「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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ゼロコロナ政策を撤廃した中国の行方は?

一昨日夜のWカップの決勝戦、アルゼンチン対フランスの試合は本当にすごかったですね!特にサッカーファンというわけではないが、日本代表の試合は時々見てはいるものの、あんなに一瞬たりとも眼が話せない試合というのは、今までに一度も見たことが無かった。

延長の末にPK戦でアルゼンチンが36年ぶりの優勝を果たしましたが、フランス代表も十分に優勝に値する熱戦でした。それにしても、PK戦という仕組みは何とも残酷。高校ラグビーで前例があったように思うが、「両者優勝」という選択肢があってもよいのでは・・。

さて、風力発電について色々と書いて来たこともあり、今後望まれる再生可能エネルギーについてもう少し詳しく書きたいと思っていますが、なかなかまとまらない状態。この話題はいったん棚上げして、今回は先週突然にゼロコロナ政策を中止した中国の今後の行方について考えてみたいと思います。

 

(1)各国の新型コロナの現状

世界の中では、ゼロコロナ政策をかたくなに堅持して来た中国だけが未だに国民の中での免疫保持者の割合がかなり少ないものとみられる。その行方を考えるための基礎データとして、ひさしぶりに各国の現在の感染状況を調べてみることにした。(Our world in data  Coronavirus Pandemic (COVID-19) よりデータを引用)

感染発生以来、過去約三年間の主要国の陽性者数と死者数の累積の推移を下に示す。陽性者の中には二回以上感染した人も少数はいるだろうが、以下のデータでは人数としてではなく感染回数のみを数えて陽性者数としているようだ。

 

図-1 各国の累積検査陽性者数の推移(図、表はクリックで拡大、以下同様。)

図-2 各国の累積死者数の推移

これらの図を見ると、各国を二グループに分類してよいと思われる。インド、ベトナム、英国のようにオミクロン株が蔓延し始めた今年初めの段階で感染拡大がほぼ止まった国と、日本、韓国、ドイツ、米国のように現在でも感染拡大が続いている国である。

 

次に、上のグラフの今年12/16時点でのデータから計算した陽性者中の死亡率、全人口に対する陽性率、死亡率と、各国の医療水準を示すデータとをひとつの表にまとめてみた。上のグラフに表示されていない国も含めている。各指標の上位三カ国を赤色太字で示した。

表-1 各国の陽性者中死亡率、全人口に対する陽性率・死亡率、医療水準指標

 上のグラフと表を見て気づいた点を以下にあげておこう。

・フランスや韓国のように国民の半数以上が既に陽性となった国がある一方で、インドのように陽性率が3%に留まっている国もある。これはインドでは感染者が少ないということではなく、インド政府が今年の春の段階で積極的な感染者検出を放棄したためだろう。

昨年春のインドでは、死者の激増で火葬が間に合わず棺桶用の木材が奪い合いになるという惨状となったが、昨年末には一転して国民の皆がマスクをせずに談笑している光景が報道されていた。インド国民のほぼすべてが陽性者となって集団免疫が成立したために、今年に入ってからは感染対策が不要になったことは明らかだろう。

・インドと同様に英国、フランス、米国等も既に集団免疫が既に確立済みと推測される。これらの国ではワクチン接種も順調であり、その効果も寄与しているのだろう。

・ドイツや米国では未だに陽性者数が漸増しているが、これには初期に感染またはワクチン接種を受けた人が、免疫が低下したことで感染力の強いオミクロン株に再感染した事例がかなり含まれているのかも知れない。

・東アジアの日本、韓国、台湾では、初期の感染対策が世界的に称賛されたものの、それゆえに未感染者の割合が他国よりも多い状態に留まっていた。感染力が強いオミクロン株が新たに登場したために、今になってから未感染者やワクチン効果が薄れた人への感染拡大が続いている状況なのだろう。

ベトナムもインドと同様に今年に入ってからは感染拡大が止まっているが、全人口に対する陽性率は12%と低いままである。インドと同じく積極的な検査を既に放棄しているのかもしれない。また同国は共産党一党独裁国家でもあり、中国ほどではないにせよ意図的に操作した情報を公表している可能性もある。

