「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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「総合的、俯瞰的な観点から判断して、「スガ」=「スガーリン」、最後は「スカ内閣」?」

 10/3に紹介した日本学術会議が推薦した六名に対する菅内閣の任命拒否の撤回を求めるネット上の署名ですが、明日の昼12時でキャンペーンを終了するそうです。まだ署名していない方に対する紹介をよろしくお願いいたします。

「菅首相に日本学術会議会員任命拒否の撤回を求めます!」

 さて、10/2に菅内閣が任命拒否したことが明らかになった「日本学術会議」新会員候補6名の中の一人が、加藤陽子東大教授です。他の5名の方の業績についてはよく知りませんが、この加藤先生については、筆者は既に数冊の著書を読んでおり親近感を持っています。専門は現代史、特に昭和前期の日本が悲惨な戦争という泥沼にはまり込んでいく過程に関する実証的解明に詳しく、この分野では国内の第一人者といってよいと思います。視点が特定の政治党派に偏ることはなく、あくまで事実関係の解明を目的とした研究内容です。

 今まで読んだ加藤先生の本の中では、特に「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」がお薦めです。鎌倉市にある私立の中高一貫進学校栄光学園」の中高生を相手に、日本がずるずると戦争に深入りしていってしまった過程を、加藤先生が具体的事実を踏まえてわかりやすく解説されています。先生の明快な解説とともに、同学園の学生・生徒の理解力のレベルの高さにもビックリしました。テレビの教養番組にも解説者として何度も登場されており、なんで菅総理がこのような優秀な学者を任命拒否したのか、その理由が全く理解できません。

 以上のように思っていたら、今回の事件の背景がよく判る記事が10/4になって出てきました。二ページ目の「安倍さんも菅さんも法学部出身なのに、憲法を理解していないんでしょうかね。授業中、寝ていたのでしょうか。・・」という部分には相当笑えます。多分、授業に出席すらもしていなかったのでしょう。この記事に出て来る杉田氏と和泉氏は、現在の菅内閣においても相変わらず要職を務めています。

「「杉田官房副長官、和泉補佐官に政権批判した学者を外せと言われた」学術会議問題を前川喜平氏語る」

 その後、日本学術会議を含んだ学会に対する安倍政権時代からの圧力が続々と明らかになってきています。今までの報道からわかることは以下です。

(1) 前首相も現首相も、法律の条文を読解する能力が決定的に欠けている。法学部の卒業証書を出身大学に返還することをお勧めしたい。
 日本学術会議法には「会員は(日本学術会議の)推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とある。一方、憲法には「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」と書いてある。今回の任命拒否が法的に正当だというならば、「国会が指名した内閣総理大臣を、天皇が任命拒否することも可能」ということになる。

 

(2) 内閣が法律に書いてある内容と違うことをしようとするならば、まず国会に法案を提出すべきである。内閣の解釈次第で法律に書いてないことをしても構わないというのであれば、日本は「法治国家」であるとは到底主張できなくなる。

 法律があって無きがごとき国家の代表格、何事も習近平の一言で決まる中国共産党政府と同レベルの政府へと堕落するのである。内閣の裏二階で暗躍する昭和の遺物的妖怪的長老の存在を見れば、首相官邸周辺に限れば、既に同レベルに堕しているのかもしれない。

「中国共産党化する日本政治」

(3) 日本学術会議の年間予算約10億円の用途が不適切との政府報道が出て以来、「学問の自由」問題よりも「この予算の使われ方」を強調する記事が、政府の御用評論家、チョウチン持ち連中によって一斉に書かれ始めた。安倍政権以来の伝統的手法と化した「問題のすりかえ論法」である。次のトップを狙う河野大臣までもが、当面は点数稼ぎに徹するつもりなのか「行革の対象だ」とわめき始めた。
 数日前に聴いた鳥大の某先生のお話によると、「この予算の半分くらいは会議の専属職員の人件費、残りは会議開催のための旅費・諸経費など。約200人の学者会員に入る正味のおカネは、出席日数に比例する日給制で一日あたり一万数千円であることを考えると、一人当たりで年間二、三十万円程度でしょう。皆、半ばボランティアで、自分の研究のための貴重な時間を削って、日本の学術の将来に対する義務感から会議に参加しているのだと思いますよ。」とのことだった。
 専属職員の人数は約50名。雇用側が負担する社会保障費分も含めた一人当たりの人件費を国内中堅企業社員並みの年間約一千万円と仮定すれば、確かに職員人権費の総額は年間五億円程度となる。御用評論家諸氏は、まず具体的な数字を確認してから記事を書くべきであろう。

