「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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ウクライナの強さの理由とは

 先々回の記事で弥生人についての記事を書き、次には縄文人のことを取り上げようかと思っていましたが、ロシアのウクライナ侵略が始まってからは、気楽なテーマを取り上げる気分にはなれなくなってしまいました。大勢の市民が殺されて行くニュースを毎日見ていると、この約三週間、ずっと喪に服しているような心持ちです。

 と言うわけで、今回も先回の記事に引き続き、ウクライナ戦争に関する記事を書くことにしました。日々刻々と変わっていく戦況のことは既存のメディアを見ていただくとして、ここでは注目される最近の記事と、ロシアとウクライナの過去の歴史について取り上げてみようと思います。

(1)最近の記事から

 ロシアの外相が毎日のように見え透いたウソをつき続けていることには、改めてあきれるほかはない。「ウソをつくのは恥」という日本人的感覚では到底理解できないのだが、彼の発言はその全てがロシア国内向けのプロパガンダでしかないと解釈すれば納得できるのかもしれない。自分の雇い主のプーチンに褒められさえすればそれで十分なのであって、外国からの評価などはどうでもよいのである。

 このように程度の低い、不誠実で愚劣きわまる人物を外相に持ってくる国は、ロシア以外にはあまり存在しないだろう。今のロシアも欧米と同様にキリスト教の国のはずなのだが、キリスト様もロシアだけには特別に、「ウソも、泥棒も、子供殺しも、何でも許される」とおっしゃっているのかもしれない。

 こういう現象は我が日本には皆無というわけでもない。あの森友学園騒動の時には、佐川宣寿国税庁長官も国会の場で数多くのウソをついていた。そのウソの数は確か百以上と報道されていた記憶がある。この背景には、安倍内閣による官庁幹部の人事権掌握を目的とした内閣人事局の設置があったことは言うまでもない。国のトップが官僚人事の全権を握ると官僚がウソつきだらけになるという、めずらしくもロシアと日本に共通する希少な実例に他ならない。

 さて、最近読んだ「ロシアによるウクライナ侵略」関連記事の中では、次の記事が印象に残った。

「ウクライナ侵攻で進むロシアの頭脳流出──国外脱出する高学歴の若者たち」
「「プーチンは正気じゃない。この国にもう未来はない」 ロシア人の“大脱出”が始まった」
 日本国内では日本に在留するロシア人への非難が増えているようだが、その非難はプーチンに任命された外交官などのプーチン政権を支えてきた連中だけに限定すべきである。プーチン体制を嫌って国外に脱出する人々は、ウクライナからの避難民と同様な存在だと捉えたほうがよいだろう。

 まして、上の記事に見るように能力の高い人材は、むしろ積極的に受け入れるべきである。プーチン体制をさらに弱体化させる一方で、民主主義陣営の力をさらに向上させることにつながるからである。この傾向が今後も続けば、将来のロシアは「核兵器で威嚇することしかできないゴロツキどもと、マフィアと、酔っ払いだけのみじめな国」へと転落していくに違いない。

 国の防衛は軍事兵器だけで行えるものではない。他の国とさかんに交流することで強固な人間関係をつくり、互いの違いを理解し合える人々を増やすことこそが最大の防衛力にほかならない。「プーチンは嫌いだから、ロシア国籍の人間は全て追い出せ。一人も受け入れるな!」などと言っているようでは、ますます戦争突入の危険性を高めることになる。プーチン政権の構成メンバーとロシア国籍者とはハッキリと区別して対応するべきである。

 ただし、今のような混乱状況を利用して、優秀な人材の中にスパイを紛れ込ませて他国に送り込むのは、旧社会主義国時代からの常套手段でもある。中国の「国家情報法」のように、今後、自国民に他国でのスパイ活動を強制する法律がロシアにもできる可能性も考えられる。一般論としては移住は大いに歓迎すべきだが、防衛関連情報や先端技術情報などの国や企業として厳守すべきところについては、一線を引いて厳しく対応する必要がある。

 さらに興味深い記事として、次の二点をあげておきたい。一般市民が自発的に連帯し、自分の手持ちの材料や設備を使って巨大な悪に抵抗している点に強く共感したからである。

「ウクライナ、趣味用ドローン数百台が偵察作戦で活躍」
「ウクライナ市民が「SNS抵抗戦」 戦車位置など軍に提供」

 筆者の愛読書のひとつであるカミュの小説「ペスト」では、それまでは互いに無縁であった男たちが、共通の敵であるペストに立ち向かうために、自発的に連帯して患者の運搬、物資の手配、死者の埋葬等の業務を共同で引き受けることで行政への支援を開始する、今で言うところのボランティア団体を立ち上げている。

