「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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ベトナムを訪問しての感想

(1)ベトナム社会における女性の地位

ベトナムハノイに三日間いて感じたのは、「この社会には、暗黙の了解のようなものが確かにある」ということだった。そう感じたのは、今回の連載シリーズの第一回目で既に述べたように、歩行者が車やバイクが切れ目なく走っている道路を横断する際の、運転者と横断者の様子を観察してからのことである。

また、中国や韓国では、繁華街を歩いていると、ケンカ、ののしり合い、怒号などをよく見聞きしたものだが、ハノイではそのようなことは全く無かった。ハノイの人びとは大声で叫ぶことも無く、おおむね静かで穏やかな印象であった。社会全体が女性的な雰囲気の中にあるような印象を受けた。


訪問してから既に三年も経ってしまったが、今回の記事を書くにあたって、改めてベトナム社会の概要を調べてみることにした。まずは女性の社会的地位について。
(資料:「ベトナムにおける家族の特徴と福祉」奈良大学 桂良太郎  より)

 

「家父長制度」
かっては、特に貴族や官僚などの上級階層では、儒教の影響による家父長制度が普及していた。父から長男へと「家」が相続されていく。この辺は戦前の日本と同様である。

しかしベトナム社会の基盤をなす農村部では、名目的には父系社会ではあるものの、家族の主軸は父子関係ではなくて夫婦関係にあった。昔から男女が持つ権利は比較的平等であり、女性の財産権も認められていた。父母の遺産は兄弟姉妹の間で均等に分割相続されていた。

 

「女性国会議員の比率」

2022年時点での女性国会議員の割合は、ベトナムは30.3%で60位(世界191カ国中)。アジア地域の中では一番高い。

ちなみに他の国では、フランス 37.8%、ドイツ 34.8%、英国 31.2%、フィリピン 27.8%、米国 27.0%、中国 24.9%、インドネシア 21.9%、パキスタン 20.1%、韓国 18.6%、日本 14.3% (153位)、インド 14.1%、タイ 14.0%。

アジア地域において、日本よりも下位に居るのは、インド、タイ、ヨルダン、シリア、オマーン、イラン、スリランカレバノンカタール、イエメンの10カ国に留まる。日本は、南アジアや中東イスラム諸国のような、明らかに女性の社会的地位が低いとされている国とほぼ同列に居るのである。

 

ベトナム社会でよく言われていることわざ」 =「夫の地位は妻のそれより強くはない」
要するに、家庭の中では、妻の方が夫よりもより強い権力、決定権を持っているということ。子供の育て方や成人してからの結婚相手などについても、まずは妻が認めないことにはどうにも決まらないらしい。

 

「現代ベトナム社会福祉体制」
ベトナムは伝統的な共同体をベースとした「ムラ社会」であり、伝統と近代とが共存し合った社会構造を持つ点において、他の社会主義国とは大きく異なっている。

現在は子供の養育や老人介護等の社会福祉を担う地域住民組織が全国的に組織されているが、これは元々は各村落内にあった相互扶助組織が社会主義的に再編されたものである。

このようなデータから見る限り、ベトナムにおける女性の社会的地位は、少なくとも東アジアの中では一番高いと言って差し支えないだろう。ハノイで感じた直感が裏付けられたとようである。


(2)父性原理と母性原理

ユング派の心理療法家であり、かつ第16代文化庁長官であった故河合隼雄氏によれば、日本社会は「母性原理に基づく社会」であるとのこと。それに対して欧米の社会は「父性原理」社会であるとのこと。同氏による両者の定義は以下のようになる。

(「母性社会 日本の病理」 第1章「日本人の精神病理」より 河合隼雄 講談社α文庫 1997年)

 

「父性原理」 

全てのものを切断・分割して、主体と客体、善と悪、上と下、等々に分類する。子供をその能力や個性に応じて類別する。子供の養育面では、「よい子だけがわが子」という規範に従って子供を鍛えようとする。

「母性原理」 

全てのものを善悪とを問わずに包み込み、その中では全てのものが絶対的な平等性を与えられる。「わが子はすべてよい子」という標語のもとに、全ての子を育てようとする。その半面で、子供を強く束縛し成長後も自分の手元から放すまいとして強力な支配力を発揮する傾向もある。

これらの社会を環境と宗教の観点から見れば、以下のような、もう少し詳しい説明も可能だろう。

「父性原理社会」 
元々は、砂漠や乾燥地のような生存に厳しい環境で成立する傾向が強い。このような環境下で生き延びるためには、正しい選択と決定とを次々に下し続けなければならない。生業としては遊牧民が典型的である。

