「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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前鳥取市長の竹内功氏は、来夏の参院選で勝てるのか?(1)

 

 マスコミ報道によると、自民党鳥取県連は前鳥取市長の竹内功氏を来夏の参院選比例区候補に正式決定したそうです。今回はこの話題を取り上げてみましょう。

 当然ですが、筆者の周辺では竹内氏に批判的な声が圧倒的です。先月の自民党県連による候補者公募の際にも、「よくも推薦者が八人も集まったもんだ。推薦した人間の顔が見たい!」、「全国区の比例区では、そんなに票が集まるはずがない」、「バックの団体が無いから選挙をするにも資金も全然足らんだろう」、等々の声がもっぱらでした。

 鳥取県東部では、彼の行状はマイナスの側で有名ですが、県の中部・西部や島根県の方々は彼の名前さえも初耳でしょう。ここで、竹内氏の過去三期12年間の鳥取市長としての実績をあらためて紹介しておきましょう。

(1) 初当選時、前市長の計画していた巨額の水道整備事業を批判して票を集めた。しかし当選後は、自らの公約をホゴにしての前市長の計画事業を継承、約百億円にも及ぶ建設費を使って、わざわざ山の上に新浄水場を建ててしまった。千代川の水は水質が良いので、従来から川のそばにある濾過式浄水場の活用で十分であるという声が大半であったにもかかわらず・・・。
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(2)鳥取駅前の大丸横に、目的不明の奇妙な建築物「バードハット」を約12億円を使って建設。屋根が開閉できることだけが売り物。このため、この通りは片側通行となり車の乗り入れが不便になった結果、大丸の売り上げが減ったとか。税金をムダに使ってわざわざ「無用の長物」を建設。若者の間では、この屋根は別名「ダラズハット」と呼ばれているらしい。

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(3)鳥取駅に隣接する一等地に大阪の医療専門学校を誘致。市が5億円以上もかけてビルを建て、大阪の業者に今後30年間もタダで貸すという約束で誘致した。そのツケは鳥取市民に丸投げ。
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(4) そしてこの数年間にわたり紛糾してきた鳥取市庁舎の新築移転問題。
 2010年の三選を果たした市長選では、竹内氏は公約の中で市庁舎問題については一言も触れなかった。しかし、再選されたとたんに市庁舎新築を強引に推進し始めた。
 2012年5月の住民投票で投票総数の六割が「耐震改修案」支持した結果を、竹内氏はいったんは「結果を尊重する」と表明した。この結果に沿って竹内氏が耐震改修案の検討・実施を市職員に指示していさえすれば、何の問題もなかった。
 しかし、彼は自分の責任をいったん放棄した。そして、その検討を市議会に丸投げした。多数を占める市議会与党は市長の意をくんで耐震改修案にいろいろと難クセを付け、あろうことか、検討担当者として住民投票時に対案てある「新築移転案」の見積もりをした(株)日本設計を選んだ。当然のように日本設計は「耐震改修案」は費用がかさむので実現不可能という結論を出し、これを地元紙が大々的に報道、市民の意識に大きな影響を与えた。
 以下の経緯は省略するが結果としては、市議会で2/3以上を占める与党が昨年12月に新築移転を認める条例を可決、市庁舎新築移転計画が推進されることとなってしまった。
 日本設計が「費用がかさむので耐震改修案は実現不可能」と結論した段階での、日本設計による現庁舎改修費用の再見積もり結果は約30億円。これに対し、市が現在公表している新庁舎建設費用は約100億円。竹内氏のおかげで建設費が三倍以上にも膨らんでしまったのである。
 
 その他にも似たような話は山ほどあるが、きりがないので省略する。以上の事例から明確になるのは、竹内氏の公約は全く信用できないということである。また、竹内氏は「公共事業こそが自分の権力維持の源泉」と信じているらしい。彼は常に公共事業のネタを探し回っており、いったん見つけたらその費用を可能な限り膨らまそうとしていることは、いままでの実績を見れば明らかだろう。
 
 彼の経歴を見れば、その傾向には納得できるものがある。彼は1974年に東大法学部を卒業して建設省(現在の国交省)に入省しているが、当時の首相は「日本列島改造論」を提唱し建設業界を主な支持基盤とした、あの田中角栄であった。公共事業を取り仕切ることで自分の権力を強める手法を学ぶ機会は、当時の建設省内にはいくらでもあったことは想像に難くない。
 
 さて、このような人物が国の行政にまでかかわることになれば、その災厄は大変な規模となるだろう。鳥取駅前の「ダラズハット」程度では済まないことになる。
 自分の権力を強めることだけが目的で、ムダな公共事業が乱発されるだろう。そのツケを払わされるのは、結局は税金を納める我々なのである。
(続く)