「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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少し以前の中国(1)

 筆者が電気関係の会社の技術者であった頃、仕事の関係で中国には数十回も往復していました。筆者の担当は日本にあった既存の生産ラインを現地工場に移設、または全く新規の生産ラインを立ち上げることでした。中国製の生産機械の調達から始めて、工場への機械据え付け、試運転、量産開始に至るまでの各段階に立ち会ってきました。

 頻繁に中国に通っていたのは2005~2012年の七年間。前半は香港に近い華南地区、後半は北京より少し南の華北地区を拠点として中国各地に出張していました。訪問した都市は20近くを数えます。

 中国で仕事をしているうちに抱いた最大の疑問は、「日本人と中国人は外見上はほとんど変わらないのに、その考え方に実に大きな違いがあるのはなぜだろう」ということでした。色々なことを現地で経験し、さらに中国関係の本が目に留まれば片っ端から読んでいるうちにわかってきたことを、この場を利用して書いておきたいと思います。

 2013年以降の習近平政権になってからは、キャッシュレス等のIT化が一気に進んだ中国ですが、その根底に流れているものはまだほとんど変わっていないものと思います。中国に滞在していた当時、日本人の仕事仲間とよく話していたのは、「この国が根本的に変わるのには、三代、百年くらいかかるのではないだろうか」ということでした(いささか「上から目線的」ですが・・)。もちろん、我々の日本社会でも、どの方向に行くのかよくわからないものの、これからの百年のうちに大きく変わるのは確実なことなのです。

 世界人口の約五分の一、日本の約十一倍の人口を持つ隣の大国の動向が、好きと嫌いとに係わらず日本に住んでいる我々に大きく影響するのは間違いのないことです。今後、中国と対立するにせよ、協調するにせよ、まずはこの大国の実状について正確に把握しておくことが必要でしょう。筆者の経験が何らかの参考となれば幸いです。

 

(1)地理・気候

 込み入った話は後まわしにして、まずはとっつきやすい話題から始めましょう。現在の中国政府の公式分類によれば、中国の地域は大きく分けて六つに分けられ、北から順に以下のようになります。

東北地方(黒竜江吉林遼寧の三省。日本がかって植民地としていた旧満洲国に相当)、
華北 (内蒙古、天津、北京、河北、山西)、
華東 (山東、江蘇、上海、安徽、浙江、福建、江西)、
中南 (河南、湖北、湖南、広東、広西)、
西北 (陝西省以西)、
西南 (重慶市貴州省以西)。

wikipedia「中華人民共和国」

この中では、残念ながら西北地区と西南地区には行ったことがありません。(重慶で本場の火鍋を、四川省で本場の麻婆豆腐を食べてみたかった・・。)

 地形的には、華北・華東地区のうち北京付近から長江(揚子江)までの南北約千kmにわたる広大な地域は、山東省に泰山等の低い山地があるほかは、どこまで行っても平らな平原です。今の黄河の流れは山東省北部で渤海湾に注いでいますが、昔は数百年間にわたって江蘇省を流れていたこともあり(沿岸部に廃黄河という小さい川が残っている)、この約千kmにわたる平原全体が黄河の氾濫原であったともいえます。

 今は高速道路が縦横に走り、車で行き来していますが、19世紀までは馬が主要な交通手段でした。優秀な馬を持っていた勢力、即ち遊牧民族がこの平坦な地形を利用して軍事的には圧倒的優位に立っていました。そのことは、今日、馬の代わりに車で走っていても容易に想像できます。19世紀までの中国の歴史は、軍事力で圧倒する華北の勢力が、経済的に豊かな華中・華南を武力で支配下に収めて全土を統一するというパターンの繰り返しでした。

 この平原ばかりの地域を、高速道路や開通したばかりの高速鉄道(中国版新幹線)で何度も行き来したのですが、とにかく山がほとんどなくて、地平線にいたるまで、見渡す限り畑が続くというのが普通の景色です(もっとも、大気汚染のせいで、地平線まで見えるのはよほど条件に恵まれた時だけ)。

 山東省や河北省より北は冬から春までは一面の麦畑。初夏に麦を刈り取ってから家畜飼料用のトウモロコシの種を播き、秋にそれを刈り取るとまた麦の種を播く。これを毎年繰り返すというのが華北地区の普通の農村風景です。六月に華北の農村地帯の脇道を車で走っていると、舗装された道のうえ一面に大量の刈り取ったばかりの麦が敷いてありました。傍らに立っている農民から「この真ん中を、麦を踏みながら通っていけ」と手ぶりで勧められることが何度かありました。通行する車のタイヤを利用した麦の脱穀です。時間はかかるものの、投資コストはタダという脱穀方法でした。