 元々無名の彼らは、格段の名誉を求めることも無くこの無償の活動に参加し、そのうちの何人かはペストに感染して無名のまま次々と死んでいくのである。この小説のペストとは、第二次大戦中にフランスを占領していたナチスドイツの暗喩だと解釈されることが多い。カミュ自身もその当時は表向きの文筆活動の陰に隠れて、ナチスに抵抗するレジスタンスの地下活動に従事していたそうだ。

 ウクライナの市民のロシアに対する抵抗活動を紹介する上の二つの記事を読むと、まるで「ペスト」の中の主人公たちが、この21世紀の現実世界に再び現れたかのような錯覚を覚える。誰かに強制されることもなく自分の意志のみによって集まり、仲間と自分自身の自由の確保のために行動するという点が実に魅力的だ。

 どこに連れていかれるかも知らされないまに動員され、ウクライナ市民に向かって発砲を強制されているロシア軍のロボットのような兵士たちとは雲泥の差がある。これは、生きている人間と、権力が強引にこね上げて作った泥人形との差に他ならない。

 さて、我々日本の一般市民は、いざという時に今のウクライナ市民と同様の行動がとれるだろうか?


(2)ウクライナの激しい抵抗の背景にあるもの

 では、ウクライナ人のこの強靭な抵抗精神の背景にあるものは一体何だろうか。それを知るためにはウクライナ周辺諸国、特にロシアとの関係について歴史を遡って見ていく必要があるだろう。

以下に「ウクライナ -wikipedia- 」からウクライナの歴史を抜粋し簡単に要約して示す。

「中世以降のウクライナの年表」

8世紀 ルーシ国が誕生、キエフはその首都となる。
882  バイキングがキエフを制圧し、キエフはバイキング系のリューリク朝(別名:キエフ・ルーシ)の首都となる。
11世紀 キエフ・ルーシは支配面積を拡大し、当時、欧州で最大の国家となる。
13世紀 キエフ・ルーシは分裂を繰り返して衰退。1240年代にモンゴルの侵攻を受けて滅亡。このキエフ・ルーシの滅亡後、その北東辺境から後にロシアとなるモスクワ大公国が誕生する。
15世紀 現在のウクライナの領域は、北部・中部はリトアニア、西部はポーランド、南部はモンゴルのチンギス・カンの後裔のクリミアハン国、東部は現在のロシアにつながるモスクワ大公国へと分割された。
1569  リトアニアポーランドが連合してポーランド・リトアニア共和国が成立、ウクライナの大半がその支配下にはいった。
1648  現ウクライナの中部にコサックによる独立国が誕生。
1689  ロシアとの戦争を経てコサック国が分裂し、ドニエプル川の西側をポーランドリトアニアが、東側をロシアが支配する結果となった。
1794  ポーランドリトアニアが消滅し、現在のウクライナの領域の大半をロシアが支配することになった。
1873  ウクライナ独立運動の抑圧を目的として、ロシアがウクライナ語での書物の出版を禁止。
1917  ロシア革命による混乱を契機にウクライナが一時的に独立。
1920  ウクライナ・ソビエト戦争やロシア内戦を経て、最終的にはソ連ウクライナの大半を支配した。
1921  ウクライナを含むソ連全土で大飢饉が発生。
1932  スターリンが指揮したソ連による農業集団化と、輸出による外貨獲得を目的とした(特にウクライナからの)農産物の収奪によって、再び大飢饉(ホロドモール)が発生した。餓死者と飢饉に関連する死者は400万人~1000万人の範囲にあるとの説が主流である。
「ホロドモール -wikipedia-」(閲覧注意、死体写真あり)
1937  スターリンによる大粛清が始まり、ウクライナでも指導層が大量に投獄・殺害された。
1941  6/22にナチスドイツがソ連との不可侵条約を破ってソ連に侵攻、九月末までにウクライナのほぼ全域が占領された。
1944  前年からソ連の反攻が始まり、この年の夏までにウクライナ全土からドイツ軍を追い出した。
1945  第二次世界大戦終結。この戦争でのウクライナの犠牲者数は800万人~1,400万と言われている。
1991  ソ連崩壊に伴い独立

