「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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少し以前の中国(2)-食事-

今回は中国の食事に関する話題です。

・主食

 先回書いたように、華北より北では米ではなく麦類が主食で、米の炊き方を知らない主婦や、炊飯器を持っていない家庭も多い。小麦を挽いて粉にし、食卓に並ぶ時にはマントウ、麺類、餃子などに姿を変えている。マントウ(饅頭)は具が入っていない蒸しパンのようなもので、朝食や昼食時にはよく食べられている。最初に食べた時には「全然味が無い、マズイ」と感じたものの、周りにならってスープに漬けたりオカズを載せて食べているうちに、だんだんと麦本来の味を感じるようになりました。

 麺類は、一般的には、はっきり言って全然おいしくない。華北のある程度の店での食事では、最後に小鉢に入れた麺類が出て来るが、ほとんど味のないスープに、これまたコシの無い麺が浮かんでいる。主菜には色々と工夫を凝らしはするものの、こと麺類に関しては美味しくしようとする努力が全然見られない。日本に来た中国人が日本のラーメンを称賛するのも、これでは当然と言う感じでした。

 ただ、例外的に、福建省あたりの郷土料理?らしい小エビ入りの麺には合格点が付けられる。透明なスープに細い麺、上に小エビと香菜(シャンツァイ。タイ料理のパクチー、欧米のコリアンダーと同じもの)が散らしてあり、細い麺にすっきりとした味のスープがからんで、けっこう美味しかったです。

 もう一つの例外としては北西部の「蘭州牛肉麺」が美味しかった。蘭州は内モンゴル新疆ウイグル自治区の間にある陝西省省都イスラム教を信仰する回族が多い。回族の彼らは中国各地の至る所に進出して「蘭州牛肉麺」の看板のかかった小さな店を出しており、少し大きな町ならどこでも食べることができます。いわゆるハラール料理の一種。
 牛肉からとった透明なスープに細い麺がひたしてあり、上に小さな牛肉片と香菜が載せてある。スープがおいしくて、毎回全部飲み干していた。量が少ないので、本格的な食事と言うよりは、小腹がすいた時に飛び込む店という感じ。1食で日本円で百円強くらいでした。店頭では、回族特有の白い帽子をかぶったご主人が小麦粉の塊を両手を広げて何度も伸ばして細い麺を作っていました。文字通りの拉麺(引っ張って作る麺)です。去年あたりだったか、東京にこの「蘭州牛肉麺」の店ができて、ずいぶん繁盛しているとの記事を読んだ覚えがあります。

 長江周辺から南は一転して米飯が主食。米の種類はタイやインドで食べられている細長いインディカ種ではなくて、大半が日本と同じジャポニカ種。味や食感はそこそこだが、中国産の米の問題点は、なんといってもカドミウム汚染の問題。十年位前には中国国内でもかなり報道されていて、当時の報道内容はバラバラだったが、少ない数字で中国国内産の米の一割、多い数字では約四割がカドミウムの許容値を超えていたとか。習近平時代になってからは自由な報道がほぼ不可能になってしまったので、最近の実情はよくわかりません。これでは、富裕層が日本産の米を求めるのも、もっともなこと。

 米の汚染の原因は、特に華南地区の鉱山開発や国内各地の工場排水のためとのこと。華南地区の山地の上空で飛行機の窓から下を見下ろすと、あちこちの山でレアアースなどの鉱山開発の土砂がむき出しになっていた。華北では一時的に自炊可能なマンションに数人で住んでいたことがあるが、その時には中国の東北地方産の米を買っていました。東北地方産のコメは汚染が少なく、味も日本産の米に近いとされています。

 筆者は、鳥取市内にかって存在したラーメンチェーン店Y屋のランチAセット(ラーメン+半ライス+餃子)が好きでよく食べていましたが、中国人が見たら眼を白黒させるでしょうね。「どこにオカズがあるんだ!三つとも主食ばかりじゃないか!」と。 

