早いもので、市内を三分した前回の鳥取市長選挙から既に三年が経ちました。この先、何も無ければ、来年の四月には次の市長選が行われることになります。
筆者が「市民の会」の活動を手伝うようになってから、約四年が経過しようとしていますが、この間に感じたのは、市政における市長の権限が極めて大きいこと。特に鳥取市の場合には、市議会のチェック機能が極めて不十分なために、市長の提案する施策がほとんどそのまま成立してしまっています。市議会与党に市職員出身者が多くいることも影響しているのでしょう。鳥取市議会は、退職した市職員の再就職の場と言っても過言ではないようです。
現職の深澤市長が二期目にも出馬するという観測がもっぱらですが、誰かほかに対抗馬は出てこないのでしょうか?現在の沈滞した鳥取市の雰囲気を変えるためにも、早く新鮮な人材に出てきて欲しいものです。
少し視点を変えて、よその自治体で活躍されている首長の紹介をしてみたいと思います。街を変えるためにはどのような首長が望ましいのかを調べてみましょう。
地域起こしの成功例として、既にメディアで多数回紹介されている隠岐の島の海士町の事例です。国からの大規模合併の勧めに応じず単独での存続の道を選び、一時は消滅も近いとさえも言われた海士町ですが、なんと、現在、町で働いている人の四人に一人が、元々は町に縁もゆかりもなかったIターン移住者とのこと。
海士町が大きく変わったのは、現在四期目の山内道雄氏(78才)が町長に当選したことがきっかけでした。山内氏の施策については、ネットで検索するといくらでも出てきますが、この場では昨日付の記事を紹介しておきましょう。
町長自身、海士町の出身ではなく、52才で移住するまで町のことは何も知らなかったとのこと。街を変えるのは、「ヨソ者、若者、バカ者」であるとの言葉をよく耳にするのですが、海士町こそ、その典型的な実例と言ってよいのでしょう。
注目されるのは、海士町に移住する以前、山内氏はNTTの松江支店長だったという点です。NTTが民営化されたのは1985年。島へ移住するまでの数年間、山内氏は新しく発足した民間企業の管理職として最前線で大いに奮闘、かつ苦労されたことでしょう。その経験こそが、町長になってからずいぶん役に立っているように思います。
日本で初めて、かつ唯一住民投票結果をつぶした当事者となった前市長も、東大を出て旧建設省に入省。それ以上の出世の望みが無くなったためとのウワサもあるのですが、51才で鳥取市長に転身しました。当然、民間企業での経験は皆無です。
ついでなので、もう少し先代の市長も調べてみました。四代前の市長の金田裕夫氏も、鳥取県農林部長からの転身。しゃんしゃん傘踊りの創始者であり、三洋電機を誘致したことでも有名な五代前市長の高田勇氏については、商工会議所勤務と記載した資料はあるものの資料数は少なく、今のところは公務員としての詳しい経歴は不明です。
過去五代、少なくとも最近の約五十年間かそれ以上にわたって、官僚出身者が鳥取市の行政トップの座に座り続けて来たのです。筆者が推測するには、それ以前も鳥取市長に民間企業の経験者が就任したことは皆無であるように思います。(戦後すぐまでは、選挙で選ばれていない、国が指名したいわゆる官選市長が鳥取市長に就任していた。)
要するに、この鳥取市では、明治時代以来、官みずからが選んだ後継者としての官僚が、代々この街をずっと支配してきたのではないでしょうか?
これでは、公務員特有の前例踏襲主義優先の市政が続くのもあたりまえです。市長になっても、自分を支持してくれた昔の同僚の待遇にも逐一配慮しなければならないので、市政改革を唱えるのは選挙の時だけであり実行が伴わないのは当然のことです。来年の市長選で新市長を選ぶ際には、候補者の過去の経歴についても詳しくチェックしなければなりません。
国の補助金にぶら下がるばかりで、「行政が自ら稼ぐことを忘れた」市長が、少なくとも約半世紀にわたってこの鳥取市政を支配してきたのです。自らの政治的出世の原資の蓄積を目的としたためなのか、日本全国で初めて住民投票結果を否定して市政を私物化した近年では全国的にも希な政治家が数年前に鳥取市で出現した背景には、この鳥取市政における長年にわたる官僚支配の実態があることは明らかでしょう。
上に挙げた海士町での例以外にも、自治体の行政改革に熱心に取り組んで来た自治体首長、本当に尊敬に値すると言ってよい首長が日本全国には数多く存在します。今後、数回にわたってその実例を紹介していきたいと思います。
/以上