「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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英語教育がもっと必要な日本

今年の春以降、なにかと忙しくてしているうちにもう半年以上も当ブログを更新していませんでした。やっと時間が取れるようになってきたので投稿を再開したいと思います。以前と同様、取り扱う話題が雑多を極めることになるでしょうが、眼を通していただければ幸いです。

 

(1)鳥取西高の英語授業風景

先週のこと。ふだんはめったに見ない18h過ぎのテレビのローカルニュースを見ていたら、鳥取西高の英語の先生が教育界における国際的な賞を受賞とのニュース。その授業内容が詳しく紹介されていました。何の知識もないままにぼんやりと見始めたものの、これが大変に面白い。ちょうどその時に見たニュースがそのままの内容で動画公開されていましたので、下に紹介しておきます。

「鳥取西高の英語教師が”教育界のノーベル賞”「グローバルティーチャー賞」世界トップ50に選出」

 

以下、この松田先生の英語の授業方法の要約。

・生徒が興味を持ちそうな国際的な時事問題、世界の生活習慣等々の話題を先生が選んで英語で概要を紹介。このニュースの中では「世界の祭り」が取り上げられていて、地元のしやんしやん祭りにも触れていた。

・この話題について生徒同士が意見交換や議論を行う。これらも全て英語で議論するのがルール。大体、授業時間の半分以上がこの議論に費やされる。

・授業の中では生徒のグルーブがこの話題に関する意見をまとめて発表することもある。もちろんこの発表も英語。

 

この授業方法を始めてから英語に興味を持つ生徒の割合が急速に増加、生徒全体の英語力も大幅に向上したとのこと。そりゃ、そうだわね・・。
ニュースの中では、ある生徒さんが「英語の授業が面白くてしょうがない」と語っていた。中にはこの授業をきっかけに将来の進路を決めた生徒も過去にいたとか。

筆者が高校生活を送ったのは1970年代の初頭。当時の英語の授業といえば文法の解説、教科書のリーディング、単語の暗記など。英語で自由に瀬先生や生徒仲間と会話することなと一度も経験したことはなかった。このようないわゆる受験用の英語授業が今でも主流なのだろうが、この種の無味乾燥な授業内容では、英語そのものに対する興味はたいして持てないだろう。

通っていた中学や高校の授業は英語も含めて大体はつまらなくて、よく授業時間中には隠れて膝の上においた文庫本を読んだりしていたものだが、自分が興味を持てる分野については熱心に取り組んだ。英語に関しては、当時はやっていたフォークソングやロックの歌詞の意味が知りたくて、自宅で辞書を引きながら日本語に訳したものである。ビートルズPPM、S&Gなどの歌詞は今でもそのままが頭に浮かぶ。

自分の関心がある分野については、それが外国でのことであれば英語を勉強してでも知りたい、また自らが考えていることを別の国の人に英語で表現してみたくなるものである。上で紹介した動画の中に出て来る高校生の表情を見れば、彼らがこの授業を楽しんでいることは一目でわかるだろう。

今までの日本の英語の授業では、生徒に勉強したいという動機づけをしないままに単なる知識だけを詰め込んでいた。生徒に動機付けさせるものとしては、「テストで良い点を取って良い大学に入ること、そして良い会社に入ること」だけだったのである。これでは大学に合格さえしてしまえば、その後は英語のことなんか忘れてしまう。次に述べる日本人の英語下手の根本原因もこの点にあるのだろう。

「英語を勉強して外国のことをもっと知りたい、外国の人に自分のことを知って欲しい」という動機づけが最初に必要であり、それさえできれば、あとは生徒が勝手に自分自身で学んでいく。結果的に英語の能力が向上すると同時に、受動的ではない、自ら積極的に考えて将来に向けて行動できる人間が形成されていく。物事の順序がまったく逆なのである。

この松田先生の授業が日本の教育が抱える問題点をあらためて浮き彫りにしてくれたと思う。他の先生もどんどんと積極的に松田先生のマネをすればよいのだ。

マネする分野は英語だけには限らない。中学・高校の授業内容で自分が記憶していることはこれと言って思い浮かばない。総じて退屈だったという記憶しかない。はっきりと覚えているのは、中学の時のカエルの解剖でカエルが逃げ出した事件とか、中学の音楽の授業ではやり始めたばかりのフォークソングを歌った事とか、先生の授業中の脱線話(戦後の苦労話など)とか、数少ないものでしかない。

