「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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1970年代は今よりもはるかに自由だった

ふだんはまる一日テレビを見ない日も多いが、一昨日の日曜日の夜、先日のWBC中継以来、久しぶりにテレビを見た。NHKの恐竜特集番組である。

19h半からの「ダーウィンが来た」と21h台からの特集番組の二つに分かれて「6600万年前の隕石衝突後も、一部の恐竜は数十万年間は生き残っていた」という驚くべき内容を紹介していた。それはそれで面白かったのだが、強く引き付けられたのが、その間の時間つぶしに見た、20hからのNHKEテレの「日曜美術館-辻村史朗の「器と心」-」だった。

この番組をぼんやりと見ているうちに、自分も陶器に引き付けられた時期があったことを思い出した。1970年代の終わりごろは東京周辺に居たのだが、陶器を売っている店の前を通りかかると、店の中に入っては売っている皿や茶碗を眺めることを繰り返していたものである。その頃に買った安物の茶碗のいくつかは、今でも実家の戸棚の中で使われないままに眠っているのかもしれない。

辻村氏の人柄や作風、山の中での暮らしぶりについては、今週末までは「NHKプラス」で見ることができるはずだ。その後は「NHKオンデマンド」で見られるかもしれないが、どうなるかは判らない。

見ていて驚いたのは、彼は作った作品全てを一個も廃棄することなく周辺の山の中に放置しておいて、必要があれば藪の中に掘り出しに行くことだ。まるで地面の中から陶器が自分で生えて来たかのような光景である。

人里離れた山の中で、自力で家を建て焼き窯を作り、誰にも師事することなく、その時々に自分の作りたい作品を完成することに夜も昼も没入する。いいなあ。

現在は、白地に赤みのある鉄釉の入った温かみを感じさせる志野焼の再現に数年間取り組んでいるとのこと。自分もあのような茶碗を手に入れて、両手で抱えてその感触を確かめながら抹茶を飲んでみたいと思った。この山中で辻村氏に50年間連れ添っている奥様も、気品を感じさせる素敵な人だ。

番組の途中、ご夫妻がこの山中で焼き物を始めた頃の写真が何枚か紹介されていた。自分の作りたい焼き物を一心に作り続け、カネが必要になれば二人で山を降りて街で作品を売る生活。ジーパンと長髪姿の彼らの写真を見て思った。「ああ、この頃の自分は、こういう人たちに憧れていたんだった。懐かしい。」

1970年代の大半、筆者は学生で、自分はこれからどう生きるのか、非常に迷い続けていた。同じところをグルグルと回り続けるような不毛とも思える時期だったが、考える時間と自由だけは存分にあった。社会に出る前のモラトリアム時期と言われればそれまでだが、こういう時期は誰にも必要なことなのかもしれない。辻村氏も、禅宗の寺に入ったり絵の修業をしたりしたのちに陶芸一本に打ち込むようになったらしい。

1970年代とは、ベトナム戦争が終わり、大学の騒乱も終息して価値観が揺れ動いた時代だったが、社会の中のエネルギーはまだ十分に残っていてあちこちではじけていた。

学生仲間で夜間に近郊にハイキングする「夜間歩行」を毎年開催していたが、歩いていると明らかに飲酒運転と判る車がフラフラと走って来てはそばに停まり、「おい、兄ちゃん、乗ってかねーか!」と誘われて断るのに一苦労したことが何回かあった。今だったら即刻警察に通報されて大問題になっていただろう。荒っぽいが、社会の中の規制がまだゆるくて、自由な空間があちこちに残っていた時代であった。

いつから今のように自己規制ばかりが求められる息苦しい世の中になってしまったのだろうか。若者たちは、自分を表現するよりも自分を守ることだけに必死になって、バカ丁寧な話し方ばかりをするようになってしまった。

辻村夫妻のように、真っすぐに突き進んでいくだけの青春。自分にもその機会がいくらかはあったのかもしれないのに、目の前の生活に追われているうちに逃してしまったのが残念だ。

/P太拝