「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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中国の不動産バブルの崩壊はいつ来る?

先週、中国関連の記事を数本立て続けに読んでいて、住宅価格の推移に注視していれば中国の今後の行く先が見えてくるのではないかと思うようになりました。以下に各記事を紹介しておきます。

 

(1)「中国人はなぜお金持ちになったのか…都市部世帯の持ち家は平均1.5軒」

 この記事の内容を要約すると、

① 中国の都市部住民世帯の住宅保有率は96%。一世帯平均で1.5軒の住宅を保有
 (なお、ここで言う「都市部住民」とは都市戸籍の所有者であり、都市部に出稼ぎに来ている農民戸籍者は含まれていないと思われる。次の資料によれば、2020年時点での都市戸籍保有者は全人口の45%の約6.4億人、都市に住む農村戸籍者は15%の約2.2億人、残りの40%、5.7億人と推定される。

 一世帯の構成人員が三人と仮定すると、中国全体の世帯数は4.8億世帯。都市戸籍者が保有しながら自分では住んでいない住宅戸数は約1.0億戸。その半分が都市に住む農村戸籍者に貸しだされているものと仮定すると、約5千万戸が空き家のままとなっていることになる。

「中国が「戸籍取得制限」を緩和…各都市の取得条件と取得状況」

② 中国人が住宅取得に熱心なのは、自分が住むためではなく投資が目的。過去二十数年間、住宅価格は急激な上昇を続けてきた。今の中年以降の中国人には、不動産は絶対に上がるものという信仰がある。

 日本でも1980年代後半のバブル最盛期の頃には、「土地を買っておきさえすれば絶対に儲かる」という人が大勢いた。最近の中国の状況はその時期の日本によく似ている。

③ この住宅価格高騰の発端は、1990年代の国有企業民営化でそれまで住んでいた公営住宅が個人に払い下げられたことにある。

 筆者は'00年代から仕事で頻繁に中国に出張するようになったが、取引先の人と話すと、以前は国有企業に勤めていたが、民営化で解雇されて起業したという人が多かった。苦労はしたのだろうが、その一方で、民営化のおかげで生まれて初めて自分自身の個人財産を手に入れた人もたくさんいたようだ。

 2010年代に話題になっていた「中国人による爆買い」の主人公は、この住宅価格の値上がりに伴う転売によって多くの利益を得た人たちなのだろう。勤務先からの給料だけで外国に行って爆買いできる人は、あんなには多くは無かったはずだ。

 今後、住宅価格の上昇が止まれば、今までの中国人の海外旅行熱も一気に醒めるだろう。コロナ収束後のかってのインバウンドの再現も期待薄となるわけで、日本経済にとっても他人ごとではなくなるのだが、その肝心の住宅価格の先行きがあやしくなって来ているというのが次の記事。

 

(2)「中国で「住宅格差」が深刻化、バブル再燃の上海と沈みゆく地方都市」

 この記事を書いた姫田さんも、最初の記事の筆者の中島さんも、かなり以前から主に中国で活動している女性の華人圏ウォッチャーである。お二人ともに中国の庶民レベルの人々との付き合いが長く、肌で感じた中国社会の変化を詳しく書いてくれる。とかく硬い内容になりがちな男性ウォッチャーのレポートに比べれば別の視点であり面白い。

 さて、この記事の要約は以下のようになる。

① 地方ではコロナ禍でローンが払えなくなって売りに出された住宅が急速に増えているが、上海や北京など大都市では住宅需要は高く、依然として値上がりが続いている。

② コロナ感染を避けて欧米などから帰国する留学生が急増中。彼らの多くは高度人材を優遇する上海などの大都市で就労・起業する。これが上海の住宅価格を押し上げる大きな要因となつている。

③ 上海とは対照的に、沿岸部の浙江省温州市では2011年の住宅バブル崩壊以来の人口流出が続く。他の地方都市も似たような状況となりつつある。

 温州の住宅バブル崩壊直前に当時の新聞報道を読んだ記憶がある。確か、温州市内の平均住宅価格が市民の平均年収の数十倍という異常な状況と書いてあったように思う。ローンの返済に収入の大半を吸い取られ、広い新居で貧困生活を送っている若夫婦の話が載っていた。

