「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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働き方改革の中味って?

 春になってあれこれと忙しくて、しばらく投稿をサボっていたが、久しぶりに記事を書いてみました。

 連休も終わり国会審議も再開される見込み。森友・加計問題も気になるが、以前から疑問に思っていたのは「働き方改革」という法案の中味だ。

今までの経過を整理しておこう。この法案も安倍内閣のほかの無数の虚偽答弁と同様に、官僚がねつ造したデータに基づく法案であったことが今年二月に発覚、審議どころではなくなってしまった。

ウソの連発に対して野党が審議拒否するのは当然だ。これまで国会でウソをついてきた官僚や政治家どもを厳罰に処して再発防止を徹底してからでなければ、まともな国会審議は再開できないはずである。産経・読売による組織的ネガティブキャンペーンに押し切られてしまった今の野党は、腰が弱いというほかはない。どうせまた以前と同様に、国会の場で平気でウソをつく官僚や与党議員どもが、毎日ゾロゾロと登場しつづけることになるだろう。

さて、今年四月に厚労省が改めて出しなおした法案の概要が下のサイトに載っている。働き方改革の実現に向けて 厚労省

この中の概要をざっと読んで気になった点を挙げておこう。

・従来、一年のうち六か月間については上限なしだった時間外労働に、一般的には年間を通じて上限を設けた。(→ この内容は評価してよいと思う。ただし、研究開発業務従事者等については上限なしという例外規定は問題である。)

・「高度プロフェッショナル制度」を創設する。少なくとも一千万円以上の年収を有し高度の専門的知識を必要とする業務に従事する場合には残業代を払わないという制度。 (→ 「本人の同意や委員会の決議等を要件とする」と書いてあるが、もっと明確に、「本人の同意が得られない限り、この制度を適用してはならない」と書くべきだろう。)

そもそも、日本の企業の実情から見て、年収一千万円を超える労働者を一般労働者とみなしてよいのかという問題がある。中小企業ならまず課長職以上の管理職、大企業でも課長職以上かその目前のポジションが普通だろう。課長に昇進して管理職になれば、労働組合から抜けて残業手当が支払われなくなるというのが日本の大半の企業での通例である。

電気関係のメーカーに長年在籍していた筆者の経験によれば、課長の年収よりも、残業手当の付く組合員である主任・係長クラスの年収のほうが多いというケースはざらにあった。これが理由で課長昇進の内示に難色を示す主任サンもかなりいると聞いたことがある。年収一千万円以上であり、かつ残業手当も受け取っている労働者の割合は、現状では極めて少ないといってよいだろう。

さて、管理職と言っても管理職待遇というだけで部下を持たない管理職や、部下が二、三人と少数の管理職が大企業や中小企業を問わずどこの会社にもたくさんいるのが今の日本企業の実態である。残業代を支払いたくない会社が、意図的に「部下なし、又は少数部下の管理職」を量産するケースも多いのだろう。いちばん過重労働を強いられているのがこのクラスの労働者(課長も労働者であることには違いがない)なのではないか。今回の「働き方改革」法案は、この抜け穴に対しては何の効力も持っていない。この法案の内容を批判している連合などの労働側も、「名ばかり管理職」は組合員ではないという理由から、対策は現状、何も考えていないみたいだ。

そもそも、「管理職に昇進したから残業手当は無し」というのは正当なのだろうか。この点について調べていたら、次の解説を見つけた。

これを読むと、法律の定めるところにより残業代のつかない「管理監督者」と、企業が独自に定める部長・課長等の「管理職」とは全く別の概念であることがわかる。いわゆる課長職であっても、その勤務実態しだいでは堂々と残業代を請求してもよい。

そもそも、法律上で残業代を受け取れない「管理監督者」とは、日本の企業の実態を踏まえれば、役員クラス以上に限定されるだろう。「管理職に昇進した以上は残業代はあきらめるしかない」という今までの常識は、法的には極めてあいまいなグレーゾーンにあるらしい。「働き方改革」では、まず、この「管理職の残業問題」を真っ先に取り上げるべきではないか?

(より詳しい解説が次のサイトに載っていました。現役の管理職の方は参考にしてください。自分の勤務実態と照らし合わせることで、残業代を受け取れる可能性も出てくると思います。


さて、過重労働の具体例について言えば、筆者の経験では、いちばんウツ病が頻発していたのが、この「名ばかり管理職」のクラスであった。日本の電気産業はバブル崩壊までは順調に右肩上がりだったが、1990年代に入って停滞、ついで急速な衰退がはじまり、2000年代に入ってからは海外勢との競争も激化。リストラが相次ぐ職場では精神的余裕というものが全然なくなってしまった。

 

1990年代後半からはウツ病で休職する社員が現れ始め、今世紀に入ってからはドッと増えた。特に、三十代から四十代初めの課長に昇進して間もない層がウツになりやすかった。筆者が主に所属していた職場は製品開発部門であり、数人のチームで一つの製品を担当、大体は若手の課長職がチームリーダーになるという構成であった。

上からの強い圧力が、このリーダーに対して集中的かつ日常的にかけ続けられ、耐え切れなくなって休職に至るというのが典型的なパターンであった。上司に叱責され、当初の予定納期にも追われ、深夜まで会社に居残って仕事をしても残業代は全然つかない。挙句には、家族との関係も悪化してしまうというのが大方の事例であった。これから国会で論議される法案の内容では、この実態を救うことができないことは明らかである。

話は変わるが、新しいアイデアとは会社に居る時だけで生まれるものではない。技術開発業務の経験者として言えることは、自宅でも会社でも朝から晩までずっと考え続け、風呂やトイレの中でも、布団に入ってからでも考えている状態が続いて、初めていいアイデアが生まれる。寝る前に枕元に紙とペンを置いておき、ウトウトしているうちにふと発想が浮かんで、あわてて起きてメモを取るということもあった。

自分で自発的に、自由に考えている時であれば、一日中考えていてもちっとも疲れないものである。こういう時は実に楽しくてしようがない。これが上司に強制され、スケジュールに追われながら、なんとかアイデアを絞りだすことを強いられる立場になると、たちどころに苦痛に変わってしまうのである。この状態がずっと続くと、ほぼ例外なく、さらに長期的なウツ状態に落ち込んでしまう。

労働者にイノベーションを期待する場合には、本人の自発性が高いことが大前提であり不可欠である。労働時間の縛りをなくする代わりにある程度の高報酬を得るのか、労働時間に応じた残業代を受け取れるようにするのかは、あくまでも労働者本人の自由な意思に任せるべきだと思う。

筆者は日経新聞を読むことが多いが、日本の財界の主流意見を代弁しているこの新聞の最近の主張は、原発の早期再稼働と、「高度プロフェッショナル制度」の早期実現である。日本の大企業の首脳連中は、残業代を極力削って目先の利益を上げることしか考えていないのではないかと疑いたくもなる。「同一労働同一賃金」の徹底と、「残業代の有り無しを自由に選択できる複数労働制度への移行」こそが、日本経済復活のカギではないかと思う。(いささか、おおげさですが・・)

ところで先月あたりから、街でリクルートスーツを着た学生をよく見かけるようになった。あの真っ黒な、学生服みたいなスーツは、いつの間にあんなに広まってしまったのだろうか?筆者は、あのスーツを見るたびに、「この人たちは、空気を読んで周りに合わせることばかり考えて育ってきたのだろうな。五時に帰るつもりでいても、職場で周りが残業していたら自分も合わせるんだろうな・・。」と思ってしまうのである。
若者が自分の好みや都合すらも自己主張できないようでは、この国の将来はまことに暗いものがある。

/P太拝