「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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「終戦」?記念日

今日は第七十回目の「終戦」記念日でした。

以前からずっと疑問に感じていたのですが、なぜ今日は「敗戦」記念日ではなくて、終戦」記念日なのでしょうか?日本が自分から戦争を仕掛けたものの米国にコテンパンにやられ、1945.8.15をもって日本が米国と米国に連合する国家に対して無条件降伏したのは明白な歴史的事実。これが、言葉の表現を言い換えることで本質的な事実さえも隠ぺい・すり替え可能とみなす、日本人に固有の姑息な言い換えの一例でなければよいのですが。

筆者が生まれたのは、敗戦から八年以上もたってからの事。戦争のことは直接にはなにも知らないのですが、中学・高校の先生には戦争体験のある方がかなり多くおられ、授業の合間には当時の話をされることが何度もありました。今の学校現場の上層部からは、「授業中に余計な話をするな!」と叱られそうですね。手や足が無い傷痍軍人が募金を募っている風景を、鳥取の街角で見たような幼時の記憶(?)もあります。

本日の「敗戦」記念日にあたって、最近読んだ戦争体験に関する記事を紹介しておきましょう。その内容も一部抜粋します。

日経新聞の記事は、登録すれば月間10件までは無料で読めます。)

「・・戦後はまた逆方向にがらりと変わるんですが、その『がらり』は昭和天皇が亡くなったときの社会の空気にも現れていたし、東日本大震災のあとも感じました。変わり方がとても激しくて、怖い。もし、また日本が戦争をやったらそれが噴き出すでしょう。夢中になっちゃうんです、日本人は。戦争は絶対にやってはいけないという僕の思いは、そんな『がらり』への不安も大きい。・・・」

「・・・いろいろな面で、日本人もタガが外れてきたようです。最近、日本人はここがすごいとか素晴らしいとか、こんな場所にだって暮らしているぞとか、テレビ番組などでやたら褒めていますね。自分で自分のことを素晴らしいだなんて、恥ずかしいですよ。不愉快ですよ。素晴らしければ素晴らしいほど、自分では言わないのが日本人の感受性だったのにね。・・・」 
(⇐ 大いに共感!自分で自分をほめるなんて本当にみっともない。実際に素晴らしいことをしてきた日本人は、自分からそんなことは決して言わないでしょう。)

「・・きれいな言葉も注意したほうがいい。震災後によく使われた『絆』なんて、どうしても実態とずれていく。その渦中では興奮して、センチメンタリズムが動員されますが、だんだんウソになっちゃうんです。・・」
(⇐ これも大いに共感!さすが映画監督、人間の本質をよく見ている。ちょうど、リオ五輪の最中でもあり、テレビをつけると日本の選手みんなが口をそろえて、「自分が競技することで、日本国民に感動を与えたい」とか言っている。「自分がこの競技をやりたい。やる以上は相手に勝ちたい!」とだけ言えばいいのにね。その言葉に共感した人が応援すれば、それでよいのでは?感動の全国民への一方的な押し売りは、もう結構!)



「・・抽象的な言葉では、もう若い世代には伝わらない。だから、私たちはなるべく具体的に細やかに、戦争体験を語っていかなければならないのです。たとえそれが、つらい記憶を掘り起こす苦しい作業であっても。・・・」

「・・母の命がけの抵抗によって、今度こそ男たちは去った。しかし、その去り際に「今夜、この一家を皆殺しにする!」と吐き捨てたというのです。皆殺しの宣告。私はその夜、便所に行って吐きました。あまりの恐怖に、体がおかしくなったんです。・・」

以上の二件は、敗戦当時に少年少女であった世代の話。実際に戦地に行って戦った世代の記録も紹介しておきます。


ペリリュー島の戦いでは、日本軍全戦力の約1万1千名のうち、生き残ったのはわずかに二百数十名。実に98%がこの島から生きて帰らなかった。この記事は、敗戦後二年もたってから、ようやく最後に投降した34名の中の一人の兵士からの聞き書きです。

