「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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ロシアによる核攻撃の可能性

 ウクライナ各地ではロシア軍による戦争犯罪が次々に明らかになっている。先回の記事で予想したように、彼らの残虐行為(虐殺、誘拐、強姦、物品略奪)はかっての遊牧民による他民族への襲撃跡に残された惨状と同一、まさに瓜ふたつである。彼らにとってみれば、戦闘で獲得した捕虜や占領した地帯の住民は、自分たちが生殺与奪の権利を完全に掌握した単なる家畜の群れにしかみえないのだろう。ロシア軍に占領地での人権を尊重した扱いを期待することは、元々から無理なようだ。

 歴史的に欧州は東からの遊牧民の襲撃を何度も経験しており、大きなものとしては5世紀のアッティラに率いられたフン族の来襲、13世紀のチンギス・カンの孫のバトゥに率いられたモンゴル軍の襲撃がある。今回のロシア軍によるウクライナ侵略は、プーチンに率いられたフン族が、核兵器をたずさえて千数百年の時を越えて再び東欧に再出現したに等しいと評してもよいのだろう。(プーチンがこの評価を聞いたら、むしろ自慢のネタにするはずだ。)

 最近になって知ったのだが、ロシア人の風習のうちの一つに、男性集団が二組に分かれての殴り合い(スチェンカ)があるとのこと。このような暴力的な競技を総称してマースレニツァと呼ぶそうだ。遊牧民の間で継承されて来た伝統競技なのだろう。下の記事はロシア政府系のサイトによるものらしいが、この暴力的伝統を自慢し、自らの野蛮さを誇っているかのような書き方である。自分たちの暴力をこれほどまでに自慢している国家はロシア以外には存在しないだろう。

「5つの暴力的な伝統:スラヴ戦士のようにマースレニツァを祝おう」

 一般の日本人がロシア社会の雰囲気を伝えているサイトをもう一つ紹介しておこう。かって世界94カ国を訪れたという女性による記事だが、ロシアの空港で係に荷物を預けておいたら中身を盗まれたとのこと。街を歩いているロシア人が誰も笑っていないことにも驚いたそうだ。

 街で笑っていたら、隙だらけの「チョロいやつ」と見下されて略奪や暴行の対象になりかねないのだろう。ロシア社会とは、日常的にずいぶん緊張を強いられる社会らしい。今後、ロシアを訪問される人は(その数は激減するとは思うが)十分に注意された方がよいだろう。

「町でロシア人は笑わない?モスクワで助けてくれたロシア人男性が教えてくれたこと」

 今後、仮にプーチンが早々に排除されたとしても、次の政権が外国に対して急に協調的になるとはどうにも思えないのである。このロシア特有の暴力賛美の風潮が続く限り、次期政権の体質も現在の政権からたいして変わらないのではなかろうか。

 なお、ロシアの現政権とロシア軍とは戦争犯罪者として大いに批判すべきだが、個々のロシア人を非難することはまた別の話である。いったん関係ができると、個人としてのロシア人は親切な人が多いというのが、ロシアに長く暮らしている日本人の多くが抱く感想でもあるようだ。個人としては穏和な人々が、いったん集団化すると政府があおり立てるナショナリズムに染まって攻撃的になるというのはよくある話だ(かっての日本人もそうだったのだろう)。個々のロシア人に対しては、基本的にはロシア人というだけでむやみに排除したりせず、胸襟を開いてオープンに接するべきだろう。

 

さて、今回の記事の主題は、日本も含めて世界が今一番気にかかっていること、「今後、ロシアは核兵器を使用するかどうか」についてである。この話題に関する記事をいくつか紹介しながら考えてみたい。

「中村逸郎氏 ロシアの核使用の可能性に「デフォルトに陥った場合、金融市場から締め出されますので…」

 この記事の一部を以下に引用する。欧米が経済的圧力を強めている現在の状況は下の(4)の条件に近いとロシア側が判断する可能性があるとのこと。

『 ロシアの元大統領で同国安全保障理事会副議長のメドベージェフ氏が英ガーディアン紙のインタビューで、ロシアが核使用する条件として

(1)ロシアが核ミサイル攻撃を受けた時
(2)ロシアや同盟国がその他の核攻撃を受けた時
(3)重要インフラが攻撃され核抑止部隊がまひした時
(4)通常兵器での侵略攻行為で国家の存在が脅かされた時

の4条件を挙げたと伝えた。』

 また、同じ番組の中で中村氏は、核兵器を使用する場所としては、以下のように述べている。
「中村逸郎氏 ロシアが核使用した場合の対象は「バルト三国とポーランドのNATO軍の駐屯地とか基地が」」

 『 今一番緊張が高まっているウクライナ以外ですと、実はバルト三国なんですね。バルト三国ポーランド、この辺りにはNATO軍の駐屯地とか基地がありますので、そこ辺りをロシア軍は狙ってくるんじゃないかというふうに思われる。』

 

ロシアの核の使用に関しては、次の記事も参考になる。
「忍び寄る先制核使用の恐怖 プーチン大統領は本気なのか

 この記事の中で、東大の小泉悠氏と一橋大の秋山信将氏の二人の研究者は、ともに「小規模の限定核の使用は、ロシアの敗北が見えて来た段階か、新規の参戦国が現れた段階に至れば、その可能性は高い」と指摘している。この二人はさらに、ロシアによる一発の限定核の使用が発端となって全面的な核戦争である第三次世界大戦に発展する可能性についても指摘している。

 ロシアと米国の小型核の配備の現状については次の記事を参考とされたい。小型核と言っても、ロシアの小型核(戦術核)の最小で広島原爆(TNT火薬で16kton相当)の約3分の1とのことで、その破壊力は一つの都市を完全に消滅させるに十分な規模である。
「ロシアが小型核先制使用の恐れも:核のハードル低下が呼ぶ「第3次世界大戦」リスク」

 以上をまとめれば、「ロシアの敗戦が濃厚になった段階になれば、プーチン政権にとって国内に勝利をアピールする手段としては、限定的な核使用しか残っていない」との見方が主流ということになる。通常兵器を使ってロシア軍に対して圧倒的な勝利を勝ち取ってしまうと、その直後に核兵器による報復が待っているだろうと言うのが何とも恐ろしい。歯がゆい話だが、勝利の寸前にまで来たら、綱引きの綱を引く力を意識して緩めなければならないだろう。

 プーチンのような戦争犯罪人に対しては、その責任を徹底的に追及すべきだが、強烈な被害者意識を抱え込んでいる者を追い詰め過ぎると暴発するというのはよくある話である。

 日本国内の例で言えば、最近発生した京都のアニメ会社や大阪のクリニックにおける大量殺人事件の放火犯の心理と共通するものがあると感じる。事件を起こす直前の彼らは、自分の失敗続きの人生に由来する被害者意識と、周囲の不特定多数に対する復讐心とのとりことなっていたのである。一国のトップただ一人の心理状態しだいで世界中が大混乱させられるのは、専制独裁国家であるロシアや中国ならではの話だ。
「なぜ放火犯は京都アニメーションを狙って33人も殺害したのか? 連鎖する無差別殺傷事件」


 次に、ロシアによる小型核攻撃が行われる場合、その候補地がどこになるかについて考えてみたい。前述の小泉悠氏は、現在発売中の「文芸春秋 五月号」の記事「徹底分析 プーチンの軍事戦略」の中で、ウクライナ国内の攻撃候補地について以下のように指摘している。

① 人口密集地、工業地帯、軍事拠点のいずれか一、二か所を小型核で攻撃
② 海域、または無人地帯に小型核を落として警告

 なお、同記事の中では、米国は「ロシアが小型核を使用した場合には、同規模の核を一発撃ち返す」方針を、2018年のトランプ政権の時点で既に決定していることも紹介されている。現時点で実際に米国がどうするのかは現在の米政権の対応次第とのこと。

 仮にロシアがウクライナ国内に核ミサイルを撃ち込んだら、その被害の大小にかかわらずウクライナ国民のロシアへの反発がさらに高まることは必至だろう。今後に懐柔の余地を少しでも残しておきたいのであれば、ウクライナ自身を核攻撃することはロシアとしても避けたいはずだ。

 ウクライナ以外の国がロシアの攻撃対象となる選択肢についてはどうだろうか。下に欧州東部のロシア・ベラルーシの隣接地域におけるNATO軍の基地の配置を示す。

図-1 東欧のNATO軍基地の配置図(クリックで拡大)

注:「6枚の地図が明らかにするロシア・ウクライナの衝突」より転載


 NATO軍基地には米軍も駐留しており、NATO加盟国に対する攻撃には米軍も含めたNATO参加国全体で反撃することになっている。仮にロシアがNATO軍基地を攻撃すれば、米国も含めた全面的な戦争、第三次世界大戦に発展する可能性は高い。その段階になれば、NATO軍基地のみならず日本の米軍基地(三沢、横田、厚木、横須賀、岩国、沖縄)や自衛隊基地も、数千発もの核ミサイルを保有するロシアからの核攻撃を受けることになるだろう。

 ロシアも米国との全面戦争は極力回避したいだろう。警告する意味で小型核を落とすとすれば、NATO加盟国以外で候補として真っ先に挙げられるのが、最近になってNATO参加の意思を表明したフィンランドスウェーデンだろう。特に長さ1300kmもの国境を接しているフィンランドは、ロシアが過去に何度も戦火を交えてきた相手でもある。同国のNATO入りの前にロシアが攻撃してしまえば、米国からの反撃も回避できるかもしれない。

 一方で、NATOの空軍司令部はドイツのラムシュタイン空軍基地に、同陸軍司令部は同じくドイツのハイデルベルグにあるのだが、ロシアがドイツを核攻撃するだろうと予測する記事はこれまではほとんど見当たらない。これは、ドイツがNATOの欧州における中心的存在であり、さらに同国がロシアとは経済的に今まで緊密であったことも影響しているのだろう。

 「世界経済のネタ帳 ロシアの貿易」によれば、ロシアの貿易相手国の中で、ドイツは輸出で第三位、輸入で第二位を占め、今までは貴重なお客様であり、かつ重要な先端技術の供給源だったのである。戦争の行方を占うためには、これまでの経済関係に注目する必要がある。

 以上をまとめると、ウクライナ以外で核攻撃を受ける危険性が大きい国を順に並べると、次のようになるのではないだろうか。

フィンランドポーランドバルト三国スウェーデン>ドイツ

 このように米国とロシアの対立の間に位置する、いわゆる緩衝国が真っ先に狙われることになるだろう。さて、東アジアの米中対立の場では、この緩衝国に相当するのが日本と韓国である。共に米軍基地が存在するという点も東欧の現在の状況にそっくりだ。習近平が台湾侵攻する際には、やはり日本と韓国も核兵器による恫喝の対象となるのだろうか。この点については、次回の当ブログの記事で考えてみることとしたい。

 そうならないことを切に願いたいものだが、今後、仮にプーチンが東欧のどこかの国に本当に核ミサイルを撃ち込んだとする。それを契機に第三次世界大戦がはじまってしまえば、この世界はおしまいだ。

 幸いにも破滅的な世界大戦に至らなかった場合、その後の世界はどう変わっていくのだろうか。確実に言えることは、旧ソ連に含まれていた国々は、一斉にロシアに対する自衛のために核武装に向かって走り出すだろうということである。特にロシアとの関係が良いとはいえないジョージアアゼルバイジャンがその先頭に立つだろう。地域紛争を抱える国が多い中東やアフリカ、さらに東アジアでも核武装の検討を開始する国が一気に増えるだろう。

 破産国家の北朝鮮ですら核兵器を持っているのである。ある程度の経済力を持つ国でさえあれば、核兵器を持つことは既に容易である。不安に駆られた国々は北朝鮮やイランに核技術の提供を求めるだろう。孤立していた北朝鮮やイランにとっては外貨を稼ぐ絶好の機会となるはずだ。「北朝鮮 ver.2」のような国々が世界のあちこちに新たに出現して、世界は急速に不安定になっていくだろう。経済のグローバル化の流れは完全に逆転し、紛争の頻発と経済のブロック化とが進む。

 エネルギーや食料の自給すらもできない日本のような国は、今以上に不安定な立場に、経済的な苦境に立たされることになる。ロシアの核攻撃の一発がパンドラの箱を開け、中に閉じ込められていた無数の悪を世界中にまき散らすことになるだろう。

/P太拝

ロシア軍の残虐性の起源

 当初の予想に反してウクライナの頑強な抵抗が続き、ロシア軍がキーフ周辺から撤退を始めたことは実に朗報です。しかし、この数日の報道に見るようにロシア軍の撤退の後に市民の虐殺死体が次々と発見されており、そのニュースを聞くたびに暗たんたる気持ちにさせられます。記事の詳しい内容を読み始めると、つらくて吐き気さえも感じることもあり、見出しだけを確認して詳細までは見ないことも増えました。一体、なぜ、彼らはこんなにも残虐なのか、なぜ平気でこんな非人道的な行為ができるのか?今回はその背景を探ってみることにしました。

 なお、昨日報道された、虐殺に関与したロシア軍部隊の兵士1600人のリストの公表は実に有意義な処置だったと思います。プーチンを含めてロシアの全ての戦争犯罪人は、その残酷な行為の報いを厳正に受けるべきです。仮にロシア国内に留まる彼らに対して国際社会が手を出せない場合でも、彼らには今後の生涯にわたっていっさい国境を越えさせず、ロシアと言う名の監獄に閉じ込めておくことは、世界全体で共同監視を強めることで可能になるでしょう。

 ほかにも、前回の記事からこの約二週間の間に考えたこのウクライナ戦争に関する話題を二件ほど付け加ておきました。

(1)ロシア軍の残虐性の起源

 筆者はロシア人とは全く接点がない人生を今まで送って来たのだが、ロシアがらみの忘れられない光景を一度だけ目撃したことがある。ソ連が崩壊して数年後の1990年代前半のことだったと思うが、ロシアの軍艦が親善目的で鳥取港に来航したことがあった。

 その来航中のある日の昼間、鳥取市安長の旧運転免許センターの前あたりを車で走っていたら、水兵の制服を来た白人の外国人十数人が、全員が自転車に乗った一団となって鳥取港方面に向かって車道上をかなり広がりながら走っていた。お互いに会話し笑い合いながらゆっくりと走っている。

 「いったい、この人たちは、何なんだろう」と思いながら彼らをよけて追い越していったのだが、翌日のローカルニュースを見ていたら、ロシアの軍人が市内で自転車を大量に盗んで軍艦に積んで出航したとのこと。「あいつらがそうだったのか!」と、やっとそこで気がついた。街中に停めてあった鳥取市民の自転車を大量に盗み、軍艦に山のように積んで帰っていったのである。あきれるのを通り越して喜劇的とすらいえる、親善とはうらはらの「強盗軍隊」のお帰りであった。

 こんな泥棒だらけの軍隊は、過去はさておき21世紀の現代では、地球上のどこを探してもロシア以外には見当たらないだろう。

 1945年8月のソ連軍の旧満州国侵攻の際には、ソ連兵は至るところで日本人女性をレイプ、それを止めようとする日本の民間人男性をその場で即座に射殺した。降伏した日本人兵士の大半が不法にシベリアに送られて、長い場合には十年以上も強制的に働らかされた。日本企業が設置した工場の機械類も、根こそぎ盗まれて鉄道でソ連国内に持っていかれたそうだ。

「ソ連対日参戦」

「シベリア抑留」

「ソ連将校のレイプ、満州での飢餓 澤地久枝「すべてを話しましょう」」

 1945年には、全く同様の事態がソ連が反攻した東欧からドイツ東部にかけた地域でも発生していた。詳しくは二年ほど前にベストセラーとなった下記の本の末尾の部分を読んでいただきたい。

「独ソ戦 -絶滅戦争の惨禍-」(岩波新書)

 数日前からさかんに報道され始めたウクライナのロシア侵攻地帯での大量の民間人虐殺死体の発見も、1945年の旧満州国(現在の中国東北部)とドイツのソ連占領地帯(旧東ドイツ)で起こったことの現代的再演に過ぎないのである。

 ロシアの軍隊とは、伝統的に虐殺、強姦、誘拐、強盗の常習犯の集合体に他ならないと言ってよいだろう。こんな野蛮人だらけの軍隊を持っている国と国境を接している東欧諸国が、自国を守るために先を争ってNATOに入ろうとするのは全く当然の反応である。我々日本国民は、あらためて「日本海の存在」に深く感謝しなければなるまい。

 その一方で、ロシアに詳しい日本人の話では「ロシア人は、個人的にはみな親切でよい人たち」という評価が多い。その「個人的にはよい人たち」が、集団になると極めて残酷な行為を平気で繰り返すのは、一体なぜなのか?

 いろいろと考えてみた結果、これは、ロシアが位置している自然環境とかれらの伝統的生業、さらに過去の歴史の積み重ねに起因するところが大きいのではないかという結論に至った。今のところは専門家でもない素人に過ぎない筆者の仮説でしかないのだが、以下に一応の説明を試みてみたい。

 ロシアとその周辺国には、現代でも独裁的、かつ国民の自由と人権とを無視する専制的国家が非常に多い。東から見ていくと、北朝鮮、中国、カザフスタンウズベキスタンタジキスタントルクメニスタンアゼルバイジャンなどがそれに相当する。その他のモンゴルなどの国は、現在では選挙による政権交代が実現するようにはなったが、ごく最近までは一党独裁や一家族による国家支配が続いていた。アフガニスタンに至っては、現在、国際的に承認された政府が存在しない無政府状態にある。

 これらの国はいずれもユーラシア大陸の中央部から東端にかけて、かつ中緯度から高緯度にかけての半乾燥地帯に位置している。中国の場合にはその北部のみが半乾燥地帯に入り、中部以南は稲作を主とする湿潤地帯である。しかし中国の統一王朝の大半は、いずれも北部の出身の漢族または異民族によって建国されており、中部以南の出身者によって建てられた統一王朝は、劉邦の漢、朱元璋の明、毛沢東中国共産党王朝の三つしかない。この理由は、強力な騎馬軍団を持っていた北部が軍事面で中部と南部を常に圧倒してきたためである。20世紀以降では騎馬軍団の必要性は薄れたものの、中国の政治面では北部が中部・南部を支配するという伝統的構造が未だに続いている。

 半乾燥地帯では農耕の生産性は低い。土地が肥沃である程度の降水量があればウクライナのような麦類の穀倉地帯になるのだろうが、さらに乾燥すれば樹も生えない草原ステップとなり、羊などの放牧をする以外には生活する手段が無くなる。

 だが、その半面、馬の飼育には最適な環境となる訳で、高速で移動する神出鬼没の騎馬軍団を養成するにはうってつけの地域となる。自動車がない時代には馬が最も速く、かつ現地で餌を自給自足できる交通手段であった。平原が戦場である場合には、騎馬軍団と歩兵集団との戦いは、よほどのことが無い限りは最初から歩兵側の負けと決まっているようなものであった。

 その結果、半乾燥地帯の住民は普段は草の多い所を転々と移動する遊牧生活を送りながら、南側の農耕地帯が収穫を終える頃になると農村を襲撃して穀物、財宝、集落民を奪うという生活を毎年繰り返すことになった。中国の歴史では、漢の時代の匈奴、隋の時代の突厥、発展して元王朝となる前のモンゴルなどがこれに相当するだろう。毎年秋の農耕地帯への出撃は、襲う側の遊牧民からみれば、食べ物も、お宝も、武器などの金属製品も、美女や奴隷も、みんな同時に手に入れることができる秋のお祭りのようなイベントだったのだろう。その伝統が未だに半乾燥地帯のこれらの国の軍隊の中に残存していると見るのは飛躍のし過ぎだろうか。

 ロシアに話題を絞ると、モンゴルの支配(タタールのくびき)は15世紀末にようやく終わり、それ以降は現在のモスクワを中心とするモスクワ大公国として、さらには現在のロシアにつながるロマノフ王朝のロシアとしての発展を続けた。しかし遊牧民による専制国家であったモンゴルの文化的影響はロシアに長く残り、皇帝ただ一人のみが絶大な権力を握る一方で、国民の大多数が人身売買の対象となる無権利の農奴として貧窮生活を送るという、西欧とは全く異なる制度の国家となっていった。

 また、ロシアの歴史を語る上でコサックの存在は無視できない。15世紀ごろから現れたコサックは、現在のウクライナ南部とロシア側のドン川下流域付近とに定住し、その起源は欧州から流れて来た没落貴族や遊牧民、脱走農奴等が混成して成立した自由民集団にあるとされている。彼らは勇敢かつ残忍で乗馬術に優れ、ロシアのシベリアへの侵出に大いに貢献した。現在のロシアが巨大な国土を持っているのは、コサックがシベリアの原住民を次々に虐殺し征服していった結果なのである。

 また、皇帝の直属部隊として国内治安に辣腕をふるった。このようにロシア帝国に大いに貢献したコサックであったが、ロシア革命後には革命前に共産主義者に対して行った弾圧に対する復讐として、革命政府からの猛烈な攻撃を受けた。さらに、ソ連政府がウクライナとその周辺から食料を奪い取ったホロドモールによって、残っていたコサックもほとんどが餓死した。現時点では、本来のコサックの系統は既に絶滅してしまっている。

 話が本筋からそれるが、筆者は高校生時代には人の何倍もの乱読を繰り返していたが、小説はあまり読まなかった。日本の小説の多くは私的感情を綿々とつづるだけであり、湿っぽくて矮小な感じがして好きにはなれなかった。外国の小説、特にロシアのドストエフスキーの長編ものはかなり読んでいた。彼の小説の登場人物には神性と獣性の両面を併せ持つ人物が多いように感じるが、これがロシア人の基本的な性格なのかもしれない。ドストエフスキーの小説については別の機会に触れてみたい。

 社会人になるとロシアの小説を読む機会は減ったが、ソ連時代に書かれた長編小説、パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」とショーロホフの「静かなドン」の二編については読んだことがある。二つとも感動的な小説で、かつ共にロシア革命の混乱期を扱った小説でもあり、革命にはかなり批判的な内容であった。にも関わらず、当時のソ連政府が前者に厳しく、後者は高く評価していたことが不思議だった。後者では、ドン川流域のコサックの一家が革命の混乱の中で家族内で敵味方に分かれて殺し合い、共に滅亡していく悲劇が書かれているというのに、スターリンは高く評価していたらしい。

 今回、この記事を書いていてようやくわかって来たのは、旧ソ連政府、さらには今のプーチン政権が、自分たちがコサックを皆殺しにしたにも関わらず、その勇敢さについては高く評価していたらしいということである。その傾向は現在も続き、一年ほど前だったか、テレビでロシア各地で青少年がコサックの服装や武器を持ち、その真似をして喜んでいる姿が紹介されていた。ロシアの全国各地に「コサック同好会」のようなものが政府の援助で数多く誕生しているそうだ。

 自分たちが滅亡させておいて今頃になってから称賛するとは、これもロシアに特有の恥知らずのエゴイズムの一種と評するしかない。おそらく、かれらの得意技である「歴史の捏造」の結果、ソ連がコサックを皆殺しにしたという歴史的事実自体が、現在のロシアの青少年には全く知らされていないのだろう。

