「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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2019年のベトナム(1)

最初にちょっとだけコロナ第七波の話題・

2022/8/25現在   https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/ より
            全国      鳥取県
コロナ陽性者数   累計17,153,435   44,193
  死亡者数      累計 37,586                 44
人口(千人)     126,140 (2021)           544(2022/7)
全人口比陽性者比率       13.6%                  8.1%

現在、日本の新型コロナは第七波のピークがやや過ぎたあたりか。この五、六月でやっと収束かと思っていたら、またぶり返した。上の累積陽性者の人口比を見ると、現時点では全国では7人に一人、鳥取県内では12人に一人がすでに陽性者と公式に認定されたことになる。

もちろん隠れた陽性者はこれ以外にもたくさんいるはず。日本の感染が長引いているのも、マスク着用などの徹底で海外諸国に比べて感染拡大がゆっくりで免疫保持者が少なかったためだろう。

ということは、初期の「感染封じ込め」に成功したはずの中国では、国内の感染者はこれから激増するということになる。おまけに中国製のワクチンは変異株に対する効力が欧米製のワクチンよりもはるかに劣る。不動産バブルの崩壊とコロナ感染者の激増はこれからが本番と予想され、中国経済の停滞がすぐに回復することにはならないだろう。

さて、日本でもこのコロナ禍は近いうちには収束し、海外との行き来も以前の状態に戻ることでしょう。もう三年半も前のことになるが、短期間ベトナムに出かけたことがあり、以下、その時の経験を数回にわたって書いてみたいと思います。

 

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ベトナムハノイを訪れたのは2019年2月の下旬。東京にいる友人に誘われたのがきっかけ。ベトナムはまだ行ったことがない国でもあり、早速出かけてみようということになった。

行き帰りはベトナムLCC(格安航空)であるベトジェット。一か月以上前に予約を済ませていたこともあり、成田からハノイまでの往復便と現地でのホテル二泊(帰りの機中で一泊)を含めて三泊四日での料金が四万円台という格安コース。多分、関西空港から沖縄や北海道に行くよりも安かっただろうと思う。コロナ後の現在では、その数倍になっているのかもしれない。

 

以下、一日目。

前日に東京都内に用事があり、それを済ませてから成田空港の近くで一泊。翌朝、空港ロビーで友人と合流。ベトジェットの成田発が9:30、ハノイ空港着が現地時刻の14h頃(日本時間の16h)。約6時間半の飛行でした。機内はざっと見たところほとんどがベトナム人のようだった。

ちなみに、このベトジェット機の座席間隔は実に狭くて大変でした。中国のLCCにもずいぶんと乗ったが、こんなに座席間隔が狭い飛行機は初めて。多分、小柄なベトナム人の体格に合わせてあるらしく、大柄な筆者が座ると前の座席の背にヒザがついてしまう。昼間のフライトならまだ我慢もできたが、二日後の帰りの夜行便ではほとんど眠れなくて、成田に着いた時には疲れ果ててしまった。

さて六時間強のフライトを終えてハノイ空港に到着。ツアー会社のバスに乗ってハノイ市内へ。我々に割り当てられたのは市の中心部にある比較的小型のホテル。内部は掃除が行き届いていてかなり清潔。

荷物を置いてさっそく周囲を散歩。ホテルのすぐ近くにはフランス植民地時代の置き土産のオペラハウスがあり、その前に学生たちが整列して記念写真を撮っていた。ベトナムの卒業式は七月とのことなので、これは何か卒業以外のイベントなのだろう。

 

 

ちなみに下の二枚目の写真では、オペラハウス前の道路を横断している人たちの横を車やバイクがかなりのスピードで通り抜けていっていた。ハノイの道路には信号機や横断歩道がほとんどなく、歩行者は自分が横断したい所を勝手に横断している。時速40kmくらいは出ている車やバイクの間を縫うようにして、ゆっくりと上手に横断していくのである。

 

横断する側は決して急がず、車のやってくる方を見つめながら、いっとき停まったり、再びゆっくり歩くことを繰り返しながら進んでいく。少し観察してみると、横断者とドライバーの間には何かしら暗黙の了解のようなものが成立しているようであった。

2000年代初頭の北京などの中国の大都市も信号が少なくて、人々が好きな所で自由に横断していたのは同様だったが、横断者とドライバーの間で互いに了解し合っているような雰囲気はあまり感じられず、むしろ敵対的なように感じた。このベトナムの社会全体に感じられる暗黙の相互理解の雰囲気は、ベトナムに特有なものなのかもしれない。

筆者自身は、以前の中国での経験のせいか、この「道路横断のルール」にはすぐに慣れることができた。たった三日間しかいなかったが、欧米などの外国からの観光客の中には、あせって急いで道路を渡ろうとして、逆にひかれそうになっている人を何度も見かけた。

 

さて、ホテルのすぐ近くにはホアンキエム湖公園があり、その周辺は市内で一番の人出でにぎわうということなので、そちらに向かってブラブラと歩いていった。

 

 

