「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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やはり、原発再稼働は止めよう!(1)

 昨年秋に、ショッキングな報道がありました。「日本列島では一万年に一度の割合で巨大噴火が発生している。ひとたび発生すれば、たとえば九州全域が火砕流におおわれ、列島全域が居住不能となるほどの大惨事となる」とのこと。

 一番最近の巨大噴火は、約七千年前に鹿児島県の南に浮かぶ硫黄島付近で発生(鬼界カルデラ)、この時は火砕流海上を流れて南九州に押し寄せ、南九州の縄文文化を一瞬にして壊滅させた。南九州に再び縄文人が住むようになったのは、それから約一千年後のことです。


 上の神戸大の記事では、七万年前に阿蘇カルデラで起こった巨大噴火と同規模の噴火が起こった場合の被害を試算しています。それによると、ほぼ九州全域が火砕流におおわれ(7万年前の阿蘇の噴火では火砕流は海を越えて山口県秋吉台まで到達)、火災流が覆う範囲の居住人口は約700万人と推定している。数百度火砕流を浴びて生存できるはずもないので、推定死者数も約700万人。これは沖縄を除く九州七県の現在の人口、約1300万人の半分以上。二人に一人が死ぬことになる。
 さらに九州以外の被害も甚大であり、関東以西の地域に降り積もる火山灰の深さは最低でも20cm以上、北海道東部を除く日本のほぼ全域で生活不能となると予想されています。

 このような噴火がいつ起こるかを予想するためには記事中の言葉を引用すると、『原因となるマグマ溜まりを正確に観測する必要がある』とのこと。言い換えれば、現在は十分に観測できていないので噴火の予知は難しいということです。
 この点は、昨年秋の死者・行方不明者数が63名に達した御嶽山の突然の噴火でも繰り返し報道された内容です。今の技術水準では噴火の正確な予知は困難なこと、さらに現在は休火山とされている火山でも、再噴火する可能性は十分にあるとのことです。

 このような巨大噴火時に、もしも原子力発電所が稼働していたらどうなるでしょうか?火砕流が到達する地域内に原発が位置していた場合には、もはやなすすべはありません。
 ただちに原子炉を停止させ冷却を開始しても、通常電源は停電となり、さらに非常用電源も短時間のうちに停止することになるでしょう。冷却不能となった燃料棒は溶け出して福島の事故の時と同様に炉心のメルトダウンが始まる。さらに火砕流が到達して残っていた人員のほとんどは焼死、原発の所内は無人となる。建屋と格納容器が破壊されて、むき出しになった炉心から大量の放射性廃棄物の大気中への放出が始まる。数日から数十日後に火砕流の熱が収まったころには、原発の周囲の放射能値は致死的なレベルとなり、誰も近づけなくなるでしょう。その後、この原発は何十年も死の灰を吐き出し続けることになる。日本列島全域が高放射能に汚染されて長期間居住不適となる事態も十分にかんがえられる。

 火砕流の直撃を受けない原発はどうなるでしょうか。上の神戸大の試算では、近畿以西の地域に降り積もる火山灰の量は少なくても50cm以上とのこと。福井や島根の原発の周辺ではあちこちで停電が発生するでしょう。道路もそのほとんどが通行不能となる可能性が高い。ヘリコプターも飛べるかどうか・・?
 結局、急停止させた原発は、非常用電源を使って炉心を冷却しつづけるしかない。問題は、非常用電源の燃料在庫が無くなるまでに、原発外部の状況が通常の支援体制に復帰できるかどうかという点。非常用電源が燃料切れで停止してしまえば、あとは福島第一原発と同様の経過をたどることになります。

 一万年に一回あるかないかという巨大噴火のことなど考慮しなくてよいという意見も当然あるでしょう。
 しかし、百年間でみれば巨大噴火が発生する確率は約1%です。今年生まれた子供を持つ人にとっては、自分の子と孫の二世代がこの世に生きている時間はこれから約百年間。この間に国が壊滅しほぼ全国民が半永久的によその国に逃げ出すしかないほどの大惨事が発生する確率が1%でも存在することを思えば、私たちは自分たちの子や孫の世代に対して負うべき責任として、今のうちに適切な選択をしておかなければなりません。
 さらに、原発が副産物として生み出し続ける放射性廃棄物の保管には数万年以上を要するとされていることを考慮すれば、この地質変動の激しい日本列島で原発を稼働し続けるという選択は明らかに不適切です。

 他にも原発をこれ以上稼働させるべきでないという理由はいくつもあります。以下、列挙してみましょう。

(1)日本列島の地下構造の不安定性

 上の巨大噴火の頻発に見るように、日本列島の周辺は地球上で一番地震と火山噴火の多い場所です。次のサイトによると、この狭い日本列島に世界の活火山の約10%があり、また日本列島で解放される地震エネルギーも世界全体の地震エネルギーの約10%に達するとのこと。要するに、日本列島は原発放射性廃棄物処分場を設置するには、地球上で一番ふさわしくない場所なのです。