一例を挙げれば、来るべき冬に多量の降雪があった場合には、飼っている羊の群れが草が食べられず全滅して一族全員が餓死しかねない。一族のリーダーには、冬が来る前に気候変動のわずかな予兆を把握して正しい越冬地を選ぶ能力が求められることになる。また、家畜の生産性を高めるためには、優れた形質を持つ家畜のみを選別して交配させ、劣ったその他の家畜はなるべく早く処分して食料とする必要がある。

このような地域に限定で唯一の神を信仰する「一神教」が生まれた。その代表例がユダヤ教キリスト教イスラム教である。一神教の信者は、唯一神と取り交わした契約を遵守してこそ、初めて自身の安全と繁栄が補償されるものと信じているのである。

現在の欧米社会が父性原理に基づいた契約社会であるのは、明らかにキリスト教の影響によるものだろう。父性原理社会では全てが法律に従って厳格に解釈される傾向が強い。法律は、元々、人間と神との間で結んだ契約から生まれたものと見なされているからである。

なお、なぜ砂漠で一神教が成立したのかについては諸説あるようだが、残念ながら、筆者はその違いを解説するに足る能力を持ち合わせてはいない。

 

「母性原理社会」
森林内の狩猟採集民社会や、湿潤なモンスーン地帯の稲作農耕社会などが典型例である。これらの地域では食料は比較的入手しやすく、また気候も毎年同じパターンが繰り返されることが多い。

従来の慣習に従ってさえいれば、たいていはそれなりに暮らせる。自分で判断できなくても、隣の人の行動を真似て同じことをしていれば、ほどほどの暮らしはできる。砂漠や乾燥地帯の住民のように、生活するうえで絶えず大きな選択を迫られ続けるという社会ではない。

宗教面では、岩や山、木や草、獣や虫などの自然界のあらゆるものに神が宿るとするアニミズム、言い換えれば多神教が主流となる。

 

歴史をさかのぼれば、農耕や家畜の登場は約一万年ほど前のことであり、それ以前は全ての人類が狩猟採集生活を営んでいた。人類社会の基本形(デフォルト)は母性原理社会であったと言ってよいのではないか。ただし、狩猟採集民であっても、北極圏などの厳しい環境下では、父性原理なくして母性原理のみによって持続的に生存することは困難かもしれない。

一神教に基づく父性原理社会は、人類史における一種の突然変異のような特異な存在なのではないだろうか。そのためなのか、現在の父性原理社会においても母性原理の要素は根強く残っている。欧米や南米などの地域における根強い「聖母マリア信仰」などが典型例だろう。

母性原理社会では法律が軽視される傾向が強く、裁判では情状酌量の余地が大きい。本来、全ての命を生かしたいとする母性原理の元では、厳格な法律の適用がしばしば忌避される。

 

このような観点に沿って、以下、中国、日本、ベトナムの社会を見ていこう。

(2-1)中国

まず中国だが、これは明らかに父性原理に基づく社会である。過去の中国の各王朝社会の頂点には皇帝が位置し、それを貴族・官僚層が取り巻いていた。彼らと一般の平民との間には大きな階層差が存在していた。この構造は、皇帝→総書記、貴族・官僚→中国共産党員(=公務員か国有企業幹部)、平民→一般国民 と名前を変えただけで現代の中国にそのまま受け継がれている。

中国人は「個々の人間の能力には優劣の差があるのだから、能力に応じて待遇に差があるのは当然のこと」だと思っている。千数百年も続いた科挙制度の後遺症だろう。また、中国の皇帝が絶対的巨大権力を持つようになった背景には、巨大な「暴れ河」であった黄河に対して、同じく巨大な治水対策が必要であった歴史が大きく影響していると思う。このことについては、また別の機会に述べたい。

そもそも、中国人には「人の持つ権利は本来平等のはず」という思想が理解できないのだろう。「能力不足の相手に対しては、待遇だけでなくその持つ権利すらも制限して当然」だと彼らは思っている。

だから、中国語が話せないウイグル族を収容所に入れては、強制的に中国語を学習させようとするのである。ウイグル族にとっては民族固有の文化を圧殺する人権侵害でしかないのだが、中国人側から見れば「素晴らしい言語である中国語を親切に教えてあげているのに、何でこいつらは文句を言うのか」ということになる。

