この年の瀬になってから、またまた訃報である。自分が影響を受けた人たちがどんどん消えていくようなさみしさを覚える。
野坂氏が脳梗塞で療養中との話はかなり前から聞いていた。でも85才にもなっていたとは知らなかった。
本日の夜になってから、瀬戸内寂静さんが追悼文を発表された。
以下、この記事から抜粋。
「・・・。あの日は、あなたからの初めてのお誘いで私が参上したのでした。タクシーの運転手が気が利かなくて、あなたのお宅のまわりで三十分も迷いました。とても寒い日でした。あなたがオーバーも着ず、玄関の外に出てずっと待っていて下さったのに驚きました。何てやさしい方なのだろうと思いました。
三時間余り居た間、あなたは一言も喋(しゃべ)らず私一人が喋り通して疲れきりました。脳梗塞で倒れられて、ずっと療養中のあなたは、文は書かれるけれど、会話はまだ御不自由なのでしょうね。
その日、困った編集者が、最後に、「瀬戸内さんをどう思われますか?」 と訊(き)いてくれた時、ゆっくりと、しかしはっきりと「や、さ、し、い」と答えて下さいましたね。どんなたくさんの対談よりも、その一言を何よりの慰めとして帰ったのでした。・・・
・・・。「シャボン玉 日本」を今、読めと、あなたがさし出してくれたような気がします。
この中には、今の日本は戦前の空気そのままに帰ってゆく気配がすると、政治の不安さを強く弾劾していますね。今、この本を若い人たちに読んでほしいと、私に告げて、あなたはあちらへ旅だたれたのですね。長い間お疲れさまでした。私も早く呼んで下さい。私も何やらこの日本はうすら寒い気がしてなりません。」
この記事を読んで、自分も久しぶりに野坂氏の本を読みたくなった。
「シャボン玉 日本」をである。
敗戦を中国で迎えた瀬戸内さん、戦災の中で妹を餓死させた野坂氏、朝鮮での敗戦後の逃避行の中で母を失った五木氏。彼らの世代は、あの戦争の体験を次の世代に全身全霊で伝えようとして、その後の70年間の人生を生きてきたことは間違いない。昔、若いころにはそのことがよく理解はできなかったが、自分も六十才を過ぎて自分の死を意識するようになってみると、自分の体験を少しでも後に伝えたいという思いはよくわかる。
自分は戦争未経験の世代に属するが、彼らの言いたかったことは少しはわかるような気がする。彼らの声を次世代に伝えていくことが、我々の世代の務めなのだろう。
/合掌