・中国については、累計陽性者数が人口が自国の60分の1の台湾のさらに約5分の1に留まるという異常な数字であり、「無症状者は陽性者としてカウントしない」という方針がその通りに実施されたとしても(この方針自体、コロナ対策上は問題)、到底実態を反映している数字とは思えない。

中国政府が発表する数字は、下の例に見るようにその多くが実態を反映しないフェイクデータであると思ってよいだろう。このような事例が頻発する原因については後でまた触れたい。

「中国人口は本当に14億人?…14歳以下で出生データに差、水増し疑惑」

「夜の明かりを調べれば独裁者の「経済成長」のウソがバレバレとの研究結果」

 

・医療水準との関係については、陽性者中の死亡率と千人当たりの病床数の関係は明らかだろう。病床数の多い日本、韓国、ドイツ、台湾では陽性者中の死亡率が低く、病床数が少ないインド、ブラジル、英国、米国では高い。ただし、東アジアでは変異株が死亡率が低いオミクロン株になってから陽性者が激増したことも考慮に入れる必要がある。

 

(2)日本での各波ごとの死亡率の変化

上の表-1では、感染発生以来の累計陽性者と累計死亡者から死亡率を計算した。現在は世界中でオミクロン株による感染が主流となっているが、各変異株ごとに死亡率が変わってきていることは明らかなので、この点も調べておく必要がある。

現在の日本国内では感染の第8波が拡大中だが、感染当初からの日ごとの新規陽性者と死亡者の推移は以下のようになる。図-4の図中に示した数字は第〇波の番号。

 

図-3 日本の新規陽性者数(人)/日の推移

図-4 日本の死亡者数(人)/日の推移

第6波以降はオミクロン株が大半と推定されるので、第5波以前とそれ以降の各波ごとの陽性者数と死亡者数とを調べた。

陽性者のピークと死亡者のピークの間には2,3週間のズレがある。このため各波間のボトムの位置(陽性者または死亡者が最低となる日付)を調べて、隣り合うボトムにおける累積数の差をその波における陽性者と死亡者の総数と見なすこととした。

結果は以下の表のようになる。第8波はまだ収束に至っていないため、直前のボトムから今月12/16までの累積値を仮の値として採用した。

 

表-2 各波の死亡率

第8波は未確定で参考値だが、オミクロン株では従来株よりも死亡率が一桁低くなっている。第5波以前についても同様にして死亡率が算出できるはずだ。一般へのワクチン接種が出来なかった第1波から第3波までは、死亡率は1%よりもさらに高かっただろう。

なお、中国当局が先日に手のひら返しをしてゼロコロナ政策を撤廃したのと同様に、最近は国内でも「オミクロン株はもはや風邪のようなもの」と表現する人も出てきた。日本では年間で推定一千万人がインフルエンザに感染しているそうだ。

インフルエンザが原因で死亡する人の割合が次の資料に出ているが、60才以下ではインフルエンザの死亡率はオミクロン株とほぼ同じ、60才以上ではオミクロン株の四分の一程度とのこと。高齢者に関しては、やはり風邪よりもかなり危険性が高い。かからないにこしたことはない。

「新型コロナウイルスと季節性インフルエンザの重症化率等について(厚労省)」

 

私的な話になるが、筆者自身、おそらくは第七波で感染したらしい。推測で語るのは、症状が治まってかなり経ってから、あれはオミクロン株に特有の症状だったと気づいたからである。

今年八月の末にノドに痛みを感じるようになり、特に朝起きた直後にはかなりの痛みを感じた。日中は特に気になるほどの痛みではなく夏風邪を引いたくらいに思っていたが、コロナかどうかが少し気になったので毎日体温を測ったものの、毎回36℃台半ばの平熱であった。37℃を超えたら関係機関に相談しようと思ってはいたが、結局一度も超えることは無く、ノドの痛みも一週間ほどで収まったのでそのままにしていた。

