が、実の母親から「お前なんか産まなければよかった」というたぐいの暴言を言われながら育ってきたそうである。「自分もそのような言葉を浴びながら育っていたら、今頃はどうなっていただろうか・・」と恐ろしく思いながら聞いたものである。

⑥の秋葉原事件の犯人Kが、この「母性不在」の環境の中で育った典型例のように思われる。彼の母親は息子を進学校に入れたいがために、彼の行動を完全に支配し彼の自発性を奪った。家庭の中に父親が二人いるようなものであったらしい。その反動と復讐とが、のちに名門高校卒業後の大学進学放棄として形をとって現れることになる。

⑦と⑪でも、犯人はいったんは結婚して平穏な家庭を築いたものの、離婚後には社会から孤立し経済的にも困窮して自殺願望をつのらせている。

座間の事件⑨でも、犯人Sは犯行後も自分の母親だけには会いたがっているらしいが、母親は面会拒否を続けているそうだ。

京都アニメーションの事件⑩でも、犯人Aを擁護する訳ではないが、彼が幼い頃からずいぶんと悲惨、かつ周囲からの愛情に乏しい環境で育って来たことは確かだろう。

 

なお、一般的には母と娘の結びつきは母と息子との関係よりもはるかに強固だが、それが強すぎると逆に娘の人生を束縛することになる。母性が巨大化して疑似的な父性に変化し、娘の行動を極端に束縛した結果、凄惨な悲劇となった例としては2018年に滋賀県守山市で起こった事件が挙げられる。

「医学部受験で9年浪人 〝教育虐待〟の果てに… 母殺害の裁判で浮かび上がった親子の実態」

上の表には載せていないが、1988年に関東一円を震撼させた「東京埼玉連続幼女誘拐事件」の犯人Mも母親からの愛情が希薄な中で育っている。

このように見ていくと、女性に比べて男とは、なんと精神的に弱くてもろい存在なのかと思う。我々は仮に苦境に陥った場合にも、自分をかって愛し受け止めてくれた母のような存在を思い起こすことで、犯罪を犯すことからかろうじてまぬがれているのかもしれない。

 

(b)経済的困窮と非正規職

上に挙げた事件の多くでは、経済的に困窮したことをきっかけとして犯行が実行に移されたと言ってもよいだろう。また、ほとんどのケースで、犯人は安定した仕事につけないままに非正規職を転々としている。

非正規職と正規職の違いについては、一般に前者の年収が後者のそれの半分程度でしかないことはよく知られているが、その他にも、仕事における決定権の差が大きいことが挙げられる。

非正規職では、あらかじめ正規職の誰かが作っておいたマニュアルに忠実に自分の手足を動かすことが求められる。自分が工夫したやり方で勝手に作業を進めると逆に叱られることも多いだろう。日本人の働き方は「職人的」と評されることが多いが、現代の非正規職に留まっている限りは職人にすらなれないのではないだろうか。

最近では非正規から正規への転換を積極的に進めている企業も出て来ているようだが、非正規には能力が身につかない単純作業のみを割り当てている企業がまだ大半だろう。非正規職として職場を転々としているうちに、彼らの心の中には鬱積したものがどんどんと溜まっていくのではなかろうか。

製造業への人材派遣が解禁されたのは小泉内閣時代の2004年3月であった。下に日本の正規職と非正規職の割合の推移を示しておこう。

図-2 

小泉内閣の期間は2001年4月~2006年9月であったが、この間、全労働者における非正規の比率は一貫して上昇を続けている。

日本の支配層は、戦前は武力を背景に他国の土地を奪って植民地化することで自身の利益を確保したが、戦後約五十年が過ぎると、自国の内部に政策的に格差を作り出すことにその収益の源泉を求めるようになったのである。

製造業への派遣が解禁された当時、筆者が勤務していた会社では、ちょうど特定の部署で受注が増えたために、その製品の製造ラインを三交代で動かす必要が生じていた。そこで、総務部がさっそく派遣会社と交渉して十人程度の派遣労働者を導入することになった。この製造業への派遣解禁の直後から、鳥取市内にも製造業向け人材派遣会社がいくつか誕生していたのである。

自分にも関係がある部門だったので、時々、現場に様子を見に行った。それまでこのラインで働いていた正社員に対しては、個人ごとにその勤務態度と成果とが定期的に評価されていた。しかし、派遣会社から来た人たちに対しては、そのグループ全体としての評価だけであり、こちらからは個別の評価はできない。また、彼らがいくら頑張って働いても将来の昇給は約束されない。

「こんな働き方で、はたして彼らは仕事に対するモチベーションを維持できるのか? 現在の製品の品質が維持できるのか?」と大いに疑問に思ったものである。

その後、会社を退職してからは、筆者自身、当座の収入を得るために短期間の派遣社員として製造ラインで働くことを経験した。

雇われた側である自分から見れば、「ただ言われた通りのやり方で、契約した時間だけ作業をするだけ」のことであり、仕事のモチベーションも何も、このポジションに居ては持ちようがないと実感した。「早く終わりの時刻にならないかな」と壁の時計を時々見上げながら単純作業をするだけの日々であった。個人的にいくら頑張ってみても時給は変わらないのである。

そもそも、会社の経理上は、派遣社員に関する発生費用は「人件費」ではなくて「物品購入費」として処理される。要するに、今の日本では。派遣社員はヒトではなくてモノ扱いされているのである。これが最近の日本の製造業の品質低下の一因となっているのかもしれない。もちろん、自分の将来に希望が持てない職場に長くいればいるほど、心の中に周囲や社会全体への恨みがたまっていくことも想像に難くはない。

 

(c)なぜ自殺願望が生じるのか

男性による事件の大半では犯人は犯行以前から自分の自殺願望を周囲に漏らしていたようだ。例外は相模原の⑧であり、座間の⑨については自殺願望があったかどうかは不明だ。
心理療法家の故河合隼雄氏によれば、青少年が万引き、ケンカ、不純異性交遊などの犯罪・非行や、リストカットなどの自殺未遂を繰り返し起こすのは、「自分が、この先、どうやって生きてよいのか判らない」ことを無意識のうちに表現しようとしているためだとのこと。

これらの行為は「自分はこれからどう生きたらよいのか? 誰でもいいから教えてくれ!」という彼らの心からの痛切な叫びに他ならないのである。

この観点から見れば、特に生活に困窮しているとも思えない⑤や⑥が、なぜ自殺願望を繰り返し表明していたのかということへの理解も可能だろう。

この叫びに対して、「世間の人のように普通に生きろ」と一般論を言うだけでは、なんの解決にもならない。彼らは、そんな話は、既に学校で毎日のように聞き飽きていたのである。問題は、彼らの個別の叫びを真摯に受け止めて、自分の言葉を使って正面から向き合おうとする大人の不在にあるのだろう。

河合氏は次のようにも書いている。

「ある個体が個体として成長するためには、常に適切なインヒビター(抑制者)が必要なのである。・・・青少年に対して、親や教師が不退転の壁として存在するとき、彼らの巨大なエネルギーがそれにぶつかり、分化し統合されて、青少年の成長が生じるのである。この抑制者を失うとき、エネルギーは単に暴発するだけで、自分のものとはならない。・・・・子どもを理解するとか、自由を尊重するという美名のもとに隠れ、その本質を理解することなく、自ら抑制者として子どもの前に立ちはだかる義務を放棄してきた大人が、ずいぶんと多かったのではなかろうか。」

(「日本人とアイデンティティ」p187-188 河合隼雄 講談社α文庫 1995年)

この文章は、元々は校内暴力がピークを迎えた1980年代に書かれたもののようだが、現代ではさらに状況がエスカレートして、青少年が暴力を振るう場所と相手は、校内の教師から路上の無関係な通行人へと移っている。

河合氏によれば「日本は典型的な母性的社会」とのことである。キリスト教イスラム教のような根本的原理がある「父性的社会」では善と悪の区別は明確だが、日本にはそのような根本的原理は存在しない。しいてあげるとすれば、「世間さま」か「その場の空気」、またはその時々で変わる「マスコミの主流論調」くらいしかないのである。