 さて、このコサックの件でも判るように、現在のプーチン政権は、勇敢さ、自分の命を軽視する無鉄砲さ、敗者に対する無慈悲かつ冷酷な仕打ち、当面の利益を得るためにはいくらでも嘘をつけること、自己の野蛮性を誇示したがる点などの遊牧民的な特性を極めて高く評価しているように見えるのである。現在のロシア軍の野蛮性は、ロシアがモンゴルやコサックなどから継承してきた遊牧民の特性そのものに由来すると言ってよいだろう。ウクライナでのロシア軍の死者が著しく多いのも、遊牧民的無鉄砲さを上官から強要された結果なのかもしれない。

 このように考えると、個々のロシア人の個人レベルでの優しさについての説明も可能だろう。一般に遊牧民は、突然現れた見知らぬ人から泊めてくれと頼まれた場合には、食事も寝場所も喜んで提供してくれるそうである。孤立して刺激の少ない遊牧生活では、少数の来訪者は外界の情報を提供する貴重な存在であり、とりあえずは味方につけておいた方が得なのだろう。しかし、部族全体が他の集団を敵または収奪すべき存在と見定めた場合には、その相手集団は単に徹底的に殲滅すべき対象でしかないのである。自分に無害な、あるいは多少は利益をもたらしてくれる個人に対してはとことん優しくもなるが、自分が所属する集団に敵対する集団に対しては徹底して無慈悲かつ冷酷になる。この二面性こそが遊牧民的特性の特徴なのだろう。

 遊牧民一般が持つ別の特性としては、「優性思想」も挙げられるだろう。牧畜を稼業とする以上、つねに家畜の品質向上に努めなければならない。劣った性質が飼っている家畜の集団内に広まってしまえば、自分の一族全体が滅亡しかねない。家畜の雌は子供を産むことで財産を殖やすことに貢献するが、雄については繁殖のための優秀な性質を持つ少数を残して残りの雄はなるべく早く殺して食べてしまった方が得だ。劣った雄に食わせる草がもったいないからである。

 プーチンを強力に支持しているロシア正教LGBTへの嫌悪感を一貫して表明し続けているが、これは彼らが遊牧民的優性思想に支配され、家畜を見る目で人間すらをも見ていることを暗示している。雄だか雌だか即座に判断できないような存在は、プーチンロシア正教信者から見れば「何の役にも立たない連中、人間以下のゴミ」でしかないのである。

 この家畜に対する評価基準は、戦争の際の捕虜の評価基準にも当然影響する。降伏した相手集団の男は利用価値のある少数をのぞいて皆殺しにする一方で、子供を生める女は大半を生かしておく。子供を生めなくなった老女も殺される可能性は高い。現在のロシア軍が降伏した相手を、特に男性を皆殺しにしたがるのは、今後抵抗する可能性がある男を生かしておくのはコスト高という計算もあるからだろう。

 余談だが、日中戦争当時の旧日本軍は、現在のロシア軍よりもさらに捕虜に対して冷酷・残虐であった。捕虜に食わせる食料がもったいないというだけの理由で、旧日本軍は捕虜とした中国兵のほぼ全てを殺害していたのである。日中戦争における日本占領地の中には捕虜収容所が存在しなかった。獲得した捕虜は「その場で始末」していたからである。

 共産党系の八路軍の捕虜となった旧日本軍兵士が十分な食事を与えられ、その大半が生きて帰って来たのとは実に対照的だ。ウソだと思う方は、一度図書館に行って旧日本軍兵士が書いた手記を何冊か読んでみられるがよかろう。中国に出征した旧日本軍兵士の多くが、その死ぬ間際まで、自分が上官の命令によって無抵抗の中国軍捕虜を殺戮した罪悪感にさいなまれ続けたのである。

「兵士たちの日中戦争~上海での戦闘と南京攻略戦 -大量の「捕虜」の出現-」
「日中戦争実録 捕虜の扱いに見る日本陸軍のモラル 中谷孝(元日本陸軍特務機関員)」
「最前線にいた元皇軍兵士14人が中国人への加害を告白──『日本鬼子』の衝撃」

  もう一点、遊牧民の特性として挙げるべき点は「リーダーの権力の絶対化」である。詳しいデータを持っている訳ではないが、遊牧民社会ではリーダーの権威は絶対的であるように見える。チンギス・カン王朝の初期には後継者争いの際には権力の所在が一時的に混乱したものの、いったん後継者が決まれば従来からの配下は完全服従していたようだ。これは「分裂は全体の滅亡を招く」ことを何度も経験した末に確立された経験則と思われる。

 リーダーの権威は父系の系図に沿って次世代へと継承されて行く。この構図は、上に挙げた「限定された雄だけが生殖に関与できる」という家畜に対する優性思想と表裏一体の現象なのかもしれない。この傾向の行きついた果てが、現在のプーチンに見るような「皇帝制度」である。ロシアの社会制度は、誰が最終決定者の権利を有しているのかがよくわからないことが多い我が日本社会とは真反対の対極に位置している。

 以上で見て来たように、ロシアと言う民族の根本には我々農耕民族には想像もつかないような冷酷さが潜んでいる。この基本的傾向は、単に説得や教育だけで短期間に変えられるものではない。ロシアでは若年層を中心にネットで外国の価値観に触れる機会が増えてはきたが、彼らの遊牧民的性格が薄れるまでには、少なくともまだ数世代(数十年)は要するだろう。

 また、西側が今後さらに経済制裁を強化しても、ロシア国民がすぐに「プーチン追放」に立ち上がるとは到底思えないのである。そもそも、過去百年の間に、少しでも反抗的な傾向のあるロシア人はスターリンプーチンによって殺されるか、国外に追放されてしまっている。

 今のロシアに残っている人々の大半は、権威に従順で国の将来のことは指導層に丸投げし、生活の窮乏に対する忍耐力は十分にあり、関心があるは自分の当面の生活の維持のことだけというタイプなのだろう。そういう人たちの可愛い息子であっても、徴兵されて集団生活をし、上官から「ロシアの誇るべき伝統」を吹き込まれてしまうと、今回のような虐殺に手を染めるようになってしまうのである。

 日本では既に77年前に経験済みだが、経済的に追い詰められることに比例して、国民の愛国心は一時的にはさらに高まり狂信化する。本当に経済的に困窮した段階に至ると、国民はその日一日をどうやって生き延びるかということしか頭に浮かばなくなる。プーチンを打倒する可能性があるのは彼の側近層のみに限られるだろう。

 なお、以上では「遊牧民的」と言う言葉をたくさん使ったが、もちろん現時点では、遊牧民の人びとが農耕民集落を襲撃して虐殺・略奪を繰り返すという風習はとっくに廃れてしまっている。そのような風習が存在していたのはおそらく百年以上も前のことだろう。

 しかし、現代においても遊牧民の過去の風習を温存し、戦争を虐殺、強姦、誘拐、略奪をやりたい放題できる「楽しいお祭り」であるとみなしている国家組織が未だに存在していることが、つい最近判明した。それはプーチン政権とロシア軍である。このような獣的風習は人類の文明における最大級の汚点、恥辱に他ならない。このような風習は、今後、あらゆる手段を使って地上から消滅させなければならないだろう。

 

(2)独裁者の重要政策着手年齢の比較

 プーチンによるウクライナ侵略開始と同時に、習近平による台湾侵略に対する関心も高まっている。その参考になるかと思い、歴史上の独裁者が重要政策に着手した年齢を比較してみた。結果を下の表に示す。

表-1 各国の独裁者の重要政策着手年齢の比較(クリックで拡大)

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 こんな表を作ってみた理由は、人間、歳をとるとあせりが生じるからである。筆者はプーチン習近平とほぼ同年齢だが、70歳に近くなった最近では、自分は十年後にはどうなっているだろうかとよく思うようになった。十年後にはちゃんと仕事ができているだろうか、体を悪くして入院しているのではないか、認知症が相当進んでいるかも、いや既にお墓の中かも・・等々、いろいろと想像してしまうのである。やりたいことは出来るうちに早く片付けておきたいと思うようになることを、この年齢になって実感している。

 「もうあと残り少ない人生になったので、今のうちにやりたいことをやってしまう」と言っている高齢者も多い。数年前にあるイベントに出席したら、某自治体の首長氏が「自分は70歳を過ぎたから、怖いものはもうひとつもないぞ。これからは好きなようにやるんだ!」と公言されていた。善いことならいいけど、悪いことを好きなようにやられたら周囲はたまったものではない。

 上の表を見ると、歴史に残る大虐殺者であるヒトラースターリン毛沢東は、やはり比較的早い40歳代のうちに独裁権力を確立している。権力を握っている期間が長ければ長いほどその悪行の規模も膨らむように見える。現在、一番の関心の的となっている習近平が権力を握ったのは比較的遅い50歳代末であった。これは既に中国共産党の権力継承ルールが確立していたためである。

 注目されるのは、習が権力を握ってすぐの二年後にはメディア統制を始めていることである。当時、筆者は中国のニュースサイト「百度」などをよく見ていたのだが、この頃からニュースのトップには必ず習近平の動静報告(某会議に出席、某工場訪問等々)が載るようになった。その下の二番目の記事は首相の李克強に関するニュースと決まっていたが、このルールは一、二年後には守られなくなった。李首相の権威の低下を反映しているのだろう。

 また、習がメディア支配に乗り出した年齢61歳はプーチンのそれと同年齢であることも注目される。習は約二か月後には69歳になる。メディアの支配体制を構築し始めてからハ年が経ち、その支配は既に盤石になっているものと想像される。

 毛沢東に並ぶ業績を上げて中国の歴史に名を残すことを悲願としている習近平。彼は必ず台湾に侵攻しようとするだろう。既存のルール破りの三期目への就任もそのための準備なのだろう。ただし、仮に侵攻に失敗した場合には、今までに築きあげてきた国のトップの座から一気に転落しかねない。しかも、ロシアのウクライナ侵略の結果、中国の台湾侵攻に対する台湾と日米の警戒感も一気に高まってきた。習は来年には70代になり、残された時間は日々短くなっていく。いつ始めるのか? 今頃、習の頭の中では何種類かのシナリオが渦を巻いていることだろう。

 毛沢東は経済規模で英国に追い付き追い抜こうとして66歳で大躍進政策を開始した。しかし、その実践内容は初歩的な科学的知識すら欠如した幼稚極まりないレベルであり、農民の貴重な鍋や農具を大量の屑鉄に変えただけであった。その結果、彼は最高指導者の座を一時的に劉少奇に明け渡すことになった。

 プーチンは古代のキエフ・ルーシの再興を夢想して69歳でウクライナへの侵略を開始した。しかし、予想もしていなかったウクライナ国民の抵抗に会い、キーフからの撤退を開始するという醜態をさらし始めている。諜報機関の出身者にしては、自軍とウクライナの実態の把握があまりにもずさんなのである。今回の侵略がプーチンの没落の始まりとなるのだろう。

 この二人の大失敗の裏には独裁国家に特有の事情がある。ボスの機嫌を損ねることが怖くて、周囲が彼の計画の愚劣さを指摘できないのである。習近平はこの二人に比べればまだ沈着冷静であるようには見えるが、はたして実際にはどうだろうか。今回の侵略が始まるまでは、プーチンについては冷静で客観的な頭脳の持ち主との評価が一般的だったのである。

 

(3)空想的観念にとらわれた独裁者は、自国民と周辺国の国民とを不幸にする

中学生の頃に読んだSF、フィリップ・K・ディック「高い城の男」を未だに時々読み返している。ディックほどまでに精神病の世界をリアルに描いた作家は、今後もめったには出てこないだろう。代表作のひとつである「火星のタイムスリップ」を読んでいると、自分自身が統合失調症精神分裂病)に陥ったかのような錯覚さえ覚える。

この「高い城の男」では、第二次世界大戦ナチスドイツと大日本帝国とが連合国に勝利し世界制覇をなしとげてから十数年後のアメリカ社会が描かれている。いささか長くなるが、以下にその一部を抜粋しておこう。

 日本政府と秘密裏に連絡を取るためにスウェーデンの化学会社の社員に偽装したドイツ海軍防諜部のウェゲナー大尉が、日本支配下のサンフランシスコに向かう高速ロケットの中でナチスについてイメージする場面である。現在のプーチン政権のイメージに、そっくりそのままあてはまるものがあると感じてしまう。

 

「 だが、いったい狂気とは何であろうか?・・それはかれらのしているあるもの、かれらの存在の一部ではあるまいか。かれらの無意識がそれではあるまいか?かれらの他人に対する無智こそがそれではあるまいか。かれらは自分達が他の人類に何をしているのかさえ気づかず、過去にもまた現在でも、ただやたらに破壊のみ事としている。・・・

 かれらの観念 - それは宇宙的だ。地上のあそこにいる、ここにいるという人間のそれではない。抽象的なあるものである。民族、土地 - そんなものがかれらの観念だ。国民。国土。血。名誉。名誉ある人びとの名誉ではなく、名誉それ自体のための名誉。抽象こそが本物である。具体はかれらの眼に入らないのだ。善意あるもの。だがそれはここの善意の人びとではないのだ。・・・・

 宇宙的過程は、仮借なく急ぐ。生命を粉砕して花崗岩とメタンガスとに返還していく。巨大な宇宙の車輪は生命を生むために回転するが、それは一時的な気紛れに過ぎない。そしてかれら - これらの狂気の人びとは - 花崗岩と宇宙微塵とに応えようとしている。無機にあこがれている。かれらは自然界を助けたいと欲している。

 俺には何故だかわかるような気がする。かれらは歴史の犠牲者ではなく、歴史の"代行者"となろうと欲しているからだ。かれらは、神の力と同一視する。自分たちは神と同じだと信じている。そこに根本的なかれらの狂気がある。かれらは何らかの神話類型(アーキタイプ)に圧倒されている。かれらのエゴは精神病的に拡大し、かれらは拡大がどこで始まり、神格がどこで去ったか分らない。・・・

 かれらには人間が無力であることがどうしても分からないのだ。たとえばこの俺 - 俺は弱く小さい。宇宙に比べたら無価値の存在でしかない。宇宙は俺など問題にしていない。俺はまったく認められることなく生を保っているものに過ぎない。

 しかしそうだからといって、それが何故悪いのだ?そういう状態でいいのじゃないか。ところがかれらは、神の認めるものを破壊しようとする。愚かなことだ。弱小なるものであれ・・・・そうしてはじめておまえは偉大なるものの嫉妬をまぬがれることができる。・・・」 (1967年発行 ハヤカワSFシリーズ 川口正吉訳 P53-P55)

 

 観念のとりことなった独裁者は、自らを神か、神の代理人と錯覚するようになり、自分が支配している人々を戦場に向けて追い立てるのである。国の指導者層が神がかってしまうと国民に不幸が訪れることは、我々日本人が過去に体験してきた事実でもある。

 

/P太拝

ウクライナの強さの理由とは

 先々回の記事で弥生人についての記事を書き、次には縄文人のことを取り上げようかと思っていましたが、ロシアのウクライナ侵略が始まってからは、気楽なテーマを取り上げる気分にはなれなくなってしまいました。大勢の市民が殺されて行くニュースを毎日見ていると、この約三週間、ずっと喪に服しているような心持ちです。

 と言うわけで、今回も先回の記事に引き続き、ウクライナ戦争に関する記事を書くことにしました。日々刻々と変わっていく戦況のことは既存のメディアを見ていただくとして、ここでは注目される最近の記事と、ロシアとウクライナの過去の歴史について取り上げてみようと思います。

(1)最近の記事から

 ロシアの外相が毎日のように見え透いたウソをつき続けていることには、改めてあきれるほかはない。「ウソをつくのは恥」という日本人的感覚では到底理解できないのだが、彼の発言はその全てがロシア国内向けのプロパガンダでしかないと解釈すれば納得できるのかもしれない。自分の雇い主のプーチンに褒められさえすればそれで十分なのであって、外国からの評価などはどうでもよいのである。

 このように程度の低い、不誠実で愚劣きわまる人物を外相に持ってくる国は、ロシア以外にはあまり存在しないだろう。今のロシアも欧米と同様にキリスト教の国のはずなのだが、キリスト様もロシアだけには特別に、「ウソも、泥棒も、子供殺しも、何でも許される」とおっしゃっているのかもしれない。

 こういう現象は我が日本には皆無というわけでもない。あの森友学園騒動の時には、佐川宣寿国税庁長官も国会の場で数多くのウソをついていた。そのウソの数は確か百以上と報道されていた記憶がある。この背景には、安倍内閣による官庁幹部の人事権掌握を目的とした内閣人事局の設置があったことは言うまでもない。国のトップが官僚人事の全権を握ると官僚がウソつきだらけになるという、めずらしくもロシアと日本に共通する希少な実例に他ならない。

 さて、最近読んだ「ロシアによるウクライナ侵略」関連記事の中では、次の記事が印象に残った。

「ウクライナ侵攻で進むロシアの頭脳流出──国外脱出する高学歴の若者たち」
「「プーチンは正気じゃない。この国にもう未来はない」 ロシア人の“大脱出”が始まった」
 日本国内では日本に在留するロシア人への非難が増えているようだが、その非難はプーチンに任命された外交官などのプーチン政権を支えてきた連中だけに限定すべきである。プーチン体制を嫌って国外に脱出する人々は、ウクライナからの避難民と同様な存在だと捉えたほうがよいだろう。

 まして、上の記事に見るように能力の高い人材は、むしろ積極的に受け入れるべきである。プーチン体制をさらに弱体化させる一方で、民主主義陣営の力をさらに向上させることにつながるからである。この傾向が今後も続けば、将来のロシアは「核兵器で威嚇することしかできないゴロツキどもと、マフィアと、酔っ払いだけのみじめな国」へと転落していくに違いない。

 国の防衛は軍事兵器だけで行えるものではない。他の国とさかんに交流することで強固な人間関係をつくり、互いの違いを理解し合える人々を増やすことこそが最大の防衛力にほかならない。「プーチンは嫌いだから、ロシア国籍の人間は全て追い出せ。一人も受け入れるな!」などと言っているようでは、ますます戦争突入の危険性を高めることになる。プーチン政権の構成メンバーとロシア国籍者とはハッキリと区別して対応するべきである。

 ただし、今のような混乱状況を利用して、優秀な人材の中にスパイを紛れ込ませて他国に送り込むのは、旧社会主義国時代からの常套手段でもある。中国の「国家情報法」のように、今後、自国民に他国でのスパイ活動を強制する法律がロシアにもできる可能性も考えられる。一般論としては移住は大いに歓迎すべきだが、防衛関連情報や先端技術情報などの国や企業として厳守すべきところについては、一線を引いて厳しく対応する必要がある。

 さらに興味深い記事として、次の二点をあげておきたい。一般市民が自発的に連帯し、自分の手持ちの材料や設備を使って巨大な悪に抵抗している点に強く共感したからである。

「ウクライナ、趣味用ドローン数百台が偵察作戦で活躍」
「ウクライナ市民が「SNS抵抗戦」 戦車位置など軍に提供」

 筆者の愛読書のひとつであるカミュの小説「ペスト」では、それまでは互いに無縁であった男たちが、共通の敵であるペストに立ち向かうために、自発的に連帯して患者の運搬、物資の手配、死者の埋葬等の業務を共同で引き受けることで行政への支援を開始する、今で言うところのボランティア団体を立ち上げている。

 元々無名の彼らは、格段の名誉を求めることも無くこの無償の活動に参加し、そのうちの何人かはペストに感染して無名のまま次々と死んでいくのである。この小説のペストとは、第二次大戦中にフランスを占領していたナチスドイツの暗喩だと解釈されることが多い。カミュ自身もその当時は表向きの文筆活動の陰に隠れて、ナチスに抵抗するレジスタンスの地下活動に従事していたそうだ。

 ウクライナの市民のロシアに対する抵抗活動を紹介する上の二つの記事を読むと、まるで「ペスト」の中の主人公たちが、この21世紀の現実世界に再び現れたかのような錯覚を覚える。誰かに強制されることもなく自分の意志のみによって集まり、仲間と自分自身の自由の確保のために行動するという点が実に魅力的だ。

 どこに連れていかれるかも知らされないまに動員され、ウクライナ市民に向かって発砲を強制されているロシア軍のロボットのような兵士たちとは雲泥の差がある。これは、生きている人間と、権力が強引にこね上げて作った泥人形との差に他ならない。

 さて、我々日本の一般市民は、いざという時に今のウクライナ市民と同様の行動がとれるだろうか?