 筆者は上海には出張で何回か行ったが、2011年に訪れた時、地元の人から「上海で結婚するためには、男の側が日本円で三千万円程度は持っていなければならない」と聞いたことがある。この三千万円の大半は、要するに彼が所有し夫婦の新居となるはずの住宅の評価額に他ならない。

 現在の上海の住宅価格(現在の平均価格は1平方mあたり約3万元=約48万円)は十年前の約二倍になっているから、現在では六千万円程度の財産を持っていなければ結婚できないことになる。三十才前後の若者が自力で準備できるはずもなく、大半は両親や親戚が工面するのだろうが、それにしても何ともすさまじい話である。日本の若い男性諸君、「新婚後の住まいが賃貸アパートでもかまわないわ」と言ってくれる日本の女性たちを、もっと大事にするべきだと思うぞ。

 なお、上に挙げた上海の場合はかなり特殊なケースであり、他の地方では花婿に要求される条件はずっと低いらしい。ちなみに、中国人男性は日本人男性に比べてはるかに家事に協力的であり、料理が得意な男性も多い。特に上海人男性は女性に対して優しいとも聞く。中国人男性と結婚したい日本の女性は、まずは上海に行ってみるのがよいのではなかろうか。ただし、筆者の見立ては、あくまでも「中国住宅バブルの将来の崩壊は必然的」なので、その辺は自己責任で判断されたい。

 最近の中国の住宅価格の推移を見ると、都市人口(例えば上海市戸籍であっても、農村部に住んでいる市民はこの中には含まれない)が一千万人以上の上海、北京、深セン、広州の一線級都市では依然として上昇。上の記事が例として挙げた温州はやや特異な例であり、その他の都市人口一千万人以下の都市(各都市名については、上の(1)の①に紹介した「中国が「戸籍取得制限」を緩和・・・」の記事を参照されたい)は大体は横ばいで推移している。

 四つの一線級都市の都市人口を合わせても中国全人口の4.7%でしかないので、大都市だけを見て「中国の住宅価格は依然として上昇中」と判断するのは間違いのもとになる。中国全体としては、住宅価格は当面は横ばいというのが正しい見方ではないだろうか。

さて、この先はいったいどうなるのだろうか。次の記事は、住宅需要を支えるべき若年層が最近は就職に苦労しているという内容だ。

(3)「中国で就職難民「大量発生」…エリートを待ち受ける「苛酷すぎる下放政策」」
① 2019年時点での中国の大学進学率は53.8%、2021年の想定卒業者数は909万人で、日本の卒業者数の約15倍と推定。
 ちなみにここでの大学の定義は、四年制大学、大学院、短期大学の全てを含む。詳しくは「世界の大学進学率 国別ランキング・推移」のページの中の、「解説全文を表示する」をクリックされたい。

② 2020年大卒者の推定就職率は20%、卒業者中の約八割の就職浪人が職を求めている現状。これに、さらに2021年新規大卒者を加えれば1600万人以上の求職者が発生するが、今の状況のままでは大量の就職浪人(少なくとも1200万人)が発生する見込み。

③ 北京大学の研究者によれば、都市部の就業人口を5億人とみて、昨年6月の調査によれば、その20%の1億人が失業していると推定される。この現状では就職浪人1200万人の就職は非常に困難。

④ 大卒者の就職難に対する対策として中国政府は「新時代の上山下郷」政策の奨励を開始した。これは文化大革命時代の下放政策の再現版であり、知識人層を半強制的に辺境地区に送り込もうとするものだが、約50年前ならともかく、現代の大学生が政府の指示に素直に従うとは到底思えない。

 この記事からわかるのは、新規住宅購入を期待されている若年層の大半が、住宅購入資金を稼ぐどころか就職することすらままならないという現実である。近い将来、住宅需要が急減して中国全土で住宅価格の下落がはじまることは確実だろう。

 デジタル化の波は世界共通であり、特に中国はいち早くその波に乗って、既に日本よりもかなり先を行っていることは日々の報道でご存じの通りだ。事務・企画部門の生産性は急速に向上している。昔の日本でいうところの、ホワイトカラーに相当する部門の求人需要は細るばかりである。デジタル化で製造部門の生産性も著しく改善しており、作業者はもちろんのこと、能力のあまり高くない技術者層もリストラの対象となりつつあるのではないか。