九月の末に会った友人が自分と同じ時期に陽性判定されていたと聞き、その症状を確認したら自分と全く同じであった。その後、九月頃に陽性になった知人数名と会う機会があったが、誰に聞いても自分とほぼ同じ症状だった。いずれもノドが痛くなり体温は最初に若干上がったものの、あとは陰性判定が出るまでほぼ平熱だったそうだ。ノドの痛みは人によってかなり差があり、「耐えきれない痛みだった」と表現する人もいた。

ワクチン接種については、筆者は今年四月上旬に三回目を接種、五か月後の九月に四回目を受けようと思っていたのだが、結局は色々と忙しくてそのままにしている。「もうかかったから抗体はかなりできているはず」と思って接種四回目を先延ばしにしている面も確かにある。ただし、やや不安に感じることもあり年明けに接種に行こうかどうしようか思案しているのが現状である。

なお、筆者が症状が軽くて済んだのは、自分としては「免疫を強化するビタミンDの摂取に努めたからだろう」と勝手に思っている。当ブログの以前の記事でも紹介したが、「ビタミンDを多く含む魚を食べて日光に当たる」というのは確かに免疫力の強化に有効なようだ。コロナ禍以前から、筆者は肉よりも魚・大豆でたんぱく質を摂取することが多く、かつ、雨の日以外は、ほぼ毎日のように戸外で過ごす生活を送っているのである。

下にビタミンD関連の記事をいくつか紹介しておくので、ご参考。

「ビタミンD不足が寿命を縮める 総死亡リスクが6倍増」

「日本人が知らない「ビタミンD」不足の怖さとは」

「新型コロナウイルスービタミンDによるCOVID-19対策」

 

余談だが、最近読んだ記事の中で気になるものがあったので今後の参考とされたい。今年はオミクロン株の流行で成人の死亡率が減少する一方で、子供の死亡率は激増しているという内容だ。

「健康な子の死亡、後絶たず オミクロン株流行で」

「わが子にはワクチンを打たせたくない」という親が多いとはよく聞くが、子供のコロナ対策としては、やはりワクチン接種こそが最優先で選択するべき道だろう。日頃は健康であっても急に突然死する子供や成人は、今回のコロナ禍の発生以前から常に一定の割合で存在しているのである。

たまたま接種直後に突然死したからと言って、それを直ちに接種行為自体と安易に結び付けてよいものだろうか。「ワクチン接種は危険」と主張する人たちは、まずその主張の根拠を数字として明確に示すべきだろう。

 

(3)中国の新型コロナの行方は?

今回の本題に入ろう。その前に「集団免疫」について少し述べておきたい。

「集団免疫-wikipedia-」によると、構成員が均質でかつ互いに十分に接触し合う集団での感染拡大が止まる割合P0は次の式で計算できる。

P0=1-1/R0

ここでR0は、ある個人が平均で何人に感染させるかを示す値で平均基本再生産数と呼ばれている。第五波の主流であったデルタ株ではR0は最大で4、オミクロン株では10程度だろうとされているようだ。ちなみにインフルエンザでは最大で1.8とのこと。

「オミクロン株の基本再生生産数・実効再生産数はどれくらいと推定されるか?」

仮にR0=10とすればP0=0.9、つまり、最終的には90%の人が感染してようやく感染が止まるということになる。上に述べたように、筆者のようなほぼ無症状のままに感染したであろう人もかなりいるだろうから、表-1に示した現状も合わせれば日本国内では既に五割弱程度の人が感染済ではなかろうか。

 

今後、オミクロン株が中国でも蔓延した場合には、長い時間を経た後には全人口の大半が感染するだろうと予想される。陽性者の死亡率は、少なくとも病床数が世界トップクラスの日本や韓国よりは高いだろう。

なお、上の表-2で日本国内の各波ごとの死亡率を示したが、これは公式に認定された陽性者数を分母として計算した値である。実際には筆者のような軽症または無症状の陽性者がかなりいるはずだからその補正が必要であり、無症状者も含めた真の死亡率は表-2の値よりもかなり低いだろう。