 彼らがそんなに税金の無駄遣いを指摘したいのであれば、まずは「確信犯的女性差別主義者」である杉田水脈氏を衆院選比例区に高順位で擁立し、ほとんど選挙活動することなく当選させた責任者の責任を厳しく問うべきであろう。国会議員としての能力と倫理水準に著しく欠ける人物に対して、現在、歳費・手当・経費の総額で年間四千万円以上もの税金を支払っているのである。なお、国会議員の歳費については次の記事を参照されたい。
「新型コロナ 国会議員は「手当」総額450億円余を返納して医療従事者の支援に充てろ」
 また、既に逮捕されて現在裁判中の河井克行・案里夫妻に自民党が昨年1.5億円もの選挙資金を提供した件の責任者は一体誰なのか?自民党の資金の多くは税金から支給された政党助成金であり、自民党には国民に対してその責任者を明らかにする義務があるはずだ。さらにこのような確定的犯罪者(カネを受け取った証人が百人以上もいる)を、いったんはよりによって法務大臣に抜擢した前首相は、自分の眼がフシアナであったことを国民に対して公式に謝罪するべきではないのか。

 ウソをつき続けるトップの下では、下っ端もその真似してウソをつき通そうとするものである。悲しいのは、トップがウソをつき通してヌケヌケと罪を逃れようとしているのを見て、下っ端が「自分も同じように居直り続ければ罪を逃れられる」と錯覚していることである。下っ端の犯罪に対しては、検察と国民が許すはずもない。

 これら「杉田・河井」問題の不透明さに比べれば、日本学術会議に関する不透明さの程度など数桁も低いことは間違いない。河野行革大臣は、まず自民党内の掃除を徹底するべきであろう。


(4)説明能力の欠落。10/2の加藤官房長官の記者会見をテレビニュースで見たが、「御飯論法」の熟達者の面影はなく、記者からの質問にたじたじとなっていた。「憲法を侵害しているのではないか」との質問には、根拠も示せずに「決してそのようなことにはあたらない」と言いながらも、さすがに恥ずかしいのか眼を伏せていた。どうやら内閣内部でも、この問題に関する情報共有と対応方針がこの時点では出来ていなかったのだろう。その後、問題をすり替えるために、日本学術会議の運営不備を突くことにしたのだろう。
 菅新首相に至っては、記者会見は就任以来一、二度しか開かず、もっぱらお気に入りの記者だけを招いたインタビュー形式でしか取材に応じていないそうである。まあ、あの顔でボソボソとしゃべられても、国民が聴いてもどうにも元気は出ない。

 この日本学術会議問題で印象に残った言葉は、「総合的、俯瞰的な観点」という、何も言っていないに等しいものでしかなかった。この用語は、当記事のタイトルのように使うのが正しい使用法であるはずだ。「任命拒否した具体的な理由」を求められたのに対して、このような言葉を使えば具体的なことを全く答えなくても済むと思って使ったのだろう。首相の言語能力の貧困さを象徴する言葉である。今年の「流行語大賞」の候補にはちょうどいいのかもしれない。

 

(5)失敗の研究こそが、次の成功の源泉となる。歴史上の失敗に学ぼうとしない愚か者は、これからも同じ失敗を再び繰り返すことになる。

 冒頭に紹介した加藤陽子先生の研究は、個人としては極めて優秀であったはずの戦前のエリートであった政治家・官僚・軍人が、それぞれの既得権益の確保を優先した結果、日中戦争の泥沼にはまって抜け出せなくなり、そのことでさらに英米との戦争へと転落していった経過を克明に実証しようとするものである。

 集団化した途端に全体として極めて無責任となり、個人から見れば明らかに不合理な方向に集団として引きずられて行っても、誰もブレーキを踏もうとしなくなってしまうのが日本人集団の特性、というよりもむしろ遺伝的な宿痾(しゅくあ)なのだろう。現代に引き直してみれば、急速に膨張するばかりで誰もブレーキをかけようとしない政府の国債残高こそが、再来した国家的危機の実例なのだろう。加藤先生の提供される著作は、この日本人の集団的無責任体制を考えなおすための貴重な資料なのである。

 そのような貴重な仕事を、前首相と現首相は、単に自分たちの当面の政策に反対する部分が含まれているというだけの理由で圧迫し、国民の眼から隠そうとしている。あるいは、戦前の体制を賛美したいがために、その体制の愚かさを少しでも明らかにしようとした者を許せないのかもしれない。要するに臆病な小心者、かつ、自分のアタマで物事を深く考えるための思考力に欠けた阿呆なのである。

 学界からの多様な意見を広く聞き、それを元にみずから国の将来像を組み立てて国民に分かりやすく示すのが真の国のリーダーとしてふさわしい姿のはずなのだが、彼らはうわべだけを見て敵と味方に峻別し、いったん敵と見たものは徹底して排除しようとする。その一方で、いったん味方で自分の子分とみれば、上の(3)に挙げた杉田や河井のような最低レベルの連中を徹底してかばおうとするのである。「臭いものにフタ」を繰り返しているうちに、自分自身も「臭いもの」になってしまったことには全く気づいていないのだろう。


