「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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週刊文春のスクープ記事に改めて思うのは、既存マスメディアの忖度のひどさ

 今日の夕方、家に帰ってネットを見たら、実に興味深い「週刊文春」の記事が載っていた。

「河井前法相の大幅スピード違反を、広島県警が見逃していた!」

 なんで安倍晋三の周りには(おっと、官房長官菅義偉というべきか・・)倫理的に低レベルなこの程度の人間しか集まっていないのだろうか? 大臣任命前の「身体検査」で少し情報収集してみれば、すぐに適不適がわかりそうなものだが・・。大臣を任命する側も、特に公選法違反については「この程度のことならワシもやっていることだから問題ない」と思っているのかもしれない。

 それにしても、現職の法務大臣のスピード違反を警察が見逃したのだから、この事件の影響は行政府である安倍内閣の範囲にはとどまらない。司法面の執行機関であるはずの広島県警が、行政の最高機関であるはずの内閣の重要人物の法律違反を、しかも、よりによって司法面を統括する立場にある現職の法務大臣の違反を、彼が大臣であると知っていたことが理由で見逃したのである。この報道が事実ならば(文春の報道によれば既に確定的といってよいだろう)、今の日本では「三権分立」が既に機能していないことを明白に示している。三権分立すらない中国の独裁政権を笑っている資格など無くなってしまうのである。このような事実が判明したからには、公選法違反で既にやめたアホ大臣の責任追及だけではすまされない。広島県警の責任者も厳罰に処するのが、司法面のチェック機関としての検察の当然の責務であるはずだ。

 皆さん、もしも今後、スピード違反で警察に捕まることがあったら、「なんで大臣を見逃しておいて、俺だけを捕まえるのか!その根拠をここで説明してみろ!!」とその場で言ってやりましょう。この事件の影響で、全国の県警も当面はスビード違反の摘発を少しは控えるのかもしれません。

 さて、この報道に接して改めて思ったのは、週刊誌の情報収集能力の高さである。それに比べて、既存の新聞やテレビの情報収集力の低下、特に時の権力者に対してのチェック能力がほとんど無能化しているという現状を感じてしまうのである。大マスコミの記者連中は、記者クラブ等を通じていち早く情報を得るという特権を得るのと引き換えに、時の権力者に対する批判を自主的に控えるという忖度に日々いそしんでいるらしい。これでは、首相官邸に対する忖度で最近批判を浴びている霞が関の官僚連中と、何ら変わるところがない。

 この種の事情については、ひと月ほど前に読んでずいぶん共感した記事があったので以下紹介しておきたい。この記事を書いたのも、週刊誌「週刊現代」の記者である。新聞社の記者がこの種の記事を書いていたら、即クビか、よくても左遷されていただろう。

全国紙でも進む「リストラ・支局統廃合」新聞記者の苦悩と見えぬ未来

 特に四ページ目の「当局発表を書き写すだけの若手たち」を読んでいただきたい。そのページ内容の一部を抜き書きして下に示しておこう。

『「記者クラブに属する記者は、当局が出すペーパーを横から縦にするだけで、ほとんど一日中取材らしい取材をしないのが今や普通になっています。通信社を使えばよさそうな誰が取材しても変わらない短いネタまで、テレビを含めて10社以上で同時に取材し、場合によっては中身をお互いに確認し合って同じ内容の記事ができあがるのだから、壮大なムダですが、この『護送船団方式』を崩す気は全く見られません。

マスコミが新卒採用の人気業種から姿を消して久しいですが、業界のレベルの低さがネットやOB・OG訪問を通じて学生にもバレているのだから当然です。若手記者も、先輩たちが当たり障りのない会見の書き起こしのような仕事をしている様子しか見ていないため、決まった仕事しかできない『いい子ちゃん』ばかりになって、現場に緊張感が全くない。『たとえ記事にならなくても、権力者を追及するために取材するんだ』という凄みがないんです。

私が知っている記者でも、骨のある人間ほど居づらくなって辞めていく。残るのは、新卒でハイヤーを乗り回す『新聞記者様』のステータスと高給にしがみつく人ばかりです。・・・・

・・・『週刊誌で記事が出ると、追いかけるのが面倒くさいからやめてほしい』と平気で言う新聞記者もあまりに多く、新聞の斜陽ぶりが肌感覚でわかりますね。このままでは『新聞も出している不動産屋』と揶揄されても仕方ない・・』

 

 上の文の内容は東京における現状なのだろうが、今や地方でもこれと同じ状況なのである。筆者は、何年も前から、大新聞の鳥取版、地元新聞、国営放送を筆頭とするテレビのローカルニュース、いずれも市や県の広報内容を垂れ流しするばかりで、県政や市政に対する深堀りが全然できていないと感じていた。県政・市政の問題点を正面から検証して、市民のために問題点を追求する記事は年々希少化するばかりなのである。

 このことを最初に実感したのは、そもそもは、当「市民の会」が主体となって取り組んで来た「鳥取市の市庁舎新築移転問題」に筆者が初めて係わるきっかけとなった時のことである。それまでは、各新聞の報道だけで見る限りは、「この問題は、市執行部と市議会議員とがよく話し合いながら、常識の範囲内で最適な結論を出そうと努力しているのだろう」と単純に思っていた。