(2)放射性廃棄物の長期保管の問題

 原発を稼働させると発電量に比例して放射能を持った廃棄物が発生する。放射性廃棄物の分類、処分方法の現状については、次のwikipediaのサイトで詳しい解説を読むことができます。使用済み燃料を含む「高レベル放射性廃棄物」の最終処分方法は、現在でも宙に浮いたままになっています。前項の日本列島の地質の不安定性を考慮すれば、ますます地下埋設処分の危険性は増していると思います。

 筆者は約四十年前の大学生だったころから、原発推進は止めるべきだと思っていました。その主な理由は、発生する放射性廃棄物の処分方法が全く確立されていなかったためです。当時は、原発のことを「トイレのないマンション」と揶揄していたものです。これに対して、政府方針の片棒担ぎに忙しい御用学者の人たちは、「ガラスを溶かして中に封じ込めれば地中に埋設しても問題はない。」といわゆるガラス固化法による埋設処理で対処可能と主張していました。

 ところが、当時から約四十年たっても、原発はいまだに「トイレのないマンション」のままです。低レベル放射性廃棄物の埋設はすでに始まっているが、高レベル放射性廃棄物のほとんどがいまだに各地の原発の敷地内にたまり続けている。稼働を再開すれば、各地の原発ではあと数年で保管場所が満杯になるらしい。ガラス固化法は技術的には確立されたのかもしれないが、埋設を許可する自治体が国内ではいまだに見つかっていない。
 原発が立地している各地の自治体は、放射性廃棄物が外部に運び出されることを前提に各電力会社と契約を結んだはずだが、このままでは各原発の敷地内が放射性廃棄物の保管場所として長期にわたって固定化されることになりかねない。

 高レベル放射性廃棄物の保管期間は数万年以上と言われている。現在、西側先進国で実際に高レベル放射性廃棄物の埋設処分場の建設を開始したのは北欧のフィンランドだけ。これは、同国が位置するスカンジナビア半島には火山も地震もないことが影響しているものと思います(前項の火山と地震の分布のサイトを参照してください)。原子力発電を世界で最初に開始した米国でさえ、各地住民の反対に会っていまだに最終処分場所を決定できていないのです。

 旧共産圏は、西側よりももっといいかげんな放射性廃棄物処理をしていたようです(西側の管理方法も適切だったとは言えず、米国も核開発の初期段階では非常に粗雑だったらしい)。例えば旧ソ連は、ずさんな廃棄物保管の結果、蓄積した廃棄物が爆発するという大惨事を1957年に引き起こしています。

(3)原発放射性廃棄物処分場は民主主義を破壊する
 

 福島の原発事故の影響で欧米や台湾では新規原発の見直しの機運が高まっています。日本でも既存の原発の再稼働が議論されているものの、国内での新規の原発建設については、現在の世論を考慮すればその可能性はほぼ無いと言ってよいでしょう。

 現在、新規原発を計画している国を挙げてみましょう。サウジアラビア等の湾岸諸国はほぼ君主制独裁国家、中国とベトナムはご存知のように一党独裁、ロシアやトルコは形の上では議会制民主主義ではあるものの、その実態はナショナリズムを利用した現大統領による独裁国家に近い。例外はインドで、民主主義国家には間違いないが原発設置にも積極的です。これは同国が核兵器開発に熱心で原爆の原料となるプルトニウム原発の副産物として確保したいためなのか、あるいは発電量を急速に引き上げるためには原発が一番手っ取り早いと判断したのか、どちらかでしょう。

 このように、現在、原発設置に熱心な国は、そのほとんどが民主主義とはほど遠い独裁・半独裁国家です。住民が嫌がる原発放射性廃棄物処分場の設置を、国家権力の暴力を使って容易に強行できる国が大半です。

 民主主義国家で、たとえば放射性廃棄物処分場をどこかの自治体に作ろうとする場合、経済的に困窮していて人口が少なく将来の存続が危ぶまれるような自治体を探し出し、多額の補助金をエサに自治体幹部を抱き込むという手法が一般的です。いわゆる、「札束で住民の横っ面をひっぱたく」という、おなじみの行政手法です。
(なお、スケールが全く違い、住民が経済的に困窮しているわけでもないのですが、我が鳥取市で現在裁判が進行中の「可燃物ゴミ焼却場の河原町への建設問題」も、まったく同じ構図です。建設に賛成した地区には、市の予算総額約一億円を使って地区公民館を新設するというごホウビがあるようです。)

 参考までに、今まで国内で問題になった放射性廃棄物処分場建設問題のリストを下にあげておきます。高知県東洋町の例では、処分場を推進しようとした町長が町民にリコールされ、出直し選挙でも敗北して失職しています。

 福島の事故の後、避難し都会の小学校に転校した子供たちが、転校先で「被ばくしている」と言われ、いじめに会ったことが報道されていました。処分場を建設した自治体の住民も同じような目に合わないとも限りません。原発や処分場の存在が、自治体間の格差や差別を助長する可能性があります。

(4)国外での放射性廃棄物最終処分は可能か?

