「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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社会の分断が始まったのはアメリカだけではない!

過去二回の記事で教育関連の話題を取り上げたので、今回も教育分野についてとりあげてみましょう。単に教育分野にとどまらず、日本の社会全体に深く関係してくる問題です。

昨日付の記事を紹介しましょう。Yahooにも同一の記事が転載されていますが、Yahooの記事は一か月後くらいには消されてしまうので、元々のメディアの記事を紹介します。こっちなら、しばらくは消されないと思います。


この記事の概要を以下に簡単にまとめておきます。

・大卒と非大卒とで、それぞれに違った日本社会を見ている。
・学歴は再生産される。大卒の子は大卒に、非大卒の子は非大卒に。
・非大卒ほど、非正規職、低収入へと流れていく割合が高い。
・非大卒ほど、自分が頑張っても社会は良くならないと感じている。当然、今の社会と政治に対しても絶望し無関心となる度合いが高い。
・学歴を基準にしてリストラの範囲を決めるのは、差別にほかならない。

なお、この記事の中でちょっと気になったのは、一番最後にある吉川阪大教授の次の文です。「・・・高卒者にだけ高いリスクを押しつける社会は、もう持たない。特定の層だけが割りを食う社会から、共生への道を探るために知恵をしぼること。それこそがエリートの役目なのです。

ここで、吉川先生は、自分が属しているようなエリート層が共生社会へと主導する主役となるべきと言っておられるようですが、与えられた平等なんぞは、結局は長くは続かないものです。今は絶望している非大卒層が変革の主役にならないようでは、いつまでたっても日本の社会は変わらないでしょう。

アメリカの怒れる下層白人大衆が、投票行動を通じてトランプごときを大統領にしてしまったのは半分はジョークですが、これをきっかけとしてアメリカ社会がこれから自己変革していくことは間違いない。僭越ながら、吉川先生の仕事は、今は絶望している非大卒層を鼓舞しインスパイアして、彼らが日本社会を変えようとする存在に育てることにあるのではないかと思います。

ただし、今の日本の問題は、かんじんの非大卒層がいっこうに怒っていないように見えることかもしれません。彼らは、一日の仕事を終えたら、あとはスマホをいじっているだけで本当に満足なのでしょうか?

話題は変わりますが、筆者が大学に入った70年代前半の大学進学率は約30%。(現在は、大学・短大への進学率は50%程度。)卒業して製造メーカーに入ってみたら、管理・技術部門では半分位が大卒、製造部門では大半が高卒か中卒でした。

製造部門では、十年、二十年と勤めているベテランが多くて、自分の仕事を覚えるには必須の現場の知識を教えてもらうために、当初はかなり気をつかい、言葉遣いにも注意したものでした。しかし、あれこれ工夫した結果、製造現場のベテランに長年の経験に基づいたノウハウを教えてもらえたことは、技術者としての自分が製造工程の改良や製品開発を行う上で、極めて有益であったと思います。

現在、日本メーカーの製造工場の大半が国外に移転してしまいました。いまだに現役の人から話を聞く限りでは、わずかに国内に残った製造現場で実際に製品に向き合って作業している作業者の大半は短期の非正規職、データの集計や作業者を統括している管理者だけが正規社員とのこと。

これでは、製造のノウハウも、工程改良や新規開発のヒントも、社内に蓄積されないのではないかと危惧します。大卒・非大卒の分断と並行して、正規職・非正規職の分断も深化しつつあるようです。現在進行中である社内における格差の拡大は、日本企業の競争力にとってはマイナスでしかないでしょう。

筆者は、会社でのキャリアの後半は、もっぱらアジアで仕事をしてきました。韓国や中国では、儒教科挙制度の影響が強いせいか、会社の中では管理者と被管理者が明確に分かれている完全な分断社会です。その分断の境界は高等教育の学歴の有無にしかありません。このために、韓国や中国の中・高校では、受験には何の役にも立たない体育系のクラブ活動がほとんど皆無なのです。最近では、中国と韓国の高等教育熱が猛烈に高まっています。(2012年時点での大学進学率はOECDのデータによれば、韓国67%、日本51%、中国18%。ただし、専門学校も含めれば、中国の進学率も四割程度はあるはず。)

他国企業に対する日本企業の優位性は、多様な出自の社員が一丸となって同じ目的に向かってまい進すると言う点にあると見てきたのですが(他国から見れば不気味なのでしょうが・・)、現在のように社内での身分と待遇が分断・固定化していくようでは、日本企業の優位性の基礎そのものが崩壊しつつあるのではないでしょうか。

ドイツとその近隣諸国には、マイスター制度という伝統的な制度があります。大学に行かずに就職して技能者となる人に対しても、努力すれば一定の社会的地位と給与が得られる仕組みになっています。上級に進めば大学卒と同等以上の評価を得られるとのこと。さらに技を極めた人に対しては、大学院の博士課程修了と同等の地位を与える仕組みになっているそうです。この制度が製造大国ドイツを支えてきていることは確実です。

一方、今の日本では、コスト削減のための一時しのぎで、将来の展望が見えない非正規職ばかりを増やしています。このことが日本社会の格差と将来への不安をさらに助長させていることは確かでしょう。この点では、少しはドイツを見習ってみてはいかがでしょうか?

/以上