 

 東スラブ族がつくったルーシ国の中心は現在のキエフ付近にあり、一方で、現在のロシアにつながる勢力がいた現在のモスクワ付近はルーシ国の北東の辺境にすぎなかった。しかし、14世紀に誕生したモスクワ大公国は徐々にその領域を北方と東方のシベリアに拡大、19世紀にはついにキエフの西方までの現在のウクライナの地を併合するにいたった。

 ロシアはウクライナを自身の発祥の地と主張しているが、実際にウクライナを自国の勢力範囲に収めたのは約200年前にすぎない。ロシアに併合されてからのウクライナは、特にロシア革命後には、上に見るように、非常な苦難と大量の血にまみれた歴史を経験することとなった。

 ウクライナの人口は1940年時点で4050万人程度だったとされている。ホロドモールと第二次世界大戦の犠牲者数とを合計すれば、少なくとも3人に1人、多い場合には2人に1人以上が犠牲となったことになる。1930年代から1940年代にかけて、ロシアとドイツとによってもたらされた、餓死、戦死、虐殺死、強制労働による死者等を一人も出さなかったウクライナの家庭はほぼ皆無だろう。

 日本では、日中戦争開始から太平洋戦争終結までの軍人・民間人の犠牲者の総数は約300万人と推計されている。植民地を除く当時の日本の人口は7000万人程度だったことを踏まえれば、日本では約4%、25人に1人、五、六軒に一人くらいが犠牲者となっている。日本にとっても先の敗戦は悲惨な経験ではあったが、ウクライナの犠牲者の割合は日本よりも一桁多いのである。スターリンソ連独ソ戦によるウクライナの被害・迫害がいかに深刻であったのかが、この数字からも判る。

 現在のウクライナの30~40代は、子供の頃にホロドモールを経験した世代の孫世代に相当する。ロシアへの恨みが骨髄までにしみこんだ祖父母から、当時の悲惨な状況を聞きながら育って来た世代でもあるはずだ。二度とロシアの支配下には置かれたくないと思っている彼らが、ロシアの侵略者に対して銃を取って戦うのは当然のことだろう。

 また現在のウクライナとは、ウクライナ人にとっては13世紀のモンゴル侵略以来、実に約750年ぶりに獲得した彼ら自身による単独の祖国、独立国なのである。独立してからわずか31年後に、再びロシアによって独立を失うことを彼らが許せるはずもない。「日本語を話す人々がこの日本列島を統治しているのは当然のこと」と頭から信じ込んでいる我々日本人が、この苦難の歴史を知ることも無しに、今のウクライナの人々の心情を我々の感覚だけで推測することがあってはならないのである。

 今のウクライナのロシアに対する状況を俗に例えれば、「DV夫の激しい暴力で傷だらけになりながらも長年耐え忍んできた妻が、夫の事業破産でやっと離婚できた。解放されたと思ったのもつかの間、復縁を迫った夫がまたしつこく追いかけて来た。」というような構図なのだろう。

 ちなみに、一つの世代が経験した悲惨な記憶がほぼ消え去るまでには、少なくとも三世代はかかると筆者は推測している。一世代が約30年とすると、1945年に30歳であった世代(現在は107才)の子の世代は現在77才、孫の世代が47才。この辺りまでは第二次世界大戦を経験した両親や祖父母から直接に当時の話を聞く機会はあったのだろう。それに対して、曾孫の世代は現在17才。この辺りになると、彼らが物心がつく以前に曾祖父、曾祖母が亡くなっているケースが大半だろう。

 このように考えると、現在の日本の十代から二十代にかけての世代が戦争をゲーム感覚でしかとらえられなくなっているのも、ある意味ではやむを得ない面があると思う。一つの世代の経験が世代を超えて長く語り伝えられるためには、その経験を何らかの形で神話化しておく作業が不可欠なのだろう。

 今回の侵略によって、ウクライナの人々は、今後すくなくとも三世代にわたって「嘘まみれのロシアの暴虐さ、残酷さ」を再び語り継ぐことになるだろう。愚かなプーチンは、ウクライナを手中に収めるどころか、自らの愚劣極まりない政策によって、ほぼ未来永劫にわたってウクライナ人をロシアから離反させる結果を招いてしまったのである。