表-1を見ると韓国の対陽性者死亡率は日本の約半分、人口比の陽性率は日本の約2.5倍となっている。これは韓国の陽性検査が日本よりも徹底しているためだろう。日本の真の対陽性者死亡率は表-2の値よりも低く、韓国のそれに近い値だと思われる。

さて、仮に中国の全人口14.25億人の数字が正しいとして、その八割がオミクロン株に感染、陽性者の死亡率を0.2%と仮定すると、予想される死亡者の全体数は228万人となる。極めて多いように見えるが、中国の通常の年間死亡者は2022年に1055万人と推測されているから、その四分の一弱ということになる。

死亡者数が平年値の五割や十割増までに至れば隠蔽は困難だろうが、この程度の増加なら政権側の情報操作で隠し通せるのかもしれない。そもそも、政権自身もそうなのだろうが、それを批判する側にも、中国全国から正確な死亡者数を集計し、その総合計の信頼度を確認したうえで公表できるだけの能力はないだろうから。

「中国 租死亡率」

ここ数日、中国のコロナによる死者数が来年は百万人を超えるだろうという予測が相次いでいるが、上で計算したように、長期的に見ればそれよりもさらに多くなるのではないだろうか。

「ゼロコロナ緩和の中国、来年に死者100万人超える恐れ=米研究所」

さらに、医療体制も、有効なワクチンも不足している現在の中国国内の状況なのである。陽性者の死亡率は0.2%よりもはるかに高くなる可能性がある。また、日本や韓国ではかなりの社会的規制を維持しながら約三年間かけて現在に至っているが、中国では今までの厳格な規制を今回一気に取り払ってしまった。今後しばらくは医療崩壊の状態が続くだろう。死者が二百万人どころではすまない可能性は高い。

ただし、これから発生するこのコロナ禍による中国国内全体の大量死者数については、大躍進や文化大革命の時と同様だが、今後正確な数字が公表されることになるとは到底思えない。政府が真の数字を隠蔽するからというよりも、そもそも各地から上がって来る数字が信用できず、政府上層部が正確な数字を把握できないだろうからである。

政府のトップが政策も人事も一人で決める独裁体制の元では、各層の官僚は自分の昇進に有利になる数字しか上部に報告しないはずだ。GDPや人口の減少、コロナによる死者数の増加を上に正直に報告すれば自分の評価が下がることになる。彼らには正確な数字を報告しようとする動機がもとからないのである。

日本でも、安倍総理-菅官房長官体制下で内閣人事局が幹部級の官僚人事を一手に握るようになってからは、「忖度」と言う言葉が流行するようになった。国会で平気で百回以上もウソをつく国税庁長官まで現れる始末だ。

日本ではたかだかこの十年程度だが、中国では秦の始皇帝以来の二千年以上に及ぶ官僚の阿諛(あゆ)とへつらいの伝統があり、忖度にも年季が入っている。この悪習を撤廃するためには権力の各層への分散が不可欠だが、仮に習近平がそれをやったとしたら、今までに追放して来た連中に逆に寝首をかかれかねない。習政権の当面のコロナ禍への対処としては、地方政府に対策決定権を丸投げして中央政府の責任を回避するとともに、国民への情報統制を一層強めることになるだろう。

せめて死亡率を日本や韓国並みに抑えるためには、外国からのワクチンの緊急導入が不可欠だが、習政権にそれができるだろうか?これができるかどうかで今後の習政権の体質と方向がかなり見えて来るように思う。

仮に、習のメンツまるつぶれにはなるが、方針転換してファイザーやモデルナのワクチンを輸入するようであれば、習政権の今後の危険度は相当程度やわらぐことになるだろう。しかし、このまま自国製の効力が乏しいワクチンを使い続け、情報操作と情報隠ぺいで政権のメンツを守りながらこの難局を切り抜けようとする可能性の方がはるかに高いだろう。習政権のメンツ重視の姿勢が明確になれば、その分だけ台湾侵攻の可能性もさらに高まることになる。

