「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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ラグビー、再発見!(2)

 一昨日の土曜日の日本対アイルランド戦。優勝候補を倒す大金星を挙げました。試合内容については既に山ほど報道されており、いまさら紹介するまでもないが、記事を一つだけ付け加えておきましょう。まさにラグビー精神の「ノーサイド」を象徴する光景。実際に会場で見ていたら、自分も感動で涙が出たかもしれない。

「アイルランド、日本に作った“友好の花道”に感動」

「ツイッター上の実際の動画」

 昨日のウェールズ対オーストラリア戦も、最後までどうなるかわからない、いい試合でした。ドロップゴールの多用が意外だった。オーストラリアが優位だろうと思っていたが、先入観は裏切られるもの。ラグビーの勢力図は日本も含めて変わりつつあるのかもしれない。

 さて、テレビでは全然報道されていないが、同じ時期に来年の東京五輪予選を兼ねた7人制ラグビーアジア大会も開催されていました。日本は男女ともに総合優勝。

「アジアセブンズシリーズ2019は男女とも日本が総合優勝 スリランカ大会もWで金」

  日本は開催地枠で既に東京五輪への出場が決まっていました。スクラム主体の15人制ラグビーに比べると、15人制と同じフィールドをわずか7人でカバーする7人制は走力と持久力が要求されるため、バックス系の選手が主体。数十mを独走してのトライが頻繁に見られ、形勢が一気に変わるところがスリル満点。先回のリオ五輪で正式種目となり、当時、面白くてよく見ていました。放映の機会があればぜひ見てください。

 試合だけでなくラグビー関連の放送もこのところ多いが、一つ驚いたのは先週のNHKの番組で日本ラグビー協会副会長の清宮克之氏が、「自分たちは、先発メンバーを選手だけで相談して決めていた」との発言でした。同氏は早大出身であり早大在籍当時のことのようだが、ラグビーの特徴である選手の自主性尊重を物語る話だ。監督からの上意下達に偏りがちな野球とは対照的。最近の高校野球チーム数の減少は、旧来然とした硬直的、画一的な指導体制がその一因のように思われる。

 筆者は、1970~80年代の大学ラグビー全盛のころは毎年正月に大学選手権の放映を見るのが楽しみでした。特に早明戦の盛り上がりはすごかった。当時はトライを挙げる花形であるバックスばかりに目が行っていて、フォワードの働きについてはよく理解していなかった。今回のWカップを見ることでフォワードの役割が非常に大切であることがようやく理解できた。フォワードの突進力があってこそ相手の陣形が乱れてスペースが空き、そこをバックスが突くことができるのですね。フォワードのボール保持能力が高いほど、味方の攻撃の機会も増えるわけだし。

 中学生の頃、兄が買っていた石原慎太郎の「青年の樹」という小説を読んだが、その中に、主人公がラグビーの試合で数十mを独走してトライを決めるシーンがあった。そのかっこよさに魅了されて、高校に入ったらラグビーをやりたいと思った。しかし、いざ高校に入ってみると、自分が激しいぶつかり合いに耐えられるかが心配になり(当時の筆者はヒョロヒョロだった)、中学からやっていた種目をまた選んでしまった。

 なお、我が母校には当時は弱小ながらラグビー部が存在したが、今はない。鳥取県は昔も今もラグビー不毛の地であり、ラグビー部のある高校は、現在、県中部に二校、西部に二校しかないようだ。

 人生の節目節目において自分が選んだ道をほとんど後悔したことがない筆者ではあるが、「あの時、ラグビー部を選んでいたら、自分は今頃どんな人間になっていただろうか?」と今でも時々思うことがある。

/P太拝