 米中対立の影響もあって、中国の「世界の工場」としての地位が揺らぎ始めてはいるものの、中国国内の工場現場では優秀な作業者への需要はいまだに強いようだ。しかし、中国では、大卒者が工場現場の作業者や販売店の店頭に立つことは常識的にはありえない。

 かって大卒者が同世代の数%に過ぎなかったことや、儒教の二千年以上に及ぶ影響もあり、高い教育を受けた者は直接手を汚すような仕事はしないのが当たり前という社会的雰囲気がある(この辺の雰囲気は、同じく儒教圏であった韓国も同様)。彼らの両親も、将来、そのような職位につくことを期待して苦労しながら子息を大学にまで行かせたのである。このような親の期待と社会的価値観もあって、同世代の半分を超えるようになった大量の大卒者の行く先がなかなか見つからないようだ。

 思い出すのは、筆者が一番最初に中国の自社系列工場に出張した際、工場長(日本人)にまず注意されたのが、「工場内を歩いていてゴミを見つけても、絶対に拾ってはいけない」ということだった。理由は、「この工場ではゴミ掃除専門の担当者を雇っているので、その人の仕事を奪うことになる(これは安価な労働力が豊富にあった約二十年も前の話)。何よりも、周りの人間から、その程度の仕事をする人物かとお前が見下されることになる」とのことだった。

 当時、大手取引先の日本国内の工場で部下数千人を指揮する工場長が、自社の社内報に「自分は毎朝、工場内を回りながら煙草の吸殻などのゴミを拾っている」と自慢しながら書いていた記事も思い出す。この工場長氏、日本では称賛されるのだろうが、中国で同じことをやったら見下されることは確実だ。日中両国の仕事に対する価値観はこれほどまでに違うのである。

 たいていの日本人は、建前だけなのかもしれないが「本来、人はみな平等」と思っているようだ。中国人は「人には生まれつき能力差があってあたりまえ。その結果として待遇が著しく違うのも当然のこと」と思っている。昔は科挙という名の官吏選別試験で能力差を判定していた。現在は最終学歴で能力差を判断しているようにみえる。

 中国の大学には厳然とした序列があって、そのランキングは国が決めている。中国の都市も同じ省内の都市の序列を国が決めていて、車のナンバープレートを見ればどの町から来た車なのかがすぐわかる。とにかくどんな業界や団体でも、メンバーの序列がはっきりと眼に見える形で存在しているのが中国という実にシビアな世界なのである。逆に、公式の序列が存在しない場合には、序列をめぐっての争いがひっきりなしに起こり、混乱するばかりで仕事が前に進まないのだろうとも考えられる。この序列志向主義が消えない限りは、中国で欧米や日本並みの民主化が実現する日は永遠に来ないような気もする。

 本題に戻ろう。中国の経済成長率が低下し若者の失業率が増えることで中国の不動産バブルがはじける日もまじかに迫っているようだが、その打撃を受けるのは都市住民だけではなく地方政府(日本でいうところの自治体)も同様である。中国の地方政府の収入の約半分は土地使用権の売却によるものと言われている。既に開発した土地が売れなくて多額の負債を抱えている地方政府もかなり多い。地価が下落すればさらに打撃となる。

 次のサイトによれば、中国の地方政府を含む政府全体の負債は対GDP比で52.6%、世界92位とまだ健全なレベルである。政府を批判するメディアの存在がほとんど許されない国なので、この数字自体もマユツバものだが、世界一位の日本の238%を大きく下回るレベルには違いない。

「世界の政府債務残高対GDP比 国別ランキング」

 とはいえ、国内の景気維持のために、つくればつくるほど営業赤字を垂れ流すだけの高速鉄道網をさらに延伸することや、米国への対抗上、軍事費がさらに増大することもほぼ確実だ。生産を中国一国に頼ることへの警戒感が世界的に高まっているので、今後の外国からの投資も今までのように順調には伸びないだろう。

 今後、経済の不振でまともな職につけない市民、特に若者層の不満が高まり社会が不安定化しても、1989年の天安門事件のような抗議行動が直ちに再現されるとは思えない。都市部のいたるところに監視カメラ網がはりめぐらされ、どんなメールも全て検閲可能な社会では、政府非公認の団体の活動は基本的に不可能だろう。ただし、次のようなパターンでの抗議行動の広がりはあり得るのかもしれない。

