「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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2019年のベトナム(4)

ハノイ滞在も三日目、今日が最終日。

同行の友人はアメリカの何十回もの北爆に耐えて残ったロンビエン橋ハノイ駅からHanoi railway street を経ての鉄道も通っている)を見にいくとのこと。自分はやはり金正恩を見てみたかったので、今日も別行動をとることにした。

8時過ぎだったろうか、ホテルの部屋に残ってテレビをぼんやりと見ていると、突然、画面に金正恩が現れた。中国との国境にある駅で専用列車から降りて車に乗り換えるとのこと。

国境からハノイまでは100kmちょっとくらいしか離れていない。「二時間後には来るな」と踏んで、そのままテレビを眺め続けていると、短いが印象的な番組があった。当時の日記にそのことを記していたので、そのまま引用しておこう。

「・・部屋に残ってテレビを見ていたら、国営放送でタイ族?(ベトナムでは少数民族)の暮らしを紹介していた。衣服は紺色、生活用具のほとんどは竹製、木陰にある高床式の家、川沿いの菜園、炉端でいぶした獣肉、シミ一つないキレイな肌の娘さん、すべてが静謐で美しい。観光目的で編集されているのだろうが、「ああ、行ってみたい」と感じた。・・」

この番組が終わり、部屋に居ても退屈なので現地時間9時頃に外に出ると、ホテルの横の道路には警官が立ち、すでに封鎖が開始されていた。

(以下の図・写真はクリックで拡大します。)

 

迎賓館斜め前のベトナム国立銀行の正面には米朝両国の巨大な国旗が飾られていた。昨夜のテレビでは、真夜中近くまで大勢でこれを作っている場面を実況中継していた。(もっと早く作っておけばよいのに・・。)

 

オペラハウス前からホアンキエム湖にかけての通りは途中で通行止めになり、既に大勢のヤジウマが集まっている。筆者もこのヤジウマの群れに加わることにした。

 

取材陣がたむろしている地点からオペラハウス側を見る。テレビの取材陣はKBSなどの韓国勢が大半のようだ。

 

ずっと待っているのも退屈なので、店を覗きながらこの周りを少し歩いてみる。近くの病院から抜け出して来たらしい女性看護師の皆さんが、路肩に座っておしゃべりしている。「仕事しないでもいいの?」と聞いてみたかった。

絵を売っている店がいくつかあった。昨日に美術館で見たとおりで、シルクスクリーンの絵はなかなか良い感じだ。

一般に経済が成長する時期には絵の需要が高まるらしく、1960年代の日本では印象派などの西欧絵画の複製がよく売れていた。ベトナムも高度経済成長期に入ったようだ。

中国では2000年代に入ると一気に画商の数が増えたが、彼らが売っている絵のレベルは実にひどいものだった。「こんな絵は、自分の家の壁にはカネをもらっても絶対にかけたくない!」と思うようなものがたくさんあった。それに比べるとベトナムの油絵のレベルは幾分かマシなようだ。

さて、待つこと約一時間、11時近くになってから先導車がようやく現れた。我々のいる交差点を迎賓館とは反対方向の右へと曲がっていく。

 

続いて白バイの一団。

 

と、何たることか!ここで我がカメラに電池切れの表示!眼の前を装甲車、次に黒塗りの乗用車が続いて行く。このパターンが三回ほど繰り返された。

顔を出して手を振ることなどは予想していなかったが、やはり乗用車の窓は完全に締め切られており、どの車に金正恩が乗っていたのかはわからずじまい。肝心な所で車の写真すら撮れなかった。あわてて近くのコンビニに駆け込んで電池を買ったが、後のマツリであった。

マツリが終わって引き上げる人々。

 

車列は通過してしまった。さて、次はどこに行こうか。

オペラハウスの横に国立歴史博物館があるので、そこに行ってみたら昼休み中とのこと。近くの路地には、先ほど通過したはずの装甲車が四台停めてあった。

平気で写真を撮っている人たちがいて、自分もそれにならって撮影したが、これは少なくとも今の中国では絶対に避けるべき行為だろう。許可なくして軍の装備を撮影した場合、特にそれが外国人によるものであればスパイ扱いされかねない。

 

1974年に初めての海外旅行で朴正熙政権の戒厳令体制下の韓国に行った際、ソウル市内で軍施設の正門についついカメラを向けてしまい、衛兵にカービン銃を向けられてホールドアップしたことを思い出した。

ここベトナムでは、兵士が装甲車の横にいたものの何のお咎めもなかった。この日の午後には、すぐ近くでさらに驚くようなことがあったが、それについては後述。

博物館の近くでフォー(美味!)を食べてから、時間つぶしのために少し歩いて南西にある統一公園に行くことにした。

着いてみると広々とした公園で、人はほとんどいない。公園に接するバイマウ湖の岸辺で釣りをしているおじさんたち。キレイとは言えない池の水だが、いったい何が釣れるのだろうか。

 

ゴム製のパチンコでスズメを狙っている男性二人。子供の頃は、日本でもこういう光景をよく見かけたなあ。もちろん、今の日本では、行政の許可なしに勝手に野鳥を獲ることは禁止。

 

この公園の一角には、かなりの広さの菜園があり、数名の人たちが農作業をしていた。ベトナムでは食品の安全性に対する関心が高いようで、数年前の日本での報道によると、残留農薬があるとの理由でベトナムで中国産野菜の不買運動が起こっているとのことだった。ここの野菜も無農薬で栽培しているのだろう。

公園で時間をつぶしてから歴史博物館に戻ろうとしてクアンチュン通りを歩いていると、その途中に日本の「国際交流基金」が入っている建物があった。

 

今回の旅行で日本に関係するものを見たのは、この後で触れる博物館の展示以外では、この建物と圧倒的シェアのホンダのバイクだけだった。

後で調べたら、ベトナム在留外国人の中で一番多いのが韓国人とのこと。日本人在留者の数倍はいるらしい。サムソンの携帯電話の巨大工場がハノイの近くにあることも影響しているのだろう。

もう少し先に行くと、とある交差点に取材陣が集まっていた。どうやらすぐ近くのホテルに金正恩が入ったようだ。今夜、このホテルにトランプも入るのだろう。下の一枚目の写真の右端に見える高層ビルがそのホテル。

 

今回この記事を書くにあたって調べてみたら、このホテルは「メリアホテル」という五つ星ホテルであった。迎賓館で会議かとの、昨日までの見立ては空振りに終わったのである。

この日の夜にテレビのニュースを見ていたら、金正恩御一行様はハノイの中心部をグルグルと回ってからこのホテルに到着したとのこと。取材陣をかわすためなのか、安全性を考慮したのか、極端にテロを恐れる金正恩側の要望をベトナム側が受け入れて配慮したのだろう。

このトランプ-金正恩会談だが、結局は会談の途中でもの別れとなり完全な失敗に終わった。両者ともに相手の真意を読み違えたままでこの会談に臨んだのがその理由とのこと。結局、この米朝会談騒動で存在感を示せたのは、米朝のどちらにも顔が利くことを世界に示せたベトナム政府だけだったようだ。

「米朝破談を招いた"お互い勘違い"のお粗末」

 

さて、15時近くになってから、オペラハウスの隣にある歴史博物館にようやく入館。入場料40kドン(=¥200程度)+カメラ持ち込み料15kドン。展示室に入ると、真っ先に大きな船の絵が眼に飛び込んできた。

説明板によると、この船は17世紀初めに日本からベトナム中部のホイアン港にやって来る御朱印船を日本の画家が描いたものとのこと。下に船の後部を拡大した写真を載せておいたが、確かにチョンマゲ姿の男たちや日本風に髪を結った女性の姿が見える。

 

この当時、ホイアンには日本人街も形成されたとのこと。今回調べていて見つけたサイト「Nguyen lords -wikipedia-」には、ホイアンの上級官僚に贈り物をしている日本人商人の姿が紹介されていた。

面白いのは、この絵の右下の現地の兵士と思われる三人連れの姿だ。うち二人が明らかに日本刀と思われる長い太刀を、腰に差すのではなくて肩にかついでいる。

他の絵を見ても、兵士と推測される人物は皆が日本刀を肩にかついでいる。(こんな持ち方で、いざという時に刀が役に立つの?)服装が中国式で帯をしていなかったこと、また日本刀が一般的な武器として現地で重用されていたことが判る。

次に注目したのが、昨日の美術館でも見かけたドンソン文化の銅鼓である。日本の弥生時代とほぼ同じ時期に当たるのだが、特に注目されるのはこの銅鼓に刻まれている船の模様だ。その図柄も下に示す。

 

舟に乗っている人物は鳥の羽と思われる飾りを頭に装着しているが、実は日本の弥生時代の遺物でもこれと似た図柄が見つかっている。米子市淀江町の角田遺跡で発見された土器に描かれた舟の絵がそれである。

下に米子市による資料の絵を転載しておこう。土器に線書きしただけの絵なので稚拙なのはやむを得ないが、頭の鳥の羽根の飾りがベトナムの銅鼓の絵と共通している。

 

多人数で漕ぐボートというと長崎のペーロンや沖縄のハーリーなどのいわゆる「競漕」が思い浮かぶが、これらの風習は元々は中国の長江周辺が発祥地とされている。

「ドラゴンボートの歴史」に見るように、古代中国の春秋戦国期の屈原にからんだ発祥伝説が有名だが、当時の漕ぎ手も鳥の羽根飾りを頭につけて漕艇競争をしていたのだろうか。いずれにしても、紀元前の長江周辺の水上生活における風習が、水田稲作の技術と一緒になって日本やベトナムに拡散移動してきたことは間違いなかろう。

この歴史博物館の主要な展示は、当然、ベトナムの歴史に関するものだが、20世紀のフランスや米国との戦争に関する展示は無かった。それらは、どうやら一昨日に訪れた時には休館日だった軍事博物館の方に展示されているようだった。

古代から近代までの歴史については、上に示した日本との関わり以外は長くなるので省略するが、その概要だけを示しておこう。

以下、「ベトナムの歴史 wikipedia」、及び 中公新書「物語 ベトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム」より

①「南越国」(BC207~BC111) 中国華北出身の趙佗が漢王朝から独立して建国。現在の中国の広東省江西省からベトナム北部までを含む。

②「北属期」(BC111~938) 漢から唐までの中国王朝支配期。この間には短期ではあるが、一時的な中国からの独立を合計七回も得ている。

③「独立王朝時代」(938~1945、うち1887以降はフランスの植民地) 九つの王朝が次々に交代。この間に南進(中部のチャンパ王国、南部のカンボジア領を圧迫・併合)が進む。

 

小国のベトナムが、圧倒的な軍事力を有するフランスや米国を激しいゲリラ戦の末に追い出したことには驚くしかないが、同国の歴史を知ることで、ベトナムが二千年近くも前から同様なゲリラ戦法で中国の侵略を撃退し続けていたことがよく判る。

興味深いのは、②~③の間に何十回となく中国の侵略を撃退しながらも、その一方で撃退した直後でも中国への朝貢を欠かさなかったことである。巨大国家中国に対するこのようなベトナムの硬軟取り混ぜた対応は、今後の日本にとってもかなり参考になるのではなかろうか。

有史以前にはベトナム人(キン族)の祖先は中国南部に居たとの説が有力であり、その中には長江河口域の浙江省に由来するという主張もある。日本の弥生時代に大陸から渡来して来た人々も、長江下流域の呉や越の国から流れて来たという見方が有力である。

現代日本人の持つ遺伝子プールの半分以上がこの長江下流域に由来するとも言われている。数千年前、我々の御先祖の一部とベトナム人の御先祖の一部が長江周辺で隣り合わせに暮らしていた可能性はかなり高いのかもしれない。

ちなみに、筆者は会社員時代にはベトナムに近い広東省に頻繁に長期出張していたが、地元出身の人たちは概して小柄で色黒、東南アジアの人びとに共通するものがあると感じていた。遺伝子面で見れば、中国南部とベトナム北部の共通点は非常に多いだろう。

一方、中国北部の華北地域出身の人は、大体が背が高くて恰幅がよく色白、眼が細い。習近平や、日本に来ているモンゴル出身の相撲取りがその典型例。

中国中部の長江流域の人たちは、大体が中肉中背で日本人によく似ている感じがした。個人的には、長江に近づくほどキレイな女性の割合が増えるようにも感じていたが、これは自分が育った環境に似ている場所や人に対して好意を持つという心理の反映なのかも知れない。

浙江省の低い山に囲まれた水田地帯の中を車で移動していた時には、「まるで鳥取県内の中山間地の中を走っているみたい」と感じたほどだった。人だけではなく風景までもが日本にそっくりであった。

蛇足になるが、アルコールを体内で分解するとアセトアルデヒドが生じるが、さらにそれを速やかに酢酸へと分解できる酵素を持つのが人類の生理的デフォルトである。

しかし、東アジアの国々の中には、アセトアルデヒドを速やかに分解する酵素を欠いていて酒を飲むとすぐに顔が赤くなる人たちが一定の割合で存在する。この変異型の起源は中国南部にあったという説が有力であり、現代日本人の中で酒に弱い人達は、この弥生人に由来する遺伝子を日本人の平均よりも多く持っている可能性はかなり高いだろう。

さて、このハノイの歴史博物館で一番驚いたことと言えば、展示ではなくて館外に見たある光景であった。館内の二階か三階だったか、窓際を通り過ぎようとしたら外で大きな歓声があがった。ふと窓の外を見ると、迷彩服を着た兵士が十人ほどと、女子高生くらいの年齢の女の子のやはり十人くらいが、博物館の中庭で何かのゲームをやっている。

地面に幅が狭い木の板を何枚か立てて並べ、その上をボールを行き来させている。地面の上でやる卓球のような遊びなのかもしれない。失敗したり得点を挙げたりするたびに、皆で冷やかしたり笑ったりしている。「何とまあ、ユルイ軍隊!」というのが見た直後の感想。

時刻はまだ現地時間で午後四時くらい。勤務が終わったわけでもなかろう。中庭の向こうのオペラハウスとの間の道路には、上に写真で紹介した装甲車四台がまだ停まったままである。その横でその装甲車に乗って来た兵士たちが近所の女の子たちとゲームをして遊んでいる。「なんと素晴らしい!?」

中国の人民解放軍や日本の自衛隊で勤務中の隊員が近所の女の子とゲームをして遊んでいたら、よくて始末書、事と場合によっては営倉行き(?)ではなかろうか。このベトナム軍のユルサには本当に恐れ入った。しかし今になって思いなおしてみると、ゲリラ戦を長期にわたって戦うためには、このようなユルサも案外必要なのかも知れない。

 

博物館を出てホテルに帰る。途中、昨日までは米朝会談の予定会場ではと噂されていた迎賓館の近くを通ったら、そのすぐそばの公園で男性数人がバトミントンで遊んでいた。下の写真はこの日に撮影したものだが、前日の夕方にも、この公園で男性数名がバレーボールをして遊んでいた。

 

日本や中国だったら、何日も前から立入禁止にして、危険物がないかと警官が周囲のビルや植え込みの中をシラミつぶしに調べていただろう。

今回は本当の会談の場は別のホテルだったのだが、これが日本や中国の政府だったら、テロに対する偽装のために市内各所をわざと立入禁止にしていた可能性は高いだろう。このノンキさ、ユルサも、ベトナムならではの光景だった。

ホテルに帰って友人と合流。橋を見に行った後は、郊外のバッチャン村に行って特産の陶器を何点か買ったとのこと。我々は真夜中の便に乗るので、他の客向けに使うとのことでホテルの部屋から追い出されてしまった。

ロビーにずっと座っているのも退屈なので、荷物をフロントに預けておいて近くの街中をグルグル回る。夕食は、近くの店で雷魚のフライと細葉パクチーが入っているブンを食べた。この店のスープには酸味がきいていた。

夕食後、枯れた雰囲気のお爺さんが一人でやっているカフェに入ってコーヒーを飲んだ。たまたま見つけたスーパーで土産を探すが適当なものが見つからず、フォーの即席麺を数個買う。(日本ではパクチーは初夏にならないと出回らないので、六月になってからパクチーと一緒に食べてみたが、なかなか美味であった。)

時間つぶしにまた同じカフェに入る。我々と再会したお爺さん、一瞬は驚いたものの、ニコニコ笑って再び歓迎してくれました。

ホテルのロビーに帰って空港行きのバスに乗る。ちょうど、ハノイ空港にトランプの専用機が到着したために空港内外に滞留していた人たちが一斉に動き始めた時刻だったらしくて、空港への高速道路は大渋滞。

機転を利かせたバスの運転手が高速を降りて一般道を走ってくれた。おかげで現地時間0:55発の帰国便には余裕で間に合った。しかし、出国ロビーも大渋滞、結構、イライラ。

機内に搭乗後はシートに座ってあとは寝るだけ。だが一日目の記事に書いた通りで、座席間隔が異常に狭くて眠れない。眠くなった時、ずっと同じ姿勢で座り続けることがこんなに苦痛だとは思ってもいなかった。

帰りの便は実質5時間程度で、行きの6.5時間よりは短かったものの、成田に日本時間8:00に着いた時にはフラフラ状態。格安便のベトジェット利用でベトナムに行かれる方には、せめて行き帰りともに昼間の便に乗ることを強くお勧めしたい。

これで三年半前のハノイ旅行記はおしまい。と言いたい所ですが、旅行中に色々と感じたことをもう一回くらい書く予定です。

/P太拝

2019年のベトナム(3)

先回からの続き。ハノイでの二日目の午後の話です。

 

朝からずっと歩いていてかなり疲れた。どこかに入って昼メシを食べようということになり、例によってガイドブックを参照。ハノイ駅のすぐそばにある観光客向けの「クアン・アン・ゴン」という店は各種の春巻きが名物とのこと。では、そこに行こうという事になった。

駅の近くまで来てそれらしい店に入ったが、何だか様子がヘン。この店の名物はカモの料理とのこと。どうやら店の名前がよく似ている別の店に入ってしまったらしい。特に観光客向けの店というわけではなくて地元客が主のようだ。朝からずっと失敗続きである。「まあ、何か食べられるなら、どこでもいいか」とメニューをもらって適当に頼んだ。出て来た料理が下の写真。

 

美味しかったけれど、カモ(多分、アヒルを使用)の肉というのは皮の下の脂肪が分厚くて、そんなにたくさん食べられるものではない。かなり残してしまった。

この写真にはビールが写っているが、ビールの銘柄としては「ハノイ」と「333」というのがこの街では一般的、どちらも自分の好みの「ハイネッケン」に似た軽めの味であった。価格は食堂で出す値段が缶ビール一本で1万7千ドン=85円くらい(当時のレート)。

ちなみに、ハノイでの外食費用はずいぶん安く、ビールを一、二本飲みながら十分に食べて、どの店でも日本円で一人当り千円を超えることは無かった。15年くらい前の中国と同じような感じだった。

腹ごしらえが出来たところで、ついでに近くのハノイ駅に見学に行ってみた。駅の外観が下の写真。

 

駅の内部に入ると、待合室はガランとしていてほとんど人がいない。驚いたのは下に示す発着時刻表。緑が出発便、赤が到着便だが、この写真を撮ったのが現地時間の12:25。それから21:35に至る約九時間の間に出発便が四本、到着便が六本しかない。