(2)ウクライナの激しい抵抗の背景にあるもの

 では、ウクライナ人のこの強靭な抵抗精神の背景にあるものは一体何だろうか。それを知るためにはウクライナ周辺諸国、特にロシアとの関係について歴史を遡って見ていく必要があるだろう。

以下に「ウクライナ -wikipedia- 」からウクライナの歴史を抜粋し簡単に要約して示す。

「中世以降のウクライナの年表」

8世紀 ルーシ国が誕生、キエフはその首都となる。
882  バイキングがキエフを制圧し、キエフはバイキング系のリューリク朝(別名:キエフ・ルーシ)の首都となる。
11世紀 キエフ・ルーシは支配面積を拡大し、当時、欧州で最大の国家となる。
13世紀 キエフ・ルーシは分裂を繰り返して衰退。1240年代にモンゴルの侵攻を受けて滅亡。このキエフ・ルーシの滅亡後、その北東辺境から後にロシアとなるモスクワ大公国が誕生する。
15世紀 現在のウクライナの領域は、北部・中部はリトアニア、西部はポーランド、南部はモンゴルのチンギス・カンの後裔のクリミアハン国、東部は現在のロシアにつながるモスクワ大公国へと分割された。
1569  リトアニアポーランドが連合してポーランド・リトアニア共和国が成立、ウクライナの大半がその支配下にはいった。
1648  現ウクライナの中部にコサックによる独立国が誕生。
1689  ロシアとの戦争を経てコサック国が分裂し、ドニエプル川の西側をポーランドリトアニアが、東側をロシアが支配する結果となった。
1794  ポーランドリトアニアが消滅し、現在のウクライナの領域の大半をロシアが支配することになった。
1873  ウクライナ独立運動の抑圧を目的として、ロシアがウクライナ語での書物の出版を禁止。
1917  ロシア革命による混乱を契機にウクライナが一時的に独立。
1920  ウクライナ・ソビエト戦争やロシア内戦を経て、最終的にはソ連ウクライナの大半を支配した。
1921  ウクライナを含むソ連全土で大飢饉が発生。
1932  スターリンが指揮したソ連による農業集団化と、輸出による外貨獲得を目的とした(特にウクライナからの)農産物の収奪によって、再び大飢饉(ホロドモール)が発生した。餓死者と飢饉に関連する死者は400万人~1000万人の範囲にあるとの説が主流である。
「ホロドモール -wikipedia-」(閲覧注意、死体写真あり)
1937  スターリンによる大粛清が始まり、ウクライナでも指導層が大量に投獄・殺害された。
1941  6/22にナチスドイツがソ連との不可侵条約を破ってソ連に侵攻、九月末までにウクライナのほぼ全域が占領された。
1944  前年からソ連の反攻が始まり、この年の夏までにウクライナ全土からドイツ軍を追い出した。
1945  第二次世界大戦終結。この戦争でのウクライナの犠牲者数は800万人~1,400万と言われている。
1991  ソ連崩壊に伴い独立

 

 東スラブ族がつくったルーシ国の中心は現在のキエフ付近にあり、一方で、現在のロシアにつながる勢力がいた現在のモスクワ付近はルーシ国の北東の辺境にすぎなかった。しかし、14世紀に誕生したモスクワ大公国は徐々にその領域を北方と東方のシベリアに拡大、19世紀にはついにキエフの西方までの現在のウクライナの地を併合するにいたった。

 ロシアはウクライナを自身の発祥の地と主張しているが、実際にウクライナを自国の勢力範囲に収めたのは約200年前にすぎない。ロシアに併合されてからのウクライナは、特にロシア革命後には、上に見るように、非常な苦難と大量の血にまみれた歴史を経験することとなった。

 ウクライナの人口は1940年時点で4050万人程度だったとされている。ホロドモールと第二次世界大戦の犠牲者数とを合計すれば、少なくとも3人に1人、多い場合には2人に1人以上が犠牲となったことになる。1930年代から1940年代にかけて、ロシアとドイツとによってもたらされた、餓死、戦死、虐殺死、強制労働による死者等を一人も出さなかったウクライナの家庭はほぼ皆無だろう。

 日本では、日中戦争開始から太平洋戦争終結までの軍人・民間人の犠牲者の総数は約300万人と推計されている。植民地を除く当時の日本の人口は7000万人程度だったことを踏まえれば、日本では約4%、25人に1人、五、六軒に一人くらいが犠牲者となっている。日本にとっても先の敗戦は悲惨な経験ではあったが、ウクライナの犠牲者の割合は日本よりも一桁多いのである。スターリンソ連独ソ戦によるウクライナの被害・迫害がいかに深刻であったのかが、この数字からも判る。

 現在のウクライナの30~40代は、子供の頃にホロドモールを経験した世代の孫世代に相当する。ロシアへの恨みが骨髄までにしみこんだ祖父母から、当時の悲惨な状況を聞きながら育って来た世代でもあるはずだ。二度とロシアの支配下には置かれたくないと思っている彼らが、ロシアの侵略者に対して銃を取って戦うのは当然のことだろう。

 また現在のウクライナとは、ウクライナ人にとっては13世紀のモンゴル侵略以来、実に約750年ぶりに獲得した彼ら自身による単独の祖国、独立国なのである。独立してからわずか31年後に、再びロシアによって独立を失うことを彼らが許せるはずもない。「日本語を話す人々がこの日本列島を統治しているのは当然のこと」と頭から信じ込んでいる我々日本人が、この苦難の歴史を知ることも無しに、今のウクライナの人々の心情を我々の感覚だけで推測することがあってはならないのである。

 今のウクライナのロシアに対する状況を俗に例えれば、「DV夫の激しい暴力で傷だらけになりながらも長年耐え忍んできた妻が、夫の事業破産でやっと離婚できた。解放されたと思ったのもつかの間、復縁を迫った夫がまたしつこく追いかけて来た。」というような構図なのだろう。

 ちなみに、一つの世代が経験した悲惨な記憶がほぼ消え去るまでには、少なくとも三世代はかかると筆者は推測している。一世代が約30年とすると、1945年に30歳であった世代(現在は107才)の子の世代は現在77才、孫の世代が47才。この辺りまでは第二次世界大戦を経験した両親や祖父母から直接に当時の話を聞く機会はあったのだろう。それに対して、曾孫の世代は現在17才。この辺りになると、彼らが物心がつく以前に曾祖父、曾祖母が亡くなっているケースが大半だろう。

 このように考えると、現在の日本の十代から二十代にかけての世代が戦争をゲーム感覚でしかとらえられなくなっているのも、ある意味ではやむを得ない面があると思う。一つの世代の経験が世代を超えて長く語り伝えられるためには、その経験を何らかの形で神話化しておく作業が不可欠なのだろう。

 今回の侵略によって、ウクライナの人々は、今後すくなくとも三世代にわたって「嘘まみれのロシアの暴虐さ、残酷さ」を再び語り継ぐことになるだろう。愚かなプーチンは、ウクライナを手中に収めるどころか、自らの愚劣極まりない政策によって、ほぼ未来永劫にわたってウクライナ人をロシアから離反させる結果を招いてしまったのである。

 以下は、同じく「ウクライナ -wikipedia-」からの抜粋である。参考とされたい。

ソビエト連邦下のウクライナは拙速な農業の集団化政策などにより2度の大飢饉(1921年 - 1922年、1932年 - 1933年、後者はホロドモールと呼ばれ2006年にウクライナ政府によってウクライナ人に対するジェノサイドと認定された。アメリカ、カナダ、イタリアなどの欧米諸国では正式にジェノサイドであると認定されているが、国際連合欧州議会では人道に対する罪として認定している)に見舞われ、推定で400万から1000万人が命を落とした。この「拙速な集団化政策」は意図してなされたものであるという説も有力である。」

「大粛清はウクライナから始められ、1937年には首相のパナース・リューブチェンコが自殺した。」

独ソ戦は約4年間続き、ウクライナを中心とした地域に行われた。当初、ウクライナ人はソビエト連邦共産党の支配からウクライナを解放してくれたドイツを支援したが、ドイツはウクライナの独立を承認せず、ソ連と同様の支配体制を敷いたため、ウクライナ人の反感を買った。・・・

 第二次世界大戦においてウクライナはハリコフ攻防戦など激戦地となり、莫大な損害を蒙った。戦争の犠牲者は800万人から1,400万人とされている。ウクライナ人の間では5人に1人が戦死した。バビ・ヤール大虐殺などナチス・ドイツによるホロコーストも行われ、ウクライナ系のユダヤ人やロマ人などの共同体は完全に破壊された。ソ連政府はウクライナ在住のドイツ人やクリミア・タタール人などの追放を行った。

 独ソ両軍の進退によってウクライナの地は荒れ果てた。700の市町と、約2万800の村が全滅した。独ソ戦中にウクライナ人はソ連側の赤軍にも、ドイツ側の武装親衛隊にも加わった。また、ウクライナ人の一部は反ソ反独のウクライナ蜂起軍に入隊し、独立したウクライナのために戦った。」

以下は、「ウクライナの歴史 -wikipedia-」からの抜粋。

「1941年のナチス・ドイツソ連の開戦は、スターリンの恐怖政治におびえていたウクライナ人にとって、一時的に解放への期待が高まることになった。ドイツ軍は当初「解放者」として歓迎された面もあり、ウクライナ人の警察部隊が結成された。独ソ戦では、ウクライナも激戦地となり、500万以上の死者を出した(ソ連の内務人民委員部(NKVD)はウクライナから退却する際に再び大量殺戮を行っている)。

 ・・・ウクライナ人は(ドイツ人からは)「劣等人種」とみなされ、数百万の人々が「東方労働者」としてドイツへ送られて強制労働に従事させられた。またウクライナに住むユダヤ人はすべて絶滅の対象になった。ドイツの占領などによる大戦中の死者の総数は、虐殺されたユダヤ人50万人を含む700万人と推定されている。なお、ユダヤ人虐殺に関しては現地の住民の協力があったことが知られている。人だけでなく、穀物や木材などの物的資源も略奪され、ウクライナは荒廃した。このドイツ軍の暴虐にウクライナ人農民は各地で抵抗し、やがて1942年10月、ウクライナ蜂起軍(UPA)が結成されるに至る。おもに西ウクライナにおいて、テロ活動などでドイツ軍と戦った。UPAが活動を活発化させればさせるほど、ドイツ軍もウクライナ人迫害の手を強めた。

 一方でドイツ軍は、1943年春にスターリングラード攻防戦で決定的な大敗北を喫すると、自らの軍隊に「東方人」を編入させようとして、武装親衛隊(武装SS)にウクライナ人部隊「ガリツィエン師団」を創設した(この時期、武装親衛隊ウクライナ人だけでなく、多数の外国人を採用している)。ウクライナ人たちも、ドイツ支配下ウクライナの待遇が改善されること(自治・独立)を希望し、約8万人のウクライナ人が応募、そのうち1万3千人が採用された。・・・彼等はまさに「ウクライナ人」として、スターリンソ連軍と戦う機会を与えられることになった(その一方でユダヤ人虐殺にも荷担した)。

 ガリツィエン師団以外にも、多くのウクライナ人が「元ソ連軍捕虜」としてドイツ軍に参加している。しかしそれらを圧倒的に上回る数のウクライナ人が「ソ連兵」としてナチス・ドイツと戦い、死んでいった。当時のソ連軍兵士1100万人のうち、4分の1にあたる270万人がウクライナ人であった。

 やがて、ドイツが敗走して再びソ連軍がやってくると、ウクライナ蜂起軍(UPA)は破滅的な運命をたどる。彼等は今度はソ連軍に対するテロ活動を開始し、それだけでなくガリツィア地方のポーランド人、ユダヤ人の大量虐殺を行った。家は次々に焼き討ちにし、ときには虐殺に反対した同朋のウクライナ人をもいっしょに殺害した。このようなUPAのテロ活動は1950年代まで続いた。」

 上の引用の中の「ドイツの武装親衛隊の中にウクライナ人部隊を創設した」という部分が、今回、プーチンがしきりにウクライナをナチ呼ばわりしている理由なのだろう。元々はスターリンによる大量餓死・虐殺こそがウクライナ人をこのようにドイツ側に追いやった根本原因なのだが、その事実はロシア国内ではほとんど報道されず、国民にも周知されていないものと思われる。

 

 以下、話が脱線するが、自国民や周辺国の国民を、最大の場合には数千万人の規模で餓死・戦死・虐待死させた独裁者の出身地は、いずれもユーラシア大陸の北部に集中している。西からドイツのヒトラー、ロシアのスターリン(細かく言えばグルジア出身)とプーチン、モンゴルのチンギス・ハン、中国の毛沢東北朝鮮金日成一族と続く。彼らの特徴は、自分の周囲の人間は自分の欲望を満たすための道具に過ぎないとみていること。さらに、自分が害を加える相手の心中をおしはかろうとする想像力が一切ないこと(そうでなければそもそも加害者にはならない・・)だろう。

 彼らの青年期に至るまでの経歴を調べてみたが、チンギス・ハン以下の三名については資料が乏しくてよく判らない。金日成に至っては、戦前に抗日活動で活躍した別の人間の名前を、戦後になってから詐称したという疑惑すら指摘されている。

 しかし、ドイツとロシアの三名については、共通点と思われるものを見いだせた。一言で言えば、彼らは決して幸福な家庭に育ったとは言えず、成長期には深刻な心の傷を背負い、青年期以降はそれを克服することを目標として生きて来たと推測される点だ。

 先回の記事で見たように、ヒトラーは幼少の頃には高圧的な父に反発、青年期は挫折の連続であった。プーチンは出生時の詳細すらよくわからず、のちに移ったペテルブルグでは街の不良少年として少年期を送った。彼はロシア人としてはかなり小柄である。(以前のwikipediaで身長167cmと記載されているのを見た記憶があるが、現在は抹消されている)。周囲の大柄な仲間を威圧するために選んだのが、小柄でも大きい相手を投げ飛ばすことができる柔道であった。

 スターリンは靴職人の父親のアル中が原因で幼少期に両親が別居、母一人子一人の環境下で成長した。成長してからは父親に靴職人を継ぐように強制されたが反発。母の勧めで神学校にはいったものの、中退して社会主義活動にのめり込んだ。彼の得意技は活動資金の調達のための銀行強盗だった。スターリンも身長163cmと小柄であり、顔には天然痘によるあばたがあり、手足の二か所には先天的なものと少年期の事故による障害があった。

 このように、この三人は青年期にすでに深刻なコンプレックスを抱えており、それを克服して自己の尊厳を回復するしようとする衝動に迫られていた。その回復手段として彼らが選んだのが、自分を実態以上により大きく見せたい、より多くの人間を支配することで自信を取り戻したいという願望に沿った生き方であった。そのためには、強大な権力を有する既存の国家機構や、それを打倒して取って代わろうとしている政治団体などに入るのが一番手っ取り早い。前者を選んだのがKGBに入りたいと学生の頃から熱烈に願っていたプーチンであり、後者から始めたのがヒトラースターリンである。

 自分の抱えているトラウマに正面から向き合い、自分の能力を徐々に高めていくことでそれを解消することが望ましいが、これはなかなか困難な道である。多くの人間は、自己の尊厳を回復するためのより安易な方法へと流れてしまいやすい。イジメられている自分よりもさらに弱い相手を見つけ出して、それをイジメることで自分の力を再確認して自信をとりもどす、というのがその代表的な手法だ。先回指摘した、子殺しの前段階でもある親の児童虐待、学校や職場内でのイジメ等がこれに当たる。

 日本では、このような現象はたいていは一過性のものであり、進学や転職等で生活環境が変われば解消することが多い。しかし、中国やロシアのように人の序列をはっきりさせなければ落ち着かない社会では、この種の序列争いが毎日絶え間なく続くことになる。「こいつは俺よりも強そうだし、執念深い。将来の大物かも。」と思ったら、とりあえずは相手の子分になっておいた方が生きる上では有利になる。結果、社会構造はピラミッド化、階層化し、独裁制が成立しやすくなる。

 自分を本来の実力よりもより大きく見せることができる人間ほど出世しやすいこのような社会では、階段を登っていくにつれて元々持っていた妄想もさらに大きく膨らむのだろう。しまいには、自分で今までついてきたウソすらも真実と信じ込むようになり、何が現実で何が虚偽なのかすらも判らなくなる。かってのヒトラーの末期、今のプーチンがこの状態にあるのだろう。

 また、彼らは自分の地位を守り続けようとして異常に猜疑心が強くなる。スターリンが党や軍の中心人物を次々に殺害していった大粛清がこれに当たる。プーチンも、これから周囲の忠臣たちの処刑を始めるのではなかろうか。

 歴史的に見て、ロシアと中国、及びこれらの周辺国では、巨大な権力を握る独裁者が次々と出現しやすい。かっての強力な皇帝制度の名残なのだろうが、周りの国にとってはずいぶんと迷惑な話だ。対して、欧米や日本ではいちおうは民主制度が機能しているので、このように偏執的、強権的、利己的な指導者は選挙によって出世の階段の途中で排除されてきた。しかし、米国にトランプ前大統領が出現したことを見れば、そうも言っておられなくなってきたようだ。世界は独裁制国家の乱立へと徐々に進みつつあるのかも知れない。

 さて、現在のロシアの話題に戻ろう。ロシア国内の今後の動きを占う記事としては、次の記事に注目しておきたい。いずれプーチンは排除されるのだろうが、周囲の国にまで被害が及ばないように願いたいものである。

「プーチンの末路3つのパターン、クーデターか内戦か・・・」


(3)私たちはウクライナのために何ができるのか

 毎日、数多くの兵士や市民の死のニュースに接するたびに胸がふさがれる想いがするのだが、この流れを止めるためにはどうしたらよいだろうか。以下に簡単にまとめてみた。

① ロシアを経済的に孤立させることで戦争にかける費用を窮迫させ、同時にプーチンからのロシア国民の離反を促す。

 欧米日による経済制裁によってロシアの経済的な孤立がすでに進み、ルーブルの価値が半減しているが、この効果が表れるまでにはまだ相当の日数を要するだろう。参考までに、2020年の日本の輸出入に占める相手国別のシェアのグラフを下に示す。輸出シェアと輸入シェアの合計の順位では、ロシアは18位である(輸出0.9%、輸入1.7%)。全部止めても、日本全体の貿易量から見ればたいした影響は無い。

図-1 日本の相手国別輸出・輸入シェア(図はクリックで拡大)

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 このグラフでロシアよりも注目されるのが、日本経済における中国の存在の巨大さだ。輸出、輸入共に日本の貿易の約1/4が中国相手なのである。経済規模が韓国程度のロシアに対しては経済制裁は効果的であるが、中国に同様の経済制裁を実施したら日本経済の方が先に倒れかねない。日本にとっては、この中国への依存を減らすことが喫緊の課題だろう。

 次の三期目の支配を確実にするためにも、習近平が今年の秋の党大会まではおとなしくしている可能性は高いが、党大会が過ぎたら台湾侵攻にさらに前のめりとなることはほぼ確実だろう。彼には、毛沢東に匹敵する業績を上げて中国の歴史に名を残すことが自分の使命だと考えているフシがある。

 現時点のように中国大陸に膨大な日本資本(工場、金融資産、人材)が残されている状態で習近平人民解放軍(名称がその実態と完全に矛盾している。正しくは人民抑圧軍?)に台湾侵攻を命令した場合には、日本はいったいどうすればよいのだろうか?日本政府は十分なシミュレーションを繰り返して、早急に対策を立案しておくべきだろう。

 欧米の貿易は日本ほどには中国には依存していないが、対ロシアよりは多い。米国の対中国貿易では輸出8.4%、輸入12.8%、対ロシア貿易は輸出入ともに4%は未満。ドイツの対中貿易は輸出6.8%、輸入7.0%、対ロシアはともに4%未満。(2017年のデータ)。


② プーチン政権に融和的な企業、政治家、評論家を支持しない。

 ユニクロはロシアに融和的な企業の代表例だが、日本企業がロシアで利益を上げた場合には、その一部が税金としてロシア政府に吸いあげられることになる。その利益の一部が兵器やミサイルに姿を変えてウクライナで子供や女性を殺すのに使われる。ユニクロは「ロシア住民にも衣料品が必要」と言い訳してきたようだが、衣料品と人の命とのどちらを優先すべきかは言うまでもない。

 そもそも、同社にはいつまでたっても中国新疆ウイグル産の綿花の使用有無を明らかにしないことなど、人権よりも自社の利益を最優先する傾向が顕著である。SDGsを推進している企業とは到底言えない。ユニクロの服を着ている人は、「人権に対して鈍感な人」と見られても仕方がなかろう。

 石油・天然ガスの生産プラントであるサハリン1とサハリン2には、日本の大手商社の大半(伊藤忠、丸紅、三井商事、三菱商事)と日本の経済産業省とが出資しており、ロシアからの輸入の大きな部分を占めている。この石油と天然ガスこそがプーチン政権の命綱であり、これを止めない限りはブーチン政権はまだ持ちこたえるだろうという記事が最近公開されている。

「ロシアへの経済制裁が「まだ十分に効果を発揮していない」これだけの理由 -カギは石油と天然ガスの「禁輸措置」-」
 プーチン政権の息の根を止めるためにも、日本はサハリン1,2からの輸入を早急に止めるべきだろう。特に、経産省自らがサハリン1の株主の座に座り続けているようでは、「日本政府はロシアの味方なのか」と言われかねない。このままでは、日本の大手商社が支払った石油とガスの代金がウクライナの子供たちを殺すために使われ続けることになる。

 この春からは国内の太陽光発電量は増え、火力発電の稼働率は下がる。需要期の夏までには米国のLNG生産量も、高価格に刺激されての中東のガスの生産量も増えるだろう。日本政府が「ウクライナの人々を助けるためにも節電を!」と呼びかけさえすれば、数多くの国民からの協力を得られるだろう。政府の迅速な意思決定に期待したい。

 プーチンと親しい政治家の代表例は共に国会議員である鈴木宗夫・鈴木貴子の親子だが、もっと大物の政治家としては安倍晋三元総理がいる。何しろ彼はプーチンと通算で27回も会っているのである。その面会のために費やした費用は、下の山口の温泉旅館での豪華会食費用も含めてその全てが国民の税金から出ている。

 こんなに親しいのなら、安倍氏は親友としてプーチンに三言も四言も忠告してしかるべきだ。侵略者のプーチンに何ひとつ忠告すらできないならば、彼がやってきたことは単なる税金の食い逃げでしかない。
「日露首脳会談でプーチン大統領が飲まれたお酒・ディナーメニューは?」

③ ウクライナ難民に対する募金に応募する

 既に300万人以上のウクライナからの避難民が東欧諸国に脱出しているが、その約半分が子供だと言われている。着の身着のままで脱出してきた人たちには緊急の支援が必要であり、難民への募金は私たちにすぐできることのひとつだ。

 筆者は過去十年来、国連の所属機関であるユニセフのマンスリー・サポート・プログラムに参加しており、ユニセフからは毎月のメールや郵送の形で全世界での活動報告が送られてきている。2/24のロシア侵攻の翌日の2/25には、さっそくユニセフから緊急募金の要請メールが来たので、下のサイトを経由して、わずかな金額ではあったが寄付をした。

「ユニセフ ウクライナ緊急募金」

 ユニセフ以外にもウクライナへの寄付を受け付けている団体はたくさんあるので、可能な方にはぜひ寄付への御協力をお願いしたい。ただし、このような緊急時には、偽サイトをつくってせっかくの寄付を着服しようとする悪質な連中が必ず現れる。確実に現地に届けるためにも、既に実績があって良く知られている団体を選ぶことをお勧めしたい。

 以前からの実績がある団体であれば、寄付金を確定申告の控除対象にすることもおおむねは可能(詳細はその団体のサイト等で確認していただきたい)。

 最後に、このロシアによるウクライナ侵略が始まって以来、最も胸を打たれた写真を紹介しておきたい。もうご存じの方もかなりあると思う。この写真を見るたびに涙が出てしまうのだが、同時に自分の胸の中に激しい怒りがわき起こるのである。

「幼い男の子が泣きながら1人でウクライナから国境越え…手には「ぬいぐるみとチョコレート」」

/P太拝

究極の悪とは

 一昨日の朝、ウクライナ南部の原発がロシア軍の攻撃で火災発生とのニュースが飛び込んで来て驚愕した。昼過ぎには原子炉には異常がないとのニュースが流れて、一応ホッとはしたが。
 地図を見ると、この原発の緯度は北緯45度くらいで日本でいえば北海道の北部に相当する。現地の冬季の地上での風向きにどういう傾向があるのかはよくわからないが、上空では西からの強いジェット気流が吹いているはずだ。

 原子炉が破壊されて放射性物質が高空にまで舞い上がれば、被害はウクライナ国内だけではすまない。真西に位置するカザフスタン、モンゴル、北側のロシア国内、南側の中国などには、ジェット気流を経由した放射能が落ちて来て汚染される可能性は高い。当然日本にも被害が及ぶだろう。

 1986年に発生したチェルノブイリの事故の際には、たまたま南寄りの風が吹いていたために、原発から見て北西方向の地域が強く汚染された。その範囲は、2000km以上離れたスカンジナビア半島アイルランドにまで及び、北欧では飼っていたトナカイが大量に処分された。下の記事に見るように、同地の放射能汚染は2014年時点でも未だに続いている。北欧の先は海なので、結局、どこまで放射能が拡散したのかは不明なままだ。
「トナカイ肉の放射能濃度が急上昇、ノルウェー」