大東亜戦争なんて、始まる前は、日本は井の中の蛙(かわず)なんですよ。竹槍と原爆の差があるのに、まるっきり無謀でしょう。幼稚園生が横綱に掛かるより以下。それは日本の上層部が勉強足りなかったから。世界の情勢を知らなかった。・・」

日本軍はそれまでの玉砕戦法を捨てて、ペリリュー島の戦闘からは極力長く抵抗戦を続ける方針に転換しました。この戦術転換によって米軍の北上速度は遅くなったものの、同時に日米両軍、さらには住民、特に沖縄戦における沖縄県民の犠牲者を格段に増やす結果となりました。軍事的見地からは称賛されるのかもしれませんが、死ななくても済んだはずの数多くの兵士、さらに戦闘に巻き込まれた住民の犠牲を大幅に増やす結果となってしまいました。

ペリリュー島の戦闘の詳細については、次のサイトに詳しく載っています。

この映像はNHKが2008年に放映したものです。このような意義ある映像を作成された当時の取材班の努力には深く敬服いたします。

ところで、今の籾井勝人NHK会長の安倍政権寄りの体質を考慮すると、この映像のように戦争の悲惨さを詳しく描写する多くのNHKの優れた映像が、近いうちに非公開とされる可能性は皆無とは言えない。もしそのようなことが現実となるのであれば、筆者はNHKの放送は一切見ない、かつ、NHK受信料は一切払わないつもりでいます。

さて、パラオ諸島に属するペリリュー島は、昨年四月に天皇陛下が慰霊のため公式訪問されたことで、日本国内でもその名が広く知られることとなりました。一方、米国では、太平洋戦争屈指の激戦地として、以前からかなりの範囲にわたってペリリュー島のことが知られていたようです。ネット上では詳しい内容を読むことはできませんが、米国側から見たペリリュー島での戦闘の詳細を詳しく記述したものとして、次の本を紹介しておきます。

ユージーン・スレッジ著 ペリリュー・沖縄戦記」 「戦争は野蛮で、下劣で、恐るべき無駄である。」

筆者はこの本を既に複数回読みましたが、戦争と言うのは人の通常の感性をマヒさせ、極端に残酷にさせるものだということを理解できました。戦場の恐怖の中では、敵とみなした人間を殺すことは、虫けら一匹を殺すことと同等の感情の動きでしかなくなってしまうのです。一人の歩兵兵士にとっての戦場とは、死の恐怖、飢え、飲料水の欠乏による渇き、自ら排泄した糞便の悪臭、さらに敵味方の死体から発する腐敗臭に満ちた世界にほかならない。

ちなみに、この本の著者のスレッジ氏に関するwikipediaによると、この悲惨な戦闘体験が、海兵隊除隊後の彼の後半生に大きな影響を与えたそうです。

「・・・かつて熱中した狩りもやらなくなった。鳥が傷ついたと思うこと自体に耐えられなくなっていた。森のシカを撃つのも牧草地の牛を撃つような気持ちになる、と述べている。ハト狩りで傷ついたハトを殺したスレッジは、涙を流して父に、「これ以上苦しむのを見ていられなかった」と言った。見かねた父エドワードは、狩りのかわりに趣味としてバードウォッチングをしてみてはどうかと勧め、これがスレッジの後の職業および人生の転換点となった。・・」

除隊後、彼は戦闘のフラッシュバックに苦しめられながらも生物学を学び、その結果として動物学者に転身したとのこと。

自分自身が戦争に巻き込まれることが、または戦場で戦闘をするということがどういうことなのか、実際にそれを経験した人がその後でどういう思いを持ったのか、彼らが後世の人にどのようなメッセージを残したいのか?それを知る時間は、もうほとんど残っていないのです。大半が八十代以上である先の大戦の体験者には、発言できる時間は、もう数年程度しか残っていないのです。

ネット上には、戦争を知らない世代による勇ましい議論があふれています。この世代には、もしも、自分が戦争の当時の時代にいたら、どういう思いがしたかを想像しながら、戦争体験者による記事や本を読んで、その思いをくみ取っていただければと思います。

/以上