「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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内閣支持率は常に右肩下がり

 菅新政権が発足したとたんに、内閣支持率が6~7割へと急上昇した。新首相自ら「前内閣を継承する」と公言しているのに、何で前内閣の末期の支持率が一気に二倍にまで上がるのか?実に不思議だ。日本人に特有の「新しいモノ好き」現象の一種かもしれない。

 そう思って過去の内閣支持率の推移を調べてみた。菅政権成立直前までのデータを見つけたので下に示しておこう。各内閣の支持率推移はその大半が右肩下がりとなっている。特に今世紀に入ってからは、全ての内閣が右肩下がりだ。一方、'50年代から'80年代にかけては、各内閣の任期内での支持率はやや減少傾向にあるものの大きな変動を示してはいない。当時の日本国民は「総理を誰にするかを決めるのは、我々ではなくて雲の上の人たち」と思いこんでいて、あまり関心を持たなかったのかもしれない。

 このグラフを見ていると、長期間安定していた自民党政権が突然終わったという点で現在は小泉内閣の終了時に似ているように見える。先回と同じように短期政権が何代も続くことになるのだろうか。

 

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 元々のグラフがやや見づらかったので、1980年代以降の各内閣の区切りとして細い縦線をいれた。また、内閣発足理由が直前の国政選挙の勝利によるものである場合には、内閣名を赤い四角で囲んだ。
 1980年代以降で見ると、赤い四角で囲んだ政権はわずか三つしかない。このうち細川内閣は日本新党などの複数の野党が連立して成立したものである。第一党の政権交代による新内閣は、鳩山内閣と第二次安倍内閣のたった二回しかない。

 これは、この期間の大半において自民党が常に第一党であった結果、もっぱら、自民党内の権力争いに過ぎない総裁選の結果で内閣交代が行われてきたためである。今回の菅内閣の誕生も実質的には前首相の後継指名によるものであり、その意味で、日本の政治は再び先祖返りしてしまったとも言ってよいだろう。

 さて、選挙で勝利した陣営による新内閣の支持率が高くなるのは当然のこととして、前政権と同じ党派に属する人物が代わって総理になっただけに過ぎない場合にも、なぜ支持率が急激に上がるのか?単に看板を掛け替えただけなのに、かくも歓迎されるのはなぜなのか?外国ではどうなのだろうか。

 今のところは直感的な推測でしかないが、「特に日本人には、新しくやって来たものには何でも価値があると思い込みたがる」傾向があるためではないか。新しい流行に先を争って飛びつくことで、まだそのことをよく知らない周りの人間に対して自慢することができる。最近の例ではタピオカ、ハローウィン小泉進次郎・・・、いずれも一時的には大流行するが、やがて飽きられて捨てられる。新首相の高支持率も一過性消費行動の一変種なのかもしれない。日本人の大きな特徴が、この「何でも水に流してしまう軽薄さと芯の無さ」にあることは間違いなかろう。

 小泉内閣の時には、小泉純一郎首相が選挙応援で地方に行くたびに、ジジババが大挙して会場に押しかけてきて、サインや握手を求めて興奮状態になっていた。その様子を報じたテレビニュースを見て「こいつら、バッカじゃない?」とあきれた記憶がある。

 「郵政民営化」の意味も理解できないままに、ただ首相の外観がカッコいいというだけの理由で熱狂していたのである(アホか!)。あの「郵政民営化」とは、米国金融業界の要望を汲んだ米国政府によって、日本国内の巨額(約350兆円)の郵便貯金残高を狙って仕掛けられたものであるという見方が、今では一般的である。

 日本人のもう一つの特徴は、自らの過去の歴史に全く学ぼうとしないことである。学ばないがゆえに同じ失敗を何度でも繰り返すが、自分たちが失敗したことすらすぐに忘れてしまう。一向に反省することが無い。

 小泉内閣にキャーキャー言っていたあの高齢者たちは、小泉内閣が2006年に強行採決した「後期高齢者医療制度」が2008年に福田内閣により施行されたことによって、小泉内閣からの最後のプレゼントを、自らの年金から医療保険金を天引きされるという冷や水を浴びせかけられた。

「後期高齢者医療制度は小泉政権下で強行採決されたもの」

「後期高齢者医療制度の作られ方 」

 現在、菅内閣に拍手している人々が、将来同じような仕打ちを受けないことを願うばかりである。

/P太拝