 それにしても、原子炉を攻撃するという事実に見るようなロシア軍の安全感覚の無さ、知的レベルの低さには驚くしかない。皇帝の意思で全てが決められる独裁国家では、一般の人民は考えるという行為自体を自ら放棄してしまっているのかもしれない。

 原子炉が戦争やテロの標的になり得るということは、以前からたびたび指摘されていた。当ブログでも、非核の携帯型ミサイルで原発が海から攻撃されれば、少なくとも半径数十km以内の住民が家を捨てて逃げ出さなければならないと六年前に指摘したことがある。放射性物質の放出量が多ければ、福島の事故の際にその寸前にまでいったように、日本の半分が居住不能になる恐れすらあり得る。

 あの福島での経験にも関わらず、原発を再稼働させて原発敷地内に保管する「死の灰」をさらに増やすことに賛成している政治家が未だに多いことには驚くしかない。彼らの多くは日本の防衛費をさらに何兆円も増やすべきだと主張するが、その主張と原発再稼働の方針とは完全に矛盾している。

 某国なり、テロ組織なりが漁船を偽装して島根原発に近づいてきて、原子炉本体や使用済み核燃料貯蔵施設、原子炉冷却関連設備に向けて非核の小型ミサイルを何本か発射したとしたら、山陰両県は、いや西日本全体が一体どうなってしまうのか。その答えは子供でも判るだろう。原発は、その存在自体が既にリスクのカタマリでしかないのである。

(1)「子供を殺す」ことこそが究極の悪

 さて、今回の本題に入ろう。このロシアによるウクライナ侵略が始まって以来、人間の持つ悪について考えることが多い。我々人類にとっての究極の悪とは、子供を殺すことだろう。生物学的に見れば、ある種の生物による自らの種の子殺しは、種それ自身の自殺行為に他ならないからである。自らの子殺しを頻繁に行うことが常態化した生物集団は、早晩、滅亡する可能性は高い。

 この観点に立てば、今回のウクライナ戦争で、ロシアとウクライナのどちらに正義があるのかは明白である。現在、ロシア軍は都市に無差別にミサイルを撃ち込んでは、子供を含むウクライナの市民を日々大量に殺しつつある。ウクライナ軍がロシア側にまで出かけて行って、非武装のロシア市民に向かって発砲した例は、仮にあったとしてもごくわずかだろう。正義はウクライナにあり、今のロシアは悪魔に支配された悪の帝国に他ならない。

 プーチンウクライナ人を「ロシアとは血を分けた兄弟」と呼ぶけれど、自分の血を分けた兄弟の子供を殺しているのだから自己矛盾もいいところだ。今後の自滅は当然だろう。

 日本国内では元首相や元サッカー選手などがロシア寄りの発言をしているようだが、当事者の資質や過去の両国間の約束がどうだったかなどは二次的なことに過ぎない、肝心なのは、今、どちらが子供を殺し、どちらが子供を殺していないかという事実である。

 「子殺し」の有無を正義の判断基準にすれば、過去の歴史もずいぶんと判りやすくなる。約50年前のベトナムでは、アメリカ軍と韓国軍とが子供を含む一般市民を頻繁に強姦・虐殺していた。反対に、北ベトナム軍やベトナム解放戦線がアメリカや韓国にまで出かけて行って、そこの一般市民を強姦・虐殺した例は一件も起きてはいないはずだ。ベトナム戦争では、正義はベトナムの側にあった。

 今回のウクライナではアメリカは一応は正義の側とみなされているが、正義の味方や、正真正銘の被害者であっても、いつ悪魔に変貌しないとも限らない。アメリカ以外ではイスラエルが典型的な例だろう。ナチスドイツに大量虐殺されていたユダヤ人がつくった国が、いつの間にやら、パレスチナ人の子供を大量に殺す側へと回ってしまっている。

 「子殺し」は戦争の時だけに起こるのではない。本来は当然助かるべきはずの病気の子供が、医療体制が不備なために苦しみながら死んでいく。これも一種の「子殺し」だろう。

 今回のコロナ禍が始まってからは、カミュの小説「ペスト」が再び世界中の人に広く読まれるようになったそうだ。この小説の後半部の、予審判事オトンの息子の少年がペストで激しい苦痛にさいなまれながら死んでいく場面で、カミュはこの小説の主人公の一人であるリウー医師にこう言わせている。

 「子供たちが責めさいなまれるように作られた、こんな世界を愛することなど、僕は死んでも同意できません。」

 カミュの思想の中心には「不条理に対する抵抗」がある。「不条理」とは難しそうな日本語だが、元々のフランス語をくだけた日本語に訳せば、「ばかばかしくナンセンスなこと」、「合理的な筋道がたたないこと」だそうである(「カミュ伝」 中条省平 インターナショナル新書 2021年、P67 より)。

 戦争、天災、パンデミックなどは不条理な事象の代表的な例だろう。より日常的な例を挙げれば、「同じように働いているのに、非正規の自分は正規の半分の給料しかもらえない」、「友達は遊び歩いているのに、実家から仕送りのない自分はバイトに追われて授業に出ることすらままならない」、「理由はよく判らないが、職場の誰にも無視されて口をきいてもらえない」等々、これらもみな不条理な現象なのである。カミュによれば、最も不条理な事実とは「人はいつか必ず死ななければならない」ことである。カミュの思想は、不条理の中で日々生きている我々に何らかの希望をもたらすもののように思う。

 話は変わって、現代の日本でも「子殺し」は頻発している。実数を調べてはいないが、親が自分の子供を殺す事件が、平均して全国では月に一件くらいは起きているような印象がある。殺される子供は、まだ小学校にも通っていない幼児であることが多い。親の暴力に抵抗する力もまだ持ち合わせていない子供たちが、自分の親から一方的にいじめられて殺されている。なぜ、こんな事件が起きるのか。

 この種の事件の背景については詳しくは報道されないことが多いし、記事になった場合でも、読み始めるとすぐに怒りがこみあげるだろうと予想してしまうので、自分はなかなか詳細を読む気にはなれない。推測でしかないが、以下にその背景を想像してみたい。

 周囲の人たちとの関係において、とかく自分の思い通りにはならない人生を送っている親が、そのストレスを唯一自分が所有し支配できる存在である自分の子供にぶつける。ぶつけることで「他人に支配されてばかりいる自分でも、人を支配することができる。支配し、その生殺与奪の権利を握ることができる。」ことに一種の満足感を味わうのではないだろうか。自分を頼る以外には生きるすべを知らない我が子は愛おしい存在であると同時に、自分の支配者としての力を試せる唯一の存在でもある。

 配偶者、同棲者、両親などの家族、職場の上司や同僚等々、他者から支配され自分の人格を認めてもらえないでいる親ほど、我が子を支配することで自分の力を再認識しようとするのではないか。その結果として、子供をつねる、叩く、食事を与えずに閉じ込める、冷水を浴びせる等々の虐待が段階的にエスカレートし、ついには死に至らしめる。

 親の虐待は子に遺伝するとはよく言われることだが、支配-被支配の人間関係も連鎖反応を起こすのだろう。この反応の連鎖の末端に、親の暴力に抵抗すらできない無力な幼児が位置している。

 この構図には、学校や職場でのイジメ問題と共通するものがあるのではないか。筆者の中学校時代の経験だが、中一の時のクラスの雰囲気はみな仲が良くて和気あいあいとしていたのだが、中三になるとクラスの中が荒れてその雰囲気が殺伐としてきた。

 体が大きく腕力のある生徒が、ひ弱で抵抗できそうもないタイプの生徒をことさらに侮辱したりイジメたりする、使い走りをさせる、というようなシーンが増えてきた。イジメる側は、特定の仲間をイジメることで自分の持つ力を再確認したいのである。ただし、現在ではクラスの大多数が集団で一人の生徒をイジメたり無視することが多いようだが、当時はイジメはあくまで個人間の問題であり、今のように集団化・陰湿化することはなかったと記憶している。

 このイジメの背景には中三に固有の進路決定の問題があったと思う。先生による生徒指導によって自分の意に染まない進路を選択させられた生徒ほど、或いは、家庭の事情で卒業後は進学せずに就職を強いられた生徒ほど荒れる傾向が顕著だった(1960年代後半のことなので、中卒の就職者はまだかなりいた)。自分がそれまで持っていた希望が消えて自信を失った人間ほど、他人を支配したがる傾向があるようだ。

 今の学校内の状況は詳しくは知らないが、行政担当者や先生方が、いくら「いじめはやめましょう」と叫んでみても、ほとんど効果はないだろう。学校などの大人社会、家庭、生徒間同士の中での、この支配-被支配の関係を和らげること、さらに「一度失敗しても、人生の中では何度でもやり直すことが出来る」ということを生徒自身に発見してもらうことでしか、このイジメ問題を解決することはできないように思う。

 最近話題になることが多い母親による娘への過剰支配も同じ構図だろう。夫や社会から相手にされなくなったと感じた妻は、自分の唯一の希望を娘に託し、娘の生活の全てを支配しようとする。次の事件は、その傾向が極限に達した地点で起こった悲劇の一例である。

「9浪して医学部受験 追い詰められた女子生徒はなぜ母親を殺害したのか」

 この女性は、母親を殺害する瞬間までずっと自分の自由意思を封じられて来たという点で、既に実質的に母によって殺され続けてきていたと言ってもよいだろう。母を殺したことで、はじめて自分の人生を生きられるようになったというのは悲劇と言うほかはない。この事件が我々に教えることは、あまりにも多い。

 

(2)プーチンによる「子殺し」をどうやって止めるのか

 さて、突飛な話と思われるかも知れないが、この日本の「子殺し」や「イジメ問題」と、プーチンウクライナ戦争の間には共通点があるのではないだろうか。

 よく記事に書かれているように、1991年の旧ソ連の崩壊はプーチンにとっては大変なトラウマだった。1952年生まれのプーチンは筆者よりも若干年上だが、ほぼ同世代と言ってよい。1957年の世界初の人工衛星スプートニクの成功、1961年のガガーリンによる人類初の宇宙飛行は、当時子供であったプーチンにとっては大変誇らしい成果だったろう。また1962年にはキューバ危機が発生して人類は全面核戦争の瀬戸際まで行ったが、これは同時にソ連アメリカと肩を並べる超大国になったことを示した事件でもあった。

 このように自分の国に強い誇りを持ちながら成長し、成人後にはソ連国家機構の根幹を支えるKGBの一員になったプーチンにとって、ソ連の突然の崩壊は、それまで心の中に築いてきた自身と国家とへの誇りとが一瞬にして失われた瞬間であったに違いない。心の中に空いたその穴を埋めるものとして、欧米への憎しみ、復讐心が湧き上がって来たのも、ある程度は当然なのかもしれない。

 プーチンにとっての欧米諸国は、自分が幼少期から持って来ていた誇りを傷つけ侮辱する存在である。しかも自分の国はかっては弟分だった中国には経済的にとっくに追い抜かれ、人口も減少してさびれていくばかりである。

 1991年までは身内の子分であった旧ソ連圏諸国の中には、バルト三国のようにいち早く西に向かって逃げ出した国々もいる。ウクライナは最も身近な存在の弟分であったのに、いつの間にやらバルト三国と同様に逃げ出しにかかっている。ぶん殴って鎖で家の玄関の柱に縛り付けてでも逃がさないようにしようというのが、今のロシアなのである。

 我が子を支配し、その自由を奪うことでしか自分の誇りを維持できない、かつ自分の力を再確認できない哀れな母親とロシアとは似たような立場の存在なのである。

 プーチン、子殺し途上の親、イジメる側の親分、娘に過干渉する母親にさらに共通するのが、対象とする相手の自由意思を一切認めないという点である。対象とされた相手にとっては、この状況は地獄でしかないのだが、迫害する側はその訴えを理解できない、もしくは意図的に無視する。相手を今の束縛状況に留めて置かなければ、逆に自分の自信が失われるからである。いったい、どうやったら、この状況を変えられるのか。

 日本国内の家庭問題やイジメ問題については、解決の道筋ははっきりしていると思う。問題の背景には、加害者自身が第三者からの迫害を受ける被害者となっているか、その事実が希薄でも、自分が誰かからの迫害を受けている被害者だと思い込んで(最近頻発している「通り魔的な無差別大量殺人」がこれに相当する)自分への自信を失っているという構造がある。この構造を変えていけばよい。

 グレていた少年が、得意なスポーツを見つけて熱中することで自信を取り戻し別人のようになった、というのはよくある話だ。子供を無意識にイジメてしまう女性は、自分を虐待している夫や同棲相手から逃げ出すことで改善する可能性があるが、この場合には経済的な問題が障害になりそうだ。

 いずれにしても、加害者と被害者が共に周囲から孤立したままでいれば、状況はますます悪化する。自分の攻撃的傾向をある程度自覚している加害者は、その状況についてなるべく第三者と相談しておくことも有効だろう。人に話すことで、自分が置かれている状況を客観的に把握できるようになる。

 自分が被害者側にいる場合にも、家族や友人、行政の相談窓口などの第三者に状況を伝え続けることは重要だ。加害者と被害者だけで周囲から孤立し、その関係がさらに煮詰まってしまうと、我が子の殺害、被害者の自殺、或いは加害者に対する致死的報復などという最悪の選択肢も可能性の中に入ってきかねない。

 プーチンには、言うまでもなく上に述べたような処方箋は全く通用しない。彼は「現代によみがえったロシア皇帝」であり、臣下のいうことなど、まして外国からの忠告などは一顧だにしないだろう。そう思ったのは、次に紹介する一枚の写真を見てからのことである。
「ロシアの安全保障会議」

 これは2/21にクレムリンで開催したと報道されている、プーチンが関係閣僚を集めて開いた会議の公開写真だが、プーチンと閣僚との間の距離が異常なまでに離れている。コロナ対策だとしても、必要な距離の何倍もある。

 この会議は、プーチンが絶対に侵すことのできない至高の存在であることを国民に見せつけるための儀式でしかないように見える。また。会議と称してはいるが、閣僚の意見を聞いて今後の方針を決める場ではなく、プーチンが各閣僚の忠誠心を採点する場と化してしまっている。まさに「皇帝と、それを取り巻く忠実な廷臣」が演ずる悲喜劇の一場面と言ってよいだろう。

 なお、次の記事によれば、この写真自体、2/21よりも前に撮影された可能性があるとのこと。プーチンは現在、ウラル山脈のどこかに隠れて指揮をとっているらしい。

「プーチン大統領は暗殺恐れウラル山脈に雲隠れか…身柄拘束には「懸賞金1億円」」


 プーチンが始めた戦争なのだから、プーチン個人の精神構造に関心が集まるのも当然だろう。ここ数日、プーチンの個人情報が続々と報道されている。その一部を示しておこう。
「プーチン大統領“実母”の秘密 当局が写真をすべて没収、取材しても放送できず」 
「プーチン大統領の正体 父は戦争の英雄、本人は最強の少年、宝くじ的中も」 


 二番目の記事には、「金日成が日本軍歩兵銃で米軍機を撃墜」したという話を思い起こさせるものがある。ロシア、中国、北朝鮮と、日本の周りにはなんでこんなに「皇帝好き」の国が多いのだろうか?

 どうやら彼の人生の多くの部分が、ウソで塗り固められた土台の上に建てらて来たものらしいが、こういう人物は、えてして自分でついたウソに自分自身が騙されるようになるものである。そういう意味では、現在の彼は、現実と自分の妄想とが混然一体となった、彼しか入れない世界を見ているのだろう。その点は第二次世界大戦末期のアドルフ・ヒトラーの状態によく似ている。

 子供の頃のヒトラー権威主義的かつ抑圧的な父親と激しく対立した。上級学校の成績も不良で中退を繰り返し、結局、正式に卒業したのは小学校だけであった。青年期には画家を志したが絵が下手で挫折。徴兵された第一次世界大戦では敵の化学兵器にやられて一時的に失明。青年期にこれほどまでに挫折を繰り返した人物も、そう多くはないだろう。その結果、彼は既存の体制の多くを、特に経済界に確固たる基盤を持っていたユダヤ人を激しく嫌悪するようになった。

 ヒトラーとは対照的に、プーチンはロシア国内では有数の大学であるレニングラード大学を出ているくらいだから学業成績は優秀だったのだろう。しかし、人生の半ばで強い挫折を経験した点はヒトラーと同様である。自分に敵対する人間を次々に殺害し、取り巻きにはイエスマンばかりを集め、外国からの批判は完全に無視する等々、今のプーチンは大戦中のヒトラーにそっくりである。

 「プーチン核兵器をたずさえて現代に再登場したヒトラーである」と思っておいたほうが無難だろう。

 ヒトラーは、最後には地下壕内でピストルを使ってエバ・ブラウンと共に自殺した。プーチンは既に戦争犯罪人として処罰されるべき資格を十分に持っているが、彼を追い詰め過ぎると、自殺する前に核のボタンを押して世界を道連れにする恐れが多分にある。外国勢が支援しての戦闘はあくまでウクライナの領土内にとどめ、プーチンの防衛本能を刺激するロシア本国への攻撃は控えるべきだろう。ロシア全体を兵糧攻めにして内部崩壊を待つしかない。

「プーチン氏「精神状態」分析 米情報機関の最優先課題に」

 幸い、中国や北朝鮮とは異なり、ロシアでは民主的制度が部分的にではあるがまだ機能している。筆者にはロシア人の知人は全くいないが、今までロシア人と交流してきた方には、引き続き正確な情報を数多く流していただきたい。ロシア国内で流れている情報は、既に官製のフェイク情報だけになっているらしい。

 プーチンの取り巻き連中も、いつまでも親分に着き従っていては自分の身も危ないことを悟る時期が近いうちにくるだろう。それまでは、ウクライナの人々やロシアの若者がさらに無駄に死んでいくのを見続けることになる。それがつらい。

/P太拝

「続・倭人の真実」の報告

 三日前の2/24以来、あまりニュースを見ていない。ロシアのウクライナへの侵略関連の記事を読むとハラが立って仕方がないからだ。それでも、昨日の渋谷ハチ公前に二千人が集まってロシアに抗議の声を挙げたという記事は嬉しかった。参加できる機会があれば参加したい。

 もっともいくら世界中で抗議の声を挙げたところで、鉄面皮の野蛮人、プーチンにはカエルのツラに何とやらだろうが・・。やはり、経済的に締め上げてロシア内部からの変革に期待するしかない。そう思っていたら、先ほど、「ロシアを国際間決済網SWIFTから排除決定」のニュースが入って来た。これで当面の間は、ロシアの輸出入の大半が実質的に不可能になるだろう。

 「ロシアを経済的に追い込むとますます中国寄りになる」との声もあるが、くっつきたければ勝手にくっつくがよい。領土拡張が国是の似たもの同士、そのうちに仲間割れが始まるだろう。

 そもそも、世界史の上では、誰もが移住したがらない国が長きにわたって繁栄した例はない。今のロシアに至っては、優秀な国民ほど先を争って欧米に移民している。後に残るのは、ロシア名物の酔っ払いと、プーチン一派に代表される犯罪者集団だけになるだろう。

 さて、今回の本題は、昨年10/30に開催された県主催のシンポジウム「続・倭人の真実」の参加報告です。この間、コロナや風力発電問題にずっと関心が向いていて、なかなか手をつけてはいませんでした。

 先週の2/17から約一週間にわたって鳥取市内では雪が降り続き、県東部のオミクロン株新規感染者数も増加の一途。感染は極力避けたいので、外出もほとんどせずに家にこもってばかりいました。そのおかげでというのか、溜まっていた課題はある程度は片付けることができ、この報告もそのうちのひとつです。だいぶ時間がたって記憶も薄れてしまいましたが、当日の配布資料とメモとから内容を再構成しました。

 なお、先回のシンポジウムの開催は2019年3月でした。その時の参加報告も当ブログに掲載していますので、ご参考まで。

 

シンポジウム「続・倭人の真実」

日時:2021/10/30  於 とりぎん文化会館鳥取市)小ホール

 定員200名で、それを越えた場合にはオンライン参加になるとのことだったが、リアルの会場で参加できた。会場にはまだ若干の空席があった(コロナ対策で席の間隔を空け、事前予約者に席を指定しての開催)。参加者にはやはり年配の方が多かった。

(1)講演

 講師の三名の方は、いずれも二年前の前回(2019年3月開催)にも参加されている。以下、講演の概要。

① 「弥生時代研究の変革-ヤポネシアゲノムと考古学-」 

  藤尾慎一郎(国立歴史民俗博物館

 まず、弥生時代のゲノム(遺伝子)の変遷について。

 BC 1000年 弥生時代が始まる。(=水田耕作の開始)
 BC 600  福岡と名古屋で渡来系の人骨が初確認される。
   BC 400  北九州の甕棺(かめかん)では人骨の99%が渡来系。
   AD 200  青谷上寺地では人骨のほぼ100%が渡来系

 各地の遺跡で出土する土器の様式とゲノムの間には相関があると思われる。以下、その例。

・弥生前期後半(BC850頃)には縄文系の祭祀具が水田遺跡から出土し始めた。これは縄文系の人々が水田耕作に参加し始めたことを示しているのだろう。この頃に弥生と縄文のDNAの混交が始まったのではないか。

・BC 700~650の鳥取平野の古海遺跡では縄文系の土器(古海式)が圧倒的、佐賀の吉野ケ里も同様。

・弥生中期(BC700~)以降は縄文系と弥生系の土器が互いに混じり合うようになった。DNAも同様だろう。

まとめ:「西日本各地の水田稲作開始期には、DNAを異にする渡来系水田稲作民、在来系採集・狩猟民と、未確認だが在来系水田稲作民をも加えた多様な人々が存在して、その後の倭人形成をスタートさせた。」

 

② 「青谷上寺地遺跡出土人骨から何が見えてきたのか」 

  篠田謙一(国立科学博物館

「出土した人骨の特徴」

・かなり多くの頭蓋骨が焼かれている。今回は29個体を観察したが、そのうち27個体については焼かれたことが確実か、焼かれた可能性が高い。軟部組織が残存した状態で、頭蓋骨全体ではなく、その一部が比較的低温(600~800℃)で焼かれている。

・頭部や四肢の骨には殺傷痕と思われる鋭利な傷跡もあるが、ひっかき傷のような解体痕も認められる。

・全109体(推定)のうち、成人三体、幼児二体が結核に罹患していた。

 

ミトコンドリアDNA」

・36サンプル中32個体について解析できた。既に前回に報告したように、このうち縄文系であることを示すM7aタイプは1個体のみであり、残りは渡来系のタイプであった。

・渡来系のハプロタイプは多様であり、その中で同じ母系に属することを示す同一タイプは2組、4個体しかなかった。これは、この青谷の集団は母系でつながった集団ではなくて、様々な出自を持つ人間の集まりであったことを示している。

 

「核ゲノム」

・13体について全ての染色体遺伝子を読みだす核ゲノム解析を行った。10体が男性、3体が女性だった。

・男系を特定できるY染色体ハプロタイプは、ミトコンドリアのタイプとは異なり在来の縄文人に由来するタイプが多かった。前回の段階では4体中3体が縄文系のC1とDだったが、現時点で解析を終えた8体中の5体が縄文系、3体が渡来系だった。