 

行先などが略号なので詳しくは判らないが、みな長距離列車なのだろう。この時は「アレレ、首都最大の駅がこんなのでいいの・・・」という感想だけで終わったが、この記事を書くにあたって、少しベトナムの鉄道事情を調べてみた。

 

ここでまた話が脱線。日本がベトナムに新幹線を輸出しようとしていた事を御存じでしょうか。

ハノイと南部の巨大都市ホーチミン(旧サイゴン)を結ぶ南北高速鉄道計画が公表されたのは2007年、2009年には日本の新幹線方式の導入を検討中と伝えられた。しかし、ベトナムの国会は費用がかかり過ぎるとしてこの計画を否決。政府は2013年に計画の中止を発表したものの、2016年には政府が関係機関に再度の検討を指示した。

高速鉄道に対するベトナム政府の方針は二転三転していて、未だに明確な姿勢を打ち出せていないらしい。詳細は次の記事を参照されたい。

「ベトナム南北高速鉄道計画」

「ベトナム、新幹線計画凍結 巨額投資に反発強く」

ハノイからホーチミン市までの既存の南北線の全長は1726kmで29時間もかかっているとのこと。2021年に公表されたベトナム南北高速鉄道計画では1545kmに短縮される予定。仮に時速300kmで走れば約5時間となる。

下の記事によれば飛行機では2~3時間で、かつ、飛行機の運賃は現在の鉄道よりも相当程度安い。駅や空港までの移動時間も含めれば、これから新幹線をつくったとして、はたして巨額の投資をするだけのメリットはあるのだろうか。

「南北線 (ベトナム)」


そもそも、ベトナムで人口が集中しているのは北部のハノイと南部のホーチミンの周辺だけであり、その他の地域の中で人口が百万人に達している都市は中部のダナンのみだ。

東京と博多の間に静岡、浜松、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山、広島、北九州(川崎と横浜は東京圏に含めた)と、人口約70万人以上の都市が九つもあり、しかもその間が適当に分散している日本の事情とは大きく異なる。

また、約50年前まではベトナムの北部と南部はそれぞれ別の国であったこともあり、現在でも相互の交流が盛んとは言えないようである。次の記事はホーチミンに暮らす日本人ライターによるものだが、北部と南部の間には未だにかなり強い対抗意識があるとのこと。

「今なお残る南北ベトナムの深い「溝」」

 

後でまた触れるが、この南北の対抗意識には、現在のベトナムの領土がほぼ固まったのは18世紀になってからであり、北部が南部を武力併合する形で統一が行われたことが影響しているらしい。いまだに南北間の人の移動が頻繁に行われているとは言えず、はたして高速鉄道をつくっても十分な需要があるか疑問な点がある。

新幹線は人口稠密な東アジアや欧州では基本的に優位な移動手段なのだろうが、それが個々の国や他の地域においても同様に優位性が発揮できるかどうかは十分に検討する必要がある。

なお、2019年時点では開通していなかったが、今年の春になってハノイで国内初の都市交通システムが導入された。この路線の建設は中国企業が担当している。始発駅はハノイ駅から西に1kmほど離れているようだ。フランスが建設しているハノイで二番目の路線も近いうちに開通する見込みとのこと。

「ベトナム初「ハノイ都市鉄道」で渋滞解消なるか」

一方、ホーチミン市での最初の都市交通の建設には日本企業が加わっているそうだ。来年にも営業開始の予定らしい。ハノイの交通渋滞と大気汚染の深刻さを見ても、まず求められているのは、新幹線よりも地下鉄やモノレールなどの都市交通路線の方だろう。

以上で脱線話は終わり。第二日の午後に戻ります。

 

さて、話が前後するが、この日の午前中に大教会からホーチミン廟に行く途中でベトナム鉄道の線路を横切った。その時の写真を下に示しておこう。

 

見てのとおりで、線路と周りの家との近さには驚くしかないが、これがさきほどのハノイ駅から伸びているベトナム鉄道の正式な路線で、この先は中国との国境まで伸びているのである。ただし、中国国境への列車の発着駅はハノイ駅から二つ先のホー河を渡った所にあるザーラム駅とのこと。

写真に見るように、この界隈は特に欧米系の観光客には大人気のようだ。同行の友人もこの線路に沿って歩いて見たいとのことで、ハノイ駅からはそれぞれ単独行動をすることにした。

なお、彼がこの線路沿いで撮影した写真を後で見せてもらったが、なかなかに趣きのある写真が多かった。日本の昭和の風景にたくさんの原色系の色を加えて、さらに乱雑さと荒廃の雰囲気を若干加味した感じの写真とでもいえばよいのかもしれない。

「hanoi railway street」、または「hanoi train street」で検索すると、この線路の写真や動画を数多く見ることができます。

筆者はと言えば、裏通りの風景も結構好きではあるが、初めて訪れた国や街ではまず美術館か博物館に行ってみることにしている。ハノイ駅からさほど遠くはないところにベトナム美術館があるので、そちらに行くことにした。下の写真がこの美術館の入場券。

 

三階建ての洋風の建物だが、正面の屋根の飾りは東洋風である。入場料は4万ドン=¥200程度。三階建てで一階の古代から三階の現代まで時代順に展示してある。

 

一階に入ると、いきなり青銅器がずらりと並んでいる。これはBC4~AD1世紀、ちょうど日本の弥生時代に相当する時代に北ベトナムで栄えたドンソン文化のもの。

東アジアでの青銅器の発祥地は中国の黄河流域から四川盆地にかけての地域らしいが、発祥して千年から二千年後にはその青銅器が東は日本へ、南はベトナム北部へと伝わっていたことになる。

下の写真の銅剣は、柄の形が日本の弥生時代のものとはかなり異なっていて装飾的である。

 

次の写真は10世紀ごろのチャンパ文化のもの。タイトルは「Dancing girl」となっているが、明らかにインド文化の影響が見てとれる。チャンパ王国は北部からのたび重なる侵略によって18世紀前半に消滅するまでは、旧南ベトナムの領域の北部に存在していた。

 

インドの影響を受けた南部とは対照的に、北部では中国の影響を強く受けて漢字文化と仏教が広く普及していた。下の写真の仏像は日本では千手観音と言われているタイプのもの。

 

次は、たぶん、日本でもおなじみの七福神の「布袋さま」と同じものだろう。説明板も撮影しておいたのだが、残念ながら光量不足で写真画像が流れてしまって説明が読み取れなかった。北部には日本とよく似た内容の仏教文化が浸透していたようだ。

 

二階と三階では近代から現代にかけての美術作品を展示していた。油絵などは西欧の画風を模倣しただけという感じのものが多く、見るべきものは少ない。

ただし、シルクスクリーン作品については、ベトナムに独特なのか、静謐さとすがすがしさとを感じさせる優れた作品が多いように感じた。ガラス面の反射が入って画質を損ねてはいるが、一点だけ紹介しておこう。勉強している女子学生を描いたものである。

 

なお、現代の作品には、やはりベトナム戦争の時代の情景を画題としたものが多かった。

 

さて、美術館を出てホテルに帰る途中では、みやげものを売る店の角に、アメリカのトランプ大統領北朝鮮金正恩の似顔絵を並べて描いたTシャツがぶら下げられていた。今まで触れてはこなかったが、二日後の2/28にハノイでトランプと金正恩による米朝首脳会談が開催されることになっていたのだ。

それに合わせて我々がこの旅行を計画したはずもなく、単なる偶然。我々が旅行を予約した後になってから、米朝間でハノイ開催を決めただけのこと。

元々、イベントに合わせてグッズを高く売ろうとする便乗商法は好きではないが、この文を書く段になってみると、Tシャツの写真の一枚くらいは撮っておけばよかったかな。

この日には街のあちこちに両国の国旗が飾られるようになって、歓迎ムードが急速に盛り上がって来た。

泊っているホテルの近くまで帰ってくると、五つ星の高級ホテルの前に報道陣が集まっていた。その中には日本のTBSテレビで見かける男性アナウンサーも居る。どうやら、このホテルが明日やってくる金正恩とトランプの会議場になるのではとの予想が多いらしい。

 

このホテルから100mほどの所には、下の写真に示すベトナム政府の迎賓館がある。既に米国と北朝鮮の国旗も飾られていて、ここが金正恩の宿泊先になる可能性もありそうだ。


金正恩もトランプも両方とも嫌いだけど、一度くらいは実物を見てみたい。明日が楽しみ!

/P太拝

 

2019年のベトナム(2)

先回に続き、三年半前のベトナムの首都ハノイ旅行記です。

 

ハノイに到着して二日目、月曜日の朝、バイクの爆音で眼が覚めた。窓の外を見るとホテルの前の道路を車とバイクとがゴッチャになって巨大な流れを作っている。昨日の日曜日とは一変、平日の出勤風景が戻って来たらしい。

二月下旬だが、気温は長袖シャツ一枚でちょうどいいくらい。空は曇り空、この時期は大体が曇天とのこと。

ホテルの宿泊料の中には朝食代が含まれているので、アサメシを食べようと一階におりて食堂へ。席はほぼ満席、いろんな顔の人がいっぱい座っている。

インド人らしい南アジア系の御婦人、中東っぽい中年男性、少数だが白人系もいる。東アジア系がかなりの割合を占めているが、顔と服装からは日中韓の区別がつかない。ベトナム人らしい人はほとんどいない。どうやらこのホテルの主要客層は外国人観光客らしい。

よくあるタイプのバイキング形式の朝食で、「和洋中」の食材のなかでは和は無くて当然なのだが、洋と中の食材はたくさんあった。特に美味しいものも不味いものも無かったように記憶している。

とりあえずはハノイ市内の主要な観光スポットを回ってみようということになり、ツアー業者が手配しているという市内巡航マイクロバスの乗り場に向かう。

歩いている途中の路上脇には小さな食堂があちこちにあって、数多くの地元の人たちが歩道にまではみ出して、歩道に置いた小さな椅子に座って朝食のフォーなどをすすっている。こういう風景は、東アジアでは南に向かうほどによく見かけるようになるらしく、タイなどでは一日三食の全てを路上の外食で済ませている人も多いとか。

彼らが座っている高さ十数cm程度の小さな椅子を見ると、以前、開高健「ベトナム戦記」の中で描写していた、ベトナムの庶民が屋台での食事の際に腰掛ける「日本の銭湯でよく見かけるプラスチック製の小さな腰かけ」そのものである。

開高氏が訪れたのは1960年代のサイゴン(今はホーチミン市)であったが、「その国の生活習慣というのは、六十数年も経って旧サイゴンから千km以上も離れた首都においても変わらないものなのだなあ」との感慨を覚えてしまった。

 

しばらく歩いて、マイクロバスの停車場になっているという「ハノイ大教会」に到着。これもフランス植民地時代の遺産で1868年(ちょうど明治元年)に建てられたとのこと。

 

何やら葬式の花輪のようなものが運ばれてきており、これからここでお葬式が始まるみたい。しばらく見ていると、大きな車が到着、そこから棺桶が運びだされた。喪主らしい若者が故人の遺影を持ってその先頭に立っている。この辺は日本と同じだ。

 

迎えるのは海軍のような白い制服に身を包んだ軍楽隊と、それとは対照的な古式ゆかしい青い服に身を包んで燈明台らしき棒を持った三名の僧侶(?)。ここはカソリック教会のはずだが、この三名の服装は昔の中国の官僚の官服のように見える。道教のお坊さんを連想してしまった。

 

結局、海軍にゆかりのある故人の葬儀だったのかもしれない。それともこの軍楽隊は毎回や葬儀のたびにやって来て演奏して報酬をもらっているのだろうか。よくわからない。

遺族らしい人たちは、みなが白い鉢巻をしていたが、これは朝鮮半島では喪服が白色であるのと同様の風習なのだろう。日本では喪服が黒なのとは正反対だ。この辺の食い違いはどこから来たのか、調べてみると結構面白いのかもしれない。

さて、肝心の市内観光のマイクロバスだが、いつまで待っても来ない。ホテルでもらった時刻表によれば、とっくに来ていなければならないのだが。近くを少し探してみると大教会の真ん前から数十m離れた所にその停留所の表示があった。どうやら「大教会前」という記載をそのまま信じて大教会の正面で待っていた我々の勘違いであったようだ。

仕方がないので、目的地の中では必見とされる「ホーチミン廟」に歩いていくことにした。タクシーはたくさん走っていたが、初めての国で言葉も通じないとなると、初めてタクシーに乗るには、安全のためにそれなりの予備知識と準備とが必要だろうと思う。韓国でボッタクリタクシーに乗ってしまった経験がある筆者は、特に強くそう思ってしまうのである。

 

かなり歩いてホーチミン廟に至る途中にある軍事博物館の前までやって来た。ベトナム戦争当時の展示が多いとのことで入ろうとはしたものの、残念ながら本日の月曜日は休館とのこと。

ガッカリして先に行こうとすると、門の付近に立っていた二人の若い女性に呼び止められた。中国語で話しかけて来たので「日本人です」と答えて英語で少し会話。中国政府が激しい弾圧を加えている団体「法輪功」の会員だとのこと。弾圧を逃れてベトナムに逃れてきて、ベトナム人や観光客相手に中国政府の残忍な迫害を訴える活動をしているのだそうだ。

英語と中国語以外に日本語のパンフレットも用意してあって一部をもらった。内容を紹介しておきたいところだが、その中にはあまりにも残虐な写真(スタンガンを当てる等の拷問により、全身傷だらけになって死亡した会員の遺体写真)も載っていたので、この場での紹介は控えたい。

法輪功の内容と歴史、中国政府による弾圧と彼らの活動については、wikipedia「法輪功」の説明を参照されたい。

この説明を読んで思うのは、法輪功とは、元々宗教団体ですらなく、個人を対象とする健康法を広めることを目的とした団体に過ぎなかったということだ。1990年代末には中国共産党の幹部や高学歴のエリート的存在の一般人が数千万人も入会して中国共産党を越えるほどの巨大組織になるに及んで、江沢民が危機を感じたというのがこの一連の残虐な弾圧のそもそもの発端であるようだ。

自分たちの組織に匹敵する組織の存在が出現した場合には、仮にその組織が特に敵対的ではなくても断じて許容しないというのは独裁国家に共通してみられる現象だ。

彼らは、自分たちの脅威になり得る存在に対しては、共存どころか、その内容の如何に関わらずその組織を抹殺するまで弾圧しなければ済まないのである。言い換えれば、自分たちが有している現権力の正当性に対する自信がないから、臆病だから、苛烈な弾圧をするのだとも言えよう。

以前、大阪の中国領事館にビザ申請に行ったときには、領事館の横で法輪功を名乗る人たちがさかんに中国政府を糾弾していた。

現在ではまったく不可能になってしまったが、十数年前に香港一の繁華街である銅螺湾を訪れた時には、「中共撃滅!」(「中共」とは中国共産党の略)の看板を掲げた人たちがマイクを持ってさかんに中国政府を非難していた。当時は「ここまで激しく中国政府を憎むとは、いったいどんな人たちなんだろう」と思ったが、今になって考えてみれば、彼らも中国から香港に逃れた法輪功の人たちだったのかもしれない。

 

なお、日本人もこの法輪功の弾圧被害者とはある面では無縁ではない。おぞましい話だが、中国各地の医療機関では、臓器移植の際には、かって法輪功の会員であり、かつ刑務所に拘束中の人たちの中から優先して臓器を摘出していたそうである。

下に示す記事によれば、現在では、その摘出対象者は中国政府に反抗的な態度を示すことが多い少数民族ウイグル族チベット族、さらには政府非公認のキリスト教会所属の信者にまで拡大しているとのこと。そしてその中国における臓器移植の外国人被移植者の中で一番多いのが日本人であることは、欧米の専門家の一致した見解であるとのこと。

日本にいる私たちは、この事実を強く認識すると共に、日本から中国に臓器を買いに出かける者が誰なのか、誰だったのかををしっかりと把握しなければならない。

彼ら、彼女らは、中国で臓器移植を受けることによって、中国国内の法輪功会員、少数民族、非公認キリスト教徒たちの中の誰かを「間接的に」殺したか、もしくは身体障がい者にしているのである。中国で臓器提供を受けた日本人は、日本の国内刑法上はさておき、倫理面での「犯罪者」であると断言してさしつかえないだろう。

ありふれた電気製品ですら、その全部品の製造履歴の追跡記録が求められるようになった現在、人体への臓器移植に使われる各臓器の由来が隠されたままでよいはずはない。

「中国での臓器移植ツアー売上第1位が日本人であるという事実」

「「なぜ中国人の臓器移植は異常にスムーズなのか」中国で"少数民族への臓器狩り"が噂されるワケ」

「10日間で3度も提供された心臓 名古屋実習生の武漢での移植手術」

この法輪功の件に関しては、もう一点だけ触れておきたい。先回の記事の最後に書いた、訪問第一日に公園で最後に見た「座禅して瞑想している人々」について。

日本に帰ってから法輪功のことを調べていたら、彼らの健康法の手段の一つとして「静功」、日本式に言えば「座禅を組んでの瞑想」があることを知った。前日にあの公園で座禅を組んでいた人たちは、法輪功の健康法の実践をしていた人たちであった可能性は高い。

数年前、1989年6月4日に発生した天安門事件を扱った安田峰俊氏の「八九六四」を読んでいたら、天安門事件に関わった結果、警察に目を付けられてさんざんに迫害され続け、結局は中国から逃げ出してタイに不法滞在している男性を安田氏がタイで取材した話が載っていた。

この男性は北京でのデモに参加していた学生ではなく、天安門事件に刺激を受けて地方都市で同時期に発生したデモに参加したに過ぎない一般労働者だったそうだ。不法滞在のために仕事にも付けず、支援団体の援助を頼りに細々と貧困生活を送っているしかないとのこと。

このように今の中国の体制に不満を持って逃げ出して来た人たちが今の東南アジアには数多くいるのだということを、この日、二人の女性に出会ったことで改めて実感することになった。

さて、さらに歩いてようやくホーチミン廟に到着。下の写真中央の巨大な建物がそれである。

と思ったら、なんと、ここでも「月曜日なので休館」ということだった。まあ社会主義国の元トップの死体を特に見たいとも思わないので、それならそれで仕方がない。ちなみに入館後は写真撮影は一切禁止とのこと。

ここでちょっと寄り道。

旅行当時は何とも思わなかったのだが、いまこの文を書きながら考えてみると、指導者の遺体を防腐処理までして保存し、国民に広く観覧させようとしているのは社会主義国家だけに共通した現象だと思い当たった。

ロシアでは旧ソ連崩壊後もレーニンの遺体は赤の広場レーニン廟に保存され続け、中国では毛沢東の遺体が天安門広場の毛主席記念堂に保存されている(筆者は天安門広場に行ったことがあるが、その時に毛沢東の遺体を見ようという考えは頭の中に全く浮かばなかった)。北朝鮮では金日成とその息子の金正日の遺体が平壌錦繍山太陽宮殿に保存され、ベトナムではホーチミンの遺体がこのハノイの中心地に置いてある。