中国で宴会に参加すると、まず最初に、誰がどこに座るのかという席順を決めるために五分や十分くらいはかかる。政府首脳間、全国の大学、大学入学試験受験者、各省内の都市間に至るまで、すべてが公式に認定された序列を付けて公表されている。一番偉い人に自分の序列を決めてもらわないことには、彼らはいつまでも落ち着けないのである。

このような社会に西欧流の民主主義が定着するには、極めて長い時間が必要になることだろう。民主化への期待がいくぶんかあった胡錦涛政権の頃、日本人だけで集まって食事している時には、よく「これから中国に民主主義は定着するのか」という議論になることが多かった。中国滞在が長い人ほど否定的になる傾向が顕著だった。

また、筆者が中国で仕事をしていた頃に気づいたのは、「国と、その国の企業とは、その権力構造がまったく同一である」ということだった。共産党王朝の皇帝が国を支配している中国では、中国企業においても組織のトップである会長(董事長)、または社長(総経理)が最終決定権を有しているのが当然であり、事実、彼らはそのように振る舞っていた。

日本企業間では新規の事業の検討はボトムアップで時間をかけて進められるが、中国企業では重要な案件は最初からトップの所に話が行き、その場ですぐに認可するか否かが決められる。

面従腹背」が中国的組織の特徴だが、少なくとも表面的かつ初期の段階では、組織を構成する全員がトップの指示に「面従」する点に注目する必要がある。欧米のように最初から「面背」する人間が出ることはほぼありえない。

我が国では、江戸期末までは朝廷と幕府とが並立し、明治から昭和前半までは天皇・議会・軍部の三つどもえの勢力争いが続いた。昭和後半以降は天皇が一応は「象徴」という何だかあいまいな立場に棚上げされたものの、今度は政府首脳と自民党有力者とのどちらが権力を握っているのかがよくわからなくなっている。

外国人は日本の政治を観察しては「この国では、誰が決定権を持っているのかが、よくわからない」と言うが、これは少なくとも幕末から一貫して指摘され続けて来たことなのである。同様に、海外に進出した日本企業の現地駐在社員は、現地の従業員から「この会社では、誰が決定権を持っているのかが、よくわからない」と言われ続けている(筆者自身、中国の工場ではこの言葉を何度も聞かされた)。

中国では、国も国内企業も、ありとあらゆる組織が父性原理によって運営されているのだから、組織のリーダーが誰なのかは最初から明確である。従って、中国企業では事業進出でも撤退でも意志決定が速い。この点に関しては中国企業と欧米企業とはよく似ている。

中国が欧米と異なるのは、中国においては、組織が従うべき規範は究極的には「皇帝」から発せられるという点だ。組織の規範は、あくまでその組織のリーダーが実際に下す命令そのものの中にある。皇帝が変われば善悪の基準も変わる。中国の政治と社会とが極端から極端へと大きく振れるのは、「権力の皇帝への一極集中体制」がその主な理由だろう。

対して欧米の組織では、構成員が従うべき規範は「神との契約」という名の抽象化され理想化された思想の中にある。欧米企業においては「利益を挙げる」こと自体すらも、元々は自身と神との契約の中に含まれるとされていたのである。

神との契約の思想の具体化については個々の構成員自身にまかされているがゆえに、構成員間では解釈に違いが生じる。その違いを議論によって克服することで組織全体の方針を決める。これが西欧流の民主主義の根幹をなしているものと思われる。西欧社会が人権や平等に関して熱心なのも、これらの理念がキリスト教の教えの中に最初から含まれているという共通舞台があるからだろう。

 

(2-2)日本

次に、母性原理社会である日本では、組織の意志はどのようにして決められているのだろうか。筆者が思うに、日本型組織が従う規範とは「自分が所属する小集団の利益の最優先」なのだろう。「小集団」を「タコツボ的小集団」と言い換えた方が正確なのかもしれない。「タコツボ」を辞書で引くと、「自分だけ、または仲間内だけの狭い世界に閉じこもっていて、外部に目を向けないことのたとえ」とある。

会社や役所などの職場、学校、近所、専業主婦のママ友仲間等々、狭い集団内の視点からしか物事を見ることができず、より大きな集団全体としての合理的巨大利益よりも、自分が入っているタコツボに属する非合理的損得の方を優先するのである。

