「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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ラグビー、再発見!(3)

 快進撃を続けてきたラグビー日本代表でしたが、昨夜、ついに南アフリカの強力フォワードによってその突進を止められてしまいました。

 典型的な「にわかラグビーファン」である筆者、日本代表の試合の時にはラグビー強国の習慣にならってビールを飲みながら観戦していた。おかげでこのところ毎週末になると飲み過ぎ警報が脳内に点燈しっぱなしだったが、今週からはもう日本代表の試合を見られないのかと思うと寂しい限り。でも約一か月にもわたって楽しませてもらったのだから、代表チームには「ありがとう」を何べん言ってもたりないと感じている。

 今日のネット上はラグビー関係の記事であふれていたので、今さらあらためて紹介するまでもないが、ラグビーファンの行動についての記事を二つだけ挙げておきたい。こういう記事を読むと、なおさらラグビーが好きになってしまうのだ。

「日本ファン、敗戦後の“客席のユニ交換”に絶賛の嵐「これ素敵!」「最高のシーン」」

「「今すぐ東京スタジアムに走れ!」南ア戦直前、アイルランドサポーターからもらった一生もののプレゼント」

 

 「紳士が野獣のようにやるのがラグビーで、野獣が紳士のようにやるのがサッカー」という言葉が米国にはあるそうだ。外国のサッカー選手や、よく暴動をおこす外国のサッカーファンについてはともかくとして、日本のサッカー選手とファンは野獣には程遠いとは思うのだが・・。たぶん、サッカーや野球などの他のスポーツ一般に比べて、ラグビーだけがスポーツ界では一種独特の存在なのだろう。

 ラグビーでは体力消耗が極めて激しいので、W杯などの大会以外の通常の場合にはゲーム間隔を一週間は空けるとのこと。「四週連続して試合をしたら一週間は試合を入れない」というのが日本チームのいままでのスタイルであったそうだ。連続で五週目の昨日の試合前には既に相当体力を消耗していたとの指摘もある。上の言葉は、「週に一度ラグビーをやって80分間を野獣のように暴れまくったら、後の六日間は(体力回復のために)おとなしく紳士然としていなければ体がもたない」と言い換えてもよいのかもしれない。

 80分間、全体力を使いはたして争った相手とは、試合が終わってからはケンカなんかもうしたくない。体力の極限まで出し尽くした自分自身と、同様に戦った相手も共に誉めてやりたい。ラグビー独特の「ノーサイドの精神」の背景にはこういう事情もあるような気がする。ともあれ、平和であるべきはずのスポーツの場で、ナショナリズムの発揮による暴力沙汰などを見るのはもうウンザリだ。ラグビーという競技は、国同士のケンカがいかにくだらないかを実感させる貴重な場を提供する可能性を持っているような気がする。 

 さて、もう一つ感じたことだが、今回のラグビーW杯をきっかけとして、我々自身による「日本人の定義」がかなり変化していくような予感がする。十年ほど前には、「日本人の両親から生まれた人が日本人」というのがごく当たり前の一般常識だったように思うが、最近は「自分で日本人になりたいと思った人も日本人として認める」という傾向が社会的に許容されつつあるように思う。今回のW杯ではリーチ主将などがその典型例だろう。

 もちろん、日本が世界に向かってより開かれること、日本社会に外国をルーツとする人々が加わることによってより多様性が増すことについては、筆者は大いに歓迎したい。日本政府はいまだに移民を許容していないが、移民国家である米国の産業を支えているのはほかならぬ移民であり、アップルとグーグルの創業者がともに移民の息子であることは良く知られた話である。アメリカのIT産業を支えて米国に海外からの利益をもたらしている人たちも、その多くが中国やインドからの移民なのである。日本では、自ら望んでやってきた移民ではないにせよ、ソフトバンク孫正義氏も移民の息子だ。

 多様性の上に立って、異なった意見の持ち主同士で議論を戦わせることこそがイノベーションの根源なのである。米国の対極にあるのが今の中国だが、国内の多様性を否定して政府自ら情報統制するような国にできることは、せいぜいが他国の技術のコピーでしかない。中国が現在のままであれば、同国には明るい未来などは到底ありえないとだろう。