欧米やイスラム圏では、若者はキリスト教イスラム教の従来の教えと格闘しながら自己の価値観を確立して生まれた家を出て自立していくが、日本社会にはそもそも格闘する相手となる父性的原理が存在しないため、若者はいつまでも自己の価値観を確立し自立することができない。条件が許す限りは、母性的な親の元でいつまでも甘えていられることになる。これが日本社会に特有の「引きこもり」現象の原因だろう。

日本の父親には、たとえ一時的にはサンドバック状態になろうとも、思春期のわが子に対しては、どこかからの借り物ではない自分なりの言葉と価値観とを持って向き合うことが求められていると思う。

 

(d)コミュニケーション力の不足、実世界からの遊離

秋葉原事件の⑥では、犯人Kは職場に対する不満が募るたびに「抗議の意味」で無断欠勤を続け退職することを繰り返している。実に「幼児的な」行動というほかはない。

我々の世代であれば、職場に不満があれば、仲間を集めて労働組合を作って経営側と交渉しようという発想になるのだが、孤立化が進んだ今の職場では何事も個人で解決するしかないという発想になってしまうのだろうか。

自分の中に不満がたまってもそれを外部に表明する手段を知らない場合、積もり積もった不満がある日突然爆発して、周囲も当人自身も不幸な結果を招くことになりかねない。

心配なのは、この犯人Kの行動と共通する現象が今の日本のあちこちで見られることだ。数年前だったか、会社に退職希望を言い出せない人に代わって退職を申し出る「退職代行業」が誕生という報道に接して、本当にビックリした。それ以外にも、新入社員が会社にかかって来る電話に出たがらないという話は多い。電話での受け答えができないとか、相手の口調の変化でその感情の変化を読み取る能力が身についていないことがその理由らしい。

テレビニュースを見ていると街頭インタビューに答える若者の言葉がやたらと丁寧で、まるでビジネスの現場でのあいさつのようにさえ感じる。最近の若い世代は、仲間内でのくだけた話し言葉か、木で鼻をくくったようなビジネス上のきまり文句しか使えず、その中間の言い方を知らないのではないか。自分の考えを誰に対しても率直に表明できるコミュニケーション力が欠けているように思う。

筆者の記憶では、1990年代になると職場ではメールが急速に普及、2000年代に入ると、同じ室内に座っている者同士でもメールで情報をやり取りする例が増えて来た。「なんで数歩歩いて行って、じかに相手の顔を見て話そうとしないのか」と旧世代的にはイライラしたものである。

これからはメタバースが普及するそうだが、ネット経由でしか人とつながれない人、ネット上の世界にはまり込んで出て来られなくなった人がますます増えるのではないかと心配だ。

実際、土浦の事件⑤の犯人は、その犯行の動機として「ゲームの世界と比べて、現実世界のつまらなさに耐えられなくなったため」と裁判の中で述べている。

薬物中毒による妄想世界や、ネットが提供する仮想空間の中にしか喜びと自己肯定感を見いだせなくなった人物が、実世界における自分の姿に大きく幻滅した時には、この事件と同様に無関係の人を巻き込んでの拡大自殺を起こす確率は高いだろう。対策としては、実世界での自己肯定感を確立すること、日常の生活の中での自分への自信を取り戻すことにしかないのである。

(e)大麻の影響

⑧の相模原の事件については、大麻吸引の影響がかなり大きいのではないだろうか。犯人Uが大学入学後に大麻を吸い始めてからは急に人格が変わったという証言がある。

大麻の健康への影響はアルコールよりも低いとされる報告もあり、欧米では大麻を解禁する国や州もいくつか出てきている。しかし、人によっては、この事件のように大麻吸引をきっかけとして元から持っていた妄想が肥大化する傾向もあるのだろう。

現在、米国では麻薬の代用品としての鎮痛剤のオビオイド等の過剰摂取による死亡者が年間十万人を超えるようになった。米国の年間の自殺者数は約五万人なので、苦しい現実から逃れるための薬物の過剰摂取も自殺のうちに含めれば、その合計は約十五万人となり、日本の自殺者数の二万一千人(2021年)の約七倍に相当する。

日本では薬物過剰摂取による死者はまだ少数にとどまっているようだ。人口十万人当たりで比較すると、過剰薬物死も含めた場合の米国の自殺率は日本のそれの2.7倍に達する。
「米国でオピオイド中毒死者数が急増 コロナ禍でオピオイド危機が再燃」

昔から「日本の将来を予想するには現在のアメリカを見ればよい」と言われている。一部の芸能人が大麻解禁を唱えているようだが、大麻覚醒剤等のより深刻な薬物中毒への入り口とも言われており、国民の健康のためにも、犯罪増加を抑制するためにも、日本での今後の解禁を許すべきではないと思う。


(3) 凶悪犯罪の防止のために我々には何ができるのか

以上で見て来たことをまとめれば、凶悪事件発生の背景には「貧困」と「自己肯定感の欠落」という二つの要素があることは明らかだろう。後者はさらに「母性的存在の不在」と「自分が生きる意味を見いだせないこと」に分けることができるだろう。

凶悪事件が起きるたびに、ネット上には「早く死刑にしろ」とか「自己責任」という言葉があふれるのだが、おそらくこれは凶悪事件の発生防止の観点から見れば逆効果だろう。

まず、「死刑存続・対象拡大論」だが、自殺の近道としての死刑になりたくて無関係の人びとを殺戮する通り魔事件が急増している現状を見れば、死刑制度を今後も存続させれば、自殺予備軍の中からさらに多くの死刑希望者、通り魔事件の加害者を呼び寄せてしまうことになるだろう。

犯人に対する遺族の復讐感情はもっともなことであり、筆者自身もその立場になれば同様に感じるのだろうが、ここでは一歩引いて、社会全体としての被害を減らすための客観的な対策を考えるべきである。根本対策は自殺予備軍の絶対数を減らすことにある。

「自己責任論」については、上で見たように、凶悪事件の犯人がこのような行動をとるに至ったのは周囲の環境による要因もかなり大きい。そのような環境をつくってしまった我々自身の日常生活と国・自治体の行政内容にも責任がある。

単に犯人の自己責任で片づけてしまうだけでは、今後も似たような事件がさらに増えることになる。「自己責任論」の蔓延は、自殺予備軍をさらに精神的・社会的に追い詰める結果しかもたらさないだろう。

「貧困」対策については、まずは現在の日本に暗黙裡に存在する「正規・非正規カースト制度」を撤廃する必要がある。

新規卒業者のみを正社員として優遇するようでは、格差是正も、産業間の労働力の移動による国全体の競争力強化も進まない。安倍政権がかって唱えた「同一労働・同一賃金」は、現在どの程度まで進んでいるのだろうか。

「自己肯定感の欠落」対策については、労働現場では、非正規職にもその習熟度に応じた責任を分担してもらうようにする必要がある。与えられた責任を果たせばそれに応じて報酬も引き上げることで良い循環が生まれる。職場で疎外感を感じることも減るだろう。

しかし、自己肯定感を育てるためにとりわけ重要なのが、小中高を通じての教育現場と家庭の在り方だろう。ここまでは犯人がどのようにして犯罪を犯すに至ったかを見て来たが、以降は視点を百八十度変えて、成功者と言われる人たちがどのようにして育ったかを見てみよう。

次の記事はごく最近のものだが、教えられる点が多く含まれている。この記事は前編だが、これに続く後編もぜひ読んでいただきたい。

「大谷翔平の両親が、我が子の前で「絶対にやらなかった」意外なこと」


次の点が大事であることが判る。

・子どもには、なるべく色々な体験をさせること。途中でやめても叱らないこと。
・見守りはするが、口は出さないこと。
・子どもに対して過度な期待はしないこと。
・家庭内の雰囲気を明るく、なんでも言えるオープンな場に保つこと。

要約すれば、子どもの心の中からの自発性を育てることを最優先し、決して子供を自分の身代わりにして成功させようなどとは考えない。順調に成長して大人になってくれればそれで十分と思うことだろう。

親が実際にそのようにするのは、相当なエネルギーを使うことになり、かなり大変だろう。我々は、つい、「それじゃダメでしょ、こうしなさい」などと子どもがやっていることの先回りをしてしまうのだが、それでは子どもの自発性も課題解決能力も育たない。親みずから子どもの成長機会を奪っているのである。同様なことは小中高の学校内でも日常的に起こっているらしい。

