「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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詩人「菅原克己」の紹介(3)

 冬の山陰は雨や雪の日が多く、どうしても家に閉じこもりがちになります。持っている本を読み返す時間も増えました。このブログで去年二回紹介した菅原克己の詩も何度か読み返しました。その中で特に好きな詩を追加分として紹介しておきたいと思います。

 学生の時に退学処分となった仲間を救おうとして逮捕・退学となり、社会への疑問から左翼活動に参加したことで再び逮捕。戦時中は空襲で家を焼かれ、戦前・戦後を通じてずっと生活苦に苦しんだ。

 こう書くと実に悲惨な人生を送った人のように思えますが、彼の書く詩には、なぜか、苦難の底を突き抜けたような明るさとユーモア、他者への思いやりがあります。

 今の時代を取り巻く状況も、彼が生きた時代とあまり変わっていないような気もします。たくさんの人に彼の詩を知って欲しいと思っています。

「菅原克己の簡単な年譜」(再引用)

「人形」

満州に行く妹が
かたみに人形をくれというので
おれはまた人形をつくりはじめた。
おれも他のきょうだいのように
お嫁入する妹に
何か買ってやりたいのだが、
おれにできることは土をこねるだけなのだ。

胡粉と緑と紅で華やかに彩ろう。
これは別離のときのカチューシャ。
吹雪の中の可哀想なマスロウ・カテリーナ。
ハルビンに行く妹よ。
雪橇(ゆきぞり)の音が聞こえるペチカのそば、
東京のきょうだいは、と話するお前の家で、
プラトウグをかぶったおれの贈物が
きっと手をふるよ。


「涙」

涙はひとりでにあなたの瞳を濡らした。
どうしてよいかわからないとき、
涙はうぶ毛の頬をつたわった。
十七の娘にはわからないことが多すぎて、
なぜ素直なことが素直にゆかないか、
正直に言ったことがいろんな問題をひきおこすか、
それを抗議するように
涙はひとりでに流れた。

苦しいことを苦しいと
口に出して言えない言葉は
すぐ涙となってながれた。
口もとは笑い、
何かひとりごとのようにはなしながら、
涙は敏感に心の苦痛をうけて
光りながらあなたの頬をつたわった。

ああ、大人になりかけて
いろんな世の中の出来ごとが一時にあふれ、
やわらかい芽が雨にぬれるように
涙はあなたの蒼みがかった瞳を濡らす。


「自分の家」

もう帰ろうといえば、
もう帰りましょうという。
ここは僕らの家の焼けあと。
きのうまでのあの将棋駒のような家は
急にどこかに行ってしまって、
今朝はもうなにもない、なにもない、
ただ透き通るような可愛らしい炎が
午前四時のくらい地面いちめんに
チロチロ光りながら這いまわっているばかり。

ゆうべ水と火の粉をくぐったオーバーの、
汚れた肩先をぼんやり払って、
もう帰ろうとまたいえば
もう帰りましょう、と
お前は煤けた頬で哀れに復唱する。

光子よ、帰ろうといってもここは僕らの家。
いったいここからどこへ帰るのだ。
自分の家から帰るというのは
いったい、どういう家だ。


「ブラザー軒」

東一番丁。ブラザー軒。
硝子簾(がらすのれん)がキラキラ波うち、
あたり一面氷を噛む音。

死んだ親父が入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水(こおりすい)喰べに、僕のわきへ。

色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、びっくりしながら
細い脛(すね)だして 椅子にずり上がる。

外は濃紺色のたなばたの夜。
肥ったおやじは 小さい妹をながめ、
満足げに氷を噛み、ひげを拭く。

妹は匙ですくう 白い氷のかけら。
僕も噛む。白い氷のかけら。

ふたりには声がない。
ふたりには僕が見えない。
おやじはひげを拭く。妹は氷をこぼす。

暖簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん氷を噛む音。

死者ふたり、つれだって帰る、
僕の前を。
小さい妹がさきに立ち、おやじはゆったりと。

東一番丁、ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ 硝子簾の向こうの闇に。

 ・参考: この詩は、「酔っぱらいフォーク歌手」として知られていた故高田渡さんが曲をつけて歌ったことで、よく知られるようになりました。私の場合、どちらかというと、高田さんのよりも次のハンバートハンバート版の方が好きです。

「ブラザー軒 ハンバートハンバート」

 

ウルトラマン

こどもには未来しかないが、
ぼくときたら
もう過去しかないのである。
おとなりの三つの子は
黒すぐりのような目を見張って
ぼくを見上げるが、
それはぼくではなく
過去という怪獣で、
こどもはカイジュウが好きである。

朝、わが家のドアをノックし、
風が吹きこむように
いたずらのかぎりをつくし、
ウルトラマン!と叫んで、
苦もなくカイジュウを敗かすが、
ウルトラマンは、この間
おしめパンツをはずしたばかりなので、
それを云われると
どうにも
恰好がつかないのである。


「一つの机」

部屋のまんなかに
大きな机がある。
ぼくの書きもの机だが
ぼくがいない時には
かみさんの専用机にもなる。
彼女はここで
とうもろこしをむき、
じゃが薯を切る。
昨夜は若い来客があり、
みんなで賑やかにズブロッカを飲んだ。

今夜はもうすこしたつと
かみさんと
食事の場になるだろう。
ふしぎだ、
ここ三十年ほどちっとも変わらない。
ぼくはさっきまで書きものをし、
かみさんは台所で
静かな水音をたてる。
そして貧乏ぐらしは特権のように
一つの机のうえで
そのまま堂々と
明日に移っていく。

亡くなった先輩詩人たちにとっては
こんなことはごくふつうのことなのだ、
といえば、かみさんは食器をならべながら
笑って何も答えない。
机のすみに裏で摘んできた
野バラの花がチラチラ咲いている。

 /P太拝