「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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東芝、消滅へと一直線。 原発推進の会社の末路は皆こうなる?

 かっては日本を代表する名門企業であった東芝。いよいよ企業解体への王手がかかってしまったようです。

 子会社のウェスティングハウス(以下、WH)が抱えている米国二か所の原発建設遅れに伴う今年度損失が約7000億円というのが今回の債務超過の原因ですが、WH社はそれ以外にも中国で工事遅れの案件を四件も抱えているとか。この件はまだ新聞では報道されていないらしい。


 この四件が米国と同様に訴訟沙汰になれば、半導体モリーの優良子会社を売却しただけでは、損失の穴埋めには到底ならない。

 原子力部門以外でも、最近は東芝についてはマイナスの報道が目立ちます。先日のニュースによると、米国のLNG購入契約でも当初見込みが甘くて大失敗したらしいとのこと。この件も将来、大きな問題になる可能性は高い。


 東芝のこの惨状の原因を考える上で、また、このような失敗を二度と繰り返さないために大変参考になる本として、「失敗の本質」がお勧めです。この本は、最近小池都知事が強く推奨していることで話題になっている本でもあります。

 なお筆者は、小池知事の手法は世界的に大流行のポピュリズムの一変種と見ているので好きではありませんが、東京の自民党が長いこと甘い汁を吸ってきた既存の利益構造をぶち壊す可能性が大きいという点については支持します。

 「失敗の本質」で述べられている作戦の中では、作戦を主導した牟田口中将が補給面を何ら考慮しなかった結果、配下の兵士から何万人もの餓死者を出して大惨事に終わったインパール作戦と、今回の東芝の転落の経過については数多くの共通点があると感じました。詳しい内容を説明すると大変な分量になるのでやめておきますが、是非「失敗の本質」をご一読ください。会社や自治体の組織の意志決定の過程は如何にあるべきか、大変参考になるものと思います。

 さて、上で東芝をひきあいに出してまで筆者が言いたかったことは、今の時点になっても未だに原発に関わり続けようとする組織には、未来は無いだろうということです。過去にも何度か取り上げてきましたが、原発を推進することのリスクを以下にあげてみましょう。

① 原発は安上がりなテロの格好の標的

 ちょうど一年ほど前の記事にも書いたが、一本が数百万円の通常兵器である誘導ミサイルがあれば、原子炉は簡単に破壊可能。原発は冷却水が必要なので日本の原発は全て海岸沿いに立地しており、漁船に偽装した小型船で近づくことはかなり簡単。ミサイルを使わなくても、ハイジャックされた飛行機が意図的に突入するケースも考えられる。

 原子炉そのものではなく、敷地内の建屋の中に積まれている使用済み燃料か狙われてもその結果は同じことになる。福島第一原発事故の再現である。例えば、島根原発がテロでやられたら、少なくとも30km圏内の境港、米子、安来、松江、雲南、出雲の六市の住民、約60万人の大半が避難を強いられることになるだろう。

 想定される最悪のケースは、若狭湾沿岸の原発集中地帯が狙われた場合だろう。北東風が吹いていれば、京阪神地区全体が放射能に汚染される。数百万人規模の住民が自宅を捨ててどこかに避難しなければならないが、これだけの人数が一体どこに逃げられるというのか?このような事態になったら、日本という国がひとまずは一回オシマイになるだろう。

 少人数のテロ集団であっても、日本政府に対する政治的報復や金銭目的で、原発を利用してテロを起こすことはかなり容易だろう。反面、まともな国家が明確に指示を出してこの種のテロを起こすことは考えにくい。原発を国内に持っている国であれば、同様の報復攻撃を受けかねないからだ。ただし、自国民の命や人権を無視できる指導者に率いられた国については、この限りではない。

