「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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三代ごとに政府が潰れる国(2)-世襲政治家の蔓延-

最近は、自分の子供を公務員の要職に手前勝手に任命する政治家がやたらと増えていて、「これでも国のリーダーか、よくも恥ずかしくないものだ」と腹立たしく感じることが増えました。今の日本は建前としては民主主義国家のはずなのだが、いつのまにか「総理大臣と国会議員は世襲して当たり前」という国になりつつあるらしい。

そこで、世襲政治家の割合を調べてみることにしました。まずは国内政治家のトップに位置する総理大臣の世襲の程度を調べました。

世襲度の強弱を図る尺度として「太子党度」を定義しました。「太子党」とは最近の中国でよく使われるようになった造語です。隣国でも世襲政治家が目立つようになって来たようです。

 

(1)戦後の総理大臣の太子党度の推移

以下に「太子党度」の計算方法を述べます。

まず、総理大臣本人については、本人よりも年長の兄弟姉妹とその配偶者、さらには総理の両親とその兄弟姉妹とその配偶者、祖父母とその兄弟姉妹とその配偶者、曾祖父母とその兄弟姉妹とその配偶者の中で、日本の国会議員(戦前の貴族院議員も含む)の経験者及び国会議員でない大臣の経験者が何人いるかを調べた。

総理大臣の配偶者の親族についても同じ作業を行い、両方の合計人数をその総理の「太子党度」と定義した。
なお、各総理大臣の親族については次のサイトに依った。

「内閣総理大臣の一覧」

戦後の総理大臣計34名の就任年、太子党度、最終学歴、初職歴、家系親族を以下に示す。なお、敗戦直後に総理に就任した東久邇宮稔彦王は皇族出身ということもあり、戦後の総理の系列には含めず、後で示す戦前の総理系列に含めた。なお、総理個人の敬称は省略した。

表-1 戦後の総理大臣の太子党度・その他(下の表の拡大はこちらをクリック)

上の表から各総理の太子党度の推移をグラフ化して下に示す。なお、内閣が短期間で倒れて同じ年に別の内閣が成立した年もかなりあるので、グラフの横軸には同一年が複数個ある場合も含まれる。


図-1 戦後の総理大臣の太子党度の推移(図のクリックで拡大)

このグラフから、太子党度の観点から見れば、戦後の総理大臣の系列ははっきりと以下の三つの期間に分けられると言ってよいだろう。

第一期は1954年就任の鳩山一郎までの5名で、その全員が東大法学部の出身である。吉田、芦田、鳩山は戦前からの政治家家系の出身、残りの幣原と片山も社会の上層階級の出身である。

この第一期は、米軍の占領下でその指示に忠実に従い、かつ戦前の官僚体制をある程度維持しながら戦後処理を着実に実施して来た時期であると言える。このようにやるべき課題が上から与えられ、かつ誰の眼にもその必要性が明瞭であった時期には、事務処理能力に長けた東大出身者が政治のトップとして適任だったのかもしれない。

 

第二期は、1956年就任の石橋湛山から1991年就任の宮沢喜一までと見てよいだろう。

この時期の総理14名の特徴は、何と言っても、その大半が政治家家系の出身ではないということだ。この期になると、それまでとは違って総理の出身家庭が一気に社会の中間層にまで拡大しているのである。

この中では、佐藤栄作はその実兄の岸信介が既に議員として居るので太子党度1としたが、本人も兄と同様に東大法を出て中央官庁に就職しているから、実質的には自力でその地位を獲得したと言ってよいだろう。

池田隼人と三木武夫太子党度1だが、これは妻の父が議員だったことによるもので、本人の優秀さを見込んだ政治家が自分の娘と結婚させたという側面もあるのだろう。これらの場合も、実質的には本人が自力でその地位を得たと言ってもよかろう。こうしてみると、親族の地盤を受け継いだ真の意味での太子党と言えるのは、この期の中では最後に出て来る宮沢喜一しかいない。

また、この期のもう一つの特徴は、総理の学歴の幅が一気に広がったという点である。昭和期で初の大学卒以外の総理となった田中角栄(現代でいえば中学校2年生に相当する高等小学校卒)がこの期を象徴している。なお、田中角栄以外で非大卒で総理になった例は、現在に至るまでゼロである。

また、戦前からの総理へのエリートコースであった東大法学部卒も、この期になると14名中6名と全体の半分以下に激減している。

なお、この期の一番最初の総理である石橋湛山は、大学制度が始まって以来初の私立大学を卒業した総理でもある。戦前の唯一の私立大学出身の総理としては、5.15事件で暗殺された犬養毅総理がいたが、彼は慶応大中退であって卒業はしていない。

この第二期は日本が経済の高度成長期とその絶頂期を迎えた時期でもあり、その恩恵が広範な国民にもかなりの程度で還元された時期でもあった。経済の発展と並行して政治の在り方も多様化し、「一般家庭の出身者でも、努力次第では総理大臣にまでなれる」という夢が持てた時代であった。

 

第三期は、1993年の細川護熙から現在の岸田文雄までである。この期になると太子党度が一気に上がる。

この期の総理15名の太子党度の平均を取ると2.0となり、第二期の平均値の0.36からは飛躍的な上昇である。なお、自民党系に限れば2.2、その他では1.7でその差はあまりない。

これは野党系でも、選挙に勝って政権を奪取するためには、有名な家系の出身で太子党度が高く、社会的知名度もある程度高い細川や鳩山を野党勢力の象徴としてアイコン的に押し立てたという背景があったからだろう。

この第三期のもう一つの特徴は、かっては総理へのエリートコースであった東大法学部卒の総理が一人も含まれていないということである。この意味するところを、筆者はまだ十分に理解できてはいない。

この期の15名の中で東大に在籍したことがあるのは、東大工学部卒の鳩山由紀夫ただ一人である。その一方で、東大の代わりに早大卒が一気に増え、15名中5名を占めるに至った。「総理になりたいのなら、まず早稲田に入れ」という時代になったのだろうか。

この第三期の約30年間は、日本経済が停滞したいわゆる「失われた三十年」にぴったりと重なっている。政治における新陳代謝の停滞が、経済の停滞と正確に対応し、シンクロしているのである。

 

さて、日本のように民主主義を国是とする国で、政治家の世襲はそれ自体問題であることは一応は判るのだが、念のために、この場で改めてその問題点を確認しておきたい。

 

(a)世襲の総理には、国の制度の根本的な転換や改革はおそらく不可能

多分、これが世襲政治家が増えることの一番の問題点だろう。

政治家家系の創始者は、ほぼ自分の能力だけを頼りに政界での道を切り開いて上昇して来た。後継者が先代の後を継ぐ頃には、ある程度の支持基盤(いわゆる地盤)が既にでき上がっているはずだ。

国の政治とは、簡単に言ってみれば、国民の中の誰からより多く税金を徴収するのかということと、集めた税金の使い道をどうするのかということを議論する場に他ならない。政治権力を握った者が、自分の支持勢力をさらに固めようとして、特定の業界により多くの税金を投入する事例は毎日のニュースに見る通りだ。

また、自民党とその支持者の本質を一言に要約するならば、「ずっと政権与党で居続けたい人たちの集まり」ということになるだろう。

政策決定権を握る人たちを強く支持してさえいれば、政権と距離を置く人たちよりも税負担は軽くなり、受け取れる補助金も増えるだろう。その詳細はなかなか表面には出て来ないが、おそらく公共事業の事前情報も得やすくなるのだろう。

政権との距離が近いほど得られる恩恵も増えることは間違いない。政権与党側でも、自党の支持団体が増えれば増えるほど次の選挙での勝利は確実となり、より長期にわたって権力を独占できることになる。

このようなもたれあいの関係が何十年も続いた結果、現在の日本では自民党の支持組織が国内のあらゆる業界にくまなく存在するに至った。その支持団体の詳細は、国政選挙での自民党立候補者の経歴を、特に比例区候補のそれを見ればよく判る。

特に必要でもない公共工事の恩恵にすがり続ける土木建築業界、新型コロナ対策で明らかになった日本医師会との癒着などが代表例である。さらに経団連等の大企業はもちろん、JAなどの農業団体、中小企業団体、看護師、検査技師、左官業、建具製造業等々に至るまで、その枚挙にはいとまがない。

はては、過去からのズブズブの関係が現在問題となっている統一教会等の宗教団体もその例であるし、昔は天敵であったはずの労働組合に対しても最近は関係強化を図ろうとして接近している。

このような「八方美人的政策」を国内の隅々にまで行きわたらせ、票と引き換えに各業界にそれ相応の還元を約束した結果、現在の自民党には、時代の変化に即応して歳出配分を組み替え、重点部門に税金を集中投入するという大胆な政策転換がもはや出来なくなってしまった。蜘蛛が糸をくまなく張りめぐらせた結果、自分で張った糸に自分自身がからめとられて動けなくなってしまった状態とでも言えようか。

おまけに、給付金や商品券のバラマキ以外の政策の提案が無いというか、そもそもその種の政策を提案する能力を持たない公明党(同党は、経済成長を促進して歳入を増やそうとするたぐいの政策の提案を過去に一度もしたことはないのではないか?)と長年にわたって組んできたこともあって、歳入の可能な上限を無視して大盤ぶるまいを続けたために、国の財布はとうの昔にからっぽになってしまった。空になっただけでは済まず、現在の我が国の政府は世界史上空前の借金を抱えるに至った。

その根本原因は、目先の選挙のことしか眼中になく、将来展望も考えずにポピュリズム政策に走った自民党の体質そのものにある。その発端は、多分、竹下内閣が1988年、バブル経済の頂点の頃に始めた「ふるさと創生事業」だろう。下の記事の「黒石市こけし館」の所を読むと、我が鳥取市の河原城のことを連想してしまうのである。

「光り輝く「1億円」の悲しい末路(平成のアルバム)ふるさと創生事業」

「お前は自民党の批判ばかりしているが、野党はどうなのか。野党もダラシナイじゃないか。」との声がここで挙がるだろう。その通りである。野党も実際、ダラシが無い。

2009年8月の衆院選民主党が勝利して民主党政権が発足したが、この選挙での民主党の公約が「政権交代」だった。筆者はこの公約を見てずいぶんとあきれた記憶がある。「具体的な政策については何も言っていないじゃないか」と。

「こんなことでは、政権を取ってもすぐにつぶれるだろう」と思っていたが、案の定、内部の主張が四分五裂して、三年も持たずにつぶれた。この民主党政権とは、要するに反自民勢力の寄り集まりでしかなく、各勢力が主張する政策は最初からテンデンバラバラであった。潰れるのは当然である。

まず、基本的な思想と政策とを提示して、それに賛同する人々が寄り集まって政党を作るのが本筋だが、我が国ではそのような手続きがなかなかできない。最初に、とにかく自分たちの集団を作るのが先で、カタマリを作った後で初めて政策を考えるようなパターンが多いのである。

さて、世襲政治家の欠点という本題に戻ろう。上に述べたように、自民党とは、選挙に勝つこととその後の利益配分を支配することを最大目的として集まった集団なのだから、世襲候補が増えるのも当然なのである。

いったんそれなりの地位を得た政治家が、苦労して作り上げた利益分配構造と選挙に勝てる仕組みとを他人に渡すのはもったいない、出来れば自分の子供に渡したいと思うのは、親の気持ち自体としては自然なことだろう。

よほど優秀な人物でない限りは、日本で年収数千万円を稼げる職業はそんなに多くはない。息子や娘にしても、親のマネさえしていれば高収入は得られるし、社会的地位としても羽振りが良い。異性にもモテるだろう。年収数百万円の一般のサラリーマンのままで一生コツコツと働くことなんぞは、阿呆らしくてやっていられないと思うのは当然の流れなのだろう。

親の政治家を支持して来た側としても、世襲候補ならば親の指導も行き届くだろうから、従来の利益配分構造が代替わりでホゴにされる心配は少ない。その考えがよく判らない血縁外の候補者が跡継ぎになった場合には、自分たちへの利益配分が今後どうなるのか判らないという不安が高まることになる。かくして、世襲候補が地盤を継いでくれさえすれば、現在の体制が将来も保証される可能性が高くなり、三者ともにとりあえずは満足ということになる。

このようにして当選した世襲政治家が、そのお陰で自分が当選できた従来の政治システムを根本的に変えようとするはずもない。親ゆずりの利益分配構造をそのまま維持しなければ、次の選挙では自分の地位が危うくなるからである。かくして時代に合わなくなった政治システムが延々と続くことになる。

一方、この利益分配構造に関わっていない国民から見ればいつまでも古い体制が続くことになり、自分たちは税金を取られるばかりでその見返りは少ないという思いをますます強めることになる。

また、政治家の新陳代謝と能力の向上が進まないことで、時事刻々変化していく世界の変化に対して常に遅れる、或いはもはや対応できなくなる事態が頻発するようになる。今の日本はまさにその状態に陥ってしまっているのだろう。

 

(b)世襲政治家は、仮に先代よりも能力が低くてもその地位は安泰なことが多い。

企業経営者の中にも親の地位を世襲した経営者は多い。代表例は日本最大の企業であるトヨタ自動車だろう。ただし、トヨタの現在の社長の豊田章男氏の前には豊田家以外の人物が三代続けて社長を務めている。

企業の経営者には、まず経営者としての資質が最優先で要求される。先代の息子だからと経営者としての能力に欠ける者をトップに据えた場合には、近い将来にそれが原因で企業業績の悪化をもたらすことになりかねない。企業経営の分野では、市場という場における健全な淘汰圧が常に働いている。

これに対して政治家の場合には、少なくとも日本の与党政治家の場合には、この淘汰圧がいっこうに働かない。上に述べたように、政治家の世代が変わっても、利益配分構造である地盤が旧来通り維持される限りは当選回数を重ねることができる。

よほど能力が低いかスキャンダルを連発するような人物でない限りは、普通の能力でさえあれば、我が国の国会議員はそこそこ務まる。少なくともオミコシに載せるに足りる程度の人物であると地盤を支える各勢力に認めてもらえたのなら、とりあえずはそれで十分なのである。

企業とは違って政治家の場合には、世代の間にその家系以外の者がいったん入ってしまったら、たいていはそこで世襲が途切れる。先代の後継者が親族以外になってしまった場合には、後で息子や娘がその地位を取り返すことは非常に難しいだろう。

世襲政治家である太子党の中にも親よりも優秀な者はいくらかはいるのだろうが、政治家には能力だけではなくて意欲も必要である。社会を良くしようとして政治家を志す一般家庭の出身者と、たまたま政治家の家系に生まれて有利な道が目の前に開けていたためにトコロテン式に政治家になった者とでは、政治に対する意欲や社会改革への熱意に雲泥の差があるはずだ。

このように考えると、世襲政治家の割合が増えるほどに、政治改革が停滞して社会も停滞の度を強めるのは当然の結果なのである。上に挙げた図-1と日本経済の停滞の関係を見ても、そのことは明らかだろう。

 

(c)政治家はある程度の権力を持ったとたんに世襲二世を、世襲二世は世襲三世を作りたがる

菅前総理は総務大臣であった2006年に、当時は無職同然のバンドマンであった自分の長男を大臣政務秘書官に採用した。長男はその後「総務省担当」として放送事業を行う東北新社に入社し、放送事業の担当官庁である総務省幹部に対して担当者として何度も接待を行った。
「東北新社役職員による総務省幹部接待問題」

岸田文雄現総理は、2022年に自分の長男を首相秘書官に起用して「公私混同」との批判を浴びた。また、今年1月に岸田の外遊に同行した長男が、パリで現地大使館の公用車を使って土産物を買って批判された。

まさに「太子党の自己拡大再生産」現象である。彼らが国民の生活を最優先で守るというのは口先だけのことで、実際には国民が納めた税金を使って自分の子供を雇う方を最優先するのである。国が衰退しても、我が家さえ栄えればそれでよいのである。

最近ではこのような現象を「親ガチャ」と呼ぶらしいが、この言葉を多く使って富裕層を批判する若い世代になるほど自民党の支持率が高いのはなぜだろうか。筆者には理解不能である。

 

(2)戦前の総理大臣について

戦後の総理大臣を調べたついでに、戦前の総理大臣についても昭和期のみに絞って表を作ってみた。下に示す。

日本に帝国議会貴族院衆議院)が出来たのは1890年であり、昭和前期にはまだ国会議員の子息が総理となった例は無かったので「太子党度」の項は省略した。

 

表-2 戦前昭和期の総理大臣の出自、経歴(表の拡大はこちらをクリック)

この表から判るのは以下のような点である。

・総理17名中で10名が軍人、特に末期は6名連続で軍人。

・出身家系は、旧藩士が12名、皇族・公家2名、その他(農林業、商業)3名。旧藩士が圧倒的に多く、江戸期の身分が上層階級であった家の出身者が大半である。

・最終学歴は、軍人10名については空欄としているが、実際にはその全てが陸軍大学校、または海軍大学校である。軍人以外では東大法4名、京大、慶応が各1名。

戦前は大学まで進学するのは富裕層に限られており、一般家庭の出身者は、中学4年(16歳)以上で入学が認められて学費が無料の陸軍士官学校海軍兵学校師範学校へと進むものが多かった。

・戦前昭和期の総理には畳の上で亡くなることが出来た者は少なく、暗殺、刑死、自殺者が非常に多い。このことだけでも、昭和前半がいかに異常な時代であったかがよく判る。

戦争拡大に反対していた海軍上層部が特に暗殺対象となることが多く、海軍出身の総理4名のうち3名が2.26事件で陸軍若手将校によって襲撃されている。残る米内光政も、のちに連合艦隊司令長官となった山本五十六と同様に当時はテロの対象とされていて、いつ襲われても不思議ではない状況だったようだ。

・上の表には含めていないが、大正時代の1921~1922年にかけて第20代総理大臣を務めた高橋是清も2.26事件で暗殺されている。「ダルマさん」の愛称で国民に親しまれ、また少年時代に留学に行ったはずの米国で奴隷として売られた経験があることでも有名な人物であった。

先回の記事でも触れたが、当時、軍事費増額のための軍からの国債発行増額要求に対して、国家財政を悪化させるとして蔵相の立場で反対し続けたことが襲撃された理由である。

・海外駐在経験の項を設けたのは、日本を外から眺めることで自国を客観視できるようになるのだが、その経験の有無を確認したかったからだ。

軍人総理の多くが大使館付き武官として海外勤務を経験しているが、どうやら陸軍軍人は、その多くがドイツに駐在したこともあってか、日本を客観視することが不十分であったようだ。対照的に海軍の軍人、特に斎藤寶や山本五十六のような米国駐在経験者は米国と日本の間の国力の圧倒的な差を正確に認識していた。彼らが米国相手の開戦にあくまで反対したのもこの経験があったからである。

また、海戦というのは使用する機材の物量と性能とで結果がほぼ決まるのであって、陸軍のように「精神力」という計量不可能な要素をあてにすることが少なかったことも、その判断の客観性を強める上で役立ったようだ。

・この表の中には「世襲政治家」はいないが、「世襲軍人」というのが一人だけいる。戦後、A級戦犯として絞首刑になった東条英機である。

陸軍中将止まりだった彼の父が、自分を超える陸軍軍人とするべく息子を幼少期から厳しく育てたそうだ。そのこともあって、東條は陸軍大将になることを人生の目標として日夜努力を重ねたらしい。

その結果、陸軍大将まで上り詰めて近衛内閣の陸軍大臣を務めるまでに出世したが、彼には将来を見通した大きな戦略を立てる資質も、その方面への興味も無かったようだ。自分固有の意見は特に持たず、ひたすら組織の中での出世を目指したという点では、世襲政治家との共通点が多くあると感じる。

なお、近衛内閣瓦解後に、昭和天皇に次の総理として東條を推挙したのが内大臣木戸幸一だが、彼も太子党の一人であって、明治維新の元勲の木戸孝允の孫である。視野が狭いという点で、木戸と東條とはよく似ている。


(3)一般国会議員の中の世襲議員の割合

今までは総理大臣の太子党度について見て来たが、一般の国会議員についても確認しておこう。

衆参合わせた国会議員の定員総数は713名。うち、自由民主党の国会議員は、2023年(令和5年)1月18日現在、衆議院議員261名、参議院議員119名の計380名である。これら議員の家系を一つ一つ調べるのは大変な作業なので、ここはネット上の記事の引用で済ませることにしたい。

次の記事によれば、日本の国会議員の約三分の一が世襲議員なのだそうである。これは世界の民主主義国のそれが数%程度であるのに比べれば異常に高い数字だ。日本でも1960年には約3%でしかなかったとのことだから、総理大臣だけを対象とした上の図-1の傾向と一致している。この記事では小選挙区制の導入が世襲議員の増加の主な原因との結論である。

「増殖する世襲議員「政界ネポベイビー」の大問題」


さらに、日本の国会議員が他国に比べていかに優遇されているかについても見ておこう。次の記事も世襲議員の多さについて触れているが、彼らが世襲を狙う主な目的である国会議員の極端な優遇についても詳しく述べられているので、その内容を紹介しておきたい。

「日本の首相「7割が世襲」の異常。政治を“家業”にして特権を独占する世襲議員の闇」

以下は、上の記事中の国会議員の待遇に関する記述の要約。( )内は筆者のコメント。

(a)国会議員の給与等

「①給与に相当する「歳費」月額129万4千円、年額で1,552万8千円。
 ②ボーナスに相当する「期末手当」が年間635万円。
 ③「調査研究広報滞在費」が月額100万円で年間1,200万円。(無税、かつ使途の明細報告も不要)
 ④会派経由で入る「立法事務費」が年間780万円。
 ⑤年間320億円弱の「政党交付金」(この財源は国民一人あたり250円の税金徴収)が議員一人当たり年間4,400万円が政党に配られ、議員個人に対しては最低でも1,000万円程度分配。

 ⑤を1,000万円と仮定すると、①~⑤の合計は 年間で5,167.8万円

 ③に関して言えば、手取りで年間1,200万円の受給は、年収2,200万円のサラリーマンの税率40%が引かれた後の手取り額とほぼ同等。さらに、年間収入約5千万円超は、2021年時点での東証一、二部上場企業の社内取締役の平均報酬額3,630万円を軽く凌駕している。」

(口を開くたびに差別発言を繰り返す杉田水脈も、昨年七月の参院選に当選したのにドバイに逃亡したままで一度も国会に出席していないガーシーとやらも、自分の愛人も一緒に新幹線にタダ乗りさせていた元歌手も、記者会見でまともな発言すらできない皆が忘れていた昔アイドルのオバサン議員も、議場で居眠りしているグータラオッサン議員も、国会議員である以上は全員が年収五千万円超を得ている。

「いったい、誰だ!!、こんな連中に投票したのは(怒!!!)」

参議院議員ならば解散もなく、6年間の任期を一期務めるだけで3億円以上が手に入る。その全てが我々国民が払っている税金から出ているのである。)

 

(b)諸経費補助

「国会議事堂そばの議員会館の家賃、電話代、水道光熱費はタダ。
 地方選出国会議員なら赤坂にある議員宿舎(82平方メートル・3LDK)は、相場の2割程度の家賃(12万6,000円)で住める。
 海外視察旅行代、JR全線のグリーン車での運賃、私鉄運賃、地元選挙区との航空券の往復チケット(月に4回分)、その全てが国から支給され、自己負担はゼロ円。
 公設秘書が3名雇え(第1秘書、第2秘書、政策秘書)、その給与の年間合計2,400万円は国が負担。その秘書から強制的に議員の政治資金管理団体への寄付までさせている議員もいる。身内や親戚を秘書にするケースも少なくない。」

 

(c)政治資金という名の企業からの「合法ワイロ」

「2019年の自民党の本部収入は約245億円で、うち政党交付金が72%、企業・団体からの政治献金が10%。
 (国会議員380名を要する自民党への政治献金を24.5億円と仮定すると、議員一人当りでは644.7万円。) 
 これに加えて、ホテルの大宴会場で開く「政治資金パーティ」による収入もある。」

 

(d)米国との比較

「人口が日本の2.6倍の米国の上下両院議員の総数は535議席。議員個人に入る年間報酬額は、17万4千ドル(1ドル110円換算だと1,914万円、1ドル136円換算だと2,366万円)。
ただし、(政策立案調査のための)立法経費は上院議員で約2億円分、下院議員で約1億円分まで計上してスタッフを雇えるが、透明性は日本の比でなく高いため、議員個人のポケットに入れられる性格の金銭ではない。米国と比べて、日本の国会議員が、いかに曖昧で莫大な報酬をフトコロに入れているかがわかる。

米国と比べて約710名もいる日本の国会議員は多すぎる。せめて半分の350名ぐらいにすべきだ。そうでないために、世襲やタレントでの「政党の員数合わせ」が幅を利かす。こうした日本の国会議員の報酬額や数々の特権は、多数派の政権与党がお手盛りで法案を通過させ、成立させてきたからこそのオイシイお宝だった。」

 

(4)まとめ

以上に見てきたことを、筆者の提言も含めて以下にまとめておこう。

① 今後は、原則的には世襲候補者には投票するべきでない。彼らが増えれば増えるほど、日本の政治や経済などのあらゆる面における動脈硬化がさらに深刻化する。

ただし、親の選挙区から遠く離れた場所で立候補する等の、意欲と根性と能力とが認められる候補者については、この限りではない。

② 立候補するためのカネがかかり過ぎるのも、政治の新陳代謝を妨げている大きな要因である。選挙前の一定期間に限って、SNSやユーチューブ等に流す候補者紹介の動画作成を公費で支援する(現状でも無料で作れるが、選挙関連の動画が広告付きになるのは大いに問題)などの工夫が必要だろう。

③ 上の記事の指摘にあるように、国会議員の定数が多すぎるために、現状に見るような愚劣かつ低質な当選者が数多く発生するのである。次回の国政選挙には、是非「国会議員の定数を半分に」という公約を掲げる政党に出て来てもらいたい。

議員立法で法案を提出しようとしても、衆議院では20名以上、参議院では10名以上の賛成がないと提案することができないが、まずは現状に一石を投じて既成政党の反応を確認する必要がある。

④ 国会議員の給与の半減も必要だ。民間の時給が米国の半分以下なのに、なぜ国会議員の給与だけが米国議員の二倍以上なのか?このことを公約に掲げる政党が出て来たら、積極的に投票に行って支持しよう。