上の記事を読んでいるうちに、これらの成功者を生み出した家庭の育て方が「モンテッソーリ教育」とそっくり同じであることに気がついた。六才までの幼児を主対象とするこの教育方法では、教える側はもっぱら子どもの行動を観察する側に回り、子供に指導や強制をすることを極力控えるのである。

筆者の知人に保育園を経営している人がいるが、彼は教育関係の大学の卒業後にこの教育法を実践している保育園で数年間修業したそうである。また、この教育法は、近年、鳥取県東部各地で増えている「もりのようちえん」の教育法ともそっくりである。

残念なのは、これらの幼児教育によって自発性が育ったであろう子どもたちも、小学校入学後には集団への同調を強いられる現在の学校教育の中に組み込まれてしまうことだ。

最近では、自分の子供には日本の学校教育を受けさせたくなくて外国に移住する親も増えているらしい。子どもの自己肯定感を削り取ってしまいかねない、現在の日本の学校教育の内容は大きく見直す必要があるだろう。

「家族でオランダへ教育移住。日本の教育と比較して気づいた違い」
「「日本で子育てしたくない」日本から海外移住が過去最多「頭脳流出」の原因は」
「「日本にだけは住みたくない」“海外育ちの子”が感じる生きづらさ」

 

さて、ここで述べた子どもの自発性を尊重することの重要性と、上の(2)の(c)「なぜ自殺願望が生じるのか」で述べた「青少年に対して、親や教師が不退転の壁として存在」すべきと述べたこととの関係について説明しておこう。

この二種類の方針は、一見、矛盾しているように見える。しかし、自発性を十分に発揮できた結果として自分で工夫するすべを学び、既に何らかの分野で自分に自信がついた子どもは、思春期を迎えて色々な障害に出会っても、努力してその壁を自力で乗り越えていく力が既に十分についているのだろう。

ただし、このような力をすでに蓄えている子どもはごく一部に留まる。思春期を迎えた子どもたちの大半は、偏差値に代表されるような一元的な価値観の下で自信を失ない、何らかのコンプレックスを抱えこんで悩んでいるはずだ。

筆者自身の経験では、中三の秋になると生徒それぞれの進路がほぼ決まるのだが、進学校に進めずに実業系の高校に行くことが決まった男子同級生の中では、何人かの行動が卒業の時期までかなり荒れていたことを思い出す。

こういう時にこそ親や教師の出番であり、偏差値だけで人生が決まる訳ではないことを、長い人生の中では後でいくらでも挽回が効くことを信念を持って示さなければならないのだが、実際には、むしろ彼らを避けて遠ざかろうとする大人が大半であったようだ。

子どもに対する親の対応が適切であったであろう例を、もうひとつ紹介しておこう。

ちょうど今、WBCの開催中で日系アメリカ人のヌートバー選手が大活躍して人気者になっているが、彼の育った家庭の雰囲気が伝わって来る記事だ。

「日系人初のWBC参戦のヌートバー、野球を奪われた2020年に母に勧められバイトも経験し人間的に成長」
二十歳を過ぎていても、彼は親の勧めに素直に従って厳しい肉体労働を体験している。子どもの頃から互いに培ってきた親との信頼関係があってのことだろうし、親の価値観も垣間見える。

さて、今回教育の問題を調べていて、望ましい子育てのやり方とは、会社での仕事の進め方によく似ていると感じた。

筆者の体験から言えば、製品を開発する技術者にしても、それを売る営業担当者にしても、最初の一発でいきなり大きな成果が上がるなどということは、ほぼあり得ない。

様々な顧客を訪れては話を聞き、試しに試作品を作ってみては反応を調べ、とにかく小さな失敗と小さな成功とを数多く経験することで、やっとどんな製品を開発すればよいのか、どのような顧客がそれを欲しがっているのかが見えて来る。ただ椅子の上に座って製品の構想を考えているだけでは何ひとつ生まれない。

眼の見えない人でも、手を前に出してあちこち触りながら歩いているうちに、自分の前にいるのが牛なのか、馬なのか、象なのかが判るようになるものなのである。

子どもにも、好きな分野を好きなようにやらせて、小さな失敗と小さな成功を数多く経験させるべきだろう。そのうちに彼の中に自発性と工夫する力とが自然と芽生えて来る。親や教師は子どもが危険な領域に近づいた時には手を出すが、それ以外では見守っているだけの方が良いだろう。

子ども自身が行きたかった分野には結局は進めないのかも知れないが、自分であれこれと試した結果であればあきらめもつく。いろいろとやっているうちに自分の得意な分野も見つかることだろう。

自分のやりたいこともやれずに苦手な勉強やスポーツを強制された場合、あとで結局失敗してしまった時には、親や教師のせいで自分のやりたいことが出来なかったという恨みだけが残る。

その失敗が大きなものであった場合には、その後は失敗を恐れて委縮し、自発性を自ら封印して与えられた仕事をこなすだけの無感動な生活を送り続けることになるか、極端な場合には、自信を失い世間の眼を恐れて引きこもり生活に入ってしまうケースもあるのだろう。

我々は、凶悪事件の犯人は自分たちとは全く異なる別世界から来たような存在と捉えがちだが、その背景を調べてみれば、彼らも元々は我々や隣人や同級生とほとんど変わらない普通の人間なのである。

ただ、家庭環境や学校、職場などの日常生活の中で、彼らの心の中の歯車がいったん狂ってしまうような錯誤が連鎖すれば、結果的には、彼らは想像もできないほどの凶悪な犯罪者に変貌してしまうのである。その日常生活の中に潜んでいるかすかな錯誤にいち早く気づくことこそが、いま最優先で求められていると思う。

/P太拝

三代ごとに政府が潰れる国(3)-犯罪の発生傾向-

先回は戦後日本の政治の劣化について見てきました。では、戦後の日本の社会面はどうなのでしょうか。社会が安定に向かっているかどうかは、その国の犯罪件数の増減で判断することができるでしょう。今回は主に戦後の日本の犯罪件数の推移について調べてみることにしました。

 

(1)各種犯罪件数の推移

下の図に交通事故も含めた戦後の各種犯罪の推移を示す。ここで窃盗とは、脅迫によらずに人の金品や財物を盗むことを指しており、空き巣狙い、ひったくり、万引き、置き引き、スリ、横領、車上荒らし、自転車・車泥棒、盗電等を指している。窃盗を除く刑法犯とは、殺人、傷害、強盗、放火、強姦、痴漢、暴行、詐欺などの犯罪を言う。過失運転致死傷等は、死傷者が出た交通事故を指している。

図-1 各種犯罪発生率の推移  歯(図・表はクリックで拡大、以下同様)

警察庁の統計及び総務省統計局の人口資料による-

この図によると、各種犯罪ともに2000年前後に急速な上昇がみられるが、これは1999年以降に警察庁が複数の通達を出して、「警察が犯罪被害者の相談に積極的に応じる」ように方向転換したためだろうと言われている。

この通達によって軽微な事案の届け出が急増したものの、実際の検挙人数はほぼ減少傾向にある。このグラフの縦軸の「認知件数」とは警察が届け出を受け付けた数であり、必ずしも実際に犯罪が発生した数ではない。

一例として窃盗の推移を見ておこう。下に示すように、認知件数は2002年にピークを示しているが、検挙件数も検挙人員も年々減少する傾向にある。検挙件数が検挙人員よりも多いのは、一人の犯人が複数の犯行に関わっていたためである。

図-2 窃盗の認知件数、検挙件数、検挙人員の推移


出典元:「なぜ犯罪は減少しているのか」龍谷大学 浜井浩一 2013年 。

以下、最も凶悪な犯罪である殺人罪について見ておこう。調べてみるまでは知らなかったが、意外にも、殺人の被害者も他の犯罪と同様に減少傾向にある。

図-3 戦後の他殺、自殺による死亡者数の推移
 

この図で、他殺者数が減少する一方で自殺者数が増加傾向にあることに注目されたい。また、自殺者と失業率の強い相関も明らかだ。1990年代からの「バブル経済崩壊」と「就職氷河期」に伴って失業率は増加、それに伴って自殺者数も増加した。2010年代に入って団塊世代が順次退職したことで、一転、人手不足となって失業率は下がり、それに伴って自殺者数も低下して現在は小康状態となっている。

しかし、今後に経済が再度不振になれば自殺率も再び上がるだろう。自殺率に注目する必要があるのは、最近増えて来た「通り魔事件」や「大量殺人事件」と自殺との関係が明白だからである。この点については後ほど触れることにしたい。