 前任者の胡錦涛総書記の時代には、現在の習近平時代に比べれば、中国国内にはまだしも民主化への期待があった。報道の自由もある程度は許されていて、各地の反公害運動などの報道もネットや新聞で紹介されるようになってきていた。

 一例として2012年に発生した上海の少し北にある南通市での市民によるデモ(中国語では「群体制事件」)に関する記事を紹介しておこう。この記事自体は日本人によるものだが、当時中国にいた筆者も、この事件に関する現地のテレビ報道を見たような記憶がある。

「啓東デモから日本企業が学ぶべきこと」

 この事件は、南通市に工場を建設しようとした日本の王子製紙が、その処理した排水を目の前の長江ではなく、90kmも離れた黄海に面する啓徳市までパイプで輸送・排出しようとしたことに抗議して、多数の啓徳市民が啓徳市役所を占拠した内容であった。特に相手が日本企業だからというわけではなく、自分たちの生活基盤が侵害されることへの抗議から発生したものだが、当時はこのような環境汚染に反対するデモが中国各地で頻繁に起こっていた。

 自分の権益が侵された場合、中国人は相手が誰であろうと直ちに抗議しようとする。彼らの行動は、権威に対してはとりあえずは従順であろうとしがちな多くの日本人とは全く異なる。

 この当時は、2013年から習近平が最高指導者の地位につくことが既に確定していたが、当時中国で働いていた日本人の間には「習近平政権になればもっと民主化が進むのでは・・・」とのいくぶんの期待感があった。ところが、習近平時代になってからの民主化勢力への弾圧強化は既にご存じのとおりだ。あのように一見穏やかそうで表情を変えない、自身の本心を決して見せようとしないタイプの人物の本質を読み取るのは、本当に難しいものがある。

 個人や団体による散発的抗議を圧殺することは簡単だが、一つの都市住民の大半が抗議に立ち上がるとなると、地方政府も何らかの妥協をせざるを得なくなる。まして中国各地の都市で大多数の市民が参加するような自然発生的抗議活動が同時に発生した場合には、いかに強権的な中国共産党政府といえども対処するのは非常に困難だろう。市民の大部分が政府に対して強い不満を持つのは、自分たちの経済的生活が危機にさらされた時である。住宅価格の暴落、失業率の増加、物価の急騰、等々がその候補となる。

 中国人は理念では動かないが(冷静に見れば、我が国も含めて大半の国の国民も同様だが・・)、経済面では極めて積極的に行動しようとする。過去の中国の民主化運動が知識人の運動だけで終わり全て失敗してきたのは、民衆の抱える経済問題とのリンクがほとんどなかったからだろう。

 過去の高度経済成長の時代には、多少の不満があっても、自分が努力すればいつかは豊かになれるはずという希望があった。自分がいくら努力しても報われないと思うようになった段階からは、市民の不満の対象は社会のシステムに、最終的には政府へと向かう。歴史的には、外敵の侵略を除けば、歴代の中国王朝は農民反乱の激化によって滅亡していた。今の中国では、都市の中間層がそのカギを握っている。

 昨年11月のアリババの子会社上場計画への中国政府介入事件に見られるように、習近平政権は民営大企業すらも中国共産党体制の敵とみなしはじめた。アリババの分割国有化も話題にのぼるようになってはきたが、国有企業がイノベーションを担えるはずもない。技術的・システム的価値の創造は、権力を傘に威張り散らす役人や政治家のもとでは決して生まれない。そのことは、例えば、今の日本政府のコロナ対策のお粗末さを見ても明らかだろう。

 価値の創造は、自由かつ多様な議論と、互いの人格や身分の批判・評価までには絶対に踏み込まない、あくまで議論の主題のみに関しての相互批判とが保証された環境の中でしか生まれないのである。現在、習近平がアリババに対してやっていることは、自分で自分の首を絞めているに等しいと思う。これでは、中国経済の成長がさらに鈍化することは必至である。

 今後、中国経済の停滞が始まれば、中間層と企業経営者層の政府への不満が、火山噴火前のマグマ上昇の如く高まることも必至だろう。習近平体制の崩壊は意外に近いのかもしれない。中国の住宅価格の動向は、その時期を事前に検知するセンサーとして相当有効であるように思う。

/P太拝