 以下は、同じく「ウクライナ -wikipedia-」からの抜粋である。参考とされたい。

ソビエト連邦下のウクライナは拙速な農業の集団化政策などにより2度の大飢饉(1921年 - 1922年、1932年 - 1933年、後者はホロドモールと呼ばれ2006年にウクライナ政府によってウクライナ人に対するジェノサイドと認定された。アメリカ、カナダ、イタリアなどの欧米諸国では正式にジェノサイドであると認定されているが、国際連合欧州議会では人道に対する罪として認定している)に見舞われ、推定で400万から1000万人が命を落とした。この「拙速な集団化政策」は意図してなされたものであるという説も有力である。」

「大粛清はウクライナから始められ、1937年には首相のパナース・リューブチェンコが自殺した。」

独ソ戦は約4年間続き、ウクライナを中心とした地域に行われた。当初、ウクライナ人はソビエト連邦共産党の支配からウクライナを解放してくれたドイツを支援したが、ドイツはウクライナの独立を承認せず、ソ連と同様の支配体制を敷いたため、ウクライナ人の反感を買った。・・・

 第二次世界大戦においてウクライナはハリコフ攻防戦など激戦地となり、莫大な損害を蒙った。戦争の犠牲者は800万人から1,400万人とされている。ウクライナ人の間では5人に1人が戦死した。バビ・ヤール大虐殺などナチス・ドイツによるホロコーストも行われ、ウクライナ系のユダヤ人やロマ人などの共同体は完全に破壊された。ソ連政府はウクライナ在住のドイツ人やクリミア・タタール人などの追放を行った。

 独ソ両軍の進退によってウクライナの地は荒れ果てた。700の市町と、約2万800の村が全滅した。独ソ戦中にウクライナ人はソ連側の赤軍にも、ドイツ側の武装親衛隊にも加わった。また、ウクライナ人の一部は反ソ反独のウクライナ蜂起軍に入隊し、独立したウクライナのために戦った。」

以下は、「ウクライナの歴史 -wikipedia-」からの抜粋。

「1941年のナチス・ドイツソ連の開戦は、スターリンの恐怖政治におびえていたウクライナ人にとって、一時的に解放への期待が高まることになった。ドイツ軍は当初「解放者」として歓迎された面もあり、ウクライナ人の警察部隊が結成された。独ソ戦では、ウクライナも激戦地となり、500万以上の死者を出した(ソ連の内務人民委員部(NKVD)はウクライナから退却する際に再び大量殺戮を行っている)。

 ・・・ウクライナ人は(ドイツ人からは)「劣等人種」とみなされ、数百万の人々が「東方労働者」としてドイツへ送られて強制労働に従事させられた。またウクライナに住むユダヤ人はすべて絶滅の対象になった。ドイツの占領などによる大戦中の死者の総数は、虐殺されたユダヤ人50万人を含む700万人と推定されている。なお、ユダヤ人虐殺に関しては現地の住民の協力があったことが知られている。人だけでなく、穀物や木材などの物的資源も略奪され、ウクライナは荒廃した。このドイツ軍の暴虐にウクライナ人農民は各地で抵抗し、やがて1942年10月、ウクライナ蜂起軍(UPA)が結成されるに至る。おもに西ウクライナにおいて、テロ活動などでドイツ軍と戦った。UPAが活動を活発化させればさせるほど、ドイツ軍もウクライナ人迫害の手を強めた。

 一方でドイツ軍は、1943年春にスターリングラード攻防戦で決定的な大敗北を喫すると、自らの軍隊に「東方人」を編入させようとして、武装親衛隊(武装SS)にウクライナ人部隊「ガリツィエン師団」を創設した(この時期、武装親衛隊ウクライナ人だけでなく、多数の外国人を採用している)。ウクライナ人たちも、ドイツ支配下ウクライナの待遇が改善されること(自治・独立)を希望し、約8万人のウクライナ人が応募、そのうち1万3千人が採用された。・・・彼等はまさに「ウクライナ人」として、スターリンソ連軍と戦う機会を与えられることになった(その一方でユダヤ人虐殺にも荷担した)。

 ガリツィエン師団以外にも、多くのウクライナ人が「元ソ連軍捕虜」としてドイツ軍に参加している。しかしそれらを圧倒的に上回る数のウクライナ人が「ソ連兵」としてナチス・ドイツと戦い、死んでいった。当時のソ連軍兵士1100万人のうち、4分の1にあたる270万人がウクライナ人であった。