さて、日本での他殺者数は年々減少傾向にあるのだが、他の国ではどうなのだろうか。これも予想外だったのだが、この殺人事件数の減少傾向は全世界的に共通であった。

主要国の他殺率の長期推移を次に示す。銃規制が出来ず毎日のように大量殺人事件が発生している米国以外では、他殺率は長期低落傾向にある。

図-4 主要国の他殺率の長期推移

より多くの国の他殺率の傾向も見ておこう。
図-5 近年の他殺率の推移(国際比較)

これらの図から各国の2019年(一部の国は2018年)の他殺率を読み取り、その国の2021年の一人当りGDPとの関係を調べた。結果を次の図に示す。

図-6 各国の他殺率と一人当りGDPの関係

事前に予想していた通りなのだが、一人当りGDPが高い国、つまり豊かな国になるほど他殺率は低い。ただし、地域ごとの傾向があり、仮に一人当りGDPが同程度であっても、欧州とアジアでは他殺率は総じて低く、北米・南米とアフリカは高い傾向がある。

北米・南米で他殺率が高いのには麻薬等の薬物中毒の影響が大きいようだ。他殺率の差が極めて大きいために縦軸は対数目盛としたが、この図中で最高のジャマイカの他殺率は最低のシンガポールの237倍にもなる。

余談だが、この図を見ていてあらためて感じるのが日本の経済の長期停滞だ。一人当たりの名目GDPで日本がシンガポールに並ばれたのは20年くらい前だった印象があるが(実際に調べてみたら1997年だった)、今では約二倍近い差がついてしまっている。

この図のGDPは2021年時点のものだが、昨年来の円安もあって、現時点ではすでに韓国にも抜かれているのかもしれない。
「一人当たりの名目GDP(USドル)の推移(1980~2022年) (韓国, 日本)」

 

(2)最近は若年者の犯罪は減り、高齢者は逆に増加

日本国内の犯罪の傾向についてもう少し詳しく見ていこう。最近の国内犯罪の特徴は、若年層の犯罪が減って高齢者の犯罪が増加していることである。

30歳以下の若年層が犯罪者の過半を占めているのが従来の常識だったが、最近ではこの常識が通用しなくなって来ている。以下、上に示した竜谷大の浜井氏の論文の内容に沿って紹介していこう。

下の図は、各年齢層千人当たりの窃盗犯の検挙人数を示したものである。年代と共に日本の総人口における各年齢層の比率は変化するが、このグラフについては各年齢層を一定数の千人に固定しているから、図に示した値をそのまま見比べることができる。

図-6 人口千人当たりの各年齢層別の窃盗犯検挙人員の推移

全体としては1990年代に最も窃盗犯が減っており、若年層については、いったん急激に低下してから近年になって再び増加する傾向となっている。しかし、50代以上に関しては徐々に増加傾向にあり、特に60代以上に限るとほぼ一貫して増加が続いている。

この背景には、当然だが高齢者の生活困窮があるのだろう。「年金だけではやっていけないので、つい手が出て万引きしてしまった」というようなケースが増えていると思われる。何十年も前から当然予想できたはずの高齢化に国の年金制度改革が追い付いていなかった結果がこれである。政治家と行政の不作為がこんなところにも表れている。

 

次に年齢別殺人犯の推移について見ていこう。次の図は1970年と2005年における各年齢層十万人当たりの殺人犯検挙人数を比較したものである。

図-7 人口十万人当たりの各年齢層別の殺人犯検挙人員の推移

16歳から49歳にかけての年齢層では殺人犯が明らかに減っているが、15歳以下と50歳以上では逆に増えている。この最近の傾向の背景については、上述の論文の中で浜井氏が以下のように述べている。

・最近は「青年層が人を殺さなくなった」。むしろ50歳以上で殺人犯が増えている。
・1949年公布の経済的理由による妊娠中絶を認めた「優性保護法」改正が大きく影響している可能性がある。
・当時、妊娠中絶を認めた当初の目的は、急激な人口増加の抑制、妊娠・出産・育児による貧困化の防止、生活保護費の抑制による財政支出の削減、食糧難の解消等にあった。しかし、結果的に「貧乏人の子だくさん」が減ったことで、家庭内殺人の大きな要因である貧困問題がかなり解消されたのかもしれない。

 

また、同じ論文の中では、世界的な殺人事件の減少傾向について、米国の著名な心理学者であるスティーブン・ピンカー氏の以下の主張が紹介されている。

・現在、我々は人類史上で最も暴力の少ない社会に生きている。欧州では西暦1200年頃から殺人率が減少していることが、様々な資料から明らかである。
・犯罪による殺人のみに限らず、戦争や死刑、拷問による死も長期的に減少してきている。
・これらの事実は、人類が種としても社会としても発展して来たことで、あらゆる意味での暴力を回避する傾向が強まった結果である。
・政治、教育、経済、国際化の発展が復讐や暴力への衝動を制御し、理性の力で暴力への誘惑を減退させることに成功した。
・我々の中にある「内なる悪魔」と「よりよき天使」の戦いで後者が勝利して、人類は暴力を克服しつつあることの現れである。

ピンカー氏はユダヤ系の家系の出身であり、ユダヤ教から派生したキリスト教と同様に、この世界を善と悪の戦いの場と捉えているようだ。「悪を滅ぼして善が勝利することが人類の目標」との考えのようだが、この考え方はどうも筆者にはしっくりこない。というのも、自らを完全な善と自称する勢力が、彼らが悪と呼ぶ集団に対して残虐非道な行為を行った事例は、世界史上にはあまたあるからである。

自分としては、「人間には善と悪、陽と陰、光と闇の二面性があり、それを上手に制御できるようになることが目標」というように考えたいが、これは東洋的な思想傾向なのかもしれない。

生物学的に考えてみても、数十万年、数百万年の以前から他の動物や人類の他の種族との闘争のために必要であり、遺伝的にも保持されて来た人類の暴力性・攻撃性が、わずか数世代~数十世代で急速に消滅するとは思えない。ただし、世界史上でたびたび発生した、敵対勢力に対する大量虐殺のようなことが起こった後では、そのような結果となることもあるのかも知れない。

なぜ、最近は犯罪が急速に減りつつあるのか、自分なりに考えた仮説を以下に二つ挙げておこう。

 

① 情報化社会への爆発的進展

筆者が小学生となった1960年前後までは、我が家にまで届く情報メディアはラジオと新聞の二つしかなかった。ラジオでドラマを聞いても音声から各場面を想像するしかないのだが、今から思えば子供の想像力を育てる上では効果的だったのかもしれない。当時、ラジオドラマの「赤胴鈴之助」に熱中していた記憶があるが、先ほど調べてみたら自分が小学校に上がる以前の番組であった。

その一、二年後には二軒先の家に近所で初めてテレビが入った。夏休みの間、夜になると近所の人たちと一緒にその家の窓越しにテレビ番組を見せてもらっていた。その頃に「恐怖のミイラ」というホラー番組があったが、それを見た後は自分の家までのわずか十数mの暗闇が恐ろしく、全力で走って一目散に玄関にたどり着いた記憶がある。番組の内容は全然覚えていないのだが・・。

近所に負けまいとして親父が頑張ったのか、その年の冬には我が家にもテレビが入ったと記憶している。それからは一家全員でテレビに熱中した。

当時はプロレス中継に興奮し過ぎてテレビの前で急死する年寄りが全国で続出。我が家でも、同居していた祖母が金曜日の夜になるとテレビの前に座り込み、「力道山 対 噛みつきブラッシー」などの試合に細い腕を振り回して大興奮しながら日本勢を応援していた。「急死するんじゃ?..?」と心配して見守っていたものである。(明治生まれの祖母は在日韓国・朝鮮人に対する差別意識が強かったが、力道山朝鮮半島の出身者だとは知らないまま、三十数年前に亡くなった。それで良かったのか、悪かったのか。)

あれは多分、戦争で負けたアメリカに対するプロレスの場を借りての復讐戦の意味合いが強かったのだろう。興行側は敵役としてアメリカ人選手ばかりを集め、それに強く反応したのが戦争で辛酸を舐めた中年以降の世代であった。