 

最後に、敗戦直後の三か月間だけ皇族初の総理大臣となった東久邇宮稔彦王による戦中の日本に関するコメントを紹介しておこう。この人は皇族にしてはなかなかユニークな方だったようで、wikipedia の記事を読んでみると結構面白い。フランスに留学していたせいか、皇族の枠から大きくはみ出した自由主義者であったようだ。


東久邇宮第二次世界大戦中の日本について、「戦時中、日本は小さなことにこせこせしたが、大きなことにはぬかっていた。全体と部分との混同が、至るところに見られた。部分的には実に立派なものであるが、全体的に総合すると、てんでんばらばらのものばかりで役にはたたなかった」と評価している。」

今から約80年も前の日本を批評した言葉だが、今の日本も、この頃とあまり変わっていないように思えて仕方がない。

/P太拝

三代ごとに政府が潰れる国(1)-年表の比較-

近頃、よく聞くのが「今の時代は戦前によく似ている」という話。そこで最近の出来事と戦前のそれとを比較してみようと思い立ちました。この二か月ほどの間、暇な時に少しずつ調べて表を作成。下に示すのがその比較年表です。

表-1 江戸時代末期、明治~昭和前期、昭和後期~令和の比較年表

 「下の年表の拡大はこちらをクリック!」

以下、この年表の説明。中央の列は1868年の明治維新から1945年の敗戦までの78年間、右側の列が1946年から2022年までの77年間、左側の列は江戸時代末期の80年間の主要な出来事を示す。

鎖国していた江戸時代は、外国との関係が強まった明治以降とはサイクルが違っていて当然だが、政権の末期に共通して起こる現象を比較したいがために載せた。これらの三つの期間を10年ごとに区切り、主要な出来事を列挙した。

また、年表中の太字部分について、赤の太字はその当時の日本国内における主な傾向を示す。緑色の太字は当時の世界における傾向。発生年に続いて記載した青色の太字は主な自然災害を示しており、その大半が大規模な震災によるもの。

震災の規模としては死者三千人以上のものを記載した。また日本海溝南海トラフでプレートの移動によって定期的に発生する巨大地震については、死者が三千人未満であっても記載した。

この比較年表を見ると、明治~昭和前期と昭和後期~令和の二つの期間では、多少のズレはあるもののよく似た経過をたどっていることがわかる。

期間の開始後の約二十年で国の基本形がほぼ形づくられ、次の約三十年間で国力は大いに発展する。開始して五十年が過ぎると停滞期に入り経済状態が悪化、格差が拡大して社会不安も増加し、様々な事件が頻発するようになる。

二つの期間の違いは、前者がもっぱら軍事大国を目指して武力を背景に植民地を増やしていったのに対して、後者では軍事力は米国の庇護にまかせて自身は経済面に注力し経済大国を目指したという点である。

江戸時代末期と昭和前期においては、いずれも戦争によって当時の政権構造が崩壊した。現在の政権構造はどのようにしてその最後を迎えるのだろうか? それとも、徐々に衰退しながらも、今の形のまま何とか細々と生きながらえるのであろうか。

震災もこの年表各期の後期から末期にかけて頻発する傾向があるが、これは南海トラフ巨大地震の発生周期が80~150年であることとかなり重なっているためだろう。

江戸期から今日までを見ていくと、約50年間は地震が少なく、次の約50年間は地震活動が活発になるというサイクルを繰り返しているように見える。1995年の阪神淡路大震災以降の現在は地震の活発期に入ったという見方が専門家の間では一般的であり、あと20~30年はこの活発期が続くのだろう。次の南海トラフの巨大地震の発生によって今回の活発期はいったん終息するのではないだろうか。

さて、江戸期の徳川幕府天皇主権の大日本帝国とに共通するのが、政権が崩壊する前には既に政府財政が破綻状態となっていたという事実だ。これは世界各国の政権崩壊時にも共通する現象であり、ローマ帝国、中国の唐代・明代・清代、大陸から台湾へ逃げ出した蒋介石中華民国旧ソ連、独立以降にデフォルト(政府借金の踏み倒し)をじつに九回も繰り返したアルゼンチン(「アルゼンチン経済の歴史」)等々、その実例には事欠かない。いずれの例においても税収が減り、政府借金は膨らみ、政府が発行する通貨の価値が暴落するという点が共通している。


ちなみに、政府負債が現在の日本と同じくGDPの二倍を超えながらも政権の全面崩壊を回避できた国としては、筆者が以前に調べた時には唯一英国の事例しか確認できなかった。このことはかなり以前に当ブログで紹介したが、その記事を書く時に集めた資料の一部を下に示しておこう。


図-1 18世紀~現代の英国の国債残高対GDP比の推移

(以下、図はクリックで拡大)

英国で国債残高の対GDP比が200%を超えたのは1820年頃と1945年頃の二回であった。前者の主な原因は、1815年のワーテルローの戦い終結した対ナポレオン戦争での巨額の戦費にある。

この莫大な負債は、英国がナポレオン戦争後に世界的な制海権を確立し、特にインドと中国からの収奪を強めたことと、産業革命によって国内工業が急速に近代化したことによって徐々に解消されて、19世紀後半の大英帝国の最盛期であるヴィクトリア朝に至った。

一方、1945年にピークに達した英国の国債残高の大部分は第二次世界大戦の対独戦のために主に米国から調達した戦時国債であった。英国がこの莫大な負債を完全に返し終えたのが、戦争終結から実に61年も経った2006年であった。それまでの間、英国の国民は苦しい節約生活を強いられた。
「GDP比250%の政府債務を2度も返した英国」


話が少し脱線するが、17世紀から19世紀にかけての英国の富の蓄積がいかに急速であったかについては、次の図、各国の一人当りGDPの推移によっても知ることができる。一言でいえば、19世紀の英国が経済の高度成長を達成できて政府の借金を減らせたのは、武力を背景としてインドや中国から巨額の富を収奪できたからだと断言してもよいだろう。


図-2 8世紀~19世紀における各国の一人当りGDPの推移

なお、この図の17世紀における英国のGDPの急速な上昇開始は、この図の引用元のサイトによれば1665年の黒死病で人口が激減したためとしているが、当時の英国の人口は実際には若干の減少にとどまったようである。

英国は1588年にスペインの無敵艦隊を打ち破ったことをきっかけに海洋進出を加速させており、貿易の拡大によって17世紀以降の急速な経済成長が始まったというのが正しいように思う。17世紀後半からは東インド会社を介したインドへの進出を加速させており、それに伴う英国経済の急成長とインド経済の停滞・下降とがこの図からも確認できる。
英国と中国との貿易が本格化したのは、18世紀末に英国主導でインド産アヘンの中国への密輸出を始めてからのことだが、中国のGDPは既に18世紀初頭から急速な下降が始まっている。これは、おそらく18世紀における清王朝下の急速な人口増加によるものだろう。18世紀の百年の間に中国の人口はほぼ二倍に増えているのである。

18世紀から19世紀にかけての中国では、急速な人口増加に経済成長が追い付けなかった上に、さらに英国にアヘンを売りつけられたことで膨大な量の銀が国外に流出したというのが清王朝の衰退の主因だろう。

上の図によると、欧米各国による植民地化でインドと中国の経済が衰退する一方で、江戸期の日本の経済は、ゆっくりとではあるが着実な成長を続けている。

その要因としては、①鎖国政策による欧米植民地化の回避、②国内流通網の整備による各地の商品経済の着実な成長、③間引き等による人為的な人口抑制、が挙げられるだろう。18世紀半ばから明治維新に至るまでの人口は三千万人前後でほぼ停滞していたものと推定されている。

さて、本題に戻ろう。次の図は明治初期から現在までの日本の国債残高の推移を示している。

図-3 明治初期から現在までの日本の国債残高の推移

 

この図のグラフは2018年度までだが、その後の新型コロナ対策の大盤振る舞いによって国債残高は急速に増え続けており、現時点での財務省の予測によれば2022年度末にはGDPの262%に達するものと想定されている。

ここまで増えた政府負債を「借金踏み倒し」することなく減らすことができた国は、上に述べた英国以外には前例が無いと思われる。19世紀の英国とは異なり、今の日本は収奪の対象とする植民地を持っていない。従って、20世紀後半の英国と同様に、国民に節約を強要し、かつ増税を強いて、自国民から収奪して借金の穴埋めをする以外には今後政府財政を改善する手段はないのである。

それ以外の解決方法としては、上の図の敗戦直後に見るように、戦後の「新円切替」のような政府自ら自国通貨の価値を意図的に切り下げて「過去の借金の帳消し」を行うしかない。その前例は世界中に無数に存在する。

政府の借金は大幅に減るが、同時に我々が銀行に預けておいた預金の価値も国際通貨である米ドルに対して激減することになる。この手法も、要するに「国民と民間企業とが所有していた資産の政府による強奪」に外ならず、結局は増税と同じことなのである。

なお、別の機会に詳しく述べるが、明治維新の直後、明治新政府徳川幕府が抱えていた巨額の負債を一円も引き継がなかった。静岡に追いやられた徳川家には負債を返済する能力は既になく、幕府にカネを貸していた大商人は丸損となって数多くが倒産した。日本では、過去の約150年の間に「国債が紙くずと化した」現象が二度発生している。三度目は絶対に起きないという保証はどこにもない。

なお、この「三代ごとに政府が潰れる国」の記事については、上に示した年表を基本に、今後シリーズ化して政治、経済、社会等の各分野ごとに現在と過去の出来事とを比較しながら詳しく見ていく予定である。

今回は上の図に関連して、国債に関する最近の話題をあと一点だけ述べておきたい。

昨年末からの防衛費増額を巡っての議論の中で、現職の経済安保担当大臣が「増税で防衛費を増額するのなら大臣を降りる」と総理相手にタンカを切って見せた。

「「高市氏「罷免でも仕方ない」 防衛費巡る増税方針に反発」」

増税で増額しないのなら新規国債を発行するしかないのだが、はたして国債発行で得たカネを防衛費に充ててもよいものだろうか?この点について考えてみたい。

昨年夏の当ブログの記事で既に述べたように、日本、韓国、台湾の安全保障上の最弱点は、これら三か国ではエネルギーと食料の自給がほぼ不可能であるという点だ。

例えば、今の日本が自給できる食料と鉱物資源は何かと言えば、米と野菜とセメント原料の石灰岩くらいしかない。石油無しでは海の魚を獲りに行くこともほぼ不可能だ。元々、これら三か国は単独で長期の戦争を戦えるような体制にはなく、また国土の地理的な条件から、今後そのような体制を実現することもほぼ不可能なのである。

仮に日本が敵対国と緊張状態に入った場合、敵対国は最初にどのような戦略を実施しようとするだろうか。一番可能性が高いのは、実際に自国の軍隊を動かして自衛隊と交戦状態に入る前に、まず日本へのエネルギー供給網を遮断しようとすることだろう。

上記の昨年夏の当ブログの記事では「日本殺すにゃ核ミサイルは要らぬ タンカーの一、二隻沈めればよい」と書いたが、実際には船を沈める必要すらない。

日本向けに原油LNGを運んでいる輸送船の頭上に巡航ミサイルを一発通過させればそれで済む。その直後には、世界中の海運業者の日本向けの船便が一斉にストップすることになる。ウクライナ戦争の場合と同様に、ロンドンの保険組合は日本への輸送船を保険対象から外すことになるだろう。

日本国内の株式は、現在は外国法人がその約26%を保有している。これが一斉に売られて巨額の円からドルに換金されることになるだろう。当然、円は対ドルで暴落する。昭和10年代とは違って現代の世界金融業界は即座に反応する。悪いニュース一発によって、その日のうちに何十兆、何百兆円という金額が国境を越えて移動することにもなりかねない。その動きに遅れた金融機関は「ババを引いた」結果として確実に破綻することになる。

さらには日本の国債が一斉に売られることになるはずだ。現在、日本国債の外国人保有率は14%。これが一斉に売られたら、国債価格は暴落して国内金利は急上昇する。日本国債を売りたいのは国内の銀行や保険機関も同様だろう。国民から預かって国債に替えているカネをみすみすドブに捨てるようでは、銀行の信用が失墜して預金しようとする国民はいなくなるからである。

現在、既に実質的な国債の買い手はほぼ日銀だけなのだが、買い手が日銀の他には本当に誰もいなくなってしまえば、外国からは「財政ファイナンスの完成」と見なされ、日本円の信用も失われて超円安となり国内の物価は高騰する。某大臣の主張通りに防衛費を国債に依存しきってしまった場合、本格的に軍隊同士が交戦する以前に、巡航ミサイル一発で日本政府が財政破綻する可能性もあり得るのである。(仮に防衛費向けにさらに国債を積み増さないとしても、既にこの段階にまで到達しているのかもしれない。)

敵対国が国内でエネルギー自給が可能な中国やロシアである場合には、日本には最初から勝ち目はない。仮に米軍の支援を得たとしても、自衛隊と米軍が個々のタンカーまで護衛してくれるとは到底思えない。

二、三か月で国内のエネルギー備蓄はなくなる。国内各地に点在する石油やガスの備蓄基地までもが攻撃されたならば、その時期はもっと早まる。大規模停電とガソリン不足で国内の物流も工場も止まる。我々国民はやるべき仕事を失い、車や電車で避難することもできず、停電した暗い家の中で空腹のまま膝を抱えてひたすら耐えるしかないのである。

今後、いくら戦闘機やイージス艦を増やしてみても、燃料無しでは何の役にも立たない。その戦闘機やイージス艦を政府の借金である国債で買いそろえていたならば、敗北と政府破綻の後には、全く役に立たなかった兵器を買ったことでさらに増えた借金の返済という重荷が待っている。

以上に述べたようなことは、金融面の常識をある程度理解していれば、誰にでも推測可能な内容なのである。そのような想像力すら持ち合わせていない人物を、よりによって経済安保担当大臣に任命したのでは、岸田総理の見識が問われるというものである。某大臣の背後にいる自民党内の「増税反対派」も、また「増税反対」を一斉に唱えている野党も某大臣と似たようなものなのである。

ちなみに、上の図-3の中の「西南戦争」と「二・二六事件」という小さな文字は、元の図に後で筆者が書き加えたものである。1877年の西南戦争で政府負債が一気に増大したことに見るように、近代の日本では戦争をするたびに政府負債が急上昇している。戦争をしないのに政府負債が急増したのは、現在に至る「失われた三十年」が明治以降で初めてのことなのである。

1936年に発生した二・二六事件では、それまで軍の新規国債発行要求に一貫して抵抗し続けてきた高橋是清蔵相が「昭和維新」を叫ぶ陸軍青年将校によって射殺された。相次ぐ政治テロに身の危険を感じた政治家と官僚は、この事件以降は完全に軍の言いなりとなり、軍の要求どおりに軍備拡張のための国債を乱発した。その結果、この図-3に見るように国債残高は加速度的に急増し、それに並行して日本は中国、さらに米国との戦争へとのめり込んでいったのである。

現在、某大臣とその仲間とがさらに新規国債発行を求めるのなら、この先例にならって、「令和維新」のスローガンを掲げて新たなクーデターを計画されるのがよろしかろう(これは冗談・・)。

まあ、想像力と資質の問題というよりも、現代の日本の政治家が「国の行く末」よりも「自分の行く末」の方ばかりを優先して考えていることが根本原因なのかも知れない。彼らの最大の関心事は、次の選挙までのあいだに、自分の姿が選挙民の眼にどう映っているのかということでしかないのである。与党も野党も、日本の政治家の大半が既にポピュリズムに深く毒されてしまっている。

政府が「増税が必要」と言えば、国全体の危機への対応策を真剣に、かつ具体的に考えようともせずに、反射的に一斉に「反対!」と唱えることだけが彼らの習性となってしまっている。一言でいえば「政治の劣化」であり、日本の本当の危機はここにあるのだろう。上の図に見た世界史上空前の政府負債残高の根本原因も、ここにあることは間違いない。

最後に、昨日再読した本の中に面白い一節があったのでこの機会に紹介しておきたい。ベストセラーになった「超入門 失敗の本質」(鈴木博毅 ダイヤモンド社 2012年)の中で紹介されていたもので、元々は日本の終戦工作に尽力した高木惣吉元海軍少将による言葉である。

「 日本軍人(陸海軍)は
  ・思索せず
  ・読書せず
  ・上級者となるに従って反駁する人も少なく
  ・批判を受ける機会もなく
  ・式場の御神体となり
  ・権威の偶像となって
  ・温室の裡に保護された 」

(「太平洋開戦史」/高木惣吉岩波新書より)

この「日本軍人」のところを、今の「日本政治家・官僚」に置き換えてもそのまま通用するというのが哀しい。

/P太拝

「見えた 何が 永遠が -立花隆 最後の旅 完全版-」を見た

明けましておめでとうございます。

新年なので、おめでたい話題を書きたいところですが、どう考えても、このままでは日本という国の衰退は止まりそうにない。箱根駅伝じゃないが、我が鳥取市なんぞは、その衰退レースの先頭グループを走っていると言ってよかろう。

多分、ある程度の不安を感じてはいても、自分の尻に実際に火がつくまでは腰を上げようとしないのが我々日本人の特性らしい。かしこい国の国民は事前に危機を察知してハンドルを切ることができるのだが、どうやら我々は、崖から墜落し始めてから初めてブレーキを踏みハンドルを回そうとするタイプのようだ。

筆者ごときが何を書いても今さらどうなるものでもないが、せめて自分のアタマの中を整理するためにも、今年も当ブログを書き続けようと思っています。

 

さて、一昨日、1/3の夜にNHKBSで「見えた 何が 永遠が -立花隆 最後の旅 完全版-」を見た。立花隆氏は昨年四月に80才で亡くなられた。筆者は氏の著作を何冊か持っていて、NASAの宇宙飛行士にインタビューした「宇宙からの帰還」と、臨死体験者の体験談を集めた「臨死体験」が特に記憶に残っている。亡くなられたのを残念に思っていたこともあり、興味を持ってこの番組を拝見した。

交流のあったNHK記者が語り手となり、遺言で「蔵書は一切売ってしまう事、遺体はゴミとして捨てること」とした理由は何だったかというのが、この番組のメインテーマだった。

彼の膨大な蔵書は有名で、約五万冊の蔵書を収納するために三階建ての通称「猫ビル」を建てたくらいだ。蔵書を全部売ってしまった理由は筆者にはよくわかる。蔵書は自分の著作を完成させるための材料・資料でしかないので、自分が死んでしまえばもう用はないからだ。書籍はそれを読む人がいてこそ価値があるのであって、記念館などに死蔵されては本自体も死ぬことになる。古本屋に売ってしまうのが大正解だったろう。

また彼の遺体についてだが、結局は火葬したのちに樹木葬となったらしいと思わせる映像が番組の最後に出て来る。筆者自身も樹木葬にしたいと以前から思っているのだが、そうすると両親の墓参りをする人がいなくなってしまうだろうから、自分は親の墓に入るしかないのである。

番組の前半では彼の緻密な調査手法について、特に「田中角栄研究」に関係した当時の調査スタッフの証言を交えながら紹介していた。

番組の後半部では、終末期の患者を看取る「野の花診療所」を鳥取市内で運営されている徳永進医師を訪れた立花氏の映像も出て来た。

「最後に言い残すことは何ですか」との立花氏の問いに、末期患者の女性が「自分は学歴も無く、特にこれといったこともして来なかった。自分には、いままで世話になったみなさんにありがとうと言うしかない。ありがとうと言えればそれで本望です」と答えられていた。本当にその通りだと思う。

立花氏は番組の最後の方で「人間の特徴とは、一世代が獲得した知識を文字を通じて次の世代に伝えられること。他の動物にはこれができない。彼らは遺伝子を次代に伝えるだけだ。この特徴によって人間の急速な進化が可能となった。自分が、サル学、科学技術(特に宇宙科学や人工知能)、臨死等に強い興味を持ったのも、この進化の過程を深く知りたいと思ったからだ。」と話されていた。(概要をまとめただけなので、必ずしもこの通りに話されたわけではない。)

「人類がさらに進化を続けることによって、世界は融合してより素晴らしいレベルに到達できるだろう」とのことだった。

英語では遺伝子はゲノムだが、ミームという言葉も最近では聞くことが多い。これは1970年代に生物学者リチャード・ドーキンスが使い始めた概念で、「個人の脳から脳へと伝達可能な情報総体」という意味である。

立花氏の人生とは、結局は、このミームを数多く創造して次世代に伝えていく過程であったのだろう。彼の残した著作と映像こそがミームそのものに他ならない。近いうちに、約三十年ぶりぐらいに氏の著作を読み返してみたいと思った。昔に読んで感じたこととは、また違った結果が得られるかもしれない。

野の花診療所の徳永さんについては、筆者の母親がファンだったようで同氏の著書を数冊残していったが、残念ながらざっと目を通したくらいでまだしっかりと読んではいない。終末期医療に関する内容が主なので、自分もその時期にさしかかってから読めばいいのかなと思っている。

なお、2010年3月にとりぎん文化会館小ホールで立花氏と徳永氏の対談が開催され、筆者も参加した記憶がある。開催直前に行ったら無料のこともあって既に会場は満員、二時間ずっと立って話を聞いた。

当時は日記をつけていなかったこともあり、残念ながら対談の詳しい内容は忘れてしまった。覚えているのは、自身のガンのことを語る立花氏が実に明るい表情であったこと、徳永氏と冗談を言い合っていたこと、会場参加者の過半が女性だったこと(介護、看護関係の方なのかもしれない)くらいである。

さて、徳永さんはいまどうしておられるのだろうかと思って、久しぶりに野の花診療所のブログを覗いて見たが、2021年10月以降は更新されていない。お元気なのでしょうか。

特に個人的に面識がある訳ではないが、自分もいつかお世話になりたいと思っていたので、今後もずっと御活躍していただきたいものである。

/P太拝

ゼロコロナ政策を撤廃した中国の行方は?

一昨日夜のWカップの決勝戦、アルゼンチン対フランスの試合は本当にすごかったですね!特にサッカーファンというわけではないが、日本代表の試合は時々見てはいるものの、あんなに一瞬たりとも眼が話せない試合というのは、今までに一度も見たことが無かった。

延長の末にPK戦でアルゼンチンが36年ぶりの優勝を果たしましたが、フランス代表も十分に優勝に値する熱戦でした。それにしても、PK戦という仕組みは何とも残酷。高校ラグビーで前例があったように思うが、「両者優勝」という選択肢があってもよいのでは・・。

さて、風力発電について色々と書いて来たこともあり、今後望まれる再生可能エネルギーについてもう少し詳しく書きたいと思っていますが、なかなかまとまらない状態。この話題はいったん棚上げして、今回は先週突然にゼロコロナ政策を中止した中国の今後の行方について考えてみたいと思います。

 

(1)各国の新型コロナの現状

世界の中では、ゼロコロナ政策をかたくなに堅持して来た中国だけが未だに国民の中での免疫保持者の割合がかなり少ないものとみられる。その行方を考えるための基礎データとして、ひさしぶりに各国の現在の感染状況を調べてみることにした。(Our world in data  Coronavirus Pandemic (COVID-19) よりデータを引用)

感染発生以来、過去約三年間の主要国の陽性者数と死者数の累積の推移を下に示す。陽性者の中には二回以上感染した人も少数はいるだろうが、以下のデータでは人数としてではなく感染回数のみを数えて陽性者数としているようだ。

 

図-1 各国の累積検査陽性者数の推移(図、表はクリックで拡大、以下同様。)

図-2 各国の累積死者数の推移

これらの図を見ると、各国を二グループに分類してよいと思われる。インド、ベトナム、英国のようにオミクロン株が蔓延し始めた今年初めの段階で感染拡大がほぼ止まった国と、日本、韓国、ドイツ、米国のように現在でも感染拡大が続いている国である。

 

次に、上のグラフの今年12/16時点でのデータから計算した陽性者中の死亡率、全人口に対する陽性率、死亡率と、各国の医療水準を示すデータとをひとつの表にまとめてみた。上のグラフに表示されていない国も含めている。各指標の上位三カ国を赤色太字で示した。

表-1 各国の陽性者中死亡率、全人口に対する陽性率・死亡率、医療水準指標

 上のグラフと表を見て気づいた点を以下にあげておこう。

・フランスや韓国のように国民の半数以上が既に陽性となった国がある一方で、インドのように陽性率が3%に留まっている国もある。これはインドでは感染者が少ないということではなく、インド政府が今年の春の段階で積極的な感染者検出を放棄したためだろう。

昨年春のインドでは、死者の激増で火葬が間に合わず棺桶用の木材が奪い合いになるという惨状となったが、昨年末には一転して国民の皆がマスクをせずに談笑している光景が報道されていた。インド国民のほぼすべてが陽性者となって集団免疫が成立したために、今年に入ってからは感染対策が不要になったことは明らかだろう。

・インドと同様に英国、フランス、米国等も既に集団免疫が既に確立済みと推測される。これらの国ではワクチン接種も順調であり、その効果も寄与しているのだろう。

・ドイツや米国では未だに陽性者数が漸増しているが、これには初期に感染またはワクチン接種を受けた人が、免疫が低下したことで感染力の強いオミクロン株に再感染した事例がかなり含まれているのかも知れない。

・東アジアの日本、韓国、台湾では、初期の感染対策が世界的に称賛されたものの、それゆえに未感染者の割合が他国よりも多い状態に留まっていた。感染力が強いオミクロン株が新たに登場したために、今になってから未感染者やワクチン効果が薄れた人への感染拡大が続いている状況なのだろう。

ベトナムもインドと同様に今年に入ってからは感染拡大が止まっているが、全人口に対する陽性率は12%と低いままである。インドと同じく積極的な検査を既に放棄しているのかもしれない。また同国は共産党一党独裁国家でもあり、中国ほどではないにせよ意図的に操作した情報を公表している可能性もある。

・中国については、累計陽性者数が人口が自国の60分の1の台湾のさらに約5分の1に留まるという異常な数字であり、「無症状者は陽性者としてカウントしない」という方針がその通りに実施されたとしても(この方針自体、コロナ対策上は問題)、到底実態を反映している数字とは思えない。