有名な指導者の中ではキューバフィデル・カストロだけが例外で、死後に火葬され、国葬の後には一般市民と同じ墓地に埋葬されているとのこと。レーニンホーチミンも通常の埋葬を望んで遺言として残したが、周りがそれを許さなかったそうだ。

この社会主義国に共通する「指導者遺体の永久保存熱」とでも呼ぶべき現象はいったん何なのだろうか。それは神の存在を否定したはずの社会主義共産主義国家においても、やはり神格化した存在がなければ国を治めることは不可能だということを指導者層が強く認識していることを示している。

神や皇帝の存在を否定しておきながら、国民統治のためには新たな共通の神、あるいは新たな皇帝の存在が必要なのである。それを実現するための一番簡単な方法こそが革命の創始者の遺体の永久保存と神格化なのだろう。

マルクスエンゲルスは、今頃はあの世からこの現状を眺めては、「人民というのは、我々が思っていたよりもはるかに弱く愚かな存在だったんだ」と失望しているに違いない。

このような国家では一元的な価値観が国民に強制され、多様性は強く否定される。それに不満な国民は国外に出て行くしかない。ロシア、中国、北朝鮮に見る通りだ。ただしベトナムだけはかなり違っていて、名目的には社会主義だが、実態としてはかなり多様性を許容しているようなところがある。この辺のことについてはまた後で書く予定。

 

ホーチミン廟には入れないので、その隣にあるホーチミンが住んでいた家でも見学しようかということになり、さらに歩く。もうこの辺でかなり足が疲れていた。

最初に黄色く塗った豪華な洋風の館が見えて来た。入園時にもらったパンフを見るとフランス植民地時代の仏領インドシナ総督府の館と書いてある。正面階段には外国人を含むスーツ姿の人たちが大勢いる。見学なのか商談なのか。


柵に囲まれており、許可なくしては入れない施設らしいので、我々一般人はそのまま進み、ホーチミンが住み、その中で仕事をしていたという家へ。下がその写真。この日訪れていた観光客は欧米系と中国・韓国系が半々くらいか。

 

平屋建ての小さな家で、内部には入れなかったが、外から中の一部を見ることができる。内部も質素なつくりで、先ほどの総督府の豪華さとは大違いだ。他にも彼が使っていた電話や自動車が展示してあったが、いずれも年代物で骨董品と言ってさしつかえないものばかり。

ホーチミンは1969年に79歳でなくなっているから、それも当然か。アメリカが北爆を行ったのは1965年から1968年、当然、ハノイは爆撃目標の筆頭になっていたはずだから、その間はどこかに避難していたのだろうな。ホーチミン第二次世界大戦当時、日本がベトナムを占領していた頃には中国国境に近い洞窟を根城に抵抗運動をしていたそうだから、元々から質素な生活には慣れていたのだろう。

 

ホーチミンの家を過ぎて広い公園を進むと「一柱寺」の脇に来た。下の写真を撮っただけで通り過ぎたのだが、今回あらためて旅行時に持参したガイドブックを読み直してみると「子宝祈願で有名」なお寺だとのこと。

 

ガイドブックの説明によれば、「11世紀半ば、世継ぎに恵まれていなかった当時の皇帝が、蓮の葉の上に立つ観音菩薩から赤ん坊を手渡される夢を見たところ、皇后が懐妊。そのお礼として蓮の花に見立てたこのお寺を建立した。」とのこと。道理でこの写真をよく見ると、お参りしている人々の大半が女性であることがわかる。

このような「子宝祈願」のお寺や神社は日本でもあちこちにある。宗教には詳しくないが、多分、イスラム教にもキリスト教にも同様の聖地があるのだろう。

このような基本的な人々の願望に応えることこそが、宗教が本来持つべき基本的な価値なのではないだろうか。世界各地で見られるように、宗教各派同士が些細な教義の違いで互いに殺し合いをするようでは、まさに本末転倒というものだろう。

さて、記事の中であれこれと寄り道をしているうちに、二日目の午前中が終わってしまいました。これ以上長くなることは避けたいので、この日の午後のことについては次回に回すことにします。

/P太拝

2019年のベトナム(1)

最初にちょっとだけコロナ第七波の話題・

2022/8/25現在   https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/ より
            全国      鳥取県
コロナ陽性者数   累計17,153,435   44,193
  死亡者数      累計 37,586                 44
人口(千人)     126,140 (2021)           544(2022/7)
全人口比陽性者比率       13.6%                  8.1%

現在、日本の新型コロナは第七波のピークがやや過ぎたあたりか。この五、六月でやっと収束かと思っていたら、またぶり返した。上の累積陽性者の人口比を見ると、現時点では全国では7人に一人、鳥取県内では12人に一人がすでに陽性者と公式に認定されたことになる。

もちろん隠れた陽性者はこれ以外にもたくさんいるはず。日本の感染が長引いているのも、マスク着用などの徹底で海外諸国に比べて感染拡大がゆっくりで免疫保持者が少なかったためだろう。

ということは、初期の「感染封じ込め」に成功したはずの中国では、国内の感染者はこれから激増するということになる。おまけに中国製のワクチンは変異株に対する効力が欧米製のワクチンよりもはるかに劣る。不動産バブルの崩壊とコロナ感染者の激増はこれからが本番と予想され、中国経済の停滞がすぐに回復することにはならないだろう。

さて、日本でもこのコロナ禍は近いうちには収束し、海外との行き来も以前の状態に戻ることでしょう。もう三年半も前のことになるが、短期間ベトナムに出かけたことがあり、以下、その時の経験を数回にわたって書いてみたいと思います。

 

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ベトナムハノイを訪れたのは2019年2月の下旬。東京にいる友人に誘われたのがきっかけ。ベトナムはまだ行ったことがない国でもあり、早速出かけてみようということになった。

行き帰りはベトナムLCC(格安航空)であるベトジェット。一か月以上前に予約を済ませていたこともあり、成田からハノイまでの往復便と現地でのホテル二泊(帰りの機中で一泊)を含めて三泊四日での料金が四万円台という格安コース。多分、関西空港から沖縄や北海道に行くよりも安かっただろうと思う。コロナ後の現在では、その数倍になっているのかもしれない。

 

以下、一日目。

前日に東京都内に用事があり、それを済ませてから成田空港の近くで一泊。翌朝、空港ロビーで友人と合流。ベトジェットの成田発が9:30、ハノイ空港着が現地時刻の14h頃(日本時間の16h)。約6時間半の飛行でした。機内はざっと見たところほとんどがベトナム人のようだった。

ちなみに、このベトジェット機の座席間隔は実に狭くて大変でした。中国のLCCにもずいぶんと乗ったが、こんなに座席間隔が狭い飛行機は初めて。多分、小柄なベトナム人の体格に合わせてあるらしく、大柄な筆者が座ると前の座席の背にヒザがついてしまう。昼間のフライトならまだ我慢もできたが、二日後の帰りの夜行便ではほとんど眠れなくて、成田に着いた時には疲れ果ててしまった。

さて六時間強のフライトを終えてハノイ空港に到着。ツアー会社のバスに乗ってハノイ市内へ。我々に割り当てられたのは市の中心部にある比較的小型のホテル。内部は掃除が行き届いていてかなり清潔。

荷物を置いてさっそく周囲を散歩。ホテルのすぐ近くにはフランス植民地時代の置き土産のオペラハウスがあり、その前に学生たちが整列して記念写真を撮っていた。ベトナムの卒業式は七月とのことなので、これは何か卒業以外のイベントなのだろう。

 

 

ちなみに下の二枚目の写真では、オペラハウス前の道路を横断している人たちの横を車やバイクがかなりのスピードで通り抜けていっていた。ハノイの道路には信号機や横断歩道がほとんどなく、歩行者は自分が横断したい所を勝手に横断している。時速40kmくらいは出ている車やバイクの間を縫うようにして、ゆっくりと上手に横断していくのである。

 

横断する側は決して急がず、車のやってくる方を見つめながら、いっとき停まったり、再びゆっくり歩くことを繰り返しながら進んでいく。少し観察してみると、横断者とドライバーの間には何かしら暗黙の了解のようなものが成立しているようであった。

2000年代初頭の北京などの中国の大都市も信号が少なくて、人々が好きな所で自由に横断していたのは同様だったが、横断者とドライバーの間で互いに了解し合っているような雰囲気はあまり感じられず、むしろ敵対的なように感じた。このベトナムの社会全体に感じられる暗黙の相互理解の雰囲気は、ベトナムに特有なものなのかもしれない。

筆者自身は、以前の中国での経験のせいか、この「道路横断のルール」にはすぐに慣れることができた。たった三日間しかいなかったが、欧米などの外国からの観光客の中には、あせって急いで道路を渡ろうとして、逆にひかれそうになっている人を何度も見かけた。

 

さて、ホテルのすぐ近くにはホアンキエム湖公園があり、その周辺は市内で一番の人出でにぎわうということなので、そちらに向かってブラブラと歩いていった。

 

 

ちょうどこの日は日曜日だったせいか、たしかに大変な人出。ベトナム国民の平均年齢は日本よりも十数歳は若いとのことで、若者が圧倒的に多い。公園を取り囲む路上では高校生くらいの女の子たちが自分たちで持ち込んだ音楽に合わせて踊っていた。なんだか、1980年頃の東京原宿の「竹の子族」みたい。

 

 

その近くでは結婚を控えての写真撮影のようで、若いカップルが周りから祝福されている。花嫁が赤い衣装を着ているのは中国の風習とよく似ているように思う。

 

 

もう少し先に行くと、ホテルの前の路上で、若い男性を、これも若い女性が大勢で取り囲んで色々と質問している。男性は優しそうなイケメン風。テレビ撮影中らしい。ベトナム版「パンチでデート」か?(「古い!」と言われそうだが、長いこと、テレビはスポーツ番組とドキュメンタリーくらいしか見ないので。)

 

 

さて、この公園の真ん中にあるホアンキエム湖の象徴が、下の写真に示す「亀の塔」である。15世紀、それまでハノイ周辺を占領していた中国の明朝を追い出した黎朝(ㇾ朝)の初代皇帝の伝説に由来する塔とのこと。

この皇帝が神から授かって明の撃退に使用した宝剣を、この池に住む大亀の取り計らいによって神に返した場所が、この塔が建っている小島なのだそうだ。実際、この池には巨大なスッポンが住んでいたらしい。

 


人ごみをかき分けながらという感じでさらに北に進むと、池の中の小島との間に橋がかかっていて、その先にはお寺のような建物がある。門柱には漢字で何やら書いてあったが、実は三日間の滞在中に街中で漢字を見たのはこの場所だけであった。街中の表記は、その全てがベトナム語をアルファベット表記したものばかりである。

 

 

観光客であふれているお寺の中に入ると、御本尊様は仏様というよりも王侯や道教の高僧のような感じである。仏教寺院というよりも道教のお寺と言った方がピッタリする。ここでも中国文化との濃厚な共通点を感じた。

 

 

陽が落ちて暗くなり、かなり歩いて来て腹も減ったので、ガイドブックであらかじめ見つけておいた公園近くの食堂「ブン・チャー・ター」に入った。

ベトナム料理と言えばフォーが代表的だが、フォーが生乾きのライスペーパーをたて切りして作る麺であるのに対して、ブンというのは米粉を押し出してつくる麺のことを言うらしい。早い話が、ブンは日本でいうビーフンと同じもののようだ。これを肉や野菜が入ったスープにつけて食べるのが「ブン・チャー」とのこと。下の写真のようなセットを注文したが、なかなかに美味しかった。

 

 

付け合わせとして春巻きや大量の生野菜が出て来るが、野菜はいわゆるパクチー(英語ではコリアンダー、中国語ではシャンツァイ=香菜)が主。パクチー系にも色々と種類があって、ドクダミのような野菜もあった。

いずれも香りが強いので、パクチーが嫌いな人は、ベトナムに行ったら出て来る生野菜の大半をパスすることになるだろう。筆者はスパイス系は好きなので、パクチーを毎日食べても特に気にはならなかった。

なお、この店の隣のテーブルでは韓国語、その隣の席には北京語を話すカップルが座っていた。多分、同じ原稿を各国語に翻訳したものがそれぞれの国のガイドブックとして出回っているのではなかろうか。

さて、夕食を終えたが、現地時間ではまだ18hである(日本との時差は二時間)。コーヒーでも飲んで帰ろうということになって、再びホエンキエム湖のほとりに戻り、大きなビルの五階?のカフェに入ってみた。下の二枚の写真はそのカフェからの光景。

周りのビルの照明がキラキラ、路上には相変わらず大量の人出、湖面には周りのビルの灯りが反射してなかなかロマンチックな眺めだ。デートには格好の場所のようで、席の大半がカップルで埋められている。我々のようなオジサンの二人連れはごくわずか。

 

 

名物の「生卵の黄身入りコーヒー」というのを飲んでみたが、味は「ウーム・・」。フランスの風習の置き土産なのかもしれないが、コーヒーに生卵を入れるという発想が「チョットねえ・・」。そもそもコーヒーの味がイガラッポいと感じた。

後で調べてみたらベトナムで生産されているコーヒーは主にロブスタ種で、高温多湿の土地でも栽培できるが、風味は日本で一般的に飲まれているアラビカ種には及ばないとのことでした。

現地時間の19h半にホテルに引き上げたが、この時間でも池の周りは相変わらず若者であふれかえり、下の写真に見るように、路上での告白合戦?も延々と続いていた。とにかく、毎週日曜の夜には、この公園はお祭り会場と化しているようであった。

 

 

さて、公園を出るあたりにまで来た時に、舗道の上で瞑想している人々を何名かみかけた。「最近のベトナムでは瞑想が流行っているのかな」くらいに思いながら通り過ぎたのだが、翌日になってからこの人たちの背景について知ることになった。

 

 

とにかく、ベトナムの持つ若者パワーに圧倒された初日でした。

(以下、次回に続く。)

/P太拝

 

 

我が間接的戦争体験

 毎年八月になると戦争体験に関する記事が目につくようになる。筆者は昭和20年代末の生まれなので直接の戦争体験がある訳ではないが、子供の頃には、身の回りには戦争の痕跡のようなものが濃厚に残っていたと記憶している。以下、「我が間接的戦争体験」とでも言えるようなものをいくつか書きとどめておきたい。

 なお、筆者の父親は敗戦の間際に海軍に召集されたが、広島県呉市で訓練を受けているうちに広島に原爆が落とされ、結局、戦地に行くことはなかったそうだ。確実に前線に送られたであろう世代の親戚もいるが、彼らからその体験を直接聞いたことはない。直接の戦争体験をした人ほど、その口は一般的に重いようである。

 

(1)松根油

 今はもう移転してしまったが、筆者の父方の家の墓は、以前は旧気高郡内の海に近い丘の上にあった。子供の頃、毎年の彼岸や盆には祖母や父親と一緒に鳥取市内からバスに乗って墓参りに行っていた。

 その頃の記憶によると、小学校の低学年の頃までは、墓がある丘を登る途中に直径2~3mはあろうかと思われる大きな穴がいくつも開いていた。同行の家族に「この穴、なに?」と尋ねると、「戦争中に飛行機の燃料にする油を取ろうとして松の根を掘った跡だ」とのこと。穴の近くには既に風化した巨大な松の根が転がっていたような気もするが、記憶が定かではない。「松の根から本当に油が取れるのだろうか?」と疑問に思ったことはよく覚えている。

 最近、そのことを思いだして調べてみたら、wikipedia上に松根油(しょうこんゆ)という項目が見つかった。松の根を掘っていたのは、鳥取だけではなくて全国的な政策だったということが初めて判った。

 この記事によると、結局、松根油では飛行機はまともには飛ばず、戦後に進駐して来た米軍のジープの燃料としても使えなかったとのことである。「貧すれば鈍す」とでも言うのか。上意下達の独裁制が確立して自由な議論が封殺されると、非合理を通り越して滑稽とすらいえる政策が大手を振ってまかり通るものである。今後、またこんな政策が上から降って来るような時代が来なければよいと思うのだが・・。

 これを書いているうちに、毛沢東が指示した「大躍進政策」で中国全土の農民が裏庭につくった土法炉で鍋や鎌を使えない鉄くずに変えてしまった話も連想してしまった。独裁者には、人民の労働力はいくら使ってもタダだという思い込みがあるのだろう。

(2)中学校の先生たちの体験談

 小学生の頃には学校で戦争当時の話を聞くことはなかったが、中学校に上がるとすこしは大人に近くなったと認めてもらえたのか、先生方が戦争に関する個人的な記憶を話してくれるようになった。とは言っても、学校公認の場での話ではなくて、あくまでも授業の中で脱線したついででの話や、授業時間外での私的な思い出話としてであった。

 以下に紹介する三人の先生は、筆者が話を聞いた当時はいずれも三十代から四十代であり、戦争の間は十代の半ば以下で直接戦場に出たことはなかったはずだ。

①T先生

 一年生の時に習った国語の先生で、筆者が所属していた運動部の顧問でもあった。旧制中学の生徒であった頃の1945/8/6に広島の原爆で被爆された。広島城内での工事に動員されての作業中に被爆されたとのこと。

 倒れて来た壁の下敷きになったが、壁のおかげで直接の熱線を浴びなかったために奇跡的に生き残れたと笑いながら話されていた。この被爆の話を聞いたのが授業の中でのことだったのか、部活の中でだったのかはよく覚えてはいない。部活の時、袖をまくり上げた先生の太い腕を見たらケロイドの跡がくっきりと残っていた。笑顔が豪快で生徒への面倒見も良く、好きな先生の中の一人だった。

 いったん鳥取を離れて、二十代後半に帰って来てから一、二年後のある日、バスに乗っていたらT先生らしい方がバスから降りるのを見かけた。「まだ、お元気なんだ」と思った。それから一年ほどして、新聞のお悔み欄の中に先生の名前が載っているのを見つけた。まだ五十代後半だったように記憶している。やはり原爆の後遺症が原因で命を縮められたのではなかろうか。合掌。

 

②M先生

 二、三年生の時の社会の先生。きっかけが何だったのかは忘れたが、ある日の授業で戦後の進駐軍の様子に話が及んだ。当時、先生は十代半ばくらいで、鳥取市近郊の農村部に住んでいたが、先生の村にも進駐軍ジープがやって来たそうだ。イギリス軍とのことだったが兵士の大半はインド兵で、一軒の家を宿舎に提供した。彼らが退去した後、その家の便所をくみ取っていたら便所の中に大量の石が落ちていたとのこと。どうやら、お尻を拭くのに近くの河原の丸い石を集めて使っていたらしいとの話だった。

 進駐軍と言えばすぐに白人のアメリカ兵を連想するが、実態は様々な連合国からの寄せ集めであったようだ。鳥取にやって来た進駐軍のことを少し調べてみたら、県のサイトに以下の資料があった。

 これによると鳥取に進駐した英連邦部隊はインドパンジャブ第一連隊第五大隊で、昭和21年の5月から8月にかけて駐留していたらしい。
「進駐軍は鳥取で何をしていたか」

 ついでの話になるが、戦後の日本占領は米国主導で実施されたが、敗戦の直前までは米英中ソの四カ国による分割統治案が有力であったという話も紹介しておこう。この案が実施されていたら、北海道と東北地方は今頃はロシアの傀儡国家のままであったのかも知れない。もしもソ連の参戦が1945年8月9日よりも早かったなら、そうなっていた可能性は高かっただろう。