 やがて、ドイツが敗走して再びソ連軍がやってくると、ウクライナ蜂起軍(UPA)は破滅的な運命をたどる。彼等は今度はソ連軍に対するテロ活動を開始し、それだけでなくガリツィア地方のポーランド人、ユダヤ人の大量虐殺を行った。家は次々に焼き討ちにし、ときには虐殺に反対した同朋のウクライナ人をもいっしょに殺害した。このようなUPAのテロ活動は1950年代まで続いた。」

 上の引用の中の「ドイツの武装親衛隊の中にウクライナ人部隊を創設した」という部分が、今回、プーチンがしきりにウクライナをナチ呼ばわりしている理由なのだろう。元々はスターリンによる大量餓死・虐殺こそがウクライナ人をこのようにドイツ側に追いやった根本原因なのだが、その事実はロシア国内ではほとんど報道されず、国民にも周知されていないものと思われる。

 

 以下、話が脱線するが、自国民や周辺国の国民を、最大の場合には数千万人の規模で餓死・戦死・虐待死させた独裁者の出身地は、いずれもユーラシア大陸の北部に集中している。西からドイツのヒトラー、ロシアのスターリン(細かく言えばグルジア出身)とプーチン、モンゴルのチンギス・ハン、中国の毛沢東北朝鮮金日成一族と続く。彼らの特徴は、自分の周囲の人間は自分の欲望を満たすための道具に過ぎないとみていること。さらに、自分が害を加える相手の心中をおしはかろうとする想像力が一切ないこと(そうでなければそもそも加害者にはならない・・)だろう。

 彼らの青年期に至るまでの経歴を調べてみたが、チンギス・ハン以下の三名については資料が乏しくてよく判らない。金日成に至っては、戦前に抗日活動で活躍した別の人間の名前を、戦後になってから詐称したという疑惑すら指摘されている。

 しかし、ドイツとロシアの三名については、共通点と思われるものを見いだせた。一言で言えば、彼らは決して幸福な家庭に育ったとは言えず、成長期には深刻な心の傷を背負い、青年期以降はそれを克服することを目標として生きて来たと推測される点だ。

 先回の記事で見たように、ヒトラーは幼少の頃には高圧的な父に反発、青年期は挫折の連続であった。プーチンは出生時の詳細すらよくわからず、のちに移ったペテルブルグでは街の不良少年として少年期を送った。彼はロシア人としてはかなり小柄である。(以前のwikipediaで身長167cmと記載されているのを見た記憶があるが、現在は抹消されている)。周囲の大柄な仲間を威圧するために選んだのが、小柄でも大きい相手を投げ飛ばすことができる柔道であった。

 スターリンは靴職人の父親のアル中が原因で幼少期に両親が別居、母一人子一人の環境下で成長した。成長してからは父親に靴職人を継ぐように強制されたが反発。母の勧めで神学校にはいったものの、中退して社会主義活動にのめり込んだ。彼の得意技は活動資金の調達のための銀行強盗だった。スターリンも身長163cmと小柄であり、顔には天然痘によるあばたがあり、手足の二か所には先天的なものと少年期の事故による障害があった。

 このように、この三人は青年期にすでに深刻なコンプレックスを抱えており、それを克服して自己の尊厳を回復するしようとする衝動に迫られていた。その回復手段として彼らが選んだのが、自分を実態以上により大きく見せたい、より多くの人間を支配することで自信を取り戻したいという願望に沿った生き方であった。そのためには、強大な権力を有する既存の国家機構や、それを打倒して取って代わろうとしている政治団体などに入るのが一番手っ取り早い。前者を選んだのがKGBに入りたいと学生の頃から熱烈に願っていたプーチンであり、後者から始めたのがヒトラースターリンである。

 自分の抱えているトラウマに正面から向き合い、自分の能力を徐々に高めていくことでそれを解消することが望ましいが、これはなかなか困難な道である。多くの人間は、自己の尊厳を回復するためのより安易な方法へと流れてしまいやすい。イジメられている自分よりもさらに弱い相手を見つけ出して、それをイジメることで自分の力を再確認して自信をとりもどす、というのがその代表的な手法だ。先回指摘した、子殺しの前段階でもある親の児童虐待、学校や職場内でのイジメ等がこれに当たる。

