「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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デジタル庁設置以前にやるべきことがある

 先週読んだ中で一番笑えたのは次の記事だ。笑った後で、スカ内閣のメディア界への統制の強引さに、そら恐ろしくなってしまうのでもあるが・・。

「総理、怒っていますよ…官邸からNHKへの「クレーム電話」その驚きの中身」


 「説明できることと、できないことがある」というのなら、説明できないような選択肢は最初から捨てればよいだけのことだ。世間に公表できないようなことを今まで山ほどやってきた人間だけがこのような発言をするのである。「バカは自ら墓穴を掘る」という好例に他ならない。

 そもそも、国のトップが国民に対して説明できないことをたくさん抱えている国が、何で民主主義国家なのか?菅総理が「インド太平洋地域で、自由,民主主義,法の支配といった普遍的価値を共有している国々と・・」と演説するたびに、「アンタの日本はどうなの?」と笑うしかない。

 総理お気に入りの山田真貴子内閣広報官が他の官僚から嫌われている現状は、一般の組織の中でもよくあるパターンだ。人事で組織を縛り強力に統制しようとするトップの元では、メンバーはトップに媚びる少数者と、それを舌打ちしながら傍観して目立たないように日々を過ごすだけの多数者とに分かれる。

 トップの方針に対して異論を唱えるとあとで左遷されることは明白なので、自己防衛のためにルーチンワークだけをこなし、言われたことには「なんでもイエスマン」の役割に徹する者がメンバーの大半となるのである。その結果、国民にとっては迷惑なだけで実効性のない政策が次々と誕生することになる。前内閣による、突然の全国一斉休校や、誰も使わないアベノマスクの配布などはその典型例に他ならない。

 このような組織は、当然ながら不活性化して、大きな成果を上げられるはずもない。多くの異論の存在を許容し、メンバー全員が参加して色々な観点から議論を戦わせることで実効力のある政策や方針が生まれるのである。山田広報官の目立ちぶりは、この新内閣がたいした成果もあげられないまま、結局は竜頭蛇尾に終わるであろうことを早くも暗示している。

 なお、この記事の末尾の「(山田氏が)忖度力を発揮」という表現は何だか変だ。正しくは「(メディアへの)忖度強制力を発揮」だと思う。

 さて、今回の本題に入ろう。菅内閣の目玉政策のひとつである「デジタル庁」についてだ。

(1)政府自身の透明性がデジタル化の前提として不可欠

「“デジタル後進国”のニッポン、じつは世界を「リード」する可能性が出てきた…!」

 この記事の内容は、デジタル化がもたらす社会と人間自身の在り方の変化について包括的に語る内容となっているが、表題にある「デジタル化で日本が世界をリードする」という点については楽観的にすぎるように思う。その理由は、この記事自身の3~4ページで主張されている「デジタル化の進展のためには政府と個人が対等の立場で透明性を高めることが必要」との記述にある。

 今の日本政府の透明性は、先進国では最低レベルにあると言ってよいだろう。何しろ、政治のトップが国会で「その質問についてはお答えを差し控えます」との発言を毎日連発している国なのである。モリカケ問題も、サクラを見る会の真相も未だに藪の中のまま。菅氏の子分格の河井克行・案里夫妻に自民党が支払った1億5千万円の決裁責任者は不明、その資金の出どころも内閣官房機密費なのか、自民党への政党助成金からなのかさえも未だに判らない(いずれにしても、両方とも元々は国民から集めた税金だ)。
 上に挙げたような税金の使い道に関しては、政府と国民は対等どころではない。当然のことだが、政府には納税者である国民に対して、税金の使い道とその理由を報告する義務がある。本来果たすべき義務を果たしていない政府に対して、国民が反発するのは当然のことである。税金の行方を隠し続けるスカ政権には、国民に対して個々人のカネの流れの詳細と個人情報の公開を求める権利など始めから無いのである。