・料理
 一般論としては、中国人が一日に食べる野菜の量は、日本人よりもはるかに多いと感じます。昼食や夕食には、野菜だけとか野菜と肉や魚の炒め物がたいていニ、三皿は出て来る。野菜摂取量は普通の日本人のニ、三倍はあるんじゃないでしょうか。もっとも、その野菜や油が安全かどうかが大問題ですが。この種の中国での食の安全については、書き始めるとキリが無いので、別の機会に回したいと思います。

 膨大な種類がある中華料理についてこのブログで逐一コメントするのは到底無理なので、以下、思い出すままにいくつかを挙げておくだけにします。

火鍋」(フオグオ)
 最近は日本でも食べられるようになったとか。火鍋の発祥地は長江上流沿いの重慶市四川省とされているが、筆者が最初に火鍋を食べたのは北京市内でのことだった。
 中国人の工場長に案内されて日本人同僚も含めた三人で火鍋店に入ると、テーブル上には真ん中を金属板で仕切られた不思議な構造の大きな鍋が置いてあった。鍋の半分には真っ赤なスープが、残り半分には白いスープが入っていて、その表面が結構な厚さの油の層で覆われている。傍らのテーブルには肉、豆腐、何かの血を固めた寒天状の切身、山盛りの野菜等々。

 まず箸で肉をつまみ、シャブシャブ同様に煮えたぎる真っ赤なスープ中で肉片を数回振り、色が変わるのをみてから口に入れたら、辛い! 元々辛い物好きの自分ではあるが、経験した事のない「私上最強」の辛さ!その後はもっぱら白いスープ専門に転向。一方、中国滞在が既に数年の同僚と工場長は、慣れた手つきで赤いスープ専門でパクパクやっている。そのうちにこの二人、アルコール分50度弱の白酒(バイジュウ)を注文して二人で飲み比べを始めた。こちらは時々赤いスープに挑戦してはその都度退散、ビールで口をゆすぎながら飲み比べを見物。そのうちに二人ともロレツが怪しくなり、一瓶空けるころには酔いつぶれてしまった。翌朝、二人とも普段どおりにシャンとしているのにはビックリした。 

 この赤いスープには大量の唐辛子と花椒(フアジャオ)が入っていて、麻婆豆腐と同じ味付けとのこと。それにしても、火鍋は麻婆豆腐よりもはるかに辛い。以前の火鍋店は仕事仲間や家族数人で入る場所と決まっていたが、最近の中国では一人でも入れる火鍋店が登場、女性がスマホ片手に一人で鍋をつついている光景が見られるようになったとのこと。日本でも、女性が一人で吉野家で牛丼を食べていても何の違和感も感じなくなりました。日本でも中国でも、最近は世の中の常識が急速に変わっていくご時勢なのでしょう。

北京烤鴨」(ベイジンカオヤー)
いわゆる「北京ダック」。焼いたアヒルの皮を削ぎ切りにして、ネギの薄切りや味噌などと一緒に餃子の皮のようなものにはさんで食べる。日本でもどこかで食べたような記憶はあるが、中国ではじめて食べたのはこれも北京にいた時のこと。北京市内には「北京烤鴨」の有名店がいくつもある。初めは美味しいけれど、アヒルの皮の脂が多いせいか、そんなにたくさん食べられるものでもない。結局、かなりの肉を残してしまうことが多かった。

 中国では、店で食事をした際に残った料理を持ち帰る「打包」(ダーパオ)という習慣があり、店員に頼めば袋や容器などを持ってきてくれます。フードロス問題が深刻化している現在、日本でもまねして見てはどうでしょうか。

 北京での滞在は2006年から2007年にかけてのことが多かったが、オリンピック前の北京はまだ現在のように高層ビルが林立するほどではなく、大通りを荷車をひいた馬が歩いている光景を見て驚いたこともありました。行くたびに地下鉄の新しい駅が出来、車の大渋滞も頻発するようになり、古い街がどんどん壊されていく時期でした。

揚州炒飯」(ヤンチョウチャーファン)
 平日は工場の食堂で昼食を食べていたが、休日の昼食は街をブラブラ歩いてその辺の食堂で取ることが多かった。よく食べたのが揚州炒飯でした。細かく切ったチャーシューやグリンピース、コーンなどが入っている日本でもよく見かける典型的なチャーハンだが、なぜか当たり外れがなくてどこで食べても美味しい。使っている油はラードのはずなので、そこが違うのかもしれません。