 

「ヒトゲノム(SNP)の他地域との違い」

・下の図-1に青谷上寺地のゲノムデータと東アジア各地・各時代のデータとの違いを主成分分析という手法によって示す。

・東アジアの現代人の大陸集団は地理的分布と同じ順序で並んでいるが、縄文人はこれらからは大きく隔たっている。現代日本人は縄文人と大陸集団との中間に位置し、さらに現代韓国人は現代日本人と現代中国人との間に位置している。

・青谷上寺地の人骨のゲノム分布は現代日本人のそれとほぼ重なる。また、安徳台の弥生人は従来は渡来系とされて来たが、縄文人の要素を青谷と同程度含んでいる。さらに、下本山のように従来は縄文人の直系子孫とみなされて来た西北九州の弥生人も、弥生中期にはかなりの割合で渡来系の要素を含んでいた。一方、東北地方の弥生人は、この時代にはまだ縄文人と同一とみてよい。

・弥生以前の時代の韓国の獐項遺跡も縄文人の要素を含んでおり、現代韓国人よりも縄文の要素が強い。これは縄文人朝鮮半島まで広く分布していたとするよりも、縄文人の祖先が大陸沿岸を北上する過程で、その遺伝子が朝鮮半島にも残ったと考える方が理解しやすい。

図-1 SNPデータを用いた主成分分析(当日の配布資料から転載。図はクリックで拡大、以下同様。)

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安徳台:福岡県那珂川市の弥生中期の遺跡
下本山:長崎県佐世保市の弥生中期~後期の遺跡
大友 :佐賀県唐津市の弥生早期の遺跡
獐項 :韓国釜山市 日本の縄文時代(BC 4300年頃)
Devil's gateアムール川下流域 (BC 5700年頃)

「今回、顔を復元した8号男性について」

・ゲノム全体としては若干縄文側に寄っている。母系は渡来系。父系は縄文系でY染色体はC1a1。

・脳が残っていた3個体の中では最も多く脳が残っており、受傷痕もある。

・30代半ばくらいで亡くなっている。

 

③ 「青谷上寺地遺跡出土人骨の時代背景」 

  濱田竜彦 (鳥取県地域づくり推進部)

 

「大量人骨が埋められた時期」

・大量の人骨の中の三個体(No.9,15,23)については、二世紀に埋められたことを炭素14年代測定によって既に確認済。

・大量人骨は個体ごとにはまとまらずにかなり混じり合っており、埋められる段階ですでにかなりバラバラの状態であった。

・人骨が埋められた後、再び掘り返された形跡はないと判断される。

・人骨と共に土器の破片も埋まっており、この土器の形式は弥生時代の二世紀第三四半期(AD150~175)と推定される。従って、大量人骨もこの時期に埋められたのだろう。

・この二世紀第三四半期は青谷上寺地が最も賑やかな頃であり、花弁高坏に代表される極上の木製品が生産されるなど、貴重な交易品が列島各地や海外との間で交易・流通していた時期でもあった。当時は各地から様々な人が青谷を訪れていたのだろう。さらに、この時期は魏志倭人伝にある「倭国大いに乱れる」時期ともほぼ一致しているようである。

「大量人骨の状況、発生理由」

・受傷した人骨は全推定個体数の一割弱に過ぎず、この大量人骨の大部分は争いの犠牲者のものとは思えない。

・一斉に殺されるにしては、推定で109人と人数が多すぎる。占い、祭祀等の結果で埋められたのではないか。

・死亡時の年齢分布は、女性は20才以下、男性は成年~熟年。

・当時は「持衰(じさい)」という名の航海安全の祈祷者が船に同乗していた。航海が成功した場合には多額の報酬を受け取るが、失敗した場合には持衰と共にその家族も含めて皆殺しとなることもあったらしい。殺された人骨の中には、このような役目の人が含まれていた可能性がある。
「古代の航海は命がけ!「魏志倭人伝」に見る安全祈願の奇習「持衰(じさい)」を紹介」

米子市淀江妻木晩田遺跡の最盛期も二世紀第三四半期であり、青谷上寺地の最盛期に一致する。妻木晩田遺跡からは中国後漢製の鏡、朝鮮半島や九州北部で製作された鉄斧、山陽地方や近畿北部の土器などが出土している。青谷上寺地には、これら各地の勢力の間を行き来して仲介する人々がいたのかもしれない。

 

(2)パネルディスカッション

 上記の講演者三名に、進行役として清家章氏(岡山大 大学院教授)が加わってパネルディスカッションが始まる。なお、以下はざっとメモした内容であり、書くのが間に合わずに抜けている部分も多い。

藤尾: BC10世紀に水田稲作が伝来、BC6世紀までに伊勢湾以西の西日本一帯に広がった。

篠田: 弥生初期のDNA分析可能な人骨がまだ出てこない。韓国では様々なDNAのタイプの人骨が分布している。

藤尾: 愛知県ではBC5世紀ごろから縄文系と弥生系の土器の融合が始まった。これは渡来人と縄文人が同じ村に住むようになったことを示している。韓国の洛東江上流の土器と北九州の土器はよく似ている。また韓国全羅道の石剣が日本でも出ている。

濱田: 山陰で最も古い弥生式土器は出雲平野のもので弥生初期。その近くには縄文式土器を作っている集落があった。関門地区(山口県)の弥生文化を取り入れた人たちが出雲に来たと思う(BC8世紀頃)。

篠田: ミトコンドリアDNAのタイプが多いのは、青谷だけではなくて山陰全体の傾向なのかもしれない。地理的に韓国から多くの人が入って来たためではないか。

濱田: AD3世紀に中国と朝鮮の土器が青谷からも出ている。半島南部のヌクト式土器も青谷から出ている。少数の渡来人が青谷にきていたことは確かだろう。また妻木晩田にも渡来人は来ていた。

藤尾: BC3~4世紀に九州北部で青銅器の生産が始まるが、そこでは韓国の土器しか出てこない。

篠田: 韓国でも中国でも、DNAは時代と共にどんどん変わっているので、現在のDNAだけで判断するのは要注意。古代のDNAデータが必要だが確認例は少ない。

濱田: 青谷上寺地は約800年間続いたが、県内ではこれほど長く存続した集落は他にはない。人骨に関しては10体に受傷痕があり、被害者の左側または背後から攻撃されている。そのうち、傷が治りかけているのは一点しかない。なお、受傷痕があるからと言って、直ちに「倭国の乱」に関連付けるべきではない。

篠田: 結核に関していえば、その影響が骨にまで残るのは相当の重症。他の個体も感染している可能性はある。

清家: 関東に多い再葬墓との関係はどうか?

→ 藤尾: まだよくわかってはいない。

濱田: 弥生後期には、集落のそばに埋葬している例は多くない。妻木晩田では一般人の墓は見つかっていない。

篠田: 現在のコロナ禍に関係づけるのではないが、疫病流行が大量殺害の原因となった可能性はあるのかもしれない。我々の今までの調査では、DNAを「浅く」読んだだけであり(筆者注:重要なポイントだけを読んだという意味)「深く」読んではいない。詳しく読めば個人の病歴や先祖の系統までも知ることができるが、そのための費用は現在は一体につき数百万円はかかる。将来的にはもっと安価になるとは思うが。

/終了


(3)講演を聞いての感想

 以下は、今回の講演会を傍聴しての筆者の個人的な感想。

① 「父系と母系の縄文系の比率の差」

 ディスカッションの後で会場からの質問をいくつか受け付ける時間が設けられ、その中にこの件に関する質問があった。篠田氏が回答されたが、「その理由についてはまだ明確ではない」とのことだった。以下、気楽な素人の立場で勝手な妄想をふくらませてみたい。

 現代日本人のミトコンドリアハプロタイプの比率は、以下のサイトで知ることが出来る。この中の「日本人のハプログループ」の節の円グラフ(篠田氏によるもの)を見ると縄文由来のM7aとN9bは合計で9.6%。現代の日本人(男女全て)のうちの約一割が縄文系の母系に属していることになる。

「ミトコンドリアDNAのハプログループでたどる日本人のルーツ」
 
 現代日本人のY染色体ハプロタイプの比率については、平均的な値を示す文献がなかなか見つからない。縄文人に特徴的なDとC1とを抜き出してみると、以下のようになる。
「ハプログループD1a2a (Y染色体)」
「ハプログループC1a1 (Y染色体)」

 地域によって差はあるが、平均すれば現代日本人男性の四割弱が縄文系の父系に属しているとみてよいだろう。

 さらに、最近は縄文人の人骨の全ゲノム解析結果も続々と発表されるようになってきたが、その結果によると現代日本人の持っている全ゲノムのうちの一割~二割程度が縄文人由来の遺伝子とのこと。
「縄文人」

 以上が現代日本人のゲノム中での縄文系ゲノムの比率に関するデータである。これに対して青谷上寺地での縄文系の比率は、ミトコンドリアで1/32=3.1%、Y染色体で5/8=62.5%である。現代の比率と同様に父系では縄文系が優勢だが、男女間の差がより大きくなっている。
 ヒトの一世代を平均で30年とすれば、BC1000年に水田稲作と共に渡来人が九州に上陸して以来、青谷上寺地で約40世代、現代では約100世代が経過している。この間に我々の御先祖様がこの列島の中をくまなく歩き、行く先々で結婚して子供が生まれ、ゲノムはさらに混じり合っていったのである。

 渡来人が来てから40世代も経っていれば、青谷で既に相当程度にまで縄文系と渡来系が混じり合っていても不思議はない。ただ、その混合度の男女差がこの時代の平均的な値だったのか、青谷だけが特異だったのかはまだよくわからない。他の地域での発見を待つしかない。

 さて、いったいこの男女間の混合度の違いはいったい何に由来するのだろうか?筆者の頭に最初に思い浮かんだのが「性淘汰」説だ。この説の最初の提唱者は、進化論を唱えたあのダーウィンである。

 性淘汰の一番わかりやすい例がクジャクの雄だろう。雌が好むからこそ、あのように派手で、かつ、飛びづらく天敵には狙われやすい姿に進化(?)した。ちなみに筆者は、自分の愛車(軽自動車)を運転していて高級スポーツカーや高価な外車を見かけると、クジャクの雄のムダにハデな羽根を連想してしまうのである。「移動するだけなら、軽で十分じゃねえか?!」と。(軽ドライバーのヒガミ?)。

 いつの頃からかは知らないが、日本には古くから「東(あずま)男に京おんな」という言葉がある。縄文系は東日本に多く、その一方で、渡来系の分布の中心地は、各時代の政権が置かれ続けてきた近畿地方で間違いはないのである。また、平安時代を描写した絵巻物から江戸時代の浮世絵に至るまでに見るように、美人の条件として「引目鉤鼻」が挙げられる時代が長く続いて来た。

 新モンゴロイドとも呼ばれる渡来系だが、縄文系などの古モンゴロイドに比べれば、顔つきが子供っぽい、体長に比べて手足が短い等々、明らかに「幼形成熟(ネオテニー)」の特徴を持つ。実年齢よりも幼く見える女性が男性にとってはより魅力的に見えた結果(古代にもロリコンは多かった?)、新モンゴロイドが誕生したとの説があるくらいだ。この列島に渡来系女性が到達したのちにも同様な選択が続いたとすれば、母系の大半を渡来系が占めている現状の説明は容易だろう。

 一方、男性については、イケメンの基準は昔から現代まであまり変わっていないようにも見える。平坦ないわゆる「ショウユ顔」よりも、彫りの深い「ソース顔」の方が長年にわたって好まれて来た結果が、Y染色体に縄文系が四割残存という現状をもたらしたのではなかろうか。

 さて、女性については、明治以降は西洋の影響が大きくなり、美人の条件がそれまでから大きく変わった。現代の日本では眼が大きく顔の凹凸がはっきりとした、ハーフっぽいタレントが好まれる傾向にある。そのことは女性タレントに沖縄出身者が多いのを見れば一目瞭然だろう。

 ただ、自分の眼が小さいからと言って心配することはない。過去の歴史に見るように、顔立ちの流行などは十年単位で大きく変わるものである。特に欧米系の男性には眼の小さいアジア系女性を好む傾向がかなりあるようにも見える。

 話がさらに脱線するが、ダチョウと同じ鳥類でも、日本に住むカルガモやスズメのように♂と♀の姿がほとんど同じという種類もいる。彼らがどのようにして繁殖相手を選んでいるのか、そのやり方がクジャクとはどう違うのかという点が気になるところではある。

 現代の人類でも、ユニセックスと言うのか、男と女の姿形の境界があいまいになりつつあるのは確かだろう。たまにテレビを見ると「この人は、男、女、どっち?」と頭をひねる機会が増えてきた。ファッションも同様で、最近は街を歩いていても、後ろ姿だけでは男女の区別がつかないことが多い。1990年までのバブル期にフェラーリなどの高級外車を乗り回して自分の存在を誇示していた男性層も、収入減のせいもあるが、最近はめっきりと数を減らしたようである。

 この傾向は約十年前まで筆者が仕事でしょっちゅう滞在していた中国でも同様で、当時からすでに外見的には女性的な感じがする男性ほど若い女性に人気があるように見えた。今回の北京五輪では、フィギュアの羽生選手の行く先々に常に中国の女性ファンが殺到していたそうだが、これもこの傾向の一例なのだろう。

 その一方で中国の若い男性には、とかく自分のマッチョな姿を誇示したがる傾向があるが(夏になるとTシャツの袖を肩までまくりあげる、頭髪は短く刈り上げる等々)、こういうタイプは概して女性にはモテないようであった。なお、学歴が低い層ほどこのタイプが多いようにも見えた。

 余談だが、中国の都会や空港で長髪の東アジア系男性を見かけたら、その全てが日本人か韓国人であると言ってよい。長髪の中国人男性など、ほぼ存在していないからである。日本と違って、中国ではフェラーリ愛好家は今後も消滅はしないのかもしれないが、今の習近平時代が続く限りは、せっかくのフェラーリも車庫で眠っていることが多くなるだろう。

 この性淘汰説はヒトの美醜評価にも関係するセンシティブな内容なので、専門家がうっかり言及してしまったら即炎上しかねない。講演会の当日、篠田先生がこの種の質問をうまくかわされたのもやむを得ないことなのかもしれない。

 さて、この縄文系の比率の父系と母系のアンバランスの理由としては、性淘汰以外にもほかの理由も考えられる。

 現時点での縄文系の全ゲノム比率が1~2割と少ないのは、渡来系がもたらした水田耕作という生業が渡来系の繁殖率を狩猟採集の縄文系よりも有利にしたという点が寄与しているのだろう。以前には渡来系が累計で百万人程度は来たのではとの説もあったが、現在ではそこまでの大量の渡来はなく縄文系に比べて繁殖率が高かったからだという説が主流のようだ。

 ただ、これだけでは、父系と母系のアンバランスの説明にはならない。渡来してしばらくの間は渡来系の男女同士がペアになることが続いただろうから、父系の渡来系の比率も母系と同様に増えなければならないはずだ。

 さらに踏み込んで考えてみると、水田耕作という生業が弥生系母系と縄文系父系に対して特に有利に働いたという仮説もあり得るのかもしれない。ただし、XとY染色体を除いた残りのヒト染色体22対は、世代交代のたびにトランプのカードの如くシャッフルされて混じり合うので、これらは男女間の差には寄与しない。

 Y染色体はほぼ性的機能しか持たないとされているので、問題はX染色体によって生じる生理活性、また、それが一本の場合と二本の場合でその効果がどう違うのか、さらに渡来系と弥生系の間でX染色体の機能がどれだけ違うのかという点に絞られる。この問題については、医学・生理学の専門家の検討に期待するしかないだろう。


② 大量人骨発生の背景

 この大量人骨の問題こそが青谷上寺地遺跡における最大の謎に違いない。濱田氏が講演の中で述べられたように、百名を越える人々が一度に殺され、その遺骸が一斉に溝中に投棄されたとは考えにくい。この問題を考えるうえでの大きなカギは、「埋められる時点で既に骨がバラバラになっていたこと」と「骨の一部、特に頭蓋骨が部分的に焼かれていたこと」にあると思う。

 ちょうど、県立図書館で最近借りた「倭人への道」(吉川弘文館、中橋孝博(九州大学名誉教授)著 2015年発行)という縄文・弥生時代の人骨に関する本を数日前に読んでいたら、かなり興味深い内容が載っていた。

 中橋先生は医学部出身で古人骨鑑定の専門家であり、2007年から中国山東省の青島市の遺跡でBC4000年頃の人骨の調査を行ったとのこと。その遺跡では、数百体以上もの大量の人骨がかなりバラバラになった状態で埋められていたそうである。しかもその中には、まだ有機物や水分が含まれている状態のまま焼かれた骨も混じっていたとのこと。これは、どこか別の場所でいったん埋葬した遺体を再び掘り出して、骨の一部を焼き火葬した上で再びまとめて埋めたことを示している。

 この方式を二次葬と呼び、中国でも日本でも特に珍しい葬儀方法ではない。ただし中国では火葬については儒教の影響で現代近くまで強く禁忌されており、古代の火葬例の発見自体、大変に珍しいそうである。

 なお、この遺跡に埋められていた人骨自体は、顔の特徴は弥生渡来人によく似ているものの、頭蓋骨や歯の大きさなどは渡来人とは相当異なっていたとのこと。弥生人渡来よりも二千年も前の人骨だから違っていて当然なのかも知れないが、縄文期の温暖化のピークであった当時、この遺跡がある山東半島の南側にまで水田稲作が到達していたことは記憶しておくべきだろう。

 この二次葬について、もう少し調べてみた。再葬または複葬 とも言い、沖縄ではその際に海水で骨を洗う洗骨という風習が戦前までは広く行われていた。再葬墓弥生時代には中部から東北地方にかけて広く見られたが、近畿以西では確認されていない。また、東日本の再葬墓では青谷と同様に骨を焼いた事例が数例確認されているが、再葬墓では骨は壺に入れて埋葬されており、青谷のようにむき出しのまま骨が埋められた例はないらしい。

「弥生時代の再葬制」

 いずれにしても、この青谷の大量人骨は、一度別の場所に埋葬されていた遺骸が再び掘り出され、一部の骨を焼くなどの何らかの宗教的・呪術的処置を施されたのちに、溝に投棄されたものである可能性は高い。三個体の頭蓋骨の中にまだ脳が残っていたという事実は、最近殺害されてまだ埋葬されていなかった人たちの遺骸もその中に含まれていたことを示しているのではないか。

 死者に対する敬意があれば再葬墓のように壺に入れて丁寧に埋めたのだろうが、そうでない所を見ると、死者への敵意を持っていたか、少なくとも死者への関心が薄かった集団による行為のように思う。

 次に、この大量人骨発生の背景を考える上でのもう一つのカギとして、「人骨の構成年齢が特定の年齢に偏っている」という事実が挙げられると思う。濱田氏は講演の中で「死亡時の年齢分布は、女性は20才以下、男性は成年~熟年」という事実を強調されていた。仮に疫病で死んだ人々の人骨を集めたならば、このように偏った年齢構成にはならなかっただろう。また、集落の一般的な人々の墓を掘り起こし骨を集めて再び投棄した場合にも、その年齢構成は多様な老若男女の範囲内で幅広く分布したはずだ。

 濱田氏は、重要と思われる点をさらにもう一点指摘されている。当時、「持衰(じさい)」という名の航海安全の祈祷者が存在していたことについての指摘だ。この文を書いているうちに気になってきたので、持衰についてあらためて調べてみた。

 以前購入したものの、ざっとしか読んでいなかった「日本の古代 第一巻 倭人の登場」の中にそれに関係していそうな記述があったので、下に概要を示しておこう。なお、筆者は門外漢なので詳しくは存じ上げないが、この部分を執筆された故大林太良氏は、日本の民俗学を代表する高名な研究者だったようだ。

「東南アジアの航海民におけるタブー」:「日本の古代 第一巻 倭人の登場」 森浩一編、執筆 中公文庫 1995年 P307 

 「航海のとき、居残った特定の人物が厳しいタブーに服することは、マルタ(マラッカ)諸島(筆者注:おそらくモルッカ諸島のこと)にその例が多い。・・帆船が航海に出たとき、ふつうは一人の少女が陸上に残っていて、航海がうまくいくかどうかは彼女の責任とされる。彼女は帆船とほとんど同一視され、村人たちは彼女の様子を見て航海がうまくいっているかどうかを判断する。船が航海に出ている間は、彼女は働くことも、歌うことも、遊ぶことも禁じられている。特に家から外に出ることは厳禁されている。この少女が病気になると船に悪いことが起き、彼女が死ぬようなことがあると船は沈んでしまう。逆に船が不幸に会うと、彼女がタブーを破ったからだとされ、彼女だけが責任を負うのである。」


 青谷の人骨では、男性は成年から熟年の範囲にあり、航海者としては最適な年齢にあったと言ってよいだろう。女性は主に20才以下だから、これも集落に留まって航海者の安全に責任を持たされた少女の年齢に当たる。青谷から出た人骨は、男女ともにこの航海者のタブーに関係する年齢層に集中しているように見える。

 もう一つ、沖縄の海辺の集落での男女の役割について述べている資料を見つけたので、抜粋して下に示す。ここでは集落に留まる女性に必ず守るべきタブーがあるかどうかは不明だが、彼女には海に出た兄弟の安全に対する責任が課せられる。その点については上の例と同様なのである。

 

沖縄の「おなり神」の風習:wikipedia 「おなり神」 

 「古来、琉球では女性の霊力が強いと考えられており、神に仕えるノロやシャーマンであるユタも女性だった。・・・おなり神(妹)の霊力はえけり(兄)が集落を出て離れている時に最も強くなると信じられており、その事から、男が漁労、旅行や戦争に行く時は、妹の毛髪や手拭をお守りとして貰う習俗が長く続き、現代も一部に残っている。・・・おなり神信仰において、兄と妹の関係性は別格とされる。既婚者の男性を霊的に守るのも伴侶である妻ではなく妹と考えられており、近世までは既婚者に大事があった場合でも、その妹が呼び出されて祈念を行うということがよくあったという。」

 沖縄では、11世紀後半から始まるグスク時代に、九州から大量に和人が移住してきたことが人骨の形態分析等から明らかになっている。この記事の内容によると、上記の沖縄の風習の基本形は、グスク時代以前の貝塚時代から連綿と継承されてきたらしい。さらに、この兄弟が執行者で姉妹が祈祷者という関係は、青谷上寺地と同時期に存在した邪馬台国の政治体制にもつながる要素が認められる。

 航海民の移動範囲は、陸上だけに住む我々から見れば驚くほど広い。沖縄糸満の漁民は、サバニという長さ10mに満たない帆かけの丸木舟に乗って、沖縄から日本本土までをやすやすと往復していたそうである。インドネシアの風習が島づたいに沖縄まで伝わったとしても、それがさらに青谷にまで影響を与えていたとしても不思議はない。