もしも中学・高校の先生がこの文章を読んでいるならば・・・、

「そこのあなた、退屈な授業ばかり繰り返していると、不平は言うけど自分からは動こうとはしない、やる気が無い受け身ばかりの日本人をさらに量産することになりますぞ」と言いたいものである。

 

(2)日本人の英語力、世界の底辺レベルへと落下の一途

上で素晴らしい英語授業の一例を紹介したのだが、日本人全体としての英語能力は年々低下するばかりのようである。以下に、数日前に読んだ記事を紹介しておきたい。

「英語力、日本は過去最低の87位 若い世代で低下目立つ」

日経の記事を読むには会員登録が必要なことが多いので、同じランキングに関するものだが、共同通信の記事も紹介しておこう。

「英語能力のベンチマーク「EF EPI英語能力指数」2023年版世界ランキング公開」

このデータをまとめた会社は語学教育を専門としているので、このテストを受けた人の多くがそれぞれの国で語学学校に通って英語を勉強しているというレベルなのだろう。そのように英語の勉強に意欲的なレベルの人たちの中でも、既に国ごとにこれだけの差がついているのである。英語の勉強に興味がない人も含めれば、国全体での英語能力の格差はさらに大きいものと推測される。

このランキングの全体については次のサイトで知ることができる。

「世界最大の英語能力指数 ランキング」

英国と米国に地理的に近い国ほど英語能力が向上することは明らかなので、地域的に近い国同士の中で比較してみたい。このサイトから、日本を含む東アジア、東南アジア、南アジアの計18カ国を抜き出した順位を下に示す。

日本は18カ国中で15位。日本よりも下にはミャンマーカンボジア、タイの三か国がいるだけという「トホホな結果」なのである。カンボジアとタイは観光立国の国のはずなのに、英語能力が低いというのは意外な話だ。

ネパール、ベトナムバングラデシュと、現在の日本に多くの出稼ぎ者を送り込んでいる国々の英語能力がそろって日本よりもはるかに高いことにも注目すべきだろう。今後、英語の話せない人が多い日本に行くよりも、もっと英語話者が多い国に行った方が楽だし稼げる、将来の可能性が広がると彼らが思うようになることは想像に難くない。

日本で働くためには日本語が話せることが必須という日本側のかたくなな態度に加えて、現在の円安がこの傾向に拍車をかけている。外国から労働力を呼び込んで今後さらに深刻化する人手不足を解消するためには、むしろ日本人の方が英語を話せるようになることが必要なのではなかろうか。

日経の記事などによれば、最近の若い世代は上の世代よりも英語能力の低下が目立つとのこと。これはアジア、特に日本と中国に顕著に見られる傾向で、新型コロナの影響と推測されているらしい。しかし、コロナの影響は全世界に及んだのだから、やはり近年の日本の若者は他国に比べて英語学習に対する積極性に欠ける傾向が強くなっているのだろう。

中国も日本と同様に若い世代の英語力が低下しているようだが、これは中国の若者が自分の将来に希望が持てなくなったことと関係しているようにも見える。いわゆる「寝そべり族」(躺平族(タンピンズー))が発生した結果なのかもしれない。もっとも、このタンピン族については、筆者には日本の若者の方が先輩のように思えるのだが。

日本人の英語能力のどこが特に弱いのかも見ておこう。次の記事は日経の今年7月のものである。

「学力テスト中3英語「話す」正答率12% 6割全問不正解」


この結果については「問題が難しすぎた」との批判もあるようだが、やはり話す能力が弱いことは確かだろう。その意味でも、上に紹介した松田先生の授業方法は非常に適切かつ有効であると思う。


(3)国全体が「ひきこもり」になりつつある日本

最近の円安で国内の物価が急速に上昇すると同時に、国内の給与水準と海外のそれとの間に非常に大きな格差が生じてしまった。これを受けて若年層の一部では「海外に行ってもっと稼ごう」という声が高まりつつある。関連する記事をいくつか紹介しておこう。

「海外なら同じ仕事で年収数倍に!? 「正直、もう日本では働きたくない」、オーストラリアがアツい理由」
「ハワイで働く日本人ウエートレス 朝だけ週数日勤務で「月収100万円」」