縦割り組織の弊害による行政の機能不全、世界最悪の政府負債の対GDP比率、狭い業界内に多数の企業が参入し存続し続けようとすることによる安売り合戦、大企業で頻発する品質データ偽装問題、核のゴミの処分方法さえも決められず宙ぶらりん状態の日本の原発、一時的には世界一を経験した半導体、液晶、電池、自動車業界の急速な没落等々、現在の日本が抱えている問題の大半がこの観点から説明可能だろう。

問題点の実例をひとつだけ紹介しておこう。政府が鳴り物入りで最近始めたデジタル化(DX)の実際の効果についてである。

下の記事によると現状、会社の本店移転の際には、18種類もの書類を役所のそれぞれ異なる部門に提出しなければならないそうである。日本政府は、この複雑さに手をつけないまま、そっくりそのままの状態でデジタル化してしまったとのこと。使いづらいことこの上ないのは当たり前だろう。

まさに「縦割り組織の弊害による行政の機能不全」と評するしかない。本来、国民から集めた税金の使途について責任を持つべき官僚・公務員に、現状の不合理な壁を打ち破ろうとする勇気と意欲とが全く欠けているのだ。

「政府挙げてのDX、「アナログの方がマシ」と言われてしまう悲惨な末路 -目的の変質が生み出す、アナログ手続きの劣化版-」


本来は、国民が選んだ政治家に国内に無数にあるタコツボの間の厚い壁を打ち壊す役割を求めるべきなのだが、その大半が政治家家系の二代目、三代目である彼らは、自分の選挙区や支持者を囲い込むためのより大きなタコツボを作ることにしか興味がないように見える。国の将来よりも、自分の座るべき椅子を安全・安心裏に確保することが最優先、というのが今の日本の政治家と官僚の姿なのである。

こうなってしまう原因は、以下に示す今の日本人の特徴にあると思う。一つだけを選ぶとすれば⑤だ。

 

① よいアイデアを思いついても、上司の顔色を確認してからでなければ言い出せない。
② 前例を踏襲してその場限りの処置をするだけで満足し、根本的な解決を先送りする(バンドエイド症候群)。
③ 集団内や他集団との間で生じる摩擦を極端に恐れる結果、新しい提案・取組みをなるべく回避しようとする。
④ 常に集団の中に隠れる形でしか行動できない。
⑤ 個人として責任を取ることを極力避けようとする。

幕末や敗戦直後の激動期は別として、社会が安定期に入ると我々は小さなタコツボの中に入って満足し、そこから出ることを極力避けるようになる。これでは、全ての面でよその国に負けるようになるのも当たり前だろう。

別の言葉でいえば、今の日本人は極力「出る杭」にならないようにビクビクしながら日々を生きているのである。

先日、鳥取には珍しい典型的な「出る杭」タイプの自営業の知人と久しぶりに話す機会があった。彼が自身の過去の経験について、「「出る杭は叩かれる」どころじゃないですよ。叩かれるだけでは済まず、引っこ抜かれて、捨てられるんですから。」と話したので大いに笑えた。

詳しい出身地を聞いたら鳥取市ではなくて県の中部の出身だった。鳥取市の出身者には、彼のように自らすすんで自営業になろうとする人間は少ない。多くが公務員志望だ。

神も皇帝も存在しない日本では、日々の行動の基準となる情報提供はマスメディアに求めるくらいしかないのだが、彼らも基本的には当面の利益をかせぐことを最優先する企業に過ぎない。視聴率を上げ、ネットでのクリック数を稼ぐために、番組や記事のタイトルは年々刺激的になっていく一方だが、実際に中身を見てみるとたいした内容ではない。

難しい話題は避けて、食べ物、ファッション、美容、スポーツ、セックス、ペット等々の話題がその大半を占めることになる(それらの報道を止めろとは言わない。食欲、性欲、他者からの承認欲は、動物の一種族である人間の基本的な欲求なのだから。それ以外の内容がほとんど無くなってきているというのが問題。)。

マスメディアから得られる行動指針とは、「一昨日はナタデココ、昨日はタピオカ、今日はこれからハローウィン」程度になってしまったのではなかろうか。

このように考えてみると、我々日本人が現在持っている社会規範とは、何ともフワフワとしていて頼りない、時と共にうつろう根無し草のようなものだとつくづく思ってしまうのである。

要するに、現代日本の最大の問題点とは、西欧のキリスト教、中国の皇帝のような、その社会の基盤となる国民の共通概念が存在せず、この国をこれからどうするのかという議論の収束点が一向に見えてこない点なのだろう。これこそが河合氏が指摘していた「日本における父性原理の欠如」そのものなのである。