② 今後は原発のテロ対策費用はさらに膨大に

 現時点でも、原発の警備費用はすでに膨大な金額になっていると思われる。日本全国には、廃止・解体中のものも含めると原発が59基もある。休止中、解体中のものであっても、その内部や周辺には燃料や使用済み燃料が存在する。これらすべてがテロの目標となりうる。

 警備に関する情報なので動員人数などが公開されることは無いのだろうが、原発の周辺地域では常に県警のパトカーが何台も配置されている。近くの海では海上保安庁の船が日常的にパトロールしているはずだ。これらの費用は全て国民の税金でまかなわれているのである。本来は、原発を推進して利益を上げている電力会社や設備メーカーが、24時間、常時実施されているこの警備費用を全て負担するのが筋だろう。要するに、行政が原発産業の世話をして甘やかしているのである。原発とは対照的に、自然エネルギーを利用する太陽光発電所や風力発電所の周りでは、警備要員は皆無だ。

③ 高レベル放射性廃棄物の処分場がいまだに決まらない

 去年の秋ごろまでのニュースによると、原子力発電環境整備機構(NUMO)が、去年の年末までには使用済み燃料などの高レベル放射性廃棄物の処分場の推奨候補地を発表する予定としていた。しかし、年が明けてすでに二か月近く経つが未だに何の発表もない。一説によると、重要な選挙が終わったタイミングでないと発表はできないとか。次の衆院選が終わった時点で発表するつもりなのだろうか?

 処分場が決まらないので、日本の原発は発電を開始してから五十年以上経つが、未だに「トイレのないマンション」のままなのである。高レベル放射性廃棄物は各地の原発敷地内で保管するしかないが、再稼働したらあと一、二年で保管スペースが無くなると言われている。

④ 原子力発電はもはや先端技術ではない

 今回の東芝債務超過の原因は、WH社の米国での原発建設費用が当初の予想以上に膨らんだことにあるとされている。これは2011年の福島での事故の後で安全性の基準が厳しくなったことが要因とのことだが、米国では1979年に発生したスリーマイル原発事故の後、原発建設が下火になっていたことも工事費用が膨らんだ一因のようだ。

 去年、新たに建設された一基が稼働を開始したが、実にこれが米国での23年ぶりの新規原発の建設であったとのこと。原発工事のノウハウが失われて熟練した人材がいなくなったたことも、工事の遅れの大きな原因になったはずである。

 一方、中国やインドでは、現在、原発建設を猛烈な勢いで推進中である。中国の原発の一部は自主開発をうたっているものの、内実は西側の原発のコピーらしい。インドの原発は、今までのところはロシアの技術をベースとしている。いずれにしても、この両国では原発建設と運転のノウハウが急速に蓄積されつつある。中国はコピーがベースとはいえ、英国に建設するフランス製原発の資金を提供するまでになった。

 原発は商用運転を開始以来、すでに60年以上経過している。発展途上国であっても、ある程度以上の工業力がつけば、そこから先の発展速度は急速である。すぐに先進国に追いつくか、状況によっては追い越せるものである。二十年くらい前には日本がトップを走っていたパソコンの生産も、今では世界中で売られるパソコンのほとんどが中国・台湾製になっている。日本のパソコンメーカーは、今では絶滅危惧種に転落してしまっている。

 ドイツは原発を全廃した。アメリカでも、原発天然ガス発電にコスト面で負けている。後で始末に困る原発をこれからも推進しようとする国は、先進国ではもはやほとんど出てこないだろう。

 中国やインドが使用済み核燃料をどうやって始末するつもりなのかは、よくは知らない(おそらくは、少数民族が住んでいる荒れ地を強制収容して、そこに埋めるのだろう)。原発はすでに先端技術でもなんでもない。発電の副産物であるプルトニウム核兵器への転用には注意を要する点を除けば、やりたい国にはやらせておけば良い。どうせ、その国の将来世代があとで核のゴミに悩まされるだけだ。

