「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

当ブログの内容は編集者個人の見解であり、「市民の会」の公式見解ではありません。当ブログへのリンク、記事内容の引用等はご自由に!

久しぶりの東京

 先日、親戚の慶事があり、久しぶりに東京に行った。会社員時代には二カ月に一度くらいの割合で関東方面に出張していたものの、会社を離れてからは行く用事も特に無く、実に五年ぶりの東京であった。

 久しぶりに電車に乗って気付いたのは、七割から八割の人がスマホをいじっていること。三十代以下に限ればほぼ全員がスマホの画面からいっときも目を離さない。文庫本や雑誌を読んでいる人は中年世代以上が大半であり、一つの車両に二、三人いるかいないか。

 十年以上前、今でいうガラケーがほぼ普及し終わったころ、職場の飲み会にやって来た新入社員が会話の輪に加わらず、一言もしゃべらずに携帯でゲームばかりやっているのを見て不気味に感じたことがある。職場で隣りに座っている同僚とすら、会話を交わさずにメールだけでコミュニケーションを取ろうとする社員が出現したのもそのころだ。日本人の対面コミュニケーション能力は、当時よりもさらに劣化しつつあるのかもしれない。

 日本語が聞こえずシーンとした都内の電車の中で、ひときわ大きく響いていたのは外国語の会話ばかりであった。欧米系、中東系、東アジア系等々、様々な外見の人たちが電車を乗り降りしている。筆者の隣に立っていた小柄な女性、日本人とばかり思っていたが、急にスマホを取り出して北京語で猛烈な勢いでまくし立て始めたのにはびっくりした。

 いささか周囲に遠慮はしているらしく小声で話してはいたが、眼を閉じて聞いていると中国のどこかの街の地下鉄にのっているような気がしてくる。中国の電車の中でもスマホに熱中している若者は多いのだが、携帯に向かって大声で仕事の話をしている人たちも車内のあちこちにいる。結果、車内は常にワンワンとうるさいのだが、慣れてしまえばそう気にはならない。もちろん、電車の中では大声で話さないのが日本の常識であり、「あ、こういうのが典型的な文化摩擦の原因なんだな」と思ったしだいである。

 それにしても、車内にひっそりと座ってスマホ画面をひたすら見続けている日本の若者と、大声で会話を楽しんでいる外国人を見比べていると、なんだか生物としての基本的なパワーの差を感じてしまうのである。

 外国人と言えば、久しぶりに行った都内の観光地も外国人だらけであった。特に明治神宮や上野公園不忍池などの日本の伝統を感じさせる場所では、歩いている人の半分以上が一目で外国人とわかった。東アジア人は見た目は日本人とほぼ変わらないので、中韓台からの観光客を含めればもっと多いのだろう。かって筆者が好んでよく訪れていたアメ横秋葉原も外国人客であふれかえっていた

 埼玉に住む兄の話では、家の近所の街のメインストリートが、最近は「アジアン通り」と呼ばれているとのこと。近くの大学の留学生が住み始めたのがきっかけで、アジア系の住民が年ごとに増えている。近くの保育園や小学校でも、日本語のほとんどできない子供たちが次々に入って来るので、対応に苦労しているそうだ。

 少なくとも東京周辺では、もはや外国人の存在抜きには、観光も、日々の仕事も回らなくなってきている。数日間の滞在でそう実感した。この傾向は今後ますます強まるだろうし、日本全国にも急速に波及するだろう。

 「今は人手が足りない」からと受け入れておいて、将来、「もう君たちは要らないから自分の国に帰ってくれ」と言っても、それで納まるはずもない。労働者を受け入れる以上は、その家族も含めて受け入れるのが当然だろう。国と企業の都合だけで、「文句を言わずよく働く労働者だけが欲しい、その家族は要らない」というのでは、まさに奴隷制度の復活である。人を人間扱いしている国家とは到底言えないだろう。

 さらに、日本で働く外国人は基本的には日本の所得税と住民税、社会保険料を負担するのだから、日本国は彼らに対してそれなりの処遇をして報いなければならないはずである。国政への参政権は別としても、生活に身近な地方自治体での参政権くらいは認めるべきではないか。移民に対して日本は国としてどう対応するのか、いっときの方便としてではなく、真剣に議論すべき時が来ていると感じる。


 
 さて、ちょうど今、入管法に関する議論が国会で行われている。今週読んだ記事の中では、立命館大の上久保教授による以下の記事がもっとも的確に状況をとらえていると思うので紹介しておこう。
 



 
・ 筆者がこの記事に付け加えたいこと。
 
 現在、外国人一般労働者の導入解禁を声高に叫んでいる人たちは、十年ほど前に製造業への派遣労働の解禁を主張していた人たちの層とかなり重なるのであろう。自社の利益を出すために正社員を派遣・非正規社員に切り替えただけでは飽き足らず、さらに低賃金の外国人に目をつけたのだろう。日本国内の社会格差を大幅に助長しておきながら、彼らには何の反省も見られないのである。
 

 
/P太拝