 また下に紹介した記事の二番目の記事、故半藤一利氏の記事によると、日本の降伏が8/15よりも遅れていたら、あるいはルーズベルトが敗戦時まで生きていて米国大統領の席に留まっていたならば、北海道の北半分がソ連のものになっていた可能性があったとのこと。まさに危機一髪であった。

「知っていて欲しい「戦後日本の分割占領計画」 」

「北海道と東北は共産国家になるはずだった…ロシアの「日本占領作戦」が実行されなかった間一髪の偶然」

③M先生(女性)

 二年生の時の担任は女性のM先生であった。ある日のクラスのホームルームの時間だったと思うが、唐突にM先生が戦後の思い出話を始められた。戦後すぐには先生は十代前半くらいだったろうか。食料価格が大幅に上昇して生活に困窮していた時代だ。街には食べ物がほとんど無くなり、母親とともに着物や貴重品などを持って農家に出向き、物々交換でコメなどを手に入れていたとのこと。

 ある日、一軒の農家を訪問したが、着物を差し出して交換をお願いしてもなかなか応じてもらえない。農家の庭先で母親と一緒に土の上で土下座までして、やっとわずかな食料を手に入れたとのこと。「あの時の恨みは一生忘れない。農家なんて欲張りばかりで大嫌いだ。」と強い口調でふんがいされていた。

 我々生徒は、みな下を向いたり、目を空中に浮かせたりしながら先生の話を聞いているしかなかったのだが、自分は少し心配に、かつ疑問に思った。というのは、我がクラスの少なくとも半分くらいが農業や漁業に携わっている家の息子や娘である。クラスメイトたちはこの話を聞いてどう感じるだろうか。また、一軒の農家でひどい仕打ちにあったからと言って、それで全ての農家がそうだと決めつけるのはあまりにも短絡的ではないか。「この先生、ずいぶんと視野が狭いなあ。」

 もともと、この先生にはヒステリックな所があり、この話を聞いてからはますますその感が強まった。十年ほど前に両親が亡くなり、残されたタンスの中を整理した際に自分の小中学時代の通知表の所見欄を再度見る機会があったが、M先生による自分の性格と行動に対する評価はかなり厳しいものだった。こちらが先生を嫌っていることは、先方にもよくわかっていたらしい。

 ともあれ、戦後すぐの時代に、街の住人が食料確保に大変に苦労したことは事実である。ただし、M先生が当時どこの街に住んでいたのかは知らない。そういうことを気軽に聞けるようなタイプの先生ではなかったのである。

 

(3)プロレスが大好きだった祖母

 母親が働いていたせいか、同居していた父方の祖母には子供の頃からずいぶんと面倒を見てもらった。兄弟三人の中では自分が一番よく祖母の部屋に出入りしていたようで、小学校の高学年の頃には祖母の部屋にある仏壇の引き出しの片方を自分の小遣いをためる貯金箱にしていたくらいだ。いわゆる「おばあちゃん子」だったのだろう。祖母は三十数年前に九十代後半で亡くなったが、亡くなる前の年には町内最高齢ということで賞状までもらっていた。

 この祖母が一番好きだったテレビ番組が、毎週金曜日の夜に放映されていたプロレス中継であった。力道山の空手チョップの時代からジャイアント馬場の時代に至るまで、金曜日の夜8時になるとテレビの正面は祖母の指定席になっていた。日本人選手が「噛みつきプラッシー」などのアメリカの選手にやられそうになると、小さな体を震わせて、テレビ画面に向かって「頑張れ!」と叫んでいた。当時はプロレスを見て興奮しすぎた年寄りがテレビの前で急死する事件があいついでいて、うちの祖母もそうなるのではと家族みんなで心配していたものである。

 当時の高齢者も含めて国民の多くがプロレス番組に熱中した背景には、「日本人選手」対「アメリカ人を主とする外人選手」を主とする対戦構成があったことは間違いない。「アメリカに負けた恨みは、リングの上で晴らせ!」ということなのだろう。ほぼいつも日本側が勝っていたように記憶しているが、視聴者が一瞬のカタルシスを味わうためには、このような演出は必然だったのだろう。

 祖母は1890年生まれで、1935年に祖父が急死してからは五人の子供を抱えての借家住まい、戦争中の物資不足もあってさんざん苦労したはずだ。敵の「アメリカ」に日本人が勝つたびに、かっての自分の苦労が報われたと思う気持ちがあったのかもしれない。あの当時のプロレス人気も、戦争がもたらしたある種の影のようなものだったのではないだろうか。

 さて、当時は皆が日本人だと思い込んで応援していた力道山大木金太郎だが、のちには彼らが韓国出身者であったことが広く知られるようになった。そのことを祖母は認識していたのだろうか。明治生まれの人間には朝鮮半島出身者や被差別部落に対する差別意識が強い傾向があり、祖母もその例にはもれなかった。最後までそのことを知らなかったとすれば、何だか皮肉な話ではある。

 スポーツの試合に勝つことで国家間の恨みを晴らそうとする例は枚挙にいとまがないほど多い。サッカーの日韓戦などが典型例だが、最近は世代交代もあって、日本側も韓国側も以前ほどには強い対抗意識はなくなってきたようだ。願わくば、国家間の怨恨や対立は、スポーツの試合で争うことでガス抜きして解消する程度にとどめて欲しいものだ。世界中の全ての国は自ら戦争を仕掛けることを放棄すべきであり、同時にあらゆる手を尽くして実際に戦争で人が死ぬような事態を極力避けるベきであることについては言うまでもない。

 以上、筆者が記憶している戦争の影、その残像のようなものをいくつか紹介した。直接の戦争体験にはほど遠く、ささいな事例を並べただけでしかないのだが、最近の若い世代は日本とアメリカが戦争をしたことさえも知らないと聞く。自分には当たり前の記憶であっても、次の世代にとっては初めて聞く話なのかもしれない。

 2021年時点では、75歳以上が日本の全人口の15%弱になった。戦時中の記憶を持っている人は近いうちに一割を切るだろう。自らの体験を次の世代に伝えておくためにも、戦争についての直接または間接の記憶を何らかの形で文章化しておくことは必要であるように思う。

/P太拝

My favorite songs(17) 別れの歌

 先日にはペロシ下院議長が訪台、その直後から中国軍の台湾を取り囲んでのこれ見よがしの軍事演習が始まりました。台湾有事の予行演習というところでしょうか。

 最近は習近平の三期目を確実視する記事が増えてきたものの、今の中国が感染力がさらに強まったコロナ変異株を容易に抑制できるとも思えず、新型コロナと経済低迷は依然としてこの秋の中国共産党大会までは大きな変動要因として残り続けることでしょう。

さて、硬い話ばかりが続いたので、この辺で気楽な話題をということで、久しぶりに好きな歌の話しです。

 ぼんやりしている時や単純作業を続けている時などには、筆者の脳裏には好きな歌のメロディーや歌詞が無意識のうちによく浮かんできます。先日、少し思い返してみたら、たいていは悲しい内容の歌ばかりでした。

 考えてみると、世間で唄われている歌の大半が恋人や家族との別れに関する歌なのです。特に演歌などはほぼすべてが哀しい内容といってよく、自分が幸せなことを歌う歌などはほんとうに数が少ない。幸福を歌っても、他人の共感はなかなか得られないようです。

 無意識のうちに脳裏によく浮かぶ唄を以下に集めてみました。大半は筆者が二十代前後であった70~80年代に流行った唄ですが、最近になってyotube経由で知った唄も含まれています。なお、タイトル後にある数字は発売年を示しています。

 

① 「一時間」 ハンバートハンバート 2006

 最近、よく知られるようになってきたハンバートハンバート。この唄はまだ認知度が低いのですが、隠れた名曲と言ってよいでしょう。遊穂さんの透き通った声が素敵です。

 

② 「夜明けのグッドバイ」 イルカ 1980

 イルカがデビューしたのは筆者が高校生の頃。当時はシュリークスというグループの一員で本名の保坂姓で出ていました。この曲は作詞・作曲ともイルカ。

 

③ 「雨の物語」 イルカ  1977

 歌詞の冒頭の「化粧する君の背中がとても小さく見えるから、僕はまだ君を愛しているんだろう」という所が、男性の心の動きをよく表していて本当にスゴイと思う。作詞・作曲は伊勢正三。一緒に出演していることが多いので、伊勢正三とイルカは夫婦なのだろうとずっと思っていました。

 

④ 「サルビアの花」 もとまろ 1972

 当時の早川義夫バージョンが無かったので、一番よく売れたと言われている「もとまろ」版を紹介しておきます。

 恋人の結婚式のシーンと言えば、1968年公開の映画「卒業」のラストシーン、ダスティ・ホフマンが花嫁衣裳を着たキャサリン・ロスを式場から連れ出して、ちょうど来たバスに飛び乗る場面を思い浮かべてしまう。アメリカ人は即行動。

 それとは対照的に、日本人が作る歌はというと、結婚していく恋人を遠くから眺めながら泣いている自分をなぐさめて歌うだけ。日米間の人の心の中の湿度の違いを感じます。

 

⑤ 「さようなら」 NSP 1973

 田舎の高校生のささやかな恋愛を歌った唄。名曲です。

 

⑥ 「私鉄沿線」 野口五郎 1975

 筆者が大学生であった頃、西城、郷、野口の「新御三家」が人気を集めていました。当時、周囲の同世代の女性陣に「誰が一番好き?」と聞いてみたら、予想に反して野口五郎が一番人気でした。誠実さと清潔感とが好印象だったのでしょう。今聞いても唄のうまさはなかなかスゴイと思います。

 

⑦ 「冬が来る前に」 紙ふうせん 1977

 秋になるとこの曲が聞きたくなります。背景には神戸市の風景を想定しているらしい。「赤い鳥」の当時、背の高い山本潤子さんよりも、丸顔の平山泰代さんの方が好きでした。

 

⑧ 「リフレインが叫んでる」 松任谷由実 1988

 松任谷由実荒井由実)の代表曲「中央フリーウェイ」にあるように、荒井由実といえばマイカーでのドライブと都会の風景とが連想されて、車も持っていなかった当時は「田舎出の地方人」の俺たちとは住む世界が違うという感覚がありました。でも、この曲はなぜか好きで心に残ります。

 

⑨ 「別れのサンバ」 長谷川きよし 1969

 この曲を歌う長谷川きよしのカッコよさと当時のフォークソングブームもあって、高校の時にクラシックギターを購入。早速にこの曲の楽譜を入手してみたら、とてもじゃないが、簡単にひけるようなレベルではなかった。結局、ギターはアルぺジオ止まり。そのギターは筆者と共に日本各地を転々とし、今は実家の物置の中で眠っています。

 

⑩ 「灰色の瞳」 加藤登紀子長谷川きよし 1974

 南米のフォルクローレがなぜか好きで、この唄の作曲者でケーナ奏者でもあるウニャ・ラモスのCDも持っています。この曲を聞くたびに、高原を吹き渡っていく風と「乾いた哀しみ」のようなものを感じるのです。

 

⑪ 「別離(わかれ)」 岸洋子

 原曲はシャンソンとのこと。朝倉ノニーの<歌物語> | もう取り返せない(別離)C'est irréparable (fc2.com)

長谷川きよし版もありますが、歌詞の内容からみて女性が歌った方がふさわしいと思い、岸洋子さん版にしました。この映像はその年末に彼女が亡くなられた年、1992年のもののようです。生きることの哀しみが凝縮され、人の形をとって再現されたかのような熱唱です。

/P太拝

中国の台湾侵攻の可能性について(4) -日本の安全保障体制-

(1)「台湾有事」の際に日本が攻撃される可能性

 前回で述べたように、米国内の世論を考慮すれば、中国が台湾に武力侵攻する際に、侵攻する中国軍を米軍が直接攻撃する可能性は低いように思う。ただし、武力侵攻時に当然予想される中国海軍と空軍による台湾への海上封鎖に対しては、米軍が干渉しようとする可能性は高いだろう。

 封鎖が長期間続けば、エネルギー、食料、各種資材の大半を自給できない台湾の敗北は明白だからである。台湾をみすみす見殺しにするようでは、西太平洋における米国の同盟国である日韓豪との間の信頼関係も崩れることにもなる。中国による台湾の併合後には、西太平洋全体がじわじわと中国の勢力圏内に組み込まれて行くことは確実だろう。

 中国の台湾侵攻に対して米軍が動けば、日本も「安全保障関連法」に従って自衛隊を出動させ米軍に対する支援を行うことになるだろう。その場合には、在日米軍基地と自衛隊基地、場合によっては民間の港と空港までもが、中国軍による攻撃対象となり得る。

 下の図に日本国内の米軍基地と自衛隊基地・施設(海自と航自のみ、陸自は数が多いので省略)の配置を示しておこう。(防衛省自衛隊の駐屯地と基地の一覧地図 より)

図-1 国内の米軍基地、自衛隊基地・施設

 自衛隊基地の中では、地理的に台湾に近く有事の出動が予想される南西諸島と九州の基地・施設が中国軍による攻撃対象となる可能性は高い。在日米軍基地は基地ごとに役割分担が違うので、その地理的位置に関わらず全てが中国軍の攻撃対象になり得る。


 自衛隊の施設の多くが通信用施設だが、現代の戦争では開戦後には真っ先に相手国の軍の通信施設が狙われる。いわば人体の神経系に相当する通信網を寸断しておいてから、眼と耳とをふさがれた敵の部隊を一個ずつ片付けていくというやり方である。数年前の鳥取市議会で海上自衛隊の通信施設を鳥取市内に誘致しようという動きがあったが、仮に誘致していたら有事の際には確実に狙われることになっただろう。ロシア軍のように敵が精密誘導装置の無いミサイルを大量に撃ち込んできた場合、施設周辺の一般民家も広範に被害を受けることは今のウクライナの現状に見る通りなのである。

 上の図を見た人たちの中からは、「日本が攻撃されかねないから、台湾有事の際には自衛隊は米軍に協力するな! 戦争に巻き込まれるな!」という声が挙がることは十分に予想される。しかし、台湾が中国のものになれば、台湾が領有権を主張して来た尖閣諸島も当然中国のものになる。

 これらの無人島の帰属よりもさらに問題なのが、日本列島と世界各地とを結ぶ主要航路が台湾東岸に設置された中国軍のミサイルの脅威にさらされるようになることである。

 台湾と同様にエネルギーも食料も自給できない日本にとっては、のど元にナイフを突きつけられたような形となる。軍事的圧力の元に政治的・経済的な要求を次々に突き付けてくるのがロシアや中国の常套手段である。当然、中国からの日本への各分野にわたる圧力は今以上に激しくなることだろう。

 「何事も『事なかれ主義』で済ませて決断を先送りしているうちに、将来、さらに危機的な状況を招いてお手上げになる」というのが、我々日本人の顕著な特徴なのである。将来に対する想像力を最大限に発揮するべき時期が近付いている。

 中国が台湾を海上封鎖する際には、当然、ネット経由の情報網も封鎖しようとするだろう。特に台湾や日本のような島嶼国家では、他国との通信の大部分を海底ケーブルを経由した光通信に依存している。

 下の記事によれば、この海底ケーブルは物理的に容易に切断可能とのことである。有事の際には台湾周辺の海底ケーブルが切断されるのみならず、日本が米国と共に台湾支援に動いた場合には日米間のケーブルの切断すらも想定しておかなければならないだろう。

 最近頻繁に報道されている日本近海での中国の海洋調査船の活動も、その目的の一つとして海底ケーブルの精密な位置の把握があるのではないだろうか。日本の場合、海外との通信で海底ケーブルによらない衛星経由等による部分の割合は、全体の通信量の1%でしかないとのこと。台湾有事の際には、政府と民間とを問わず、対外業務の大部分が長期にわたってストップする可能性がある。

「ヤバすぎる日本の海底ケーブル 台湾有事でネット接続全滅リスク」


 なお、戦争時に相手国の海底ケーブルを切断するという発想は、元々はロシア軍に由来するようだ。次の記事の2から3ページにかけての記載によると、ロシア海軍は海底ケーブル切断用の深海小型原子力潜水艦を既に配備済らしい。

「世界最強の攻撃原潜が就役、息を吹き返しているロシア海軍の潜水艦戦闘力」

(2)各国の「愛国心」の比較

ここでは、参考資料として各国のいわゆる「愛国心」について比較しておこう。世界各国の研究機関・大学が合同で、「もし戦争が起こったら国のために戦うか」という問に対する各国別の回答を数年おきに調査している。

 ここで「愛国心」とカッコ付きにしたのは、筆者には「戦争に行くことでしか愛国心が発揮できないのか、他の行動で示してはいけないのか」という疑問があるからだ。単純に「愛国心」の調査というよりも、「自分自身に関わる問題として自国の戦争をどのように捉えているか」という姿勢に対する調査と言った方が適当なように思う。

 最新の集計結果を下の図に示す。また主要国別の推移も併せて示す。

 

図-2 各国の最新の回答の比較

 

図-3 各国の回答内容の推移

 

これらの図の出所は次の記事による。

「「国のために戦いますか?」日本人の「はい」率は世界最低13%…50歳以上の国防意識ガタ落ちの意外な理由」

 日本は「はい」の回答が世界で一番低いが、これには元の記事の解説にあるように、「交戦権を否定し軍隊を持たない」と規定した憲法第九条の影響があることは明らかだろう。「わからない」という回答が世界で一番多い点からもそのことがうかがえる。

 また、これも解説にあるが、日本、イタリア、ドイツと第二次世界大戦の敗戦国である旧枢軸国側に「はい」の比率が低いのも、先の戦争での悲惨な体験を反映しているのだろう。

 仮に、この調査の設問が「あなたの国が他国によって侵略された場合には、国のために戦いますか」との問いであったならば、ずいぶんと違った回答結果になったのではないか。この調査結果から、ただちに「愛国心を高めるために、憲法第九条を直ちに廃止せよ!」というような短絡的な主張をすべきではなかろう。

 中国で「はい」の比率が最近急増しているのは、グローバリズムを意味する「全球化」と社会安定の「和諧社会」とを指向した胡錦涛政権と、19世紀以降に失われた国のプライドを回復させようとする「中国の夢」の実現を指向する習近平政権の違いを明確に示しているように思われる。

 また、最近の中国報道を読んでいて気になるのは、大学生などの高度教育を受けている若年層、特に精華大学や北京大学などのトップクラスの大学の学生が共産党政権を強く支持する傾向が強まったことだ。胡錦涛政権の頃は、学歴が高い層になるほど、時の政権には無関心か、または批判的な傾向が強かったように記憶している。

 ちなみに、中国国内での軍の存在感は日本とは比べ物にならないほど大きい。筆者が中国で仕事をしていた頃、CCTV国営放送テレビの7チャンネルは国防と農業関連の専門チャンネルであった。休みの日にホテルでぼんやりとこのチャンネルを見ていると、例えば「白菜の栽培方法」を紹介した番組の後に「日本連合艦隊のミッドウェーでの惨敗の原因」に関する解説番組が出て来たりして結構笑えた。古くは「孫氏の兵法」の紹介から最新の「米軍の配置の現状」の解説に至るまで、軍事情報が満載のチャンネルであった。