 以上のように考えると、菅政権が政策の目玉としてデジタル庁設置を打ち出しているのは、政権自身の大いなる自己矛盾と言ってよいだろう。というよりも、この政権には自分たちの透明性を高めることや政府と国民の間の対等性などは最初から問題外であり、単に、国民の個人情報と財布の中身の情報を政権側で一方的に把握したいだけなのだろう。

 筆者自身もその一人なのだが、国民の大半が未だにマイナンバーカードを持っていないのは、提供した個人情報が政府によってどのように使われるのかがよく判らないという不安感があるからだ。この構造はデジタル庁が出来たからといって簡単に変わるものではない。政府自身が透明化しなければ「絵にかいた餅」に終わるだけのことだ。おそらく、短期的には、「ハンコの撤廃」くらいがデジタル庁の最大の成果になるのではないか。

 

(2)デジタル庁が汚職の新たな巣窟となる危険性

 当面、デジタル庁が取り組むべき内容としては、公的手続きのオンライン化、国と各自治体間のシステムの統一、官民データ基盤の整備、次世代通信基盤の整備等が挙げられるが、いずれも完全な実現には十年程度を要する長期事業となるだろう。注意したいのは、これらはいずれも巨額の税金を投入する事業であり、新たな政官財の癒着を生む危険性が極めて大きい点である。

 そもそも、デジタル庁の長官に任命された平井卓也氏は、広告業界で圧倒的なシェアを持っている電通の出身だ。さらに祖父は郵政大臣、父は労働大臣を務めた政治家一家の三代目。純正ブランド付き、正真正銘の「太子党」と言ってよい。

 さらに付け加えれば、母は香川県内で圧倒的なシェアを持つ四国新聞社の社主。この新聞社は系列のテレビ局の西日本放送を所有しており、平井氏自身、このテレビ局の社長を務めたこともある。まさに香川県のメディア界を独占的に支配する平井コンツェルンの御曹司に他ならない。地元メディアを支配している以上、香川県内で同氏が選挙で負けることなど、今後もありえないだろう。

 今後、平井氏が自らの出身母体である電通に大いに便宜を図ることが当然予想される。デジタル庁も含めた政府から電通への発注過程で、競争原理が機能したのか否かを十分に確認する必要がある。電通自民党との関係が既に深刻な癒着状態と化していること、その窓口はデジタル担当相となった平井氏自身に他ならないことは次の記事で明白である。

「デジタル担当相・平井卓也は、古巣の電通を使って自民党のネット操作を始めた張本人!」

 前総理のあの夫人も電通出身者であり、同時に大手製菓会社社長の娘でもあることは広く知られている。このことからも、政財界の有力者とのコネをつくるために、本人の能力には関係なく、電通がコネのある社員を採用していることが判る。次の記事は、元電通マン電通の内情について暴露した内容。警視総監の息子も採用されていたそうだ。電通とは「上級国民」が集まる場所らしい。

「サンデー毎日×週刊エコノミストOnline 記事もみ消しは当たり前の世界」

 二週間ほど前になるが、新聞の朝刊に「マイナンバーカードをつくったら五千円分のポイントをあげます」というチラシが入っていた。発行元は総理府。有名タレントの写真を使っているので、このチラシの作成に電通がかかわった可能性もあると思って調べてみたら、案の定、そうだった。五千円もらった程度で、自分の情報を今の政府に売り渡す気にはなれない。過去に政府経由で電通に流れた税金は、国民一人当たりでいくらになるのだろうか?

「電通への再委託、総務省でも マイナンバーポイント還元事業」

 今年の六月に経産省の「持続化給付金委託事業」が電通に丸投げに近い形で委託されていることが批判され、電通は「当面は」経産省事業を受託しない方針を公表したが、上の記事にあるように、総務省電通への委託を見直す気はないと言っている。

「「コロナ給付金」見えない下請け実態 電通関与になお不透明感」

「(経産省から)電通への再委託額は計1415億円 過去6年間で72件」

 電通と言えば、東大卒の女性社員が上司のパワハラを苦に自殺した事件が記憶に新しい。以上の記事を見れば、それも当然起こるべくして起こったことであったようだ。明らかに反社会的であり、かつ、SDGsにもこれほどまでに反する体質の会社に対して、我々の税金を湯水のようにつぎ込んでいる今の政府とは一体何者なのか?電通については、今後あらためて記事にしたいと思っている。