独裁政権が自分のメンツにこだわった結果、当の政権のみならず国自体も滅んだ例は歴史上にあまたある。

1941年、米国は日本への全面石油禁輸に踏み切り、さらに日本政府にハル・ノートを突き付けて中国と仏印(現ベトナム)からの日本軍の全面撤兵を迫った。既に日中戦争は泥沼化して先が見えない状態になっていたが、天皇と政府の許可を得ることもなく勝手に中国との戦争を始めた日本陸軍は、あくまで自分たちのメンツを守ろうとしてこの米国提案を拒否。その結果、こちらから先制攻撃する以外には勝ち目はないということになり、日本は米国との全面戦争に至った。

プーチンが始めた現在のウクライナ侵略も、この1941年における日本陸軍の状況にそっくりである。この今の状況が今後も続けば、プーチンの排除だけでは済まず、ロシアという国の解体という可能性すらも出て来ることになるだろう。

自分のメンツにこだわり続けて妥協を拒否した独裁者、または独裁政権が、いずれは徹底的な敗北を喫することになるのは歴史が証明するところだ。習近平の運命は、この先一、二年の彼の出方しだいで決まることになる。

 

(4)中国の政治・経済の行方は?

「鼓腹撃壌」という中国の四字熟語がある。この言葉は紀元前89年に成立した「史記」に載っているから、少なくとも二千年以上前の春秋戦国時代にはすでに存在していた言葉なのだろう。

筆者は、中国人の政治に対する姿勢がこの言葉の中に集約されていると常々感じている。以下、この言葉の由来となった原文の口語訳の一例を示しておこう。

 

老人有り、哺を含み腹を鼓し、壌を撃ちて歌ひて曰はく、
「日出でて作し、日入りて息ふ。
 井を鑿ちて飲み、田を耕して食らふ。
 帝力何ぞ我に有らんや。」

(以下、口語訳)

ある老人がおり、口に食べ物をほおばり腹つづみみをうち、足踏みをして土を踏み鳴らし、調子を取りながら歌って言うことには、

「日が昇れば仕事をし、日が沈んだら休む。
 井戸を掘っては水を飲み、畑を耕しては食事をする。
 帝の力なぞ、どうして私に関わりがあろうか、いやない。」

「『鼓腹撃壌』 書き下し文・わかりやすい現代語訳」

「仕事も食べ物もふんだんにあって、日常生活が楽しく順調である限りは、政治を意識することはない。誰が皇帝になろうが、自力で生きている自分には関係ない。」という意味である。わが身を振り返ってみれば、我々日本人もこの点では似たようなものだろう。

ただし、中国人が我々と異なるのは、その順調な生活がいったん破綻して食えなくなってしまえば、その途端に大規模な対政府反乱を過去に何度も起こして来たという事実である。

バブル崩壊以降の約三十年間で政権交代はわずか三年間だけ。国政選挙の投票率は年々低下が続き、実質賃金も低下する一方なのに、たいして文句も言わずにコツコツと働き続けている我々日本人とはずいぶんと違うのである。

歴史上の中国王朝はいずれも大規模な農民反乱によって滅亡した。蒋介石中華民国政府は上海・浙江省の資本家集団に支えられてきたが、圧倒的多数の農民を味方につけた毛沢東に追われて台湾島に逃亡した。

現代中国では農民層は既に人口の半分以下に縮小し、元農民出身の都市に住む中間層が世論形成の主体となっている。彼らの最大の関心事は仕事と衣食住の確保である。衣食住が保証されている限りは、不自由を強いられるゼロコロナ政策にも従順に協力して来たのだが、住宅バブルが崩壊し大卒者が就職難にあえぐ昨今の状況となっては、そろそろ堪忍袋の緒が切れる時期が近付いているのだろう。その前兆が先月末に発生した若年層による「白紙運動」なのだろう。

「白紙運動」自体が先日の「ゼロコロナ政策の撤廃」の主な原因になったとは思えない。政府は各地で増加するオミクロン株による感染増加を以前から把握していて、このままでは到底抑えきれないと判断して政策撤回に至ったのだろう。