中国政府が発表する数字は、下の例に見るようにその多くが実態を反映しないフェイクデータであると思ってよいだろう。このような事例が頻発する原因については後でまた触れたい。

「中国人口は本当に14億人?…14歳以下で出生データに差、水増し疑惑」

「夜の明かりを調べれば独裁者の「経済成長」のウソがバレバレとの研究結果」

 

・医療水準との関係については、陽性者中の死亡率と千人当たりの病床数の関係は明らかだろう。病床数の多い日本、韓国、ドイツ、台湾では陽性者中の死亡率が低く、病床数が少ないインド、ブラジル、英国、米国では高い。ただし、東アジアでは変異株が死亡率が低いオミクロン株になってから陽性者が激増したことも考慮に入れる必要がある。

 

(2)日本での各波ごとの死亡率の変化

上の表-1では、感染発生以来の累計陽性者と累計死亡者から死亡率を計算した。現在は世界中でオミクロン株による感染が主流となっているが、各変異株ごとに死亡率が変わってきていることは明らかなので、この点も調べておく必要がある。

現在の日本国内では感染の第8波が拡大中だが、感染当初からの日ごとの新規陽性者と死亡者の推移は以下のようになる。図-4の図中に示した数字は第〇波の番号。

 

図-3 日本の新規陽性者数(人)/日の推移

図-4 日本の死亡者数(人)/日の推移

第6波以降はオミクロン株が大半と推定されるので、第5波以前とそれ以降の各波ごとの陽性者数と死亡者数とを調べた。

陽性者のピークと死亡者のピークの間には2,3週間のズレがある。このため各波間のボトムの位置(陽性者または死亡者が最低となる日付)を調べて、隣り合うボトムにおける累積数の差をその波における陽性者と死亡者の総数と見なすこととした。

結果は以下の表のようになる。第8波はまだ収束に至っていないため、直前のボトムから今月12/16までの累積値を仮の値として採用した。

 

表-2 各波の死亡率

第8波は未確定で参考値だが、オミクロン株では従来株よりも死亡率が一桁低くなっている。第5波以前についても同様にして死亡率が算出できるはずだ。一般へのワクチン接種が出来なかった第1波から第3波までは、死亡率は1%よりもさらに高かっただろう。

なお、中国当局が先日に手のひら返しをしてゼロコロナ政策を撤廃したのと同様に、最近は国内でも「オミクロン株はもはや風邪のようなもの」と表現する人も出てきた。日本では年間で推定一千万人がインフルエンザに感染しているそうだ。

インフルエンザが原因で死亡する人の割合が次の資料に出ているが、60才以下ではインフルエンザの死亡率はオミクロン株とほぼ同じ、60才以上ではオミクロン株の四分の一程度とのこと。高齢者に関しては、やはり風邪よりもかなり危険性が高い。かからないにこしたことはない。

「新型コロナウイルスと季節性インフルエンザの重症化率等について(厚労省)」

 

私的な話になるが、筆者自身、おそらくは第七波で感染したらしい。推測で語るのは、症状が治まってかなり経ってから、あれはオミクロン株に特有の症状だったと気づいたからである。

今年八月の末にノドに痛みを感じるようになり、特に朝起きた直後にはかなりの痛みを感じた。日中は特に気になるほどの痛みではなく夏風邪を引いたくらいに思っていたが、コロナかどうかが少し気になったので毎日体温を測ったものの、毎回36℃台半ばの平熱であった。37℃を超えたら関係機関に相談しようと思ってはいたが、結局一度も超えることは無く、ノドの痛みも一週間ほどで収まったのでそのままにしていた。

九月の末に会った友人が自分と同じ時期に陽性判定されていたと聞き、その症状を確認したら自分と全く同じであった。その後、九月頃に陽性になった知人数名と会う機会があったが、誰に聞いても自分とほぼ同じ症状だった。いずれもノドが痛くなり体温は最初に若干上がったものの、あとは陰性判定が出るまでほぼ平熱だったそうだ。ノドの痛みは人によってかなり差があり、「耐えきれない痛みだった」と表現する人もいた。

ワクチン接種については、筆者は今年四月上旬に三回目を接種、五か月後の九月に四回目を受けようと思っていたのだが、結局は色々と忙しくてそのままにしている。「もうかかったから抗体はかなりできているはず」と思って接種四回目を先延ばしにしている面も確かにある。ただし、やや不安に感じることもあり年明けに接種に行こうかどうしようか思案しているのが現状である。

なお、筆者が症状が軽くて済んだのは、自分としては「免疫を強化するビタミンDの摂取に努めたからだろう」と勝手に思っている。当ブログの以前の記事でも紹介したが、「ビタミンDを多く含む魚を食べて日光に当たる」というのは確かに免疫力の強化に有効なようだ。コロナ禍以前から、筆者は肉よりも魚・大豆でたんぱく質を摂取することが多く、かつ、雨の日以外は、ほぼ毎日のように戸外で過ごす生活を送っているのである。

下にビタミンD関連の記事をいくつか紹介しておくので、ご参考。

「ビタミンD不足が寿命を縮める 総死亡リスクが6倍増」

「日本人が知らない「ビタミンD」不足の怖さとは」

「新型コロナウイルスービタミンDによるCOVID-19対策」

 

余談だが、最近読んだ記事の中で気になるものがあったので今後の参考とされたい。今年はオミクロン株の流行で成人の死亡率が減少する一方で、子供の死亡率は激増しているという内容だ。

「健康な子の死亡、後絶たず オミクロン株流行で」

「わが子にはワクチンを打たせたくない」という親が多いとはよく聞くが、子供のコロナ対策としては、やはりワクチン接種こそが最優先で選択するべき道だろう。日頃は健康であっても急に突然死する子供や成人は、今回のコロナ禍の発生以前から常に一定の割合で存在しているのである。

たまたま接種直後に突然死したからと言って、それを直ちに接種行為自体と安易に結び付けてよいものだろうか。「ワクチン接種は危険」と主張する人たちは、まずその主張の根拠を数字として明確に示すべきだろう。

 

(3)中国の新型コロナの行方は?

今回の本題に入ろう。その前に「集団免疫」について少し述べておきたい。

「集団免疫-wikipedia-」によると、構成員が均質でかつ互いに十分に接触し合う集団での感染拡大が止まる割合P0は次の式で計算できる。

P0=1-1/R0

ここでR0は、ある個人が平均で何人に感染させるかを示す値で平均基本再生産数と呼ばれている。第五波の主流であったデルタ株ではR0は最大で4、オミクロン株では10程度だろうとされているようだ。ちなみにインフルエンザでは最大で1.8とのこと。

「オミクロン株の基本再生生産数・実効再生産数はどれくらいと推定されるか?」

仮にR0=10とすればP0=0.9、つまり、最終的には90%の人が感染してようやく感染が止まるということになる。上に述べたように、筆者のようなほぼ無症状のままに感染したであろう人もかなりいるだろうから、表-1に示した現状も合わせれば日本国内では既に五割弱程度の人が感染済ではなかろうか。

 

今後、オミクロン株が中国でも蔓延した場合には、長い時間を経た後には全人口の大半が感染するだろうと予想される。陽性者の死亡率は、少なくとも病床数が世界トップクラスの日本や韓国よりは高いだろう。

なお、上の表-2で日本国内の各波ごとの死亡率を示したが、これは公式に認定された陽性者数を分母として計算した値である。実際には筆者のような軽症または無症状の陽性者がかなりいるはずだからその補正が必要であり、無症状者も含めた真の死亡率は表-2の値よりもかなり低いだろう。

表-1を見ると韓国の対陽性者死亡率は日本の約半分、人口比の陽性率は日本の約2.5倍となっている。これは韓国の陽性検査が日本よりも徹底しているためだろう。日本の真の対陽性者死亡率は表-2の値よりも低く、韓国のそれに近い値だと思われる。

さて、仮に中国の全人口14.25億人の数字が正しいとして、その八割がオミクロン株に感染、陽性者の死亡率を0.2%と仮定すると、予想される死亡者の全体数は228万人となる。極めて多いように見えるが、中国の通常の年間死亡者は2022年に1055万人と推測されているから、その四分の一弱ということになる。

死亡者数が平年値の五割や十割増までに至れば隠蔽は困難だろうが、この程度の増加なら政権側の情報操作で隠し通せるのかもしれない。そもそも、政権自身もそうなのだろうが、それを批判する側にも、中国全国から正確な死亡者数を集計し、その総合計の信頼度を確認したうえで公表できるだけの能力はないだろうから。

「中国 租死亡率」

ここ数日、中国のコロナによる死者数が来年は百万人を超えるだろうという予測が相次いでいるが、上で計算したように、長期的に見ればそれよりもさらに多くなるのではないだろうか。

「ゼロコロナ緩和の中国、来年に死者100万人超える恐れ=米研究所」

さらに、医療体制も、有効なワクチンも不足している現在の中国国内の状況なのである。陽性者の死亡率は0.2%よりもはるかに高くなる可能性がある。また、日本や韓国ではかなりの社会的規制を維持しながら約三年間かけて現在に至っているが、中国では今までの厳格な規制を今回一気に取り払ってしまった。今後しばらくは医療崩壊の状態が続くだろう。死者が二百万人どころではすまない可能性は高い。

ただし、これから発生するこのコロナ禍による中国国内全体の大量死者数については、大躍進や文化大革命の時と同様だが、今後正確な数字が公表されることになるとは到底思えない。政府が真の数字を隠蔽するからというよりも、そもそも各地から上がって来る数字が信用できず、政府上層部が正確な数字を把握できないだろうからである。

政府のトップが政策も人事も一人で決める独裁体制の元では、各層の官僚は自分の昇進に有利になる数字しか上部に報告しないはずだ。GDPや人口の減少、コロナによる死者数の増加を上に正直に報告すれば自分の評価が下がることになる。彼らには正確な数字を報告しようとする動機がもとからないのである。

日本でも、安倍総理-菅官房長官体制下で内閣人事局が幹部級の官僚人事を一手に握るようになってからは、「忖度」と言う言葉が流行するようになった。国会で平気で百回以上もウソをつく国税庁長官まで現れる始末だ。

日本ではたかだかこの十年程度だが、中国では秦の始皇帝以来の二千年以上に及ぶ官僚の阿諛(あゆ)とへつらいの伝統があり、忖度にも年季が入っている。この悪習を撤廃するためには権力の各層への分散が不可欠だが、仮に習近平がそれをやったとしたら、今までに追放して来た連中に逆に寝首をかかれかねない。習政権の当面のコロナ禍への対処としては、地方政府に対策決定権を丸投げして中央政府の責任を回避するとともに、国民への情報統制を一層強めることになるだろう。

せめて死亡率を日本や韓国並みに抑えるためには、外国からのワクチンの緊急導入が不可欠だが、習政権にそれができるだろうか?これができるかどうかで今後の習政権の体質と方向がかなり見えて来るように思う。

仮に、習のメンツまるつぶれにはなるが、方針転換してファイザーやモデルナのワクチンを輸入するようであれば、習政権の今後の危険度は相当程度やわらぐことになるだろう。しかし、このまま自国製の効力が乏しいワクチンを使い続け、情報操作と情報隠ぺいで政権のメンツを守りながらこの難局を切り抜けようとする可能性の方がはるかに高いだろう。習政権のメンツ重視の姿勢が明確になれば、その分だけ台湾侵攻の可能性もさらに高まることになる。

独裁政権が自分のメンツにこだわった結果、当の政権のみならず国自体も滅んだ例は歴史上にあまたある。

1941年、米国は日本への全面石油禁輸に踏み切り、さらに日本政府にハル・ノートを突き付けて中国と仏印(現ベトナム)からの日本軍の全面撤兵を迫った。既に日中戦争は泥沼化して先が見えない状態になっていたが、天皇と政府の許可を得ることもなく勝手に中国との戦争を始めた日本陸軍は、あくまで自分たちのメンツを守ろうとしてこの米国提案を拒否。その結果、こちらから先制攻撃する以外には勝ち目はないということになり、日本は米国との全面戦争に至った。

プーチンが始めた現在のウクライナ侵略も、この1941年における日本陸軍の状況にそっくりである。この今の状況が今後も続けば、プーチンの排除だけでは済まず、ロシアという国の解体という可能性すらも出て来ることになるだろう。

自分のメンツにこだわり続けて妥協を拒否した独裁者、または独裁政権が、いずれは徹底的な敗北を喫することになるのは歴史が証明するところだ。習近平の運命は、この先一、二年の彼の出方しだいで決まることになる。

 

(4)中国の政治・経済の行方は?

「鼓腹撃壌」という中国の四字熟語がある。この言葉は紀元前89年に成立した「史記」に載っているから、少なくとも二千年以上前の春秋戦国時代にはすでに存在していた言葉なのだろう。

筆者は、中国人の政治に対する姿勢がこの言葉の中に集約されていると常々感じている。以下、この言葉の由来となった原文の口語訳の一例を示しておこう。

 

老人有り、哺を含み腹を鼓し、壌を撃ちて歌ひて曰はく、
「日出でて作し、日入りて息ふ。
 井を鑿ちて飲み、田を耕して食らふ。
 帝力何ぞ我に有らんや。」

(以下、口語訳)

ある老人がおり、口に食べ物をほおばり腹つづみみをうち、足踏みをして土を踏み鳴らし、調子を取りながら歌って言うことには、

「日が昇れば仕事をし、日が沈んだら休む。
 井戸を掘っては水を飲み、畑を耕しては食事をする。
 帝の力なぞ、どうして私に関わりがあろうか、いやない。」

「『鼓腹撃壌』 書き下し文・わかりやすい現代語訳」

「仕事も食べ物もふんだんにあって、日常生活が楽しく順調である限りは、政治を意識することはない。誰が皇帝になろうが、自力で生きている自分には関係ない。」という意味である。わが身を振り返ってみれば、我々日本人もこの点では似たようなものだろう。

ただし、中国人が我々と異なるのは、その順調な生活がいったん破綻して食えなくなってしまえば、その途端に大規模な対政府反乱を過去に何度も起こして来たという事実である。

バブル崩壊以降の約三十年間で政権交代はわずか三年間だけ。国政選挙の投票率は年々低下が続き、実質賃金も低下する一方なのに、たいして文句も言わずにコツコツと働き続けている我々日本人とはずいぶんと違うのである。

歴史上の中国王朝はいずれも大規模な農民反乱によって滅亡した。蒋介石中華民国政府は上海・浙江省の資本家集団に支えられてきたが、圧倒的多数の農民を味方につけた毛沢東に追われて台湾島に逃亡した。

現代中国では農民層は既に人口の半分以下に縮小し、元農民出身の都市に住む中間層が世論形成の主体となっている。彼らの最大の関心事は仕事と衣食住の確保である。衣食住が保証されている限りは、不自由を強いられるゼロコロナ政策にも従順に協力して来たのだが、住宅バブルが崩壊し大卒者が就職難にあえぐ昨今の状況となっては、そろそろ堪忍袋の緒が切れる時期が近付いているのだろう。その前兆が先月末に発生した若年層による「白紙運動」なのだろう。

「白紙運動」自体が先日の「ゼロコロナ政策の撤廃」の主な原因になったとは思えない。政府は各地で増加するオミクロン株による感染増加を以前から把握していて、このままでは到底抑えきれないと判断して政策撤回に至ったのだろう。

ある程度の期間中は自由に批判させておいて、反政府運動の首謀者のリスト一覧をつくっておいてから一挙に弾圧するというのが中国政府の常套手段である。1956年の「百花斉放百家争鳴運動」、1989年の「天安門事件」、言論弾圧により2020年に幕引きを迎えた「香港の民主化運動」等々、その前例には事欠かない。

新型コロナまん延による死者の増大だけで中国の政治が一気に転換点を迎えるとは思えない。しかし、今後も住宅バブル崩壊、欧米を主とする外国資本の撤退、失業率の増大がさらに深刻化することはほぼ確実だろう。習近平がこのまま強権発動を続けるのか、それともどこかで妥協して若干の軌道修正をするのか、日本を含む世界の安全保障と経済とに大きな影響を与えるであろうことは間違いない。

 

なお、あまり考えたくないことではあるが、ひょっとしたら習政権はオミクロン株の蔓延をむしろ歓迎しているのかもしれない。感染まん延で死亡する者の大半が高齢者である。中国の急速な少子高齢化が確実である現時点では、高齢者人口が大幅に減ることは社会保障費の大幅削減をも意味しており、国力の増大のためにはむしろプラスなのである。ゼロコロナ政策の撤廃とは、実は現代中国版「姥捨て山」政策の開始を意味しているのではなかろうか。

日本を含めた先進国では到底ありえない政策選択だが、なにしろ数年前までは「一人っ子政策」を国民に強制していた国なのである。「国民の人権」という概念が存在しない国なのである。西側の民主主義国と異なり、中国の政権は「国民に対するサービス提供」のために存在しているのではない。まともな選挙制度が皆無な中国では、「国民は時の政権にコントロールされ、収奪されるために存在している」のである。

中国人は「人間はみな平等で等しく権利を有する」とは考えない。「人間は支配する側と支配される側の二種類に分かれる」というのが中国の伝統的思考法である。

支配する側の人間とは、かっては皇帝と彼を取り巻く科挙に合格した官僚層であった。現代中国では、中国共産党書記長と彼を取り巻く厳しい資格審査に合格した共産党員とがそれに相当する。それ以外の国民は政治的には支配層によって操られ収奪される対象にすぎないものの、彼らは生活に困窮しない限りは「鼓腹撃壌」の日常生活に結構満足している。

筆者のこの「高齢者人口を減らすためにゼロコロナ政策を撤廃したのでは?」という疑問が根拠のあるものであるかどうかは、今後の中国の政策の推移を注視することで明らかになっていくだろう。筆者のこの危惧が空振りに終われば幸いである。

 

最後に、再びサッカーW杯の話題を取り上げたい。この一か月間、時々ではあったが日本代表の試合を中心にいくつかの試合を観戦していた。この間でもっとも印象に残ったのが日本がPK戦で敗退したクロアチア戦であった。ちょっと著作権的な問題があるのかもしれないが、当時の記事の中から写真を一枚転載しておきたい。

 

「「ダイゼンは親友、彼を思うと悲しい」涙の前田大然を抱擁して話題のクロアチア代表DFが心中を明かす「ゴールを祝福した」【W杯】」

 

このクロアチアの選手はPK戦の直後、勝利に歓喜する仲間に加わる前に、号泣する前田選手を抱きしめに行った。彼と前田選手とはスコットランドセルティックに所属するチームメイト同士なのである。

上に習近平政権を批判する内容を色々と書いたが、自国や他国の国民の人権を無視し大量殺害すら行う政権と、その国の国民とを同一視してはならない。戦争は、相手国の政権と国民とをひとまとめにして見下すか、丸ごと敵とみなした段階で既に始まっている。その政権下の国民はむしろ政権の被害者であることが多く、政権とは厳然と区別すべきである。

戦争や迫害を止める要素は、根本的には国境を越えた人と人とのつながりの中にしかない。自国の中だけに閉じこもっていないで、数多くの国と交流して友人や共に働く仲間を世界中にたくさん作ろう。上の一枚の写真は、国境を越えた共感や友情がいかに大切であるかを教えてくれている。

/P太拝

今回の鳥取市市議選の結果について

11/20(日)に鳥取市の市会議員選挙が行なわれました。この機会に、久しぶりに鳥取市政について取り上げてみたいと思います。「日本の風力発電の未来」シリーズ記事については、あと一回、「風力に替わる再生可能エネルギーは?」の内容で書く予定です。

 

(1)低下する一方の投票率

今回の市議選の結果については市の公式サイトを見ていただきたい。定数32に対して37名が立候補し、現職24名、新人8名が当選した。

今回の選挙で最も目についたことと言えば、先回をさらに更新する過去最低の投票率39.15%であった。有権者10名のうち6名強が投票しなかったことになる。

2008年以降の市議選の投票率の推移を下に示す。同じ年の春に行われる市長選の投票率の推移も併せて示した。

図-1 鳥取市市議選・市長選の投票率の推移(以下、図・表はクリックで拡大)

            過去の選挙結果|鳥取市 (tottori.lg.jp) より

 

市議選の投票率が一貫して下がり続ける一方で、市長選の投票率は大きく変動している。これは市長選の候補の構成が毎回異なるためである。

2006,2018,2022の三回は現職と共産党系新人の一騎打ち、2010年は現職と元大手新聞記者の新人の一騎打ちであった。2014年は前市長が後継に指名した前副市長、元県会議長の保守系前県議、元地元テレビ局アナウンサーの三つどもえ戦となったために、久しぶりに投票率が50%を超えた。

筆者は、2014年の市長選の際には前県議の応援にかなり尽力したのだが、三つどもえの激戦にもかかわらず投票率がようやく50%を若干超えるにとどまったのを見てずいぶんとガッカリしたことを覚えている。「みんなは、市政に対してたいして関心を持っていないのだな」と。

その頃の仲間と会うと、今でもよく「第三の候補の突然の出馬が無ければ、当然、鉄永さんが勝っていたんだろうな」という話になる。その場合には、鳥取市政は現状とはずいぶんと違っていたことだろう。

このように市長選の投票率は候補しだいで大幅に変わるのだが、市議選の投票率の低下の理由については個人的には理解できる点が多い。そもそも、筆者自身、以前は市政にはほとんど関心を持っていなかったので、2010年の市議選までは自分が誰に投票したかを全然覚えていないのである。国政選挙、知事選、市長選に関しては必ず投票に行っていたはずなのだが・・。

多分、当時の筆者は、市議選に関してはほとんど投票に行っていなかったのだろう。当時は、「そこそこ常識のある人達が鳥取市政を運営しているのだろう」くらいに思っていた。後で、この認識は完全に間違っていたと痛感することになったのだが。

筆者が市議選で投票所に足が向かわなかった理由についてあらためて考えてみると、その理由は以下のようになるだろう。

 

① 無所属で立候補している候補者が大半であり、どのような政策を持っているのかが判りにくい。さらに選挙公報を見ると、どの候補者も似たような公約を掲げており、その差が見えてこない。

② 市会議員の話を聴く機会が全くないので、各議員の考え方と実行力の有無を確認することができない。四年に一度だけ、一週間、朝から晩まで街宣車で自分の名前を連呼されるだけでは、「この人に何を期待したらいいのか」が判らない。街宣車が通り過ぎるたびに、ただ「ウルサイ!」と思うだけなのである。

③高齢化で昔から住んできた人が減少し、転入者も増えて地域の共通課題が見えにくくなってきた。近所の人がどのような不満や欲求を持っているのか、そのことを知る機会が少なくなった。当然、市政に何を要望したらいいのかがわからなくなってきている。

④ 筆者自身、多忙な会社員生活を送っていた頃には、国の政策、あるいは部分的には県の政策が自分自身の生活や働き方にも関係してくるとは認識していた。しかし、市の政策となると、自分の生活にどう関係してくるのかがよくわからなかった。その点を理解できるようになったのは、会社を退職してある程度ヒマになってからのことである。

⑤ 以前は、市の政策が話題になるのは、地元の飲み仲間で飲んでいる時に出て来る話題くらいであった。「隣の地区には野球のグラウンドが出来た。市会議員に頼んでうちの地区にもつくるべきだ。」というようなたぐいの話題である。その場では適当に合槌をうってはおいたが、腹のうちでは「必要なら隣の地区の施設を借りにいけばよい。単なる地域エゴの無駄遣いだ。議員は市全体のことも考えるべき。」と思っていた。

当時は、大半の市会議員はこのような地域エゴの代弁者にすぎないのだろうと思っていた。そうではなくて市民全体の利益を追求している議員もいるのだと知ったのは、退職後に市議会を傍聴するようになってからのことだ。

⑥ 水道料、ゴミ処理料金、各施設手数料、保育料等々の生活面での身近な費用が市議会で決まるのだという事も、以前ははっきりとは認識していなかった。さらに我々が市に納める所得税や消費税の使い方についても、市議会はたいていは市長の方針を追認するだけに終わるということも認識していなかった。

さらに国から市への地方交付税も加えた巨額の税金が、地域の産業振興や雇用拡大、福祉の充実のために使われるのなら良しとするのだが、その巨額の税金を使って、駅前のバードハットだの、市庁舎の新築移転だの、必要な処理能力をはるかに超えた巨額浄水場建設だの、特にやらなくても済むはずのムダな公共工事ばかりを、市長と市議会とはなんで強行しようとするのか?そのような疑問を抱いたことがきっかけで、筆者は市政に関心を持つようになったのである。

 

さて、上の図-1に戻ろう。2014年から2018年にかけて市議選の投票率が53.0%から41.7%へと一気に11.3%も激減した原因は明らかである。

2014年の市議選に当選したA議員は、その直後の市議会で市議選当時の公約を撤回し、市庁舎移転の位置条例に賛成する側に変わった。その結果、移転賛成議員が市議会の2/3を超えて移転条例が成立するに至り、約100億円を要する市庁舎新築移転が正式に決定したのである。

2012年には住民投票まで実施して市を二分したこの市庁舎新築移転問題が決着したことを受けて、新築移転に反対していた市民の間には「選挙に行っても結局はムダ」という気分が広がり、市政への関心が急速に失われてしまったのである。なお、このA議員は今回の選挙でも当選し、いまだに議員の椅子を守り続けている。

今回の市議選の投票率は四年前をさらに2.5%を下回り史上最低を記録した。今回の地区別の投票率はまだ公表されてはいないが、四年前の市議選の地区別投票率によれば投票率が30%台の地区は以下のようになる(地名付きの投票所である小中学校、公民館等のみを抜き出した)。

城北、浜坂、富桑、日進、修立、東中、稲葉山、面影、大正、世紀、松保、湖山、美保南、中ノ郷、若葉台、桜ケ丘、宮下、浜村、日置

なお、前回選挙では、南中のみが唯一の20%台となる投票率29.48%を記録した。

このように見ていくと、市の中心部と、周辺部で特に住宅新築が盛んな地区、言い換えれば人口流動が激しい地区で投票率が特に低いことがよく判る。やはり、地域内のコミュニケーションが少なく共通課題が判りにくい地区では、市政への関心が希薄で投票率が低くなるという傾向があるようだ。

