「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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追悼、梅原猛さま

 松の内もとっくにあけてしまいましたが、遅ればせながら本年もよろしくお願いいたします。さて、筆者がその著書を愛読していた梅原猛氏が、四日前に亡くなられました。先回の記事に引き続いて故人に関する投稿となってしまいました。
 
 梅原氏の思想内容を初めて知ったのは、1985年発行の「ブナ帯文化」(思索社)を読んだことがきっかけでした。登山を趣味としているうちに大山などのブナ林の美しさに魅了され、ブナ林とともにはぐくまれてきた伝統文化を知りたいと思って買ったのがこの本でした。執筆者各氏が書かれた内容もなかなか面白かったのですが、一番印象に残ったのは、梅原氏による巻頭の「日本の深層文化 ブナ帯に生きた人々の世界観」という章でした。

 この章の中で梅原氏は、「ブナ帯文化とは縄文文化と同質であり、その基層の上に弥生時代に渡来した稲作農耕文化が移植されたことによって伝統的な日本文化が形成された」と述べています。現代でも東北地方には縄文文化の名残が色濃く残っており、その内容は縄文文化の後継者である北海道のアイヌ文化と共通するものが多いとのこと。(例としては、東北のオシラサマ信仰とアイヌのシランパカムイ信仰の関連性、コケシの源流はオシラサマにあったらしい。)

 この章を読んでいるうちに、筆者自身、自分の心の中にも縄文思想の名残が色濃く残っているような思いにとらわれました。日本の神社については、日本最古の神社と言われている奈良県桜井市三輪山の麓にある大神(おおみわ)神社に見るように、三輪山全体を御神体としていたのが日本古来の神社の形です。沖縄のウタキ信仰も同様であり、その御神体は森そのものです。

 縄文思想とは、山や川、草や木、鳥や獣のすべてに無数の神々が宿るとみなす、いわゆるアニミズムの一種に他なりません。稲作が伝来して弥生時代になってからも、我々のご先祖は縄文時代から継承してきた数多くの神様、いわゆる八百万(やおよろず)の神々に対する信仰をそのまま引き継いできました。

 大半の日本人と同様、筆者の宗教的立場も、その場で必要とされる無数の神々に対し用途ごとに使い分けをしながらながら手を合わせるという全くの多神教信奉者に他なりません。年末のクリスマスには外来神キリストの誕生日を祝って酒を飲み、年が明ければその土地土地に祭られている神様のもとに初もうでに出かけて一家の安全と繁栄を祈り、知人や親せきの葬儀では一時的に仏教徒(お釈迦さまも外来神)へと変身して念仏を唱えます。

 筆者の趣味である登山では、登山ルート上でたまたま神社に出会うたびに土地の神様に前途の安全を祈り、お賽銭を投げては柏手を打つというのが長年の我が習慣となっています。現代の我々の精神の中には、今から約三千年前以前の縄文人の世界観がいまだに脈々と息づいているように感じます。

 上で紹介した「ブナ帯文化」とは別のいくつかの本で、梅原氏はアイヌ語現代日本語との関連についても述べています。梅原氏が挙げた例の多くは日本語学の専門家からは否定されているようです。しかし、東北地方の北部の地名にアイヌ語の名残が集中して見られることは既に学会の定説となっています。西日本の一部地名にもアイヌ語で解釈できるものがあるという説もあり、筆者も時々探してみています。
 
 この近くでの例を挙げれば、例えば、鳥取市福部町の山奥に久志羅(クジラ)という地名があります。なんで山奥にクジラという地名があるのか以前から疑問でしたが、アイヌ語では、kus-ru(クシル)とは「通る-道」、転じて「越す-道」、すなわち峠の意味があるとのこと。釧路市の地名の語源は網走方面への峠道があったからとの説も あります。久志羅の西側には県道が通る榎峠があることで判るように、地形から見て、この付近を通る道はすべて峠道と言ってよいのです。この地名、ひょっとしたら縄文時代からの歴史を持っているのかもしれません。

 話を元に戻すすと、梅原氏の思想を一言で表すならば、仏教用語の「山川草木悉皆(しっかい)成仏」であると言われています。「山や川、草や木など自然界のすべてに仏さまが居らっしゃる」という思想であり、縄文のアニミズムと同一思想にほかなりません。本来はアニミズムを含まなかった仏教を、日本人が受け入れる際に古来からのアニミズム信仰を付け加えたということになります。

 最後に、「ブナ帯文化」の中の梅原氏の文章から筆者の好きな部分を抜粋しておきましょう。

『 もういちど人間の運命を、人間からではなく宇宙の方から考えねばならない。人間が神によって動物と違った理性を与えられ、すべての動植物を支配しあるいは殺害する権利をもっているなどと思うのは、やはり人間のおもいあがりであろう。・・・

 もういいかげんに人類は進歩などという迷妄を捨てた方がよい。・・・・・ 近代人が進歩という名でよんだ歴史は、ひょっとしたらそれはおおいなる破滅への道であったかもしれない。大きな自然の循環の摂理のなかで生きる智恵を、人間は再び自分のものとしなければならないであろう。』
 
 今頃、梅原さんはあちらの世界で、敬愛してやまなかった西田幾多郎氏に初めて面会して人類の未来について熱く議論している最中なのかもしれません。あの梅原流の大胆な仮説を、これからはもう聞くことができないのは実に残念です。 

/P太拝