テレビの出現で「憎むべき敵」が一気に増えた。東京五輪の女子バレーボール決勝戦で日本と対戦したソ連チーム、柔道のヘーシンク、V9巨人軍等々(小学生当時、周りの友達の大半が頭の上に載せていたのは、巨人軍を天敵とする阪神の野球帽であった。南海ホークスの帽子をかぶっていたのは、いつも筆者一人だけであった。)。

スポーツ、特に国家間の団体チームの対戦は、実際の戦争の代替行為に等しいと言ってもよいだろう。あるチームのファンになることで、一つの集団への帰属意識が生まれる。テレビ中継があるスポーツ、特に野球と相撲とが大人気となった。近所の子とのケンカを繰り返してガキ大将の座を獲得するよりも、少年野球の大会でホームランを打つことの方がはるかにカッコよくなったのである。

現在の筆者自身もラグビーやサッカーの代表戦は必ず見てしまうクチである。特定の企業や地域に対する思い入れは特には無いので、応援するとしたら国の代表チームくらいしかないということもある。なお、野球のWBCには今までは全く興味がなかったが、今年の大会では各国のトップ選手が勢ぞろいすることもあり、大いに楽しみたいと思っている。

代表戦の観戦中は大いにナショナリズムを発揮したいが、終わってしまえばラグビーノーサイド精神に戻りたい。レベルが高ければ他国同士の試合も楽しみだ。実際、昨年のサッカーW杯決勝戦のアルゼンチン対フランスの試合は、今まで見たサッカーの試合の中では最高の内容であった。

サッカーの試合に負けて実際の戦争を始めた国が以前にあったそうだが、本当のバカというしかない。「ウクライナ戦争なんかしないで、サッカーの試合で済ませろよ」とロシアには言いたいものである。

ネットが普及して個人からの発信が可能になると、さらに敵となり得る対象が急速に拡大した。政治家、役人、大企業、外国、タレント、スポーツ選手やチーム、はては自分の同級生に至るまで、炎上させる相手には事欠かない。

ネット経由で相手を攻撃することで、自分の脳内に発生した攻撃衝動の大半が発散消費される。人を殺して見たくなったら、戦争ゲームをやればとりあえずは闘争本能を満足させることができるのである。

スマホやパソコンに向かってさえいれば、攻撃本能の大半が満たされるようになってしまった。身近な家族、同級生、先生などを実際に殴ってストレスを発散させるまでもない。リアルな世界で暴力を振るうのはめんどくさいし、実際にそれをやったら刑務所にぶち込まれかねない。刑務所に入ったら、SNSも、戦争ゲームもできなくなってしまうのである(フィリピンの刑務所なら出来るのかも)。

これが世界的に犯罪が急減しつつあることの理由だろう。ただし、金銭や物品に関しては、スマホ経由で手に入れるにはかなりの技術と知識とを必要とする。暴力犯罪が急速に減少する一方で、万引きや置き引きなどの窃盗犯はむしろ増加するのかもしれない。

図-6で示した「他殺率と一人当りGDP」の相関関係も、以上で述べた考えを支持しているように思う。裕福な国ほど国民が利用できる情報メディアは多岐にわたる。豊富な情報に接することで、自らの内にある暴力性を客観的に見つめ直す機会も多くなるだろうからである。

 

②世界共通現象としての男性ホルモンの急減

世界各国で男性の精子の数が急減していることは既に広く知られている。これも各国の少子化の要因のひとつなのだろう。精子をつくるためには男性ホルモンの一種であるテストステロンの濃度が一定量必要だが、その濃度も減ってきているそうである。

「ヒトの精子の減少加速 70年代から6割減、打つ手見えず」

テストステロンと言えば男性の外見を男らしくするホルモンであると同時に、その攻撃性にも関係するとされていることが多い。そこで、「テストステロン+攻撃性」で検索してみると、意外にもその関係については否定的な記事が多かった。

ただし、これらのサイトはサプリメント販売を目的とするものが大半であった。どうやら筋肉増強の目的でのテストステロン入りのサプリメント販売が、既に一定規模の市場を獲得しているようだ。「このサプリを飲むと人への攻撃性や支配欲が増します」なんてことは販売する上では到底書けないから、否定的な研究結果を集めて記事を作っているのだろう。

そこで、サプリ販売には関係なさそうなサイトに限定して調べてみると、やはりテストステロンと攻撃性との相関関係は有意に存在しているようである。

「テストステロン -wikipedia- 攻撃性・犯罪性の項目」

・「ほとんどの研究は、成人の犯罪性とテストステロンの関連性を支持している。(ただし、)少年の非行とテストステロンに関するほとんどすべての研究は有意ではない。また、ほとんどの研究では、テストステロンが反社会的行動アルコール依存症などの犯罪性に結びつく行動や性格特性と関連していることが判っている。」

・「テストステロンと支配性の間には直接的な相関関係があり、特に刑務所内で最も暴力的な犯罪者はテストステロン値が高いことが研究で明らかになっている。」

「男性ホルモンは人間不信を高める:研究結果」
・「テストステロンは、信頼を減じ、警戒心を抱かせて用心深くさせる」

これらの研究結果から、最近の男性のテストステロン分泌量の減少が「精子の減少」を招くと同時に、「犯罪発生率の減少」をも引き起こしているとの仮説が成立すると思うのである。

さて、殺人事件が年々減少しているというのは、今回調べてみて判った意外な事実であった。ただし、犯罪面に関する我々の現在の一番の関心事とは、最近頻発する「通り魔事件」や「無差別大量殺人」のように、自分が攻撃されるいわれが無いのに、ある日突然に命を奪われかねないという不安感なのである。

次回はこの点について考察してみたい。

/P太拝

三代ごとに政府が潰れる国(2)-世襲政治家の蔓延-

最近は、自分の子供を公務員の要職に手前勝手に任命する政治家がやたらと増えていて、「これでも国のリーダーか、よくも恥ずかしくないものだ」と腹立たしく感じることが増えました。今の日本は建前としては民主主義国家のはずなのだが、いつのまにか「総理大臣と国会議員は世襲して当たり前」という国になりつつあるらしい。

そこで、世襲政治家の割合を調べてみることにしました。まずは国内政治家のトップに位置する総理大臣の世襲の程度を調べました。

世襲度の強弱を図る尺度として「太子党度」を定義しました。「太子党」とは最近の中国でよく使われるようになった造語です。隣国でも世襲政治家が目立つようになって来たようです。

 

(1)戦後の総理大臣の太子党度の推移

以下に「太子党度」の計算方法を述べます。

まず、総理大臣本人については、本人よりも年長の兄弟姉妹とその配偶者、さらには総理の両親とその兄弟姉妹とその配偶者、祖父母とその兄弟姉妹とその配偶者、曾祖父母とその兄弟姉妹とその配偶者の中で、日本の国会議員(戦前の貴族院議員も含む)の経験者及び国会議員でない大臣の経験者が何人いるかを調べた。

総理大臣の配偶者の親族についても同じ作業を行い、両方の合計人数をその総理の「太子党度」と定義した。
なお、各総理大臣の親族については次のサイトに依った。

「内閣総理大臣の一覧」

戦後の総理大臣計34名の就任年、太子党度、最終学歴、初職歴、家系親族を以下に示す。なお、敗戦直後に総理に就任した東久邇宮稔彦王は皇族出身ということもあり、戦後の総理の系列には含めず、後で示す戦前の総理系列に含めた。なお、総理個人の敬称は省略した。

表-1 戦後の総理大臣の太子党度・その他(下の表の拡大はこちらをクリック)

上の表から各総理の太子党度の推移をグラフ化して下に示す。なお、内閣が短期間で倒れて同じ年に別の内閣が成立した年もかなりあるので、グラフの横軸には同一年が複数個ある場合も含まれる。


図-1 戦後の総理大臣の太子党度の推移(図のクリックで拡大)

このグラフから、太子党度の観点から見れば、戦後の総理大臣の系列ははっきりと以下の三つの期間に分けられると言ってよいだろう。

第一期は1954年就任の鳩山一郎までの5名で、その全員が東大法学部の出身である。吉田、芦田、鳩山は戦前からの政治家家系の出身、残りの幣原と片山も社会の上層階級の出身である。