「日本企業の経営幹部の給料が「タイ・フィリピン以下」の衝撃、日本は出世するだけ損?」
「世界の平均年収 国別ランキング 2022年」
昨年のデータだが、名目換算でも既に日本は韓国よりも下になった。

 

しかし、安い仕事しかなくても国内にしがみついていたい人の方が、まだ全体としては圧倒的に多いのだろう。慣れない英語や外国語を使うよりも日本語で用を足せる方が楽なのに加えて、犯罪に遇う確率も国内にいる方が低いだろう。

給料は安くても、娯楽はもっぱら安価なネット経由ですませればそんなにカネもかからない。そうしてネットの中の仮想空間に入り浸っているうちに、現実の社会の中で生きている生身の人間との対応には自信が無くなってくる。「会社にかかってくる電話に出るのが怖いと言って、新卒社員がすぐにやめた」との話を読んだ時には驚いたものである。

若者自身の給料よりも親世代の年金の方が多いという世帯は少なくはないだろう。余裕のある家の場合、就職難を理由にすれば親もスネをかじられるのをある程度の期間は許してくれるかもしれない。ここまでは中国の「タンピン族」の発生と全く同じパターンである。

安楽な生活に慣れてしまった結果、そのうちに外で働く自信を失って家から出られなくなる。「ひきこもり」の誕生だ。中国の「タンピン族」と異なる点は、「ひきこもり」の背後には恥の感情が非常に強く存在することだろう。「タンピン族」にはそのような感情はなく、自宅にこもりっぱなしの自分の生活を平気でSNS上に公開してあっけらかんとしている。

日本の国全体も同じような経過をたどりつつあるのではないだろうか。この場合には、親の年金に相当するのが企業・金融機関・個人が過去の海外への投資から得ている収入である。貿易収支も、海外のIT企業に支払っているサービス料も既にマイナスなのだが、過去の海外投資から得た配当と利息収入で埋め合わせることでなんとか合計での経常収支を黒字化しているのが今の日本経済なのである。

一人当たりの名目GDPが米国を抜いて主要国中トップだった1990年代の遺産のぬるま湯にひたっている間に、いつのまにか「引きこもりのゆでガエル」となりつつあるのが外から見た日本の現在の姿ではないだろうか。

「引きこもり化」の一例として海外への留学生数の推移を下に示しておこう。

 

・各国からの留学生数の推移

上のグラフはコロナ禍前の2018年までの各国から他国への留学生数の推移を示したものだが、日本のそれは2004年から2018年までの間に三割程度減少している。人口が日本の四割ほどでしかない韓国が送り出す留学生の数が日本よりも一貫して多いことにも注意すべきだろう。

 

「国全体が引きこもりになって、いったい何が悪いのか」という意見もあるのかも知れないが、我々が十分に認識しておかなければならないのは、現在の日本という国は、鎖国していた江戸時代のように海外との貿易をいっさい絶ってしまった場合には、今の人口の二、三割しかまともに生きられない国になるだろうということだ。

日本が消費するエネルギーの大部分は輸入に頼っており、我々が毎日食べている食料もカロリーベースにして六割超を輸入している。仮に海外からの輸入が全て停まったとしたら、国内で自給できる食料はコメとイモ類とわずかな野菜だけになる。肥料の大半も輸入に頼っているから、これらの品目の現在の生産量すら維持できなくなる可能性は高い。

家畜用飼料も大半を輸入に頼っているので、食肉の生産量も激減する。原油が輸入できなくなれば燃料不足で漁船も海にでられなくなり漁獲量も激減する。毎日、肉や魚を食べられる現在のような食生活を維持できるのは少数の富裕層だけに限られることになる。

一般庶民のタンパク源は豆腐や納豆くらいしか残っていないだろうが、大豆も大半が輸入に頼っており、これらも品薄の状態が続くだろう。ガソリンが無くなればトラックやマイカーも無用の長物となり、輸送交通手段は自転車やリヤカーが主力になることだろう。

日本のエネルギー自給率について言えば、再生エネルギーが増えつつあるとは言っても現時点では10%強でしかない。残っている利用可能な電力源は水力と太陽光程度しかないので、北朝鮮のように一日の大半が停電ということになるだろう。

水道のポンプも電力で動かしているので断水時間が長くなる。インフラは徐々に劣化していくが、設備機器や建築・道路の原材料の大半は輸入に頼ってきたので補修も追い付かない。早晩、国全体が約百年以上昔の明治時代の生活レベルに落ち込むことになるだろう。

