「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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ナショナリズムと戦争(2)

 ちょうど一週間前の9/19に、安保法制案が参議院で可決されてしまいました。

 元々、筆者は憲法は時代に合わせて変えていけばよいと思ってきました。組織された暴力を使ってよその国を意のままにしようとする戦争は、決して許されるものではありません。しかし、世界には戦争を紛争解決の手段としている国がまだたくさんあるのも客観的な事実です。「我が国に下手に手を出すと痛い目に合わせるぞ」と思わせるための最小限の軍備を持つことは、当面はやむを得ないのかもしれません。

 しかし、今回の安保法制の進め方は本末転倒です。最初に国の安全保障の在り方と憲法について真正面から議論すべきです。ところが、現憲法下では許容されない集団的自衛権を含む安保法案を先行させて、「内閣解釈でいろいろと制限するから・・」と言い訳を並べ立てて、なし崩し的に成立させてしまった。

 いったん、なし崩し的に既成事実を作っておいて、国民がその状況に慣れたころに改憲を持ちだそうというのが安倍総理の真意でしょう。また、安倍内閣原発再稼働、武器輸出開始等、既存の重工業系大企業に利益を誘導する政策を連発し続けています。こんなやり方を許してはなりません。次の選挙の結果によってはこの安保法制を廃案にすることができます。来年夏の参院選の結果に期待したいと思います。

 さて、今回の本題は、人を戦争に駆り立てる根源思想であるところのナショナリズム。約一年前の記事ですが、その本質をていねいに解説した記事があったので紹介します。


 この記事の中に、「ネイションにすがる国民の意識が戦争につながった」との表現があります。戦前の日本の大衆は、マスコミに扇動された面もありますが、経済不況の打開策として陸軍の満州進出を積極的に支持していたようです。
 同じような記述は、次の本にも載っています。経済的に困窮していた農村集落ほど、村をあげて満州に移住する傾向があったとのこと。


 ちなみにこの本は、日清戦争から太平洋戦争に至るまでの日本と世界の動きを客観的に詳しく解説しています。筆者は司馬遼太郎の長年の愛読者であり、「陸軍が暴走したことがあの戦争の最大原因」とするいわゆる司馬史観を信奉してきました。しかし、この加藤氏の著書を読んで、国民が陸軍の暴走をむしろ期待していたことを知り、認識を改めました。日本の近代史を知るうえで非常に参考となる一冊です。

 さて、安倍氏が仮想敵国(?)としている中国の国民のナショナリズムは、現在どうなっているのでしょうか。

 筆者は数年前までは、メーカーの技術者として日本と中国の間を累計で数十回は往復しながら仕事をして来ました。大都市近郊の工場で一緒に仕事をしていた中国人の中で、筆者に対して反日的な態度を見せる人は一人もいませんでした。優秀な人も、そうではない人もいたが、みな親切でした。「自分にとって得になる相手に親切にするのは当たり前」と言われればそれまでですが、そういう態度を取る人が多いのは日本でも同様でしょう。

 しかし、中国の農村部ではいささか傾向が異なるようです。現在は有料化していてその一部しか読めませんが、次の記事によると、自分の能力に自信がなく将来を悲観的に見ている若者ほど、国の威信と自分のプライドを同一視する傾向があるようです。1ページ目に登場するAさんがその典型例で、今は無料では読めませんが2ページ目以降で彼は「釣魚島(尖閣諸島)は絶対に中国のもの」と主張しています。彼よりも自分の将来に対してはるかに希望を持っている他の数名の登場人物は、「釣魚島が誰のものでも、どうでもいい」と言っています。ちなみにこの記事の筆者である川島博之氏は東大の先生であり、中国農村経済の専門家です。


 2012年9月に青島のイオンやパナソニックの工場が襲われる反日暴動が発生しましたが、一部の政府筋にカネで雇われた出稼ぎ農民層が暴動の主役だったとの説がもっぱらです。自分の将来に希望を持てない人ほど国の威信にすがろうとするのは、戦前の日本と同様のようです。

 最初に紹介した記事の最後の方に、「中国は内向きのナショナリズムではなく、外向きのナショナリズムを持つべき」とあります。外向きのナショナリズムとは、積極的に他者と交流して世界に貢献するという行動を意味します。筆者は、この言葉は中国に対してだけではなく、日本の国内の一部の人々に対しても向けられるべきと思います。

 いわゆるネトウヨや、ヘイトスピーチを繰り返している層、反韓・反中記事を売り物にして売り上げを伸ばそうとしているフジ・産経グループや小学館(読売グループや講談社も同様か?)等のマスコミも、この内向きナショナリズムの典型例ではないでしょうか。彼らの活動は世界の緊張をさらに高めるだけです。自己満足の世界に閉じこもっているだけであり、世界の平和と相互理解に対してはマイナスの存在でしかないと感じます。マスコミがナショナリズムをあおるのは、オリンピックやサッカー、ラグビー、野球などのスポーツ記事だけに限定して欲しいものです。

/以上