この第一期は、米軍の占領下でその指示に忠実に従い、かつ戦前の官僚体制をある程度維持しながら戦後処理を着実に実施して来た時期であると言える。このようにやるべき課題が上から与えられ、かつ誰の眼にもその必要性が明瞭であった時期には、事務処理能力に長けた東大出身者が政治のトップとして適任だったのかもしれない。

 

第二期は、1956年就任の石橋湛山から1991年就任の宮沢喜一までと見てよいだろう。

この時期の総理14名の特徴は、何と言っても、その大半が政治家家系の出身ではないということだ。この期になると、それまでとは違って総理の出身家庭が一気に社会の中間層にまで拡大しているのである。

この中では、佐藤栄作はその実兄の岸信介が既に議員として居るので太子党度1としたが、本人も兄と同様に東大法を出て中央官庁に就職しているから、実質的には自力でその地位を獲得したと言ってよいだろう。

池田隼人と三木武夫太子党度1だが、これは妻の父が議員だったことによるもので、本人の優秀さを見込んだ政治家が自分の娘と結婚させたという側面もあるのだろう。これらの場合も、実質的には本人が自力でその地位を得たと言ってもよかろう。こうしてみると、親族の地盤を受け継いだ真の意味での太子党と言えるのは、この期の中では最後に出て来る宮沢喜一しかいない。

また、この期のもう一つの特徴は、総理の学歴の幅が一気に広がったという点である。昭和期で初の大学卒以外の総理となった田中角栄(現代でいえば中学校2年生に相当する高等小学校卒)がこの期を象徴している。なお、田中角栄以外で非大卒で総理になった例は、現在に至るまでゼロである。

また、戦前からの総理へのエリートコースであった東大法学部卒も、この期になると14名中6名と全体の半分以下に激減している。

なお、この期の一番最初の総理である石橋湛山は、大学制度が始まって以来初の私立大学を卒業した総理でもある。戦前の唯一の私立大学出身の総理としては、5.15事件で暗殺された犬養毅総理がいたが、彼は慶応大中退であって卒業はしていない。

この第二期は日本が経済の高度成長期とその絶頂期を迎えた時期でもあり、その恩恵が広範な国民にもかなりの程度で還元された時期でもあった。経済の発展と並行して政治の在り方も多様化し、「一般家庭の出身者でも、努力次第では総理大臣にまでなれる」という夢が持てた時代であった。

 

第三期は、1993年の細川護熙から現在の岸田文雄までである。この期になると太子党度が一気に上がる。

この期の総理15名の太子党度の平均を取ると2.0となり、第二期の平均値の0.36からは飛躍的な上昇である。なお、自民党系に限れば2.2、その他では1.7でその差はあまりない。

これは野党系でも、選挙に勝って政権を奪取するためには、有名な家系の出身で太子党度が高く、社会的知名度もある程度高い細川や鳩山を野党勢力の象徴としてアイコン的に押し立てたという背景があったからだろう。

この第三期のもう一つの特徴は、かっては総理へのエリートコースであった東大法学部卒の総理が一人も含まれていないということである。この意味するところを、筆者はまだ十分に理解できてはいない。

この期の15名の中で東大に在籍したことがあるのは、東大工学部卒の鳩山由紀夫ただ一人である。その一方で、東大の代わりに早大卒が一気に増え、15名中5名を占めるに至った。「総理になりたいのなら、まず早稲田に入れ」という時代になったのだろうか。

この第三期の約30年間は、日本経済が停滞したいわゆる「失われた三十年」にぴったりと重なっている。政治における新陳代謝の停滞が、経済の停滞と正確に対応し、シンクロしているのである。

 

さて、日本のように民主主義を国是とする国で、政治家の世襲はそれ自体問題であることは一応は判るのだが、念のために、この場で改めてその問題点を確認しておきたい。

 

(a)世襲の総理には、国の制度の根本的な転換や改革はおそらく不可能

多分、これが世襲政治家が増えることの一番の問題点だろう。

政治家家系の創始者は、ほぼ自分の能力だけを頼りに政界での道を切り開いて上昇して来た。後継者が先代の後を継ぐ頃には、ある程度の支持基盤(いわゆる地盤)が既にでき上がっているはずだ。

国の政治とは、簡単に言ってみれば、国民の中の誰からより多く税金を徴収するのかということと、集めた税金の使い道をどうするのかということを議論する場に他ならない。政治権力を握った者が、自分の支持勢力をさらに固めようとして、特定の業界により多くの税金を投入する事例は毎日のニュースに見る通りだ。

また、自民党とその支持者の本質を一言に要約するならば、「ずっと政権与党で居続けたい人たちの集まり」ということになるだろう。

政策決定権を握る人たちを強く支持してさえいれば、政権と距離を置く人たちよりも税負担は軽くなり、受け取れる補助金も増えるだろう。その詳細はなかなか表面には出て来ないが、おそらく公共事業の事前情報も得やすくなるのだろう。

政権との距離が近いほど得られる恩恵も増えることは間違いない。政権与党側でも、自党の支持団体が増えれば増えるほど次の選挙での勝利は確実となり、より長期にわたって権力を独占できることになる。

このようなもたれあいの関係が何十年も続いた結果、現在の日本では自民党の支持組織が国内のあらゆる業界にくまなく存在するに至った。その支持団体の詳細は、国政選挙での自民党立候補者の経歴を、特に比例区候補のそれを見ればよく判る。

特に必要でもない公共工事の恩恵にすがり続ける土木建築業界、新型コロナ対策で明らかになった日本医師会との癒着などが代表例である。さらに経団連等の大企業はもちろん、JAなどの農業団体、中小企業団体、看護師、検査技師、左官業、建具製造業等々に至るまで、その枚挙にはいとまがない。

はては、過去からのズブズブの関係が現在問題となっている統一教会等の宗教団体もその例であるし、昔は天敵であったはずの労働組合に対しても最近は関係強化を図ろうとして接近している。

このような「八方美人的政策」を国内の隅々にまで行きわたらせ、票と引き換えに各業界にそれ相応の還元を約束した結果、現在の自民党には、時代の変化に即応して歳出配分を組み替え、重点部門に税金を集中投入するという大胆な政策転換がもはや出来なくなってしまった。蜘蛛が糸をくまなく張りめぐらせた結果、自分で張った糸に自分自身がからめとられて動けなくなってしまった状態とでも言えようか。

おまけに、給付金や商品券のバラマキ以外の政策の提案が無いというか、そもそもその種の政策を提案する能力を持たない公明党(同党は、経済成長を促進して歳入を増やそうとするたぐいの政策の提案を過去に一度もしたことはないのではないか?)と長年にわたって組んできたこともあって、歳入の可能な上限を無視して大盤ぶるまいを続けたために、国の財布はとうの昔にからっぽになってしまった。空になっただけでは済まず、現在の我が国の政府は世界史上空前の借金を抱えるに至った。

その根本原因は、目先の選挙のことしか眼中になく、将来展望も考えずにポピュリズム政策に走った自民党の体質そのものにある。その発端は、多分、竹下内閣が1988年、バブル経済の頂点の頃に始めた「ふるさと創生事業」だろう。下の記事の「黒石市こけし館」の所を読むと、我が鳥取市の河原城のことを連想してしまうのである。

「光り輝く「1億円」の悲しい末路(平成のアルバム)ふるさと創生事業」

「お前は自民党の批判ばかりしているが、野党はどうなのか。野党もダラシナイじゃないか。」との声がここで挙がるだろう。その通りである。野党も実際、ダラシが無い。

2009年8月の衆院選民主党が勝利して民主党政権が発足したが、この選挙での民主党の公約が「政権交代」だった。筆者はこの公約を見てずいぶんとあきれた記憶がある。「具体的な政策については何も言っていないじゃないか」と。

「こんなことでは、政権を取ってもすぐにつぶれるだろう」と思っていたが、案の定、内部の主張が四分五裂して、三年も持たずにつぶれた。この民主党政権とは、要するに反自民勢力の寄り集まりでしかなく、各勢力が主張する政策は最初からテンデンバラバラであった。潰れるのは当然である。

まず、基本的な思想と政策とを提示して、それに賛同する人々が寄り集まって政党を作るのが本筋だが、我が国ではそのような手続きがなかなかできない。最初に、とにかく自分たちの集団を作るのが先で、カタマリを作った後で初めて政策を考えるようなパターンが多いのである。

