「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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安倍政権支持率回復の理由

 昨日の日経ビジネスオンラインに次の記事が載っていました。
 
 この記事を書いた小田嶋氏は、早大を出て約一年間サラリーマンを経験した後は職を転々、現在の肩書は「引きこもり系コラムニスト」とか。肩書をやたらと集めたがる政治家諸氏とは対照的な存在で何だか親近感を覚えます。筆者はこのコラムを時々読んでいますが、氏の分析には(全てについてではないが・・)鋭いものを感じています。

 さて、記事の表題の安倍政権支持率の回復とは、この夏の安保法制審議中に低下した支持率が最近数%上向いていることを指しています。その詳しい内容についてはこの記事を読んでもらえばよいのですが、小田嶋氏は別の例も挙げています。
 すなわち、「東京オリンピック招致運動のさなかには招致反対または疑問を持つ人が3~4割はあった。しかし招致が決まると、それらの声がまったく聞こえなくなった。」

 小田嶋氏によれば、これらの現象の背景には次のような理由があるとのこと。

① 日本人は「すでに起こってしまったこと」には、反対しない傾向がある。

② 日本人は、すでに決まったことに反対すると、周囲から所属する集団への「忠誠心」を問われてしまうことを恐れる。いわく、「決まった以上、グダグダ言うな!」、「空気を読まない鼻つまみもの!」、「非国民!」等々。

③ この国では、会議は方針を活発に議論するためではなく、反対に「活発な議論を封殺」するために開かれる。結論は会議前の根回しによって、すでに決まっている。会議は、議決に参加させることによって反対派を黙らせるためのツールとして開催される。

 この記事を読んでいて筆者は、ここ鳥取市ではこのような例に満ちあふれていることにハタと気づきました。

 一例をあげると、例の河原町のゴミ焼却場建設問題。建設にずっと反対してきた集落は一つだけでしたが、建設差し止め請求を広島高裁松江支部によって棄却されて、この集落は今月初めに上告を断念しました。地元紙によると、この集落の代表者は上告断念の理由として次のように述べています。「裁判を継続すると行政側から不利益を与えられかねず、周辺集落からも孤立することから、集落内で上告反対の意見が多数となった。」
 行政側や周辺集落からの圧力が大変なものだったことが、このコメントから読み取れます。 

 上の③の、「会議は反対意見を封殺するためのツール」との説も、全くその通り。鳥取市の開く会議は、上は市議会本会議から下は地区懇談会に至るまで、そっくりこの説が当てはまります。会議の結論はすでに決まっていて、形だけは民主的に議論をしたように見せるためのマスコミ向けパフォーマンスや、反対派のガスを抜くための場と化しています。

 鳥取市の市庁舎新築問題も、「もう決まったことだから・・」と簡単に納得しないようにしたいものです。本当に決まってしまうと、今後何十年にもわたって、新庁舎建設費として市が新たに借金した分だけ、我々市民の財布の中身が減ることになります。

 ところで、小田嶋氏が上で指摘した日本人の傾向ですが、七十年前以前の戦争の時代から一向に変化していないように見えます。最近、安倍総理が唱え始めた「一億総活躍」とのスローガンは戦時中の「一億一心」や「進め一億火の玉だ」等の標語を連想させます。

 「一億一心」をクリックすると開くサイトの最初に「一億一心絵葉書」というのがありますが、この絵の中のおじいさんがぶら下げている手提げ袋?には「公益優先」という言葉が書いてあります。この言葉、今でも政策に反対している人間に対して行政がよく使う言葉ですね。
 日本の行政担当者の頭の中身は、あの戦争から七十年たっても本質的には変わっていないのです。

/以上