「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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My favorite songs (15) 沢田研二

元々テレビを見ないが、最近は益々見なくなりました。特にテレビのニュース。政治家や役人が何の具体的な根拠も示さずに「安全、安心」と楽観的な口癖だけを毎日繰り返す、その厚顔さにはホトホトうんざりしている。

そんな中で唯一の清涼剤と言えるのが、アメリカMBLで現在大活躍中の大谷翔平選手。彼が出る試合の中継は極力見るようにしている。おかげで最近は朝起きるとすぐに、その日のテレビ番組表を確認するようになりました。

あの、ホームランを打った時の、「パッカーン!」という猛烈な打撃音は何度でも聞きたい。このまま故障なくプレイしてもらえば、世界の野球界で「百年に一度の大選手」と言われるようになる可能性も高い。陸上競技の選手に例えれば、既に引退した短距離界のボルトのような空前絶後の存在になり得るのではないか。

さて、ボルトや大谷選手ほどではないにしても、沢田研二という歌手もなかなかすごかったんだということを最近発見しました。特に、彼が1970年代に歌っていた曲が素晴らしい。当時、筆者は貧乏学生と安サラリーマンの間を行ったりきたりで忙しくしていて、テレビの歌番組などは全く見ていなかった(そもそも、自分のテレビを持っていなかった)。40数年たってからの再発見、これもyoutubeのおかげでしょう。この二、三か月、夜に家でビールを飲むたびに、youtube沢田研二さんの歌を聞きたくなる。よく聞いている曲を以下に紹介します。

① 「Love 抱きしめたい」 

沢田研二にはまるきっかけとなったのがこの映像。声量、ルックス、表現力、どれを取っても歌手として超一流。歌詞も秀逸だ。

「皮のコートを 袖も通さず 風に吹かれ 出て行くあのひとを 色あせた絵のように 黄昏がつつみ ヒールの音だけ コツコツ響く」という冒頭を聴いただけで、その場の情景が頭に浮かんでくる。
背景の演出もすごい。フォーカスを故意にぼかしながら、足元の霧から始めて、スタジオ内で稲びかりを光らせ、さらに雨、みぞれ、雪を次々に降らせるという演出には恐れ入った。
コメント欄には「映画を見ているみたい」との感想が多くあるが、実にその通りだ。わずか五分間ほどの映像だが、見始めるたびに目が離せなくなり、見終わった時には一本のドラマを見終わったような気分にさせられてしまう。テレビ全盛期における歌番組の最高到達点を示す映像だと言っても過言ではないと思う。

② 「憎み切れないろくでなし~勝手にしやがれ」 (冒頭、森昌子ちゃんが一瞬写ってる。可愛い!)

今回紹介する曲の大半が、作詞:阿久悠、作曲:大野克夫のコンビによるもの。沢田研二はもちろん天才だが、既に故人となった阿久悠も天才だと感じる。「勝手にしやがれ」の冒頭の「壁際に寝返りうって 背中で聞いている やっぱりお前は出ていくんだな・・・」で、既に関係が壊れてしまった男と女が未だに共に過ごしている一室の、最後の夜の情景が鮮明に想像できる。
最近の歌詞、特に自分で作詞・作曲をする人たちの歌詞を聴いていても、一向にその背景となる情景が見えてこない。ひたすらに「自分はあれがしたい、これが欲しい」と繰り返すばかりである。たまたま同じ気分にいる人には受けるのかもしれないが、それ以外の人にとっては想像力が喚起されることのない単なる言葉の羅列にすぎない。背景描写による間接的な感情表現という手法がほとんど見られない。

俳句や和歌に見られるような、風景や自然の描写を介して自分の感情を表現するという技法は、伝統的に日本人の得意とするワザであったはずなのだが。世代を超えたヒット曲が最近は全然生まれない背景も、こんな所に、作詞能力の貧困化にあるのではなかろうか。作詞家を志す人たちは、阿久悠の詩を今一度味わってみるべきだろうと思う。

③ 「【放送事故】沢田研二 - 勝手にしやがれ (1977年5月23日放送)」

曲は上と同じ内容だけど、見るたびに毎回笑えます。今思えば、昭和の時代はおおらかでした。スターが放送画面から何十秒間(?)か消えてしまっても、今みたいに「ネットで炎上!」なんて事はなかったし。

④ 「危険なふたり/時の過ぎゆくままに」 

この頃のジュリーはずいぶん細かったんですね。樹木希林さんにも若い時があったとは知りませんでした(失礼・・)。TVドラマの「寺内貫太郎一家」で、壁に貼ったジュリーのポスターの前で「ジュリー!」と叫びながらお尻をフリフリしていたおばあさん役の希林さんの姿。今だに強烈に記憶に残っています。

⑤ 「カサブランカ ダンディ」 

歌詞の内容は「男のやせ我慢」だが、映像から受ける印象は何だか違う。当時の言葉で言えば「ユニセックス」とでもいうのか、今でいえば「トランスジェンダー」的とでもいうのだろうか(「間違い」とお叱りを受けるかも・・)。1980年代のバブル狂乱期の前兆の映像のようにも見える。いずれにしても、右の耳に花を飾っても違和感を感じさせない男性は、未だにこの人くらいしかいないのではなかろうか。2:22あたりの「背中のジッパー、つまんでおろす」仕草のシーンが何ともセクシー。

⑥ 「君をのせて 1971」

時系列的には、今回挙げた曲の中でこれが一番若い。1971年にソロデビューして最初の曲。映像は1973年のテレビドラマ「同棲時代」からのもの。

この女優、ひょっとしてと思って調べたら、やっぱり梶芽衣子さんでした。1972年の映画「女囚さそり」の、あの人を突き刺すような視線が印象的だったので、彼女にもこんなやわらかい表情が出来たのかと今さらビックリです。

この二人、この映像の中では結構相性がよいように見える。でも、男と女、実際に一緒になってみなければ本当のことは判らないというのが右往左往した挙句の筆者の結論。

⑦ 「ヤマトより愛をこめて」 

時代は一転、これは現代に近くて、多分十年くらい前の映像か。声についてはやむを得ない点はあるが、年齢と共に表現力はむしろ増しているように思える。コメント欄を見ると、「幻滅!」とか「もっと痩せて!」とか、ファンからの悲痛な叫びが散見されるが、彼はもう他人の指示通りに振る舞い、演技することに疲れてしまったのだろう。これから先は、ありのまま、素のままの自分として人生を終えたいのではなかろうか。彼よりも少し下の世代の筆者にも、その気持ちはよく判るような気がする。

 

なお、沢田研二さんの生誕地は鳥取市となっていますが、ご本人には鳥取の記憶は全くないでしょうから、出身地はやはり京都市というべきでしょう。

ずっと前に「ジュリーが寄贈したピアノが津ノ井小学校にある」と聞いたことがあります。以来、同校卒業者に「それ本当?」と確認しようと思っているのですが、毎回忘れてしまい、あとで「しまった!」と思うことしきり。そのピアノ、今でもあるのでしょうか。

鳥取市出身の芸能人では、ご本人ではないのですが、昨年惜しくも亡くなられた竹内結子さんのお父さんが鳥取市内の出身とか。筆者の高校の同級生の話によると、旧市内の中学校で一緒だったそうです。伯耆町出身のイモトアヤコさんと非常に仲が良かったのも、ひょっとして鳥取県つながりという面もあったのかもしれません。

かってのこの街は、美男美女を輩出する土地だったようです(今でも?)。

/P太拝