 以上は、原発を続けることのリスクであるが、次に、原発再稼働をめぐる現在進行中の議論について触れておこう。

⑤ 特定のマスメディアが原発を擁護し続ける理由

 戦後の日本における原子力開発の経緯については、次の記事が非常に詳しい。戦時中の大政翼賛会の流れを引き継いだ官僚、および岸信介中曽根康弘などの政治家が原発推進を主導してきた経緯がよく判る。

 さらに、この原発推進の流れをマスコミを活用して推進し、ついには科技庁長官という原子力行政のトップの座に収まったのが、読売新聞のオーナーであり「読売の中興の祖」と言われた正力松太郎である。現在でも読売・日本テレビグループが原発擁護の姿勢を見せているのは、このような背景があるからだ。

 しかし、福島の事故を経験した現時点での一番の原発擁護派は、フジテレビ・産経グループだろう(日経は財界が主要なお客なので、元々から原発推進が社是だ)。

 おそらく、経営不振が続く産経には(産経の記者の年収は、朝日や読売に比べれば格段に低いらしい)、反韓・反中記事を売り物にしてナショナリズムをあおり、かつ自民党と心中する路線以外には残された選択肢が無いのだろう。しかし、ネット上の反韓・反中記事でビュー数を稼ぐだけでカネが入ってくるものだろうか?YahooやGoogleとの間には、そのような契約があるのかも知れないが・・・。産経の今後の経営状態に注目したいものである。

⑥ 先の無い原発にいつまでもしがみつこうとする電力総連

 電力自由化と言っても、まだまだ既存の地域別電力会社の独占体制は強い。他の業界のように激しい競争にさらされることもなく、過去の国の規制の中で手厚く守られてきたのが電力業界である。衆知のとおり、電力関係の勤労者の年収は一般の勤労者の年収よりも相当高い。 

 「業界別平均年収ランキング」というサイトを見ると、「電気・ガス供給等の業者」の勤労者の平均年収は655万円で業種別のトップ。同じサイトでは全勤労者の平均年収も載っているが、414万円とのことである。いかに電力関係が優遇されているかがよく判る。

 現在、非正規雇用者はすでに勤労者全体の四割を超えている。国の「労働政策研究・研修機構 」の資料によれば、労働組合の組織率は全勤労者の17.3%でしかない。パートタイム労働者、いわゆる非正規職に限れば組合加入者の割合は7.5%に過ぎない。現在の日本における典型的な労働者像とは、組合に入っていない正社員の夫と、組合には無縁のパート労働の妻のカップルといったところだろう。

 電力会社の労組ならば、おそらく全員が正社員だろう。今の日本では、こういう人たちは、もはや特権階級と言ってもよいのではないか?「原発が最もコストが安い」というのが原発再稼働を求める人たちの言い分であるが、それは核のゴミ処分の費用、将来の数万年にわたって廃棄物の管理と保管にかかる費用、今後ぼう大に膨れ上がることが確実なテロ対策費用、これらを故意に勘定に入れずに計算しているからである。

 さて、財界のみならず、既に恵まれた存在のくだんの電力総連までもが、「原発はコストが安い」と主張している。自分たちの給料が高いのは、原発の隠されたコストが表面に出ていないおかげであると言いたいのだろうか?まずは高い給料を自主的に削って、原発の警備費の中の税金で負担している部分くらいは自前で負担してからモノを言ってもらいたいものである。

 先月の報道によれば、福島の事故の補償金や廃炉費用も当初の想定額の約二倍に増えたとのこと。ところが先週には、福島第一の二号炉に入れたロボット(東芝製)が故障して回収できなくなったそうである。炉内の状況は依然として不明なままだ。この先さらに廃炉費用が膨らむらしいだが、一体いくらまで行くのか、いつそれが判るのか、未だに何の見通しも立っていないのである。廃炉費用を新電力にも負担させるそうだが、結局は電力を使う我々国民の負担が増えるだけの、とんでもない話である。今まで原発を推進してきた会社が儲けて蓄積した利益を、削って廃炉費用に充てるのが本来の話の筋だろう。

