「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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大山と氷ノ山での冬山遭難について思うこと

 今朝の鳥取市内の積雪は既に20cm越え、外は時々吹雪いたり止んだりしている。夕方までには久しぶりに30cmを超えるのかもしれない。こういう日は家にこもっているしかないのだが、そのオコモリ状態の中で今朝聞いたニュースについて。

 昨日、大山に登った二人連れが遭難。うち一人は六合目の避難小屋で夜をあかして今朝救助されたが、もう一人の兵庫県の人は行方不明とのこと。仲間を置き去りにして自分一人だけで降りてきたようだ。

 最近の装備は昔に比べれば断熱性が著しく高いから、雪に穴を掘って二人で潜り込み、抱き合って体をあたため合いながら雪が収まって視界が開けるまで一日か二日待っていれば、二人とも助かった可能性は高かったはずだ。残された行方不明の人も、その装備にもよるが、雪穴を掘って潜ってさえいれば、明日あたりにも救出される可能性は残っていると思う。凍てつく吹雪の中を長時間歩き回っていた場合には、体力消耗と低体温症とで死に至ることになるだろう。

 そもそも、昨日の雪の中を、しかもおそらく吹雪であったであろう大山の稜線登山道を登ろうとするなんて、完全に自殺行為だ。吹雪いて視界が無くても山頂まではたどり着けるかもしれないが、雪山で視界が効かない状態では必ずと言っていいほど下り道で迷う。登山道が雪で完全に隠れているので、どこを降りたらよいのか判らなくなるのである。雪山で道に迷った事故の大半が下りで起こっている。

 よくあるのは、下るのをあせったあげくに谷筋に降りてしまって、滝や岩場に出会って進退窮まるケースである。迷ったらその場に留まって、自分がどこにいるのか歩いて来たルートを思い起こしながら地図でよく確認するか、視界が開けるまでその場で待つのが山での鉄則だ。それができない場合でも、少なくとも下降ルートは尾根筋に取るべきである。尾根にいれば、視界が開けた場合には自分がどこに居るのかがよく判る。

 繰り返しになるが、この2/3以降の連日の悪天候の中をわざわざ登ろうとしたこと自体が理解できない。そもそも、悪天候の中を登っても、苦しいだけで全然楽しくないだろうに。

 筆者は30代前半までは休みになると月に二回程度は近くの山に、年に数回程度は北陸や長野の山などに出かけていたのだが、山に数日間入る前には必ずNHKの気象通報を聞き、自分で天気図を書いて天気の予想をしていた。悪天候が予想される場合には、当初の計画を変更して悪天候時に待機するための予備日を設けるなどしていた。当時の登山者にとってはそれが常識だった。

 現在、天候予測を容易に入手できるようになったにかかわらず、かえって悪天候なのに入山しようとする人が増えたことが不思議だ。あまりにも情報が増えすぎた結果、自分に都合の良い情報だけを拾い読みして、楽観的な自信過剰の状態で出かけてしまうのかもしれない。登山での事故は命にかかわるだけに、あくまでもリスク重視で、自分の能力を過少評価するくらいで計画を立てなければならないと思うのだが。

 遭難した経過の詳しい状況はまだ不明だが、今後、おいおい報道されることになるだろう。とにかく、最近目立つのは、山に入る人たちが山の自然を甘く見過ぎていること、仲間を置き去りにして自分だけ助かろうとするヤカラがずいぶんと増えてきたということである。

 昨年末にキャンプ目的で氷ノ山の林道に入って死亡者が出た事例も、今回の大山の遭難との共通点があるのかもしれない。神戸新聞の当時のネット記事がまだ消されてはいなかったので下に紹介しておこう。現場が兵庫県側だったので、鳥取県側では簡単な記事にしかならなかったようだ。

「宍粟・氷ノ山の5人遭難事故 入山3日、状況刻々変化 4人救助までのドキュメント」
  その後の同紙の記事によると、亡くなった残された一人(大阪市の会社員66才)は、年明けの1/2に車中で死亡しているのが発見されている。死亡原因が何だったのか、凍死なのか、他の病気によるものなのかについては、その後の報道が見当たらない。

 以下の別紙による当時の報道でも、救助された四人の話では「動けなくなったので車に残して来た」とのこととしか書いてない。本当のところはどうだったのだろうか、何とも後味のよくない事件であったことは確かだ。

「氷ノ山遭難 残る1人の捜索を悪天候で断念、31日に再開見込み」

 このニュースを最初に聞いた時には、「仲間を置いて自分たちだけ降りてくるなんて、登山者の風上にも置けない。四人もいるのだから、一人くらいは付き添いで残っているべきだ。」と思った。その後、この五人はキャンプが目的だったとの報道があって「キャンパーなら、そういうことがあるかも。」と思い直したが・・。それにしても、なんであんな道にキャンプ目的で入ろうとしたのだろうか。

 この五人が遭難した林道とは、鳥取側から戸倉峠を越えて少し下った所の左側から入る林道のことで、氷ノ山山頂の西に連なる通称三ノ丸の南側をうねるように延びている。筆者は、もう二十年以上も前のことだが、二、三回ほど積雪のある時と無い時の両方の時期に歩いて入ったことがある。当時からずいぶん経ってはいるが、地図で見てもほとんど様子は変わっていない。車を何台か連ねて入って雪に見舞われたら、方向転換にも苦労するような狭い道のままのはずだ。

