「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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香港と中国のこれからは・・・

 今年初めから当「市民の会」で取り組んできた鳥取市の旧本庁舎跡地問題ですが、ようやく会としての提案をする段階にまでに至りました。今月初めに市長あてに公開質問状を提出、今月末くらいには回答が得られる見込み。提案の骨子は、「旧本庁舎は解体せず耐震改修して存続させ、災害時の中心市街地の避難所として再活用する」というもの。
 市内の避難所の分布を調べてみて、市中心部には避難所が全く無いことに気づいたのがこの提案を検討するきっかけでした。先日、市内では二日間にわたって激しい雨が降り続いたが、梅雨も台風もこれからが本番。なのに、鳥取市の現状では避難所の確保さえもまともにできていない。市内中心部が水没したら、いったいどこに逃げたらよいのでしょうか。鳥取市民の方は是非ご一読ください。

 

 日々のニュースはあいかわらずコロナの話題が大半で各種情報が入り乱れ、最近は食傷気味で取り上げる気にもなれないのだか、気になる点を一点だけ。

 「日本のPCR検査が少ないのはやむを得ない」という主張は二月時点からあったのだが、最近は「PCR検査が少なかったからこそ、日本は感染を抑え込めた」という珍説まで登場しているようだ。少し調べてみると、このような「検査数抑制肯定論」を唱えている論者の大半が医療関係者、または医療界に詳しいジャーナリストであった。彼らは検査数を増やせない理由を日本医療界の現状を説明しつつ展開しているのだが、傍目で見ると「できない理由をあげつらって現状維持をもくろんでいる」ようにしか見えないのである。

 視点を変えて、「なぜ韓国、ドイツ、米国等は急速に検査数を拡大させて、一日の検査能力を日本の数十倍、数百倍に出来たのか」という点を突き詰めていけば、日本の欠陥が浮き彫りになると同時に有効な対策も明らかになると思うのだが。他国と比較してみない限り日本の欠陥は見えてこないが、そのような論者はまだ表れていないようだ。

 この「出来ない理由をあげつらうことで新しいアイデアをつぶす」という姿勢は、上は国政レベルから下は零細企業の経営にいたるまで、日本国内の至るところで日常的に見られる光景である。先日、「九月入学論」(筆者はこの案に賛成!)がつぶされたのもその一例に過ぎない。

 この「出来ない理由の展開論者」とは、今までの体制の中で既得権益を確保しそれにしがみつこうとしている者、または新しい体制に踏み出す自信が無いか不安を覚える者に他ならない。彼らは、「出来るようにする努力」を最初から捨てて、「出来ない理由」を数え挙げることばかりに精力を費やしている。ぬるま湯につかっているカエルは、「アア、極楽、極楽、ここから出たくない」と眼をつぶってのんびりしているうちに、いつしか湯から出ることもままならなくなり、ユデガエルと化してしまうのである。

 

 さて、コロナ感染以外の話題で最近気になっているのが香港と中国のこれからである。香港の政治的自治を破壊しようとする現在の中国の姿勢については、筆者は「金の卵を自ら踏みつぶすようなもの」と思っているのだが、同じ見方をする論者が大半のようである。

「習近平の大誤算…いよいよ香港から「人」も「カネ」も大脱出が始まった!」

 福島さんの記事を読むのは久しぶりだ。産経新聞の元記者で、北京駐在時に取材内容で上司と対立してホサれ、結局は退社してフリーとなった経歴を持つ。取材力には定評がある人。
 もう一つ記事を上げておこう。経済面から見れば、米中対決では元々から中国には勝ち目がないことがよくわかる。

「香港「国家安全法」巡る米中対決、中国に勝ち目ナシと言える理由」

 もう、中国は「大国意識」を早く振り捨てた方がよいと思う。過去の栄光の復活を追い求めて長大な国境線を維持しようとし続けることで、ウイグルチベット内モンゴルの人権を踏みにじると共に彼らの伝統文化を破壊、国内では単なる見栄にすぎないバカでかい建物を建て続けることで膨大な資源を浪費、全ての国民の行動を常時監視、各種宗教を弾圧、いまだにまともな選挙すら実施できないありさまである。「中国の特色ある社会主義」の実態とは、結局は、かってジョージ・オーウェルが描いた「1984年」の具現化、「監獄国家」の実現にほかならない。