辣子鶏」(ラーツージー 鶏肉の唐辛子炒め)
 ビールのつまみとして食事の最初によく注文していました。華南ではよく食べていたが、華北では店のメニューにはあまり載っていなかった。元々は重慶・四川あたりの料理らしい。辛い!辛いけれど、慣れるとやみつきになる。「ああ、また食べたい!」

酸辣湯」(スァンラータン)
 酸味が強烈な辛いスープ。華南にいた時に初めて食べたが、その夜はお腹がポカポカと暖かく、さらにゴロゴロと鳴り続けて夜中まで寝つけなかった。最近、日本のコンビニで同じ名前のカップ麺が売られているのを発見してビックリしたことがある。試しに買って食してみたが、本場のものよりはかなりマイルドになっていた。自分自身、二日酔いとか疲れた時には薄めた酢を飲むことを以前から実践しており、この料理、体には相当いいように思います。

西紅柿炒鶏蛋」(シーフォンシーチァオジーダン トマトと卵の炒め物)
 たぶん中国のどこの食堂でもメニューに載っている料理。数分間で出来て、旨くて、おまけに安い。何を注文するか迷った時には、とりあえずこれを頼むことが多かった。
 中国のスーパーでトマトを買ったことが何度かあるが、中国のトマトは日本のトマトよりもさらにまずかった。最近の日本のトマトは甘いだけで酸味が足りないと常々思っていたが、中国のトマトは酸味が足りない上に甘味も少なかった。

 こんなダメトマトでも、生食せずに火を通すと旨みを感じるようになるから不思議。日本に帰った時に何度か自分でも作ってみました。最初に卵を炒めてふんわり状態で取り出し、次に角切りにしたトマトを十分に火が通るまで炒め、最後に卵を戻して塩コショーだけで味付けするのがベストと判りました。

 筆者の舌は化学調味料にはかなり敏感で、大量に化学調味料が入っている料理はすぐに判るのだが、中国人は一般的にはあまり気にしていないようであった。ケッサクだったのは、有名シェフが料理長をしているというのがうたい文句の某店で食事をした時の事。メニューには、このシェフが北京や上海の有名店で修業をして来て数々の賞を獲得したと麗々しく書いてあるのだが、実際に運ばれてきた料理を一口食べたとたんに化学調味料の強烈な旨みが口中に広がった。周りを見渡すと、みんな平気な顔でパクパクとおいしそうに食べていた。

 自然素材から旨みを作り上げるには手間暇と材料コストがかかる。原価を切り詰める手っ取り早い方法は、何と言っても化学調味料の大量使用である。こういう店ほど宣伝上手で、かつ店の外観を飾り立てている傾向があるので、いわゆる有名店には要注意だ。それとは反対に、上に紹介した「蘭州牛肉麺」のように、たとえ外観が貧相な小店舗であっても、伝統の味を守っている店もたくさんある。これは日本でも同じことが言えるのかもしれません。

 モノを買う立場で出張することが大半だったので、訪問先で宴席に招待される機会も多かった。フカヒレやナマコ、ツバメの巣のスープなども賞味したことがあるが、正直言ってそう美味しいとは感じなかった(例外は上海蟹、実際旨かった)。中国人が日本でマツタケやタイの刺身を食べても、同じように感じるのかもしれない。我々は自分の舌ではなくて脳で賞味する傾向が強いのだろう。旨い不味いの判断の基準自体、それぞれの国の伝統文化の一部なのでしょう。

 華南にいた頃、新しく部門に配属された中国人社員と一緒に店で親睦会をする機会があった。ちょうど晩秋の時期で、中国人の部長が、宴会前の散歩の際にその辺の屋台で買った焼き栗を大量に持ち込んできた。皆で食べ始めると、これがほんのりと暖かくて香りも高く香ばしく、驚くほどおいしい。運ばれてくる料理はそっちのけで皆で焼き栗を食べ続け、あっというまに袋が空になってしまった。思いだしていると、その時のみんなの顔も浮かんできます。美味しい物を食べた時の情景の記憶は、何時までたっても覚えているものらしいです。

/P太拝