「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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政府債務が対GDP比200%超の国の末路-(2)

 最近、国の経済動向と国家存亡の関係について興味を持ち、海外のエコノミストが書いた本を何冊か読んでいます。その中には、しばしば、現在の日本政府の債務問題について触れた記述が見受けられます。以下、紹介しておきます。
 
(1) 「ブレイクアウト ネーションズ」 ルチル・シャルマ 
早川書房 p432 原書発刊2012年 訳書発刊2015年

 『 日本は、ブレイクアウト・ネーションになれる可能性を忘れたほうがよい富裕国、と言い切れるほどの債務問題を抱えている。高齢化が進み、しかも高齢者の貯蓄率が極めて高い保守的な社会で、家計の大金が債務者ではなく債権者という極めてユニークな国だ。あまりに多くの日本人が債権者となって、低インフレ率で停滞している経済環境を強力に後押ししているのだ。・・・・

 日本は、財政改革の明白な戦略を持たぬまま、GDPの8.5%という安定した平時の財政赤字を垂れ流すという、前例のない実験を続けている。』

 著者は米国の投資会社モルガン・スタンレーに所属のエコノミスト。主に新興国を対象とする数兆円もの資金運用の責任者とのこと。
 上のような、日本政府の財政政策に対する冷めた見解は、海外のエコノミストの多くに共通して見られるものである。「前例のない実験」の結果がどうなるのか、興味深々というところだろう。日本政府の財政が破たんすれば、彼らはそれをネタにして論文を数本は書けるだろうが、日本国内で生活している我々にとっては、たまったものではない。

 

(2) 「なぜ大国は衰退するのか」 グレン・ハバート、ティム・ケイン
 日本経済新聞社 原書発刊2013年 訳書発刊2014年  P239-p242
 
 『 著者らの判断では、日本経済は国内の競争を大幅に増やすことが必要である。経済面での根本的な問題は、お互いに手を組んで経済の各部門の発展を阻害している利益集団の存在である。小規模な農家や小売り業者は、国内経済の効率性を高める大規模な競争相手の参入を認める改革を妨害している。さらに悪いことに、日本政府は規制の状況に関して完全な統制権を握っている。各都市や各県のあいだの競争で、さまざまな規制や税のあり方が試されるといったことは皆無なのだ。・・・・

 はっきり言うならば、日本は維持できない規模の国家債務を抱えたことで、大国が衰退する一般的な道のりを歩んでいる。財政赤字と通貨操作で経済を刺激する策も、それで稼いだ時間を構造改革に使うのであれば理解できなくはない。しかし、「スーパーモデル」となった日本の制度に変化はなく、歴代の首相らは改革を約束しながらも、さまざまな理由でその遂行に失敗している。・・・

 日本のジレンマは、経済的不均衡は政治的停滞に原因があるという著者らの説を裏付けている。日本の有権者は何年も前からあきらめの心境だ。「ニューヨーク・タイムズ゛」のマーティン・ファックラー記者はこう説明する。「日本国民の現実離れした野心は棚上げされ、疲労感や将来への不安、息苦しいほどの諦念がそれに取って代わった。日本は殻の中に引きこもり、世界の舞台からゆっくりと消えてゆくのを甘んじて受け入れようとしているようだ」。

 大企業、大銀行、巨大な官僚組織の三者のレントシーキング(注)によって、政治制度の構造的改革が妨げられている。要するに、日本は百五十年前に直面したのと同じジレンマに今も囚われているようなのだ。既存の政治構造が危機によって刷新されるまで、経済の改革も実現しない。日本は二十一世紀版の明治維新を必要としているのだ。』

(注)レントシーキング: 民間企業などが政府や官僚組織へ働きかけを行い、法制度や政治政策の変更を行なうことで、自らに都合よく規制を設定したり、または都合よく規制の緩和をさせるなどして、超過利潤(レント)を得るための活動を指す。「モリカケ問題」などは、レントシーキングの典型例だろう。

 著者二人は、いずれも米国政府機関での勤務経験を有するエコノミスト。御親切にも、日本政府財政ひっ迫の原因とそれに対する処方箋についても言及してくれている。日本政府の許認可権が強すぎる弊害については、地方自治の実態から見てその通りだと思う。

 現在の日本が「二十一世紀版の明治維新」を必要としていることについては多くの日本国民も同意しているのだろうが、危機が目の前に迫るまでは改革の痛みを先延ばしにしていたいだけの話だ。いったん風呂に入って体が暖まったからには、湯が冷めるまでは何としても風呂から出たくないということだろう。


(3) 「国家はなぜ衰退するのか」 ダロン・アセモグル、ジェイムス・ロビンソン
  早川書房  原書発刊2012年 訳書発刊2016年
 
 この本は現在の日本政府の財政については触れてはいないが、非常に示唆に富む内容なので紹介しておきたい。著者のアセモグル氏はノーベル経済学賞の候補の一人に挙げられているそうだ。一読をお勧めしたい。

 以下、この本の概要を説明する。国家の興亡はその国の持つ経済制度で決まる。さらに、この経済制度はその国の政治によって決定される。経済制度には二種類ある。国家の長期的な経済発展を保障する「包括的経済制度」と、国家の破綻、もしくは短期的な経済発展しか保証されない「収奪的経済制度」だ。

① 包括的経済制度

 ・国内の政治権力がいくつかに分散している。その結果として、民主的な政治体制へと移行する傾向が強い。
 ・中央集権的であり、中央政府の指示が国内で比較的すみやかに実施される。
 ・知的財産権を含む財産権が保障されている。
 ・自由な経済競争が保障されている。

 「実例」: 英国、及び英国民の主な移住先となった旧英国植民地(米国、オーストラリア、カナダ等)、英国周辺の西欧諸国、幕末期の日本、ボツワナ

 英国は産業革命の発祥地となったが、その遠因は14世紀のペスト禍の結果としての農民の封建領主からの自立化、17世紀の清教徒革命と名誉革命による王権の制限にあったとのこと。

 幕末期の日本の政治権力は、德川幕府の占有ではなく各藩の封建大名にも分散しており、さらに京都の朝廷も名目的な権力を有していた。このような権力分散体制こそが、西欧諸国による侵略危機に対して迅速に対応できる背景となった。(この点については、福沢諭吉も「脱亜論」の中で、日本の政治体制を中国・朝鮮のそれと比較しながら述べている。)

② 収奪的経済制度

 ・国内の政治権力が一点に集中。その結果、政治体制は独裁的となり、独裁者・独裁政党による国民からの財産・資源の収奪に対して歯止めがかかりにくい。
 ・財産権が政府によって頻繁に侵害される。
 ・経済競争は政府による制限を受ける。

 「実例」:メキシコなど大半のラテンアメリカ諸国、中国、ロシア(旧ソ連を含む)、大半の中東、アフリカ諸国。

 ただし、一国の経済制度はこれら二つの制度の間をいったりきたりすることも多い。軍部が政治権力を握った昭和初期の日本は、明らかに収奪的な経済制度に傾斜していた。

 毛沢東が独裁的に支配していた中国では、大躍進政策文革によって国が破たんに瀕していた。鄧小平が経済競争の自由化に大胆にカジを切ったことで中国は約三十年以上も連続して驚異的な経済発展を続けてきたが、習近平政権になってからは再び収奪的な体制に戻りつつある。

 自由な発言が封殺されるような国では、イノベーションも、経済成長のためのインセンティブも働かないことは、本書を読めば容易に理解できることである。中国国民にとっても、隣国の我々にとっても、今の中国はマイナスの方向に向かっているように思えてならない。

/P太拝