その一方で、旧町村部や旧市内でも中山間地では投票率が70%を超えている地区もある。このような地区では、良くも悪くも「周囲の眼を気にせざるを得ない」ことが投票率を高めることに効いているのかも知れない。

 

(2)開票結果について

以下、開票結果の内容を見ていきたい。次のサイトには候補者の年齢と職業が載っているのでご参考まで。このサイトは多分、今後数年間は消されないはず。

鳥取市議会議員選挙 - 2022年11月20日投票 | 候補者一覧 | 政治山 (seijiyama.jp)

 

(2-1)組織票が優勢

トップ当選は、市の選挙で初めて党派として「維新」を名乗った新人であった。物珍しさが票を集めた面もあるとは思うが、念入りな事前活動にも注目したい。

公示の一か月ほど前だっただろうか、宣伝カーが同候補の名前を連呼しているのを聴いて「いったい何なのか」と思ったことがある。そのうちに市内のあちこちにポスターが貼ってあるのを見て、市議選の立候補予定者であることにようやく気づいた。

これだけの事前活動をするためには、かなりの活動資金が必要だろう。不動産会社の経営者ということだが、この会社は土木・建設会社グループの一員である。既に豊富な資金源を背後に確保していることは間違いなかろう。

一般に「いったん投資をした以上は、後での回収を徹底する」というのが商売の鉄則ではある。その回収の内容が実利とは関係のない「広範な民意の反映と実現」の範囲に留まっておれば良いのだが・・。よからぬ方向へと進まないことを切に祈りたいものである。

二位には前回のトップ当選者が入ったが、前回よりも800票ほど減らしている。一位、二位ともにそのバックには土木・建設業界がついており、当然、業界票がこの二人に集中したと見てよい。鳥取市の従来の公共事業偏好の姿勢は今後も続くことになるだろう。

公明党は五名全員が当選し新人二名は五位と六位、最低当選者でも十四位であった。組織票の割り振りがうまくいったのだろう。投票率が低かったことも堅い組織票を持つ同党には有利に作用した。公明党は一貫して現市長の政策を支持してきた。主に会派新生と公明党との支持を得て、市長の提出する政策が今後も従来と同様に順調に市議会で成立し続けることは間違いないだろう。

 

(2-2)新人・若年層への期待が大きい

新人や若年層の上位当選が目についた選挙でもあった。32名を上位当選者と下位当選者の各16名ずつに分け、さらに現職・新人と年代別に分けて比較してみた。

「現職・新人」  現職    新人

上位当選者     9     7

下位当選者    15     1

 

「年代別」   30~  40~  50~  60~  70~

上位当選者    1    2    3    8    2

下位当選者    0    2    2    7    5

 

新人当選者8名のうち、実に7名が上位で当選しており、有権者は新人を優先して選んでいる。さらに上位当選者は30~40代の若年層が多く70代以上の高齢層が少ないのに対して、下位当選者には高齢層が多い。ただ一人だけ下位で当選した新人が60才代であったことを見ても、有権者が新人、かつなるべく若い候補者を選んで投票したことが判る。

今後の市政の主流は従来とあまり変わることは無いだろうが、新人と若年層とが上位を占めたことは、有権者が現職の市会議員の従来の活動にかなり不満を抱いていたことを示している。「今の鳥取市のままではだめだ、何かを変えなければ」という意識が市民の意識の底に生まれ始めたのではないだろうか。

 

(3)衰退が進むばかりの鳥取市

ある街の活力を表す代表的な指標は人口の推移だろう。経済的に活気がある街には人が集まり、経済活力を失った街からは人が去っていく。経済面のみに人生の価値がある訳ではないことはもちろんだが、経済が不振になれば、自治体は高齢者の福祉や子供の教育に回す財源すらも確保できなくなる。地域内の消費が落ち込めば、チェーン店も全国的企業の支店もこの街から急速に消えていく。

鳥取市の人口推移を県内第二の都市である米子市、さらに日本全体と比較してみよう。図-2に2014年3月末の人口を100とした時の毎年3月末における両市の住民登録人口の推移を示す。なお、日本の数値としては、国勢調査の数値に合わせるために毎年10/1時点での推定人口を用いている。

 

図-2 鳥取市米子市、日本全体の推定人口の推移

月別世帯数・人口|鳥取市 (tottori.lg.jp) 米子市統計資料…住民基本台帳に基づく人口世帯数表/米子市ホームページ (yonago.lg.jp) より

 

2014年は深澤現市長が初当選した年でもある。それから八年で鳥取市の人口は5%近くも減少した。この減少率は米子市の約二倍、日本全体の約三倍に相当する。これを衰退と言わずして何を衰退と呼ぶのだろうか。

都市の人口が多いほど人口減少率は小さくなる傾向があるが、現在の鳥取市の人口は18.3万人、米子市のそれは14.7万人とわずかな差でしかない。しかも米子市の方が規模が小さいので鳥取市よりも人口減少が激しいはずなのだが、実態は逆だ。

過去五年間の鳥取市の人口は前年同月比1000~1500人の範囲で減少を続けており、二年程度先には人口が17万人台に転落することがほぼ確実な状況となって来た。2004年の大合併直後の人口20万人超は一瞬の夢でしかなかったのである。

2014年の市長選では、故鉄永候補は「2012年の住民投票結果を尊重し、市庁舎の新築移転は実施しない」ことを明言していた。同候補はさらに公約のひとつとして「地域内でおカネを循環させる」ことを挙げていた。

地域内に入って来たおカネを、すぐに地域外に持ち出すことを極力避け、なるべく地域の中で循環させる。循環させるおカネの量が増えるほど、それに比例して地域内の雇用も増える。具体的には、「市が必要とする仕事はなるべく地域内の企業に任せる、市が市内の需要と雇用とを率先して創出する」ことであった。

それに並行して、彼は「市内の中小企業の下請け体質からの脱却と、競争力強化の支援」をも公約として掲げていた。筆者は当時、鉄永氏に「市内に本社を持つ企業を応援して、その数を増やしましょう」と進言したことがある。市内に本社を持つ企業は、倒産・廃業しない限りは、この街から出て行かないからである。

 

今の深澤市政がやっていることは、この鉄永氏の公約内容とはまったく真反対である。新築移転後の新庁舎では、窓口業務のほとんどを東京の大企業であるニチイ学館からの派遣社員に丸投げしてしまった。市が窓口担当者を直接雇用してきた従来の体制と比較すれば、ニチイ学館が東京に持ち帰る分だけ市内を循環するおカネが減ることになる。

また、正職員が窓口に立たなくなったことで、正職員は市民の声を直接聞く機会が失われた。市民の不満や苦情が正職員に届きにくくなってしまったのである。

さらに、現在、解体・新築中の市民体育館では、市は「解体・新築とその後の運営」の一切をスポーツ用品メーカーのミズノを主とする企業連合に55億円で丸投げしてしまった。施設の運営を市職員が直接担当するか、または市内の業者に委託すればすむことなのに、間にミズノを入れたことで多額の税金がミズノの本社がある大阪市に流出することとなった。

深澤市長は東京や大阪の大企業の方ばかり向いて仕事をしているように見える。彼はいったい誰のための市長なのだろうか?また、窓口業務や体育館の運営を外注にまかせてしまった市の正職員は、新築した市庁舎の中でいったい何をしているのだろうか?

彼らは本当に価値を生み出す仕事としているのだろうか?彼らの本来の仕事とは、市民の生活向上を支援するためのサービス提供が最優先であって、上司や国・県に見せるためだけの当りさわりのない内容にすぎない書類つくりは二の次に過ぎないと思うのだが。

深澤市政の目玉のひとつである企業誘致の面ではどうか?市は南吉方の鳥取三洋の跡地に税金で工場を建て機械設備までそろえて岡山の菓子メーカーを誘致したが、この工場の市経済への貢献はどうなっているのか?この工場の前を通り過ぎるたびに社員駐車場に眼が行ってしまうのだが、従業員数は以前にここを占めていた三洋の工場よりも一桁は少ないことは確実だ。市内の雇用への貢献は微々たるものだろう。

このブログで以前に取り上げた河原町の山手工業団地にしても、その後も進出企業は現れず、市が整地した用地の大半が空き地のままに放置されているらしい。

知人から聞いた話では、市内の某中小企業の経営者が「市が誘致した企業が高い給料を示して、せっかくわが社に入って将来を担う貴重な人材として育てていた社員をさらっていってしまった。我々が納めた税金で市が誘致した企業に自社の社員が奪われるとは・・、踏んだり蹴ったりとはこのことだ。」と話していたそうだ。

市外から誘致した企業は、いざ業績が不振となればさっさと出て行くだけのことだ。県と市とが至れり尽くせりで操業条件を整えてくれたおかげで自前の投資が少ない分、操業を止めて出て行くのも簡単だ。鳥取にこだわりを持ち、本社をこの街に置こうとする企業だけが市内に残ることになる。それは現在市内で業務・操業している地元の中小企業に他ならない。

巨額の税金を投入して外部の企業を呼んで来ても、たいていは無駄な投資に終わる。政治家と役所の単なるパフォーマンスでしかない。そのことは鳥取市内の電気産業の壊滅で既に経験済のはずなのに、またぞろ同じ失敗を繰り返そうとしている。

また、市庁舎新築移転、目的不明なバードハット(通称ダラズハット)の建設、巨大浄水場の建設等々、国からの補助金を目当てとして、竹内前市長と深澤現市長とはともに市内の公共事業・ハコモノ建設に狂奔してきたのだが、その効果はいっこうに現れてきていない。税金を浪費して国の借金を増やしただけに終わった。

これらの見当ハズレで間違った政策の結果が、図-2に示した人口の急減として既に明白に現れてきているのである。

 

筆者が2013年に市庁舎新築移転に反対する運動を手伝うようになってから既に九年も経ってしまったが、この間にわかったことが二つある。

一つ目は、「市会議員を数名ほど取り替えてみたところで、市政の向かう方向はほとんど変わらない」ということだ。

本会議や各委員会での質疑を見聞きしていると、かなりの数の議員の行政に関する知識や能力の不足には相当ヒドイものがある。これでは議員による条例の提案などは(熱意と能力のある少数の議員を除けば)一般的には望むべくもない。大半の議員には、市長提案をそのまま追認するか、若干の修正を加えるぐらいのことしかできないだろう。

市長の下には約二千人もの職員がスタッフとしてついているが、議員の側にはスタッフ一人を雇う余裕すらもなかなか無いだろう。議員は基本的には自分個人の能力だけで議会に臨むしかない。質問をするにしても事前の詳しい調査作業が必要となる。これでは、市長の提案をそのまま認めてしまった方が楽である。市議会で市長賛成派が多数になりがちなのにはこのような背景がある。

中には議員を就職先と勘違いしているような議員も散見される。「口の悪い」知人は、選挙期間中の宣伝カーの名前の連呼を聞くたびに「また、四年に一度の就職活動の季節がやって来ましたね」とボヤいている。

「議員に就職」した議員の例を挙げるとすれば、この四年間で本会議での質問を一回しかしなかった某議員がその筆頭だろう。こんな活動内容ではさすがに地元からの信頼も失われたのか、今回の選挙では相当下位の方でなんとか当選されていた。一人当り年間約700万円の議員歳費の無駄遣いでしかない。

今回の選挙公報に「議員数32は多すぎる、全国平均から見た鳥取市の適正値は25.5だ」と書いて議員数の削減を主張された候補者もいたが、惜しくも落選してしまった。

なお、各議員の本会議での発言は「鳥取市議会会議録」で閲覧できる。ご参考まで。

具体的な議論は各委員会の場でなされ、その場で大筋の方向が決まることも多いので各委員会での議事録も公開すべきだろう。既にDX化(デジタル化)が急激に進んで来ているので、録音から文章に落とすのは簡単だろう。人間が文章化するよりもはるかに低コストでできるはずだ。

 

わかったことの二つ目は、「市政を根本的に変えるためには、まず市長を変えなければならない」ということだ。

上に述べたように、自治体の首長の握っている権力は個々の議員に比べてはるかに強い。各地の自治体で同じ人物が五回も六回も連続して首長を務めている例が多いのも、人材不足というのもあるが、「一度トップをやってみたら、もうこの椅子を手放したくなくなった」と感じている首長が多いせいもあるのだろう。

首長は基本的には配下の全職員の人事権を握っているはずなので、役所の中であえてたてつこうとする者はほとんどいないということもあるのだろう。リーダータイプの人間にとっては、自治体の首長というのは実に座り心地がいい快適な椅子であるに違いない。

現在の深澤鳥取市長がリーダータイプからは程遠い人物であることは衆目の一致するところだ。二期目限りと思っていたが、この春に三期目に出馬するとは予想していなかった。筆者には彼が何を目指しているのか全然わからないのだが、内心には何らかの目標を抱いているのかもしれない。しかしそれを表に出す勇気を全く持ち合わせてはいないことは確かである。

竹内前市長から後継指名されたことからも判るように、上から見れば彼は忠実で使いやすい部下なのだろう。しかし、竹内氏がこの夏まで数か月間だけ参院議員を務めて実質的に政界引退した現在、彼はいったい誰の指示を受けているのだろうか?単に「周囲の中で一番強い人」に従うということだけなのかもしれない。いずれにしても、少なくともあと三年は今の深澤市政が続くので、鳥取市の衰退はさらに続くことになるだろう。図-2の人口減少は、今後さらに急角度で落ち込むことになるだろう。

 

鳥取市の歴代市長は、1959年就任の高田市長以降、その全てが県や市の役人からの転身である。高田氏の前の入江氏は中学校長からの転身だったようだ。過去71年間、民間出身の鳥取市長は一人も出ていない。

鳥取市 - Wikipedia

今の「役人天国鳥取市」が生まれた背景には、この「以前からの職場仲間を重視する役人出身市長」の存在が大きいだろう。深澤現市長が初当選した2014年の市長選では、市民会館に市職員を主に約三千人が集まって深澤候補の応援集会を開いたそうである。当時、筆者は市職員団体が作成した、公選法違反の疑いが濃厚な内容のチラシを見たことがある。このチラシはその後すぐに姿を消した(保管するか撮影しておけばよかったのだが、その時はそのまま見過ごしてしまった。残念なことをした。)

こういう背景もあって、今の市長はとにかく正職員には甘い。そのおかげで正職員は不平や不満を言う市民の対応を窓口の派遣社員に丸投げし、自分たちは背後の安全な場所に引きこもっていて、仕事をしているのかしていないのだか、外部からはよくわからない。(新市庁舎は「正職員引きこもり所」とでも呼んだ方が実態にふさわしい。)

 

さて、現在の鳥取市長とは対極的な存在として、何かとニュースに登場することが多い明石市泉房穂市長を挙げておこう。最近また副市長相手に暴言を吐いたとのことで、来年春の任期終了をもって市長を退任するそうだ。

なお、彼の暴言癖には「実家が漁師」ということも関係しているように思う。「板子一枚下は地獄」の場所で、死と隣合わせで過酷な仕事をしている漁師の言葉遣いが荒いのは世界共通の現象だろう。良家のお坊ちゃま育ちの議員や役所幹部には、「関西弁」+「荒っぽい漁師言葉」で怒鳴られた経験がなかったのかもしれない。

職員や議員に対する暴言やパワハラはあってはならないことだが、その一方で、彼は明石市民からは圧倒的な支持を受けていて、今期は無投票での四選目であったことにも注目したい。体を張って市民の生活を守ろうとした結果、動かぬ職員にいらだって暴言を吐くに至ったという面もあるのだろう。

次の記事は泉市長の行動に対する多様な意見を載せていて参考になる点が多い。立ち退き関連の市長発言の録音を一年半も寝かせて置いて、市長選の直前になってからマスコミに公開したという所に計画的な意図を感じる。

「ただのパワハラか「市民の安全のため」か 明石市長の暴言に賛否分かれるネット」

仮に泉氏が極端な暴言を吐かず、役所内と議会の手続きをきちんと守ったうえで、市民生活の向上のために働くという自分の信念のとおりに着実に行動していたならば、のちに各方面から「名市長」と称賛されるようになる可能性は高かっただろう。

一市民の立場としては、やはり、「泉氏」-「暴言・パワハラ」=「理想的な市長」と思いたい。なお、泉氏も市長になる前には役所勤めは一度もしたことがないらしい。大学卒業後の彼の経歴は、テレビ局局員、民間の弁護士、衆院議員一期となっている。

 

三年後の鳥取市長選では、有能な民間出身の候補者に何とか出て来てもらいたいものである。

と、ここまで書いた所で片山前鳥取県知事のことを思い出した。中央官僚出身者でも片山さんのような人もいたんだ。二期八年で鳥取県の行政の透明性を著しく改善し「県民にわかりやすい県政」を実現したのは片山氏の功績に他ならない。

いささか古くなってしまったが、2010年度の「全国情報公開度ランキング」では鳥取県は神奈川県に続いて全国第二位にランクされている。

「都道府県別情報公開度」

この遺産は現在でも生きていて、例えば、鳥取県の公式サイトには非正規も含めて県の全職員の名前と連絡先とが掲載されている。市民が面会しても、「詳しい所属部署を教えない」、「名刺を出さない」、「名前を名乗らず「名無しのゴンベエ」で押し通そうとする」鳥取市の職員とは実に対照的である。もちろん、現在の市の公式サイトには市長と市会議員以外の職員の名前はほとんど掲載されていない。鳥取市の情報公開度はおそらく全国最悪レベルだろう。

十年ほど前、県と市との定例の合同会議の傍聴に何度か出かけたことがあったが、議論に加わるのは県職員ばかりで市職員は全く発言しようとしなかった。唯一の市側の発言は副市長による毎回の最後の挨拶だけだったが、これが全く形式だけで中身のない空疎な内容でしかなくて、本当にあきれた。おまけに声が小さくて、何を言っているんだかよく聞き取れないことが多かった。現在、この人物が鳥取市長を務めている。

外国では、会議で全く発言しないメンバーはそれだけで無能と判断されることが多い。日本の、特に行政機関では、まったく自分の意見を言わない人物でも発言する人と同じように給料をもらい、トップにまでなれるのが不思議だ。なお、この合同会議で市の職員が全く発言しないという状況は現在も同様である。

片山さんのような人は、やはり役人の中では例外に属するのだろう。今後も役人出身の市長が続く限りは、鳥取市の衰退は止まらないだろう。

/P太拝

日本の風力発電の未来(3)-温暖化の風力への影響、日本の洋上・陸上風力の現状-

先回からの続きです。

 

(4)温暖化の風力への影響

英国やデンマークなどの北海周辺諸国風力発電に熱心に取り組んでいる背景には、この地域が人口稠密で電力需要が大きいこと、さらに一年を通じて偏西風が吹き冬季には特に強くなるために風力発電に有利であるという自然条件がある。世界各地における潜在的風力エネルギーの分布については昨年の記事で既に紹介したが、以下にNASAによる洋上風力に関するマップも紹介しておこう。

 

図-1 世界の洋上風力エネルギー地図(以下、図・表はクリックで拡大)

この図の上のほうは北半球が冬の時期の洋上での風力エネルギー平均値を、下の図が北半球が夏の時期のそれを示している。冬には北緯40~60度付近に偏西風による強風が吹くが、夏の時期には北半球の偏西風帯はさらに北のグリーンランド付近まで移動するために、この地図上には示されていない。

南半球では南緯40~60度付近に一年を通じて偏西風が吹くが、この緯度帯には陸地がほとんどなく、陸地があるとしても南米パタゴニアのような人口閑散地域だけであり、現地の電力需要はわずかである。

さらに陸地の一年間を通した平均の風力エネルギーのマップも紹介しておこう。図中の青→緑→黄→赤→黒の順に風が強くなる。上記の偏西風が吹く緯度帯以外では、海岸地帯、砂漠の辺縁部、ヒマラヤ周辺の高山地帯のように水平方向の温度差が大きくなる地域で特に風力エネルギーが高くなることが判る。

図-2 世界の陸上風力エネルギー地図

 

さて、偏西風はどのようにして生じるのだろうか。詳しくは「偏西風 -wikipedia-」を参照されたい。

赤道付近で日射で温まった空気が上昇し、南北方向に移動して緯度20-30度付近で冷えて下降する(ハドレー循環)。空気が下降することにより、この緯度付近に中緯度高圧帯(亜熱帯高圧帯ともいう)が形成される。

この高圧帯から南北の低圧帯に向かって風が吹き出すが、地球の自転の影響によりこの風の方向は北半球では時計回り、南半球では反時計回りに曲げられる。これらの高圧帯からの風が次々に重なることで、北半球の中緯度高圧帯の北側には西寄りの風が吹く地域、即ち偏西風帯が形成される。赤道付近には南北の中緯度高圧帯から吹く東寄りの風が集まることで貿易風帯が形成される。

地球温暖化で偏西風帯は今後どのように変化していくのだろうか。地球の歴史では過去に何度も現在よりも温暖な時期が存在したが、その当時、赤道付近の温度は現在とそれほど変わらない一方で、高緯度地域の気温は現在よりもはるかに温暖であった。恐竜が地上を支配していた中生代のように、南極と北極にほとんど氷が存在しない時代もあった。

今後、温暖化がさらに進行すれば、日射を受けて赤道付近から上昇した空気が冷えて下降を始めるには、現在よりももっと高緯度にまで移動しなければならなくなるだろう。北半球での中緯度高圧帯は今までよりも北に、南半球では南に移動することになるだろう。

近年の異常気象の原因として偏西風帯の蛇行がニュースに取り上げられることが多いが、長期的に見れば、中緯度高圧帯は今よりも高緯度地帯に拡がり、それにつれて偏西風帯もより高緯度へと移っていく可能性が高い。ただし、北半球の高緯度の大半は陸地が占めているのに対して南半球の高緯度はその大半が海であり、海と陸ではその蓄熱特性に大差があることも考慮しなければならない。

熱容量が大きい海水は、熱容量が小さく温まりやすく冷めやすい陸地よりも日射量の季節変動に対する応答がかなり遅れる。後でまた述べることになるが、現在の気温上昇は産業革命以前に比べて1.2℃程度、これに対してこの百年間での海面温度の上昇はその半分程度と見積もられる。要するに、現在の時点では海面上の気温の上昇は陸上の気温の上昇に追い付いていない。

海岸部のように陸と海の間の温度差が生じる所では風力エネルギーが大きくなる。南半球では陸地面積に比べて海洋面積の方が圧倒的に大きく、この陸と海の間の温度差の拡大が海岸部での風力を強める方向に作用するだろう。対して、海が占める面積が少ない北半球の高緯度地帯ではこの効果は小さく、むしろ偏西風帯の北への移動の影響の方がはるかに大きいだろう。

実際、欧州では偏西風帯の北上が既に始まっている可能性がある。次の図は近年の欧州地域での風力と太陽光の発電実績を示すグラフだが、2020-2021の冬の風力発電量が以前に比べて著しく低下している。一方で太陽光の発電量は順調に増加している。

この図は欧州地域の総発電量を示しており、風力・太陽光ともにその設備容量は年々増加しているにも関わらず、発電量実績では風力だけが減少しているのである。

 

図-3 欧州における最近の太陽光・風力の発電実績


「欧州の風力発電量減少と日本への教訓」 より

 

上のグラフは2021年冬の欧州全域での風力発電量の減少を示しているが、南欧のスペインに限れば、2021年夏から秋にかけての時点で既に大幅な風力の減少を経験していた。9月の風力発電量は前年同月比で二割低下したそうだ。
「風吹かぬスペインの教訓 再生エネ拡大、日本にも難題」

この現象は温暖化によるサハラ砂漠南欧への拡大の現れの一例なのかも知れない。今年2022年の夏の欧州は数百年に一度という極端な干ばつを経験したが、それと同時に欧州地域の風力も弱まっていたことだろう。ウクライナ戦争の影響もあり、今後も欧州の風力発電への投資はさらに拡大するだろうが、風力の低下傾向によってその投資効果は従来よりも相当程度減少するのではないか。

 

こんな予想をしている人が筆者の他にはいないだろうかと思って探してみたら、温暖化による世界各地での風力エネルギーの今世紀末までの変化を予測している2017年の文献を見つけた。その内容も紹介しておこう。なお、下に示した文献は元々の文献の要約でしかないので、試算条件の詳細については元の文献を探す必要がある。

「UK wind power potential could fall by 10% by 2100 because of climate change」

この文献中のグラフから日本に関する予測の部分だけを切り出して下に示す。

図-4 今世紀末までの日本における風力エネルギーの推移予測

このグラフは、温暖化をこのまま放置し続けた場合(2017年当時の試算では、2100年における世界の平均気温が産業革命以前に比べて4.0~6.1℃上昇と予測)に、日本での風力エネルギーがどう変化するかを示したもの。予想曲線は10本あり、それぞれが別の気象予測モデルに基づいている。

世界各地の傾向については上の文献の内容を見ていただきたい。ブラジル、オーストラリア、南アフリカなどの南半球では風力が増大する傾向にあるものの、北半球の大半の地域では風力が減少するものと予想されている。

このグラフからは、日本では2050年時点で2000年時点よりも風力エネルギーが0~10%減少、2100年時点では5~18%減少すると読み取れる。平均気温が4℃から6℃も上がれば、日本全体が亜熱帯に引っ越したような感じなのだろう。風力が二割弱減るというのはずいぶん控えめな予測のような気もする。

ちなみに、現在の世界の平均気温は、産業革命以前に比べてすでに1.2℃上昇している。この程度の温度上昇でも、その結果として既に世界の気象が大きく変化してしまっているのは日々の無数のニュースに見る通りなのである。

「世界平均気温の変化予測(観測と予測) -全国地球温暖化防止活動推進センター-」 

今後、世界が温暖化対策をいっさいせずに現状のまま放置するとも思えないが、現時点での目標値である温度上昇1.5℃未満に抑え込むのは相当に困難だろう。現実には2~3℃の上昇は避けられないのではないだろうか。直近の下に示す記事によれば、現在の各国の対策のままでは今世紀末には2.5℃の上昇になるだろうとのこと。