 日本では、このような現象はたいていは一過性のものであり、進学や転職等で生活環境が変われば解消することが多い。しかし、中国やロシアのように人の序列をはっきりさせなければ落ち着かない社会では、この種の序列争いが毎日絶え間なく続くことになる。「こいつは俺よりも強そうだし、執念深い。将来の大物かも。」と思ったら、とりあえずは相手の子分になっておいた方が生きる上では有利になる。結果、社会構造はピラミッド化、階層化し、独裁制が成立しやすくなる。

 自分を本来の実力よりもより大きく見せることができる人間ほど出世しやすいこのような社会では、階段を登っていくにつれて元々持っていた妄想もさらに大きく膨らむのだろう。しまいには、自分で今までついてきたウソすらも真実と信じ込むようになり、何が現実で何が虚偽なのかすらも判らなくなる。かってのヒトラーの末期、今のプーチンがこの状態にあるのだろう。

 また、彼らは自分の地位を守り続けようとして異常に猜疑心が強くなる。スターリンが党や軍の中心人物を次々に殺害していった大粛清がこれに当たる。プーチンも、これから周囲の忠臣たちの処刑を始めるのではなかろうか。

 歴史的に見て、ロシアと中国、及びこれらの周辺国では、巨大な権力を握る独裁者が次々と出現しやすい。かっての強力な皇帝制度の名残なのだろうが、周りの国にとってはずいぶんと迷惑な話だ。対して、欧米や日本ではいちおうは民主制度が機能しているので、このように偏執的、強権的、利己的な指導者は選挙によって出世の階段の途中で排除されてきた。しかし、米国にトランプ前大統領が出現したことを見れば、そうも言っておられなくなってきたようだ。世界は独裁制国家の乱立へと徐々に進みつつあるのかも知れない。

 さて、現在のロシアの話題に戻ろう。ロシア国内の今後の動きを占う記事としては、次の記事に注目しておきたい。いずれプーチンは排除されるのだろうが、周囲の国にまで被害が及ばないように願いたいものである。

「プーチンの末路3つのパターン、クーデターか内戦か・・・」


(3)私たちはウクライナのために何ができるのか

 毎日、数多くの兵士や市民の死のニュースに接するたびに胸がふさがれる想いがするのだが、この流れを止めるためにはどうしたらよいだろうか。以下に簡単にまとめてみた。

① ロシアを経済的に孤立させることで戦争にかける費用を窮迫させ、同時にプーチンからのロシア国民の離反を促す。

 欧米日による経済制裁によってロシアの経済的な孤立がすでに進み、ルーブルの価値が半減しているが、この効果が表れるまでにはまだ相当の日数を要するだろう。参考までに、2020年の日本の輸出入に占める相手国別のシェアのグラフを下に示す。輸出シェアと輸入シェアの合計の順位では、ロシアは18位である(輸出0.9%、輸入1.7%)。全部止めても、日本全体の貿易量から見ればたいした影響は無い。

図-1 日本の相手国別輸出・輸入シェア(図はクリックで拡大)

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 このグラフでロシアよりも注目されるのが、日本経済における中国の存在の巨大さだ。輸出、輸入共に日本の貿易の約1/4が中国相手なのである。経済規模が韓国程度のロシアに対しては経済制裁は効果的であるが、中国に同様の経済制裁を実施したら日本経済の方が先に倒れかねない。日本にとっては、この中国への依存を減らすことが喫緊の課題だろう。

 次の三期目の支配を確実にするためにも、習近平が今年の秋の党大会まではおとなしくしている可能性は高いが、党大会が過ぎたら台湾侵攻にさらに前のめりとなることはほぼ確実だろう。彼には、毛沢東に匹敵する業績を上げて中国の歴史に名を残すことが自分の使命だと考えているフシがある。

 現時点のように中国大陸に膨大な日本資本(工場、金融資産、人材)が残されている状態で習近平人民解放軍(名称がその実態と完全に矛盾している。正しくは人民抑圧軍?)に台湾侵攻を命令した場合には、日本はいったいどうすればよいのだろうか?日本政府は十分なシミュレーションを繰り返して、早急に対策を立案しておくべきだろう。

 欧米の貿易は日本ほどには中国には依存していないが、対ロシアよりは多い。米国の対中国貿易では輸出8.4%、輸入12.8%、対ロシア貿易は輸出入ともに4%は未満。ドイツの対中貿易は輸出6.8%、輸入7.0%、対ロシアはともに4%未満。(2017年のデータ)。