 高速道路には軍専用のレーンが設けてあって、激しい渋滞が続いていても、軍関係の車だけは渋滞を横目に高速で通過していく。街を歩くと、今は人民解放軍の下部組織に組み込まれているが、国内治安担当の「武装警察」の隊員が鋭い目であたりを見回しながら歩いているのをよく目にした。迷彩服姿の彼らを目にすると、やはり何がしかの緊張感を感じてしまうのであった。

「中国の愛国教育、習体制で先鋭化 幼児に「訓練」も」

 中国の近年の経済発展が若者に国への信頼を深めさせたことは間違いないが、今後は一転して中国経済の停滞が、特に若年層を集中して襲うことになるだろう。現在は国民からかなり信頼されている習政権も、今後は加速度的にその信頼を失墜していくことだろう。そうなる前にということで、台湾侵攻計画を前倒しされてはたまらないのである。

(3)日本の安全保障体制について

 さて、我々にとっての一番の問題が日本の安全保障体制をどう構築するかという点である。

 過去には自衛隊の位置づけをどうするかが最大の問題となってきたのだが、筆者は以前から自衛隊の存在を認めるべきと考えて来た。この点では、いわゆる「護憲勢力」の考え方と異なっている。そうはっきりと思うようになったのは、やはり頻繁に中国に出かけるようになって、その軍事優先の実態を見てからのことである。

 米国、ロシア、中国などのいわゆる大国が、話し合いによってその領土を拡大したという歴史的な事実はほとんどない。大国の多くが、戦争か、または武力を背景とした威嚇によって少しずつその版図を拡げて来たのである。

 ロシアは毛皮を求めてシベリアを東進して少数民族を次々に支配下に納め、次には南進して、イスラム圏の中央アジア諸国や旧オスマントルコと何度も戦争を繰り返しては領土を拡大して来た。

 中国は清の時代に新彊ウイグルの武力併合などによって最大版図に達したが、満州族が建てた清王朝が獲得した領土を、古代から「中華民族」に属していたと現在の漢民族を主体とする共産党政府が主張するのには無理がある。そもそも「中華民族」という概念は、現在の中国領土をむりやり保持するために作り出された概念に過ぎない。

 現在の中国とは、漢民族の本土と、その実質的な植民地であるところの内蒙古、新彊ウイグルチベットとを合わせた複合体であると言ってよいだろう。この点で現在の中国は、戦前の大日本帝国が、日本列島本土と、その植民地である朝鮮半島、台湾、満州国、(旧琉球国の国民や北海道のアイヌ民族も植民地の中に含まれるだろう)から成立していた構図にそっくりなのである。一等国民である本土民が植民地に続々と移住し、各民族固有の言語を奪っては本土の言語・習慣を強制し、彼らを二等国民とみなして差別して来た点もウリ二つである。

 米国も大国の例にならって、主に戦争でその領土を拡大して来た。1776年の英国からの独立後、先住民を武力で屈服させ、また英国やメキシコと戦争を繰り返しながら領土を拡大させてきた。米国がロシアや中国と異なるのは、領土のかなりの部分をフランス、スペイン、ロシアから買収して来た点である。例えばアラスカは1867年にロシアから買収している。当時の技術と物流の水準では、アラスカから入手できる商品は野生動物の毛皮くらいしかなかったからだろう。

 現代の米国には領土をさらに拡大する意図は希薄である。軍事、情報産業、金融で圧倒的な技術と影響力とを持つことで、米国は領土主権には関係なく世界中から利益を得る手法を既に習得済みだからだ。先進国の多くが米国にならってこの分野での競争に励んでいる現在、今さら戦争で領土を獲得しようとしているロシアなどは、明らかに前世紀の遺物の代表的存在であると言ってよいだろう。

 ただし、過去の世界の歴史を踏まえれば、依然として戦争によって領土を、或いは経済的な利益の提供を相手国に強制しようとする国は、ロシア以外にも今後も出て来るだろう。個々の人間が善と悪の両面を持つからには、国家も善と悪の両面とをあわせ持つのである。

 起こり得る最悪の危機を想定して、あらかじめそれに対する準備をしておくのが政治の役割である。平和への願望を述べるだけで、起こり得る危機への対処方法を考えず、そのための具体的な準備もしないのでは、宗教団体と何ら変わりはない。例えが適切かどうかはわからないが、いつなんどき対向車が突っ込んでくるかも知れないのに、「自分は絶対に事故には会わない」と信じて保険に入らないドライバーのようなものである。

 さて、以下に、筆者自身の日本の安全保障に対する考え方の変遷を記しておこう。2015年9月に安保法制法案が国会で成立し、その後はこの法律の撤廃を求める運動が全国で盛り上がった。鳥取県内でも2016年6月に鳥取市内で撤廃を求める集会が開催され、筆者も参加した。この集会の概要については、参加した当日に当ブログで報告している。

「「憲法シンポジウム 県民集会+パレード」に参加しました」

「お前は、自衛隊の存在を容認しておきながら、自衛隊が米軍を支援する安保法制案に反対するとは何事か?」と言われそうだが、筆者の当時の考えは以下であった。

憲法第九条は「日本は軍隊を持たない」と規定しているのに、実際には自衛隊という名の交戦可能な軍隊が既に存在している。これが第一の矛盾である。
憲法上は軍隊を持っていないはずの日本が、有事には米軍に軍事協力するというのは更なる矛盾である。
安倍内閣(当時)は、まずは正々堂々と国民に自衛隊の存在の是非を問うべきである。憲法と国の実態との矛盾を放置したままで、小手先の法律成立で国民を誤魔化すことは許されない。

 

 上に述べたように、当時の筆者は既に憲法第九条の改定(自衛隊に関する規定の追加)を容認する考えを持っていた。この集会に参加した際、同じく参加していた某団体の方から「政府は平和憲法を守れ」という内容への署名を求められたが、上のような考えを述べて丁重にお断りした。筆者と同様な考えを持っていた人がこの集会の参加者の中にもかなりいたのだろうが、その割合はよくわからない。

 さて、この集会に参加して一年以上もたってから次の記事を読んだ。一読して目が覚める思いがした。この記事がきっかけで、それまでの日本の安全保障に対する自分の考えを根本的に転換することとなった。

「「9条は全面削除しても何の支障もない」 戦争を放棄したのは日本だけではない」

 この記事で紹介されている篠田英朗・東京外国語大学教授の主張の概要を以下に示しておこう。

・「戦争放棄」は日本国憲法だけが規定しているのではなく、元々、1928年に日本も含めて主要国が締結した「不戦条約」と、第二次大戦後に成立した国連の「国連憲章」にその主張が明確に定められている。
( 国連憲章 2条4項 :すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。)

・したがって、日本も含めて、不戦条約に署名した全ての国、国連に加盟した全ての国には戦争を放棄するべき義務がある。(ただし、戦争を始めた国に対する実効性のある罰則はない。)

・集団安全保障と自衛権に基づく武力行使は「戦争」には該当せず、集団安全保障と自衛のための戦力を持つ権利は、不戦条約と国連憲章に同意した全ての国が有している。ゆえに、現在の日本国憲法のもとで、外国からの攻撃に対して日本を守るための自衛隊が既に存在していることは「違憲」ではなく、何の問題もない。

・日本は現憲法の元で既に70年以上も平和国家として国際的に貢献して来た。国連に加盟している以上は、戦争放棄を既に了承し、かつ自衛権を持つことも保証されているのだから、憲法九条は削除してもかまわない。ただし、国際的に誤解を招く恐れもあるから、現行のままであってもさしつかえはない。

 

 要するに、「外国からの攻撃に対して日本を守るためには、憲法を改正して自衛隊の存在を公認する必要がある」という主張は、不戦条約と国連憲章の内容を未だによく理解できていない人たちが言っていることだということになる。

 既に解決済のことを、ことさらに選挙のスローガンとして声高に主張しようとするのは、意図して国民を特定の方向に誘導しようとするポピュリズムの一種と評すべきなのかもしれない。憲法九条に関する不毛な論争は、もういい加減にやめるべきだろう。なお、最近政界の一部で唱えられている「先制攻撃容認論」は自衛権の範囲を超えるものであり、不戦条約と国連憲章とに違反していることは明らかである。

 

(4)「核共有」論について

今年の三月に安倍晋三元総理が「ウクライナNATOに入って欧州のように核共有していれば、ロシアの侵攻のようなことは起こらなかっただろう」との発言をした。

「「核共有」安倍元首相 “現実直視し日本も議論進める必要ある” 」

この「核共有」という制度の内容についてあらためて見ておこう。

wikipedia「ニュークリア・シェアリング」

上記の解説の「歴史」の項を読めばわかるように、欧州の核共有制度は冷戦の時代の遺産とも言うべきものである。ソ連崩壊の前には480個の米国の核兵器が欧州に配備されていた。現時点では核爆弾100個に削減されている。まだロシアがどう出るのかはわからないので、とりあえず幾分かは残しておこうというものである。

日本には「非核三原則」があり、核兵器はつくることも、持つことも、外部から搬入することも禁止すると国際的に宣言している。この原則を破って米軍の核兵器を国内に持ち込んだらどうなるか。敵国からの攻撃の際には核兵器を置いている基地が真っ先に核攻撃の目標となることは明白だろう。(提唱者に敬意を表す意味で山口県岩国基地が適当かもしれない。)

 このシリーズの二回目で既に述べたように、日本が中国やロシアと全面核戦争を戦っても到底勝ち目はないのである。数発の核兵器を持っている程度では抑止力にはならない。かと言って、中国に対して戦おうとする日本のために、米国が全面核戦争に踏み込んでまで支援するとは到底思えない。「通常兵器は支援するが、被害が米本土まで及びかねない全面核戦争には、とても付き合えない」というのが正直なところだろう。

 ロシアについては、そもそも彼らには天然資源をほとんど持たない日本を攻撃して占領する理由が無い。北方領土については既に実質的に占有済なので、後は日本人がそのことを忘れてくれるのを待っていればよい。日本については、時々武力で威嚇することで、技術と資金面でロシアに協力させればそれで十分と思っていることだろう。

安全保障の専門家の意見も、総じて日本の核共有については否定的である。

「米の核専門家が詳説「安倍元首相が提起の核共有、日本の安保にメリットない」」

 

 そもそも日本、韓国、台湾の東アジア三カ国は、他国との円滑な貿易なくしては経済的には国の存続が不可能なのである。農業生産性の高い水田耕作を長年続けてきたことで、人口稠密となると共に協調性と勤勉性が養われ、近代産業、特に製造業に適した人材を大量に生み出すことで経済発展を遂げることができた。しかし、その結果として狭い国土に多くの人口を抱えるようになったために、海外からの資源の輸入なくしては現在の生活水準が維持できない経済構造となってしまったのである。

 これら三か国のエネルギーと食料の自給率が著しく低いことはこのシリーズの第二回目で既に見た通りだ。三カ国が得意とする製造業においても、素材となる鉄以下の金属原料や、化学原料の大部分を海外からの輸入に頼っているのである。

 仮に、今後、日本が核武装に踏み切ったと仮定しよう。唯一の被爆国である日本ですら核武装したとなれば、世界中の国に自国も核武装してよいというお墨付きを与えたようなものだ。日本に続いて韓国も核武装することはほぼ確実である。

 世界のあちこちで、特に国家間の対立が激しい中東やアフリカで小規模の核戦争が始まりかねない。結果的に世界各国の関係は複雑化し、世界経済は第二次世界大戦前と同じくブロック化の度合いを強めるだろう。自由な貿易なくしては国の現状すら維持できない日本にとっては、最悪の展開となるだろう。

 独裁傾向の強い政治家ほど核兵器を持ちたがる。その代表的存在が今年二月に亡くなった石原慎太郎であった。安倍晋三氏が突如として「核共有」の議論を持ち出したのは、自分の支持者に向けて進軍ラッパを吹いて勇ましい姿勢を見せただけのことなのだろうが、核共有が持たらす結果を熟慮した上での発言ではなかったことも確実だろう。その点では、いかにも彼の持つ資質にふさわしい発言であったと言えるのかもしれない。

 今年の秋に習近平の三期目続投が正式に決まったならば、中国に進出している日本企業は台湾有事時のリスク回避の具体策の検討を早急に始めるべきだ。少なくとも中国への新規投資は棚上げするべきだろう。

 また、日韓米政府と欧州諸国とが連帯して台湾侵攻後の強力な経済制裁内容を事前に中国に突き付けておけば、習近平もある程度は侵攻を躊躇する可能性はあると思うが、どうだろうか。

/P太拝

中国の台湾侵攻の可能性について(3) -中国の政局、侵攻時の予想シナリオ-

 経済面についての前置きが長くなったが、ここでやっと今回の本題に入ることにしよう。

 中国の台湾侵攻の現実可能性が高まって来たとされる大きな根拠のひとつが、2013年に発足した習近平政権の強硬な姿勢である。習近平が現在掲げている国政運営の大方針が「中国の夢」であり、その内容は「中華民族の偉大なる復興」と「一帯一路」の二つから構成されるものとしている。

 このうちの前者は、2002年の共産党第16期全国代表大会において、「共産党の使命」であると既に公表されており、習近平政権以前から存在していた方針である。その意味では、仮に今後、習以外の人物がトップの座に就くことがあっても、この方針は原則的に維持されるだろう。後者は習近平政権になってから新規に打ち出された方針である。

 この「中華民族」という概念は、漢民族を主体にその周辺のモンゴル、ウイグルチベット等々の少数民族を包括するものであり、この概念が現在中国政府が推進している少数民族の固有の文化と言語の抹殺、漢民族への同化・吸収政策の理論的根拠となっていることは間違いない。また、この概念は、元々から中国固有の領土であった香港や台湾の住民に対して、北京の共産党政権の指導に反するような勝手な振る舞いを許さないという政策の根拠にもなっている。

 「中国の夢」政策の最終目標は、「21世紀において、中国が世界ナンバーワンの強国になること」とされている。その目標達成のためには、「台湾併合」は習近平政権にとっては避けて通れない最優先の課題だろう。

 かっては日本に奪われ、次には大陸を追われた国民党の逃げ込み先となった台湾を取り戻して「中華民族の偉大なる復興」を達成し、さらに半導体生産技術で世界をリードする存在となった台湾経済を取り込むことで、この分野で経済的に米国よりも優位に立つという二重の成果を挙げることができるのである。

「自分の住んでいる国・地域こそが世界一」と思いたがるのは各民族・各地域住民に共通する傾向であり、それはそれで良いのだが、度が過ぎると近所迷惑になる。「ドイッチュラント・ユーバー・アレス(世界に冠たるドイツ)」の歌がナチス政権下のドイツ国民を世界征服に駆り立てる一因となったのは歴史的事実だ。
「ドイツ国歌の歌詞とその知られざる歴史!」

 かっての大日本帝国もまたしかり。今は中国が、その「各国がいつか来た道」に足を踏み入れようとしている。中国国内には、「偉大なる中華民族」に無理矢理に組み込まれて迷惑している人々が、モンゴル、ウイグルチベットの合計だけでも、少なくとも二千万人以上はいるだろう。近年、英国との国際的合意を反故にして香港の約750万人が強制的に北京政府の支配のオリの中に組み込まれてきた経緯は、習近平の持つ「偉大なる中華民族」という名の固定観念の強固さを示している。次は台湾の2300万人が習近平の標的となる番である。

 当ブログで繰り返し書いて来たように、経済的観点からも、また道義的に見ても、戦争は全く無意味な行為でしかない。にも関わらず戦争を始めるのは、常に、利己的かつ固定的な観念を持つ支配者層か、過去のヒトラーや現在のプーチンのような固定観念の囚人と化した独裁者なのである。習近平もすでにその資格は十分に有している。

 

(1)中国国内の政治状況

 従来、この秋に予定の第20回党大会における習近平の三期目の総書記への就任決定は既に既定事実との見方が多かったのだが、最近になって急に風向きが変わって来たようだ。以下、引用記事の羅列で申し訳ないが、最近一、二か月のこの件に関する各メディアに掲載された記事を紹介しておこう。

「習近平が街頭やネットから消えた!異常事態の裏で増し始めた“中国ナンバー2”の存在感」

 習近平政権No.2の李克強首相は年々その存在感が薄れ、今年限りの二期十年で引退するとの観測が従来はもっぱらだったが、最近になって地方から急速に支持基盤が広がり始めたようだ。

 現実を重視する実務家であり、習のように自分の観念を周りに強制する傾向は少ないので、彼が習にとって代わるようなことがあれば、台湾侵攻の可能性は当面はかなり下がるだろう。習近平毛沢東に例えるならば、明らかに、李克強は鄧小平とよく似た立場にあると言ってよい。

「ついに飛び出す怪情報「習近平退陣」、そのウラで「反習近平勢力」が結集か」

 少年時代に経験した文化大革命の悲惨さと、日本留学時に発生した天安門事件の衝撃から、最終的には日本への帰化を選択した石平氏による記事である。前半では最近の退陣のうわさは願望に基づくガセネタにすぎないとしているが、後半では李首相に関連する人民日報記事の明らかな変化について指摘している。このように、李首相関連の記事の最近の変化について複数のメディアが異なる事象についてそれぞれに報道している所を見ると、やはり何らかの変化が深い所で進行中とみた方がよいのだろう。

「習主席“生涯主席”への道に異変!?政権No.2が“ゼロコロナ”に異議…専門家「共産党の分裂が見えるダメ状況」」

 中国ウォッチャー歴が長い福島香織氏が解説している。上の二つの記事の内容とカブるが、習近平の「ゼロコロナ」政策への地方からの反発が李克強をことさらに持ち上げる傾向を強め、李首相自身もその流れに乗ろうとしている構図が想像される。注目されるのは、習近平が自身への求心力を再び回復するために、「台湾侵攻」の日程をむしろ早めようとしているのではないかという福島氏の指摘だ。

 今後、さらに習近平への批判が強まるのかもしれないが、習近平が簡単に引退するとも思えない。2013年に「大トラもハエも一緒に叩け」と反腐敗運動を号令。以来、人民解放軍制服組のトップであった徐才厚、国内治安担当の政治局常務委員であった周永康、2012年3月に未遂に終わったクーデターを計画したとされる元の政治局委員兼重慶市書記の薄熙来と、先例を破って党内の大物を次々に逮捕し投獄して来た。

 特に軍に対する締め付けは強烈であった。「腐敗の温床になる」として、軍がそれまで資金源としてきた民間向けの有償サービス(病院、ホテル、食堂、マンション等々)を全廃せよ、との通達を2016年に出したのである。長年の既得権益を一気に否定された結果となり、習を恨むようになった軍関係者は数多くいることだろう。

 余談だが、筆者が2000年代に中国への長期出張を頻繁に繰り返していた当時、どこの街にも軍が経営するホテル、レストラン、マンションがたくさんあることに驚いた記憶がある。「これだと街の風景を撮影するたびに、軍の関係施設が写ってしまうなあ。スパイに間違われるかも・・・。」と思ったものである。(いちおうは冗談だが、その可能性はある)。