「パリ協定目標「ほど遠い」、今世紀末までに気温2・5度上昇の恐れ…侵略でさらに不透明に」

上の世界各地での温度上昇の予測結果については、シミュレーションの網目が粗いなどの指摘があるが、おおむねの傾向としては正しいのだろう。今後の風力発電の事業計画では、この温暖化の影響も含めて考える必要がある。

なお、日本のような島国では、海水表面温度の上昇が風力に与える影響も他の地域よりもかなり大きいだろう。この百年間で日本周辺の海水温度は世界平均の二倍以上の1.19℃も上昇しているとのことであり、その影響も懸念される。
「海面水温の長期変化傾向(日本近海)-気象庁-」

 

(5)日本の洋上風力の現状

以下、最近の国内の風力発電新設についての話題をいくつか拾ってみた。順次紹介していこう。

最初に、日本の再生可能エネルギーによる電力の買い入れ価格の動向について確認しておきたい。下の表は約一年半前に当ブログの記事中で示した2020年における電力会社の調達標準価格である。


表-1 2020年調達標準価格

次に現時点において来年2023年に予定されている調達標準価格を示す。

買取価格・期間等|固定価格買取制度|なっとく!再生可能エネルギー (meti.go.jp)より


表-2 2023年予定調達標準価格

太陽光と風力については、この三年間でさらに買入れ価格が下がっていること、入札制の対象が増えていることが判る。陸上風力でも入札制が導入されたが、2021,2022年の入札結果では入札対象外の価格を下回った例はなかった。このことからも判るように、太陽光と風力の間では既に価格面でかなりの差がついている。

日本の風力発電の設備はほぼ全量が欧米からの輸入となっているが、太陽光設備も、少なくとも住宅用を除いた事業用のいわゆるメガソーラーについては、現在はその大半が中国からの輸入となっている。下に2020年における世界のソーラーパネルの8位までのシェアを示す。中国メーカーが他国のメーカーを完全に圧倒している。

 

図-5 太陽光パネルの世界シェア

まだ詳細を把握してはいないが、中国でのシリコンやソーラーパネルの生産には中国政府による強制労働を強いられたウイグル族が関わっている疑いがある。欧米では人権保護の面で疑惑を持たれている中国の特定メーカーからの輸入を禁止する動きが既に始まっており、今後、この動きに日本も加わっていく可能性は高いだろう。

 

次に日本国内各地での風力発電所新設の現状を見ていこう。まずは最初に経産省が現在注力している洋上風力について。

洋上風力に関する最近の大きな話題は、昨年末に報道された三菱商事を主とするグループによる三海域での洋上風力の入札独占であった。三菱商事の勝因は、入札した他社の半分にもなろうかという圧倒的な売電価格の安さであった。

「衝撃の「11.99円」、洋上風力3海域で、三菱商事系が落札」


この衝撃的な低価格に対しては、専門家からは「本当にその価格が実現できるのか」という疑問の声が数多く挙がっている。代表的な意見を紹介しておこう。この論文は今年一月に公開されたものであり、当時は現在の円安は全く想定されていなかった。

「検証洋上風力入札② 低価格応札の要因と国内産業化実現の危機」

この論文の著者である京大の山家教授は、論文の末尾を次のように締めくくっている。

「・・・三菱Gの驚愕の低価格は「リスクを低く想定」と「楽観的な事業見通し」によるものと推察する。これは、非常に危い判断であり、コスト大幅上振れ、工事遅延が生じる可能性が高い。遅い運転開始時期はこれを示唆する。同社および中部電力は、何らかの理由で「取りに行った」のだと考えられる。

・・・本件は、国勢を左右する重要プロジェクトであり、私企業で失敗したら責任をとればいいというものではない。官民協議会の目的を実現する、グリーン成長戦略筆頭に挙がる洋上風力の第一号案件で失敗は許されない。国益・地域益に沿った判断が求められる。」

なお、この記事が載ったサイト「京都大学大学院経済学部 再生可能エネルギー経済学講座」では、再生可能エネルギー全般に関する数多くの質の高い論文を無料で読むことができる。再生可能エネルギーに関心がある方にはお勧めのサイトだ。


筆者も「この値段で本当にできるのか」と思ってその後の展開を見守っていたのだが、案の定、今回の急速な円安の進行が追い打ちとなり、事業の直接の関係者からも悲鳴が挙がり始めたようだ。

下の記事を全部読み通すためには有料登録が必要なので筆者は冒頭の部分しか読んでいないが、タイトルだけからでも関係者の苦境が十分に伝わってくる。

「三菱商事と鹿島建設が「巨額赤字」を押し付け合う洋上風力プロジェクトの舞台裏」

現在の円安が今後も続くようであれば(前回までの述べたように、その可能性は高いが)、おそらく上の表-2の電力調達価格も含めて根本的なコストの見直しが必要となるだろう。日本の金利も、この先いつまでもマイナスやゼロ%近辺に押しとどめておくことは不可能だろう。この数年間、経産省の肝いりで推進し民間からも大いに期待されて来た洋上風力も、どうやら雲行きが怪しくなってきたようである。

過去の実績から見ると、経産省がいったん音頭を取った国内事業はその全てが失敗したと断言してよいだろう。次の記事は日本の電子産業に関連するものだが、この洋上風力も同じような結末となりそうである。

「経産省が手を出した業界から崩壊していく…日本企業が世界市場で勝てなかった根本原因 -だから世界一だった液晶と半導体も崩壊した-」

三年も経てば担当事業を卒業して出世の階段をひとつ上がっていくことが約束されている官僚が、この先どうなるのかもわからない民間事業を発展させられるはずもない。本気で成功させるつもりがあるのなら、役所を辞めて自ら経営者に立候補すべきだろう。

民間事業者にしても、今は国内の各メーカーは洋上風力ブームに沸いてはいるが、彼らは政府からの関連予算や補助金に期待しているのであって、自ら先頭に立って本気で洋上風力で利益を上げようとする意欲があるようには見えないのである。

さて、今まで順調に発展して来た欧州の洋上風力も、最近の金利の上昇で先行きが怪しくなってきた。ユーロの政策金利は今年の6月まではずっと0%を維持してきたが、7月に0.5%になり、今年10月の時点では既に2.0%へと急上昇している。20年以上運転する風力発電施設にとっては、金利の上昇は事業の収益に直接関係する大問題のはずだ。

 

(6)日本の陸上風力の現状

次に陸上での風力発電所の新設について。最近は全国各地、特に東北地方で風力発電所の建設計画の中止、計画縮小、反対表明があいついでいる。以下、最近話題となった事例をいくつか示す。

 

「風力発電「中止ドミノ」 関西電力に続きオリックスも」

宮城県川崎町 蔵王連峰の麓に関西電力が9.66万kW、180m高の風車を最大23基を建設予定の計画を公表。宮城・山形両県の自治体が「蔵王は古来から信仰の対象としてきた聖なる山」だとして一斉に反発。宮城県知事も反対を明言し、関西電力は計画を撤回。


山形県鶴岡市等に前田建設工業が12.8万kW、180m高の風車を約40基建設する計画を発表。出羽三山のひとつである羽黒山の山頂にも風車を建てる予定。

これに対して山形県知事が「出羽三山は、山形県のみならず、東日本随一の精神文化を擁するところだ。山形県の宝でもあり、日本遺産になっている。日本の宝だ。(風力発電は)あり得ない。」と強く反発。計画は撤回された。

 

福島県昭和村他に日立造船が18.3万kW、230m高の風車を最大40基建設する計画を発表。

この地域には林野庁設定の「緑の回廊」、国指定天然記念物の駒止湿原や博士山鳥獣保護区などを含み、ブナ林も広がる。村民が使用する上水道などの水源地や木地師の集落の遺跡も残る。昭和村の村長は、「計画は自然保護、文化財保護、自然景観の保全、防災上からも大きな問題を含んでいるため、到底受け入れることができない。事業の白紙撤回を求める」と迫った。

さらに、同様の意向を示した他の3町と反対活動で連携し、環境省林野庁への働き掛けも強めた。日立造船はこの抗議に対して未だに回答していない模様。

 

宮城県石巻市他にオリックスが4.9万kW、150m高の風車を約13基建設する計画。

この地域は県の鳥獣保護区でかつ県立自然公園、さらに周辺では絶滅危惧種イヌワシの生息が確認されている。石巻市長は「イヌワシの生息地が消滅する危険があるなど自然環境への影響が懸念される」と指摘。オリックスは「計画を白紙に戻した」とのこと。

 

・JAG国際エナジー(東京・千代田)のグループ2社が徳島県那賀町などで検討してきた風力発電の二つの事業を中止することを今年8月に表明した。詳細は次の項で詳述。

 

「四国で地元反発の2事業を同時撤回、風力発電「中止ドミノ」(後編)」

この件については、徳島県知事が経産省に提出した意見書の中で特に土砂災害の危険性について指摘していることもあり、記事の一部を以下に転載しておこう。

『 JAG国際エナジー(東京・千代田)のグループの合同会社2社が2022年8月10日、それぞれ徳島県那賀町などで検討してきた2事業を中止した。自然環境への影響に加え、土砂災害の危険性を懸念する地元の自治体や住民から強い反発を受けていた。

 中止したのは、徳島県那賀町勝浦町上勝町で計画した「那賀・勝浦風力発電事業」と、徳島県那賀町海陽町高知県の馬路村にまたがる「那賀・海部・安芸風力発電事業」の2件。「那賀・勝浦」は環境影響評価(アセスメント)の第1段階に当たる計画段階環境配慮書まで、「那賀・海部・安芸」は第2段階の方法書まで、それぞれ手続きを終えていた。

 中でも、地元の反発が強かったのは「那賀・海部・安芸」だ。事業者側が公表した方法書によると、徳島県那賀町海陽町の最大1000m級の尾根沿いに、高さ最大約160mの風車を最大30基設置する。最大出力は9万4450kW。

 地元では、事業区域が年間降雨量の多い地域に位置するため、工事中の山腹崩壊など土砂災害の発生を危惧する声が強かった。那賀町の坂口博文町長と海陽町の三浦茂貴町長は21年8月、環境アセスに基づいて、飯泉嘉門徳島県知事に方法書に対する意見書を提出。いずれも事業に反対する意向を表明した。

 飯泉知事は21年10月、両町長の意見を踏まえ、環境アセスに基づいて、萩生田光一経済産業相(当時)に方法書に対する意見書を提出した。意見書では、次のような踏み込んだ表現で事業の見直しを迫っている。
 「あらゆる措置を講じてもなお、重大な影響を回避または低減できない場合、または地域との合意形成が図られない場合は、本事業の取りやめも含めた計画の抜本的な見直しを行うこと」

 飯泉知事が挙げる重大な影響の1つが「土地の安定性」だ。意見書によると、事業区域やその周辺は急傾斜かつ脆弱な地質が大半を占め、複数の断層が存在し、崩落も起こっている。台風の常襲地帯に位置し、平均年降水量が3000mmを超える。
 「今後、地球温暖化に伴い、さらなる雨量の増加も想定されることから、尾根植生の伐開や搬出入路の新設・拡幅工事などを実施することにより、土砂崩落・土石流誘発・洪水のリスクが増大することが強く懸念される」・・・ 』


「「風力先進県」で地元がノー 国内最大級の風力発電計画に“逆風”」

青森市の東部にあり八甲田山の北麓に位置する広大な山地に、国内風力発電事業者中の最大手であるユーラスエナジーHD(東京)が60万kW、最大高150mの風車を最大150基建設する計画をすすめている。この計画地域には「十和田八幡平国立公園」の一部が含まれている。

この計画に対して青森県知事は今年8月に「「再生可能エネルギーだったら何をやってもいいというものではない」と不快感を表明。資材搬入ルートの開発などに伴って大規模な森林伐採がなされれば、地元の水資源や農林水産業そのものに影響しかねないと懸念を示した。

地元の町長も「山と海はつながっている」として、町で盛んなホタテ養殖への打撃を警戒し計画反対を表明。地元住民も景観や野生動植物の生態系に悪影響が及ぶ恐れがあるとして、計画見直しを求める署名を知事と市長宛てに提出した。

この計画に関連する記事をさらに二つ紹介しておこう。


「樹齢300年ブナの森に迫る風力発電計画 建設ラッシュに反対の声」

『風車を建てる計画の尾根には、樹齢約300年とみられるブナの巨木が並ぶ。地元の山ガイド、川崎恭子さんは「環境のための自然エネルギーをうたい、森をつぶすのは本末転倒」と訴える。現地調査した日本自然保護協会の若松伸彦博士(環境学)は「伐採すれば、今のような森に戻るのに最低400年かかる。風発すべてに反対ではないが、ここは手を付けてはいけない場所だ」と話す。』

 

「8月3日 青森県三村知事 八甲田風力発電計画に明確に反対を表明」

『事業者のユーラスエナジーHD(東京)は、風車の設置計画区域を見直し、十和田八幡平国立公園普通地域を除外する方針を示している。この方針に対してこのサイトの主催者は以下のように批判している。

「みちのく風力発電事業計画地である約1万7300ヘクタールの森林面積のうち、十和田八幡平国立公園が占める面積はほんのわずかです。そこを外しますからいいでしょうというユーラスさんの計画変更案は、青森の森を守ろうと必死になっている人たちをなめています。」』

 

「唐津市七山の風力発電撤退へ 大阪の事業者 保安林の指定解除困難で」

『 脊振山系で計画されている風力発電事業を巡り、事業者の大和エネルギー(本社・大阪府)が事業から撤退する方針を固めたことが2日、市などへの取材で分かった。計画予定地に入る市有の保安林の指定解除に見通しが立たないことが要因とみられる。・・・・
 計画は「Dream Wind佐賀唐津風力発電事業(仮称)」で、発電機8~10基を設置、最大3.2万kWの出力を見込む。2024年に着工、26年の運転開始を目指していた。事業実施区域約353ヘクタールのうち、風力発電機の設置対象は175ヘクタール。唐津市所有の保安林が含まれ、開発には国による指定解除が必要となっていた。・・・

 県は昨年9月末、経済産業相に提出した環境影響評価(アセスメント)方法書に対する知事意見で、事業が地域の公的な土地利用計画に位置付けられていない点を踏まえ、「指定解除の要件に合致していない」とした。近年の豪雨による土砂災害などが続く中、保安林が果たす役割の重要性に触れ「木の伐採、土地の形状変更、工作物の新設は環境の保全上の支障が生じる恐れが強く、慎重に考えるべき」と指摘していた。・・・』

 

各地の事例を読んでいるうちに、怒りがこみあげて来るとともに、次のような思いも頭に浮かんできた。

(a)風力発電の開発業者は、地図上の地形を見ては候補地を探し、実際に現地に行って山を見あげては、「この山に何本風車を建てたら何kW発電できて、年間売り上げがいくらになるのか」ということしか考えていない。

③の八甲田山の事例でユーラスエナジーHDが、国が国民の休息と自然保護のための場所として指定した国立公園内にまで風車を建てようとしたことなどは、まさに「強欲ここに極まれり」と評するしかない。このような企業が風力業界のトップだとのこと。この業界全体のモラルも押して知るべしである。青森県知事が怒るのも当然だろう。

 

(b)彼らの頭の中には、地元の人々が先祖代々からその山にどれだけの畏敬の念と愛着とを持っていきたのか、この山から流れて来る水によってどれだけ地元の産業と人々の生活が支えられてきたのか、この山を切り開くことによってそこの生きものたちが住みかを失うのではないか、切り開いた結果として災害が頻発するのではないか等々、というようなことが一切思い浮かばない。彼らの関心は「この山に風車を建てたら年間でいくらのカネが生み出せるのか」という一点にしかない。

①の事例では、地元民の信仰の対象である蔵王出羽三山に風車を建てようとしたことは、宮城・山形県民にとってはまさに県民全体を侮辱する行為にほかならない。そのような当然のことにも配慮することができない関西電力前田建設工業が、いかに現地の住民の心を知ろうとしないのか、彼らが本社の会議室の中だけでこのような巨大プロジェクトを自分勝手に決めているのかがよく判る事例だと言ってよい。

 

(c)国連が提唱する「持続可能な開発目標」(略称:SDGs)の中には、「全ての人々の健康の確保」、「住み続けられるまちづくり」、「国内間の不平等の阻止」、「生態系の保護・回復」、「生物多様性の損失の阻止」が個別の目標として挙げられている。

上に挙げた各地の風力発電の事例では、これらの目標に対する配慮が決定的に不足している。彼ら風力発電事業者が追及しているのは、風車予定地の地域社会全体としての「持続可能な発展」を実現することではなくて、「自分の会社の持続可能な発展」だけを追求しているにすぎないのである日本各地で発生している、風車を建てたことによる健康被害、地域の過疎化、土砂流出、生物多様性の減少を見れば、このことは既に明白である。


(d)すくなくとも、上に挙げた事例に社名が出てきた風力発電事業者には「SDGsを推進している企業」を名乗る資格はない。彼らから電力を購入する電力会社にもその資格がないことはもちろんである。

 

自然の中の特定の資源だけに注目してカネを儲けようとすると、自然環境の中の他の構成要素の一切が眼に入らなくなり、直接カネに関係しないモノは全て切り捨てても構わないという発想になってしまう。

典型的な例が国内各地に残る鉱山跡地だ。例えば、足尾銅山では銅の精錬所から出る硫酸が周辺の森林を枯らし、最盛期から百年以上経っても現地の植生は未だに貧弱なままである。また山が荒れたことで洪水が頻発し、下流では多くの住民が渡良瀬遊水地の建設のために立ち退きを迫られた。

より小規模だが、鳥取県内での実例としては、例えば、扇ノ山の大根畑跡地が挙げられる。1980年代に扇ノ山の稜線から鳥取県側にかけてブナ林を切り開いて大規模な畑地を整備したが、全国からやって来た入植者は就農後わずか数年で離農してしまった。現在ではこの大根畑跡地は野生のシカの大規模な食草地となり、県東部のシカを激増させる一因となっている。結局、税金がそのまま地元の土木業者に渡っただけで終わってしまったのだが、この事業の計画当初からそれが最大の目的だった疑いすらある。多額の公的投資が何ひとつ成果を生むことなく空へと消えてしまったのである。これなども「持続不可能な開発」の典型例だろう。

世界に眼を移せば、旧ソ連時代に実施されたアラル海流域での大規模な灌漑による綿花栽培が典型的だ。過度な水利用の結果、アラル海は消滅寸前となり、周辺は砂漠化し住民も姿を消した。アラル海に流れ込むはずだった水で栽培している綿花はウズベキスタンの経済を支えてはいるが、現在でも収穫時に国内の児童に強制集団労働を強いるなどの人権問題が発生している。

中国における長江の三峡ダム建設も、今後、「持続不可能な開発」の世界最大事例になる可能性は高い。多くの専門家の反対にも関わらず、当時の指導者であった江沢民李鵬が建設を決定。2009年の完成までに周辺住民百万人以上が強制移転を強いられた。2020年の豪雨によるダム水位の上昇は記憶に新しい。今後、あれ以上の豪雨が降れば、下流の数千万人が被害を受けかねない。

 

社会主義国を自称している国には、このような「持続不可能な開発」の事例が非常に多い。権力が政府トップに集中していることがこのような大失敗を生む根本原因だろう。

「持続可能な開発」を実現するための必要条件とは、決定権の分散にほかならない。そのためには、事業者、地元住民・自治体、環境保護団体などの多数の関係者の開発計画への参加と徹底した議論とが必要不可欠である。

さて、以前から何度も書いているように、日本ほど風力発電に不適な地域は世界で他には少ないだろう。わずかな平地に人口が密集しているために風車の大半は山地に建てるしかないが、日本の山地は一般に急峻であり、その降水量は世界各国の中でもかなり多い方に属する。このような山地を切り開いて風車を建てれば、温暖化で年々激しくなるばかりの豪雨や台風によって周辺での水害や土砂崩れが頻発することは確実だろう。

上に風車建設計画に対する数多くの地元の反対例を示したが、これは国内での陸上風車の建設が既にその限界点を迎えていることを示している。化石燃料から再生エネルギーへの転換は喫緊の課題だが、だからと言って持続不可能な不適切な場所に風車を建設することは許されない。少なくとも国内での陸上風力については、もうこれ以上の新設は中止すべきだろう。

/P太拝

日本の風力発電の未来(2)-最近の円安(続き)-

先回の記事を書いた時に最近の円安について取り上げましたが、その原因についてもう少し深く掘り下げたいと思い、引き続き調べていました。その結果がある程度見えてきたので、予定を変更して再び円安について取り上げてみたいと思います。

 

(3)最近の円安の根本原因は金利

先回の記事では円と海外通貨との間の為替変動の原因は、

①海外との金利

②経常収支、特に貿易収支

③金融投資筋の動向

にあると述べた。

引き続き調査した結果、やはり今回の円安に関しては①が支配的であるという結論となった。

以下に示すのは、日本を含む世界主要国の通貨の今年に入ってからの対ドルの変動率、各国の金利差、貿易収支である。

 

図-1 2022/1~2022/10の間の各国通貨為替の対ドル変化率

(図はクリックで拡大、以下同様)

為替 - 世界経済のネタ帳 (ecodb.net)USD VND 過去データ - Investing.com より

 

 この値は各国通貨の月平均であり、今年1月の対ドル価値を100としてそこからの変化をしめすものである。参考のために2019年以降の1月時点の値も左側に示している。

ブラジルとメキシコとを除き、各国の通貨は年初からその価値が軒並み下落しており、特にトルコと日本とが目立つ。ちなみにドル/円の1月の月平均は¥114.85、10月は¥147.01である。

 トルコと言えば、今のエルドアン大統領が全くの経済オンチであり、「インフレ抑制のために金利を下げる」という経済の常識とは真逆な政策を取るために、物価高が制御不能状態になっていることは広く知られている。

筆者は、以前から「トルコ国民があの異常な物価高にも関わらず暴動を起こさないのは不思議」、「なぜ大統領を追い出さないのだろう」と思ってみていたのだが、日本も既にトルコ並みになっているとは、このグラフを作ってみるまでは全く認識していなかった。

このような通貨価値下落に伴うインフレへの対策としては、トルコ以外の各国では金利を上げて対抗するのが常識となっている。下に各国の今年年初からの政策金利の推移を示す。

なお、ここで政策金利とは各国の中央銀行が金融政策の一環として公的に定めている金利のことであり、銀行間の貸し借りに関する金利と定めていることが大半のようである。

日本の政策金利は2016年1月から-0.1%に固定されたままとなっている。日本国債の十年物の金利上限の0.25%が政策金利と見なされることが多いが、これはあくまで長期金利の誘導目標とのこと。各国間の比較には-0.1%を用いるべきだろう。

 

図-2 2022年の各国の政策金利の推移

同じデータを使って、各国の年初からの金利上昇の比較を下の表に数字としても挙げておこう。

表-1 2022年の年初からの各国政策金利の上昇分

主要各国の政策金利の推移をグラフでチェック!|IMM通貨先物ポジション/経済指標・政策金利 - ザイFX! (diamond.jp)

世界の政策金利 2022 ― Worldwide Policy Interest Rates 2022 (180.co.jp) より

 

日本と中国の利率がほぼ一定であり、トルコが利下げしている以外は、大半の国がインフレへの対抗策として既に利上げを実施済である。

次に各国の政策金利と通貨の下落率の相関を見ていこう。今年の1月を100とした場合の今年9月時点の対ドル通貨下落率と、この間の政策金利の平均値との関係をグラフ化して下に示す。横軸の「平均政策金利」としては、絶対値ではなく米国の平均政策金利との金利差を採用した。

 

図-3 通貨下落率と政策金利の相関

結果は一目瞭然で、基準通貨を持つ米国と異常な金融政策に固執するトルコとを除けば、通貨下落率と金利差の間には強い相関関係がある。その関係の最下端に位置しているのが我が日本国ということになる。

もう少し詳しく見ていくと、ブラジル、メキシコ、豪州、インドネシアのように天然資源に恵まれている国は通貨の下落率が小さく、むしろ米ドルよりも強くなっている場合もある。資源輸入国である韓国、英国、日本は通貨下落率が大きいが、同じ資源輸入国であっても輸出産業が好調な台湾やベトナムではそれほどでもない。

なお、新型コロナとウクライナ戦争が勃発する以前の2019年についても同様なグラフを作ってみたが、図-3のような強い相関は認められなかった。

平穏な時期の通貨変動では、金利や貿易収支よりも金融関係者の投機の方が支配的となるようだ。今年のように世界的に大きな変化があった場合には、各国通貨の価値は基本的な要因である金利と貿易収支に立ち返って決定されるのではないだろうか。

 

ついでに政策金利と貿易収支の関係についても見ておこう。下の図に各国の2021年における国民一人当たりの貿易収支と、2021年の各国の平均政策金利との関係を示した。平均政策金利については、ブラジルとアジア諸国(日本、中国、台湾を除く)では年間を通じての平均値が入手できなかったので、2021年末の値で代用した。

2021年の一人当りGDPが12000米ドル未満の国を途上国、それ以上の国を先進国とした。厳密には中国は「中進国」なのだろうが、既に12000ドルを超えているのでこの場では先進国とみなした。

図-4 各国の政策金利と貿易収支の関係

世界の貿易収支ランキング - 世界経済のネタ帳 (ecodb.net)

国・地域別に見る | ジェトロ (jetro.go.jp)

図中の青い線は途上国に限定しての近似線である。貿易が赤字の国になるほど金利が急に上がる傾向が鮮明だが、これは自国通貨の防衛のために金利を高くせざるを得ないという事情があるためだろう。タイは例外的に自動車などの輸出産業が盛んなために、金利を低くして国内投資を活発化させようとする傾向が見られる。仮にコロナ禍の渦中でなかったならば、タイやベトナムの貿易収支はもっと増えていたことだろう。

先進国では貿易以外にも金融や他国への投資など収益を得る手段が色々とあるので、米国や英国のように大幅な貿易赤字でも低金利でやっていける。ただし英国についてはEU離脱で欧州の金融の中心から外れたこともあり、今後は経済的には苦境に立たされることになる可能性が高い。

台湾と豪州は大幅な貿易黒字となっている。これは当然の結果なのだが、半導体、または鉱物・農産物が強い競争力を発揮しているためである。

 

