「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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2019年のベトナム(3)

先回からの続き。ハノイでの二日目の午後の話です。

 

朝からずっと歩いていてかなり疲れた。どこかに入って昼メシを食べようということになり、例によってガイドブックを参照。ハノイ駅のすぐそばにある観光客向けの「クアン・アン・ゴン」という店は各種の春巻きが名物とのこと。では、そこに行こうという事になった。

駅の近くまで来てそれらしい店に入ったが、何だか様子がヘン。この店の名物はカモの料理とのこと。どうやら店の名前がよく似ている別の店に入ってしまったらしい。特に観光客向けの店というわけではなくて地元客が主のようだ。朝からずっと失敗続きである。「まあ、何か食べられるなら、どこでもいいか」とメニューをもらって適当に頼んだ。出て来た料理が下の写真。

 

美味しかったけれど、カモ(多分、アヒルを使用)の肉というのは皮の下の脂肪が分厚くて、そんなにたくさん食べられるものではない。かなり残してしまった。

この写真にはビールが写っているが、ビールの銘柄としては「ハノイ」と「333」というのがこの街では一般的、どちらも自分の好みの「ハイネッケン」に似た軽めの味であった。価格は食堂で出す値段が缶ビール一本で1万7千ドン=85円くらい(当時のレート)。

ちなみに、ハノイでの外食費用はずいぶん安く、ビールを一、二本飲みながら十分に食べて、どの店でも日本円で一人当り千円を超えることは無かった。15年くらい前の中国と同じような感じだった。

腹ごしらえが出来たところで、ついでに近くのハノイ駅に見学に行ってみた。駅の外観が下の写真。

 

駅の内部に入ると、待合室はガランとしていてほとんど人がいない。驚いたのは下に示す発着時刻表。緑が出発便、赤が到着便だが、この写真を撮ったのが現地時間の12:25。それから21:35に至る約九時間の間に出発便が四本、到着便が六本しかない。

 

行先などが略号なので詳しくは判らないが、みな長距離列車なのだろう。この時は「アレレ、首都最大の駅がこんなのでいいの・・・」という感想だけで終わったが、この記事を書くにあたって、少しベトナムの鉄道事情を調べてみた。

 

ここでまた話が脱線。日本がベトナムに新幹線を輸出しようとしていた事を御存じでしょうか。

ハノイと南部の巨大都市ホーチミン(旧サイゴン)を結ぶ南北高速鉄道計画が公表されたのは2007年、2009年には日本の新幹線方式の導入を検討中と伝えられた。しかし、ベトナムの国会は費用がかかり過ぎるとしてこの計画を否決。政府は2013年に計画の中止を発表したものの、2016年には政府が関係機関に再度の検討を指示した。

高速鉄道に対するベトナム政府の方針は二転三転していて、未だに明確な姿勢を打ち出せていないらしい。詳細は次の記事を参照されたい。

「ベトナム南北高速鉄道計画」

「ベトナム、新幹線計画凍結 巨額投資に反発強く」

ハノイからホーチミン市までの既存の南北線の全長は1726kmで29時間もかかっているとのこと。2021年に公表されたベトナム南北高速鉄道計画では1545kmに短縮される予定。仮に時速300kmで走れば約5時間となる。

下の記事によれば飛行機では2~3時間で、かつ、飛行機の運賃は現在の鉄道よりも相当程度安い。駅や空港までの移動時間も含めれば、これから新幹線をつくったとして、はたして巨額の投資をするだけのメリットはあるのだろうか。

「南北線 (ベトナム)」


そもそも、ベトナムで人口が集中しているのは北部のハノイと南部のホーチミンの周辺だけであり、その他の地域の中で人口が百万人に達している都市は中部のダナンのみだ。

東京と博多の間に静岡、浜松、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山、広島、北九州(川崎と横浜は東京圏に含めた)と、人口約70万人以上の都市が九つもあり、しかもその間が適当に分散している日本の事情とは大きく異なる。

また、約50年前まではベトナムの北部と南部はそれぞれ別の国であったこともあり、現在でも相互の交流が盛んとは言えないようである。次の記事はホーチミンに暮らす日本人ライターによるものだが、北部と南部の間には未だにかなり強い対抗意識があるとのこと。

「今なお残る南北ベトナムの深い「溝」」

 

後でまた触れるが、この南北の対抗意識には、現在のベトナムの領土がほぼ固まったのは18世紀になってからであり、北部が南部を武力併合する形で統一が行われたことが影響しているらしい。いまだに南北間の人の移動が頻繁に行われているとは言えず、はたして高速鉄道をつくっても十分な需要があるか疑問な点がある。

新幹線は人口稠密な東アジアや欧州では基本的に優位な移動手段なのだろうが、それが個々の国や他の地域においても同様に優位性が発揮できるかどうかは十分に検討する必要がある。

なお、2019年時点では開通していなかったが、今年の春になってハノイで国内初の都市交通システムが導入された。この路線の建設は中国企業が担当している。始発駅はハノイ駅から西に1kmほど離れているようだ。フランスが建設しているハノイで二番目の路線も近いうちに開通する見込みとのこと。