 彼らが入山した12/25は、鳥取市内ではミゾレが降っていた。山の中では当然雪だったはず。降雪の中をあの辺の林道に十分な準備も無しに車で入るなどというのは、これも自殺行為の一種だろう。彼らは数十年来のキャンプ仲間だったそうだが、大阪周辺の雪と山陰の雪とでは降り方が全く違う。鳥取の人間にとっては、一晩に数十cmの積雪などは、二、三年に一度くらいは経験することだ。

 余談になるが、筆者が体験した一番の豪雪は1983年12月25日、クリスマスの日曜日のことだった。その日は午前中から氷ノ山のスキー場(鳥取県側)で滑っていたが、あまりにも降雪が激しいので、早めに切り上げて15h頃に駐車場に戻ってみたら、置いてあった車の大半が雪に埋まっていた。車を置いてから5時間ほどの間に60cm以上は積もったようだった。

 自分の車を見つけて掘り出すのに約一時間、駐車場から抜け出すのに一時間、そこから普段は一時間程度で着くはずの鳥取市内の自宅まで帰るのに五時間以上はかかった。路面が雪で凸凹で、まるで波の上を上り下りしているようだった。家にたどり着いた時には23hになっていた。

 四駆の車であれば大丈夫というわけでもない。数年前、11月下旬に県東部のある山の林道を歩いていたら、その前日に狩猟目的で入ったと思われる鳥取ナンバーのジムニー(軽の四駆)が林道脇に乗り捨てられていた。積雪は30cmほどだったが、車輪がスタックして脱出できなくなり、いったん放置することにして歩いて下ったようだった。四駆車ならどんな積雪状態でも車で行けるというのは完全な誤解だ。降雪が予想される時には、車が使えなくなった時の準備無しでは車で林道に入ってはならない。

 コロナ禍のせいか、最近になってキャンプや登山を始めた人が急増している。雑誌やガイドブックに紹介されているコースをそのまま自分もこなせると思っていると痛い目にあうだろう。特に雪のある時期の登山は危険と隣り合わせだ。

 どうしても雪の中を山に行ってみたいと思うのなら、自分の体力の限界を知るためにも、有名な山ではなくて、まずは雪のある時期に身近な安全な低山を歩いてみることをお勧めしたい。

 鳥取市内では、樗谿公園から本陣山あたりにかけてが推奨コースだろう。ここなら吹雪の中を歩いても道を見失うことは無いはずだ。雪が無い時期には老若男女が行きかうただの散歩コースなのだが、今日の雪が止んだ頃、明後日あたりに歩いて見れば、足跡が無い雪道を歩くことがどんなに体力を消耗するかを身に染みて体験できるだろう。なお、いくら低山であっても、本当に悪天候の場合には自宅の裏山でも遭難しかねないので注意が必要だ。

 過去の約百年間の石油文明の発展のおかげで、我々は時には空中を飛び、他の動物たちが真似のできないような速さで長距離を走り、何千kmの遠方どころか、地球の裏側で採った美味しい食物さえも手に入れることが出来るようになった。

 我々はこれら全てが元々から自分たちが持っている能力だと思い込みがちなのだが、災害の発生等によって、ひとたびその石油文明と技術とから切り離された場合には、我々は極めて無力なサルの一種族へと逆戻りしてしまうのである。地球本来の自然環境の中では、我々は数日間生きるための食物の確保すら自力では困難な、実にひ弱な生きものなのである。

 その厳然たる事実を思い出し、また現在、我々が享受している文明がこのままでよいのかを考えるためにも、時々、キャンプや登山に出掛けることはよいきっかけとなるだろう。

 ただし、都会での日常生活の便利さをそのままそっくり自然環境に持ち込むようでは、一体何のために野外に出かけたのかが判らなくなるのではないかと思う。危険を事前に察知する能力、不便な中でもその場で手に入るものを利用して生活していく能力を養うことは、今後、いつか必ずやってくる災害を生き延びるための予行演習にもなるだろう。

 なお、この記事の中では遭難された当事者を批判する内容を述べてきたが、明らかに不適切な行動については、やはり批判しなければならない。そうしなければ、今後も同様な行動をして遭難する人がまた出て来ることになる。

 メディアも単なる遭難の事実報告にはとどまらず、事後でよいので、その原因を明確に究明し公開すべきだろう(遭難者と関係者は匿名にすればよい)。そうしなければ、遭難した方の貴重な経験や事例が後に生かされることなく無駄に終わることになる。

/P太拝

 

追記:ブログにアップしようとする前に、念のためにネットを確認したら、少し前に大山で行方不明だった方の死亡が確認されたそうだ。亡くなられた方のご冥福を祈りたい。また、この危険な天候の中で捜索を続けられた地元の皆様には本当にご苦労様と言いたい。若干文章を書き直すべきなのかもしれないが、あえて当初の内容のままで掲載しておきます。