さて、上の図-3に戻ろう。この図に見るように、日本の貿易収支が早急に黒字に転換するとは思えない現状では、日本が元の円高水準に手っ取り早くもどるためには政策金利を上げるしかない。しかし、前回に書いたように政治的な事情によって日銀では金利引き上げは禁句となっているように見える。この辺をもう少し定量的に見てみたい。

 

前回にも示したが、今年度の政府当初予算の中身をもう一度眺めてみよう。

図-5 2022年度の日本政府の当初予算

財政に関する資料 : 財務省 (mof.go.jp) より

 

歳入のうち新規発行国債は36.9兆円、歳出のうち過去発行した国債の返却分が16.1兆円、利息支払い分が8.3兆円である。36.9-16.1=20.8兆円が今年度に新たに積みあげられる国の借金となる。

利息支払い分の推移についてはどうだろうか。同じサイトに次の図がある。

 

図-6 日本の普通国債残高とその利払い費・金利の推移

今年度の令和4年度に利払い費が急増しているのは、2020年からのコロナ対策のための国債残高急増を受けてのことだろう。「安倍+黒田」によるアベノミクスの効果によって赤い線で示す金利は現在0.8%まで下がっているが、円安対策で金利を数%に引き上げたら何年かあとから先は利払い費が急増することになる。過去の国債元金の返済どころではなくなり、日本政府は破産しかねない。

現在のような緊急事態に対して利上げもできず、アメリカの金利が低下するのを待つ以外には政府も日銀もなすすべがない。住民の健康被害や環境・景観悪化のおそれがある風力発電への投資が停滞するのは朗報だが、その一方で、我々国民は物価高にあえぎつづけることになる。「アベノミクスには出口は無い」と従来から予言されてきたことが、今現実になっているのである。

 

突飛な話になるが、筆者は図-3や図-6を見ているうちに、特に日本に固有の現象とされている「引きこもり」を連想してしまった。返す当てのない国の借金を続けては自分たちの支持層へのバラマキを続けている政治家と、自分の椅子を守るためだけの「事なかれ主義」に徹している官僚群とが、いつまでも働く気力が持てず世間に出て行けない息子や娘に対して自分たちが老齢になってもいつまでも給餌し続けている哀れな両親に重なって見えるのである。

政府や日銀からの優遇策や補助金に甘えるばかりで自己変革できず、いつまでも生産性を上げられないでいる企業群(各自治体の役所やその関連団体も含む)を「引きこもり企業」と呼ぶことにしたい。どういう業界にこのタイプの企業が多いのかという点については、あえて言うまでもないだろう。

これら企業群と、親に甘えて自室に閉じこもりゲームやアニメなどの二次元世界に耽溺して日々を無為に過ごしている息子や娘の間にも共通点がある。いずれも「自分はこんなことでいいのか」との不安に日々駆られながらも、自己の将来に直結する重要な決断を先送りするばかりなのである。

日本が母性原理社会であることについては、この夏の当ブログの一連のハノイ訪問記の最後の記事ですでに触れた。日本社会の著しい特徴は父性原理の不在にあるといってよいだろう。

本来、父親は甘える子供に対して社会の規範を教えるべき立場にあるのだが、日本の父親はその役目と責任とを放棄して、職場なり趣味なり自分の心地よい場所の中に逃げ込んで出てこなくなる傾向が強い。家庭における父親と規範の不在と、国・政府におけるリーダーと規範の不在とがダブって見える。いずれにおいても「自分個人で責任を引き受けることを極力避けようとする、とにかく集団の後ろに隠れたがる」のである。

日本では他の都市の大学に入学した子供に親が仕送りするのは当たり前なのだが、米国では子供は高校卒業と同時に独り立ちするのが一般的とされているようだ。米国の大学生の大半は自らローンを契約した奨学金で大学生活を送り、卒業後には自分の稼ぎで全てを返済する。日本の大学で学生が勉強しないのは、親が子に甘いことにその根本原因がある。

これからは日本の親も米国の親のマネをするようになれば、「引きこもり」は確実に減ることだろう。日本政府も借金までしてのバラマキを止めれば、「引きこもり企業」は自分の努力で生き延びるしかなくなる。長いこと停滞していた日本経済も再び成長を開始できるのかもしれない。

ただし、「いったん楽な椅子に座ってしまえば、自分のシリに火がつかない限りは絶対に動こうとしない」のが過去の歴史から見た我々日本人の特徴でもある。今よりもさらに状況が深刻化しない限り、日本政府は今の状況を放置し続けるだろう。

次回は当初予定していた「日本の風力発電の未来」の話に戻ります。

/P太拝

 

日本の風力発電の未来(1)-鳥取市内の風力発電計画、風力発電のコスト、最近の円安-

先週初めからこの十日ほどの間に筆者が一番注目したのは、何と言っても中国共産党大会における習近平の独裁体制の確立であった。

周りをイエスマンだらけで固めてしまった彼を停めるものはもはや誰もいない。習が念願とする台湾侵攻も、従来の2027年頃との米国の予想よりも早く始まる可能性が高くなった。

平氏による下の記事にみるように、今回の人事によって戦争のための党内体制もすでに整えた。中国に関係している日本企業は、「台湾有事」への対策を早急に検討し、非常時に備えておくべきだろう。

「これは対台湾「戦時体制」だ-習近平3期目政治局の異例人事の意味」


仮に台湾有事が起こらなくても、中国経済の今後の没落は避けられない。かってのナチスドイツと同様に「中華優越」妄想に囚われた習近平とは対照的に、今回引退が決まった李克強は経済に精通したリアリストである。彼には、もはや大波の襲来を避けられなくなった中国経済の行く末がはっきりと見えているのかもしれない。中国の不動産バブルの崩壊、金融の混乱、消費低迷、外資撤退、失業増加はこれからが本番だろう。

習に退陣を迫られたというよりも、李は単に「習と一緒の泥船には乗りたくなかった」だけのようにも思えるのである。後で振り返ってみれば、2022年のこの大会こそが「中国の終わりの始まり」となった可能性は高いだろう。

さて、久しぶりですが、今回は風力発電について再び取り上げてみたいと思います。

 

(1)青谷・気高の風力発電所計画は手続き中断へ

約一か月前の九月末、鳥取市内の青谷町と気高町にまたがる山地に設置を計画していた「(仮称)青谷町風力発電事業」の計画中断が発表された。この発表は事業者である福岡市の「自然電力」によるもの。

新聞やテレビの報道によると、中断の理由を「最近の円安や資材の高騰により、初期設備投資額が計画を大きく上回ったため」としている。ただし、申請手続きは中断するものの当初の2027年運転開始予定には変更がないとのこと。中断の理由となった風力発電設備の最近の価格高騰については次の節で詳しく見ていきたい。

当ブログでは、昨年末から今年初めにかけての二回の記事で、この計画の風車(最大3000kW程度)の建設位置が近隣集落にあまりにも近接しており、健康被害が発生する可能性が極めて高いこと、また鳥取市内の有力な観光地である鹿野・浜村温泉の景観を損ねる恐れが高いことを指摘した。今回計画の中断が発表されたことは、当地域の未来のためにまことに喜ばしい。願わくば、この計画はこのままオクラ入りになって欲しいものである。

鳥取市内ではもう一カ所、市南部の中山間地域に「(仮称)鳥取風力発電事業」が現在計画段階にある。当初の計画によれば、国内に設置例がない4500kWという国内の地上では最大級の風車を最大32基設置する予定とのこと。

今年の夏に設置予定地区内の方から聞いた話では、現時点では風車設置に前向きなのは岩坪だけになったとのこと。ここの出身の現職の市会議員が誘致に熱心らしい。岩坪を除く神戸地区、さらに明治、東郷、河原町西郷地区はいずれも風車設置には反対だそうだ。岩坪でも「なるべく岩坪集落から離して風車を建てろ」と事業者に言っているとのこと。離した分だけ他の地区には迷惑になる訳で、ずいぶんと勝手な主張だというほかはない。

こちらの計画の事業者はシンガポールに拠点を置く外資系であり、風車機材の大半が「青谷風力」と同様に欧米からの輸入となるはずだ。最近の円安が今後も続けば、日本国内で発電した電力を日本の電力会社に日本円で売っても、米ドル換算して得られる売上高は当初計画よりも大幅に下がることになる。

欧州から風車その他の設備を買った場合、日本に設置するよりも対ドル比での通貨下落が小さい国に、例えばベトナムに設置した方がドル換算での収益が大きいことは子供でも判る話だ。この計画も実質的に凍結状態になっている可能性は高い。

仮に今後、電力会社が従来の方針を変更し、風力発電からの電力調達価格を現在よりも引き上げることが可能になれば、これら市内二か所の風力発電事業が再び軌道に乗るのかもしれない。

しかし、既に2020年時点で太陽光発電のコストは風力発電のそれよりも大幅に安くなっている。現状よりも高くなった風力発電の電気を中国電力があえて買う可能性は少ないだろう。ただし、今後、他の要素の変化もあり得るので、これらの事業が帳消しになったとまでは断言できない。まだまだ油断は禁物である。

この鳥取市南部での計画については、昨年の当ブログの六回に及ぶシリーズ記事でその問題点を指摘済である。

防災面では、この計画地域の大半が雨で崩壊しやすい真砂土地帯であり、山地の稜線に作業道を設置すれば豪雨のたびに土砂が流出し、今でさえ氾濫の危険性が高い野坂川等の氾濫危険性がさらに高まること。

過去の全国各地の風車による健康被害例を調べてみると、その原因は風車から発生する超低周波音が近隣住民の住居の共振周波数に近いために発生する住宅全体の共振である可能性が高いこと。さらに過去の健康被害は1000~2000kWの風車でも発生しており、今回計画されている4500kW風車では、「1km以上離れていれば安心」とは到底言えないこと、等々を指摘した。

なお、現時点では「風車による騒音被害」という言葉が独り歩きしているが、過去の健康被害の内容を調べた結果から見れば、正しくは「風車による振動被害」と表現するべきであろう。

人間の耳では20Hz以下の音波は聞こえないとされており、国内では20Hz以下の超低周波音は騒音に関する環境基準の対象外となっている。しかし、風車から発生する音波の中で最も振幅が大きいのは、風車の羽根が支柱の前を通過する際に発生する周波数が数Hzの音波であると推測される。

この超低周波の音波、言い換えれば空気振動の周波数が、住宅の各部分が持つ固有振動数と一致した場合、その部分の振動が時間と共に増大するという、いわゆる共振現象を起こす。風車による健康被害者の多くが、自宅内に居る時のめまい・ふらつきなどの車酔い・船酔いに似た症状や、不眠などの睡眠不足を訴えているのはこの振動が主な原因と推測される。

今まで、風車による健康被害者が裁判所に風車の運転差止訴えてもほとんど無視されてきたのは、訴状の中で「騒音被害」という言葉を使ってきたからだろう。こんな言葉を使ってしまったら、事業者からは「騒音計を使ってお宅の近くで騒音を測定してみましたが、環境基準の〇〇デシベル以下だったので法律的には問題ありません」と言われて門前払いになるのがオチなのである。

人間は言葉無くしては自分の思考を進められない。いったん「騒音」という言葉を使ってしまえば、検察も裁判官も「では、現行の騒音基準はいくらなのか」という思考の流れの中に囚われてしまう。

この状況を打開するためには、「騒音」ではなく「振動」を問題にするべきである。住民が被害を受けている居住家屋の振動そのものを直接測定する必要がある。振動の具体的な大きさの値を把握し、その値が人間の健康に与える影響をストレートに追求していけば、風車による過去の健康被害者、さらには今後発生するであろう健康被害者を救済していく道が開けると思う。


(2)風力発電のコスト上昇について

 現在、日本のメーカーは風車本体と風車用発電機の市場からは既にほぼ撤退してしまっている。2021年のこの分野での企業別シェアを下に示す。

図-1(図はクリックで拡大、以下同様)


「風力発電機・風車・ウィンドタービンの市場シェア」より

10位までを合計した国別シェアでは、中国 25.3%、ドイツ 11.4%、デンマーク 10.2%、米国 7.8%となり、中国が他を圧倒している。ただし、中国から日本への輸入は小型の廉価品に限られており、数千kW級の風力発電所の本体はその全てが欧米からの輸入となっているようだ。

海外大手メーカーは風車の建設も自社で受け持っていることが多い。日本企業の担当部分は、発電所設置・管理事業者を除けば、現地までの道路建設、風車基礎部分の工事、既存電力線への接続等に限られるようである。

日本国内にはほとんど風力関連のメーカーが存在しなくなっている現状では、鉄、銅、プラスチックなどの原材料や輸送費の高騰と円安による価格上昇が今後も続くようであれば、日本での風力発電の導入は相当程度停滞することになるだろう。以下、各種資材や円相場に関する今後の見通しについてざっと見ていこう。

鉄や銅の価格は基本的に中国の需要の増減に左右される。今後、不動産バブル崩壊に伴って中国の新規住宅建設は相当落ち込むことが予想されるので、これらの価格は徐々に低下していくだろう。アルミの需要は軽量化のための自動車向けに今後も拡大していくと予想されるが、風車を軽量化する意味は特に無いのでアルミ価格の変動は風力発電には関係しないだろう。

石油価格は、最近OPEC諸国が減産を決めたこともあり、現在の高値の水準がかなり長期にわたって続くだろう。脱炭素への流れで化石燃料の新規開発への投資が急速に減るために、既存の産油国の生産量も今後はしだいに落ちていくはずだ。需要に対する供給不足の傾向は現在よりもさらに強まるので、近い将来に原油価格がコロナ以前の値にまで下がるとは考えにくい。

樹脂の原料は現時点ではまだ石油が大半なので、樹脂の価格も高止まりが続く。風車の羽根の材料は炭素繊維で強化した樹脂なので、現在はかなり高騰しているはずだ。

原材料価格との直接の関係はないが、米国や英国ではコロナを機に働くのを止めた労働者の割合が高く、人手不足で全般的に人件費が上昇している。これが米英のインフレ率が他国に比べて特に高くなった要因のひとつと言われている。この結果、設計、営業、各種サービス等のいわゆる間接費用も軒並み値上がりしている。特に世界のITサービスの大半は米国企業の支配下にあるので、今後、ソフトウェア関係の費用は世界的に値上がりすることになるだろう。

 

次に、最近の極端な円安が今後どうなるかという点について。

最近の円安の原因としては、日本を除く主要国がインフレ対策のためにいっせいに利上げに踏み切ったことがその根本にあるというのが現在の主流の説明である。

下に1985年以降の日米短期金利差と円ドル相場の推移を示しておこう。

図-2

「日米金利差による「円安」は終了へ…それでも「日本には期待できない」という理由」より

確かに2020年以降についてはその通りなのだが、それ以前では、特に2008年以前には現在よりも日米金利差が今よりも大きかった時期はいくらでもある。にも拘わらず現在の円安は三十数年ぶりなのである。この原因はいったい何なのだろうか。

実際の各国通貨の為替相場を説明するものとして「購買力平価」(略称:PPP)という概念がある。
「財やサービスの取引が自由に行える市場では、同じ商品の価格は1つに決まる。このとき、国内でも海外でも、同じ商品の価格は同じ価格で取引されるので、2国間の為替相場は2国間の同じ商品を同じ価格にするように動き、均衡する。この価格を購買力平価と呼ぶ。」

(あまり適切とは言えないが)購買力平価の一例としては、マクドナルドのビッグマックの各国ごとの価格を比較した「ビッグマック指数」がある。

かなりの経済学者が「実際の為替相場は長い目で見れば購買力平価に近づく」という説を支持しているらしい。代表的な意見を下に示す。

「外貨預金に走る人への警告・将来円高になって元本を失う危険がある」

この文献の中の図を下に示す。

図-3

この図は、2000年以降の日米間のドル円の実際の為替レートと、OECD諸国を主とした国の間で計算した購買力平価とを比較したものである。確かに昨年の2021年に至るまでは実際の為替レートが購買力平価に限りなく近づいているように見える。

ただし、「いつかは元に戻る」というだけでは将来予測としては物足りない。この記事を投稿された野口悠紀雄氏は、実際のデータに基づく経済解説を多く発表されており筆者も参考とすることが多いのだが、こと、この記事に関しては掘り下げが足りないと言わざるを得ない。

より細かな分析を行い最近の円安傾向の原因を詳しく解説している文献として、第一生命研究所による次の記事を挙げておきたい。
「円安パズルの解明 ~為替が購買力平価よりも円安である理由~」

この文献からも図を転載しておこう。上記の購買力平価からの実際のドル円相場のズレの推移を示したものである。

図-4

この文献の著者である熊野氏の主張は以下のようになる。

・かっての円高(上の図でいえばプラス方向へのズレ)は、日本の製造業が国内で生産して輸出する高品質の貿易財による貿易黒字に支えられていた。

・2014年以降の円安は、原発停止と化石燃料輸入の増加、さらに原油高騰による貿易赤字が主因である。

・黒田日銀総裁による2013年からの大幅な金融緩和がこの円安傾向をさらに加速させた。また利下げの結果として発生した国内から海外への資金移動も円売り圧力を強めた。

・黒田緩和によっても日本の貿易黒字は定着せずさらに円安が進んだ。背景には国内製造業の輸出競争力の低下がある。また、円安によって国際比較での日本人の労働コストは大幅に低下したが、それでも輸出は増えていない。

・黒田緩和の最大の誤算は円安にしても輸出が増えなかったことだ。また日本人の貿易黒字への関心も薄れて当面は貿易赤字が、言い換えれば円安が続くことになるだろう。

 

これらの主張に、筆者がさらに付け加えるとすれば次の二点になる。

① 日本の製造業は円高が進行していた1990年代から一貫して生産の海外移転を推進して来た。今では、日本の製造業の少なくとも大手企業では、主要な量産基地は海外に移行してしまっている。過去に海外で巨大な投資を積み上げて来たこともあり、円安が進んだからと言って簡単に生産を国内に戻す訳にはいかない。人口減少に伴う国内市場の縮小と労働人口の減少がこの傾向に拍車をかけている。

② 下の図は2000年以降の日本の経常収支の内訳を示したものであり、2012年からの数年間の貿易収支の大幅な赤字は上記の化石燃料輸入増加と原油価格の高騰によるものである。2011~2014の間の原油価格は100ドル/バレルを超えていた(現在は80~90ドル/バレル)。

図-5

「経常収支とは 投資収益が黒字支える」より

 

一貫して増加が続いている第一次所得収支の中身は、日本企業が海外に設立した子会社の挙げる利益からの本社への配当、個人や金融機関による海外の株や債券への投資の利息などからなっている。

この所得収支は、利子等については日本円に替えられるが、その他の多くは海外関連会社の内部留保として現地に留め置かれ次の投資へと回されることになるだろう。従って、トータルの経常収支が黒字であっても、円に置き換えられるのはその一部でしかないことになる。これが、日本の大企業が海外で十分な収益を上げているにも関わらず円安が続くことの理由である。

円安の要因のひとつであるエネルギーの海外依存については、日本の地理的条件によるものであり早急に解決できるような課題ではない。今できることは、国内で自給できる再生可能エネルギーの総量をなるべく早く増やすことである。

この方針には筆者も大いに賛成したいが、今回の本稿の目的は「風力発電については、採算が取れ、かつ周辺住民と周囲環境とに被害を与えない場所に限定して設置すべき」ということにある。日本の再生エネルギーの中での風力発電の位置づけは従来よりも下げるべきだろう。

原発再稼働は絶対に選択肢とすべきではない。常に地殻が動き続け、かつ一万年に一度の割合で九州全体を覆うような破局的大噴火が起きるこの日本列島内では、使用済み核燃料を十万年間も安全に保管することはほぼ不可能だろう。今、「原発再稼働」を声高に唱えている人たちは将来世代に対して実に無責任というほかはない。

さらに、仮に敵対国がいま日本の原発にミサイルを何発か打ち込んだとしたら、原子炉が稼働していようといまいと、行き場が無くて国内全ての原発の敷地内に保管され続けている大量の使用済み核燃料が広範囲にまき散らされることになりかねない。日本の国土の何割かが居住不能となるだろう。原発を再稼働すれば、潜在的に危険な使用済み核燃料がさらに増え続けることになる。

 

円安のもう一つの要因のゼロ金利政策(現在の10年国債利率の上限0.25%は、利率数%の他国から見ればほぼゼロでしかない)は単なる日銀の方針でしかなく、撤廃しようと思えばすぐにでもできるはずである。なぜ撤廃しないのか?

黒田総裁は「利上げをしたら景気を冷やす」とか言っているが、ゼロ金利のもとでカネを借りたがるのは株や外国証券を買おうとする投機筋ばかりで、経済成長に結び付く企業の設備投資のための資金の借り手が少ない今の日本では、利率を若干引き上げたところで景気の状況がたいしてかわるはずもない。利率を上げられないのは政治的な理由があるからだろう。

現在の日本政府の借金(国際)残高は対GDP比で260%という世界史上未曽有の領域に達しており、その元利支払いである国債費は下の図に示すように今年度予算では24.3億円、歳出の23%を占めている。

 

図-6

「22年度予算が成立 過去最大の107兆5964億円」より

 

仮に国債利率を上げて国債費が今後さらに増えれば、数年後には政策実施のための予算枠を減らすしかなくなる。社会保障費、防衛費、教育・研究費等々、必要とされる政策経費は膨らむ一方という現在、日銀が物価対策と称して金利を上げれば、今後の政府予算は不人気な増税で維持するしかなくなる。

増税を実施したうえに選挙目当てのお得意のバラマキ政策もできなくなれば、次の国政選挙で負けることは確実だ。政権与党から見れば、日銀が金利を上げるなんてとんでもないということになる。

また今年度予算の歳入では、新規国債の発行額36.9兆円がその34%を占めている。日銀が現在続けている国債引き受けを停止したとたんに、他には誰も日本国債を買わなくなって予算編成は不可能となり、内閣は即刻退陣となるだろう。「安倍+黒田」が推進して来た、ゼロ金利国債の日銀引き受けの二本立てからなるアベノミクスには、もはや出口はないのである。

 

もう一点指摘しておかなければならないのは、インフレは我々国民にとっては悪材料だが、借金を多く抱えている政府にとっては好材料であるという点だ。物価が高騰してもそれに比例して過去の借金の額が増加することはない。

物価が高騰すれば消費税や企業の法人税はそれに比例して上がり、時期的な遅れはあるものの労働者の給与もそれにつれて上げざるを得ないから、やがては個人からの所得税も上がる。結果的に国の税収も増えるので、それを返済に回すことで国債の対GDP比率を減らすことも可能となる。

極端な例を挙げるとすれば、激しいインフレを放置することで、或いは故意に政策的にインフレを引き起こすことで政府が過去の借金を帳消しにした例は、世界の歴史の上では数多く存在する。日本では戦後すぐの新円切替が人為的にインフレを発生させた典型例であり、この結果、戦前・戦中に政府が発行した国債は紙クズと化してしまった。今の政府にそこまでの意図があるとは思いたくはないが、政府の財務関係者の本音としてはどうなのだろうか。

 

先日、英国のトラス内閣が発足後二か月も持たずに退陣したが、英国の政府負債の対GDP比は日本の半分以下の100%程度にすぎない。英国でバラマキ政策を選択した内閣がすぐに倒れるのは、政府が発行する国債を英国中央銀行が引き受けないからである。そういう面に関しては英国の政治と経済はまだ健全といってよい。

日本では、最近の歴代内閣では、その背中を日銀が支えてやっていることで選挙対策としての有権者向けの大盤振る舞いが出来ているのである。今後、誰が日本の首相になろうとも、日銀の低金利政策と国債引き受けというツッカイ棒が外れたとたんに、内閣退陣のドミノ現象が起きることだろう。

安倍晋三氏は存命中に「日銀は政府の子会社だ」と発言したそうだが、建前上は日銀は政府から独立した機関であるはずだ。なのに黒田総裁は正面からの抗議をしなかったところを見ると、彼はやはり「自分は政府の子会社の社長」と自覚しているのだろう。安倍総理に忖度しながらアベノミクスを推進して来た結果が、現在の急激な円安を招いてしまったのである。

黒田総裁は在学中は周囲から「稀に見る秀才」と評されたそうだが、いくら学校の勉強ができても、上とケンカする度胸が無くては国民には何の役にも立たない。安倍氏アベノミクスをずっと支持して来たであろう人々が、現在の円安・物価高騰の原因も理解できないままに、一円でも安い商品を探して毎日あちこちのスーパーを駆けずり回っている光景を見るのが哀しい。

さて、今後は再び円高に戻るのだろうか。黒田総裁の任期は来年三月までである。後任の総裁、副総裁、さらに審議委員については内閣が任命権を持つことが法律で決まっており、後任も内閣に都合のよい人物が任命されることになるだろう。従って、現在の金融緩和政策、低金利政策が来年以降も続くことになる可能性はかなり高いと思う。

 

今回、あらためてドル円相場を決める要因が何なのかを調べてみたが、主たる要因は ①海外との金利差、②経常収支、特に実際の資金の移動がある貿易収支、③投機筋の動向 であることが理解できた。投機筋の動向を予測することは困難だが、金利差と貿易収支の面から見れば、現在の円安と物価高は来年以降も続くことになるだろう。

なお、インバウンドの再開による海外からの旅行者の「円買い増加→今後の円安」を期待される向きもあると思うが、インバウンドがピークとなったコロナ前の2019年の旅行収支が約2兆円。直近の貿易収支のピークの2017年の約5兆円の半分弱であり、貿易収支に比べればその効果は小さい。

 

私事になるが、一昨日、筆者は鳥取市内の全国規模の量販店に自分にとっては定番の作業用シャツを買いに行った。以前は中国製だったが数年前からバングラデシュ製、値段は安いが生地があまり丈夫ではなくて、すぐに穴が開いたり破れたりするので数か月ごとに買い替えている。

同じ銘柄を使い始めてから約十年になるが、この間ずっと千円台で同一価格であった。そのシャツの値段が昨日買いに行ったら、なんと一気に五割増し! 他の銘柄も値上がりしており、まだ一番安いことには変わりないので買うしかなかったが、シャツの仕立ては今まで使っていたものと全く変わりが無かった。