「「軍部隊は3年以内に商売をやめよ」 中国人民解放軍中央が通達」

 強権を振り回して強引に改革を進めて来た習近平に対する各方面からの反感には非常に根強いものがあるのだろう。いったん彼がトップの座から降りた場合には、今まで痛めつけて来た部門から逆に報復される可能性がある。強権で各勢力を抑え込んできたトップには、さらにその権力を強める以外には生き残るすべはないのである。

 党総書記経験者の江沢民胡錦涛は、現在は穏やかな引退生活を送っているようだが、彼らは、少なくとも党内や軍に対しては、ある程度は妥協を繰り返して来た。就任以来、一貫して党内や軍の反対派を強硬に排除してきた習近平の場合、将来の批判を回避し自身の身の安全を確保するためには、引き続きトップの座にしがみつく以外には選択肢がないように思える。

 さて、習政権の動向に関する一番新しい記事を挙げておこう。習近平がコロナ対策でも経済対策でも自縄自縛で動けないままに、この夏の「北戴河会議」を迎えようとしているという指摘だ。
「中国、解けない自縛 「習1強」体制に試練の夏」

 考えてみれば、習近平の政策とは「中国のかっての威光を再びとりもどそう」と主張しているだけであり、国内政策は新味に乏しい。「習近平思想」なるものも、彼独自の思想などは特にはなく、彼の今まで発言の寄せ集めに過ぎないのだろう。党内権力闘争の戦術面で秀でていることだけが一番の強みなのかもしれない。こういうタイプは、一度手にした権力は絶対に手放そうとはしないものだ。これから秋の党大会までの間に何が起こるのか、要注目である。


(2)台湾併合のシナリオ

習近平が最近の批判の波を乗り切って今年秋に三期目就任が決まれば、いよいよ台湾併合への動きが現実のものとなって来るだろう。武力侵攻に踏み切るとすれば、それはいつになるだろうか。

 先回、先々回で見てきたように、これから中国経済は停滞時期に入ることは確実だろう。民衆の、特に失業率の高い若年層の政府に対する不満も時間とともに高まっていくことになるだろう。ウクライナ侵攻以前のプーチン政権において何度も見て来たように、対外侵略は政権の支持率を上げるためには大いに有効な手段である。中国にはまともな選挙は存在しないが、それでも政権が常に民衆の支持を得ようと心がけていることは間違いない。

 2010年に中東各国で始まった「アラブの春」の当時、筆者は中国に長期出張していた。その頃の中国のテレビニュースでは、現地に派遣された中国軍艦がチェニジアやリビアに滞在している中国国民を救出するシーンをトップニュースで報道していた。

 「中国も最近は変わったものだ。昔の毛沢東の時代とは大違いだ」とこれを見て思ったものである。それというのも、毛沢東が1957年11月に、ソ連で開催された世界の共産党及び労働党の大会において、「核戦争が起こったら、全世界27億人の半数が死に半数が残るという。中国6億人の半分が死んでも3億人が残るのだから、何が大したことがあろうか」と発言していたという話を知っていたからである。
「日本人が知らない中国の宇宙開発の脅威」

 ただし、中国政府が気にかけているのは、「政府が常に国民のことを思いやっている」と国民に印象付けて信じ込ませること、あくまで国民の総意が共産党政権から離反しないことだけなのである。

 中国政府には個々の国民の運命に対する関心は元々から無く、その人権や財産権について法的に保証をするつもりもないことも確かである。国民相互間の情報伝達を寸断して孤立させ、「自分が不幸なのは自分に運がないから、もしくは努力が足りないから」と信じ込ませる。不満を持つもの同士が連帯して政府に対する抗議行動を開始することを、さらにそれが全国に飛び火するのを中国政府は何よりも恐れているのである。

 民衆の経済的不満が深刻になる前に「台湾を片付けてしまう」ことで共産党政権への信頼を強固にしようとするならば、侵攻の時期は意外に近いように思う。

 ウクライナ戦争は今後数年は続くという観方が主流になってきており、その間は米国も対中国政策に専念することは難しいだろう。その間が侵攻のチャンスである。

 しかし、仮に台湾に侵攻しからて終結までに何か月もかかるようであれば、当然その間に西側からの制裁や物流混乱が生じるだろうから、侵攻に時間がかかけばかかるほど、中国経済はそれに比例して落ち込むことになる。長期の戦争はかえって政権に対する国民の離反を招くことになるだろう。今のロシアの状況と同じである。

 台湾併合への道筋としては、具体的には以下の三つの選択肢のうちのどれかを選ぶことになる。

① 親中国派が国政選挙で勝利し、議会主導で併合へ

 習近平が対香港政策で警察暴力による民主勢力弾圧という決定的なミスを侵した結果、これに反発する台湾の民意、特に若年層のそれを中国との併合拒否へと追いやってしまった。今後数年でこの状況が元に戻るとはとても思えない。なお、2020年に再選された蔡英文総統の任期は2024年までである。

 下の記事に見るように、「もし中国が台湾を統一する際に武力を使用したら、台湾防衛のために戦うか」という質問に対して「戦う」と答えた人が72.5%にものぼっている。与党・民進党支持者のうち90%、野党・国民党支持者のうち過半数が、中国の侵略に対して『戦う』という考えを持つという指摘もある。いったん民主主義と自由な社会とを享受した台湾人、特に若年層が、自由と人権を踏みにじる中国共産党流の圧政を自ら選択するとは到底思えないのである。

「台湾人の高い祖国防衛意識」

 

② 経済封鎖による圧力

 中国が海軍や大陸からの巡航ミサイルを使って台湾と各国間の海上輸送を封鎖した場合、日本と違って既に臨戦態勢にある台湾軍がそれを見過ごしたままにするということはあり得ない。早い段階で次に示す武力衝突へと移行することは間違いない。

 また、仮に、中国政府が大陸に数多くある台湾企業の工場を接収したとしよう。その場合には、台湾企業の主要顧客である欧米日は中国に対する経済制裁を実施するだろうから、中国からの台湾企業製品の製品輸出が止まる。結果として台湾企業の価値を棄損させた上に、台湾企業に勤めていた自国民が大量に失業することになる。さらに輸出先とサプライチェーンの喪失により国内失業者の増加と景気悪化を招く結果となるだろう。

 仮に中国と台湾との間に武力衝突が発生したとしても、その程度が軽い場合には、中国政府は自国内の台湾企業の操業を黙認し続けるというような奇妙な事態が発生するのではないだろうか。

 

③ 武力侵攻

次の記事は英国の通信社であるロイター紙による昨年11月時点のもの。ロイターは、台湾、米国、オーストラリア、日本の軍事専門家10人以上、さらに現役と退役軍人15人にインタビューをし、専門メディアのほか、米軍や中国軍、台湾軍が刊行する出版物も参照してこのシナリオを作成したとしている。

「台湾危機「T─DAY」、6つの有事シナリオ」

  このシナリオでは、中国の台湾侵攻は以下の段階を経て進むものとしている。

 ①大陸近くにある離島(馬祖・金門)への封鎖・侵攻

 
 ②台湾本島に対する物流と往来の分断・封鎖。これに対抗して台湾軍はもとより、米軍と自衛隊も封鎖を実行している中国軍艦船を攻撃。

 
 ③中国は台湾の軍・民間施設に対する空軍とミサイルによる大規模攻撃を開始。台湾軍は中国空軍機とその基地に対する攻撃で対抗。


 ④中国軍はグアムと日本の米軍基地を空軍とミサイルで攻撃し米軍の動きを制止。さらに揚陸艦で数十万人の人民解放軍兵士を台湾に上陸させ、かつ空からは政府要人殺害を目的とする特殊部隊を降下させた。これに対して米軍に自衛隊と豪州軍を加えた台湾支援国軍が、中国軍やその艦艇、基地を攻撃。東アジアで大規模な戦争が始まった。

 このシナリオは軍人や軍事専門家の意見を参考につくられたものであるがゆえに、軍事的観点以外の政治・経済などの要因は完全に無視している。また、危機をあおればあおるほど軍事部門への予算は増額されることは間違いないのだから、一般に軍人や軍事専門家には事前に想定する戦争の範囲をどんどんと拡げてしまう傾向があることは、彼らの話を聞く前に十分に承知しておかなければならない。

 実際にはこのように事態が純軍事的に段階を追って急速に深刻化する可能性はあまり高くはないだろう。というのは、このシナリオの通りに米軍と自衛隊とが台湾の要請に応じてすみやかに軍を派遣して中国軍を攻撃するかどうか、大いに疑問だからである。

米国の軍隊投入の権限は大統領と議会の両方が分割して保有するものとされているが、大統領側のみの決定による軍隊派遣の例が多いため、ベトナム戦争の敗北を契機として1973年に大統領の戦争関与への権限を制限する「戦争権限法」が成立した。

 しかし、この法律の成立後にも、大統領の判断のみによって軍が派遣された例は多い。具体的な事例の詳細については次の資料を参照されたい。なお、この問題は国の安全保障を米国に大きく依存している日本にとっても非常に重要である。

「米国における軍隊投入の権限」

 今回のウクライナ戦争では、バイデン大統領は最初から「米軍を派遣しない」との公式声明を出していた。昨年のアフガニスタンからの米軍の早期撤退に見たように、米国内の世論は民主党共和党支持者ともに共通して「軍隊の外国への派遣に対する拒否感」が強まっている。今後の米国内の選挙のことを考えれば、米軍の台湾出兵が実際に行われるとは考えにくい。

 結局、現在のウクライナと同様に、米国は台湾には米軍を派遣せず、武器のみを供与して「台湾軍だけで戦ってくれ」ということになるのではないか。台湾侵攻の際には、同時に中国軍は台湾島を完全に海上封鎖するだろうから、エネルギーをほとんど自給できない台湾が何か月も戦い続けられるとはとても思えない。そこが、NATO諸国と地続きであり補給が可能なウクライナとは違う点だ。

 中国軍が台湾海峡を渡って上陸する過程で、台湾側の攻撃によって中国側には膨大な数の犠牲者が出るだろう、故に中国軍の台湾侵攻のハードルは高いはずだとの指摘は多い。しかし、それらの論者は、台湾が中国の海上封鎖を破って補給路を確保しようとすれば、台湾側にも同様に多数の犠牲者が出るだろうということを忘れている。

 中国軍は国内の戦意高揚のためにいくつかの台湾の離島を占領するのかもしれないが、台湾本島への上陸は控えてミサイルや空軍によるインフラや軍事施設の破壊にとどめ、台湾への輸送路を閉鎖して台湾がネをあげるのを待つ戦術を選ぶ公算が高いだろう。その場合には、中国は西側からの経済制裁を受けることになるだろうが、経済的損失に伴う中国国内の不満の増加と、台湾がネをあげるのとどちらが先かということになるのではなかろうか。

 台湾侵攻開始以降は、当然、中国政府は愛国心高揚のためのプロバガンタ情報を国内向けに大量に流すことになる。海上封鎖を主として戦闘による軍の犠牲者数を最小限に抑えた場合には中国国内からの不満も起きにくく、国民の政権支持はむしろ強まる可能性が高い。米国が軍を派遣しない場合、長く持っても数か月以内に台湾は中国に屈服することになるだろう。

 

「台湾が中国に攻撃されても米国はウクライナ危機と同様、軍を送らない。しかし……」
「自分たちで守れ? 台湾有事でも派兵しない米国」

 

 もちろん、米国と中国との間で軍事衝突が起きる可能性もまだ十分に残っている。中国による台湾の海上封鎖を打破すべく米国海軍・空軍が台湾近海に出動した場合には、その可能性が非常に高まる。

 実際にそのようになるかどうかは、中国による侵攻と海上封鎖が開始されてからの米国内の世論の動向しだいだろう。米国と中国の間の軍事衝突が大規模になれば、上で紹介した有事シナリオが示すように、在日米軍基地が、さらには自衛隊基地が攻撃される可能性が高まる。

 日本の自衛隊が中国の台湾侵攻に対して台湾への軍事支援を始めるかどうかは、全く米軍の選択しだいなのである。

 2015年に成立した「安全保障関連法」(平和安全法制)の趣旨は、「・・我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態に際して実施する防衛出動その他の対処措置・・」とある。

 中国の台湾への武力侵攻自体が「我が国の存立が脅かされる事態」そのものに直接相当するとは断言できないのかも知れないが、その結果として台湾に中国の海軍・空軍基地が設置された場合には、日本の輸出入のための海上航路が、特に中東からエネルギー資源を輸入するためのシーレーンが、現在よりもはるかに脅威にさらされることは明白だろう。

 そうなった場合、中国から見れば日本は「第二の台湾」的な存在になるだろう。中国は日本までも軍事的に占領するつもりはないのだろうが(無人尖閣諸島は別として)、軍事力を背景としての圧力を日本にかけ続けることで、米国との関係を弱めさせつつ、日本の持つ経済力と技術力を自国のために提供させてとことん利用しようとする可能性は高い。

 台湾が中国のものになった後に来るのは、世界を二分しかねない本格的な米中対立である。人類は再び全面核戦争の恐怖にさらされることになるだろう。

 人口動態と移民比率から見れば将来の中国の没落は明らかだが、国力がピークのうちに米国に挑戦して中国の歴史に自分の名を残したいというのが習近平の基本構想のように思われる。

 このような事態を回避するためには、第一には「習近平の退陣」が、第二には「台湾を失った場合に起こる将来的な中国の脅威を、米国民に分かりやすく説明して知らしめること」が必要なのだろう。いずれも日本が直接には手を出せない「他力本願」でしかないのが歯がゆいのだがが、これが今の現実なのである。

 以上、なるべく客観的にこの問題を考えてみたいがために個人的な感情は控えて来たのだが、筆者自身の感情としては、日本と同様に自由と人権と多様性とを保証している台湾が、強権的で抑圧的な中国に今後蹂躙されることになるのは到底許しがたいと感じている。しかし、今の現実は、我々の手のとどかないところでより悪化する方向に進みつつある。いったいどうすればよいのか。

 たいしてアイデアがある訳ではないが、ひとつだけ言えることは、中国の現政権と中国国民とを同一視せず、はっきりと区別して考えるべきだろうということである。

 そもそも、習近平政権は中国国民によって正当に選出されたものではない。中国共産党の長老たちが相談して、それまでの路線の継続と引退後の自分たちの地位とを保証してくれそうだということから選んだ、というだけの人物に過ぎない。彼が中国人民を代表しているとは全く言えないのだから、習政権のふるまいがいかに横暴であっても、それゆえに直ちに中国人全般を批判すべきだということにはならない。ある意味では、この先、中国人も、台湾人と同様に習政権の被害者になり得る可能性は高いと言ってもさしつかえないだろう。

 国家間の関係も、人と人のあいだの関係と共通する点が多い。相手への憎しみを募らせれば募らせるほどに、相手からはさらに大きな憎しみが返ってくるだけの話なのである。両方の国民が互いに相手をののしり合うことでいっとき自己満足すればするほどに、事態はより深刻に、かつ、より悲惨になるのである。一般の中国人が「自分たちも現政権の被害者である」ということに気づくようになることが、この問題の解決のひとつのカギとなるように思う。

/P太拝

中国の台湾侵攻の可能性について(2) -各国の自給率と貿易-

 先回からの続きです。

 

(3)各国の自給力

 20世紀以降、国家間の大規模な戦争はいわゆる「総力戦」へと移行した。現代の戦争とは、自国の経済体制を極力維持しながら敵国のそれを破壊することで、結果的に軍事的優位を獲得しようとする競争であると言い換えることもできるだろう。

 各国のエネルギー・食料・金属材料等の自給力は、戦争における経済的耐性を示す指標として最も重要であると考えられる。いくら最新鋭の軍備を備えていても、それを稼働させ、かつ必要な消耗品を製造するためのエネルギーや材料が無くなれば敗北は避けられない。同様に、兵士や国民が生きていくための食料が無くなれば、降伏する以外には選択肢が無いのである。

 また、現実問題として、核兵器で攻撃された場合の耐性も検討せざるを得ない。人口密度が高い国の場合、人口希薄な国に比べて一発の核爆発から受ける被害がはるかに大きくなるのは当然のことである。

 次の表に主要各国の一次エネルギーと穀物自給率を示す。上から一次エネルギー自給率が大きい順に示した。穀物は家畜類の飼料にもなるため、穀物が不足すれば肉食も大きく制限されることになる。また、石油が足りなくなれば、漁に出て魚を獲ることも不可能となる。エネルギーを自給できる国は、たいていは国土が広いので穀物自給率も高いのである。

 現在、過去に例を見ないほどの世界的規模でロシアに対する経済制裁が実施されているが、あまりその効果が出ていないように見えるのは、同国のエネルギーと食料の自給率が極めて高いことが背景にある。半導体の在庫が無くなればミサイルや戦闘機は作れなくなるだろうが、エネルギーと食べ物がある限りは、国内で小銃、旧式の大砲、弾薬くらいは作れるだろう。戦意の喪失さえなければ、ロシアはいつまでも戦い続けることができるのである。

表-1 各国の一次エネルギーと穀物自給率、人口密度、国土面積の比較

(クリックで図、表が拡大。以下同様。)

・参考文献

「主要42か国 エネルギー自給率ランキング」  幻冬舎ゴールドオンライン

「エネルギーの安定供給の確保」 日本原子力文化財

「日台若手研究者共同研究事業 研究成果報告書」 日本台湾交流協会

「スイス エネルギー事情」 日本エネルギー経済研究所

「主要先進国食料自給率ランキング」 Image of Japan

 

 この表からまず言えることは、日本、韓国、台湾は、地域的な小規模紛争はともかくとして、自給率の点から見れば、国を挙げての長期的な戦争はまず不可能だということである。これら三カ国はエネルギーと食料の大部分を海外からの輸入に頼っている。

 韓国は地理的には島国ではないものの、敵対する北朝鮮の存在によって大陸から実質的に切り離されているので物資の輸出入は海上を経由するしかなく、ほほ島国に等しいと言ってよい。敵国によって海上封鎖が実施されれば、この三か国が何か月も戦争を続けることはまず不可能だろう。

 日本は石油ショック以来、原油国家備蓄を200日分以上保ち続けて来たが、敵国が国内各地の備蓄基地(国家石油備蓄基地)にミサイルを撃ち込めばこの備蓄はすぐに燃え尽きる。次の日からは、我々がマイカーを運転することはもとより、トラックによる国内物流すらも困難になるだろう。また、日本が自給できている穀物は米だけである。小麦の輸入が止まれば、我々が毎日のように食べて来たパン、ラーメン、うどん、お好み焼き等々は、一転して高嶺の花と化すだろう。

 一つの国家に対する海上封鎖という処置は、1962年10月の「キューバ危機」の際に米国がキューバに対して約一か月間実施した例がある。現在のウクライナ戦争でも、ロシアが黒海制海権を握ることでウクライナへの海上経由の輸出入が不可能な状態にあり、ポーランド等の隣接国からの陸上輸送に頼るしかない。次回で紹介するが、中国は台湾に対する海上封鎖を既に検討中だという話もある。