 一方、北から河南省に入ると突如として水田が現れ、さらに南下して長江に近づくほどに水田が増え、見渡す限り水田ばかりという日本人には見慣れた風景になります。長江は幅数kmはある文字通りの大河で、揚州付近にかかっている橋から下を見下ろすと、無数の大小の船が切れ目なく列を作り長江の中心線を境として上流行きと下流行きに分かれて整然と航行していました。まさに物流の大動脈と呼ぶにふさわしい大河でした。これだけ大量の船が行きかって汚染も進んでいるのだから、長江の固有種であったヨウスコウカワイルカが最近絶滅してしまったのも、これでは当然の結果かと思いました。

 長江と常に対比される中国文明の発祥の地と言われている黄河流域についても述べておきます。。渤海湾への河口に近い地点で黄河にかかる橋を通ったことがありますが、予想していたよりもはるかに小さな川で、「これが、本当にあの巨大文明を生んだ黄河なのか?」とびっくりしました。川幅としては鳥取市を流れる千代川のせいぜい二倍くらいか。河川敷全体の幅にしても1kmもなくて、せいぜい数百m。渡った時に車の中から撮った写真を下に載せておきます。

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 あとで調べてみたら、黄河下流では1999年までは断流といって流れが消えてなくなる現象が頻繁に起こっていたとのこと。中流までは流量豊富な黄河ですが、近年は農業用水や工業用水に大量に水を取られて、下流では細々とした流れとなっているとのことでした。華北地域の水不足の現状を実感しました。

 長江より南では山がちの地形となり、一見して日本の風景とよく似た景色が続きます。浙江省の寧波市の南にあるメーカーを訪問した時には、周りの低い山並みや、狭い谷間に散在する水田の中を流れる小川の様子などが鳥取や岡山の風景と実にそっくりで、一瞬だけ日本に帰ったような気分になりました。この時に同行していた初めて浙江省を訪れた華北出身の同僚は、山間からサラサラと流れて来る澄み切った川の流れを見て、「こんなにきれいな川を見るのは生まれて初めて!」と驚いていました。

 浙江省北部は、約二千二百年以上前の戦国時代の越の国、その北にある江蘇省は呉の国です。日本人の祖先の一部は、弥生時代水田稲作の技術を携えて日本列島にわたってきた呉や越の人々であるとの説があるのですが、この風景を見ていると「その説に納得」という気がしました。

 広東省付近になると、もう完全な亜熱帯気候です。道路沿いでは農家の人がサトウキビの茎やパイナップルをよく売っていました。滞在時に住んでいたホテルのエアコンは、冷房のみで暖房機能はありません。冬でもたまに朝方などには10℃以下になることがあり、そういう時には厚着をしてベッドで毛布にくるまっているしかなかった。海沿いのせいか夏の暑さはそれほどでもないが、高い湿度と夏の夕方の雷雨の激しさには熱帯を感じました。

 対して、北京を含む華北の天気は大陸性気候というのか、夏は暑くて冬は寒い。四月末には既に30℃を超える日も出て来る一方、八月に入ると早くも秋風を感じるようになります。冬の間はほとんど雨や雪が降らず非常に乾燥していて、寒波が来るとマイナス10℃くらいまで冷え込みます。今は天然ガスの使用でかなり改善されたようですが、当時はもっぱら石炭を冬季の暖房に使っていて、その排煙と自動車の廃棄ガスによる大気汚染が深刻でした。

 ひどい時には数十m先も見えないほどの濃霧が立ち込め、こんな日には早朝から高速道路も空港も全て閉鎖。一度、12月上旬に日本に帰ろうとした時に濃霧で高速道路には入れず、やっと着いた空港では飛行機も半日以上飛ばず、結局、上海の空港で予定外の一泊を強いられたことがありました。

 一番寒い経験をしたのは二月に東北地方の吉林市のメーカーを訪問した時でした。この街から南に200kmほど行った所には北朝鮮との国境があり、有名な白頭山がそびえています。瀋陽市から車で凍り付いた道を四、五時間ほど走って、夕方にようやく着いた吉林市では既に街中が氷漬け状態。翌朝の気温はマイナス25℃くらいまでに下がっていたようです。この日の昼食に出た生煮え気味の貝を食べたら、数時間後に軽い食中毒状態となってしまい夕食をパス。その日の夜間にトイレに十回くらい駆け込んだのも忘れられない思い出です。

 当時の現地で体験した気候は上に述べたような状態でしたが、特にここ最近、急速な気候変動に伴って中国の乾燥地帯に大量の雨が降るようになり、砂漠の植生が激変しつつあるという記事が頻繁に掲載されるようになってきています。海に囲まれている日本と違って、大陸では気候変動の影響がより早く表れやすいのです。関係する記事を二つ紹介しておきます。

「中国で体験した凄まじい気候変動の前触れ「雨前線の移動」とは」

「中国・黄土高原に「緑」よみがえった 地球温暖化の思わぬ影響」 

 近いうちに、内陸の不毛な砂漠地帯が一面の大穀倉地帯へと変わる日が来るのかもしれません。温暖化でシベリア南部までもが農耕適地へと変貌し、ロシアと中国の間で、かっての領土争いが再燃するという事態すらもありうるのではないでしょうか。

/P太拝