 そもそも、移民を受け入れない(移民が行きたがらない)国が、超大国として長きにわたって君臨した例はない。ローマ帝国、唐代の中国、チンギスハンが建てたモンゴル帝国大英帝国、現代の米国。大国化の過程では相当悪辣なこともやったが、超大国に成長したのちは、むしろ憧憬の対象となって大量の移民を受け入れ、各種の民族や宗教も含めた多様性も容認し続けたのである。現代中国に移民したい人間が、今、世界中に何人いるだろうか。

 今回のコロナ騒動の前から中国経済は成長が止まりつつあったが、この騒動による各国企業の生産分業体制の見直し、さらに香港への政治的介入によって、海外から中国への投資は今後一段と細るだろう。人材の流出も加速するはずだ。

 今年のアジア地域大学ランキングによると、トップ10大学のうちの実に三校が香港の大学なのである。(ちなみに、日本からのトップ10入りは東大だけ。)中国大陸から香港の大学に入学した学生も多いようだが、一度自由の空気を吸った若者が、自らすすんで再び監獄国家に戻る可能性は低いだろう。香港経由で中国大陸からの資本と人材の流出が加速していくことになる。

 輸出による外貨獲得で成長し、「一帯一路」構想で途上国に投資する立場にまで至った中国だが、その経済の前途には暗いものがある。経済が下降し始めた途端に社会が不安定化し、時の王朝が打倒されるのが中国の歴史の常なのである。習近平が「中国共産党王朝」の最後の皇帝となる可能性も、わずかながらも出てきたのかもしれない。

 中国共産党もいずれは歴史の舞台から退場することになるだろうが、大陸の中国人はその後の将来像としてはEUを参考にするのがよいと思う。各地域の自治を重視しつつ、全体としてはゆるくまとまっている連合体を目指せばよい。各地域毎の在り方としては台湾がよいモデルとなるだろう。地域ごとに独立色を強めた方が、大陸の中国人は今よりもはるかに幸福になれると思うのである。

 もはや国家間で大きな戦争をするような時代ではないので、国の軍隊の規模を誇る必要はない。。現代の戦争とは経済覇権をめぐる競争、細分化すれば、資源確保力、技術力、文化的ブランド力をめぐる競争であり、最新兵器や軍隊は既に「相手を威嚇するための見せ球」と化しつつある。あまりにも互いの経済的・人的関係が深まりすぎていて、「国家間で全面的な戦争をしたくても実際にはできない」のである。

 1989年6月4日、日曜日の早朝、筆者は四国の山中にテントを張って小型ラジオから流れるニュースに耳を傾けていた。当時はまだ、暇さえあればあちこちの山に登りたかった頃で、前日から四国の山に遠征していた。天安門広場近くに人民解放軍が集結しているとの報道が前々からあり、気になってラジオを持参していたのだ。「天安門広場で軍が発砲している」との報道を聞いた瞬間、これからいったい中国はどうなるのだろうと思ったことを覚えている。自分が将来、中国で一定期間働くようになるとは、当時は想像もしていなかった。

 その後の展開は周知の通りだ。欧米が批判を強める中、「人権よりも目先の儲けを最優先」する財界の圧力を受けた日本政府は、他国に先駆けていち早く中国との経済交流を再開させた。1990年代に入ると日本の製造業が先を争うようにして中国に進出、中国経済の高度成長を技術と資本の両面で大いに支援したのである。筆者が在籍していた業界でも、大半の会社が中国に進出して自前なり合弁なりの工場を持ったものの、いまや大半の製品でお株を奪われて国内工場は軒並み閉鎖。国内メーカーで元気なのは、特定の分野に特化して競争力を磨き続けた少数の部品メーカーだけとなった。

 当時の中国は経済的には小国にすぎず、日本が欧米諸国と足並みを揃えて中国を経済的に孤立させることは現在よりもはるかに容易であったはずだ。当時の日本政府がそのような選択肢を取っていたら、今の中国がこれほどまでに世界に対する大きな影響力を持つには至らなかっただろう。

 今後、香港で天安門事件のような規模の大虐殺が再び起きるとは思えない。リーダーになり得る優秀な若者ほど、人民解放軍がやってくる前に早々と香港から逃げ出すだろうから。英米を始めとする欧米諸国も、台湾も、もろ手を挙げて彼らを歓迎している。日本文化に親しみを感じる香港の若者もかなり多いとのことなので、日本にもどんどん来てもらえばよい。日本政府も、日本の経済界も、31年前の経験にあらためて学ぶべきだと思う。

/P太拝