 日本が今後いくら軍備を充実させてみても、海上封鎖を実施されたらひとたまりもなく降参するしかないだろう。封鎖といっても、各国が競って長距離巡航ミサイルを配備するようになった現在、敵対国はその保有する艦隊を日本の周りにぐるりと配置する必要はない。

 原油や食料を積んで日本に向かって航行中の民間の船に向けて、自国領土から巡航ミサイルを発射して撃沈、もしくは大破させればよいのである。射程距離1000km以上の巡航ミサイルが各国で開発されており、その多くは既に配備済である。(中国は、2012年時点で既に最大到達距離4000kmの巡航ミサイルを開発中とのこと。「Hongniao」

 このような事件が一件でも起これば、世界中の海運業者は直ちに日本への航行をいっせいに止めるだろう。自衛隊イージス艦を日本籍の輸送船にいちいち張り付けて防衛する対策などは、数量的な面で実際にはほぼ実行不可能だろう。原油・石炭や食料、製品の原料や部品が輸入できず、国内で作った製品を輸出することも不可能になった日本は、いったい何か月持ちこたえることができるだろうか。

 まさに「日本殺すにゃ、核ミサイルはいらぬ、タンカーの一、二隻も沈めればよい」のである。

 最近よく聞くようになった「敵基地先制攻撃論」も、実際には絵にかいた餅でしかないだろう。移動車両や地下基地、さらには潜水艦からのミサイル発射が一般的になってきた現在、敵対国による発射の予兆を察知することは非常に困難となっているはずだ。

 また反撃するにしても、敵対国内を移動する車両から巡航ミサイルが発射された場合には、どうやって発射地点をリアルタイムで精密に把握して反撃するつもりなのか。敵対国の大都市の人口密集地からミサイルが発射された場合には、そこに向かって撃ち返す覚悟はあるのか。撃ち返した瞬間から、日本の大都市も同様に報復の対象となるのである。

 選挙での受けを狙った、威勢がいいだけの単なる言葉遊びにすぎない一般論ではなく、実際に敵国の攻撃を事前に思いとどめさせるに足る、有効性のある具体的な議論が必要である。

 核保有国について言えば、英国とフランス(この表には記載していないパキスタン北朝鮮イスラエルも含む)を除けば、いずれもその国土面積が日本の8倍以上の地理的大国であることがこの表から判る。日本のような国土面積が小さな国が、大きな国土を持つロシアや中国と全面的な核戦争を行っても到底勝ち目はない。

 例えば、中国が既に配備済の弾道ミサイル「東風-31」の爆発力は1メガトンであり、1945年に広島に落ちた原爆の66倍に相当する。現在、中国は核弾頭を約320発保有しているとされるが、そのうちの10発程度を日本列島に落とされただけでも、我が国には人が住めるところがほとんどなくなってしまうだろう。

 東風-31とほぼ同等の破壊力を持つロシアのミサイルが、東京の新宿都庁に撃ち込まれた場合のシミュレーション結果を伝える以下の記事を参考とされたい。


「暴走プーチンの核ミサイルが「東京・新宿上空」で炸裂したら…その「地獄」を完全シミュレーションする」


 攻撃されたお返しとして、中国の国土の少なくとも半分に同じ密度で核兵器を落とそうとすれば、少なくとも120発は必要になる。中国を核戦争の仮想敵国とみなした場合には、日本は1970年に批准した核拡散防止条約から北朝鮮と同様に脱退したうえで、今後、約100発以上の核兵器を製造して保有しなければならない。

 さらに中国の大都市には、過去の冷戦時代につくられた核シェルターが未だに大量に存在している。数年前に話題になった、北京のいわゆる「ネズミ族」の記事に見るとおりだ(次の記事は2017年のもの)。

「高級マンションの地下で400人が生活 中国・北京で」

 中国の大都市を核攻撃しても、一時的にせよ、中国国民の多くが核シェルターへと避難できる。当然、中国政府の中枢はその大半が従来のまま機能し続けることになるだろう。それに対して、現在の日本の大都市では、核戦争が起こった時に逃げ込める場所は地下鉄の駅くらいしかないのである。


 さらにロシアは中国の十倍以上の約4300発の核弾頭を保有している。核保有国は、自国への核兵器による攻撃に対する備えは既に完了しているだろうから、核攻撃に対する反撃として核保有敵対国の首都に核ミサイルを撃ち込んでみても、一般市民を大量殺傷するだけに終わり、敵対国の政権はそのまま維持されるだろう。

 日本の核武装の問題については次回でとりあげる予定だが、日本のような国土面積が小さな国が、今になってから独自に核武装を始めてみても、実質的な防衛効果はほとんど期待できないだろう。むしろ敵対国を刺激し、さらなる核攻撃力の増強を促すことで、日本が全面核戦争に巻き込まれる可能性を飛躍的に高めることになるだろう。

(4)各国の貿易依存度

 次に各国経済の貿易への依存度と、各国間のモノのやり取りの実態を見ておこう。

 表-2に各国の貿易依存度と各国の輸出・輸入に占める相手国別シェアの第三位までを示す。仮に中国が台湾に武力侵攻した場合、どの国の経済が物流面で混乱するかをこの表から推測できるだろう。

 なお、貿易依存度は次のように定義される。

・貿易依存度はGDPに対する貿易額の比率。
・貿易額は貿易輸出総額と輸入総額の合計値で国際収支ベース(FOB価格ベース・所有権移転ベース)。
・貿易額にサービス輸出・輸入は含まない。

 ここで「サービス輸出・輸入」とは、モノではなくサービスの形で国家間でやり取りされるオカネの動きのことで、最近ではモノの輸出入に匹敵する額に成長しつつある。

 一例を挙げれば、日本にやって来た中国人観光客が日本の航空会社の便で来日し、日本資本の寿司店で寿司を食べた場合には、航空代と食事代とが日本から中国へのサービスの輸出になる。また、彼が米国資本で運営されている日本のマクドナルドでビッグマックを食べた場合には、米国から中国へのサービスの輸出となる。詳しくは次のサイトを参考とされたい。
「経済産業省 サービス貿易」

図-2 各国の貿易依存度と主要な貿易相手国

                          「世界経済のネタ帳」より

 各国経済の貿易依存度については、台湾、スイス、韓国のように国の規模が小さく、かつ製造業が発達している国ほど高い傾向がある。逆に経済の貿易への依存度が低い国、要するに内需の割合が大きい国としては、米国を筆頭にインド、日本、中国と続く。日本の貿易依存度は意外に低い。

 かっての日本は西側世界への製品輸出で経済成長してきたが、現在では内需中心の経済に移行していることが判る。ただし、日本の貿易依存度が低いとは言っても、上で見たように経済活動と国民生活の基礎となるエネルギーと食料の大半を輸入に依存しているので、いったんこの輸入が止まった場合には、日本はひとたまりもない。

 次に国別の貿易相手国を見ておこう。この表の中に何度も登場する国を色で塗っているが、この図からわかるのは中国の存在の大きさである。特に中国からの輸入シェアが各国ともに大きな割合を占めており、中国からの輸入が止まった場合には、各国ともに大きな混乱を経験することになるだろう。

 ただし、中国からの輸入が止まって本当に困るものがいくつあるかを考えてみればわかるように、国民生活や企業活動の中で中国からでないと調達できないモノというのは、実はそう多くはない。以前問題になったレアアースタングステンなどの鉱産物に限られるようだ。中国は半導体ウェファーの材料である金属ケイ素とアルミニウムの生産でも世界生産量の半分以上を占めているが、これは同国に鉱石が偏在しているからではなく、国内の安い電力を使って大量に製錬しているためである。

 衣料品、玩具、食品、日用雑貨、等々、「値段が安くて、品質もそこそこ」というのが、現在各国が競って中国製品を買っている一番の理由だろう。元々は国内で生産していた製品を、コストの面から調達先を国内または他国から中国に切り替えたというケースが大半と思われる。

 仮に、台湾侵攻等の理由で現在のロシアと同様に中国に経済制裁を科すことになれば、当初は品不足で混乱するものの、時間の経過とともに国内生産や他国への輸入切り替えで対応できるようになるだろう。二年前に経験した、新型コロナ流行初期でのマスク不足と同様の流れになるはずだ。

 中国を含めた各国の全体をみれば、大きく分けて、東アジア・オセアニア、北米・中米、欧州と、三つの地域の中の近隣国間でモノをやり取りしているブロック化の傾向が認められる。中国との貿易が断絶した場合には、日本、韓国、オーストラリアが特に深刻な影響を受けることになる。

 中国自身も日本、韓国、台湾からは、最終的には全世界に輸出することになる電子・電気機器の部材・生産設備を大量に輸入し、オーストラリアやニュージーランドからはエネルギー資源や鉄鉱石、食料を輸入しており、これらのサプライチェーンが断ち切られれば、中国自身の経済にとっても大変な打撃となるものと予想される。逆に、これらの輸入材を積み増す動きが今後見られるならば、何らかの大規模な軍事的行動の前兆を示している可能性もあり得る。

 米国については、世界各国と広く取引している傾向が鮮明であると言ってよいだろう。

(次回に続く)

/P太拝

中国の台湾侵攻の可能性について(1) -各国の労働人口と経済成長率の比較-

 例年、今の時期は個人的に何かと忙しいことが多く、原稿を途中まで書きかけたままで一度も投稿しないうちに五月が過ぎてしまいました。

 ウクライナ情勢は膠着の度合いを強めているものの、当初心配された「プーチンによる戦術核の使用」については、下の5/20付けの記事に見るように、最近は否定的な観測が強まりつつあるのは歓迎すべきことでしょう。テレビ朝日は、このウクライナ戦争の報道に随分と力を入れているようです。

「プーチン大統領は「核を使えない」? 情報分析のプロ指摘 クーデターの可能性は」

 ウクライナ戦争よりもさらに我々日本人にとって身近で深刻となりそうな問題が、ロシア vs ウクライナの関係と、中国 vs 台湾の関係の類似性です。

 戦争は観念によって始まり、経済によってその勝敗が決まります。前者の例はナチスドイツの「アーリア人優越、ユダヤ・スラブ人蔑視思想」、大日本帝国の「大東亜共栄圏構想」、アメリカの「ベトナム=反共防波堤構想」等々。中国の場合には、彼らの持つ「中華思想、漢族優越思想」が、国内少数民族に対する深刻な迫害と台湾への侵攻可能性の主因となっていることは明らかです。

 今回の記事では、まず「中華思想」の地図上での具体例を確認、次に中国の人口動態と経済成長率を各国と比較しながら、中国の今後について考えてみたいと思います。

 

(1)中国の国恥地図

 ウクライナ情勢から中国による台湾侵攻が連想されるのは当然な話だが、この中国の台湾や尖閣諸島南シナ海、インド方面等への領土拡張の執念はいったいどこから出て来るものなのか。

 かっては東アジアで圧倒的な勢力を持っていた巨大な国が、過去二世紀にわたって欧米や日本に経済主権と領土とを次々に侵食された屈辱と恨みがその根源にあるのは確かだろう。過去の歴史については我々日本人も反省しなければならない点は多々あるが、だからと言って、過去の日本とよく似た強権的体質となってしまっている今の中国に「台湾をお好きなように」とは到底言えない。

 現在の日本と同様に平和裏に政権交代が可能な民主主義国(実態としては台湾は既に国)を、その国の国民の意志に反して、武力による威嚇や実際の武力行使によって強制的に併合するような暴力行為は到底容認できるものではない。

 この件を議論する上で、まずは中国が持っている自己勢力範囲に関する自意識を確認しておく必要がある。いったい中国は、地球上のどこまでを自分の勢力範囲として意識しているのだろうか。それを知る上での参考になるのが、約一世紀前に描かれたとされている、中国のいわゆる「国恥地図」である。

 ネット上で最近入手した「国恥地図」を下に紹介しよう。元々は日中戦争開始以前に、蒋介石の国民党政権が支配地域の小学校で中国の歴史を教えるための地図として作ったものらしい。

図-1「中国国恥地図」(図・表はクリックで拡大。以下同様。)

 この地図の詳細については、作家の譚 璐美(たん ろみ)氏が以下の記事を書いているので参照されたい。記事中の地図の表題は異なるが、地図自体は上の「図-1」に示したものと同一のようである。

「中国が考える本当の領土?「国恥地図」実物を入手」


 この地図は「元々、我が中国の領土はこんなに広かった」と当時の子供たちに主張するためのものだった。これを見ると、なぜ現在の中国共産党政権が例の「九段線」で南シナ海全域を自国の領海だと強硬に主張しているのか、その背景がよくわかる。

 要するに彼らは、この海の周辺のベトナム、マレーシア、タイ、ミャンマーなどは、以前から全て自国の勢力範囲であったと認識しているようだ。だとすれば、それらの国に囲まれた南シナ海も、当然その全てが自分たちのものという発想なのだろう。

 西側のカザフスタンの大部分、ウズベキスタンキルギスタジキスタンアフガニスタン、南側のネパール、ブータンインドシナ半島全域、インド領アンダマン諸島、東側の朝鮮半島全域と奄美琉球諸島、北側のモンゴルとバイカル湖以南のロシア領シベリアの南部、その全てが中華文明の勢力範囲とされている。幸いなことに日本の本土四島はその範囲内には含まれていないようである。

 この地図から、中国の持つ自らの勢力圏の判定基準として以下の三条件が推測できる。

① 過去に少なくとも一度は中国領土となった領域。(ロシアが進出する前の清王朝初期には、シベリア南部も清の勢力圏であった。)


② 最近まで継続して朝貢してきた領域。(19世紀まで朝貢を続けて来た李氏朝鮮阮朝ベトナムがその典型例。日本、フィリピン、インドネシアなどは過去に朝貢したことはあるが、最近数世紀は朝貢していなかった。「中原王朝に朝貢した政権の一覧」を参考とされたい。)


③ 以前は現在の中国国内に居住していたが、現在は国外に居住している民族の現居住地域。或いは、中国国内の少数民族と同質の民族が現在居住している国外の地域。(ベトナムラオス、タイ、ミャンマーなどは、以前は中国南部に住んでいたものの、漢民族による再三の圧迫から逃れて南下した民族が作った国とされている。清の時代に主に東南アジアに移住した華僑の現住地(シンガポール等)も勢力圏とされているのかもしれない。)

 ③の論理はロシアがよく使う屁理屈だ。「ロシア領のサハリン(樺太)には少数民族としてのアイヌ民族が住んでいる。北海道にもアイヌが住んでいるから、北海道も元々からロシア領のはずだ。」という主張を初めて聞いた時には、単なるジョークで言っているのだろうと思った。しかし、今回のウクライナ侵略で明らかになったように、ロシアとは徹底した「ジコチュー」国家であり、「自己中心史観」に凝り固まった「領土拡張が国是」の民族であることが判明したからには、どうやら本気で言っている可能性が高い。

 これと全く同じ論理を中国も頻繁に使っている。シベリアのバイカル湖の南側の現ロシア領(ブリヤート共和国など)は、モンゴル国と隣接していて昔からモンゴル族の居住地なのだが、ロシアのシベリア進出の過程で暴力的にロシア領にされた。モンゴル国が中国に帰属するならば「同じ民族が住んでいるロシア領も当然中国のものだ」という理屈になる。

 今後、中国の力が強くなればなるほど、ロシアとの関係が悪化するだろうと予測される理由のひとつには、この「中国国恥地図」にみるように両国間の領土観の対立があることが挙げられる。

 各民族が入り混じって形成されたこれまでの複雑な歴史を一方的に無視した、このような自分勝手な屁理屈が現代世界で通用するはずもなかろう。この主張が正当ならば、現在の中東地域の大半と東欧の南部は、19世紀のオスマントルコの後継者である現在のトルコ国に帰属することになる。また、フランスや英国など中欧・西欧の大半と地中海周辺国は、約二千年も前のローマ帝国の後継者である現在のイタリアによって支配されなければならない。

 一番問題なのは、各地域、各民族によってそれぞれに言語、習俗、価値観、文化が異なるのに、それらを全て否定して自分たちの言語や文化だけを一方的に押し付けようとしている点だ。ロシア、中国などのいわゆる大国のこのような姿勢は、人類が地球上の各地でそれぞれに育んできた豊かな文化を抹殺するものでしかない。現在進行中のチベット、新彊ウイグル内モンゴルの言語、宗教、習慣、文化の中国政府による迫害と圧殺はその最たる例である。

 漢民族は「自分たちの文化・政治体制こそが世界で一番」と思っているようだが、実際にはそんなにたいしたものじゃないことは、例えば、現在進行中の北京政府によるコロナ対策の大失態が立証しつつある。

 さて、習近平の頭の中には上に紹介した「国恥地図」が焼き付いているのかも知れないが、もはや、大国が領土拡張のために戦争を起こすような時代ではない。以下、話が少々脱線するが、いくら領土を集めてみてもどんどんと貧乏になっている国の典型が今のロシアだ。

 グーグルの創業者の一人であるセルゲイ・プリンは、ソ連時代のモスクワに住むユダヤ系の両親の元に生まれ、六歳の時(1979年)に両親に連れられて米国に移住した。彼がスタンフォード大学博士課程の同級生であったラリー・ペイジと共に1998年に設立したグーグルの持ち株会社であるアルファベットの売上高は年々急増、昨年は2576億US$(2021年)に達した。現時点での同社の時価総額は7257億$(2022/5/1時点)、日本円換算で約94兆円となり、ほぼ日本の国家予算に匹敵する巨額である。

 一方、ロシア全体のGDPは1兆7750億US$(2021年)、2022/5/1時点でのロシア市場の株式時価総額は2575億US$であり、日本円で約34兆円でしかない。ロシアという国全体のGDPは、米国の一企業であるアルファベットの売上高の約二倍強に過ぎず、ロシアの全ての上場企業の株式全体の価値の合計はアルファベット一社の約三分の一でしかない。しかもその会社をつくったのが自国から逃げ出した移民の息子だというのだから、これ以上の皮肉はないだろう。

 戦争を起こして領土を少し広げてみても、そこに埋まっている石炭・石油や鉱物資源を掘り出す以外には能がない国の場合、戦争をして獲得できる価値はたかが知れている。価値を獲得するどころか、むしろ自国と相手国の人の命を大量に奪い、両国がそれまでに積み上げて来たインフラを破壊し尽くしつつある。このような国をオロカと言わずして、いったい何をオロカというのであろうか。

 バカが「自己肥大妄想」という名の観念にとらわれると、ますますバカに、不幸になるという典型的な例だ。中国がこの二例目にならないことを切に祈りたいものである。

 アルファベットが所有している土地の総面積は自社ビルと世界各国の支店を合わせた程度でしかなく、ロシアの国土面積の何百万分の一程度でしかないのだろう。その代わりに、同社にはこれまで世界中を劇的に変えて来た知識・データと技術とが大量に蓄積されているのである。

 サービス業や情報産業が経済的付加価値の大半を占めるに至った現代では、もはや領土という概念には、人命をかけて争奪するほどの価値は失われつつある。

「世界の1人当たり名目GDP 国別ランキング・推移(IMF)」を見れば、首位のルクセンブルグをはじめとして、その上位にはアイルランド、スイス、シンガポールアイスランドデンマーク等々、自身では小さな領土しか持たない小国がずらりと並んでいる。現在、経済的価値の存在場所は、モノ自身から、モノを十分に活用するための知識とその知識を生かすためのシステムへと急速に移行しつつある。