 また、現在のインドネシア人の大半はオーストロネシア語族に属するマレー系言語を話すが、BC4000年頃に台湾から始まった同語族の拡散は、現在は太平洋全域、さらにはアフリカ東岸のマダガスカルにまでも広がっている。この東南アジア航海民のタブーは、同語族が台湾に居た時代にすでに成立していた可能性も考えられる。

 さて、「航海民のタブーに関係する人々が、青谷の大量人骨の主要を占めていたのでは」というこの着想は、現段階では憶測の域を出ない。これをより確かなものとするためには、以下のようなステップを踏む必要があると思う。

(a) 青谷で既に出土している人骨を、さらにより詳しく調べることで、各個人間の関係、病歴、働き方、食生活などがより明らかになって来る。ゲノム解析の手法のレベルも、今後はより精密に、かつ安価になっていくことは確実だろう。また、文献上の国内外での焼骨例と比較することで、青谷での焼骨の意味が見えてくるのかもしれない。

(b) 現在までに青谷上寺地で発掘された領域は、想定される集落全体の範囲の一部でしかない。今すぐには難しいのかもしれないが、今後さらに周辺の発掘を進めていくことで、集落の構成人員やその生業などの全体像が見えてくるだろう。特に、墓地が発見されれば、集落の一般の人々と大量人骨となった人々との違いが明確になる可能性はある。

(c) 国内外の他の海辺の遺跡でも青谷と同様な年齢構成の大量人骨が出てくれば、その集団と青谷との比較が可能になる。ただし、青谷でこのように大量の人骨が残っていたこと自体、既に奇跡的なので、他の地域での同様な発見はあまり期待できないのかもしれない。

③ 顔を復元した男性像

 既に何度か報道された、顔を復元した男性の像だが、当日は会場入り口の脇に展示されていた。時間が無く、周りに人が密集していたこともあり、筆者は離れた所から少し眺めただけだったが、しっかりとした顔立ちが印象に残った。かなりハンサムなほうと言ってもよいのかもしれない。当時も割と人気を集めていた男性ではなかろうか。下に当日配布された資料に載っていた写真と説明とを転載しておこう。

図-2 8号男性の復顔像(当日配布資料より転載)

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 上の(1)の篠田氏の講演のところで既に示したように、30代半ばで受傷痕があり、脳がよい状態で残っていたとのこと。このことから、この男性は殺害されてからあまり時間がたたないうちに埋められたものと推測される。

 何が原因で殺されたのかは空想の範囲内でしかないが、こうして復元された顔を見ていると、この人の死に対する哀れみ、同情、彼の人生に対する共感のようなものが自分の胸の中に湧いてくる。単なる無機質でしかなかった骨の塊りが、その顔を復元しただけで、こちらから話しかけてみたくなるような対象へと変貌する。我々の心の動きというのは実に不思議なものだ。
 今後、県は女性の顔の復元像も作る予定とのこと。その成果を見るのも今後の楽しみのひとつとしたい。

/P太拝

ロシアのウクライナ侵略

 昨日、ついにロシアのウクライナへの侵略が始まってしまった。

 このロシアによるウクライナ侵略。何やら、今回の新型コロナウィルスによる死亡の主要原因とされている、サイトカインストーム(自己免疫の暴走)に共通するものがあると感じる。

 感染症が体内に侵入してきた場合、体内の免疫系が外敵のウィルスなどに反応して、自分の組織を防衛するためにサイトカインという低分子蛋白質を放出する。しかし、免疫系が過剰に反応し過ぎてサイトカインの放出量があまりに多量になると、サイトカインによる自分自身の細胞への攻撃が始まって体内各部での炎症を引き起こす。その結果、最悪の場合には死に至り、そうならない場合でも長期にわたって後遺症に悩まされることになる。

 現在のロシアも、NATOの東方進出に過剰に反応するあまりに、自分たちに一番似ている国家であるウクライナへの攻撃を始めてしまった。長い目でみれば、これがロシアという名の国家の解体の始まりとなるのかもしれない。

 少し離れた日本から今までの経過を見れば、ロシアが今までのメンツを捨ててその軍事力を徐々に削減してさえいれば、今のように東欧諸国がNATOに先を争って加盟する事態にならなかったことは確かだろう。ロシアの実像とは、実は鏡に写った自分の姿にすら過剰に恐れる臆病者なのだろう。このような過剰な防衛反応の反動から即暴力的侵略へと走るような国は、世界全体にとっては迷惑でしかない。ロシアの現政権の速やかな消滅を望みたいが、その過程の中でロシア国内と他国での犠牲者が増えることがあってはならない。

 何でも暴力で解決しようとする、無能かつ野蛮な旧人類のナルシスト、プーチンとその一派に対しては、当面は経済制裁で応えるしかなかろう。暴力に対して暴力で応えれば、双方の犠牲者がさらに増えるからだ。暴力で他国を脅すことしか考えていない独裁国家には一円も渡すべきではない。渡したカネがミサイルに姿を変えてこちらに帰って来かねない。

 希望が持てるのは、ロシア国内でさっそく戦争反対のデモが始まったというニュースだ。これが北朝鮮や中国だったら、デモのために人が集まることすら不可能だったろう。今後のロシア内部での変革に期待したい。

 最近になって、ロシアと日本との貿易内容を調べてみた。ロシアからの輸入の大半が石油、天然ガス、鉱物資源、木材などであった。我々一般人が不買運動できるようなものは酒のウォッカくらいだろうか(昔はともかく、最近はロシア製のウォッカを飲んだ記憶は全くないが)。ロシアに出資して石油や天然ガスを購入している商社の三井や住友には、日本政府からロシアに対する出資の見直しを働きかけるべきだ。

 日本からロシアへの輸出は主に自動車や機械である。これらの輸出規制は当然実施すべきだが、肝心なのは半導体の輸出停止だろう。以前調べてみたことがあるが、ロシアの半導体生産量は旧ソ連時代も含めてほぼゼロだった。ロシア製兵器に使う半導体は、そのほぼ全量を輸入に頼っているとみてよいだろう。

 ロシアにミサイルや戦闘機をさらに作らせないためにも、国際間で協調してロシアへの半導体輸出をゼロにすべきだ。そうなれば、当然、ロシアは中国などの友好国からの迂回輸入を始めるだろうが、これは昔のココムのように使用目的を厳正に管理した上で輸出を認めるようにすればよいだろう。

/P太拝

漫画「夜回り猫」の紹介

 一昨日から北京五輪女子フィギュアのドーピング問題でネット上は大荒れ状態。国がナショナリズムをあおればあおるだけ、そのぶん不幸な国民が増えるという実例でしょう。

 五輪が終わったらロシア軍のウクライナへの侵攻が始まるという観測もあるが、絶対にそうならないことを祈りたい。前途ある青年たちが、一独裁者の国威発揚という単なる見栄によってたくさん死んでいく姿は見たくない。まさに、「自国民を奴隷化するロシアというシステム」にほかならない。ロシア以外にもこのフレーズに付け加えたい国はあるが、今はやめておきましょう。

 さて、しばらく硬い話題を続けたので、今回は気楽な話、漫画の紹介です。数年前から朝日新聞系のwithnewsというサイトに「夜回り猫」という漫画が月に一回くらいの間隔で掲載されています。

 この漫画を読みたいがために、時々withnewsをのぞいていましたが、最近、元々の連載サイトを見つけました。今までの全ての「夜回り猫」を読むことができるようです。現在までに775話までを発表済。元々は週に二回くらいの割合で連載されて来たみたいです。
「夜回り猫」


 あちこちをのぞいて、好きな話を楽しんでもらえばよいと思います。以下は筆者の個人的感想。

・たくさんの人物?(主に動物)が登場しますが、一番好きになったキャラクターは「ワカルちゃん」。他人のグチを聞くたびに「わかりますー」と言う口癖からこの名前になったようです。あまえん坊で、出しゃばりで、ちょっと生意気。食いしん坊で、人のために料理を作るのも大好き。飼い主?(同居人?)のさっちゃんとの掛け合いが楽しい。いくつか紹介しておきます。

 「第四八五話」 
 「第五七八話  ワカルなんか」 
 「第五八八話  ワカル~?」 

・料理を作ったり食べたりするシーンがよく出てきます。幸せの基本には食の充実があるということがよく判ります。

・作者の深谷かおるさんは、入院中の息子さんの気晴らしのためにこの漫画を描き始めたそうです。当時、既に五十代だったとか。もっと若い人が描いているのだろうと、ずっと思っていました。
 「第五百話 ありがとう」 

・台湾でも大人気だそうで、深谷さんはコロナ前の2019年に台湾でのイベントに招待されています。
 「第四九三話 謝謝台湾」 

・動物と人間とが自由に会話するという設定には、「セロひきのゴーシュ」、「雪渡り」、「なめとこ山の熊」、「どんぐりと山猫」等々の宮沢賢治の童話を連想します。さらに、賢治の童話の読後感とも共通する場面が多いとも感じます。

 例えば、賢治の童話で筆者が好きなシーンを挙げれば、「セロ弾きのゴーシュ」の最後でゴーシュが反省するところ。

 「・・「ああ、かっこう。あの時はすまなかったなあ。おれはおこったんじゃなかったんだ。」と言いました。」。

 さらに、「貝の火」の最後の場面で、周りの動物たちに傲慢な振る舞いをした結果、目が見えなくなってしまったウサギの子ホモイに、ウサギのお父さんがかける言葉。 

 「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。目はまたきっとよくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣くな。」。

 いずれも、過去の自分の振る舞いを後悔するとともに、相手との関係を修復しなおし、その全てを受け入れようとする言葉です。これと共通する場面が、この漫画のあちこちに見られるように感じます。

 全部で800話近くの話の中で、筆者が読んだのはまだ三分の一ほど。残りは精神的に疲れた時の特効薬として、大事にとっておこうと思っています。

/P太拝

 

 

鳥取市の大規模風力発電事業の問題点(9)  -日本での今後の風力発電の可能性-

 子供の頃、母が定期購読していた雑誌「暮らしの手帖」を毎号熱心に読んでいた。特に料理や住宅のレイアウトの記事が好きだった。そのせいか今でも料理には何かと興味があって、面白そうなレシピを見つけると真似して作ってみたりしている。他の兄弟二人はこの雑誌には全然興味を示していなかったから、自分はちょっと変わった男の子だったのかもしれない。

 小学校の高学年の時だったか、中学に入ってからだったかは思い出せないが、1960年代の後半に入った頃、この雑誌のコラム欄に小さな記事が載っていた。一読して驚いた。

 「『このまま二酸化炭素を排出しつづけていると、地球は急速に温暖化する』と米国の科学者が予想」という内容だった。昨年秋にノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏が温暖化に関する最初の論文を発表したのが1967年だそうだから、この科学者が真鍋氏であった可能性は高い。当時は日本人による研究成果だとは想像すらしなかった。

 1967年は漫画家の手塚治虫氏が「火の鳥」の連載を開始した年でもある。それまでの「鉄腕アトム」に代表される科学文明肯定的な内容から一転して、「火の鳥」での手塚氏は科学文明に依存し過ぎたために荒廃してしまった地球を、いわゆるディストピアを描くようになっていた。翌年の1968年には、水俣病の原因はチッソ水俣工場の廃液に含まれるメチル水銀化合物であったと当時の厚生省が公式に認定している。「このまま科学文明がさらに進んだら、地球は一体どうなってしまうのか」という疑問が人々の間に広まり始めた時代であり、筆者もその影響を強く受けた一人であったことは間違いない。

 地元の高校を出て大学の理学部に進学、そこを卒業して、いったんはソフトウェア企業に就職した。しかし、大学を出る頃には太陽電池などのエネルギー関係の研究がやりたくなっていた。色々と探して、別の大学の大学院で当時注目され始めていた水素エネルギーの活用方法を研究することにした。

 具体的には水素を吸蔵する金属の調査とその利用方法の研究である。自分が扱った材料ではないが、その後、この水素吸蔵合金の分野からはニッケル水素合金が生まれて電池材料として利用されるようになり、現在のリチウムイオン電池が登場するまでは広く使われて来た。

 この1970年代から80年代にかけては、世界中が第一次、第二次のオイルショックを経験してたことで化石燃料以外のエネルギー源の検討が始まった時代だった。二酸化炭素の排出増による温暖化を懸念する声も次第に高まってきた。水素以外にも、太陽電池風力発電バイオマス利用、太陽熱発電等々、現在の再生可能エネルギーの主役や脇役が一斉に登場し始めた時代でもあった。

 大学院修了後は家の事情もあって鳥取に帰り、電気部品メーカーで技術者として働き続け、退職して今に至っている。会社の仕事では、再生可能エネルギーの生産そのものではないが、太陽光発電用やEV用の電源部品の設計・生産にも関わって来た。このような筆者自身の過去の経歴もあり、今でも再生可能エネルギー全般に対しては強い関心を持ち続けている。

 最近になって脱炭素化の動きが加速し、この種のエネルギーの実用化が本格的に始まったことは少々関わったことがある者としては嬉しい限りだ。しかし、そのことは同時に地球温暖化の進行が目に見えて現れて危機的状況となりつつあることを示している。

 さて、前置きのつもりで始めた個人的な話が長くなってしまった。以下、昨年から調べて来た風力発電について、鳥取県内での当面の事業計画からはいったん離れて、日本全体での風力発電の可能性についてまとめてみたい。筆者は、風力発電については再生可能エネルギーの有力候補のひとつとして以前から基本的には賛成してきた。しかし、日本での実施状況をあらためて調べてみると、そうも言ってはおられなくなってきたのである。

 

(1)日本での陸上風力発電の可能性

 図-1に日本全国での年間を通じた平均風速の分布図を示す。中国・四国地方については拡大して示している。(「NEDO 再生可能エネルギー技術白書 第三章 風力発電」より転載)
現在のコスト試算によると、風力発電である程度の利益が出せる目安としては、年間平均風速で7m/秒が必要だそうである。図の中の明るい緑の部分から赤色にかけてがそれに相当する。白色の部分は都市近郊のために風車設置不適か、データ無しの地域のようである。

図-1 日本の陸上での年間平均風速の分布(図のクリックで拡大、以下同様)

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 この図を見ると、風力発電でコスト的に有利な赤色の地域は、日本列島の脊梁部や各県の境界をなす分水嶺が大半である。これらの大半が国立・国定公園や各自治体指定の自然公園で占められていると思われる。このような場所に風車を林立させることは、国民の憩いの場所である優れた景観地と、国内にわずかに残された自然保護地域とを破壊することにつながる。

 また、分水嶺であるこれらの地域で風車設置のために森林を伐採することは、その地域の保水能力を低下させることを意味している。その結果、下流での水害危険性が今以上に増すことは容易に予想される。温暖化で今後さらに豪雨災害が増えることは確実であり、その対策として、またCO2吸収の面でも、森林面積を今以上に増やすことが求められている現在、森林を大規模に伐採するような事業は許可されるべきではない。

 風車が立っている限り、その周りの木が高く成長することは許されない。木が高くなればその分だけ風が弱まるからである。この点で風力発電事業は、伐採後に再び植林することが多い一般的な林業とは異なる。風車が増えれば増えるほど、その地域の森には草や灌木しか生えることが許されない裸地や林道が増えていくのである。

 図-1からは風の強い地域は高い山か、海岸地帯が多いことも判る。海岸に近くなるほど、一般的には人口密集地が増加する。先回までの記事で見て来たように、環境省の公式見解とは逆に、風車による健康被害は日本列島の各地で既に発生しているのである。景観面は別にしても、人家から数km以内に数千kW級の風車を建てることは、それだけで既に「地元住民に対する人権侵害」であると言ってよいだろう。

 地域経済振興の面でも、日本の風車設置方式の現状には問題が多い。デンマーク再生可能エネルギーでは最先進国であり、2020年の全消費電力のうち実に80%が再生エネルギーによっており、うち風力は46%、太陽光は4%、残りの大半はバイオエネルギーとのこと。
「2020年、太陽光と風力がデンマークの電力の半分以上を供給」

 デンマークでこれほどまでに風力発電が普及した背景には、この国に特有の風力発電設置の仕組みにそのカギがあるとされている。

 デンマークの陸上風力発電所は、その全てが各風車周辺の地域住民によって所有されており、電力を売って得た利益の全てが住民に還元される。地域内に風力発電所を作るかどうかについても、その計画全体が地域住民の議論と出資しだいで決められている(風力発電を促進している国からの出資も、当然あるはず)。

 また、国のルールとして、景観保護のために海岸や湖岸から300m以内では風車も含めた全ての人工物の設置が禁止されている。さらに、森林を伐採して風車を設置することも禁止されている。このような制約を受けない限られた候補地だけに風車を建てても風力エネルギーの割合を増やせてきたのは、この国の地形の大半が一万数千年前までこの地を覆っていた氷河に削られてできた平原であり、その国土の土地利用の大半が広大な牧場であることが大きく寄与しているものと思われる。

 一方、我が国の国土は急傾斜の山地が大半であり、海岸近くの狭い平地に人口が密集している。人家から離れて風車を建てようとすれば、山を切り開いて道を作り森を伐採するしかないが、大量の雨が降る日本では、これは土砂崩れや下流での氾濫を引き起こすことにつながる。


 また、日本では陸上も洋上も含めて、風力発電所の設置計画は、現在、そのほぼ全てが専門業者によって立案されている。業者が地図をにらんで地形と送電線の配置から候補地を勝手に決めて、それまでは縁もゆかりもなかった土地に突然乗り込んできては、わずかな借地料と引き換えに平身低頭しては土地を借りようとする。運よく借地契約が成立すれば次には国の認可が必要になるが、許認可権を持つ経済産業省は元々から風力発電推進の立場だから、よほどのことがない限り不認可にはならない。あとは業者がどんどん風車を建てて発電を始めるだけである。

 いったん風車が立ってしまえば、日々の発電量の把握や故障のチェックはセンサー経由で自動的に本社に送られるから、現地に事務所を設ける必要はない。巨大な風車が何十本も立っても、地元での常勤の雇用者は全く必要ないだろう。あるとすれば、故障や災害が発生した時に一時的に地元の業者を使うことくらいだろう。

 そして、風車が発電した電力を電力会社に売ったおカネの大半が業者の本社がある大都市へと流れていく。地元ではわずかな借地料が地権者に入るだけで、一円も入って来ないその他の住民は、周り続ける風車の下で少なくとも二十年間は我慢して暮らすしかない。

 デンマークのような風車設置方式であれば、地域の資源を利用して得た利益の大半がその地域の住民へと還元される。対して日本の現在の方式では、風力という地域資源を利用して得た利益の大半が資本が集中している大都市へと流れてしまい、風車周辺の地域内にはほとんど還元されない。その結果、風車が立った地域の貧困化と衰退とがより一層加速化されることになるだろう

 日本の地理的条件が元々風力発電に適していないことを除いても、これでは我が国で風力発電がなかなか普及しないのも当然の結果と言ってよいだろう。

 さて、結論としては、日本では陸上の風力発電所については、もうこれ以上は必要ないと思う。むしろ、これまで全国各地で地元住民に健康被害をもたらし迷惑をかけてきた風車については、速やかに停止して撤去すべきである。

 このような近所迷惑な風車を所有・管理している業者、その業者から電力を買っている電力会社、さらにはそのような電力会社に電気代を支払っている企業・自治体・消費者は、国連が提唱しているSDGsの流れに自らが逆行する存在になってしまったことを自覚するべきである。

 欧州で大いに発展してきた現在の大規模風力発電システムだが、日本の国土と社会の実情に対しては不適合な点があまりにも多すぎる。欧米で流行ったものをそのまま輸入してサルマネしているだけでは、政治家や霞が関の官僚は仕事をしたことにはならない。

 話が今回の主題からは外れるが、彼らの最大の失敗例こそが、既に難破船と化した今の日本の原子力発電体制であろう。国土の至るところで毎日のように地震が発生しては地殻が動き、平均して一万年に一度は九州全体を覆いかねない破局的巨大噴火が襲う、この世界一といっていいほど地質的に不安定な日本列島のいったいどこで使用済み放射性核燃料を今後十万年間にわたって保管するつもりなのか?未だに原発再稼働を唱えている政治家、官僚、関連業界には、この問いに対して答える義務がある。

 

(2)日本での洋上風力発電の可能性

 最初に次の図-2の全世界での洋上での風力エネルギー密度分布を見ていただこう。なお、図-2から図-4までは、図-1と同じ資料からの転載である。

 

図-2 世界の洋上での風力エネルギー密度分布

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 この図の中の風力エネルギー密度とは、風車のローター(羽根)が回転する範囲の面積1平方mあたりを通過する風の持つエネルギーを表している。既に述べた陸上風力発電で採算が採れる値の下限の平均風速7m/秒は、空気の温度にもよるが、風力エネルギー密度200W/m2にほぼ相当する。この密度にローターの掃引面積を掛けると風車の概略の出力が得られる。

 図-2の日本付近の風力エネルギー密度を見ると、夏に低く冬には高い。これは冬には北緯50度付近に北極を中心とする偏西風帯が移動して来て西からの風が強くなるためである。夏には逆に南緯50度付近に西からの偏西風帯ができて北半球の風は弱くなる。赤道付近には東から西に風が吹く貿易風帯があり、これは季節に応じて南北に移動はするものの、その風の強さの季節変化は偏西風帯ほど極端ではない。

 偏西風帯ができる原因だが、赤道付近の空気が太陽熱で上昇して上空で冷やされ、北半球では北緯20~30度付近に冷やされた空気が下降して中緯度高圧帯(亜熱帯高圧帯ともいう)が形成される。ここから北極付近の低圧帯に向かって風が吹く際に、地球の自転の影響を受けて西から東への方向成分が加わることで偏西風帯が形成される。

 風力発電の将来にも関係するが、地球温暖化が進むにつれて、この中緯度高圧帯はしだいに北へ移動するものと予想される。その結果、北半球の偏西風帯も長期的に見れば現在よりもさらに北へと移動するだろう。この現象は既に始まっているものと思われる。その傍証としては、最近の世界各地の乾燥地の湿潤化や乾燥地帯自身の北上が始まっていることが挙げられる。最近、世界中の乾燥地で毎年のように頻発している観測史上最大の集中豪雨も、この湿潤化の一例とみてよいだろう。

 中緯度高圧帯ではほとんど雨が降らないので平坦な地形は一般には砂漠化しているのだが、サハラ砂漠ではその南縁部の湿潤化が最近になって始まったとの報告があるようだ。実際、現在よりも温暖であった7000~8000年前のサハラ砂漠では、今よりも降水量が多く、大半が草地になっていて川さえも流れていたことが確認されている。

 当時の日本では今よりも気温が1~2度は高かったとされているが、この温度上昇の値は今後の温暖化予測での上昇値が小さいケースに相当している。サハラ砂漠が草原であった頃は日本では海面が上昇していた縄文海進のピークに近い時期でもあり、関東地方の南部では縄文海進のピーク時には海面が今よりも4m前後は高かった(ただし、この海進現象が世界共通のものであったという確証は今の所は無いらしい)。