数日前にも、毎日飲んでいる緑茶パック50袋入りが残り少なくなったのでスーパーに買いにいったら、先回買った時には確か400円台だったのが700円弱まで値上がりしていて非常に驚いた。過去に経験したことがないほどの強烈な値上げの津波が自分の周りに押し寄せてきていることを、ヒシヒシと感じてしまう今日この頃なのである。

 

次回は、温暖化に伴う世界各地の風力エネルギーの今後の変化、国内各地での風力発電所計画の現況、他の再生可能エネルギーの状況等について取り上げる予定です。

/P太拝

ベトナムを訪問しての感想

(1)ベトナム社会における女性の地位

ベトナムハノイに三日間いて感じたのは、「この社会には、暗黙の了解のようなものが確かにある」ということだった。そう感じたのは、今回の連載シリーズの第一回目で既に述べたように、歩行者が車やバイクが切れ目なく走っている道路を横断する際の、運転者と横断者の様子を観察してからのことである。

また、中国や韓国では、繁華街を歩いていると、ケンカ、ののしり合い、怒号などをよく見聞きしたものだが、ハノイではそのようなことは全く無かった。ハノイの人びとは大声で叫ぶことも無く、おおむね静かで穏やかな印象であった。社会全体が女性的な雰囲気の中にあるような印象を受けた。


訪問してから既に三年も経ってしまったが、今回の記事を書くにあたって、改めてベトナム社会の概要を調べてみることにした。まずは女性の社会的地位について。
(資料:「ベトナムにおける家族の特徴と福祉」奈良大学 桂良太郎  より)

 

「家父長制度」
かっては、特に貴族や官僚などの上級階層では、儒教の影響による家父長制度が普及していた。父から長男へと「家」が相続されていく。この辺は戦前の日本と同様である。

しかしベトナム社会の基盤をなす農村部では、名目的には父系社会ではあるものの、家族の主軸は父子関係ではなくて夫婦関係にあった。昔から男女が持つ権利は比較的平等であり、女性の財産権も認められていた。父母の遺産は兄弟姉妹の間で均等に分割相続されていた。

 

「女性国会議員の比率」

2022年時点での女性国会議員の割合は、ベトナムは30.3%で60位(世界191カ国中)。アジア地域の中では一番高い。

ちなみに他の国では、フランス 37.8%、ドイツ 34.8%、英国 31.2%、フィリピン 27.8%、米国 27.0%、中国 24.9%、インドネシア 21.9%、パキスタン 20.1%、韓国 18.6%、日本 14.3% (153位)、インド 14.1%、タイ 14.0%。

アジア地域において、日本よりも下位に居るのは、インド、タイ、ヨルダン、シリア、オマーン、イラン、スリランカレバノンカタール、イエメンの10カ国に留まる。日本は、南アジアや中東イスラム諸国のような、明らかに女性の社会的地位が低いとされている国とほぼ同列に居るのである。

 

ベトナム社会でよく言われていることわざ」 =「夫の地位は妻のそれより強くはない」
要するに、家庭の中では、妻の方が夫よりもより強い権力、決定権を持っているということ。子供の育て方や成人してからの結婚相手などについても、まずは妻が認めないことにはどうにも決まらないらしい。

 

「現代ベトナム社会福祉体制」
ベトナムは伝統的な共同体をベースとした「ムラ社会」であり、伝統と近代とが共存し合った社会構造を持つ点において、他の社会主義国とは大きく異なっている。

現在は子供の養育や老人介護等の社会福祉を担う地域住民組織が全国的に組織されているが、これは元々は各村落内にあった相互扶助組織が社会主義的に再編されたものである。

このようなデータから見る限り、ベトナムにおける女性の社会的地位は、少なくとも東アジアの中では一番高いと言って差し支えないだろう。ハノイで感じた直感が裏付けられたとようである。


(2)父性原理と母性原理

ユング派の心理療法家であり、かつ第16代文化庁長官であった故河合隼雄氏によれば、日本社会は「母性原理に基づく社会」であるとのこと。それに対して欧米の社会は「父性原理」社会であるとのこと。同氏による両者の定義は以下のようになる。

(「母性社会 日本の病理」 第1章「日本人の精神病理」より 河合隼雄 講談社α文庫 1997年)

 

「父性原理」 

全てのものを切断・分割して、主体と客体、善と悪、上と下、等々に分類する。子供をその能力や個性に応じて類別する。子供の養育面では、「よい子だけがわが子」という規範に従って子供を鍛えようとする。

「母性原理」 

全てのものを善悪とを問わずに包み込み、その中では全てのものが絶対的な平等性を与えられる。「わが子はすべてよい子」という標語のもとに、全ての子を育てようとする。その半面で、子供を強く束縛し成長後も自分の手元から放すまいとして強力な支配力を発揮する傾向もある。

これらの社会を環境と宗教の観点から見れば、以下のような、もう少し詳しい説明も可能だろう。

「父性原理社会」 
元々は、砂漠や乾燥地のような生存に厳しい環境で成立する傾向が強い。このような環境下で生き延びるためには、正しい選択と決定とを次々に下し続けなければならない。生業としては遊牧民が典型的である。

一例を挙げれば、来るべき冬に多量の降雪があった場合には、飼っている羊の群れが草が食べられず全滅して一族全員が餓死しかねない。一族のリーダーには、冬が来る前に気候変動のわずかな予兆を把握して正しい越冬地を選ぶ能力が求められることになる。また、家畜の生産性を高めるためには、優れた形質を持つ家畜のみを選別して交配させ、劣ったその他の家畜はなるべく早く処分して食料とする必要がある。

このような地域に限定で唯一の神を信仰する「一神教」が生まれた。その代表例がユダヤ教キリスト教イスラム教である。一神教の信者は、唯一神と取り交わした契約を遵守してこそ、初めて自身の安全と繁栄が補償されるものと信じているのである。

現在の欧米社会が父性原理に基づいた契約社会であるのは、明らかにキリスト教の影響によるものだろう。父性原理社会では全てが法律に従って厳格に解釈される傾向が強い。法律は、元々、人間と神との間で結んだ契約から生まれたものと見なされているからである。

なお、なぜ砂漠で一神教が成立したのかについては諸説あるようだが、残念ながら、筆者はその違いを解説するに足る能力を持ち合わせてはいない。

 

「母性原理社会」
森林内の狩猟採集民社会や、湿潤なモンスーン地帯の稲作農耕社会などが典型例である。これらの地域では食料は比較的入手しやすく、また気候も毎年同じパターンが繰り返されることが多い。

従来の慣習に従ってさえいれば、たいていはそれなりに暮らせる。自分で判断できなくても、隣の人の行動を真似て同じことをしていれば、ほどほどの暮らしはできる。砂漠や乾燥地帯の住民のように、生活するうえで絶えず大きな選択を迫られ続けるという社会ではない。

宗教面では、岩や山、木や草、獣や虫などの自然界のあらゆるものに神が宿るとするアニミズム、言い換えれば多神教が主流となる。

 

歴史をさかのぼれば、農耕や家畜の登場は約一万年ほど前のことであり、それ以前は全ての人類が狩猟採集生活を営んでいた。人類社会の基本形(デフォルト)は母性原理社会であったと言ってよいのではないか。ただし、狩猟採集民であっても、北極圏などの厳しい環境下では、父性原理なくして母性原理のみによって持続的に生存することは困難かもしれない。

一神教に基づく父性原理社会は、人類史における一種の突然変異のような特異な存在なのではないだろうか。そのためなのか、現在の父性原理社会においても母性原理の要素は根強く残っている。欧米や南米などの地域における根強い「聖母マリア信仰」などが典型例だろう。

母性原理社会では法律が軽視される傾向が強く、裁判では情状酌量の余地が大きい。本来、全ての命を生かしたいとする母性原理の元では、厳格な法律の適用がしばしば忌避される。

 

このような観点に沿って、以下、中国、日本、ベトナムの社会を見ていこう。

(2-1)中国

まず中国だが、これは明らかに父性原理に基づく社会である。過去の中国の各王朝社会の頂点には皇帝が位置し、それを貴族・官僚層が取り巻いていた。彼らと一般の平民との間には大きな階層差が存在していた。この構造は、皇帝→総書記、貴族・官僚→中国共産党員(=公務員か国有企業幹部)、平民→一般国民 と名前を変えただけで現代の中国にそのまま受け継がれている。

中国人は「個々の人間の能力には優劣の差があるのだから、能力に応じて待遇に差があるのは当然のこと」だと思っている。千数百年も続いた科挙制度の後遺症だろう。また、中国の皇帝が絶対的巨大権力を持つようになった背景には、巨大な「暴れ河」であった黄河に対して、同じく巨大な治水対策が必要であった歴史が大きく影響していると思う。このことについては、また別の機会に述べたい。

そもそも、中国人には「人の持つ権利は本来平等のはず」という思想が理解できないのだろう。「能力不足の相手に対しては、待遇だけでなくその持つ権利すらも制限して当然」だと彼らは思っている。

だから、中国語が話せないウイグル族を収容所に入れては、強制的に中国語を学習させようとするのである。ウイグル族にとっては民族固有の文化を圧殺する人権侵害でしかないのだが、中国人側から見れば「素晴らしい言語である中国語を親切に教えてあげているのに、何でこいつらは文句を言うのか」ということになる。

中国で宴会に参加すると、まず最初に、誰がどこに座るのかという席順を決めるために五分や十分くらいはかかる。政府首脳間、全国の大学、大学入学試験受験者、各省内の都市間に至るまで、すべてが公式に認定された序列を付けて公表されている。一番偉い人に自分の序列を決めてもらわないことには、彼らはいつまでも落ち着けないのである。

このような社会に西欧流の民主主義が定着するには、極めて長い時間が必要になることだろう。民主化への期待がいくぶんかあった胡錦涛政権の頃、日本人だけで集まって食事している時には、よく「これから中国に民主主義は定着するのか」という議論になることが多かった。中国滞在が長い人ほど否定的になる傾向が顕著だった。

また、筆者が中国で仕事をしていた頃に気づいたのは、「国と、その国の企業とは、その権力構造がまったく同一である」ということだった。共産党王朝の皇帝が国を支配している中国では、中国企業においても組織のトップである会長(董事長)、または社長(総経理)が最終決定権を有しているのが当然であり、事実、彼らはそのように振る舞っていた。

日本企業間では新規の事業の検討はボトムアップで時間をかけて進められるが、中国企業では重要な案件は最初からトップの所に話が行き、その場ですぐに認可するか否かが決められる。

面従腹背」が中国的組織の特徴だが、少なくとも表面的かつ初期の段階では、組織を構成する全員がトップの指示に「面従」する点に注目する必要がある。欧米のように最初から「面背」する人間が出ることはほぼありえない。

我が国では、江戸期末までは朝廷と幕府とが並立し、明治から昭和前半までは天皇・議会・軍部の三つどもえの勢力争いが続いた。昭和後半以降は天皇が一応は「象徴」という何だかあいまいな立場に棚上げされたものの、今度は政府首脳と自民党有力者とのどちらが権力を握っているのかがよくわからなくなっている。

外国人は日本の政治を観察しては「この国では、誰が決定権を持っているのかが、よくわからない」と言うが、これは少なくとも幕末から一貫して指摘され続けて来たことなのである。同様に、海外に進出した日本企業の現地駐在社員は、現地の従業員から「この会社では、誰が決定権を持っているのかが、よくわからない」と言われ続けている(筆者自身、中国の工場ではこの言葉を何度も聞かされた)。

中国では、国も国内企業も、ありとあらゆる組織が父性原理によって運営されているのだから、組織のリーダーが誰なのかは最初から明確である。従って、中国企業では事業進出でも撤退でも意志決定が速い。この点に関しては中国企業と欧米企業とはよく似ている。

中国が欧米と異なるのは、中国においては、組織が従うべき規範は究極的には「皇帝」から発せられるという点だ。組織の規範は、あくまでその組織のリーダーが実際に下す命令そのものの中にある。皇帝が変われば善悪の基準も変わる。中国の政治と社会とが極端から極端へと大きく振れるのは、「権力の皇帝への一極集中体制」がその主な理由だろう。

対して欧米の組織では、構成員が従うべき規範は「神との契約」という名の抽象化され理想化された思想の中にある。欧米企業においては「利益を挙げる」こと自体すらも、元々は自身と神との契約の中に含まれるとされていたのである。

神との契約の思想の具体化については個々の構成員自身にまかされているがゆえに、構成員間では解釈に違いが生じる。その違いを議論によって克服することで組織全体の方針を決める。これが西欧流の民主主義の根幹をなしているものと思われる。西欧社会が人権や平等に関して熱心なのも、これらの理念がキリスト教の教えの中に最初から含まれているという共通舞台があるからだろう。

 

(2-2)日本

次に、母性原理社会である日本では、組織の意志はどのようにして決められているのだろうか。筆者が思うに、日本型組織が従う規範とは「自分が所属する小集団の利益の最優先」なのだろう。「小集団」を「タコツボ的小集団」と言い換えた方が正確なのかもしれない。「タコツボ」を辞書で引くと、「自分だけ、または仲間内だけの狭い世界に閉じこもっていて、外部に目を向けないことのたとえ」とある。

会社や役所などの職場、学校、近所、専業主婦のママ友仲間等々、狭い集団内の視点からしか物事を見ることができず、より大きな集団全体としての合理的巨大利益よりも、自分が入っているタコツボに属する非合理的損得の方を優先するのである。

縦割り組織の弊害による行政の機能不全、世界最悪の政府負債の対GDP比率、狭い業界内に多数の企業が参入し存続し続けようとすることによる安売り合戦、大企業で頻発する品質データ偽装問題、核のゴミの処分方法さえも決められず宙ぶらりん状態の日本の原発、一時的には世界一を経験した半導体、液晶、電池、自動車業界の急速な没落等々、現在の日本が抱えている問題の大半がこの観点から説明可能だろう。

問題点の実例をひとつだけ紹介しておこう。政府が鳴り物入りで最近始めたデジタル化(DX)の実際の効果についてである。

下の記事によると現状、会社の本店移転の際には、18種類もの書類を役所のそれぞれ異なる部門に提出しなければならないそうである。日本政府は、この複雑さに手をつけないまま、そっくりそのままの状態でデジタル化してしまったとのこと。使いづらいことこの上ないのは当たり前だろう。

まさに「縦割り組織の弊害による行政の機能不全」と評するしかない。本来、国民から集めた税金の使途について責任を持つべき官僚・公務員に、現状の不合理な壁を打ち破ろうとする勇気と意欲とが全く欠けているのだ。

「政府挙げてのDX、「アナログの方がマシ」と言われてしまう悲惨な末路 -目的の変質が生み出す、アナログ手続きの劣化版-」


本来は、国民が選んだ政治家に国内に無数にあるタコツボの間の厚い壁を打ち壊す役割を求めるべきなのだが、その大半が政治家家系の二代目、三代目である彼らは、自分の選挙区や支持者を囲い込むためのより大きなタコツボを作ることにしか興味がないように見える。国の将来よりも、自分の座るべき椅子を安全・安心裏に確保することが最優先、というのが今の日本の政治家と官僚の姿なのである。

こうなってしまう原因は、以下に示す今の日本人の特徴にあると思う。一つだけを選ぶとすれば⑤だ。

 

① よいアイデアを思いついても、上司の顔色を確認してからでなければ言い出せない。
② 前例を踏襲してその場限りの処置をするだけで満足し、根本的な解決を先送りする(バンドエイド症候群)。
③ 集団内や他集団との間で生じる摩擦を極端に恐れる結果、新しい提案・取組みをなるべく回避しようとする。
④ 常に集団の中に隠れる形でしか行動できない。
⑤ 個人として責任を取ることを極力避けようとする。

幕末や敗戦直後の激動期は別として、社会が安定期に入ると我々は小さなタコツボの中に入って満足し、そこから出ることを極力避けるようになる。これでは、全ての面でよその国に負けるようになるのも当たり前だろう。

別の言葉でいえば、今の日本人は極力「出る杭」にならないようにビクビクしながら日々を生きているのである。

先日、鳥取には珍しい典型的な「出る杭」タイプの自営業の知人と久しぶりに話す機会があった。彼が自身の過去の経験について、「「出る杭は叩かれる」どころじゃないですよ。叩かれるだけでは済まず、引っこ抜かれて、捨てられるんですから。」と話したので大いに笑えた。

詳しい出身地を聞いたら鳥取市ではなくて県の中部の出身だった。鳥取市の出身者には、彼のように自らすすんで自営業になろうとする人間は少ない。多くが公務員志望だ。

神も皇帝も存在しない日本では、日々の行動の基準となる情報提供はマスメディアに求めるくらいしかないのだが、彼らも基本的には当面の利益をかせぐことを最優先する企業に過ぎない。視聴率を上げ、ネットでのクリック数を稼ぐために、番組や記事のタイトルは年々刺激的になっていく一方だが、実際に中身を見てみるとたいした内容ではない。

難しい話題は避けて、食べ物、ファッション、美容、スポーツ、セックス、ペット等々の話題がその大半を占めることになる(それらの報道を止めろとは言わない。食欲、性欲、他者からの承認欲は、動物の一種族である人間の基本的な欲求なのだから。それ以外の内容がほとんど無くなってきているというのが問題。)。

マスメディアから得られる行動指針とは、「一昨日はナタデココ、昨日はタピオカ、今日はこれからハローウィン」程度になってしまったのではなかろうか。

このように考えてみると、我々日本人が現在持っている社会規範とは、何ともフワフワとしていて頼りない、時と共にうつろう根無し草のようなものだとつくづく思ってしまうのである。

要するに、現代日本の最大の問題点とは、西欧のキリスト教、中国の皇帝のような、その社会の基盤となる国民の共通概念が存在せず、この国をこれからどうするのかという議論の収束点が一向に見えてこない点なのだろう。これこそが河合氏が指摘していた「日本における父性原理の欠如」そのものなのである。

かっては国が疑似的な父性原理として「天皇制」を国民に強制的に押し付けて来た。今さらその復活を図るような動きがあってはならない。新しい父性原理は、我々の中から自発的に形成されるものでなくてはならないのである。

 

以下、少し脱線する。

河合隼雄氏が「日本は母性原理に基づく社会」だと述べたのは主として1970年代においてであったが、最近の日本ではその母性すらも希薄化してきたような気がしないでもない。

筆者は、最近国内で頻発している無差別大量殺人事件の背景について強い関心を持っている。犯人に関する報道を詳しく調べてみると、彼らの育った環境の共通点として「母親の不在」が挙げられるように思う。

例えば、先日死刑が執行された2012年の秋葉原での事件の犯人だが、彼は名門高校受験のための勉強を強制する母親の言いなりになって育てられた。彼の家には父親役は実の父親も含めて二人いたが、母親役は不在だったようだ。

2019年の京都アニメーション放火事件の犯人は、両親が離婚した九歳以降は父親だけの家庭で育っている。今年の七月に発生した安倍元総理に対するテロ事件の犯人は、既に再三報道されたように、母親を実質的に統一教会に奪われた環境の中で成長している。まだ十分な数を調べているわけではないが、今後さらに他の例も調べてみたい。

全てを受け止め包み込んでくれる母親の存在があってこそ、子供は自己肯定感をはぐくみながら成長することができるのだが、母親、もしくは母親の代わりになる人物が不在の状態では、子供が自己肯定感を心の中で育てながら成長することは相当に困難だろう。

「元々、自分はこの世に無用の存在」と自己卑下しながら成長してきた人物が、ある時点で「自分以外の周囲も巻き込んでの集団自殺」に踏み切る可能性が高いであろうことは想像に難くないのである。

元々から父親不在で、生きる上での指針をいつまでも自己の内部に確立できないでいる我々日本人が、さらに自分の存在を全肯定してくれるはずの母親までも失うようでは、我々の社会の未来がさらに暗たんたるものになることは確実だろう。話が脱線してしまったが、この問題はもっと真剣に考えなければならないと思う。

 

さて、「神との契約」の西欧、「皇帝による絶対支配」の中国、「タコツボ的小集団の集合体」である日本について述べて来たが、日本と同じく母性原理の社会であるベトナムの社会規範とはいったい何だろうか。結論を先に言えば、それは「ムラ」なのではないかと思う。詳しくは次の節で述べたい。

 

(3)ベトナムはなぜアメリカに勝てたのか?

ベトナムに対する一番の疑問は、あの激しかったベトナム戦争の中で超大国アメリカを撃退できた理由は何だったのかということだ。今回の訪問ではベトナム戦争に直接関係する展示を見たわけではなく、この点が相変わらず不明のままだったので、帰ってからポツポツと調べてみた。その結果を以下に書いておきたい。なお、調べるにあたっては以下の文献を参考にした。

「ベトナムの歴史 -wikipedia-」

中公新書 「物語 ヴェトナムの歴史」第13版 小倉貞男 2020年

朝日文庫 「ベトナム戦記」 開高健  1990年

 

おおまかな理由としては、以下のようになると思う。

① 中国からの約二千年間にも及ぶ絶え間ない侵略と支配の波の中で、ベトナム民族は侵略者に対する抵抗方法(主としてゲリラ戦)を十分に習得してきた。


② 19世紀後半からのフランス植民地化の時代に過酷な支配を経験した結果、独立への要求が高まった。


③ 武力でフランスを追い出したにも関わらず、その跡にアメリカが入って南部を自国の衛星国化したことで、南北統一の機運がさらに高まった。


④ 社会構造面では、ベトナムの社会を構成する最小単位である各村落は、伝統的に強固な自治的組織であり、村民自らが共同で運営していた。このことが各村落を侵略者に対する抵抗拠点として重要な存在にした。


⑤ ベトナムの社会では、中国社会のように上層民と下層民とが明確に分かれてはおらず、中国から独立した後の初期の王朝の創始者は農民や漁民の出身であった。頻繁に王朝が交代するたびに各階層が混じり合ったために貴族層などが明確に形成されることもなく、社会全体としての平等感・一体感が持続的に保たれる傾向があった。

 

①については、「ヴェトナムの歴史」を読んでいると、あまりにも中国からの侵略が数多いので、同じ戦いについて何度も繰り返して読んでいるような錯覚を覚えるほどだ。前半の約一千年間の「北属期」の間だけでも、ハノイを中心とする北部では中国が派遣した支配者に対する大反乱が十回程度は発生している。

ベトナムがようやく中国の支配から脱出することができたのは10世紀の初頭、当時の唐王朝の力が衰えてからであった。以後、19世紀にフランスに支配されるまでに王朝は何度も交替したものの、たび重なる中国からの侵略に対してはその都度撃退してきた。

また、中国との抗争の中で強化された軍事力を中部のチャンパ王国や南部のメコンデルタを支配していたカンボジアに振り向けたことで、領土拡大(南進)を徐々に進めていった。

②のフランスの植民地時代には、フランスから派遣されるインドシナ総督の個人的性格しだいで支配の過酷さには強弱があった。

最も過酷な支配を行ったのが1987年に総督に就任したドウメである。各種税の税率を引き上げ、官製アルコールの摂取を国民に強制し、塩やアヘンの専売化も実施した。また農民から強制的に土地を奪って、勝手にフランス人植民者に分配した。これらの政策によってベトナム農民の困窮化、都市流民化が進行し、フランス支配者に対する憎悪が高まっていった。

ドウメの統治によってインドシナ総督府は莫大な利益を挙げるようになったが、この統治方法を高く評価し自国の植民地統治の参考にしたのが、当時の日本の明治政府であった。

④に挙げたように、中国の侵略を撃退する原動力となったのがベトナム社会の基盤を構成する村落、中でもそれが持つ自治の形態にあると考える。この千年近い独立期におけるベトナムの村落の構造は次に示す図のようになる。

(「物語 ヴェトナムの歴史」P138 より転載)

村落の周囲は竹林で囲まれて外部の田畑との境界を兼ねており、村の外に伸びる道にはそれぞれに門が設けられていた。村の中心には集会所があり、さらに仏教寺院と祖先の霊を祭るためのいくつかの祠堂・廟があった。

ベトナムの全ての土地と人民がいずれかの村に所属しており、生活の大半は村とその周辺で営まれていた。田畑の収穫物の多くは自家消費され、余剰分が村落共同体に納められ、さらに政府への貢ぎ物となった。村が管理する水田の中の公有地の部分は基本的に皇帝の所有地であり、農民が分担して米を生産して国に納めた。

各村落は基本的には住民の自治にゆだねられ、長老の集まりである評議会によって運営されていた。「村の慣習・掟は皇帝の法律に勝る」と言われており、政府の権力は村の自治の内部には及ばなかった。

中国の各王朝の支配下の村落においても、個々の村民のレベルまで直接に政府から支配されてはおらず、村落内部の問題解決は住民の自治に任されていた。ただし、ベトナムの村落が持つ自治権の範囲は、中国の村落が持っていた範囲よりもかなり広かったようだ。

中国の皇帝は、全国各地に派遣した役人が税金をしっかり取り立てて中央に送って来さえすればよいのであって、支配の末端の村落の内部にまでその力を及ぼそうとすることはなかった。この伝統的な支配形式は20世紀の国民党政権に至るまで続いた。

国民すべてに政府の支配力を及ぼすことを計画し、各種のプロバガンダを活用してそれを実行したのは、毛沢東共産党政権が中国の歴史上で最初であった。現在の習近平政権に至っては、IT技術を活用して全国民の行動と思想までをも監視する世界史上初の監獄国家を完成しようとしている。

自分のアタマで考えたい優秀な人間ほど、このような環境には耐えられずに国外へと移住することになる。その結果として社会のイノベーションが阻害され経済は停滞し、中国は傲慢な皇帝と無気力で奴隷化した人民しかいない国へと先祖返りすることになるだろう。ちょうど今のロシアのような。

上記の⑤に関して付け加えれば、独立後の初期の王朝では、貴族は普段は農村で暮らして自ら農作業も行い、用がある時だけ宮廷に出仕するという生活を送っていた。独立期の半ばごろからは上級階層には儒教が普及し、中国にならって科挙制度も始まったが、世襲による貴族層が誕生するようなことは無かった。

中国では、現代に至っても「孔子諸葛孔明の三十数代後の子孫」と自称する家系が存在する。

筆者は、かっては仕事の関係で韓国企業の人たちと一緒に酒を飲む機会が何度もあったが、酔いが回った彼らからは「自分の先祖は両班(ヤンバン、李氏朝鮮時代の貴族層)だった」という自慢話をよく聞かされた。「韓国人全員の先祖は全てが貴族か?」と思ったものである。