さて、世襲政治家の欠点という本題に戻ろう。上に述べたように、自民党とは、選挙に勝つこととその後の利益配分を支配することを最大目的として集まった集団なのだから、世襲候補が増えるのも当然なのである。

いったんそれなりの地位を得た政治家が、苦労して作り上げた利益分配構造と選挙に勝てる仕組みとを他人に渡すのはもったいない、出来れば自分の子供に渡したいと思うのは、親の気持ち自体としては自然なことだろう。

よほど優秀な人物でない限りは、日本で年収数千万円を稼げる職業はそんなに多くはない。息子や娘にしても、親のマネさえしていれば高収入は得られるし、社会的地位としても羽振りが良い。異性にもモテるだろう。年収数百万円の一般のサラリーマンのままで一生コツコツと働くことなんぞは、阿呆らしくてやっていられないと思うのは当然の流れなのだろう。

親の政治家を支持して来た側としても、世襲候補ならば親の指導も行き届くだろうから、従来の利益配分構造が代替わりでホゴにされる心配は少ない。その考えがよく判らない血縁外の候補者が跡継ぎになった場合には、自分たちへの利益配分が今後どうなるのか判らないという不安が高まることになる。かくして、世襲候補が地盤を継いでくれさえすれば、現在の体制が将来も保証される可能性が高くなり、三者ともにとりあえずは満足ということになる。

このようにして当選した世襲政治家が、そのお陰で自分が当選できた従来の政治システムを根本的に変えようとするはずもない。親ゆずりの利益分配構造をそのまま維持しなければ、次の選挙では自分の地位が危うくなるからである。かくして時代に合わなくなった政治システムが延々と続くことになる。

一方、この利益分配構造に関わっていない国民から見ればいつまでも古い体制が続くことになり、自分たちは税金を取られるばかりでその見返りは少ないという思いをますます強めることになる。

また、政治家の新陳代謝と能力の向上が進まないことで、時事刻々変化していく世界の変化に対して常に遅れる、或いはもはや対応できなくなる事態が頻発するようになる。今の日本はまさにその状態に陥ってしまっているのだろう。

 

(b)世襲政治家は、仮に先代よりも能力が低くてもその地位は安泰なことが多い。

企業経営者の中にも親の地位を世襲した経営者は多い。代表例は日本最大の企業であるトヨタ自動車だろう。ただし、トヨタの現在の社長の豊田章男氏の前には豊田家以外の人物が三代続けて社長を務めている。

企業の経営者には、まず経営者としての資質が最優先で要求される。先代の息子だからと経営者としての能力に欠ける者をトップに据えた場合には、近い将来にそれが原因で企業業績の悪化をもたらすことになりかねない。企業経営の分野では、市場という場における健全な淘汰圧が常に働いている。

これに対して政治家の場合には、少なくとも日本の与党政治家の場合には、この淘汰圧がいっこうに働かない。上に述べたように、政治家の世代が変わっても、利益配分構造である地盤が旧来通り維持される限りは当選回数を重ねることができる。

よほど能力が低いかスキャンダルを連発するような人物でない限りは、普通の能力でさえあれば、我が国の国会議員はそこそこ務まる。少なくともオミコシに載せるに足りる程度の人物であると地盤を支える各勢力に認めてもらえたのなら、とりあえずはそれで十分なのである。

企業とは違って政治家の場合には、世代の間にその家系以外の者がいったん入ってしまったら、たいていはそこで世襲が途切れる。先代の後継者が親族以外になってしまった場合には、後で息子や娘がその地位を取り返すことは非常に難しいだろう。

世襲政治家である太子党の中にも親よりも優秀な者はいくらかはいるのだろうが、政治家には能力だけではなくて意欲も必要である。社会を良くしようとして政治家を志す一般家庭の出身者と、たまたま政治家の家系に生まれて有利な道が目の前に開けていたためにトコロテン式に政治家になった者とでは、政治に対する意欲や社会改革への熱意に雲泥の差があるはずだ。

このように考えると、世襲政治家の割合が増えるほどに、政治改革が停滞して社会も停滞の度を強めるのは当然の結果なのである。上に挙げた図-1と日本経済の停滞の関係を見ても、そのことは明らかだろう。

 

(c)政治家はある程度の権力を持ったとたんに世襲二世を、世襲二世は世襲三世を作りたがる

菅前総理は総務大臣であった2006年に、当時は無職同然のバンドマンであった自分の長男を大臣政務秘書官に採用した。長男はその後「総務省担当」として放送事業を行う東北新社に入社し、放送事業の担当官庁である総務省幹部に対して担当者として何度も接待を行った。
「東北新社役職員による総務省幹部接待問題」

岸田文雄現総理は、2022年に自分の長男を首相秘書官に起用して「公私混同」との批判を浴びた。また、今年1月に岸田の外遊に同行した長男が、パリで現地大使館の公用車を使って土産物を買って批判された。

まさに「太子党の自己拡大再生産」現象である。彼らが国民の生活を最優先で守るというのは口先だけのことで、実際には国民が納めた税金を使って自分の子供を雇う方を最優先するのである。国が衰退しても、我が家さえ栄えればそれでよいのである。

最近ではこのような現象を「親ガチャ」と呼ぶらしいが、この言葉を多く使って富裕層を批判する若い世代になるほど自民党の支持率が高いのはなぜだろうか。筆者には理解不能である。

 

(2)戦前の総理大臣について

戦後の総理大臣を調べたついでに、戦前の総理大臣についても昭和期のみに絞って表を作ってみた。下に示す。

日本に帝国議会貴族院衆議院)が出来たのは1890年であり、昭和前期にはまだ国会議員の子息が総理となった例は無かったので「太子党度」の項は省略した。

 

表-2 戦前昭和期の総理大臣の出自、経歴(表の拡大はこちらをクリック)

この表から判るのは以下のような点である。

・総理17名中で10名が軍人、特に末期は6名連続で軍人。

・出身家系は、旧藩士が12名、皇族・公家2名、その他(農林業、商業)3名。旧藩士が圧倒的に多く、江戸期の身分が上層階級であった家の出身者が大半である。

・最終学歴は、軍人10名については空欄としているが、実際にはその全てが陸軍大学校、または海軍大学校である。軍人以外では東大法4名、京大、慶応が各1名。

戦前は大学まで進学するのは富裕層に限られており、一般家庭の出身者は、中学4年(16歳)以上で入学が認められて学費が無料の陸軍士官学校海軍兵学校師範学校へと進むものが多かった。

・戦前昭和期の総理には畳の上で亡くなることが出来た者は少なく、暗殺、刑死、自殺者が非常に多い。このことだけでも、昭和前半がいかに異常な時代であったかがよく判る。

戦争拡大に反対していた海軍上層部が特に暗殺対象となることが多く、海軍出身の総理4名のうち3名が2.26事件で陸軍若手将校によって襲撃されている。残る米内光政も、のちに連合艦隊司令長官となった山本五十六と同様に当時はテロの対象とされていて、いつ襲われても不思議ではない状況だったようだ。

・上の表には含めていないが、大正時代の1921~1922年にかけて第20代総理大臣を務めた高橋是清も2.26事件で暗殺されている。「ダルマさん」の愛称で国民に親しまれ、また少年時代に留学に行ったはずの米国で奴隷として売られた経験があることでも有名な人物であった。

先回の記事でも触れたが、当時、軍事費増額のための軍からの国債発行増額要求に対して、国家財政を悪化させるとして蔵相の立場で反対し続けたことが襲撃された理由である。

・海外駐在経験の項を設けたのは、日本を外から眺めることで自国を客観視できるようになるのだが、その経験の有無を確認したかったからだ。

軍人総理の多くが大使館付き武官として海外勤務を経験しているが、どうやら陸軍軍人は、その多くがドイツに駐在したこともあってか、日本を客観視することが不十分であったようだ。対照的に海軍の軍人、特に斎藤寶や山本五十六のような米国駐在経験者は米国と日本の間の国力の圧倒的な差を正確に認識していた。彼らが米国相手の開戦にあくまで反対したのもこの経験があったからである。

また、海戦というのは使用する機材の物量と性能とで結果がほぼ決まるのであって、陸軍のように「精神力」という計量不可能な要素をあてにすることが少なかったことも、その判断の客観性を強める上で役立ったようだ。