 四年近く前、各メディアが一斉に、「日米がモンゴルに核のゴミの国際共同処分場を計画中か?」と報道したことがありました。

 この話は、その後、国民からの反発を受けたモンゴル政府が断ったことで一件落着したようです。モンゴルは、隣接する中国との過去の抗争の歴史を背景として非隣接国との連携を強く求めており、最近は大相撲人気も重なって、現在では世界で一、二を争うほどの親日国であると言われている。そのモンゴルからも拒否されるようでは、日本が国外に最終処分場を建設できる可能性はほとんど無いといってよいでしょう。

(5)原発と処分場は格好のテロの目標、年々増大する警備費を吸収できるか?

 数年前までは原発に対する北朝鮮によるテロの可能性が議論されていました。最近はそれ以外にも、イスラム過激派等によるテロの可能性も出てきました。

 原発ほど、低コストな手段をもって大きな社会的ダメージを与えられるテロ対象物は、他にはありません。核兵器ではない通常火力のミサイルや爆弾で海、陸、空から原子炉を攻撃された場合、または航空機によって故意に衝突された場合、周囲の半径数十kmの地域は瞬時にパニック状態となるでしょう。原子炉格納容器に穴が開いてしまったら、もう手の施しようがない。原子炉が稼働中の場合、わずか一か所の原発に対する攻撃の結果、日本全体が高度に放射能で汚染される可能性さえもありうる。現実の可能性としては、巨大噴火や地震津波よりも、テロ攻撃を受ける危険性の方が高いのかもしれない。

 現在休止中の各原発でも、テロ対策として常時千人単位で警備員や地元警察を配置しているのではないか。日本全体では、今でも何万人もの原発担当の警備員が常時勤務していることでしょう。
 重電業界や電力業界は、原発による電力は低コストなのだから一刻も早く再稼働を認めてほしいと主張し続けている。しかし本当に原発は低コストなのでしょうか?

 ある専門家は、「原発による電力のコストは、その安全性をどの程度の水準で確保するかによって大幅に変わる」と述べている。対テロ対策のコストは年々大幅に上昇しているはず。これに将来何万年にもわたる最終処分場の維持コストも含めて計算したら、彼らが言っているように原発が低コスト電源であるという主張はまったく成立しないと思います。
 
 また、放射性廃棄物も十分にテロの道具になりうる。ある集団が高レベル放射性廃棄物を大量に入手して、自分たちの要求を受け入れなければ東京や大阪でこれを大量にバラマクと通告してきた場合、警察はどう対処したらよいのでしょうか。

(6)結語

 筆者は学生の頃、同じ寮で同室だった一年上の工学部原子力工学科所属の先輩と、よく原発の安全性について議論した記憶がある。彼自身、原発の将来については懐疑的であり、結局、原発とはなんの関係もない一般の電気メーカーに就職した。原子力工学科は当時から不人気で年々受験者が減少。今では、ほとんどの大学で学科の名前を変えてしまったようです。

 
 原発が不人気なのはそれなりの理由がある。いままで見てきたように、原発が生み出すものは、核兵器の原料、始末に困る廃棄物、強者と弱者が明確に区別された格差社会、テロを育てかねない温床、放射能に汚染される不安に満ちた未来等々、だからである。

 福島の事故の直後には、これでやっと原発の廃止が実現するのかと思ったが、いつのまにやら例によって、日本的に、あいまいに、なし崩し的に、原発再稼働の流れが作られてしまった。明るい未来は原発では作れないことははっきりしている。
 
 やはり再生エネルギー、地熱や太陽光の利用を拡大すべきだろう。最近、九州電力などで「太陽光発電の電力は不安定なので受け入れられない」と拒否しはじめたが、こんな問題点を解決する新技術はいくらでもある。政府が原発に振り向けている費用を少し削って、新技術開発の費用を支援すれば解決する話である。

 一例をあげてみよう。脱原発を選択したドイツでは、太陽光で発電した余剰電力で水を電気分解し水素を発生させて、天然ガスパイプラインに送り込む設備を稼働させ始めている。いったん天然ガスに混ぜて貯蔵し、必要に応じてガス発電で電力を供給する。水素を燃料とする燃料電池車の量産を世界に先駆けて開始した日本にとっても、今後必要な技術であることは明らかだ。


/以上