 中国の乾燥地帯では湿潤化が進んでいる。これも中緯度高圧帯の北への移動の表れだろう。

「中国・黄土高原に「緑」よみがえった 地球温暖化の思わぬ影響」

 ここに挙げたサハラ砂漠や関東地方、中国乾燥地帯の例に見るように、平均気温が数度上がっただけでも地球全体の地表の姿は大きく変わる。今後の温暖化の進展によって偏西風帯が北に移動すれば、日本付近の風力エネルギーが減ることはまず間違いない。そのことを計算に入れて風力発電の今後の経済性を再計算するべきだろう。

 仮に今すぐに温暖化ガス排出量をゼロにしても、温暖化は急には止まらない。世界中の生態系が激変した結果、全ての産業、都市、国家の急速な衰退または発展が今後数十年のうちに世界中で観察されることになるだろう。地球温暖化の影響は現在の我々が予想しているよりもさらに深刻なものとなる可能性は高い。

 次に、陸上及び一部の海域を含んだ欧州での年間平均風速の分布を下の図-3に示す。西から順にアイルランド、英国、北海、デンマーク、ドイツ沿岸からバルト海と、風力発電で採算が取れるとされる平均風速7m/秒以上の地帯が東西に帯状に連なっている。この帯の中心の緯度は北緯55度前後であり、上で述べた偏西風帯に他ならない。

 この図から、風力発電が偏西風帯に位置する国に限定で有利な発電システムであることがよく判る。それとは対照的に、地中海及びそれを取り囲む南欧では風力発電がコスト的に全く引き合わないことも理解できる。

 

図-3 欧州の年間平均風速の分布図

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 次に日本周辺の洋上での年間平均風速を図-4に示す。

 

図-4 日本周辺の洋上での年間平均風速

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 風力発電で十分に採算が取れそうな候補地は東北北部と北海道沿岸とに集中している。これは偏西風帯に近いためだが、極東での偏西風帯の年間平均の中心線が欧州と同じ北緯55度であると仮定すると、その緯度線はオホーツク海サハリン島の北端からカムチャツカ半島の中ほどを通っている。

 現時点では、オホーツク海に洋上風車を設置してその電力を日本まで引っ張ってくることは政治的にほぼ不可能だろうし、送電線が長くなることや冬季の台風並みの暴風への対策など技術的にも難しい点が多いだろう。

 十数年前からと記憶しているが、鳥取県の海岸沿いの洋上に洋上風力を設置する計画がいくつか持ち上がったものの、いずれの話もいつの間にか消えていた。この図を見てその理由がようやく判った。山陰海岸近くの洋上では、十分に採算が取れるほどの風が見込めなかったことがその主な理由だったようだ。

 図-4では関東南部の洋上や、鹿児島県と奄美諸島の間の洋上も風力発電の適地とされている。この辺りでは夏には太平洋高気圧からの南風が吹き、冬には北西の季節風が吹くので、年間を通じての平均風速が高くなるのだろう。

 洋上風力発電では水深も重要な要素になる。海底に風車の基部を直接設置する「着床式」は水深がせいぜい数十mまでしか使えないらしく、それより深い場所ではよりコスト高の「浮体式」になる。

 日本周辺の海洋の水深については次のサイトで知ることができる。左側の「地形・地質」をクリックすると「等深線」という表示が現れる。それをさらにクリックすると地図上に日本周辺の等深線が表示される。
「海しる 海洋状況表示システム」

 この等深線を見ると、日本の本土周辺の水深50mの範囲は、その大半が沿岸から数km程度である。それに対して、英国の東にあり洋上風車が数多く建設されている北海全体の平均水深は、たったの90mでしかない。陸上風力と同様に、洋上風力でも日本の地形は欧州に比べて著しく不利である。

 日本近海では北九州から朝鮮半島にかけては比較的浅い海域となっているが、図-4に見るように、この辺りの平均風速は特に高くはない。北九州市九州電力などはこの海域での洋上風力にずいぶん力を入れているようだが、果たして採算は取れるのだろうか。下の計画での風車調達先はデンマークのヴェスタス社(三菱重工が一部出資)になる予定だ。
「洋上風力、北九州港に25基計画 長崎は外資誘致に意欲」

 風車本体については、日本メーカーは陸上風力用の大型風車からは既に全面撤退したものの、東芝だけは洋上風力用の風車の生産を続ける予定とのこと。日立と三菱は、今後は洋上発電用の関連機器の生産に特化するつもりのようだ。
「どうする日立、東芝、三菱電機。再生エネにビジネスチャンス」

 着床式洋上風力での最近のビッグニュースは、何と言っても三菱商事中部電力を主とする企業グループが秋田沖などの三か所の予定地の入札を独占したことだろう。
「FIT価格は驚きの11.99円/kWh、3海域での着床式洋上風力の入札結果が明らかに」
「洋上風力入札、三菱商事が圧勝 AmazonやGEが後押し」


 この話題で気になるのは、設置が予定されている計134基の1万3千kW級の巨大風車(鳥取市内の二カ所で計画されている4千kW級の約三倍の出力、海面からの推定高さは260m程度か)の全てが米国GE製であるという点だ。洋上風車の実績がほとんどないGEが作った風車が、日本の台風の猛烈な暴風に耐えられるだろうか。欧州では風速40m/秒程度で「史上最大」と大騒ぎしているのである。
「欧州北部、暴風雨「キアラ」で混乱  追い風でNY─ロンドン便が最速記録更新」

 12円/kWhという価格が本当に実現できるのかも疑問だ。おそらく、今後、為替は円安がさらに加速する方向に進むだろう。現在問題になっている世界的な資材価格の急騰も、今後の早いうちに元の価格に戻るとは考えにくい。計画の三地域のうちで一番稼働予定が早いのは2028年だが、その頃には大幅な価格修正が行われているのではなかろうか。

洋上風力発電のコストについては、当ブログの昨年5/12の記事で既に論文二編を紹介しているが、以下に再度紹介しておこう。

「風況の違いによる日本と欧州の洋上風力発電経済性の比較」

 この論文は、東大の研究者が昨年1月に公表したもの。この中で、秋田沖よりも風況が良い石狩湾にヴェスタス製の9500kWの風車を仮に設置した場合のコスト計算結果が公開されている。その値は発電原価で約19.5円/kWhであり、売価にすれば今回の三菱商事グループの見積もり価格の二倍程度になる。

 三菱商事グループはどうやってこの差を埋めるつもりなのだろうか?この中には英国近海の北海と日本海北部の発電量を比較した試算も含まれているが、上に述べたようにその風況差は圧倒的だ。同一の風車をそれぞれに設置した場合、北海での発電量は日本海でのそれの五割増しと試算されている。

 もう一つの論文は、世界銀行の環境ガイドラインを担当していた英国人専門家による経済データの分析結果を、キャノンの研究所があらためて紹介したものである。
「風力発電のコストは上昇している -英国からの報告-」


 この英国からの報告によれば、今後、陸上も洋上も含めて風力発電のコストが大きく下がる可能性はなく、むしろ上昇する可能性が高い。風力発電事業者とそれに投資した金融機関は破綻するか、あるいは英国の消費者が将来に電力料金の高騰圧力を受けることになるだろうとの結論である。この結論は発電事業者の過去の会計報告を分析して得たものであり、説得力がある。

 さて、洋上風力の今後の見通しについて検索すればいくらでも読むことが出来るのだが、その大半が洋上風力は今後急速に伸びるとの楽観的な見解を示している。その一例を以下に挙げておこう。この資料をまとめた自然エネルギー財団とはソフトバンク孫正義氏が設立した財団である。

「洋上風力発電に関する世界の動向(第二版)」

 発電事業者や設備メーカーなどの関連業界が出している資料では、当然だがバラ色の未来を描いていることが多い。顧客及び金融機関等の出資者を確保するために、事業者や設備メーカーには「実態よりも話を盛ろうとする」傾向がある。企業の技術者であった筆者にも、その気持ちは判らないでもない。
 この財団は風力発電を推進する立場ではあるが、メーカーからは距離を置いた、かなり客観的な立場らしいので、その信頼度は高いほうだろう。それでも、この資料のP15の、洋上発電の発電コストは将来的には下がっていくという予測は、上で紹介した英国人専門家による論文の結論とは完全に相反するものである。

 洋上風力の将来予測の大半が「風車を大型化することにより将来のコストは低下する」と楽観視しているが、上の専門家の論文では「欧州の実態では、風車の規模が大きくなるほどコストが上がっている」としている。また、同論文では「洋上風力の部品が故障するまでの時間は陸上風力のそれの約半分」とも述べている。

 ちょうど今が洋上発電バブルの真っ盛りらしく、毎日のように関連ニュースが流れているが、バブル時に出資したカネが後で丸ごと消えてしまったというのは我々が何度も見てきた話だ。「・・だろう」という希望的観測に満ちた流行の記事よりも、現実のデータを積み重ねて分析した地味な論文の方を重視するべきだ。ハヤリモノに弱い人が多い政治家や自治体首長・職員の皆様は、特に注意された方がよいでしょう。

 注意点をもう一つ。既に日本は、圧倒的な力を持つ欧州の風力発電メーカーの草刈り場と化しているということである。「風力でも負けたか、しっかりしろ、日本の技術陣!」的な記事が最近は多いのだが、これは、欧州の、それも特定の国だけが自然条件的に風力に恵まれたことの結果なのである。

 新規技術を育てるためには、まずは手を出しやすい国内市場で経験を積む必要があるが、同一の風車を設置しても英国の2/3の電力しか得られない日本では、経験を積む機会すら乏しい。国内のメーカーが風車生産から次々に撤退していったのもやむを得ないことだろう。

 明治以降、日本は「とにかく、欧米に追い付け追い越せ」ばかりをやって来た。地理的にも社会構造的にも風力発電には不利な条件であるにも関わらず、それでも風力発電も欧米に追い付かなければと頑張ろうとしているのはその伝統の一環だろう。
 欧州以外の偏西風帯の大半では人口が少なくて需要自体が乏しい。その他の地域は風力には恵まれていないので風力発電はコスト面で不利だろう。中国は洋上よりも国内の砂漠地帯の風力を利用した方がコスト的には安いし、そもそも設備の大半を自国で作るだろう。

 国土が狭くて再生可能エネルギー源に乏しく、偏西風帯からは若干距離があり、かつ国内の風車メーカーがほぼ消えてしまった日本こそが、欧州にとっては洋上風力の格好の売り込み先なのである。風力発電の分野では、欧州から今の日本を見れば「カモがネギ背負って自分で歩いて来た」ようなものだろう。

この点に関する関連記事をひとつだけ紹介しておこう。下の記事の筆者も「日本の洋上発電の将来はバラ色」と思っているようだが、外資に対する警戒心は認められる。
「日本政府「原発45基分を洋上発電」 意欲的な政策を外資が虎視眈々と狙うワケ」

 浮体式の洋上風力に関しては、本当に日本の洋上風力の主体になり得るかどうか非常に怪しいものがある。上の英国専門家の論文によると、北海での浮体式の実際のコストは着床式の約二倍となっている。現時点では浮体式風力発電は日本国内では実証試験の段階に過ぎない。

 2012年に震災復興の鳴り物入りで始まった福島沖での浮体式三基による国費900億円をかけた試験も、相次ぐ故障でまともなデータも取れないままに2020年に終了した。三菱重工による7千kW機は稼働当初から不具合が頻発し、稼働率が10%を超えられないままに早々に撤去。日立による2kW機と5kW機も、これといった成果を得られないままに終了した。

 三基の風車の撤去が終わった現在、三菱も日立も浮体式事業の今後については公式には一言も発言していない。国が言っている「2040年に原発45基分の洋上発電実現」の目標の中には浮体式も含まれているのだろう(上に挙げた三菱商事が入札で獲得した三海域の着床式出力全ての合計が169万kW、原発1.7基分にしかならない)。このままでは、この国の計画自体が「絵にかいた餅」のままに終わる恐れがある。

「福島・浮体式洋上ウィンドファーム実証研究事業のいま」
「福島沖風力発電2基撤去へ 国、民間引き継ぎ断念」


 さて、洋上風力全般に対する筆者の結論を言えば、将来の電力価格、外資依存度の増加、温暖化による将来の風力の減少、水産業・環境・地域住民への影響、景観や観光資源の劣化、地域経済の衰退等々、疑問点や問題点が非常に多いことを指摘しなければならない。

 また、洋上風力の事業規模は従来の陸上風力とは比較にならないほど広域かつ巨大化することになる。その結果、事業計画の大半は国と巨大資本を有する多国籍企業が主導し、地域住民が関与できる範囲は著しく狭められることになるだろう。デンマークの陸上風力に見るような「民主的な」風力発電導入プロセスは、洋上風力では過去のものとなるだろう。洋上風力が導入された地域での民主主義、「住民が住民自身の将来を決める権利」が形骸化していく恐れが多分にある。

 景観面で言えば、洋上風力を主力電源として今後推進して、秋田県青森県の沿岸などをギッシリと林立する風車でとり囲んでしまってよいものだろうか。国は2040年までに原発45基分を沿岸に立てるとしているが、沿岸の景観がどう変わるのかも併せて示すべきだろう。また超低周波音による健康被害水産業や野生生物への影響の問題などを、あいまいにしたままで進めてはならない。

 コロナ禍が収まれば、外国人観光客が再び増えることは間違いないだろう(今よりも「さらに安い日本」になっているだろうから・・)。欧米や中国からの観光客が、欧米製の風車に覆いつくされた日本の海岸を見てどう思うだろうか。「自分の国の景色と同じじゃないか」と思うのではないか。他の国と同じ景観になってしまったら、わざわざ日本に来る必要も、来る値打ちも無くなる。

 個人的な思いとしては、水平線まで巨大風車が林立するような無機質な風景は関東や関西などの巨大工業地帯の周りだけに限定してもらいたい。エネルギーは地産地消でやるべき、風車はその必要性が高い地域に率先して立てるべきだ。

 海は、海岸から水平線まで何も無くてこそ、本当の海だと思う。


(3)その他の再生可能エネルギーについて

 ここまで読んで来られた方の中には、「お前は、日本では原発風力発電もダメだと言うが、じゃあ、一体、日本では再生可能エネルギーに取り組まなくてよいのか!世界中が脱炭素化を加速している時に、日本だけバスに乗り遅れてもよいのか!」と一喝される方がいるかもしれない。以下、日本の地理的条件に戻って考えてみたい。

 日本の陸地面積は世界全体の陸地面積の0.25%に過ぎない。一方で日本の排他的経済水域は世界各国の中では比較的広く、世界全体の海洋面積の1.24%を占めている。さらに、現在の日本のエネルギー消費量は世界全体の消費量の3.06%を占めている。

 各国で生産できる再生可能エネルギーの総量は、大まかに言って、その国の面積や領海にほぼ比例するだろう。排他的経済水域の活用が今後の課題だが、上で述べた浮体式洋上風力の実現の困難さに見るように、エネルギー源としての海洋の利用技術はまだ産業化にはほど遠い。陸地面積の少なさと消費エネルギー量の多さから見れば、近い将来、日本が自国の領土と排他的経済水域だけを使って国内で必要なエネルギー全てを生産することができるとは到底思えない。

 ちなみに、2020年の時点での日本の一次エネルギーの構成比率だが、そのほぼ全量を輸入している「石油+天然ガス+石炭」の合計だけで全体の87%を占めており、国内生産は水力4%、他の再生可能エネルギーが7%に過ぎない。
「エネ百科  主要国の一次エネルギー構成」


 今後、省エネをさらに進め、かつ再生可能エネルギーの自給割合を高める努力を続けるとしても、かなりの割合を他国から供給してもらうしかない。世界全体の温暖化の防止こそが日本にとっても喫緊の課題である。日本国内だけで脱炭素化を進めても温暖化対策にはなり得ない。日本が、あくまでも自国内での再生エネルギーの生産にこだわって今後もCO2を出し続けるよりも、まずは海外での再生エネルギーの生産(太陽光や風力により生産した水素やアンモニアなど)に対する技術・資金の両面での協力と、日本への輸入方法の開発を進めることで、世界の脱炭素化をリードするべきだろう。

 また、元々地理的には不利な風力発電に取り組む前に、もっと容易に脱炭素化できる方法がまだたくさん残っている。例えば、都会のビルの屋上全てに太陽光パネルを並べることを義務付けるというアイデアは昔からあるが、その実施状況はどうなっているのだろうか。国や自治体が補助金制度を拡充しさえすれば、設置可能なビルはまだたくさん残っているはずだ。エネルギーを消費場所のすぐ近くで生産することで、いつ襲ってくるか判らない大災害に対して強い都市の実現も可能となるだろう。

 「太陽光発電が増えると需要とのアンバランスが生じる」という指摘があり、実際に九州では太陽光発電を制限するケースが増えている。しかし、これもずいぶん昔から言われて来た「EVを普及させて、そのバッテリーを日中は蓄電池代わりに使おう」というアイデアが未だに生かされていないからである。太陽光で発電した電力でEVを充電する場合には電力価格を安くするようにすれば、EVの蓄電池としての利用も急速に進むだろう。

 つい最近までのトヨタは、「EVを急速に普及させても、化石燃料で発電している電力で充電するのでは脱炭素化にならない」と主張してEV生産の拡大には否定的であった。「世界のトヨタ」にしては、ずいぶんとその視野が狭かったと思う。

 EVを普及させて蓄電池としても併用できるようにすれば、現在、再生エネルギー普及の大きな障害となっている電力の需要と供給のアンバランスの問題がかなり解消されるのである。EVを率先させて普及させれば、脱炭素化の流れもさらに一層加速されるはずだ。そのためには政府の政策の方向も重要になって来る。企業も各省庁も、自分のタコツボの中だけに安住していないで、外の世界の全体の関連をよく把握したうえで共同で将来像を描くべきである。

 さて、最近になって知った残念なニュースがある。現在の太陽電池で主流であるシリコン系とは全く異なる、ペロブスカイトという金属酸化物系の物質を用いた太陽電池が世界各国で急速な勢いで開発されつつある。

 下の記事に示すように、昨年の九月にはポーランドで世界初の量産が始まった。今年中には中国や英国でも量産が始まるそうだ。特徴は薄くて軽く、建物外壁やEV車の屋根にも容易に貼りつけられる点である。製法も簡単で、現在のシリコン系よりも大幅に安くなることもメリットだ。東京中のビルの外壁に張りめぐらせば、東京全体を自給自足の発電所にすることも将来的には可能かもしれない。

「コスト半減、どこでも貼れる新太陽電池 初の量産」


 このペロブスカイト型太陽電池は、あまり知られてはいないが日本発の技術である。横浜桐蔭大学の宮坂力教授が、2009年に世界で初めてこの種の材料が太陽電池として利用できることを示した。かっての青色LEDのように今後世界的に広く普及する可能性は高く、まさにノーベル賞級の成果と言っても差し支えないだろう。

 残念なのは、上の記事の末尾に説明があるように海外特許を出願していなかったということだ。そのことは、筆者はこの記事を読むまでは全く知らなかった。出願したのは国内特許だけなので、海外での同太陽電池の現在の爆発的な研究拡大や生産を抑えることはもはや不可能だ。

 海外特許を出願してさえいれば、少なくとも2029年頃までは、日本がこの発明の成果を独占するか、少なくとも競合相手をコントロールすることは出来ていただろう。世界の姿を一変させるような画期的な技術であるというのに、それを生み出した日本ではなく、外国で先に量産化されてしまったのは何とも情けないというほかはない。

 所属する大学が小規模であり、経営陣や管理スタッフの中に技術内容と発展可能性とを正しく評価できる人材がいなかったであろうことも影響したのだろう。国内の大学はどこも経費節減で苦しんでおり、海外出願に必要な数百万円の出費は当事者にとってはなかなか決断し難い金額だったのだろう。こういう時にこそ国の支援が必要なのだが、経産省や科技省の官僚は欧米でハヤリの技術のサルマネに忙しいばかりで、自分たちの足元に転がっているダイヤの原石には目をくれようともしないのである。

/P太拝

 

大山と氷ノ山での冬山遭難について思うこと

 今朝の鳥取市内の積雪は既に20cm越え、外は時々吹雪いたり止んだりしている。夕方までには久しぶりに30cmを超えるのかもしれない。こういう日は家にこもっているしかないのだが、そのオコモリ状態の中で今朝聞いたニュースについて。

 昨日、大山に登った二人連れが遭難。うち一人は六合目の避難小屋で夜をあかして今朝救助されたが、もう一人の兵庫県の人は行方不明とのこと。仲間を置き去りにして自分一人だけで降りてきたようだ。

 最近の装備は昔に比べれば断熱性が著しく高いから、雪に穴を掘って二人で潜り込み、抱き合って体をあたため合いながら雪が収まって視界が開けるまで一日か二日待っていれば、二人とも助かった可能性は高かったはずだ。残された行方不明の人も、その装備にもよるが、雪穴を掘って潜ってさえいれば、明日あたりにも救出される可能性は残っていると思う。凍てつく吹雪の中を長時間歩き回っていた場合には、体力消耗と低体温症とで死に至ることになるだろう。

 そもそも、昨日の雪の中を、しかもおそらく吹雪であったであろう大山の稜線登山道を登ろうとするなんて、完全に自殺行為だ。吹雪いて視界が無くても山頂まではたどり着けるかもしれないが、雪山で視界が効かない状態では必ずと言っていいほど下り道で迷う。登山道が雪で完全に隠れているので、どこを降りたらよいのか判らなくなるのである。雪山で道に迷った事故の大半が下りで起こっている。

 よくあるのは、下るのをあせったあげくに谷筋に降りてしまって、滝や岩場に出会って進退窮まるケースである。迷ったらその場に留まって、自分がどこにいるのか歩いて来たルートを思い起こしながら地図でよく確認するか、視界が開けるまでその場で待つのが山での鉄則だ。それができない場合でも、少なくとも下降ルートは尾根筋に取るべきである。尾根にいれば、視界が開けた場合には自分がどこに居るのかがよく判る。

 繰り返しになるが、この2/3以降の連日の悪天候の中をわざわざ登ろうとしたこと自体が理解できない。そもそも、悪天候の中を登っても、苦しいだけで全然楽しくないだろうに。

 筆者は30代前半までは休みになると月に二回程度は近くの山に、年に数回程度は北陸や長野の山などに出かけていたのだが、山に数日間入る前には必ずNHKの気象通報を聞き、自分で天気図を書いて天気の予想をしていた。悪天候が予想される場合には、当初の計画を変更して悪天候時に待機するための予備日を設けるなどしていた。当時の登山者にとってはそれが常識だった。

 現在、天候予測を容易に入手できるようになったにかかわらず、かえって悪天候なのに入山しようとする人が増えたことが不思議だ。あまりにも情報が増えすぎた結果、自分に都合の良い情報だけを拾い読みして、楽観的な自信過剰の状態で出かけてしまうのかもしれない。登山での事故は命にかかわるだけに、あくまでもリスク重視で、自分の能力を過少評価するくらいで計画を立てなければならないと思うのだが。