「ベトナム初「ハノイ都市鉄道」で渋滞解消なるか」

一方、ホーチミン市での最初の都市交通の建設には日本企業が加わっているそうだ。来年にも営業開始の予定らしい。ハノイの交通渋滞と大気汚染の深刻さを見ても、まず求められているのは、新幹線よりも地下鉄やモノレールなどの都市交通路線の方だろう。

以上で脱線話は終わり。第二日の午後に戻ります。

 

さて、話が前後するが、この日の午前中に大教会からホーチミン廟に行く途中でベトナム鉄道の線路を横切った。その時の写真を下に示しておこう。

 

見てのとおりで、線路と周りの家との近さには驚くしかないが、これがさきほどのハノイ駅から伸びているベトナム鉄道の正式な路線で、この先は中国との国境まで伸びているのである。ただし、中国国境への列車の発着駅はハノイ駅から二つ先のホー河を渡った所にあるザーラム駅とのこと。

写真に見るように、この界隈は特に欧米系の観光客には大人気のようだ。同行の友人もこの線路に沿って歩いて見たいとのことで、ハノイ駅からはそれぞれ単独行動をすることにした。

なお、彼がこの線路沿いで撮影した写真を後で見せてもらったが、なかなかに趣きのある写真が多かった。日本の昭和の風景にたくさんの原色系の色を加えて、さらに乱雑さと荒廃の雰囲気を若干加味した感じの写真とでもいえばよいのかもしれない。

「hanoi railway street」、または「hanoi train street」で検索すると、この線路の写真や動画を数多く見ることができます。

筆者はと言えば、裏通りの風景も結構好きではあるが、初めて訪れた国や街ではまず美術館か博物館に行ってみることにしている。ハノイ駅からさほど遠くはないところにベトナム美術館があるので、そちらに行くことにした。下の写真がこの美術館の入場券。

 

三階建ての洋風の建物だが、正面の屋根の飾りは東洋風である。入場料は4万ドン=¥200程度。三階建てで一階の古代から三階の現代まで時代順に展示してある。

 

一階に入ると、いきなり青銅器がずらりと並んでいる。これはBC4~AD1世紀、ちょうど日本の弥生時代に相当する時代に北ベトナムで栄えたドンソン文化のもの。

東アジアでの青銅器の発祥地は中国の黄河流域から四川盆地にかけての地域らしいが、発祥して千年から二千年後にはその青銅器が東は日本へ、南はベトナム北部へと伝わっていたことになる。

下の写真の銅剣は、柄の形が日本の弥生時代のものとはかなり異なっていて装飾的である。

 

次の写真は10世紀ごろのチャンパ文化のもの。タイトルは「Dancing girl」となっているが、明らかにインド文化の影響が見てとれる。チャンパ王国は北部からのたび重なる侵略によって18世紀前半に消滅するまでは、旧南ベトナムの領域の北部に存在していた。

 

インドの影響を受けた南部とは対照的に、北部では中国の影響を強く受けて漢字文化と仏教が広く普及していた。下の写真の仏像は日本では千手観音と言われているタイプのもの。

 

次は、たぶん、日本でもおなじみの七福神の「布袋さま」と同じものだろう。説明板も撮影しておいたのだが、残念ながら光量不足で写真画像が流れてしまって説明が読み取れなかった。北部には日本とよく似た内容の仏教文化が浸透していたようだ。

 

二階と三階では近代から現代にかけての美術作品を展示していた。油絵などは西欧の画風を模倣しただけという感じのものが多く、見るべきものは少ない。

ただし、シルクスクリーン作品については、ベトナムに独特なのか、静謐さとすがすがしさとを感じさせる優れた作品が多いように感じた。ガラス面の反射が入って画質を損ねてはいるが、一点だけ紹介しておこう。勉強している女子学生を描いたものである。

 

なお、現代の作品には、やはりベトナム戦争の時代の情景を画題としたものが多かった。

 

さて、美術館を出てホテルに帰る途中では、みやげものを売る店の角に、アメリカのトランプ大統領北朝鮮金正恩の似顔絵を並べて描いたTシャツがぶら下げられていた。今まで触れてはこなかったが、二日後の2/28にハノイでトランプと金正恩による米朝首脳会談が開催されることになっていたのだ。

それに合わせて我々がこの旅行を計画したはずもなく、単なる偶然。我々が旅行を予約した後になってから、米朝間でハノイ開催を決めただけのこと。

元々、イベントに合わせてグッズを高く売ろうとする便乗商法は好きではないが、この文を書く段になってみると、Tシャツの写真の一枚くらいは撮っておけばよかったかな。

この日には街のあちこちに両国の国旗が飾られるようになって、歓迎ムードが急速に盛り上がって来た。

泊っているホテルの近くまで帰ってくると、五つ星の高級ホテルの前に報道陣が集まっていた。その中には日本のTBSテレビで見かける男性アナウンサーも居る。どうやら、このホテルが明日やってくる金正恩とトランプの会議場になるのではとの予想が多いらしい。

 

このホテルから100mほどの所には、下の写真に示すベトナム政府の迎賓館がある。既に米国と北朝鮮の国旗も飾られていて、ここが金正恩の宿泊先になる可能性もありそうだ。


金正恩もトランプも両方とも嫌いだけど、一度くらいは実物を見てみたい。明日が楽しみ!

/P太拝