・この表の中には「世襲政治家」はいないが、「世襲軍人」というのが一人だけいる。戦後、A級戦犯として絞首刑になった東条英機である。

陸軍中将止まりだった彼の父が、自分を超える陸軍軍人とするべく息子を幼少期から厳しく育てたそうだ。そのこともあって、東條は陸軍大将になることを人生の目標として日夜努力を重ねたらしい。

その結果、陸軍大将まで上り詰めて近衛内閣の陸軍大臣を務めるまでに出世したが、彼には将来を見通した大きな戦略を立てる資質も、その方面への興味も無かったようだ。自分固有の意見は特に持たず、ひたすら組織の中での出世を目指したという点では、世襲政治家との共通点が多くあると感じる。

なお、近衛内閣瓦解後に、昭和天皇に次の総理として東條を推挙したのが内大臣木戸幸一だが、彼も太子党の一人であって、明治維新の元勲の木戸孝允の孫である。視野が狭いという点で、木戸と東條とはよく似ている。


(3)一般国会議員の中の世襲議員の割合

今までは総理大臣の太子党度について見て来たが、一般の国会議員についても確認しておこう。

衆参合わせた国会議員の定員総数は713名。うち、自由民主党の国会議員は、2023年(令和5年)1月18日現在、衆議院議員261名、参議院議員119名の計380名である。これら議員の家系を一つ一つ調べるのは大変な作業なので、ここはネット上の記事の引用で済ませることにしたい。

次の記事によれば、日本の国会議員の約三分の一が世襲議員なのだそうである。これは世界の民主主義国のそれが数%程度であるのに比べれば異常に高い数字だ。日本でも1960年には約3%でしかなかったとのことだから、総理大臣だけを対象とした上の図-1の傾向と一致している。この記事では小選挙区制の導入が世襲議員の増加の主な原因との結論である。

「増殖する世襲議員「政界ネポベイビー」の大問題」


さらに、日本の国会議員が他国に比べていかに優遇されているかについても見ておこう。次の記事も世襲議員の多さについて触れているが、彼らが世襲を狙う主な目的である国会議員の極端な優遇についても詳しく述べられているので、その内容を紹介しておきたい。

「日本の首相「7割が世襲」の異常。政治を“家業”にして特権を独占する世襲議員の闇」

以下は、上の記事中の国会議員の待遇に関する記述の要約。( )内は筆者のコメント。

(a)国会議員の給与等

「①給与に相当する「歳費」月額129万4千円、年額で1,552万8千円。
 ②ボーナスに相当する「期末手当」が年間635万円。
 ③「調査研究広報滞在費」が月額100万円で年間1,200万円。(無税、かつ使途の明細報告も不要)
 ④会派経由で入る「立法事務費」が年間780万円。
 ⑤年間320億円弱の「政党交付金」(この財源は国民一人あたり250円の税金徴収)が議員一人当たり年間4,400万円が政党に配られ、議員個人に対しては最低でも1,000万円程度分配。

 ⑤を1,000万円と仮定すると、①~⑤の合計は 年間で5,167.8万円

 ③に関して言えば、手取りで年間1,200万円の受給は、年収2,200万円のサラリーマンの税率40%が引かれた後の手取り額とほぼ同等。さらに、年間収入約5千万円超は、2021年時点での東証一、二部上場企業の社内取締役の平均報酬額3,630万円を軽く凌駕している。」

(口を開くたびに差別発言を繰り返す杉田水脈も、昨年七月の参院選に当選したのにドバイに逃亡したままで一度も国会に出席していないガーシーとやらも、自分の愛人も一緒に新幹線にタダ乗りさせていた元歌手も、記者会見でまともな発言すらできない皆が忘れていた昔アイドルのオバサン議員も、議場で居眠りしているグータラオッサン議員も、国会議員である以上は全員が年収五千万円超を得ている。

「いったい、誰だ!!、こんな連中に投票したのは(怒!!!)」

参議院議員ならば解散もなく、6年間の任期を一期務めるだけで3億円以上が手に入る。その全てが我々国民が払っている税金から出ているのである。)

 

(b)諸経費補助

「国会議事堂そばの議員会館の家賃、電話代、水道光熱費はタダ。
 地方選出国会議員なら赤坂にある議員宿舎(82平方メートル・3LDK)は、相場の2割程度の家賃(12万6,000円)で住める。
 海外視察旅行代、JR全線のグリーン車での運賃、私鉄運賃、地元選挙区との航空券の往復チケット(月に4回分)、その全てが国から支給され、自己負担はゼロ円。
 公設秘書が3名雇え(第1秘書、第2秘書、政策秘書)、その給与の年間合計2,400万円は国が負担。その秘書から強制的に議員の政治資金管理団体への寄付までさせている議員もいる。身内や親戚を秘書にするケースも少なくない。」

 

(c)政治資金という名の企業からの「合法ワイロ」

「2019年の自民党の本部収入は約245億円で、うち政党交付金が72%、企業・団体からの政治献金が10%。
 (国会議員380名を要する自民党への政治献金を24.5億円と仮定すると、議員一人当りでは644.7万円。) 
 これに加えて、ホテルの大宴会場で開く「政治資金パーティ」による収入もある。」

 

(d)米国との比較

「人口が日本の2.6倍の米国の上下両院議員の総数は535議席。議員個人に入る年間報酬額は、17万4千ドル(1ドル110円換算だと1,914万円、1ドル136円換算だと2,366万円)。
ただし、(政策立案調査のための)立法経費は上院議員で約2億円分、下院議員で約1億円分まで計上してスタッフを雇えるが、透明性は日本の比でなく高いため、議員個人のポケットに入れられる性格の金銭ではない。米国と比べて、日本の国会議員が、いかに曖昧で莫大な報酬をフトコロに入れているかがわかる。

米国と比べて約710名もいる日本の国会議員は多すぎる。せめて半分の350名ぐらいにすべきだ。そうでないために、世襲やタレントでの「政党の員数合わせ」が幅を利かす。こうした日本の国会議員の報酬額や数々の特権は、多数派の政権与党がお手盛りで法案を通過させ、成立させてきたからこそのオイシイお宝だった。」

 

(4)まとめ

以上に見てきたことを、筆者の提言も含めて以下にまとめておこう。

① 今後は、原則的には世襲候補者には投票するべきでない。彼らが増えれば増えるほど、日本の政治や経済などのあらゆる面における動脈硬化がさらに深刻化する。

ただし、親の選挙区から遠く離れた場所で立候補する等の、意欲と根性と能力とが認められる候補者については、この限りではない。

② 立候補するためのカネがかかり過ぎるのも、政治の新陳代謝を妨げている大きな要因である。選挙前の一定期間に限って、SNSやユーチューブ等に流す候補者紹介の動画作成を公費で支援する(現状でも無料で作れるが、選挙関連の動画が広告付きになるのは大いに問題)などの工夫が必要だろう。

③ 上の記事の指摘にあるように、国会議員の定数が多すぎるために、現状に見るような愚劣かつ低質な当選者が数多く発生するのである。次回の国政選挙には、是非「国会議員の定数を半分に」という公約を掲げる政党に出て来てもらいたい。

議員立法で法案を提出しようとしても、衆議院では20名以上、参議院では10名以上の賛成がないと提案することができないが、まずは現状に一石を投じて既成政党の反応を確認する必要がある。

④ 国会議員の給与の半減も必要だ。民間の時給が米国の半分以下なのに、なぜ国会議員の給与だけが米国議員の二倍以上なのか?このことを公約に掲げる政党が出て来たら、積極的に投票に行って支持しよう。

 

最後に、敗戦直後の三か月間だけ皇族初の総理大臣となった東久邇宮稔彦王による戦中の日本に関するコメントを紹介しておこう。この人は皇族にしてはなかなかユニークな方だったようで、wikipedia の記事を読んでみると結構面白い。フランスに留学していたせいか、皇族の枠から大きくはみ出した自由主義者であったようだ。


東久邇宮第二次世界大戦中の日本について、「戦時中、日本は小さなことにこせこせしたが、大きなことにはぬかっていた。全体と部分との混同が、至るところに見られた。部分的には実に立派なものであるが、全体的に総合すると、てんでんばらばらのものばかりで役にはたたなかった」と評価している。」

今から約80年も前の日本を批評した言葉だが、今の日本も、この頃とあまり変わっていないように思えて仕方がない。

/P太拝