ある程度の期間中は自由に批判させておいて、反政府運動の首謀者のリスト一覧をつくっておいてから一挙に弾圧するというのが中国政府の常套手段である。1956年の「百花斉放百家争鳴運動」、1989年の「天安門事件」、言論弾圧により2020年に幕引きを迎えた「香港の民主化運動」等々、その前例には事欠かない。

新型コロナまん延による死者の増大だけで中国の政治が一気に転換点を迎えるとは思えない。しかし、今後も住宅バブル崩壊、欧米を主とする外国資本の撤退、失業率の増大がさらに深刻化することはほぼ確実だろう。習近平がこのまま強権発動を続けるのか、それともどこかで妥協して若干の軌道修正をするのか、日本を含む世界の安全保障と経済とに大きな影響を与えるであろうことは間違いない。

 

なお、あまり考えたくないことではあるが、ひょっとしたら習政権はオミクロン株の蔓延をむしろ歓迎しているのかもしれない。感染まん延で死亡する者の大半が高齢者である。中国の急速な少子高齢化が確実である現時点では、高齢者人口が大幅に減ることは社会保障費の大幅削減をも意味しており、国力の増大のためにはむしろプラスなのである。ゼロコロナ政策の撤廃とは、実は現代中国版「姥捨て山」政策の開始を意味しているのではなかろうか。

日本を含めた先進国では到底ありえない政策選択だが、なにしろ数年前までは「一人っ子政策」を国民に強制していた国なのである。「国民の人権」という概念が存在しない国なのである。西側の民主主義国と異なり、中国の政権は「国民に対するサービス提供」のために存在しているのではない。まともな選挙制度が皆無な中国では、「国民は時の政権にコントロールされ、収奪されるために存在している」のである。

中国人は「人間はみな平等で等しく権利を有する」とは考えない。「人間は支配する側と支配される側の二種類に分かれる」というのが中国の伝統的思考法である。

支配する側の人間とは、かっては皇帝と彼を取り巻く科挙に合格した官僚層であった。現代中国では、中国共産党書記長と彼を取り巻く厳しい資格審査に合格した共産党員とがそれに相当する。それ以外の国民は政治的には支配層によって操られ収奪される対象にすぎないものの、彼らは生活に困窮しない限りは「鼓腹撃壌」の日常生活に結構満足している。

筆者のこの「高齢者人口を減らすためにゼロコロナ政策を撤廃したのでは?」という疑問が根拠のあるものであるかどうかは、今後の中国の政策の推移を注視することで明らかになっていくだろう。筆者のこの危惧が空振りに終われば幸いである。

 

最後に、再びサッカーW杯の話題を取り上げたい。この一か月間、時々ではあったが日本代表の試合を中心にいくつかの試合を観戦していた。この間でもっとも印象に残ったのが日本がPK戦で敗退したクロアチア戦であった。ちょっと著作権的な問題があるのかもしれないが、当時の記事の中から写真を一枚転載しておきたい。

 

「「ダイゼンは親友、彼を思うと悲しい」涙の前田大然を抱擁して話題のクロアチア代表DFが心中を明かす「ゴールを祝福した」【W杯】」

 

このクロアチアの選手はPK戦の直後、勝利に歓喜する仲間に加わる前に、号泣する前田選手を抱きしめに行った。彼と前田選手とはスコットランドセルティックに所属するチームメイト同士なのである。

上に習近平政権を批判する内容を色々と書いたが、自国や他国の国民の人権を無視し大量殺害すら行う政権と、その国の国民とを同一視してはならない。戦争は、相手国の政権と国民とをひとまとめにして見下すか、丸ごと敵とみなした段階で既に始まっている。その政権下の国民はむしろ政権の被害者であることが多く、政権とは厳然と区別すべきである。

戦争や迫害を止める要素は、根本的には国境を越えた人と人とのつながりの中にしかない。自国の中だけに閉じこもっていないで、数多くの国と交流して友人や共に働く仲間を世界中にたくさん作ろう。上の一枚の写真は、国境を越えた共感や友情がいかに大切であるかを教えてくれている。

/P太拝