儒教の影響が強い中国や韓国では父系の系図が大事にされて来たが、ベトナムではそのようなことはほとんど無かったらしい。この点ではベトナムと日本とはよく似ていると思う。ベトナムの社会は元々から階層差が少ないフラットな社会であったようだ。

社会格差の大きい国が外国から侵略を受ける場合、侵略者側は必ずと言っていいほどに被侵略国の階層間の分断を助長しようとする。侵略する側は、少数の上級階層に利益を与えて買収することによって味方に引き入れ、圧倒的多数の下層階級による侵略者に対する反抗を彼らによって抑圧させようともくろむ。19世紀の中国では、外国勢力と結託して利益を得ようとした商人層を「買弁」と呼んで批判していた。

現代のアフリカやアジアなどの貧困国においても、これら買弁商人やそれと結託した政府幹部が国を支配している例が未だに多い。開高健による「ベトナム戦記」を読むと、ベトナム戦争当時の南ベトナムも典型的な「買弁層が支配する国」であったことがよく判る。

前線では米軍兵士、農村出身の南ベトナム軍兵士、北ベトナムの支援を受けたベトコン(南ベトナム解放戦線兵士)が血みどろの戦いを続けている一方で、南ベトナムの首都であったサイゴン(現ホーチミン市)では政府関係者や買弁商人たちが連日連夜のパーティーやドンチャン騒ぎを繰り広げていたそうである。彼らはアメリカから流れ込んできた援助金や戦略物資を流用しては大盤ぶるまいを続けていたのである。

1965年当時、開高氏はすでに「これではアメリカが負けるのは当然だろう」とアメリカの敗北を予想している。また彼は「サイゴン以外の南ベトナムの農村はおそろしく貧しい」とも書いている。貧しいのは当時の北ベトナムも同様だったろう。

圧倒的多数の国民が平等に貧困であり、かつ買弁層になり得る上級層がごく少数にとどまり社会の基層をなす村落への影響力を持てなかったことが、ベトナムがフランスに続いてアメリカも追い出せた一因となったのではないだろうか。

開高氏は、米軍と南ベトナム軍による拙速かつ愚かな作戦が、かえってベトコンの勢力拡大を招いたとも書いている。一説によればベトコンの中の共産主義者の割合は1~2%に過ぎなかったそうだ。

あるベトナム僧の言葉を以下に引用しておこう。「農民とベトコンは誰にも区別できません。ベトコンが一人、二人、入ったか入らないかという情報で軍隊が出動し、ナパーム弾や大砲を撃ち込んで無差別に殺します。その結果、生き残った農民はベトコンに走ります。」

この状況は、ちょうど現在のウクライナでのロシア軍の愚劣な戦い方にそっくりである。ロシア軍による住民の無差別殺戮、拷問、強姦、誘拐の結果、ロシア系の住民すらをもウクライナ側へと追いやってしまっている。やはり、民衆の心を理解していない軍隊が戦争に勝てるはずもないのだ。

上に挙げたベトナムが勝った理由の①~⑤には載せていないが、このように米国指導者層が当時抱いていた反共思想とベトナム社会の現実との間に大きなズレがあったことも、ベトナムの勝利の理由というよりも、米国の敗退の原因として挙げておかなければならない。

いわゆる大国の指導者層が、現地の現実の把握を怠ったままに自分たちで勝手につくりあげた妄想のとりことなって無謀な戦争を仕掛けるのである。過去のヒトラー大日本帝国軍部、現在のプーチン等々、その種の例は歴史上に数多い。

 

さて、ベトナム戦争の話題から戻り、ベトナム社会の特徴である母性原理についてもう少し付け加えておきたい。最初に指摘したように、ベトナムはアジアの中では女性の社会的地位が一番高い国である。、ベトナムの日常生活においても女性的な優しさに触れる機会が多いようだ。一例としてベトナムの「助け合い文化」についての記事を紹介しておこう。

「ベトナムに息づく「自然体の助け合い文化」」

このような助け合い行動は各宗教に共通してみられるが、仏教では「喜捨」と呼んでいる。仏教国のベトナムでは、このような習慣が日常的な行為として幅広く根付いているようである。

母性原理社会も良いことばかりではない。このような社会が持つ欠陥についても述べておきたい。

母性原理社会では「とにかく皆が生きる」ことを最優先する結果、社会内部の契約がしばしば無視されがちになる。契約の一種である法律も、その内容が社会の実情に合わない場合には個人の判断で平気で無視されることが多い。ベトナムの社会に収賄・贈賄等の汚職が根強くはびこっているのはこれが主因だろう。ベトナム国内では汚職対策法が何度も改正されているにも関わらず、その効果はあがっていないようである。

以下にベトナムに進出した日本人の法務関係者の苦労を紹介しておこう。

「ベトナム進出企業の駐在員がベトナム労務で困るワケ」

契約を軽視する社会では、いったん合意した事業計画もあとでその内容が頻繁に変更されることになる。ベトナム企業を相手に事業を展開する場合には、この点に注意する必要があるだろう。

 


(4)外国人労働者の国内導入について

数年前、鳥取市にも外国人向けの日本語学校が開設された。そのためか、最近では市内のコンビニなどでベトナム人らしい名前の名札をつけた外国人店員を見かけることも多くなった。ベトナムのことを取り上げたついでに、日本への外国人労働者導入に関する問題についても簡単に触れておきたい。

結論から言えば、筆者は、「日本人よりも低賃金であるから」との理由で日本企業が外国人労働者を導入することには反対である。理由は、より安い賃金で働く人間をつれて来ることで延命しようとするような企業は、せっかくの生産性向上の機会を逃し、近い将来にはどっちみちつぶれてしまうことになるからである。

現在人手不足に悩んでいる企業は、まずは生産性を向上させてより少ない人数で仕事量を維持する努力をすべきだろう。低賃金の外国人を連れて来てその場しのぎをしているようでは、OECD加盟国中の順位が年々低下の一途をたどっている日本の生産性がさらに落ち込むことは避けられない。

「低下の一途…ニッポンの労働生産性に上昇への道筋はあるか、専門家たちの見方」

2005年頃、中国の工場労働者の平均賃金は日本円で月二万円程度であった。それから15年以上経った現在、彼らの賃金は当時の三~四倍にはなっている。

中国リスク回避で製造業の中国からの移転先となることが多いベトナムは、現在、高度成長期の真っただ中にある。筆者がハノイに行った2019年当時、ベトナムの工場労働者の賃金については、15年以上前の中国のそれとほぼ同程度の月に二万円前後だろうと自分なりに推定していた。中国と同様、十数年後に現在の数倍になることは確実だろう。

2019年2月時点と現時点の2022年10月とで外国為替相場を比較すると、この間に日本円は米ドルに対して33%下落、ベトナムドンに対しては31%下落している。要するに、ベトナムドンは米ドルに対してこの間に約2%しか下落していないのである。ベトナムでの賃金上昇率が高いことも含めれば、日本円に換算したベトナムの工場労働者の平均賃金は、この三年の間に二万円から五割増の三万円程度に増えたものと推測される。

「月三万円なら、まだまだ十分安いじゃないか」という人もいるだろうが、ベトナムから日本に働きに来る際には、彼らは多額の借金をして、仲介業者に百万円とも二百万円とも言われる多額の仲介料を既に支払っていることを忘れてはならない。ベトナム人が日本に働きに来ることは、同時に個人的に大きなリスクを背負うことも意味している。

次の記事を読むと、韓国の方が日本よりも渡航にかかる費用は低く、肝心の給与では韓国は日本よりも高いそうである。韓国では、民間の仲介業者を排除して政府が直接管理することで外国人労働者に対してよりリスクが少ない就労場所を提供できている。日本も韓国の制度に学ぶべきだが、例によって日本政府の腰は重いままであり、現状放置を続けている。

「問題だらけの「技能実習制度」…外国人労働者受け入れについて「韓国」に学ぶべきこと」


次の記事は、一人当りGDPが七千米ドルを超えると、その国からは労働者が日本に働きに来なくなるというものである。ベトナムは2027年にこの水準に到達すると予測されているが、直近の円安によってこの時期がより早くなる可能性はかなり高い。

おまけに日本には「日本語という強固な障壁」が存在する。日本語を勉強しても日本でしか就労できないが、英語を勉強しさえすれば、日本よりも給与が高い、オーストラリア、シンガポール、香港、米国、カナダ、英国、さらには英語を話せる人が日本よりも多い欧州や韓国等で働く道が開ける。給料が安く、かつ他の国では役に立たない日本語の習得が要求される日本に働きに来たいと思う外国人が今後減って行くのは、当然予想されることなのである。

「進む円安、細る外国労働力 ドル建て賃金4割減」

経営者が「外国人だから、給料は日本人よりも安くてよいはず」などと考えている企業は、近い将来、廃業することになるだろう。

/P太拝

2019年のベトナム(4)

ハノイ滞在も三日目、今日が最終日。

同行の友人はアメリカの何十回もの北爆に耐えて残ったロンビエン橋ハノイ駅からHanoi railway street を経ての鉄道も通っている)を見にいくとのこと。自分はやはり金正恩を見てみたかったので、今日も別行動をとることにした。

8時過ぎだったろうか、ホテルの部屋に残ってテレビをぼんやりと見ていると、突然、画面に金正恩が現れた。中国との国境にある駅で専用列車から降りて車に乗り換えるとのこと。

国境からハノイまでは100kmちょっとくらいしか離れていない。「二時間後には来るな」と踏んで、そのままテレビを眺め続けていると、短いが印象的な番組があった。当時の日記にそのことを記していたので、そのまま引用しておこう。

「・・部屋に残ってテレビを見ていたら、国営放送でタイ族?(ベトナムでは少数民族)の暮らしを紹介していた。衣服は紺色、生活用具のほとんどは竹製、木陰にある高床式の家、川沿いの菜園、炉端でいぶした獣肉、シミ一つないキレイな肌の娘さん、すべてが静謐で美しい。観光目的で編集されているのだろうが、「ああ、行ってみたい」と感じた。・・」

この番組が終わり、部屋に居ても退屈なので現地時間9時頃に外に出ると、ホテルの横の道路には警官が立ち、すでに封鎖が開始されていた。

(以下の図・写真はクリックで拡大します。)

 

迎賓館斜め前のベトナム国立銀行の正面には米朝両国の巨大な国旗が飾られていた。昨夜のテレビでは、真夜中近くまで大勢でこれを作っている場面を実況中継していた。(もっと早く作っておけばよいのに・・。)

 

オペラハウス前からホアンキエム湖にかけての通りは途中で通行止めになり、既に大勢のヤジウマが集まっている。筆者もこのヤジウマの群れに加わることにした。

 

取材陣がたむろしている地点からオペラハウス側を見る。テレビの取材陣はKBSなどの韓国勢が大半のようだ。

 

ずっと待っているのも退屈なので、店を覗きながらこの周りを少し歩いてみる。近くの病院から抜け出して来たらしい女性看護師の皆さんが、路肩に座っておしゃべりしている。「仕事しないでもいいの?」と聞いてみたかった。

絵を売っている店がいくつかあった。昨日に美術館で見たとおりで、シルクスクリーンの絵はなかなか良い感じだ。

一般に経済が成長する時期には絵の需要が高まるらしく、1960年代の日本では印象派などの西欧絵画の複製がよく売れていた。ベトナムも高度経済成長期に入ったようだ。

中国では2000年代に入ると一気に画商の数が増えたが、彼らが売っている絵のレベルは実にひどいものだった。「こんな絵は、自分の家の壁にはカネをもらっても絶対にかけたくない!」と思うようなものがたくさんあった。それに比べるとベトナムの油絵のレベルは幾分かマシなようだ。

さて、待つこと約一時間、11時近くになってから先導車がようやく現れた。我々のいる交差点を迎賓館とは反対方向の右へと曲がっていく。

 

続いて白バイの一団。

 

と、何たることか!ここで我がカメラに電池切れの表示!眼の前を装甲車、次に黒塗りの乗用車が続いて行く。このパターンが三回ほど繰り返された。

顔を出して手を振ることなどは予想していなかったが、やはり乗用車の窓は完全に締め切られており、どの車に金正恩が乗っていたのかはわからずじまい。肝心な所で車の写真すら撮れなかった。あわてて近くのコンビニに駆け込んで電池を買ったが、後のマツリであった。

マツリが終わって引き上げる人々。

 

車列は通過してしまった。さて、次はどこに行こうか。

オペラハウスの横に国立歴史博物館があるので、そこに行ってみたら昼休み中とのこと。近くの路地には、先ほど通過したはずの装甲車が四台停めてあった。

平気で写真を撮っている人たちがいて、自分もそれにならって撮影したが、これは少なくとも今の中国では絶対に避けるべき行為だろう。許可なくして軍の装備を撮影した場合、特にそれが外国人によるものであればスパイ扱いされかねない。

 

1974年に初めての海外旅行で朴正熙政権の戒厳令体制下の韓国に行った際、ソウル市内で軍施設の正門についついカメラを向けてしまい、衛兵にカービン銃を向けられてホールドアップしたことを思い出した。

ここベトナムでは、兵士が装甲車の横にいたものの何のお咎めもなかった。この日の午後には、すぐ近くでさらに驚くようなことがあったが、それについては後述。

博物館の近くでフォー(美味!)を食べてから、時間つぶしのために少し歩いて南西にある統一公園に行くことにした。

着いてみると広々とした公園で、人はほとんどいない。公園に接するバイマウ湖の岸辺で釣りをしているおじさんたち。キレイとは言えない池の水だが、いったい何が釣れるのだろうか。

 

ゴム製のパチンコでスズメを狙っている男性二人。子供の頃は、日本でもこういう光景をよく見かけたなあ。もちろん、今の日本では、行政の許可なしに勝手に野鳥を獲ることは禁止。

 

この公園の一角には、かなりの広さの菜園があり、数名の人たちが農作業をしていた。ベトナムでは食品の安全性に対する関心が高いようで、数年前の日本での報道によると、残留農薬があるとの理由でベトナムで中国産野菜の不買運動が起こっているとのことだった。ここの野菜も無農薬で栽培しているのだろう。

公園で時間をつぶしてから歴史博物館に戻ろうとしてクアンチュン通りを歩いていると、その途中に日本の「国際交流基金」が入っている建物があった。

 

今回の旅行で日本に関係するものを見たのは、この後で触れる博物館の展示以外では、この建物と圧倒的シェアのホンダのバイクだけだった。

後で調べたら、ベトナム在留外国人の中で一番多いのが韓国人とのこと。日本人在留者の数倍はいるらしい。サムソンの携帯電話の巨大工場がハノイの近くにあることも影響しているのだろう。

もう少し先に行くと、とある交差点に取材陣が集まっていた。どうやらすぐ近くのホテルに金正恩が入ったようだ。今夜、このホテルにトランプも入るのだろう。下の一枚目の写真の右端に見える高層ビルがそのホテル。

 

今回この記事を書くにあたって調べてみたら、このホテルは「メリアホテル」という五つ星ホテルであった。迎賓館で会議かとの、昨日までの見立ては空振りに終わったのである。

この日の夜にテレビのニュースを見ていたら、金正恩御一行様はハノイの中心部をグルグルと回ってからこのホテルに到着したとのこと。取材陣をかわすためなのか、安全性を考慮したのか、極端にテロを恐れる金正恩側の要望をベトナム側が受け入れて配慮したのだろう。

このトランプ-金正恩会談だが、結局は会談の途中でもの別れとなり完全な失敗に終わった。両者ともに相手の真意を読み違えたままでこの会談に臨んだのがその理由とのこと。結局、この米朝会談騒動で存在感を示せたのは、米朝のどちらにも顔が利くことを世界に示せたベトナム政府だけだったようだ。

「米朝破談を招いた"お互い勘違い"のお粗末」

 

さて、15時近くになってから、オペラハウスの隣にある歴史博物館にようやく入館。入場料40kドン(=¥200程度)+カメラ持ち込み料15kドン。展示室に入ると、真っ先に大きな船の絵が眼に飛び込んできた。

説明板によると、この船は17世紀初めに日本からベトナム中部のホイアン港にやって来る御朱印船を日本の画家が描いたものとのこと。下に船の後部を拡大した写真を載せておいたが、確かにチョンマゲ姿の男たちや日本風に髪を結った女性の姿が見える。

 

この当時、ホイアンには日本人街も形成されたとのこと。今回調べていて見つけたサイト「Nguyen lords -wikipedia-」には、ホイアンの上級官僚に贈り物をしている日本人商人の姿が紹介されていた。

面白いのは、この絵の右下の現地の兵士と思われる三人連れの姿だ。うち二人が明らかに日本刀と思われる長い太刀を、腰に差すのではなくて肩にかついでいる。

他の絵を見ても、兵士と推測される人物は皆が日本刀を肩にかついでいる。(こんな持ち方で、いざという時に刀が役に立つの?)服装が中国式で帯をしていなかったこと、また日本刀が一般的な武器として現地で重用されていたことが判る。

次に注目したのが、昨日の美術館でも見かけたドンソン文化の銅鼓である。日本の弥生時代とほぼ同じ時期に当たるのだが、特に注目されるのはこの銅鼓に刻まれている船の模様だ。その図柄も下に示す。

 

舟に乗っている人物は鳥の羽と思われる飾りを頭に装着しているが、実は日本の弥生時代の遺物でもこれと似た図柄が見つかっている。米子市淀江町の角田遺跡で発見された土器に描かれた舟の絵がそれである。

下に米子市による資料の絵を転載しておこう。土器に線書きしただけの絵なので稚拙なのはやむを得ないが、頭の鳥の羽根の飾りがベトナムの銅鼓の絵と共通している。

 

多人数で漕ぐボートというと長崎のペーロンや沖縄のハーリーなどのいわゆる「競漕」が思い浮かぶが、これらの風習は元々は中国の長江周辺が発祥地とされている。

「ドラゴンボートの歴史」に見るように、古代中国の春秋戦国期の屈原にからんだ発祥伝説が有名だが、当時の漕ぎ手も鳥の羽根飾りを頭につけて漕艇競争をしていたのだろうか。いずれにしても、紀元前の長江周辺の水上生活における風習が、水田稲作の技術と一緒になって日本やベトナムに拡散移動してきたことは間違いなかろう。

この歴史博物館の主要な展示は、当然、ベトナムの歴史に関するものだが、20世紀のフランスや米国との戦争に関する展示は無かった。それらは、どうやら一昨日に訪れた時には休館日だった軍事博物館の方に展示されているようだった。

古代から近代までの歴史については、上に示した日本との関わり以外は長くなるので省略するが、その概要だけを示しておこう。

以下、「ベトナムの歴史 wikipedia」、及び 中公新書「物語 ベトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム」より

①「南越国」(BC207~BC111) 中国華北出身の趙佗が漢王朝から独立して建国。現在の中国の広東省江西省からベトナム北部までを含む。

②「北属期」(BC111~938) 漢から唐までの中国王朝支配期。この間には短期ではあるが、一時的な中国からの独立を合計七回も得ている。

③「独立王朝時代」(938~1945、うち1887以降はフランスの植民地) 九つの王朝が次々に交代。この間に南進(中部のチャンパ王国、南部のカンボジア領を圧迫・併合)が進む。

 

小国のベトナムが、圧倒的な軍事力を有するフランスや米国を激しいゲリラ戦の末に追い出したことには驚くしかないが、同国の歴史を知ることで、ベトナムが二千年近くも前から同様なゲリラ戦法で中国の侵略を撃退し続けていたことがよく判る。

興味深いのは、②~③の間に何十回となく中国の侵略を撃退しながらも、その一方で撃退した直後でも中国への朝貢を欠かさなかったことである。巨大国家中国に対するこのようなベトナムの硬軟取り混ぜた対応は、今後の日本にとってもかなり参考になるのではなかろうか。

有史以前にはベトナム人(キン族)の祖先は中国南部に居たとの説が有力であり、その中には長江河口域の浙江省に由来するという主張もある。日本の弥生時代に大陸から渡来して来た人々も、長江下流域の呉や越の国から流れて来たという見方が有力である。

現代日本人の持つ遺伝子プールの半分以上がこの長江下流域に由来するとも言われている。数千年前、我々の御先祖の一部とベトナム人の御先祖の一部が長江周辺で隣り合わせに暮らしていた可能性はかなり高いのかもしれない。

ちなみに、筆者は会社員時代にはベトナムに近い広東省に頻繁に長期出張していたが、地元出身の人たちは概して小柄で色黒、東南アジアの人びとに共通するものがあると感じていた。遺伝子面で見れば、中国南部とベトナム北部の共通点は非常に多いだろう。

一方、中国北部の華北地域出身の人は、大体が背が高くて恰幅がよく色白、眼が細い。習近平や、日本に来ているモンゴル出身の相撲取りがその典型例。

中国中部の長江流域の人たちは、大体が中肉中背で日本人によく似ている感じがした。個人的には、長江に近づくほどキレイな女性の割合が増えるようにも感じていたが、これは自分が育った環境に似ている場所や人に対して好意を持つという心理の反映なのかも知れない。

浙江省の低い山に囲まれた水田地帯の中を車で移動していた時には、「まるで鳥取県内の中山間地の中を走っているみたい」と感じたほどだった。人だけではなく風景までもが日本にそっくりであった。

蛇足になるが、アルコールを体内で分解するとアセトアルデヒドが生じるが、さらにそれを速やかに酢酸へと分解できる酵素を持つのが人類の生理的デフォルトである。

しかし、東アジアの国々の中には、アセトアルデヒドを速やかに分解する酵素を欠いていて酒を飲むとすぐに顔が赤くなる人たちが一定の割合で存在する。この変異型の起源は中国南部にあったという説が有力であり、現代日本人の中で酒に弱い人達は、この弥生人に由来する遺伝子を日本人の平均よりも多く持っている可能性はかなり高いだろう。

さて、このハノイの歴史博物館で一番驚いたことと言えば、展示ではなくて館外に見たある光景であった。館内の二階か三階だったか、窓際を通り過ぎようとしたら外で大きな歓声があがった。ふと窓の外を見ると、迷彩服を着た兵士が十人ほどと、女子高生くらいの年齢の女の子のやはり十人くらいが、博物館の中庭で何かのゲームをやっている。

地面に幅が狭い木の板を何枚か立てて並べ、その上をボールを行き来させている。地面の上でやる卓球のような遊びなのかもしれない。失敗したり得点を挙げたりするたびに、皆で冷やかしたり笑ったりしている。「何とまあ、ユルイ軍隊!」というのが見た直後の感想。

時刻はまだ現地時間で午後四時くらい。勤務が終わったわけでもなかろう。中庭の向こうのオペラハウスとの間の道路には、上に写真で紹介した装甲車四台がまだ停まったままである。その横でその装甲車に乗って来た兵士たちが近所の女の子たちとゲームをして遊んでいる。「なんと素晴らしい!?」

中国の人民解放軍や日本の自衛隊で勤務中の隊員が近所の女の子とゲームをして遊んでいたら、よくて始末書、事と場合によっては営倉行き(?)ではなかろうか。このベトナム軍のユルサには本当に恐れ入った。しかし今になって思いなおしてみると、ゲリラ戦を長期にわたって戦うためには、このようなユルサも案外必要なのかも知れない。

 

博物館を出てホテルに帰る。途中、昨日までは米朝会談の予定会場ではと噂されていた迎賓館の近くを通ったら、そのすぐそばの公園で男性数人がバトミントンで遊んでいた。下の写真はこの日に撮影したものだが、前日の夕方にも、この公園で男性数名がバレーボールをして遊んでいた。

 

日本や中国だったら、何日も前から立入禁止にして、危険物がないかと警官が周囲のビルや植え込みの中をシラミつぶしに調べていただろう。

今回は本当の会談の場は別のホテルだったのだが、これが日本や中国の政府だったら、テロに対する偽装のために市内各所をわざと立入禁止にしていた可能性は高いだろう。このノンキさ、ユルサも、ベトナムならではの光景だった。

ホテルに帰って友人と合流。橋を見に行った後は、郊外のバッチャン村に行って特産の陶器を何点か買ったとのこと。我々は真夜中の便に乗るので、他の客向けに使うとのことでホテルの部屋から追い出されてしまった。

ロビーにずっと座っているのも退屈なので、荷物をフロントに預けておいて近くの街中をグルグル回る。夕食は、近くの店で雷魚のフライと細葉パクチーが入っているブンを食べた。この店のスープには酸味がきいていた。

夕食後、枯れた雰囲気のお爺さんが一人でやっているカフェに入ってコーヒーを飲んだ。たまたま見つけたスーパーで土産を探すが適当なものが見つからず、フォーの即席麺を数個買う。(日本ではパクチーは初夏にならないと出回らないので、六月になってからパクチーと一緒に食べてみたが、なかなか美味であった。)

時間つぶしにまた同じカフェに入る。我々と再会したお爺さん、一瞬は驚いたものの、ニコニコ笑って再び歓迎してくれました。

ホテルのロビーに帰って空港行きのバスに乗る。ちょうど、ハノイ空港にトランプの専用機が到着したために空港内外に滞留していた人たちが一斉に動き始めた時刻だったらしくて、空港への高速道路は大渋滞。

機転を利かせたバスの運転手が高速を降りて一般道を走ってくれた。おかげで現地時間0:55発の帰国便には余裕で間に合った。しかし、出国ロビーも大渋滞、結構、イライラ。

機内に搭乗後はシートに座ってあとは寝るだけ。だが一日目の記事に書いた通りで、座席間隔が異常に狭くて眠れない。眠くなった時、ずっと同じ姿勢で座り続けることがこんなに苦痛だとは思ってもいなかった。

帰りの便は実質5時間程度で、行きの6.5時間よりは短かったものの、成田に日本時間8:00に着いた時にはフラフラ状態。格安便のベトジェット利用でベトナムに行かれる方には、せめて行き帰りともに昼間の便に乗ることを強くお勧めしたい。

これで三年半前のハノイ旅行記はおしまい。と言いたい所ですが、旅行中に色々と感じたことをもう一回くらい書く予定です。

/P太拝