「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

当ブログの内容は編集者個人の見解であり、「市民の会」の公式見解ではありません。当ブログへのリンク、記事内容の引用等はご自由に!

My favorite songs (5)

 久しぶりに、「私の好きな歌」の五回目です。

 戦後の女性歌手No.1は美空ヒバリさんなのでしょうが、それに続く歌手については、いまだに優劣が定まっていないみたい。ここで私は、森昌子さんをイチオシで推薦したい!チアキナオミさんは歌のうまさにかけては絶品だと思いますが、私の好みとしては、女性の透き通った高音の歌声に引かれるところが大であります。

 以下、ものは試しに聴いてみてください。彼女の持ち歌よりも、ほかの歌手の歌を歌っている場面を意図的に多く紹介しています。本家の歌と聞き比べていただきたいためです。

1978年 
当時、森昌子さんは19才。NHKの昼番組からの収録らしい。五木さんとまるで兄妹みたいです。もしも五木さんと結婚していたら、ずっと歌手生活を続けられたのでは?

1979年 
「水色の雨」の歌唱力には、圧倒されるというほかに形容する言葉がありません。このころの髪型も可愛いです。

1981年 
「おかあさん」は15才の時に発表した曲。22才になってからのこの歌では、さらに母への想いが増しているような気がします。

1982年
別れ船('82年)
発売当時はB面に載っていた曲。しみじみと聞かせます。

1983年
後者の映像の一番最後に横顔をのぞかせた人物に注目!

1984
細雪五木ひろし)、 寒椿('84年)、 むすめ巡礼

 筆者は、昌子さんの歌唱力は'84-'85に最高域に達したと思っているので、ここからは一気に紹介曲を増やしました。この時期の昌子さんの歌は、どれをとっても絶品と言っていいと思います。なお、「水色のワルツ」の作曲者は、米子市出身の高木東六氏です。

1985年

 「愛と死をみつめて」の画像に出て来るのは、吉永小百合さんと浜田光夫さん。筆者はこの曲がはやった1964年当時は小学五年生。曲の背景も知らず、遊び仲間のマコト君をに対して、「マコ、○○でごめんね」などと、からかうネタに使ってばかりいました。

1986年
池上線(西島三重子)

 森昌子さんは1986年の6/29に引退コンサートを開き歌手生活を引退、そして結婚。この引退コンサートと、その直前の映像に見る彼女の表情は悲しみにあふれていて、とても紹介する気にはなれません。よほど、歌を歌うことについて心残りがあったのでしょうか。
 天才と言っても差し支えない最高レベルの歌手をこの年に失ったことは、国家的な損失と言えるのかもしれません。

 でも、私たちファンには、彼女や森進一さんの当時の選択を祝福こそすれ、二人を非難する資格は全くありません。全ては当時、二人が自分たちの幸福のために一番よかれと思って選択した道なのですから。そして、結婚生活が一段落したあとで彼女が再び歌を歌い始めたことについては、筆者はもろ手を挙げて再歓迎したいと思います。

 筆者は'70年代から'80年代にかけて、ほとんどテレビを見なかったので(今でもそうですが)、森昌子さんの歌唱力がこんなにも素晴らしいものであることを数年前までは全く知りませんでした。それまでは、デビュー当時の「せんせい」や「中学三年生」のイメージしかありませんでした。彼女の歌のすごさを認識(発掘?)できたのは、ひとえにYouTubeのおかげです。

 以下、収録年は特定できませんでしたが、筆者の好きな歌を追加で紹介しておきます。森昌子さんの歌う童謡も絶品です。どうぞお楽しみください。


 最後の付録。彼女はやっぱり天才!  ものまね10連発

/以上