「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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My fovorite songs (14) 朝崎郁恵

 朝崎郁恵 さんは、現在、御年84才。奄美島唄の第一人者とのこと。知ったのは半月ほど前。以来、彼女の唄が頭の片隅に住み着いて離れない。ある唄が好きになった時の筆者のいつものパターンなのだが、昼間、何か別のことをしていても、その唄の歌詞が脳裏にポッと浮かんでくる。

 とはいっても、ほぼ全ての唄が奄美方言で唄われているのだから、自分が覚えられる歌詞はごく少ない。次の唄「阿母」がほぼ唯一といってよい。

 

(1)「阿母(アンマ)」

 コメント欄に載っている歌詞を以下に紹介しておきます。 この唄を聴くたびに、「私という種が育つために、私の母はどれだけの涙を流しただろうか・・。」と思ってしまうのである。

「夏はかけ足で 無常に過ぎてゆく 時はつかまらず ここまで流れつき
 雪の降る日も 道無き夜も この手を放さずにあなたは微笑んだ

 出逢う喜びと 叶わぬ悲しみと 夢はいつまでも歌に宿りゅん
 蕾をつけた樹樹(きぎ)のなかには 幾千もの夏が秘められている

 種が育つために 流れる涙 あの海にかえるまで 枯れることはなく
 時計草の花が 静かに開きだす でぃごにもたれて あなたとうたたね」

 音程が高音から低音まで短時間で広範囲に大きく振れるので、最初に聴いたときには「音程が不安定な下手な歌手」と思われるかもしれないが、これが奄美島唄の大きな特徴らしい。かって全国的にヒットした、元ちとせの「ワダツミの木」や、中幸介の「花」と共通する特徴。

 (2)「千鳥浜」with タナカアツシ&五十嵐典子

 タナカアツシさんは奄美島唄を演奏するユニット「マブリ」のリーダー、朝崎さんの伴奏も担当しているとのこと。

 (3)Ikyunnyakana「(行きゅんな 加那)」

 「加那」というのは「恋人」の意味。去っていく恋人を思う唄。胡弓の響きがもの哀しい。

 歌詞の詳しい内容がよく判らないので、コメント欄にあった英文での翻訳を以下に載せておきます。でも、何回も聴いているうちに、標準日本語の語句と共通する言葉のいくつかは聞き取れるようになりました。

「Are you leaving? Will you forget me
 when you leave? When I think of you,
 It hurts to see you go away. It hurts to see you go away.

 I wake up. Night after night,
 I wake up. When I think of you,
 I can't sleep. I can't sleep.

 Mother and father, please don't worry.
 Mother and father, I'm harvesting rice and I'm harvesting beans
 for you to eat. For you to eat.

 The singing bird offshore by the shrine
 That singing bird certainly must be
 my loved one's soul. My loved one's soul.」

 (4)「あはがり」

 NHKBSの「新日本風土記」のテーマ曲とのこと。歌詞については次のサイトを見てください。標準現代語訳(意訳)も載っています。「Uta-Net あはがり」。

 意訳を読むことで、奄美の人々の世界観の一端を知ることができるように思います。

 (5)「100年前の美しいアイヌ民族」

 朝崎さんの存在を知ったのは、たまたま、このサイトを見たことがきっかけです。上の(1)で紹介した「阿母」が映像のバックに使われています。

 このサイトを見たのは、奇しくも亡き母の11回目の命日。昼間に墓前で線香をあげた日の夜のことでした。これはユングのいう「共時性」の一例なのでしょうか。初めて聴いた時には、母を思うというこの歌詞の内容を全く理解していなかったのに、画像を見ながら聴いているうちに、なぜか涙があふれて止まらなくなってしまいました。

 なぜこれほどまでに、北のアイヌ民族の画像に対して南の奄美の人が歌う唄が似合うのでしょうか、不思議です。そもそも、そう思う以前に、朝崎さんの唄の歌詞の内容が我々以上に理解できていないはずの外国人のコメントが大変多いのはなぜでしょうか?youtube上の朝崎さんの唄のいくつかを見ると、コメントの大半が外国語であることに驚かされます。彼女の唄の中には、というよりも奄美が代々伝えてきた唄には、民族の境界を超えて人の魂をゆさぶる力があるように思えてなりません。

 江戸時代初頭、奄美武力侵攻してきた薩摩藩支配下におかれ、カネになるサトウキビ栽培を強制され、その利益の大半を薩摩に吸い上げられました。江戸時代も末期になるほどに薩摩藩による搾取はより過酷になったそうです。そのような過酷な歴史にもかかわらず、島固有の言語・文化・世界観を連綿と継承し、現在ではむしろその内容で世界各地に影響を与えつつある奄美の人々の粘り強さに対して、深く敬意を表したいと思います。

 

追記:

 アイヌなどの日本の、さらに世界中の少数民族については、以前からかなりの関心を持っているのですが、昨日読んだアイヌに関する記事が非常に気になりました。

「安倍政権最大の功績は“アイヌ博物館”だった? 200億円をブチ込んだ「ウポポイ」の虚実」

 著者は安田峰敏氏。現場取材がモットーの中国ウォッチャー、「八九六四 「天安門事件」は再び起きるか」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞されています。

 北海道に今年、アイヌ文化を展示する「ウポポイ」という博物館が出来たことは筆者も知ってはいましたが、この記事は安田氏が実際に同館を訪れての感想を述べたものです。今年の夏に開館したとのニュースを聴いて、筆者は「国によるアイヌ文化の公的な展示場所が初めてできたのは歓迎すべきこと」と単純に思っていましたが、実情はそんな簡単なものではなかったようです。以下、記事の概要。

・人権にはたいして関心がないはずの安倍政権下でこの展示館が実現したのは、安田氏にとってもなんとも意外であった。しかし、よく調べてみると、この館の実現にとりわけ熱心であり旗振り役を務めたのは、当時は官房長官であった現在の菅総理

菅総理は、以前に「インバウンドの集客目当てでウポポイを建設する」と明言している。先住民族の人権に対する配慮からではなくて、自らの支持基盤である観光業への利益供与目的で、国民から集めた税金238億円を同館建設と広報に投入したことは明白。(広報には電通を使ったのだろうか?)

・その証拠に、アイヌ民族が江戸時代から今日に至るまでの間に、松前藩や明治政府等による苛烈な迫害と差別によってその人口を急激に減らしたこと、現在も差別を恐れてアイヌであることを公表できないでいる人が多くいること等の厳然たる事実については、この館の解説では一切触れられていない。あくまで観光客にカネを落としてもらうための施設でしかない。

・もう一点、この記事を読んであきれたのは、いまだに「アイヌ民族は存在しない」とか、「日本は単一民族国家」とか主張するアホウな評論家が結構いるのだそうである。アイヌ民族に対しての漁業権などの生業を奪う迫害と差別、強制的土地収用、義務教育では日本語を押し付けて固有の言語を奪うなど、その迫害の程度が奄美琉球に対するよりもさらに過酷であったことは、少し調べればすぐに判ることだ。

(2020/11/08 追記  アイヌ民族の成立、和人からの迫害の歴史、先住民族として国際的に既に認められている現状について、よく理解できるサイトを見つけたので紹介しておきます。北海道庁が投稿した資料のようです。 「アイヌモシリ 民族の誇り」

 このような現状を見て思うのは、日本政府が中国共産党政府にますます類似しつつあるということ。隣の大国の政府は、国内各地に少数民族村を建設して歌や踊りを提供し観光業の目玉として集客する一方で、ウイグルチベット内モンゴルの固有の文化・言語・宗教を奪い、土地を奪い、牧畜等の生業を奪い、あたかも、はるか以前から中国大陸には漢民族しかいなかったかのように歴史を歪曲しようとしている。残念ながら、今回、菅総理自身が旗を振ったウポポイ建設も、アホウな評論家諸氏も、中国共産党と同質の発想レベルにいるように見える。

 民主主義国家のリーダーには到底ふさわしくない現総理の極度の説明能力の貧困も、日本政治の中国化の一端の表れかもしれない。中国共産党政府には国民に対して真実を説明する責任が全く必要とされていないからである。今後、日中政府が合わせ鏡のようにさらに同質化するとしたら、その間を取り持つのは二階幹事長だろうか。

 少数民族政策としては現在の台湾がその手本となるだろう。同じ安田氏による以下の記事を参照されたい。

「「ウポポイをどう評価する?」日本で暮らす台湾原住民が見たアイヌ」

   コロナ対策でもそうだったが、少数民族政策でも、日本は既に台湾よりもはるか後ろに劣後してしまった。今のままではその差はさらに開く一方だ。

 思うに、現総理にはこれと言った理念も目指す国家像も無く、現在唱えている個々の政策も、その大半は自分の勢力拡大とその維持のための手段にすぎないのだろう。菅総理が今国会で野党の質問に対して沈黙するか、論点のすり替えで対応するしかないのは当然のことだ。彼には,今までに自分の信念・理念に基づいて政策を主張・選択したことはほとんど無いのだろうから。自らへの政治資金や集票力、または周囲からの自分への評価の獲得を基準として政策の優先順を決めてきたのではないか。与党政治家の大部分が同様なのだから、特に菅氏だけを強く責めている わけではない。

 むしろ、「自分は観客であり傍観者役」と思い込んでいる我々自身が問題の根源なのだろう。台湾の民主化も、市民が国民党政権の圧力に負けずにデモに参加したこと、選挙に参加し実際に投票したことで実現したのである。何かを変えようと思えば、思っているだけではダメで、まず自分が具体的に何かを始めることが必要だ。

 さて、素晴らしい朝崎さんの唄の紹介の末尾に、こんなグダグダとした追記を書いてしまって申し訳ない。朝崎さんに代表されるような日本各地の、いや世界各地の伝統文化は人類共通の遺産であり財産でもある。いっときの政権が今後どうなろうと、素晴らしい文化は時代を超えて伝承されるだろうし、そうなるべきであると強く思う。自分が感動し素晴らしいと思ったことや人物を、少しでも多くの人に伝えることからその一歩を始めたいものである。

/P太拝