ちょうどこの日は日曜日だったせいか、たしかに大変な人出。ベトナム国民の平均年齢は日本よりも十数歳は若いとのことで、若者が圧倒的に多い。公園を取り囲む路上では高校生くらいの女の子たちが自分たちで持ち込んだ音楽に合わせて踊っていた。なんだか、1980年頃の東京原宿の「竹の子族」みたい。

 

 

その近くでは結婚を控えての写真撮影のようで、若いカップルが周りから祝福されている。花嫁が赤い衣装を着ているのは中国の風習とよく似ているように思う。

 

 

もう少し先に行くと、ホテルの前の路上で、若い男性を、これも若い女性が大勢で取り囲んで色々と質問している。男性は優しそうなイケメン風。テレビ撮影中らしい。ベトナム版「パンチでデート」か?(「古い!」と言われそうだが、長いこと、テレビはスポーツ番組とドキュメンタリーくらいしか見ないので。)

 

 

さて、この公園の真ん中にあるホアンキエム湖の象徴が、下の写真に示す「亀の塔」である。15世紀、それまでハノイ周辺を占領していた中国の明朝を追い出した黎朝(ㇾ朝)の初代皇帝の伝説に由来する塔とのこと。

この皇帝が神から授かって明の撃退に使用した宝剣を、この池に住む大亀の取り計らいによって神に返した場所が、この塔が建っている小島なのだそうだ。実際、この池には巨大なスッポンが住んでいたらしい。

 


人ごみをかき分けながらという感じでさらに北に進むと、池の中の小島との間に橋がかかっていて、その先にはお寺のような建物がある。門柱には漢字で何やら書いてあったが、実は三日間の滞在中に街中で漢字を見たのはこの場所だけであった。街中の表記は、その全てがベトナム語をアルファベット表記したものばかりである。

 

 

観光客であふれているお寺の中に入ると、御本尊様は仏様というよりも王侯や道教の高僧のような感じである。仏教寺院というよりも道教のお寺と言った方がピッタリする。ここでも中国文化との濃厚な共通点を感じた。

 

 

陽が落ちて暗くなり、かなり歩いて来て腹も減ったので、ガイドブックであらかじめ見つけておいた公園近くの食堂「ブン・チャー・ター」に入った。

ベトナム料理と言えばフォーが代表的だが、フォーが生乾きのライスペーパーをたて切りして作る麺であるのに対して、ブンというのは米粉を押し出してつくる麺のことを言うらしい。早い話が、ブンは日本でいうビーフンと同じもののようだ。これを肉や野菜が入ったスープにつけて食べるのが「ブン・チャー」とのこと。下の写真のようなセットを注文したが、なかなかに美味しかった。

 

 

付け合わせとして春巻きや大量の生野菜が出て来るが、野菜はいわゆるパクチー(英語ではコリアンダー、中国語ではシャンツァイ=香菜)が主。パクチー系にも色々と種類があって、ドクダミのような野菜もあった。

いずれも香りが強いので、パクチーが嫌いな人は、ベトナムに行ったら出て来る生野菜の大半をパスすることになるだろう。筆者はスパイス系は好きなので、パクチーを毎日食べても特に気にはならなかった。

なお、この店の隣のテーブルでは韓国語、その隣の席には北京語を話すカップルが座っていた。多分、同じ原稿を各国語に翻訳したものがそれぞれの国のガイドブックとして出回っているのではなかろうか。

さて、夕食を終えたが、現地時間ではまだ18hである(日本との時差は二時間)。コーヒーでも飲んで帰ろうということになって、再びホエンキエム湖のほとりに戻り、大きなビルの五階?のカフェに入ってみた。下の二枚の写真はそのカフェからの光景。

周りのビルの照明がキラキラ、路上には相変わらず大量の人出、湖面には周りのビルの灯りが反射してなかなかロマンチックな眺めだ。デートには格好の場所のようで、席の大半がカップルで埋められている。我々のようなオジサンの二人連れはごくわずか。

 

 

名物の「生卵の黄身入りコーヒー」というのを飲んでみたが、味は「ウーム・・」。フランスの風習の置き土産なのかもしれないが、コーヒーに生卵を入れるという発想が「チョットねえ・・」。そもそもコーヒーの味がイガラッポいと感じた。

後で調べてみたらベトナムで生産されているコーヒーは主にロブスタ種で、高温多湿の土地でも栽培できるが、風味は日本で一般的に飲まれているアラビカ種には及ばないとのことでした。

現地時間の19h半にホテルに引き上げたが、この時間でも池の周りは相変わらず若者であふれかえり、下の写真に見るように、路上での告白合戦?も延々と続いていた。とにかく、毎週日曜の夜には、この公園はお祭り会場と化しているようであった。

 

 

さて、公園を出るあたりにまで来た時に、舗道の上で瞑想している人々を何名かみかけた。「最近のベトナムでは瞑想が流行っているのかな」くらいに思いながら通り過ぎたのだが、翌日になってからこの人たちの背景について知ることになった。

 

 

とにかく、ベトナムの持つ若者パワーに圧倒された初日でした。

(以下、次回に続く。)

/P太拝