 さて、菅総理安倍内閣官房長官時代に官僚の人事権を手中に収め、内閣への迎合程度によって昇進・左遷を決めるという恫喝を含んだ手法で権力を拡大、ついには総理へと登り詰めました。その一方で、彼がどのような政策の基本方針を、ひいては世界観を持っているのかは一向に見えて来ません。権力を握って手放さないことが最重要であり、その権力を使って日本をどのように変えていくという点については関心が薄いように見えます。あるいは、何かしらの構想を持ってはいるものの、言語能力の不足によってそれが適切に表現できないでいるのかもしれません。

 菅氏による今回の日本学術会議に対する任命権の行使は、今まで自らが成功体験を積んできた霞が関の官僚に対する人事権による支配が、他の分野でも通用するかどうかの小手調べであるように思います。携帯電話業界に対する値下げ要請も、産業界が自分の指示にどの程度反応するのか、自分の敵に廻るのかは誰なのかという地図を作るための再確認のように見えます。

 大手携帯電話業界からの自民党への献金額の例としては、NTT系列が1200万円、KDDIは600万円(H27年度)。いずれも企業規模から見ればハシタガネ程度ですが、このお返しは数桁も大きい金額となるのでしょう。なお、この年度の自民党への献金リストには、ソフトバンク楽天は載っていませんでした。

 ちなみに携帯電話業界の献金額は、土木建築、自動車、電機等の大手の億円単位の献金額に比べれば一けた、二けたも低く、人気取りのために叩くターゲットとしてはちょうど都合がよかったのかもしれません。

 携帯電話業界が値下げを確約した段階で、それを手土産に衆議院を解散して総選挙を実施するであろうことは見え見えです。勝利して政権を盤石にしておいてからの、菅氏の次のターゲットは中小企業と銀行業界の再編でしょう。筆者も日本の中小企業の再編は必要と考えますが、それはあくまで経営者レベルでの、下からの自発的な判断に基づく再編であるべきで、政府からの強制で行うべきものではありません。第一、菅氏の後ろには既に政商と化した竹中平蔵氏の影がちらついています。

 竹中氏の目標は、日本国内を政権と癒着した大企業の草刈り場に変えることです。竹中氏の意図は、彼が最近唱え始めた「ベーシックインカム」論によく現れています。この政策の実施と引き換えに年金・健康保険等の一切の社会保障制度を廃止、低賃金ブラック企業の激増は必至と予想されています。詳しくは、次の記事を参照してください。この問題については別の機会に論じたいと思います。
「月7万円で「生活保護廃止」 竹中平蔵氏が提唱するベーシックインカムは何が問題か?」


 話が飛躍しますが、裏方で人事権を掌握して駆使することで自己の権力を拡大、ついにトップに立った政治家の代表例としては、旧ソ連の創立期から前半期にかけて独裁者として君臨したスターリンが有名です。ソ連創立期のロシア共産党の主要メンバーとしては、党の指導者にして理論家のレーニン、次に演説と国内戦指導者として著名なトロツキーが挙げられ、スターリンは三番手以下であり、知名度が低く目立たない存在でした。しかし1923年に党書記長に就任してからは人事操作で配下を徐々に増やし、レーニンの死後は政敵追放や秘密警察による暗殺等の過激な手段を駆使。ついには1930年代の大粛清で優秀な軍人を大量に処刑したことで絶対的な独裁体制を確立しました。

 さて、菅氏の人事権と恫喝を主要手段とした国内各界における支配体制の確立は、果たして成功するのでしょうか?かってのスターリンに重なるところの多い統治姿勢に対しては、「和製スターリン」との意を込めて「スガーリン」という尊称を奉りたいと思います。もともとから国政に関する青写真を持たず、将来ビジョンの構想力によっても、演説の魅力によっても国民を引き付けられない彼にしてみれば、手当たりしだいに人事権を掌握してアメとムチとをふるうこと以外には権力拡大と維持のすべを知らないのでしょう。

 100年以上前の帝政ロシアならいざ知らず、建前では一応は民主主義国家であるはずの現代日本では、内閣が直接持っている人事権は官僚に対するものでしかないはずです(大学の自治権を無視し、国立大学の個々の教員に対する直接人事権も持っているものと菅氏が思い込んでいる可能性はある)。今の日本には皇帝直属の秘密警察は存在せず(ひょっとして国家公安委員会が候補?)、裁判無しで政敵を銃殺することも不可能です。
 とはいえスターリンの例に見るように、陰湿な手段で政権を手に入れたトップは、死ぬまで権力にしがみついて、決して自ら手放そうとはしないものです。

 権力にしがみつくための人気取り政策を連発するだけで何ら実質的な効果が打ち出せない政権に対して国民がダメ出しし、中身が空でスカスカの「スカ内閣」と化して終わりを迎える可能性も大いにありそうです。

/P太拝