 領土という概念に今後も価値があるとすれば、土地に依存せざるを得ない農林水産業、鉱業、観光等の産業や、自分が帰属すべき故郷や言語・風習などの感情の拠り所という性質に限定されることになるだろう。

 以前よりも領土の持つ価値が減るにしても、だからと言って他国の領土を暴力で奪って自国の領土にくっつけることが正当化されるわけではない。それは他国の国民の基礎的な生活基盤なり、故郷なりを暴力で奪い取ることでしかないからである。不良の中学生がクラスメートを脅し殴りつけ、その小遣いを奪い取っては不良仲間に自慢しているのと何ら変わりはないのである。

 

(2)中国経済の今後

 冷静な目で見れば、戦争ほど非合理的な政策選択は他にはないだろう。固定観念や妄想に囚われてその奴隷となってしまい柔軟な政策選択ができなくなったヒトラープーチンのような独裁者、あるいはかっての日本のように「場の空気」に支配された集団が、冷静な計算を意図的に無視した結果、戦争を引き起こすのである。生産力が何十倍も違う米国に対して、あえて開戦に踏み切った81年前の日本がその代表例だろう。

 固定観念への隷属や感情の暴発によって戦争は始まるのだが、その戦争の結末がどうなるかは、やはりその国の持つ経済力と他国への影響力によって決まることになる。その意味で、まずは中国、さらに日本や米国等の周辺国が持つ経済力を比較してみたい。(以下の各国の経済関連データは、主として「世界経済のネタ帳」から引用した。)

 

(2-1)生産年齢人口減少の影響

 過去三十年近くにわたって驚異的な経済成長を成し遂げて来た中国経済だが、今後その成長率が急減することは間違いない。その主たる要因としては、まずは中国でも人口減少が始まろうとしていることが挙げられる。水増し疑惑が再三指摘されている中国政府の公式統計によってさえも、既に2015年をピークに中国の生産年齢人口(15~64歳)の減少が始まっている。

 次の図に日本、中国、韓国、台湾、さらに欧米諸国の生産年齢人口と一人当たりの実質GDPの推移を示す。実質GDPとは名目GDPから物価上昇率を差し引いたもので、その国の実質的な経済成長率を示している。なお、この図の実質GDPは、その全てが各国のそれぞれの自国通貨で評価した値である。

 この図では各国の生産年齢人口がピーク値を取った年の値を100としてその人口の推移を左側の縦軸に、その生産年齢人口ピーク時の年の実質GDPの値を100としてそのGDPの推移を右側の縦軸に示している。図中の青と赤の矢印のあるところがその生産年齢人口ピークの年である。

図-2 各国の生産年齢人口と実質GDPの推移

 以下、この図を詳しく見ていこう。左側の一番上の日本のグラフでは、生産年齢人口の青い線は1995年にピークとなり、それ以降は実質GDPを示す赤い線の伸びが明らかに鈍化している。日本の他国と異なる特徴は、生産年齢人口が1995~2020年までの25年間に14.8%と他国に比べて著しく急減していることである。

 その右に中国のグラフを示す。中国では2015年に生産年齢人口のピークを迎えたが、2020年時点では実質GDPの成長率に鈍化はみられない。過去に再三報道されて来たように中国が公式発表するGDPの信用度は低く、実際にはこのグラフほどには成長はしていない可能性は高い。また同国が公式発表する人口統計も、かなり水増しされている可能性が高い。
「中国人口は本当に14億人?…14歳以下で出生データに差、水増し疑惑」


 図の上から二列目の韓国のグラフでは、中国と同じく2015年が生産年齢人口のピークとなっている。日本ほど顕著ではないが、このピークを過ぎた2020年には実質GDPの伸びが若干減速している。

 その右に台湾のグラフを示す。同国の生産年齢人口のピークも中国、韓国と同じ2015年であるが、実質GDPはピーク後も急成長が続いている。これは世界の半導体需要が加速度的に増えていることと関係がありそうだ。台湾政府の公式データは中国政府のそれとは異なって透明性が高く、十分に信頼できる数字と見なしてよいだろう。

 三列目左にイタリアのグラフを示す。イタリアの生産年齢人口のピークは日本よりも早い1990年であるが、日本と異なるのはその低下が今日に至るまでわずかであることだ。2020年でのピーク値からの低下は1.6%でしかない。

 これは欧米各国に共通するが、外国からの移民を労働力として数多く受け入れていることが大きい。イタリアの実質GDPは2005年までに約二割増加したものの、その後はむしろ減少している。イタリアの右にはフランスのグラフを示す。フランスの生産年齢人口のピークは2010年だが、実質GDPはその10年前から停滞が続いている。

 四列目にはドイツと英国を示す。ドイツの生産年齢人口のピークは日本と同じ1995年だが、実質GDPは日本とは対照的で順調に伸び続けている。生産年齢人口の減少も移民流入の効果で、2020年になってもピーク時から2.7%の減少にとどまっている。

 英国は2020年時点でも生産年齢人口は移民流入により増え続けており、未だにピークを迎えていないようである。英国の最近の実質GDPの停滞はEUからの離脱の動きの影響が大きいためだろう。離脱に伴って移民の流入も昨年以降に急減しただろうから、今後の英国の経済は困難な時代を迎えることになるだろう。

 最後に米国のグラフを示す。同国の生産年齢人口が2010年をピークに減少に転じていることには意外だった(移民の大幅な流入が続いていると思っていた)。しかし、2010年以降も実質GDPの伸びは順調である。これは同国が世界に先駆けて進めている経済のデジタル化の効果なのだろう。台湾経済の好調さも、デジタル化に伴う半導体需要の堅調さによるもののように見える。

 以上の結果をまとめれば、以下のようになる。

① 生産年齢人口が増加している間は経済も順調に発展するが、同人口がピークに達した後では、自国通貨で見た実質GDPは一般的に停滞する傾向がある。

② 自動車・生産機械に強いドイツ、ITで経済のデジタル化を主導する米国など、得意な産業分野を持っている国は生産年齢人口のピークが過ぎても経済成長が続いている。

③ 日本を除くアジア三カ国はこれから生産年齢人口の急減を経験することになるので、日本と同様に経済の停滞に陥る可能性が高い。

④ 日本の実質GDPは、自国通貨で見る限りは1995→2020年の25年間で14.9%上昇しており、生産年齢人口が14.8%も減っている中では比較的健闘しているように見える。(生産年齢人口の全員が働らき、その他の年齢層の全てが働かないと仮定すれば、この間の一人当たりの生産性は年平均で1.4%増加する。)ただし、これはあくまで自国通貨で見た場合の話であり、国際比較については後述する。

⑤ 欧米諸国は、移民の流入によって生産年齢人口の急減が抑制できているものとみられる。

 上記の⑤については別の資料でも確認しておこう。下の図-3に各国の流入移民比率と購買力平価GDPの間の関係を示す。購買力平価GDPとは、国によって異なる物価を考慮して修正したGDPであり、物価の安い国のGDPはより高めに、物価の高い国のそれはより低めに修正される。

 この図における移民とは、短期的な仕事目的(いわゆる出稼ぎ)で入国した外国人全てを含んでおり、中東やシンガポール・香港などの都市国家・地域になるほど高い比率になる。

図-3 各国の流入移民比率と購買力平価GDPの比較

 図-2で示した生産年齢人口には、この外国から流入した労働者が含まれている。日本が最近の25年間で生産年齢人口が15%も落ち込んだのは、外国からの労働者の移入がほとんどなく、日本国籍者の人口減をそのまま反映した結果だからである。移入者が多い国ほどその国のGDPは高まり経済の高成長が続く。歴史的に見ても、世界各地からの移住者が集まる国ほど繁栄が続いたという事実がある(ローマ帝国、中国の唐王朝元王朝、19世紀の大英帝国、20世紀以降の米国)。

 なお、この図では中東のカタールUAEの移民比率が飛び抜けて高いが、中東諸国への移民の大半は、男性が南アジアのインドやパキスタン等から、女性の移民の職種は主に家庭内のメイドでフィリピンやアフリカ諸国からが多いらしい。彼らの給料は中東諸国の国民に比べて著しく低く、その労働環境も劣悪である。この図の縦軸は、その国の国籍を持つ国民と国籍を持たない移民とを合わせた平均値であるから、国民だけのGDPに限ればさらに高額になるはずだ。

 カタールUAEの働いている国民はその大半が公務員で、石油・ガスからの収入で遊び暮らしており、実際の3K労働は移民に丸投げしている。国民自身は特にこれといった能力・技術は持っていないというのが、欧米諸国とは非常に異なる点である。移民と言っても色々な段階があり、中東諸国への移民に限れば、下の記事に見るように、まさに「現代における奴隷的存在」であることには注意が必要だろう。

「日本人が知らない、観光都市ドバイを造った「現代の奴隷」」
「アラブの裏の顔 - 被害者が加害者にもなり得るという現実:アラブ世界の「現代の奴隷制度」を考える」

 上の⑤で既に予想したように、やはり欧米諸国では一般的に移民労働者の比率が高い。移民労働者はその大半が生産年齢に含まれるはずだから、移民が多いほど国全体のGDPが上がるのは当然の結果だろう。

 移民労働者は出稼ぎ先の国に所得税を納めており、自分自身がその恩恵に浴するかどうかは別にしても、出稼ぎ先の国の社会保障費用も負担するのが一般的なようだ。この点から見れば移民労働者の流入は受け入れ国にとっても歓迎すべきことなのだが、少なくとも東アジア地域ではあまり歓迎されてはいないようだ。

 この図-3では流入する移民の割合のみを横軸に取っているが、同じ2019年の国外への移出労働者の比率を調べて「移入-移出」の差を取って見ると、日本は人口の1.3%(移入だけだと2.0%)になる。中国はマイナス0.7%、韓国はマイナス2.0%と流入する外国人よりも流出する自国民の方が多い。

 なお、ロシアについてはこの差は日本より小さく、0.8%である(移入は8.0%、移出は7.2%。前者はおそらくロシアよりもさらに低賃金の周辺の旧ソ連諸国からの出稼ぎ者が主であり、後者の年間約一千万人は欧米に出稼ぎに行くロシア人が多くを占めているのだろう)。

 このように移入者が欧米に比べて極端に少ない東アジア諸国では、欧米のように移入民によって生産年齢人口の減少を食い止めることはほぼ不可能と言ってよい。特に、厳しい規制が多く社会の自由度が少ない中国に移民したがる外国人は極めて少ない。2019年の(移入人口)/(全人口)の比率は、日本が1.98%、韓国が2.24%であるのに対して、中国はわずか0.07%でしかない。なお、これらの数値は、上に示した図-3の横軸の値にほかならない。

 今後は日本と同様に、いや、それ以上に中国の生産年齢人口が急減することは確実であり、それに伴って同国の経済成長が終焉を迎えることも、まずは確かなことだろう。

 図-2では各国の自国通貨の枠内でのGDPの推移を示したが、通貨自体の相対価値は時間とともに変化する。各国通貨を米国ドル(US$)という共通通貨に換算して各国のGDP推移を示した図を図-4として以下に示す。

 なお、東アジアの四カ国は実線で、欧米の五カ国は点線で示している。また、各国の生産年齢人口がビークとなった年をそれぞれ色を変えた矢印で示している。

 

図-4 各国の一人当り名目GDPの推移(US$換算)

 この図を見ると、近年の中国の成長が著しいとは言っても、一人当りのGDPで見ると未だに米国のそれの約1/6、その他の諸国の1/3から1/4程度に過ぎないことが判る。

 また、各国ともに基本的には右肩あがりのカーブを描いているのだが、唯一日本だけが大きく波打っており、しかもそのレベルが一定の範囲内で停滞している。これは米国ドルと日本円の間の為替変動が大きいのと、日本経済の実力そのものの停滞が続いていることによる(1990年以降の年間平均の米国ドルの円への換算は、1990年 144.8円、1995年 94.1円、 2000年 107.8円、 2005年 110.2円、 2010年 87.8円、 2015年 121.0円、 2020年 106.8円)。

 円高になるたびに米ドル換算のGDPが跳ね上がり、1995年には、なんとドイツと米国を抜いて一人当りGDPで世界一の座を獲得していたのである。確かにこの頃は、(ネコもシャクシもと言ってよいほど・・)たくさんの日本人が海外旅行に出かけて円高の恩恵を満喫していた記憶がある。しかし、一ドル=130円程度となった現在では、世界一どころか、韓国や台湾にも抜かれかねない体たらくである。海外旅行もなかなか財布の中身が許さないという状況になりつつある。

 ついでに物価水準も加味した一人当りの購買力平価GDPを図-5に示しておこう。この指標で見れば、日本はすでに2010年時点で台湾に、2020年時点ではさらに韓国にも抜かれてしまっている。中国は2020年時点で日本の約四割、台湾に比較して約三割となっている。

 

図-5 各国の一人当り購買力平価GDPの比較(US$換算)

 日本円で見る限りは、日本のGDP労働分配率が変わらないとすれば日本人の平均的給料はGDPに比例)は少しずつは上がっているようには見える。しかし、米ドルに換算して国際的に比較して見ると、円の価値の下落によって、日本は先進国としての経済的レベルから急速に落ちこぼれつつあると言ってよかろう。

 

(2-2)中国の成長神話の終焉

 日本経済の停滞の話になってしまったが、話を本題の中国経済に戻そう。四月にサッカーのプロクラブの世界選手権のアジア予選ACLの東地区グループリーグが終了したが、かっては日本や韓国の強力なライバルであった中国のクラブチームが、そろいもそろって壊滅的な成績に終わってしまった。

「「恥ずかしすぎる」ACLの中国勢、2年で “0勝2分け23敗・6得点89失点”の惨敗を母国メディアが糾弾!」

 この原因は、昨年以来の恒大集団の経営危機に代表されるような中国不動産業バブルの崩壊にある。中国のサッカークラブの多くが大手不動産企業の元で運営されて来たのだが、昨年来、多くのクラブで選手への給料不払いが頻発していとのこと。そのため、これまで高額で契約していた欧州リーグ出身の有名選手たちが全員帰国してしまっらしい。

 この中国不動産バブルの崩壊は、やはり過去の過剰投資と人口減少の開始にその主因があることは明らかだろう。各地方政府が収入の柱にしてきた国有地使用権販売への投資が回収できなくなったことで、中国国内での民間企業への投資にも支障が出始めている。

「恒大危機:社会主義の中国で不動産バブル、破綻回避し国有化模索か」

「中国経済の隠されたリスク、海外投資家の中国離れで何が起きるか 恒大集団問題が中国ハイテク企業にもたらす深刻な悪影響」

 この不動産バブルの崩壊は、世界の中で中国だけが取り残された形となっているゼロコロナ対策との相乗効果で、国内各方面に玉突き現象のような影響を及ぼし始めている。その一例として深刻化する大学生の就職難を挙げておきたい。

 次の記事は署名が無いのだが、確か、上海か北京の大学で経済学を教えている日本人教授(名前は失念)による記事と推定される(この先生は「Record China」に以前からよく記事を書いていた)。なお、中国の全ての学校の卒業式は六月に行われるので、卒業生にとっては今の時期に就職先が決まっていないというのは相当な危機的状況である。ちなみに中国の大学進学率は既に58%に達しており、日本の64%と大きな差はない。「世界の大学進学率 国別ランキング」


「就職が厳しい中国の大学卒業生、取りうる選択肢が多様化」

「中国で「高学歴貧乏」が増加、若者の深刻な就職難・リストラの実態とは」

 今の中国は、ちょうど日本の土地バブル崩壊後の1990年代から2000年代初頭にかけての就職氷河期とよく似た状況になりつつある。中国では学生の大半が一人っ子であり、富裕層以外の普通家庭の両親や祖父母は、自分が行けなかった上の学校に我が子や孫を行かせるために身を削って働いて来たはずだ。工場労働者の求人ならば今でもまだかなり多いようだが、大学まで出て今さら工場でワーカーとして働くのでは親に申し訳ないというのが大半の学生の気持ちなのだろう。就職がうまくいかなければ結婚も当然遅くなる。中国の少子化はさらに深刻化する可能性が高い。


 さて、現時点でのその他の中国関連の話題としては、なんと言っても「ゼロコロナ対策」による目下の大混乱が挙げられるだろう。北京や上海でのロックアウトについては、連日のように大量の記事が出ているのでそちらを読んでいただきたいが、中国特有のコロナ対策として「物流段階での徹底消毒」も挙げておこう。

 先日、久しぶりに中国の検索サイト「百度」を見ていたら、次の図のような写真と共に、浙江省義烏市(百円ショップ向け等の安価な日用品の集積地として有名な街)で「労働者が物流基地で防疫作業に奮闘中」という内容の記事が載っていた。日本や韓国から市内の物流基地に送られてくる物資を入れた段ボール箱や運送トラックを全て消毒しているのだそうである。

図-6 中国国内の物流基地では外国からの貨物は梱包まで消毒

 このような対策は、2020年秋に中国国内で「ドイツから送られて来た物資の表面からコロナウィルスが検出された」という政府公表(ホントかウソかは不明)がその発端のようだ。

 当時は武漢市の研究所からのウィルス流出がコロナの世界的パンデミックの発端ではないかと疑われており、外国からは中国に対して説明責任が強く求められていた。コロナの中国起源説を否定するためには、この外国から送られて来た物体表面からのウィルス検出は絶好の反論材料となったはずだ。これ以降、中国国内では商品・梱包材の表面、建物内部外部、街路に至るまで大量の消毒液が散布され続けて来た。消毒液のメーカーはさぞかし大儲けしただろう。

 そこまでの徹底的な消毒は不要との見解は、既に一年以上前に世界各地の専門家によって結論が出ている。論文の一例を以下に紹介しておこう。

「表面からの感染リスク低い、執拗な消毒はむしろ有害 米CDC」

多分、世界の中で中国だけが、この過剰かつ無駄な消毒を未だに続けているのだろう。ゼロコロナ対策としての北京や上海のロックアウトと同様の対応であり、資源と労働力の浪費でしかない。

 最適な政策を生むためには、寛容な雰囲気の元で、多くのメンバーが参加しての自由な意見交換と建設的な相互批判とが欠かせないのだが、中国ではただ「上御一人」の指令のみが絶対的なのである。独裁者と政府のメンツを守るためについたウソ、そのウソを守るためにまた次のウソが必要となる。次々とつき続けた自分たちのウソのチェーンに自身がからまれて身動き取れなくなったのが、今の中国のコロナ対策の現状だ。まさに自縄自縛である。

 独裁者のメンツを守るため、その配下にいる自分たちの責任を回避するためには、インチキ消毒パフォーマンスへの巨額の浪費もいとわない、指導者への忠誠ぶりを示すためにはロックアウトで国民の人権を無視するのは当然のこと、反政府運動に発展しない限りは国内のあちこちでパラパラと人が死ぬのもかまわないという中国の官僚社会の姿勢。このような人権無視かつ不合理な政策を続けているようでは、今後、中国の経済がさらに発展するとは到底思えないのである。

(次回に続く)

/P太拝