さて、このように日本が海外から食料や原油などを輸入できなくなる日が来ることが実際にあるのだろうか。そんなことは絶対にありえないと断言できるだろうか。

当ブログの以前の記事で「台湾有事」の可能性について考えてみたことがあった。仮に習近平政権が台湾を併合した場合には、日本の主要輸送レーンは台湾東岸から発射されるミサイルの脅威に直接さらされることになる。

さらに南シナ海全体が自国の領海であると強硬に主張し続けていることに見るように、彼らが台湾併合後に「琉球諸島も元々は自分たちに属していた」との主張を強めることも確実だろう。実際、明治政府による軍事的圧力を背景とした1875年の琉球処分(琉球の日本への併合)以前には琉球王朝は清にも朝貢しており、現在の沖縄県の範囲は日本と清との両方に属する両属的存在と見なされていたからである。


このような状況に至った場合、軍事力による日本領土の奪取には至らないまでも(その場合でも尖閣諸島は例外)、中国がまずは沖縄県内の米軍・自衛隊基地の撤去、同地域内における港湾の中国軍による利用、ミャンマーラオスカンボジアパキスタン等の近隣諸国と同様な経済的利権の獲得などを次々に要求してくることが予想される。

日本への海上輸送レーンに対する圧力・威嚇は、そのような要求実現のための最も容易かつ効果的な手段となり得る。仮に日本向けのタンカー一隻の近くにミサイルが撃ち込まれた場合、その直後に世界中の海運業者が日本向けの船の運航を一斉に停止する事態も想定される。日本と海外との間の貿易途絶の可能性は単なる空想の産物、絵空事と笑ってすます訳にはいかないのである。

さて、海外の危険地域に行っている日本人のジャーナリストや商社員が誘拐されたり殺害される事件が過去に何度も発生しているが、そのたびにネット上にあふれるのが「自分から危険な場所に行った以上は自己責任」だとか「救出のために国民の税金を使うな」との意見である。

外国人のジャーナリストから買った情報だけを頼りにして国や会社の方針を決める訳にはいかない。現地の生産品を買って輸入するべきなのか、現地に投資するべきなのかも、日本人が実際にその場に行ってみなければ判断はできない。さらに、世界各地の人々との強い信頼関係も築かなければ正しい情報は得られず、安定した取引もできない。

このような能力を持った人々が世界の各地に出かけていかなければ、今の日本という国は成り立っていかないのである。危機に陥った彼らを「それみたことか」と笑っている人たちは、自分が彼らから日常生活を維持する上での恩恵を間接的に受けていることを知らずにいる。

既に、日本という国は内に閉じこもっていては成り立たない国になってしまっている。日本人はもっと海外に出て行かなければならない。日本の外に出て、外国人とビジネスや勉強の面で真剣にやり合っているうちに、彼らと我々日本人との間のものの考え方の違いが非常に大きいことが初めて認識できる。外から日本という国を見つめ直すことで、日本の良い点も悪い点もはっきりと見えるようになる。

筆者自身、会社員生活の後半を迎えた頃に中国や韓国に頻繁に長期出張を繰り返すようになり、現地のさまざまな会社の人たちと直接交渉するようになってから、はじめて日本人の欠点をはっきりと理解できるようになった。それは、「日本人は個人としての責任を背負うことを極端に恐れる。常に集団の陰に隠れ、その一員としてふるまおうとし、その集団に所属することで安心するのと引き換えに、自身の持って来た意志や意見を簡単に捨て去ってしまう。」ということだ。

この同調指向性が、肝心な場面での思考停止と決断の先送りを生んでいる。最近の日本企業の業績不振、さらに日本全体の経済停滞と国際的地位の低下の最大の原因はこの点にあると思っている。

もっと英語を使いこなせるようになろう、狭い日本の中で互いにグチを言い合って自己満足していないで、どんどんと外国に出て行こう。

英語の能力が中途半端でも、学校で習った英単語をほとんど忘れてしまっていても心配はいらない。一週間ほど現地にいて、食事をするにもホテルに泊まるにも英語や現地の言葉を使わなければできないとなれば、あれこれ努力することでなんとか話せるようになるものだ。「必要は発明の母」ならぬ「必要は語学上達の母」なのである。

/P太拝