 

(3)デジタル化で既に最先端をいっている国家「台湾」

 国民への説明拒否を続ける政府と、それに癒着した大企業のあくどさばかりを取り上げていると気分が滅入って来る。ここでは一服の清涼剤として、コロナ感染の抑え込みで既に世界トップの実績をあげている台湾の現状を紹介しておこう。

 ただし、以下に紹介する記事は、必ずしもデジタルではなくても、紙ベース主体でもこれだけ優れた情報管理が出来るという好例である。日本人の一人として、この記事の最後の部分については何とも恥ずかしいものがある。

「「文房具店で売っている領収書」が、台湾では絶対に許されない理由」

 領収書の発行者と受領者が正確に口裏合わせをしておけば台湾でも脱税は可能なのかもしれないが、全ての取引内容が一カ所に集約され相互比較されることで、異常な価格での取引の発見も容易となるだろう。税負担の公平化・透明化のためには大変優れたシステムだと思う。

 次の記事は、上の領収書管理システムが実際に機能した結果、先日、政府要人による公費の私的流用が発覚した実例について述べている。このシステムは政界の汚職防止の役割も果たしているのである。今の日本では「夢のまた夢」のような話だ。

「行政院報道官が辞任 牛肉麺巡る失言で/台湾」

 台湾がこのように優れた税制管理システムを構築できたのも、当初は大陸政府との臨戦態勢の中で迅速な意思決定が可能な合理的システムが必要とされたからだろう。しかし、民主化後はそのシステムに改良を加えていき、政府機関すらもその対象とすることで、上に見るような官民対等、かつ透明性の高いシステムが実現できたのである。

 台湾のコロナ対策で主導的な役割を果たしたデジタル担当大臣のオードリー・タン氏。最近では毎日のように日本の新聞やネットで彼に関する記事を見るので、今さらの紹介は控えたい。

 さて、台湾の、というよりも中華圏文化に共通する特徴は、「優秀な専門家に特定部門の責任を一任し、任命権者以外には、有力者といえども部外者が彼の仕事の進め方に対して軽々しく口をはさむことはない」ということである。タン氏のような優秀な専門家を各部署の大臣として多く配置し、その能力を十分に発揮させたことで台湾の優秀なコロナ対策が実現したのである。

 一方、我が国では、その人物の能力が問われる以前に、時の権力者にシッポをたくさん振っている者ほど大臣に任命される傾向がある。上の平井氏のように、既に業者と完全に癒着しきっていて利益相反が懸念される人物すら、菅氏は平然と大臣に任命しているのである。まるで、「業者と癒着してどんどん儲けさせてやってくれ、後で向こうからそれなりの見返りがくるから。」と言っているようなものである。

 大臣の部下である官僚群も、その大半がわずか三年ほどで別部署に移動してしまうために専門家が育たない。結局、トップが十分に内容を理解しておらず、誰が決めたのかもよく判らない法案が、素人集団による「ヤッつけ仕事」で次々と量産されることとなる。

 さらに政権側の政治家どもが色々と口出しして来ては、自分にとっておいしい部分だけを次々とかじり取っていく。その結果、出来上がった政策は、全体の整合性に欠けたツギハギだらけ、穴だらけのザル法となり、施行しても有効に機能するはずもない。これが我が国の政治の現状なのである。

 さて、日本人の、他の国には見られない際立った特徴として、「個人としての責任を極力取りたがらず、責任の所在を常に集団に置いて曖昧化しようとする」傾向が挙げられる。上に挙げたように非効率かつ混乱を極めた政府行政の現状以外にも、世界との競争に敗れつつある日本企業の衰退に関しても、この特徴がその根本的な敗因であるように思われる。この点については、また別の機会に触れたい。

/P太拝