かっては国が疑似的な父性原理として「天皇制」を国民に強制的に押し付けて来た。今さらその復活を図るような動きがあってはならない。新しい父性原理は、我々の中から自発的に形成されるものでなくてはならないのである。

 

以下、少し脱線する。

河合隼雄氏が「日本は母性原理に基づく社会」だと述べたのは主として1970年代においてであったが、最近の日本ではその母性すらも希薄化してきたような気がしないでもない。

筆者は、最近国内で頻発している無差別大量殺人事件の背景について強い関心を持っている。犯人に関する報道を詳しく調べてみると、彼らの育った環境の共通点として「母親の不在」が挙げられるように思う。

例えば、先日死刑が執行された2012年の秋葉原での事件の犯人だが、彼は名門高校受験のための勉強を強制する母親の言いなりになって育てられた。彼の家には父親役は実の父親も含めて二人いたが、母親役は不在だったようだ。

2019年の京都アニメーション放火事件の犯人は、両親が離婚した九歳以降は父親だけの家庭で育っている。今年の七月に発生した安倍元総理に対するテロ事件の犯人は、既に再三報道されたように、母親を実質的に統一教会に奪われた環境の中で成長している。まだ十分な数を調べているわけではないが、今後さらに他の例も調べてみたい。

全てを受け止め包み込んでくれる母親の存在があってこそ、子供は自己肯定感をはぐくみながら成長することができるのだが、母親、もしくは母親の代わりになる人物が不在の状態では、子供が自己肯定感を心の中で育てながら成長することは相当に困難だろう。

「元々、自分はこの世に無用の存在」と自己卑下しながら成長してきた人物が、ある時点で「自分以外の周囲も巻き込んでの集団自殺」に踏み切る可能性が高いであろうことは想像に難くないのである。

元々から父親不在で、生きる上での指針をいつまでも自己の内部に確立できないでいる我々日本人が、さらに自分の存在を全肯定してくれるはずの母親までも失うようでは、我々の社会の未来がさらに暗たんたるものになることは確実だろう。話が脱線してしまったが、この問題はもっと真剣に考えなければならないと思う。

 

さて、「神との契約」の西欧、「皇帝による絶対支配」の中国、「タコツボ的小集団の集合体」である日本について述べて来たが、日本と同じく母性原理の社会であるベトナムの社会規範とはいったい何だろうか。結論を先に言えば、それは「ムラ」なのではないかと思う。詳しくは次の節で述べたい。

 

(3)ベトナムはなぜアメリカに勝てたのか?

ベトナムに対する一番の疑問は、あの激しかったベトナム戦争の中で超大国アメリカを撃退できた理由は何だったのかということだ。今回の訪問ではベトナム戦争に直接関係する展示を見たわけではなく、この点が相変わらず不明のままだったので、帰ってからポツポツと調べてみた。その結果を以下に書いておきたい。なお、調べるにあたっては以下の文献を参考にした。

「ベトナムの歴史 -wikipedia-」

中公新書 「物語 ヴェトナムの歴史」第13版 小倉貞男 2020年

朝日文庫 「ベトナム戦記」 開高健  1990年

 

おおまかな理由としては、以下のようになると思う。

① 中国からの約二千年間にも及ぶ絶え間ない侵略と支配の波の中で、ベトナム民族は侵略者に対する抵抗方法(主としてゲリラ戦)を十分に習得してきた。


② 19世紀後半からのフランス植民地化の時代に過酷な支配を経験した結果、独立への要求が高まった。


③ 武力でフランスを追い出したにも関わらず、その跡にアメリカが入って南部を自国の衛星国化したことで、南北統一の機運がさらに高まった。


④ 社会構造面では、ベトナムの社会を構成する最小単位である各村落は、伝統的に強固な自治的組織であり、村民自らが共同で運営していた。このことが各村落を侵略者に対する抵抗拠点として重要な存在にした。


⑤ ベトナムの社会では、中国社会のように上層民と下層民とが明確に分かれてはおらず、中国から独立した後の初期の王朝の創始者は農民や漁民の出身であった。頻繁に王朝が交代するたびに各階層が混じり合ったために貴族層などが明確に形成されることもなく、社会全体としての平等感・一体感が持続的に保たれる傾向があった。

 

①については、「ヴェトナムの歴史」を読んでいると、あまりにも中国からの侵略が数多いので、同じ戦いについて何度も繰り返して読んでいるような錯覚を覚えるほどだ。前半の約一千年間の「北属期」の間だけでも、ハノイを中心とする北部では中国が派遣した支配者に対する大反乱が十回程度は発生している。

