7月以来、ひさしぶりに My favorite songs(3) として岡林信康をとりあげます。彼は最近は取り上げられることは少ないが、こうしてあらためて聞いてみるとやはり偉大な作曲家・歌い手であると思います。
① チューリップのアップリケ(1969)
この曲を最初に聞いたのは高1の時だっただろうか・・。聞いた瞬間、後頭部をバットで思い切り殴られたようなショックを感じた。「こういう表現があってもいいんだ!方言で歌を歌ってもよいのだ!」と思ったことを覚えている。熟年世代となってこの唄を歌う岡林の声の方が、四十数年前に聞いた時よりも心に染み入ってくるような気がするのはなぜだろうか。
② 山谷ブルース(1968)
日雇い労働者の街であった当時の山谷をはじめとするいわゆるドヤ街は、今では単身の高齢者ばかりの街になっているそうです。この唄の中で、岡林は「働く俺たちの世の中がきっと来るさ、そのうちに・・」と歌っています。しかし、働く人の三人に一人が非正規労働者となってしまった今の日本は、「山谷が全国的に拡散して、山谷と一般の街の境界がはっきりとは見えない状態」になっているような気がします。
③ 流れ者(1969)
この曲を初めて聞いた少年の頃から四十年以上たって、はっきりと判ったことが一つだけあります。飯場で暮らす労働者にとどまらず、サラリーマンも専業主婦も、国会議員の先生や有名タレントも、みな全てが「明日を知れない流れ者」であるということです。
以下の三曲は、いわゆる社会批判、プロテストソング。なかなかにきつい毒を含んでおり、それが当時岡林が人気を集めた理由の一つでもあります。それにしても、これらの唄が皮肉っていた1970年前後の世相と、2015年現在の世の中の状況がたいして変わっていないことに、今更ながら驚いてしまいます。
④ がいこつの唄(1969)
⑤ くそくらえ節(1969)
最後の方で出てくるエライ小説家とは、最近引退した、都知事もつとめたことのある「エライ?」政治家のこと。
⑥ NHKに捧げる歌
岡林はその風貌も相まって、ファンから一種、「救世主」扱いさえもされるようになり(実際、彼の父はキリスト教の牧師とのこと)、それが逆に彼のつくる唄の内容にも反映されたのでしょうか、歌詞の内容がどんどんと観念的になって行きました。(当時の若者の思考は、私自身もそうでしたが、その大半が観念的と言ってよいものでしたが・・)次の曲なんかはその典型。
自分の方向を見失った岡林は、いったんそれまでの歌を捨てて農村に引きこもります。彼を偶像化していたそれまでのファンからは、「俺たちから稼いだカネでさっさと引退するつもりか!」とさんざんに非難されました。
この頃から彼のつくる唄は、それまでと一転して自分の感じる感情を素直に吐露する内容へと変わっていきました。私の好きな岡林の唄はこの時代のものが多いのです。
⑧ つばめ(1971)
自分が高3の時だったと思うが、岡林の初めてのベストアルバムが発売されました。その中で一番好きだったのがこの曲です。
⑨ 26番目の秋
この曲も最初のベストアルバムに入っていました。
⑩ 山辺に向かいて
この曲を聴いているとよく思い出す詩があり、以下に紹介しておきます。「姿を変えて命はめぐる」というこの唄の歌詞からの連想です。
「個人は仮の姿」であり、「グルグル回る命の循環」にこそ本当の価値があるのではないか・・。
「 我々ガ死ンデ 死ガイハ水ニトケ、
ヤガテ海ニ入リ、 魚ヲ肥ヤシ、
又、人ノ身体を作ル、
個人ハ、カリノ姿 グルグルマワル。」
ヤガテ海ニ入リ、 魚ヲ肥ヤシ、
又、人ノ身体を作ル、
個人ハ、カリノ姿 グルグルマワル。」
/以上