 電力総連が民進党原発再稼働を推進せよとイチャモンをつけているらしいが、民進党は無視すればよい。電力総連の構成員の数は、全国合わせても、たかだか約18万人にすぎない。電力総連が自民党を支持するというのなら、させておけばよい。特権を持っている特定の支持者層におもねって、大多数の国民の総意を無視するような政党には、存在する意味はない。

 日本の国民の少なくとも過半数は、原発再稼働にも、まして自分の地域の近くに放射性廃棄物が埋められることにも絶対反対するはずである。そのことは、柏崎原発の再稼働に慎重な新人が自民・公明公認の再稼働容認候補を破った昨年の新潟県知事選(民進党は自主投票)、川内原発の一時停止を求めた新人が再稼働容認の現職を破った同じく昨年の鹿児島県知事選の結果を見れば明らかだろう。

 原発再稼働容認派のもう一つの主張は、「今まで何十兆円も投資してきた原発を再利用しなければ、過去の巨額投資が無駄になる」というものである。これは、今ある原発を資産と捉える見方に基づくものだが、実際には、原発は資産ではなく不良債権とみなした方が正確だろう。ゴミの処分場も確保できないのに、誰からも嫌われる厄介者の核のゴミを生産し続ける原発は、日本にとっては将来世代の負担要因でしかない。

 話が飛躍するが、第二次世界大戦で日本が対米戦争に踏み切る直前、アメリカから野村駐米大使に対して、後世ではハル・ノートという名で知られることになる最終提案があった。その主な内容は、「日本軍の中国と南部仏印からの全面撤兵要求」というものであった。これ以前にも、日本に対する米国からの石油等の禁輸撤回措置との交換条件として、より緩やかな内容の撤兵要求があった。しかし、これらの撤兵要求を日本軍部は一貫して拒否し続けた。のちに首相になる東条英機陸相は、「中国との戦争で既に20万人の兵を失った。中国からの撤兵と言う米国提案を受け入れるのは、この犠牲を無駄にすることになる。」と述べて拒否した。

 結局、ハル・ノートを拒否し、国内各部門からの国力の圧倒的な差と敗戦は必然的との指摘も無視して、日本は対米戦争に突入した。その結果、日本だけでも民間人を含めれば死者が約300万人と言われる犠牲者を出し、国土は焼け野原となった。周辺諸国を含めれば、死者はその何倍にもなると推定されている。単なる想像でしかないのだが、あの時にハル・ノートを受け入れていれば、何百万、何千万の人の命は失われずに済み、米国や中国と共存共栄できる全く別の日本の歴史がそこから始まってたいたのではないだろうか?当時の軍部がハル・ノートの内容を受け入れるはずもないので、ただの空想でありSF小説のネタ位にしかならないのだが。

 我々日本人の欠点は、局所的な勝負や得失に過度にこだわりすぎるあまり、大局的な判断がおろそかになりがちであることだと思う。目の前にある仕事に対しては、職人的に完璧に仕上げようと熱中する。しかし、目まぐるしく変わる周囲の状況の中で、自分の立ち位置を全体の中で客観的に見て、次の進路を決める視点に立つことについては至って不得手である。戦場で日本軍と対戦したソ連軍も米軍も、「日本軍の一般兵士は極めて優秀だが、日本軍の将校は実に無能だ」と評したそうである。

 現在の日本の原発を巡る状況は、大げさに言えば対米戦争に突入する直前の日本の状況によく似ているのかもしれない。今の原発政策を、今まで続けてきたという理由だけでこれからも惰性で続けていくのか、それとも客観的な視点から原発政策を根本的に見直すことができるのか?

 将来の世代が、現在の我々の選択を厳しい目で評価し直す時代は必ずやって来る。これは原発政策のみに限った話ではない。際限なく増え続ける国債容認しつづける現在の財政政策についても、同様であると思う。

/以上