ベトナムがようやく中国の支配から脱出することができたのは10世紀の初頭、当時の唐王朝の力が衰えてからであった。以後、19世紀にフランスに支配されるまでに王朝は何度も交替したものの、たび重なる中国からの侵略に対してはその都度撃退してきた。

また、中国との抗争の中で強化された軍事力を中部のチャンパ王国や南部のメコンデルタを支配していたカンボジアに振り向けたことで、領土拡大(南進)を徐々に進めていった。

②のフランスの植民地時代には、フランスから派遣されるインドシナ総督の個人的性格しだいで支配の過酷さには強弱があった。

最も過酷な支配を行ったのが1987年に総督に就任したドウメである。各種税の税率を引き上げ、官製アルコールの摂取を国民に強制し、塩やアヘンの専売化も実施した。また農民から強制的に土地を奪って、勝手にフランス人植民者に分配した。これらの政策によってベトナム農民の困窮化、都市流民化が進行し、フランス支配者に対する憎悪が高まっていった。

ドウメの統治によってインドシナ総督府は莫大な利益を挙げるようになったが、この統治方法を高く評価し自国の植民地統治の参考にしたのが、当時の日本の明治政府であった。

④に挙げたように、中国の侵略を撃退する原動力となったのがベトナム社会の基盤を構成する村落、中でもそれが持つ自治の形態にあると考える。この千年近い独立期におけるベトナムの村落の構造は次に示す図のようになる。

(「物語 ヴェトナムの歴史」P138 より転載)

村落の周囲は竹林で囲まれて外部の田畑との境界を兼ねており、村の外に伸びる道にはそれぞれに門が設けられていた。村の中心には集会所があり、さらに仏教寺院と祖先の霊を祭るためのいくつかの祠堂・廟があった。

ベトナムの全ての土地と人民がいずれかの村に所属しており、生活の大半は村とその周辺で営まれていた。田畑の収穫物の多くは自家消費され、余剰分が村落共同体に納められ、さらに政府への貢ぎ物となった。村が管理する水田の中の公有地の部分は基本的に皇帝の所有地であり、農民が分担して米を生産して国に納めた。

各村落は基本的には住民の自治にゆだねられ、長老の集まりである評議会によって運営されていた。「村の慣習・掟は皇帝の法律に勝る」と言われており、政府の権力は村の自治の内部には及ばなかった。

中国の各王朝の支配下の村落においても、個々の村民のレベルまで直接に政府から支配されてはおらず、村落内部の問題解決は住民の自治に任されていた。ただし、ベトナムの村落が持つ自治権の範囲は、中国の村落が持っていた範囲よりもかなり広かったようだ。

中国の皇帝は、全国各地に派遣した役人が税金をしっかり取り立てて中央に送って来さえすればよいのであって、支配の末端の村落の内部にまでその力を及ぼそうとすることはなかった。この伝統的な支配形式は20世紀の国民党政権に至るまで続いた。

国民すべてに政府の支配力を及ぼすことを計画し、各種のプロバガンダを活用してそれを実行したのは、毛沢東共産党政権が中国の歴史上で最初であった。現在の習近平政権に至っては、IT技術を活用して全国民の行動と思想までをも監視する世界史上初の監獄国家を完成しようとしている。

自分のアタマで考えたい優秀な人間ほど、このような環境には耐えられずに国外へと移住することになる。その結果として社会のイノベーションが阻害され経済は停滞し、中国は傲慢な皇帝と無気力で奴隷化した人民しかいない国へと先祖返りすることになるだろう。ちょうど今のロシアのような。

上記の⑤に関して付け加えれば、独立後の初期の王朝では、貴族は普段は農村で暮らして自ら農作業も行い、用がある時だけ宮廷に出仕するという生活を送っていた。独立期の半ばごろからは上級階層には儒教が普及し、中国にならって科挙制度も始まったが、世襲による貴族層が誕生するようなことは無かった。

中国では、現代に至っても「孔子諸葛孔明の三十数代後の子孫」と自称する家系が存在する。

筆者は、かっては仕事の関係で韓国企業の人たちと一緒に酒を飲む機会が何度もあったが、酔いが回った彼らからは「自分の先祖は両班(ヤンバン、李氏朝鮮時代の貴族層)だった」という自慢話をよく聞かされた。「韓国人全員の先祖は全てが貴族か?」と思ったものである。