 遭難した経過の詳しい状況はまだ不明だが、今後、おいおい報道されることになるだろう。とにかく、最近目立つのは、山に入る人たちが山の自然を甘く見過ぎていること、仲間を置き去りにして自分だけ助かろうとするヤカラがずいぶんと増えてきたということである。

 昨年末にキャンプ目的で氷ノ山の林道に入って死亡者が出た事例も、今回の大山の遭難との共通点があるのかもしれない。神戸新聞の当時のネット記事がまだ消されてはいなかったので下に紹介しておこう。現場が兵庫県側だったので、鳥取県側では簡単な記事にしかならなかったようだ。

「宍粟・氷ノ山の5人遭難事故 入山3日、状況刻々変化 4人救助までのドキュメント」
  その後の同紙の記事によると、亡くなった残された一人(大阪市の会社員66才)は、年明けの1/2に車中で死亡しているのが発見されている。死亡原因が何だったのか、凍死なのか、他の病気によるものなのかについては、その後の報道が見当たらない。

 以下の別紙による当時の報道でも、救助された四人の話では「動けなくなったので車に残して来た」とのこととしか書いてない。本当のところはどうだったのだろうか、何とも後味のよくない事件であったことは確かだ。

「氷ノ山遭難 残る1人の捜索を悪天候で断念、31日に再開見込み」

 このニュースを最初に聞いた時には、「仲間を置いて自分たちだけ降りてくるなんて、登山者の風上にも置けない。四人もいるのだから、一人くらいは付き添いで残っているべきだ。」と思った。その後、この五人はキャンプが目的だったとの報道があって「キャンパーなら、そういうことがあるかも。」と思い直したが・・。それにしても、なんであんな道にキャンプ目的で入ろうとしたのだろうか。

 この五人が遭難した林道とは、鳥取側から戸倉峠を越えて少し下った所の左側から入る林道のことで、氷ノ山山頂の西に連なる通称三ノ丸の南側をうねるように延びている。筆者は、もう二十年以上も前のことだが、二、三回ほど積雪のある時と無い時の両方の時期に歩いて入ったことがある。当時からずいぶん経ってはいるが、地図で見てもほとんど様子は変わっていない。車を何台か連ねて入って雪に見舞われたら、方向転換にも苦労するような狭い道のままのはずだ。

 彼らが入山した12/25は、鳥取市内ではミゾレが降っていた。山の中では当然雪だったはず。降雪の中をあの辺の林道に十分な準備も無しに車で入るなどというのは、これも自殺行為の一種だろう。彼らは数十年来のキャンプ仲間だったそうだが、大阪周辺の雪と山陰の雪とでは降り方が全く違う。鳥取の人間にとっては、一晩に数十cmの積雪などは、二、三年に一度くらいは経験することだ。

 余談になるが、筆者が体験した一番の豪雪は1983年12月25日、クリスマスの日曜日のことだった。その日は午前中から氷ノ山のスキー場(鳥取県側)で滑っていたが、あまりにも降雪が激しいので、早めに切り上げて15h頃に駐車場に戻ってみたら、置いてあった車の大半が雪に埋まっていた。車を置いてから5時間ほどの間に60cm以上は積もったようだった。

 自分の車を見つけて掘り出すのに約一時間、駐車場から抜け出すのに一時間、そこから普段は一時間程度で着くはずの鳥取市内の自宅まで帰るのに五時間以上はかかった。路面が雪で凸凹で、まるで波の上を上り下りしているようだった。家にたどり着いた時には23hになっていた。

 四駆の車であれば大丈夫というわけでもない。数年前、11月下旬に県東部のある山の林道を歩いていたら、その前日に狩猟目的で入ったと思われる鳥取ナンバーのジムニー(軽の四駆)が林道脇に乗り捨てられていた。積雪は30cmほどだったが、車輪がスタックして脱出できなくなり、いったん放置することにして歩いて下ったようだった。四駆車ならどんな積雪状態でも車で行けるというのは完全な誤解だ。降雪が予想される時には、車が使えなくなった時の準備無しでは車で林道に入ってはならない。

 コロナ禍のせいか、最近になってキャンプや登山を始めた人が急増している。雑誌やガイドブックに紹介されているコースをそのまま自分もこなせると思っていると痛い目にあうだろう。特に雪のある時期の登山は危険と隣り合わせだ。

 どうしても雪の中を山に行ってみたいと思うのなら、自分の体力の限界を知るためにも、有名な山ではなくて、まずは雪のある時期に身近な安全な低山を歩いてみることをお勧めしたい。

 鳥取市内では、樗谿公園から本陣山あたりにかけてが推奨コースだろう。ここなら吹雪の中を歩いても道を見失うことは無いはずだ。雪が無い時期には老若男女が行きかうただの散歩コースなのだが、今日の雪が止んだ頃、明後日あたりに歩いて見れば、足跡が無い雪道を歩くことがどんなに体力を消耗するかを身に染みて体験できるだろう。なお、いくら低山であっても、本当に悪天候の場合には自宅の裏山でも遭難しかねないので注意が必要だ。

 過去の約百年間の石油文明の発展のおかげで、我々は時には空中を飛び、他の動物たちが真似のできないような速さで長距離を走り、何千kmの遠方どころか、地球の裏側で採った美味しい食物さえも手に入れることが出来るようになった。

 我々はこれら全てが元々から自分たちが持っている能力だと思い込みがちなのだが、災害の発生等によって、ひとたびその石油文明と技術とから切り離された場合には、我々は極めて無力なサルの一種族へと逆戻りしてしまうのである。地球本来の自然環境の中では、我々は数日間生きるための食物の確保すら自力では困難な、実にひ弱な生きものなのである。

 その厳然たる事実を思い出し、また現在、我々が享受している文明がこのままでよいのかを考えるためにも、時々、キャンプや登山に出掛けることはよいきっかけとなるだろう。

 ただし、都会での日常生活の便利さをそのままそっくり自然環境に持ち込むようでは、一体何のために野外に出かけたのかが判らなくなるのではないかと思う。危険を事前に察知する能力、不便な中でもその場で手に入るものを利用して生活していく能力を養うことは、今後、いつか必ずやってくる災害を生き延びるための予行演習にもなるだろう。

 なお、この記事の中では遭難された当事者を批判する内容を述べてきたが、明らかに不適切な行動については、やはり批判しなければならない。そうしなければ、今後も同様な行動をして遭難する人がまた出て来ることになる。

 メディアも単なる遭難の事実報告にはとどまらず、事後でよいので、その原因を明確に究明し公開すべきだろう(遭難者と関係者は匿名にすればよい)。そうしなければ、遭難した方の貴重な経験や事例が後に生かされることなく無駄に終わることになる。

/P太拝

 

追記:ブログにアップしようとする前に、念のためにネットを確認したら、少し前に大山で行方不明だった方の死亡が確認されたそうだ。亡くなられた方のご冥福を祈りたい。また、この危険な天候の中で捜索を続けられた地元の皆様には本当にご苦労様と言いたい。若干文章を書き直すべきなのかもしれないが、あえて当初の内容のままで掲載しておきます。

鳥取市の大規模風力発電事業の問題点(8)   -青谷町風力発電事業の現地を確認 気高・鹿野町編-

 先回は「青谷町風力発電事業」計画の青谷町側から見た影響について取り上げました。今回は気高町鹿野町側への影響について見ていきます。

 現地には昨年12月上旬と今年一月上旬の二回訪れました。以下に示す景観予想図で使用した写真は今年の一月に撮影したものです。海沿いでは正月に降った雪は既に消えていましたが、鹿野町まで行くと積雪がたくさん残っていてビックリしました。

(1)事業計画の概要

 この計画を推進している自然電力(株)(本社:福岡市)による風車の設置予定図をあらためて図-1に示す。

 青谷町と気高町の境界である南北に伸びる丘陵上の約5kmにわたって合計12基の風車を建てる予定であり、各風車の出力は一基あたり2000~4000kW、高さは120~150mにもなる。

 以下の説明のために、各風車には北から順にNo.1~12を、また青谷町早牛地区の西側に計画されている二基の風車にはNo.13,14の仮番号を付けた。また図中の赤い×印は下に示す景観予想図に使用する写真を撮影した地点を、赤い〇印は風車に隣接する各集落を代表する地点を示している。


図-1 風車の設置予定図(図、表はクリックで拡大。以下、同様)

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 なお、図の右下に示したオレンジ色の丸印7個は、青谷風力とは別に鳥取市南西部の中山間地に計画中の「鳥取風力発電事業」の風車が設置された場合に想定した設置場所である。この事業計画はシンガポールに拠点を置くヴィーナエナジーによるものであり、当初の計画によれば出力4500kW、高さ約150mの風車を計32基立てる予定となっている。風車の詳しい設置位置については現段階では公表されていない。この計画に比べれば、青谷町風力発電事業の計画は風車間の距離が著しく近いことがよく判る。

 鹿野町鬼入道地区の南側の鷲峰山から毛無山にかけての稜線もヴィーナエナジーによるこの計画に含まれており、計画全体では風車間の間隔は約1km弱と推定されることから、この付近の稜線には7基程度の風車が設置されるものと予想して仮に配置してみた。青谷町と市南西部の二つの計画が共に実現した場合には、鹿野町の南東側と西側に多数の風車が林立することになる。

 

(2)気高町鹿野町側から見た場合に予想される景観

 以下、自然電力(株)が当初の計画通りに風車を設置した場合に各地で予想される景観図を示す。設置される風車は全て出力4000kW、高さ150mと仮定する。出力2000kWの風車を設置した場合でも高さは120mはあるので、景観にはさほど変わりはない。

 

気高町下原・会下」 

 図-2に気高町高江から西側の下原・会下地区を望んだ場合の景観予想図を示す。また、風車と各集落の位置関係と撮影した地点は図-3に示す。なお、図-3の地図は国土地理院地図サイトから得た地図をそのまま使用しており、地図中の小さいウィンドウは撮影点から一番近い風車までの直線に沿った地形断面図を示している。

 この撮影点からはNo.5までの5基の風車が見えると予想される。撮影点から一番近いNo.3までの距離は1.61km。ただし、下原・会下地区の中の、例えば図-3の赤丸の地点からNo.3までの距離は0.99kmしかない。

 

図-2 気高町高江からの景観予想図

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図-3 風車No.3、下原・会下、撮影点の位置関係

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気高町山宮」

 図-4に景観予想図、図-5に風車、集落位置、この写真の撮影点の地図を示す。一番近いNo.8は撮影点からは0.86km離れているが、集落内の赤丸の地点からは0.67kmしか離れていない。

図-4 気高町山宮からの景観予想図

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図-5 風車No.8、山宮、撮影点の位置関係

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気高町上原」 
 図-6に景観予想図、図-7に風車、集落位置、この写真の撮影点の地図を示す。一番近いNo.10は撮影点からは0.67km離れているが、集落内の赤丸の地点からは0.51kmしか離れていない。

図-6 気高町上原からの景観予想図

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図-7 風車No.10、上原、撮影点の位置関係

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鹿野町今市・越路ヶ丘」 

 鹿野町中心部から国道9号に向かって北に伸びる県道32号線沿い、鹿野かちみ園から南に約500m離れた地点から撮影した写真を使用して景観予想図を作成した。

図-8は景観予想図、図-9は風車と撮影地点の位置関係を示す。一番近いNo.10から撮影地点までは1.95km、図-9中に赤丸で示した越路ヶ丘西端地点までは1.30kmである。

なお、図-8の中には含まれていないが、No.6の風車の右側にNo.7との間の角度とほぼ同じほど離れてNo.5の風車の上半分ほどが見えるはずである。結局、この地点からは計8基の風車が見えることになる。

 

図-8 鹿野町今市からの景観予想図

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図-9 風車No.10、越路ヶ丘、今市、撮影点の位置関係

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 この付近には鹿野温泉があり、温泉を利用する施設として国民宿舎、温泉病院、民間保養施設、日帰り入浴施設等が点在している。また越路ヶ丘地区は全戸給湯施設を備えた分譲地として開発された経緯があり、主として関西方面からの移住者が多いようだ。

 後述の図-10等で示すように、風車から2km離れていても健康被害を訴える事例が全国各地で報告されており、風車が建設された後でもこの地域全体が今まで通りに保養地として人気を集められるのか、はなはだ疑問である。少なくとも越路ヶ丘地区等の地価がこの風車建設によって今後下落する可能性は高いだろう。


 旧気高郡三町の中では、鹿野町は旧城下町の風情と温泉、演劇団体等の文化関連団体の誘致、地元による街おこし活動などで観光客の人気を集めており、最近は都会からの移住者も増えて人口減少も下げ止まりつつあると聞いていたが、この「青谷町風力発電事業」はせっかくのその動きに水を差すことになるだろう。先例としては、都会から河原町北村へ移住を予定していた一家が「鳥取風力発電事業」の計画を聞いて急遽移住を取りやめたことが、既に二年前に新聞報道されている。

 

(3)青谷町側、さらに全国各地の風車による健康被害を受けている地域との比較

 気高町側から見る風車は、青谷町側から見るよりもはるかに高くそびえることになるだろう。これは図-1の風車配置図から判るように風車の位置が著しく気高町側に寄っているためである。

 さらに、図-1から風車No.1~5と風車No.6~12との間に約1kmの空白地帯があることがわかるが、これはこの予定地の主たる地権者である蔵内地区からなるべく風車を離して立てようと意図したことによるものだろう。蔵内地区から意図的に風車を離した分だけ、他の地区、特に気高町側が余計に健康被害のリスクにさらされることになる。

 各集落から各風車への距離を一覧表にした結果を表-1に示す。集落を代表する地点としては、図-3,5,7,9の中の赤丸の位置を再度確認されたい。比較のために青谷町蔵内地区の神社横の橋の上(図-1中の赤丸)から各風車への距離と仰角も表の末尾に示している。各風車の高さは全て150mであるとしてその最高点への仰角を計算している。

 なお、これら赤丸の地点の、例えば「標高17+2m」とあるのは、その地点の標高に人の眼の高さをプラスした海面からのおおよその標高を意味している。各集落から各風車への距離の中での最短の距離と最大の仰角とを赤色の太字で示した。山宮、上原両地区では、蔵内地区に比べて風車までの距離が著しく短いことが一目瞭然だろう。

 

表-1 各集落から各風車までの水平距離と仰角の比較

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 参考までに、仰角の大きさを身近な例で示しておこう。例えば室内で自分の眼と同じ高さ(立っていても座っていても良い)の壁の上に目印を付けておき、さらにそこから1m高い所に別の目印を付ける。

 表中の、①下原・会下や、④鹿野町越路ヶ丘のように仰角14~16度の場合、その仰角は壁から3.5mほど離れてこの1m上の目印を見る角度に相当する。

 ②山宮地区の仰角27.6度は、壁から2m離れて1m上の目印を見上げる角度とほぼ同じである。

 ③上原地区の仰角33.6度に至っては、壁から1.5m離れて1m上の目印を見上げる角度と同じである。このような角度で見上げる頭上で回り続ける羽根を毎日見ていても気にならない人は、この世の中にはほとんどいないだろう。少し昔の言い方をすれば、風車が立ったら「嫁の来てがなくなる」ことになりかねない。

 次に、各集落と風車の間の地形断面図を見てみよう。図-10に気高・鹿野側各集落と青谷側、さらに全国各地で既に風車による健康被害を受けている地域との地形断面図の比較を示す。比較のため、縦横の縮尺は全て同一にそろえてある。

 

図-10 各集落と風車の間の地形断面図の比較

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 一目でわかるように、風車からの距離が気高町側の山宮や上原と同程度なのは青谷町側では早牛地区だけである。

 さらに、これらの地区は既に風車による健康被害を受けた全国の各地区(被害実態の詳細については当風車シリーズ記事の五回目を参照のこと)よりもさらに風車に近く、しかもこの「青谷町風力発電事業」の風車の出力は、最大で各地で健康被害を引き起こした風車の二倍以上に達する。こんなことでは、これらの地区が風車による健康被害を受けるであろうことは、もはや確実と言ってよい。風車が建設されても一円も入って来ない多くの周辺集落が、なぜこのような被害を受けなければならないのだろうか?


 事業者である自然電力(株)が全国での風車による過去の健康被害例を全く学んでいないことも強く指摘しておかなければならない。仮に学んでいれば、出力2000kW以上の風車を人家から500~600mの近距離に立てるような無謀な計画を立案することなど、最初からありえないからである。

  最近は、SDGs「持続可能な開発目標」という言葉を耳にすることが多い。この目標に向けて努力を始めた自治体、企業、省庁は既に数多いのだが、この「青谷町風力発電事業」は、SDGsで掲げられている多くの目標である「人々に保健と福祉を」、「人や国の不平等をなくそう」、「住み続けられるまちづくりを」、「平和と公正を全ての人に」等々に明らかに相反するものである。この事業は、地域住民の健康を害し、地域内での分断を強め、地域全体の包括的な発展を阻害しようとしている。

 この事業を進めている自然電力(株)はもちろんのこと、このような地域住民の人権を無視する事業や事業者に出資する金融機関、このような事業によって発電した電気を買う電力会社やその電気を使う企業・消費者、また、このような事業を安易に認可する自治体や政府関係機関、いずれにも「自分たちはSDGsを推進しています」と胸を張って言う資格は全くないと言ってよいだろう。

 我々は、単純に「再生エネルギーの割合が増えた」という点だけを取り上げて拍手するべきではない。そのエネルギーを生み出す過程で、一人たりとも犠牲者を出すことがあってはいけないのである。

 

(4)まとめ

 仮にこの自然電力(株)の当初計画通りに風車が立ったとして、実際に運転が始まって周辺の集落で健康被害が発生した場合には、その被害者は救済されるだろうか。残念ながら、その可能性は今のところは全くないと言ってよいだろう。

 おそらく、事業者と地権者との正式契約には健康被害への言及やそれが発生した場合の補償については一言も盛り込まれないだろう。上に見たように、自然電力(株)は風車による健康被害などは最初から全くないものと決めてかかったうえで、この無謀な事業計画を立案しているのである。

 そもそも、地域住民の健康と人権とを無視するこのような企業が大手を振って横行している根本的な原因は、風力発電に対する環境省の現在の姿勢にある。昨年春の当ブログの一連の風車シリーズ記事の四回目(「鳥取市の大規模風力発電事業の問題点(4)」)で既に説明したように、2018年の時点で環境省の風車騒音に対する公式見解を以下のように表明している。「20Hz以下の超低周波音は人間の耳には聞こえないとされているから、いくら大きくても健康被害には関係ないはず」という考えがこの見解の背景にある。

『・・「これまでに国内外で得られた研究結果を踏まえると、風力発電施設から発生する騒音が人の健康に直接的に影響を及ぼす可能性は低いと考えられる。また、風力発電施設から発生する超低周波音・低周波音と健康影響については、明らかな関連を示す知見は確認できない。・・』(「日本における風車騒音のガイドライン」 日本音響学会誌74巻5号より)

 この環境省の見解は、2013年に発足した騒音対策の専門家による委員会である「「風力発電施設から発生する騒音等の評価手法に関する検討会」によってまとめられたものである。(「風力発電施設から発生する騒音等に対する取組について」 総務省機関誌 ちょうせい99号より)

 この委員会の座長を務めた町田信夫教授は、近頃何かと世間を騒がせている日本大学の所属だが、最近では下の秋田県での記事に見るように、風車建設予定地を頻繁に訪れては「風車騒音による健康被害は未だに公式には立証されていない」と力説して回っておられるようである。環境省も町田教授も共に、日本の各地で健康被害を訴え続けている住民の存在を全く無視しているように見える。

「風力発電施設における騒音及び超低周波音について(日大 町田教授)」

 

 さて、当風車シリーズ記事の四回目で既に述べたように、筆者は風車から発生する数Hz前後の超低周波音が家屋の持つ共振周波数に同調することで、時間と共に家屋の揺れが激しくなることが健康被害の主因だろうと推測している。被害者が共通して訴えている、めまい、頭痛、吐き気、耳鳴り、耳のふさがり感、不眠などの症状は、揺れ続ける船や車に長時間乗ることで発生する乗り物酔いの症状とほぼ共通しているからである。

 この仮説を立証するのは簡単である。健康被害を訴えている被害者の住居内の壁面や床面の振動レベルを振動計、または加速度計で実際に測定してみればよい。人体の振動レベルと健康被害との関係について調べた論文は既に世の中に数多くあるだろうから、その間をひもづけることが出来れば、風車建設と健康被害との間の因果関係が成立する。

 また、このようなデータを蓄積しておくことは、今後同様な被害者を出さないためにも必要不可欠なことである。この分野に関係する研究者には、今後の研究テーマの候補として取り上げていただくように是非お願いしたい。

 とはいえ、風力発電業者と地元との間で結んだ契約には健康被害に関する条文は現時点では皆無だろうから、既に健康被害を受け続けている被害者に関しては、いくら振動に関するデータを取ってみたところで事業者が素直に補償してくれるとは到底思えない。

 被害者救済のためには、あとは裁判に訴えるしかないのだが、関連する法律や契約が無い場合には、裁判所は既存の公的文書を基に判断するはずだ。現在、風車騒音被害については公的には環境省の見解しか存在しないので、裁判に訴えても裁判所に門前払いされる確率は極めて高い。この流れの経過は、当風車シリーズ記事の五回目の「健康被害実例 ⑤ 愛知県田原市での実例」に見る通りなのである。

 今後、この裁判所の姿勢を変えていくためには、遠回りにはなるが、やはり、「風車稼働 → 家屋の振動 → 住民の健康被害」という因果関係を実証するためのデータの蓄積が不可欠だろう。

 さて、以上の議論の結論としては、「一度、近所に風車が立ったら、もうおしまい」ということである。風力発電事業者の一般的な借地契約期間は20年間のようだが、20年後に風車が撤去されて更地になった時には、周辺集落が空き家だらけになっている可能性は高い。

 特に、この「青谷町風力発電事業」については、住民に対する健康被害を全く考慮していない最悪の事業計画と断言してよいだろう。この計画を実施した場合には、旧気高郡三町の過疎化は現在よりもさらにより一層進むことになるだろう。

 この事業に用地を提供する予定の地権者には、ぜひとも再考と賢明な判断とをお願いしたい。

 仮に今後、これらの風車群が計画通りに青谷町に立ったとして、自分の集落や周辺集落で健康被害が発生した場合、地権者には法的な責任は発生しないのかも知れないが、自分の集落の被害者と周辺集落の被害者に対する道義的な責任をまぬがれることは出来ないだろう。

/p太拝

 

歌詞

 

追記:先回の記事では、今回の記事の(2)に示したような「景観予想図」の作り方について改めて説明する予定としていましたが、かなり複雑で長い説明となり、かつ技術的な内容に偏るため、今回の記事に含めることは見合わせました。景観予想図の作り方について問い合わせたい方は、別途、次のアドレスにその旨のメールを送ってください。

以上、お手数ですがよろしくお願いいたします。

e-mail:  mailto@sustainabletori.com