② プーチン政権に融和的な企業、政治家、評論家を支持しない。

 ユニクロはロシアに融和的な企業の代表例だが、日本企業がロシアで利益を上げた場合には、その一部が税金としてロシア政府に吸いあげられることになる。その利益の一部が兵器やミサイルに姿を変えてウクライナで子供や女性を殺すのに使われる。ユニクロは「ロシア住民にも衣料品が必要」と言い訳してきたようだが、衣料品と人の命とのどちらを優先すべきかは言うまでもない。

 そもそも、同社にはいつまでたっても中国新疆ウイグル産の綿花の使用有無を明らかにしないことなど、人権よりも自社の利益を最優先する傾向が顕著である。SDGsを推進している企業とは到底言えない。ユニクロの服を着ている人は、「人権に対して鈍感な人」と見られても仕方がなかろう。

 石油・天然ガスの生産プラントであるサハリン1とサハリン2には、日本の大手商社の大半(伊藤忠、丸紅、三井商事、三菱商事)と日本の経済産業省とが出資しており、ロシアからの輸入の大きな部分を占めている。この石油と天然ガスこそがプーチン政権の命綱であり、これを止めない限りはブーチン政権はまだ持ちこたえるだろうという記事が最近公開されている。

「ロシアへの経済制裁が「まだ十分に効果を発揮していない」これだけの理由 -カギは石油と天然ガスの「禁輸措置」-」
 プーチン政権の息の根を止めるためにも、日本はサハリン1,2からの輸入を早急に止めるべきだろう。特に、経産省自らがサハリン1の株主の座に座り続けているようでは、「日本政府はロシアの味方なのか」と言われかねない。このままでは、日本の大手商社が支払った石油とガスの代金がウクライナの子供たちを殺すために使われ続けることになる。

 この春からは国内の太陽光発電量は増え、火力発電の稼働率は下がる。需要期の夏までには米国のLNG生産量も、高価格に刺激されての中東のガスの生産量も増えるだろう。日本政府が「ウクライナの人々を助けるためにも節電を!」と呼びかけさえすれば、数多くの国民からの協力を得られるだろう。政府の迅速な意思決定に期待したい。

 プーチンと親しい政治家の代表例は共に国会議員である鈴木宗夫・鈴木貴子の親子だが、もっと大物の政治家としては安倍晋三元総理がいる。何しろ彼はプーチンと通算で27回も会っているのである。その面会のために費やした費用は、下の山口の温泉旅館での豪華会食費用も含めてその全てが国民の税金から出ている。

 こんなに親しいのなら、安倍氏は親友としてプーチンに三言も四言も忠告してしかるべきだ。侵略者のプーチンに何ひとつ忠告すらできないならば、彼がやってきたことは単なる税金の食い逃げでしかない。
「日露首脳会談でプーチン大統領が飲まれたお酒・ディナーメニューは?」

③ ウクライナ難民に対する募金に応募する

 既に300万人以上のウクライナからの避難民が東欧諸国に脱出しているが、その約半分が子供だと言われている。着の身着のままで脱出してきた人たちには緊急の支援が必要であり、難民への募金は私たちにすぐできることのひとつだ。

 筆者は過去十年来、国連の所属機関であるユニセフのマンスリー・サポート・プログラムに参加しており、ユニセフからは毎月のメールや郵送の形で全世界での活動報告が送られてきている。2/24のロシア侵攻の翌日の2/25には、さっそくユニセフから緊急募金の要請メールが来たので、下のサイトを経由して、わずかな金額ではあったが寄付をした。

「ユニセフ ウクライナ緊急募金」

 ユニセフ以外にもウクライナへの寄付を受け付けている団体はたくさんあるので、可能な方にはぜひ寄付への御協力をお願いしたい。ただし、このような緊急時には、偽サイトをつくってせっかくの寄付を着服しようとする悪質な連中が必ず現れる。確実に現地に届けるためにも、既に実績があって良く知られている団体を選ぶことをお勧めしたい。

 以前からの実績がある団体であれば、寄付金を確定申告の控除対象にすることもおおむねは可能(詳細はその団体のサイト等で確認していただきたい)。

 最後に、このロシアによるウクライナ侵略が始まって以来、最も胸を打たれた写真を紹介しておきたい。もうご存じの方もかなりあると思う。この写真を見るたびに涙が出てしまうのだが、同時に自分の胸の中に激しい怒りがわき起こるのである。

「幼い男の子が泣きながら1人でウクライナから国境越え…手には「ぬいぐるみとチョコレート」」

/P太拝