儒教の影響が強い中国や韓国では父系の系図が大事にされて来たが、ベトナムではそのようなことはほとんど無かったらしい。この点ではベトナムと日本とはよく似ていると思う。ベトナムの社会は元々から階層差が少ないフラットな社会であったようだ。

社会格差の大きい国が外国から侵略を受ける場合、侵略者側は必ずと言っていいほどに被侵略国の階層間の分断を助長しようとする。侵略する側は、少数の上級階層に利益を与えて買収することによって味方に引き入れ、圧倒的多数の下層階級による侵略者に対する反抗を彼らによって抑圧させようともくろむ。19世紀の中国では、外国勢力と結託して利益を得ようとした商人層を「買弁」と呼んで批判していた。

現代のアフリカやアジアなどの貧困国においても、これら買弁商人やそれと結託した政府幹部が国を支配している例が未だに多い。開高健による「ベトナム戦記」を読むと、ベトナム戦争当時の南ベトナムも典型的な「買弁層が支配する国」であったことがよく判る。

前線では米軍兵士、農村出身の南ベトナム軍兵士、北ベトナムの支援を受けたベトコン(南ベトナム解放戦線兵士)が血みどろの戦いを続けている一方で、南ベトナムの首都であったサイゴン(現ホーチミン市)では政府関係者や買弁商人たちが連日連夜のパーティーやドンチャン騒ぎを繰り広げていたそうである。彼らはアメリカから流れ込んできた援助金や戦略物資を流用しては大盤ぶるまいを続けていたのである。

1965年当時、開高氏はすでに「これではアメリカが負けるのは当然だろう」とアメリカの敗北を予想している。また彼は「サイゴン以外の南ベトナムの農村はおそろしく貧しい」とも書いている。貧しいのは当時の北ベトナムも同様だったろう。

圧倒的多数の国民が平等に貧困であり、かつ買弁層になり得る上級層がごく少数にとどまり社会の基層をなす村落への影響力を持てなかったことが、ベトナムがフランスに続いてアメリカも追い出せた一因となったのではないだろうか。

開高氏は、米軍と南ベトナム軍による拙速かつ愚かな作戦が、かえってベトコンの勢力拡大を招いたとも書いている。一説によればベトコンの中の共産主義者の割合は1~2%に過ぎなかったそうだ。

あるベトナム僧の言葉を以下に引用しておこう。「農民とベトコンは誰にも区別できません。ベトコンが一人、二人、入ったか入らないかという情報で軍隊が出動し、ナパーム弾や大砲を撃ち込んで無差別に殺します。その結果、生き残った農民はベトコンに走ります。」

この状況は、ちょうど現在のウクライナでのロシア軍の愚劣な戦い方にそっくりである。ロシア軍による住民の無差別殺戮、拷問、強姦、誘拐の結果、ロシア系の住民すらをもウクライナ側へと追いやってしまっている。やはり、民衆の心を理解していない軍隊が戦争に勝てるはずもないのだ。

上に挙げたベトナムが勝った理由の①~⑤には載せていないが、このように米国指導者層が当時抱いていた反共思想とベトナム社会の現実との間に大きなズレがあったことも、ベトナムの勝利の理由というよりも、米国の敗退の原因として挙げておかなければならない。

いわゆる大国の指導者層が、現地の現実の把握を怠ったままに自分たちで勝手につくりあげた妄想のとりことなって無謀な戦争を仕掛けるのである。過去のヒトラー大日本帝国軍部、現在のプーチン等々、その種の例は歴史上に数多い。

 

さて、ベトナム戦争の話題から戻り、ベトナム社会の特徴である母性原理についてもう少し付け加えておきたい。最初に指摘したように、ベトナムはアジアの中では女性の社会的地位が一番高い国である。、ベトナムの日常生活においても女性的な優しさに触れる機会が多いようだ。一例としてベトナムの「助け合い文化」についての記事を紹介しておこう。

「ベトナムに息づく「自然体の助け合い文化」」

このような助け合い行動は各宗教に共通してみられるが、仏教では「喜捨」と呼んでいる。仏教国のベトナムでは、このような習慣が日常的な行為として幅広く根付いているようである。

母性原理社会も良いことばかりではない。このような社会が持つ欠陥についても述べておきたい。

母性原理社会では「とにかく皆が生きる」ことを最優先する結果、社会内部の契約がしばしば無視されがちになる。契約の一種である法律も、その内容が社会の実情に合わない場合には個人の判断で平気で無視されることが多い。ベトナムの社会に収賄・贈賄等の汚職が根強くはびこっているのはこれが主因だろう。ベトナム国内では汚職対策法が何度も改正されているにも関わらず、その効果はあがっていないようである。