 話がさらに飛躍してしまうが、人類学的に見れば、かっての日本列島は世界に類がないほどまでに移住者に対して寛容な地域であったらしい。大陸から日本列島へは、旧石器時代、縄文、弥生、さらに飛鳥時代帰化人等々、異なる遺伝子と文化を持った人々が次々に流入してきたが、彼らの様々な遺伝子タイプは我々現代日本人の中に未だにしっかりと保存されているのである。

 特に男性の父系を示すY染色体で見ると、現代の中国や韓国で8割前後を占めているOタイプが、現代日本人男性では約5割前後と少なめとなっている一方で、残りの約五割の中では既に大陸で絶滅してしまったD2タイプやC3タイプなどの4~5万年以前に発生した古いタイプがいまだにかなりの割合を占めている。いわば、日本は、東アジアにおけるY染色体の貯蔵庫と言ってもよいのである。

「Y染色体ハプログループの分布 (東アジア)」

 このことは、この列島に流れ着いた各グループの間では、相手を絶滅に追いやるほどの虐殺や圧迫がほとんどなかったことを示している。青谷上寺地遺跡にみられるような集落間の抗争はあくまでコメや通商を巡る弥生人同士の争いであり、縄文人集落と弥生人集落の間には大きな争いは認められず、むしろ相手の文化を互いにゆっくりと取り込みながら共存し融合していったというのが最近の考古学上の定説なのである。

 日本の対極にあるのが中南米地域だ。中南米地域に現在住んでいる住民に対するY染色体の調査結果はほとんど公表されていない(おそらく社会的な影響の大きさを考慮して公表はタブー視されているのだろう)。この地域に関して公表されているのは、一万数千年前にシベリア方面から移住してきた先住民の現存する末裔に関するデータだけである。概論的な解説によると、この地域の住民の大半の遺伝子は、父系は入植者であるスペイン・ポルトガル人男性に由来、母系は先住民女性に由来しており、先住民男性が保有していたY染色体は現代ではごくわずかしか見られないらしい。スペイン人等による暴力的かつ酷薄な植民地支配の数世紀が、このような結果をもたらしたことについては今さら言うまでもない。

 いまや世界的な大移動の時代である。よりよい仕事と給料と生活環境とを求めて、毎年億単位の普通の人々が国境を越えて行き来している。「日本が好き、日本に住みたい」と言われているうちが花なのである。この先、少子高齢化で日本経済が右肩下がりになれば、そういうことを言ってくれる外国人も少なくなるだろう。「外国人を入れるな」と現在言っている人たちが二十年、三十年後に高齢者となった時、移民に対して門戸を閉ざしている今のままでは、医療・介護職など自分の世話をしてくれる人々、日本かつ国内で働くことで介護費や医療費を負担してくれる人々が、さらに大幅に減ることは確実なのである。確実にやってくる将来を見すえて今一度考えなおしてみるべきだろう。

 そもそも我々の御先祖様は、元々は出自と言語や文化が互いに異なるグループに分かれていたものが、この狭い列島の中で何とか折り合いをつけながら共存し融合して今の日本を作ってきたのである。ご先祖様にできたことが子孫である現代の我々にできないはずはない。今回のラグビーW杯は、外国をルーツとする人との協力関係を作っていく上での大変によい先例となるのではないかと思う。

 

 さて、今後のW杯の楽しみは、優勝の絶対候補のニュージーランドイングランドとの、そして決勝はたぶん南ア(そう願いたいが・・)との対戦でどう相手を料理するかということだろう。ニュージーランドはとにかくミスをしないのがすごい。南アが日本戦で見せたようなミスを連発していては到底勝ち目はないだろう。

 注目の選手としては、南アの「ポケットロケット」の異称を持つ小柄なコルビ選手を推したい。ニュージーランド戦では結構活躍していたのに、昨日の日本戦では負傷の後遺症のためか精彩がなかった。次戦では再び活躍して欲しい。

「小さな爆速男は日本の脅威! 南アフリカ戦は170センチのトライゲッター「チェスリン・コルビ」を警戒せよ」

  2021年には日本でもラグビーのプロリーグが始まるそうだ。だいぶ先のことになるが、2023年のフランスでのラグビーW杯での日本代表の活躍には大いに期待したい。

/P太拝