「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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日本社会に特有の「いじめ」、どうしたら無くなる?

12/25のクリスマスの日、ニュースによると、昨年自殺した電通の新入女性社員の命日だったそうだ。メリークリスマスと世間が浮かれていた日の自死とは、何とも悲しい。

お母さんと一緒に写した写真が公開されていた。東大を出て一流企業の電通に就職した、母から見ても自慢の娘だったのだろう。努力家であり、かつプライドがあったがゆえに、社内の理不尽なパワハラに負けまいとして頑張りすぎたのかもしれない。プライドが無くてサッサと逃げ出せる並みの人間の方が、むしろ幸せなのかもしれない。

当日の夕方のTVニュースでは、「会社は表面的には反省した姿勢を見せてはいるが、社内の本質は何も変わっていない」と電通の社員が覆面で告白していた。

集団の中で権力を持つ人間、あるいは集団の中の多数派が、自分たちがよしとする基準から逸脱しているメンバーを、人権を無視してまで攻撃することを、「パワハラ」とか「いじめ」と呼ぶのだろう。日本を代表する大企業で、日本の大人社会の典型例で、パワハラがまん延しているのだから、当然、子供の社会でもいじめが頻発するのだろう。

先日、ネットに載っていた記事を紹介しよう。働き方についてのコラムをたくさん書いている河合薫さんの執筆であり、たまたまではあるが、ちょうどパワハラといじめの関係を扱っていた。


内容をざっとまとめると次のようになる。

① 日本とスウェーデンの子供を比較すると、日本では暴力を伴わない陰湿ないじめ(仲間外れ、無視等)がスウェーデンの二倍以上発生している。
② 自分が攻撃される可能性が高いというストレスが多い状況下では、いじめが頻発する。
③ 日本の中学生は、いじめを見ても見ないふりする傍観者となる傾向がイギリスやオランダに比べてはるかに高い。この傾向は日本の大人社会でも同様であると河合氏は指摘している。

②は実際その通りだと思う。一番いじめの多い組織とは、なんといっても、暴力をもって敵を殺すことが元々の目的とされている軍隊である。旧日本軍では、新兵は毎日殴られていたそうだ。例えば、故水木しげる氏は、次のように書いている。


これを読むと、現代の電通の社内は暴力こそないものの、精神的な意味では七十数年前の帝国陸軍からほとんど進歩していないなのではないかと思ってしまう。

他国では、軍隊内での自殺者がとりわけ多いのは現代のロシアだそうだ。ロシアや戦前の日本のように、絶対的権力が幅をきかせる民主的でない国ほど軍隊内のいじめが多いのではないだろうか。最近のニュースによると、海上自衛隊で二名の下士官が遠洋航海中に自殺したそうだ。現代日本は、昔の日本に先祖がえりしようとしているのではないか?

話を子供のいじめ問題に戻そう。子供たちの両親は確かにストレスまみれの職場で働いているのかもしれないが、学校の先生の職場こそ、国内有数のストレスフル職場なのかもしれない。精神を病む先生が近年激増しているのだ。


上で「モンペ」とあるのは、昔の女の人がはいていたズボンの事ではない。「モンスター ペアレンツ」の略語である。教師を追い詰めている最大の存在は、通販やスーパーで買った商品に対するのと同じ感覚で教師にクレームをつけてくる保護者とのこと。

確かに、教師をやっていた知人は、二、三十年前から、「最近の親は子供のしつけを全部学校に丸投げしている。自分たちの役割を放棄しているんだ。」と愚痴をこぼしていた。今はもっとひどくなっているようだ。

モンスターペアレンツ自身も職場でストレスを受けつづけているのかもしれないが、皆がどこかで踏みとどまらなければ事態はますます悪化する。いじめ問題が起こっても、行政は専門家の委員会やら調査委員会を設けて、自分たちの責任を薄めようとしているだけだ。行政や警察に任せていても、この状況はひとつも良くならない。元々の責任は我々自身の側にあると思う。

要するに、皆が精神的なゆとりをより多く持つようにしなければダメだ。先生は子供たちに対して、親は先生に対して、経営者は人の親である従業員に対して、より寛容となる必要がある。

最近の政治家は親の票が欲しいらしく、かっての「ゆとり教育」をさんざんに攻撃している。しかし、学力テストの点が少々上がっても、それに並行して陰に隠れて集団でいじめる技がうまくなるようでは元も子もない。

資源も無く人口も減り続ける日本は、他国の異質な人々と協力しあわなければ今後やっていけないことは明白だ。異質な人を排除して同質の人間だけで固まろうとするだけで、自分の意見を持たず、正義感も無く、いじめられている被害者をただ傍観しては評論家になっているだけの日本人がますます増えるようでは、日本は世界中から尊敬されるどころか軽蔑されるだけになるだろう。

/以上