以下にベトナムに進出した日本人の法務関係者の苦労を紹介しておこう。

「ベトナム進出企業の駐在員がベトナム労務で困るワケ」

契約を軽視する社会では、いったん合意した事業計画もあとでその内容が頻繁に変更されることになる。ベトナム企業を相手に事業を展開する場合には、この点に注意する必要があるだろう。

 


(4)外国人労働者の国内導入について

数年前、鳥取市にも外国人向けの日本語学校が開設された。そのためか、最近では市内のコンビニなどでベトナム人らしい名前の名札をつけた外国人店員を見かけることも多くなった。ベトナムのことを取り上げたついでに、日本への外国人労働者導入に関する問題についても簡単に触れておきたい。

結論から言えば、筆者は、「日本人よりも低賃金であるから」との理由で日本企業が外国人労働者を導入することには反対である。理由は、より安い賃金で働く人間をつれて来ることで延命しようとするような企業は、せっかくの生産性向上の機会を逃し、近い将来にはどっちみちつぶれてしまうことになるからである。

現在人手不足に悩んでいる企業は、まずは生産性を向上させてより少ない人数で仕事量を維持する努力をすべきだろう。低賃金の外国人を連れて来てその場しのぎをしているようでは、OECD加盟国中の順位が年々低下の一途をたどっている日本の生産性がさらに落ち込むことは避けられない。

「低下の一途…ニッポンの労働生産性に上昇への道筋はあるか、専門家たちの見方」

2005年頃、中国の工場労働者の平均賃金は日本円で月二万円程度であった。それから15年以上経った現在、彼らの賃金は当時の三~四倍にはなっている。

中国リスク回避で製造業の中国からの移転先となることが多いベトナムは、現在、高度成長期の真っただ中にある。筆者がハノイに行った2019年当時、ベトナムの工場労働者の賃金については、15年以上前の中国のそれとほぼ同程度の月に二万円前後だろうと自分なりに推定していた。中国と同様、十数年後に現在の数倍になることは確実だろう。

2019年2月時点と現時点の2022年10月とで外国為替相場を比較すると、この間に日本円は米ドルに対して33%下落、ベトナムドンに対しては31%下落している。要するに、ベトナムドンは米ドルに対してこの間に約2%しか下落していないのである。ベトナムでの賃金上昇率が高いことも含めれば、日本円に換算したベトナムの工場労働者の平均賃金は、この三年の間に二万円から五割増の三万円程度に増えたものと推測される。

「月三万円なら、まだまだ十分安いじゃないか」という人もいるだろうが、ベトナムから日本に働きに来る際には、彼らは多額の借金をして、仲介業者に百万円とも二百万円とも言われる多額の仲介料を既に支払っていることを忘れてはならない。ベトナム人が日本に働きに来ることは、同時に個人的に大きなリスクを背負うことも意味している。

次の記事を読むと、韓国の方が日本よりも渡航にかかる費用は低く、肝心の給与では韓国は日本よりも高いそうである。韓国では、民間の仲介業者を排除して政府が直接管理することで外国人労働者に対してよりリスクが少ない就労場所を提供できている。日本も韓国の制度に学ぶべきだが、例によって日本政府の腰は重いままであり、現状放置を続けている。

「問題だらけの「技能実習制度」…外国人労働者受け入れについて「韓国」に学ぶべきこと」


次の記事は、一人当りGDPが七千米ドルを超えると、その国からは労働者が日本に働きに来なくなるというものである。ベトナムは2027年にこの水準に到達すると予測されているが、直近の円安によってこの時期がより早くなる可能性はかなり高い。

おまけに日本には「日本語という強固な障壁」が存在する。日本語を勉強しても日本でしか就労できないが、英語を勉強しさえすれば、日本よりも給与が高い、オーストラリア、シンガポール、香港、米国、カナダ、英国、さらには英語を話せる人が日本よりも多い欧州や韓国等で働く道が開ける。給料が安く、かつ他の国では役に立たない日本語の習得が要求される日本に働きに来たいと思う外国人が今後減って行くのは、当然予想されることなのである。

「進む円安、細る外国労働力 ドル建て賃金4割減」

経営者が「外国人だから、給料は日本人よりも安くてよいはず」などと考えている企業は、近い将来、廃業することになるだろう。

/P太拝