 しかし、2013年2月3日にさざんか会館で開催された「市庁舎整備に関する市民説明会」に友人に勧められて参加したことで、それまでの思いは決定的に裏切られた。その時までの筆者は、国政はともかくとして鳥取市政についてはほとんど関心がなく、もちろん市議会傍聴などしたこともなく、市民説明会への参加もこの時が初めてであった。

 2012年5月の住民投票の際には仕事で不在、友人に勧められて事前に不在者投票だけはしておいたものの、仕事で鳥取に居ない期間も一年の半分程度はあり、住民投票の背景や経過については地元紙の新聞報道で時々知るのみであり、その内容をよく理解してはいなかった。

 その会場で見たものは、以下のことである。当日の会場で撮影したピンボケ気味の写真も一枚載せておこう。 

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①薄弱な根拠のもとに「市庁舎の新築移転は絶対に必要」と主張する、明らかに関係業界からのサクラと見られる多くの人々。

②上記の「新築移転派」を探し出しては恣意的かつ優先的に発言権を与えようとする、当日の司会役を務めていた市議会与党のK議員。

③未成年の女性発言者を事前に準備しておき、その発言者を指差して示すことで司会者に指名を促した某新聞社の記者。

 このまことに低レベルに終始した市議会主催の市民説明会を実際に自分の目で見て、あまりにもいい加減な鳥取市政の実状にあきれるほかはなかった。その日の筆者の日記を見返すと、「説明会、業者のサクラが花盛り」との駄句が書きつけてある。

 この日を境に、筆者は市執行部とそれに同調する議員、さらに某新聞社に対して徹底的な不信感を抱くこととなった。筆者が「市民の会」の活動を少しでも手助けしようと思いその活動に参加することを決めたのは、この説明会への参加がきっかけである。

 上記の③の意図及びその結果については、この説明会直後の約一週間にわたる某新聞の記事を、例えば県立図書館で探されるとよいだろう。某新聞記者が「イタイケな未成年者が発言しようとするのを、乱暴なヤジで妨害していじめていた新築移転反対派の横暴」に対する非難を何度も繰り返しているキャンペーン記事をしっかりと読むことができるだろう。この場合には、「行政の提供するニュースの単なる垂れ流し」どころではなく、「マスメディアによる意図的なフェイクニュースの捏造」と言う方がふさわしい。

 これほどひどいのは例外的だが、マスメディアによる現在の鳥取県政・鳥取市政に関する報道は、単に「行政が提供する広報の棒読み」に過ぎない。そこには積極的な評価もなければ、積極的な批判もない。ただ淡々と行政提供の広報を読むだけだ。これでは、県や市のサイトをタダで訪問して広報を確認すれば済むだけの話。新聞による独自の付加価値が見いだせない以上、わざわざカネを払ってまで新聞を買おうとする人が減るのは、全く当然のことなのである。

 思うに、今は違うが、十年くらい前までは、競争の激しいマスコミ関係に就職できた学生は「就活の勝ち組」と呼ばれていた。就職後も勝ち組であり続けるためには、自分が勝者と認められている既存の体制を維持し続けなければならない。今の体制が崩れれば一転して自分も敗者に転落しかねない。当然、彼らは改革を嫌がり保守的となり、職場でも「波風を立てず、問題を起こさず、何か騒動を起こしたら出世の妨げ」というのが彼らの処世上の金科玉条となる。「お香もたかず、屁もひらず」というのが、今の鳥取市で記者と呼ばれる人々の大半の姿勢なのである。こういう人たちに対して、今さら「権力者の不正を暴け!」と言っても、馬耳東風と聞き流されてしまうのが当然の反応なのかもしれない。

 そもそも、新聞の記事などは、その新聞の利害関係の元に取捨選択されて当然なのである。社会にとって極めて重要な事柄であっても、新聞社の利益に合わなければ無視され掲載されることはない。新聞やテレビの記事に対して馬鹿正直に公平性を期待していると、あとで自分が馬鹿を見ることになるだろう。

 本当の現実は、現場に行って自分の目で見るしかない。自分自身が行くことが不可能な場合でも、自分が信頼できると思った人が実際に見聞きした記事を信じたほうが、利益優先体質に既にどっぷりとはまってしまった既存のマスメディアが書く「毒にも薬にもならない、ただ紙面を埋めることだけを目的としたヘタレ記事」よりも、まだましなのだろうと思う。

 幸いにして、今では個人でもブログやSNSを通じて簡単に意見を発信することができるようになった。情報を発信する多くの個人や団体による発信元の中から、本当に自分が信頼できそうな発信元を見つけていただきたいものである。

 筆者自身の経験から、もう一度繰り返して言いたい。既存マスメディアによる中立を装った記事の内容を過信してはならない。自分自身で、できるだけ現場に参加して、直接にものごとの実際の姿を確認するようにしていただきたいと思うのである。

/P太拝