「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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「見えた 何が 永遠が -立花隆 最後の旅 完全版-」を見た

明けましておめでとうございます。

新年なので、おめでたい話題を書きたいところですが、どう考えても、このままでは日本という国の衰退は止まりそうにない。箱根駅伝じゃないが、我が鳥取市なんぞは、その衰退レースの先頭グループを走っていると言ってよかろう。

多分、ある程度の不安を感じてはいても、自分の尻に実際に火がつくまでは腰を上げようとしないのが我々日本人の特性らしい。かしこい国の国民は事前に危機を察知してハンドルを切ることができるのだが、どうやら我々は、崖から墜落し始めてから初めてブレーキを踏みハンドルを回そうとするタイプのようだ。

筆者ごときが何を書いても今さらどうなるものでもないが、せめて自分のアタマの中を整理するためにも、今年も当ブログを書き続けようと思っています。

 

さて、一昨日、1/3の夜にNHKBSで「見えた 何が 永遠が -立花隆 最後の旅 完全版-」を見た。立花隆氏は昨年四月に80才で亡くなられた。筆者は氏の著作を何冊か持っていて、NASAの宇宙飛行士にインタビューした「宇宙からの帰還」と、臨死体験者の体験談を集めた「臨死体験」が特に記憶に残っている。亡くなられたのを残念に思っていたこともあり、興味を持ってこの番組を拝見した。

交流のあったNHK記者が語り手となり、遺言で「蔵書は一切売ってしまう事、遺体はゴミとして捨てること」とした理由は何だったかというのが、この番組のメインテーマだった。

彼の膨大な蔵書は有名で、約五万冊の蔵書を収納するために三階建ての通称「猫ビル」を建てたくらいだ。蔵書を全部売ってしまった理由は筆者にはよくわかる。蔵書は自分の著作を完成させるための材料・資料でしかないので、自分が死んでしまえばもう用はないからだ。書籍はそれを読む人がいてこそ価値があるのであって、記念館などに死蔵されては本自体も死ぬことになる。古本屋に売ってしまうのが大正解だったろう。

また彼の遺体についてだが、結局は火葬したのちに樹木葬となったらしいと思わせる映像が番組の最後に出て来る。筆者自身も樹木葬にしたいと以前から思っているのだが、そうすると両親の墓参りをする人がいなくなってしまうだろうから、自分は親の墓に入るしかないのである。

番組の前半では彼の緻密な調査手法について、特に「田中角栄研究」に関係した当時の調査スタッフの証言を交えながら紹介していた。

番組の後半部では、終末期の患者を看取る「野の花診療所」を鳥取市内で運営されている徳永進医師を訪れた立花氏の映像も出て来た。

「最後に言い残すことは何ですか」との立花氏の問いに、末期患者の女性が「自分は学歴も無く、特にこれといったこともして来なかった。自分には、いままで世話になったみなさんにありがとうと言うしかない。ありがとうと言えればそれで本望です」と答えられていた。本当にその通りだと思う。

立花氏は番組の最後の方で「人間の特徴とは、一世代が獲得した知識を文字を通じて次の世代に伝えられること。他の動物にはこれができない。彼らは遺伝子を次代に伝えるだけだ。この特徴によって人間の急速な進化が可能となった。自分が、サル学、科学技術(特に宇宙科学や人工知能)、臨死等に強い興味を持ったのも、この進化の過程を深く知りたいと思ったからだ。」と話されていた。(概要をまとめただけなので、必ずしもこの通りに話されたわけではない。)

「人類がさらに進化を続けることによって、世界は融合してより素晴らしいレベルに到達できるだろう」とのことだった。

英語では遺伝子はゲノムだが、ミームという言葉も最近では聞くことが多い。これは1970年代に生物学者リチャード・ドーキンスが使い始めた概念で、「個人の脳から脳へと伝達可能な情報総体」という意味である。

立花氏の人生とは、結局は、このミームを数多く創造して次世代に伝えていく過程であったのだろう。彼の残した著作と映像こそがミームそのものに他ならない。近いうちに、約三十年ぶりぐらいに氏の著作を読み返してみたいと思った。昔に読んで感じたこととは、また違った結果が得られるかもしれない。

野の花診療所の徳永さんについては、筆者の母親がファンだったようで同氏の著書を数冊残していったが、残念ながらざっと目を通したくらいでまだしっかりと読んではいない。終末期医療に関する内容が主なので、自分もその時期にさしかかってから読めばいいのかなと思っている。

なお、2010年3月にとりぎん文化会館小ホールで立花氏と徳永氏の対談が開催され、筆者も参加した記憶がある。開催直前に行ったら無料のこともあって既に会場は満員、二時間ずっと立って話を聞いた。

当時は日記をつけていなかったこともあり、残念ながら対談の詳しい内容は忘れてしまった。覚えているのは、自身のガンのことを語る立花氏が実に明るい表情であったこと、徳永氏と冗談を言い合っていたこと、会場参加者の過半が女性だったこと(介護、看護関係の方なのかもしれない)くらいである。

さて、徳永さんはいまどうしておられるのだろうかと思って、久しぶりに野の花診療所のブログを覗いて見たが、2021年10月以降は更新されていない。お元気なのでしょうか。

特に個人的に面識がある訳ではないが、自分もいつかお世話になりたいと思っていたので、今後もずっと御活躍していただきたいものである。

/P太拝