「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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「目の前の小石」を拾っている人ばかり

 先週、小池都知事が再選された。366万票を獲得しての圧勝だった。この人については、以前から、顔を見るたびに「うさんくさい」「薄っぺら」という言葉が頭に浮かんでしまう。三年前の「希望の党」騒動も、いったい彼女がどういう政治を実現したいのかよくわからないままに終わってしまった。

 あの時は、批判する側も「排除の論理はよくない」という言葉尻だけをとらえての批判に終始していた。自分の政治主張に合わない候補者を自党から排除するのは新政党の提案者としては当然の行為だと思うのだが・・・。ただ彼女の場合には、その政治的主張の具体的な中身がよくわからないことが最大の問題であったようだ。明確な線引きを示さないものだから、野党の面々は、新政党に参加してよいのやら悪いのやら判断停止の状態にあったのだと思う。結局は、互いにイメージだけの言葉をメディアを介して投げつけ合うだけで、後に意義あるものを何一つ生まない不毛な騒動となってしまった。

 現在の日本の政治の混迷の原因は、このように具体的な政策レベルでの政治方針を一向に示そうとしない政治家と、メディアに流れるイメージ量の大小だけで投票先を決める有権者(それでも、投票に行かない有権者よりはまだマシだが・・)にあると思う。

 そもそも大都市の有権者はイメージ戦略に弱い。大阪ではかって漫才師の横山ノックが知事となり、東京ではテレビでの露出度が多いタレントや、タレント的な政治家が最近の知事の多くを占めている。

 二十代の頃、東京都内でアパートを探したことがあった。不動産屋の車に乗って物件を案内してもらっていたら、彼は「この町内は意外と有名なタレントさんが何人も住んでますよ」と自慢していた。「そんなことと街の価値の間に何の関係があるんだ」と思いながらも黙って聞いていた。「テレビに出ている人は、どういう人物であれ、出ること自体に相当の価値がある」と思い込む傾向は全国的な現象なのだろうが、東京ではその種の人の割合が全国平均よりもかなり高いようだ。

 そんなことを考えていたら、昨日、面白い記事を読んだ。石原慎太郎元知事の腹心で副知事を務めた浜渦武生氏へのインタビューである。同氏のwikipediaを見ると、石原氏と同様にかなり強権的かつ暴力的な人物のようであるが、この記事の末尾に出て来る表現が何とも面白いので以下に紹介しておこう。

「小池知事の父の夢支えた浜渦元副知事「百合ちゃん幸せか?」」


 共感したのは、この記事の末尾にある「彼女には政治家としてやりたいことなどなく、ただ目の前の小石を拾い上げているだけに見えます」という部分である。

 「目の前の小石を拾い上げているだけ」というのは、考えてみれば、その場しのぎのパフォーマンス合戦に終始している日本の大半の政治家にピッタリな表現である。小池氏だけではなく、安倍総理を筆頭とする内閣の閣僚の面々、与党と野党の多くの議員がやっていることは、目前に差し迫った解決しなければならない問題という名の小石を優先してに拾いあげることで、課題に真摯に取り組んでいるかのように国民に対して見せかけるというもの。内閣と与党の場合には、拾った小石をいったん官僚に渡し、官僚は国民がその問題を忘れた頃に別の場所に小石を再びそっと落として歩くだけのことのようである。

 小石は拾って見せる一方で、大きな石は最初から避けて通ろうとする。この大きな石とは、先進国中最悪の政府負債、停滞し他国に置いてきぼりにされるばかりの生産性、それらの結果としての日本経済の没落、一向に改善しない出生率等々である。国の今後を左右する課題は数えきれないほどあるのに、一向に正面から取り組もうとはしていない。熱心に小石を拾って見せることで自分のイメージを良くし、次の選挙に備えることが最優先なのである。

 大きな石に正面からぶつかって自ら動かそうとしている政治家が、現在の日本に何人いるだろうか。目前の大きな石の一つであるコロナ対策にしても、国民の自主規制で今までは何とか感染の広がりを抑えて来てはいるものの、政府対策の実行の遅さは先進国中では最低ランクであることが既に露呈してしまっている。

 「小石を拾うだけの人」は、当然だが、地方政界では大半がそうである。地方自治では大きな石に出会う機会はめったに無いのでそれでも良いのだが、問題は「小石すらも拾わずに税金で飯食っているだけの人」の存在である。例えば、鳥取市議会の、特に与党の多くの議員は、「就職先として市会議員を選んだ」だけである可能性が高いように見える。

 議会内でも役所内でも、実際には拾ってもいないのに「小石を拾っているふりをするだけの人」もかなり多い。市職員の中では、本当に小石でもよいので真面目に実際に拾っている人は、それだけでもかなり貴重な存在なのかもしれない。

 この「小石を拾う」という表現、色々な場面で活用できそうである。

/P太拝