「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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三代ごとに政府が潰れる国(1)-年表の比較-

近頃、よく聞くのが「今の時代は戦前によく似ている」という話。そこで最近の出来事と戦前のそれとを比較してみようと思い立ちました。この二か月ほどの間、暇な時に少しずつ調べて表を作成。下に示すのがその比較年表です。

表-1 江戸時代末期、明治~昭和前期、昭和後期~令和の比較年表

 「下の年表の拡大はこちらをクリック!」

以下、この年表の説明。中央の列は1868年の明治維新から1945年の敗戦までの78年間、右側の列が1946年から2022年までの77年間、左側の列は江戸時代末期の80年間の主要な出来事を示す。

鎖国していた江戸時代は、外国との関係が強まった明治以降とはサイクルが違っていて当然だが、政権の末期に共通して起こる現象を比較したいがために載せた。これらの三つの期間を10年ごとに区切り、主要な出来事を列挙した。

また、年表中の太字部分について、赤の太字はその当時の日本国内における主な傾向を示す。緑色の太字は当時の世界における傾向。発生年に続いて記載した青色の太字は主な自然災害を示しており、その大半が大規模な震災によるもの。

震災の規模としては死者三千人以上のものを記載した。また日本海溝南海トラフでプレートの移動によって定期的に発生する巨大地震については、死者が三千人未満であっても記載した。

この比較年表を見ると、明治~昭和前期と昭和後期~令和の二つの期間では、多少のズレはあるもののよく似た経過をたどっていることがわかる。

期間の開始後の約二十年で国の基本形がほぼ形づくられ、次の約三十年間で国力は大いに発展する。開始して五十年が過ぎると停滞期に入り経済状態が悪化、格差が拡大して社会不安も増加し、様々な事件が頻発するようになる。

二つの期間の違いは、前者がもっぱら軍事大国を目指して武力を背景に植民地を増やしていったのに対して、後者では軍事力は米国の庇護にまかせて自身は経済面に注力し経済大国を目指したという点である。

江戸時代末期と昭和前期においては、いずれも戦争によって当時の政権構造が崩壊した。現在の政権構造はどのようにしてその最後を迎えるのだろうか? それとも、徐々に衰退しながらも、今の形のまま何とか細々と生きながらえるのであろうか。

震災もこの年表各期の後期から末期にかけて頻発する傾向があるが、これは南海トラフ巨大地震の発生周期が80~150年であることとかなり重なっているためだろう。

江戸期から今日までを見ていくと、約50年間は地震が少なく、次の約50年間は地震活動が活発になるというサイクルを繰り返しているように見える。1995年の阪神淡路大震災以降の現在は地震の活発期に入ったという見方が専門家の間では一般的であり、あと20~30年はこの活発期が続くのだろう。次の南海トラフの巨大地震の発生によって今回の活発期はいったん終息するのではないだろうか。

さて、江戸期の徳川幕府天皇主権の大日本帝国とに共通するのが、政権が崩壊する前には既に政府財政が破綻状態となっていたという事実だ。これは世界各国の政権崩壊時にも共通する現象であり、ローマ帝国、中国の唐代・明代・清代、大陸から台湾へ逃げ出した蒋介石中華民国旧ソ連、独立以降にデフォルト(政府借金の踏み倒し)をじつに九回も繰り返したアルゼンチン(「アルゼンチン経済の歴史」)等々、その実例には事欠かない。いずれの例においても税収が減り、政府借金は膨らみ、政府が発行する通貨の価値が暴落するという点が共通している。


ちなみに、政府負債が現在の日本と同じくGDPの二倍を超えながらも政権の全面崩壊を回避できた国としては、筆者が以前に調べた時には唯一英国の事例しか確認できなかった。このことはかなり以前に当ブログで紹介したが、その記事を書く時に集めた資料の一部を下に示しておこう。


図-1 18世紀~現代の英国の国債残高対GDP比の推移

(以下、図はクリックで拡大)

英国で国債残高の対GDP比が200%を超えたのは1820年頃と1945年頃の二回であった。前者の主な原因は、1815年のワーテルローの戦い終結した対ナポレオン戦争での巨額の戦費にある。

この莫大な負債は、英国がナポレオン戦争後に世界的な制海権を確立し、特にインドと中国からの収奪を強めたことと、産業革命によって国内工業が急速に近代化したことによって徐々に解消されて、19世紀後半の大英帝国の最盛期であるヴィクトリア朝に至った。

一方、1945年にピークに達した英国の国債残高の大部分は第二次世界大戦の対独戦のために主に米国から調達した戦時国債であった。英国がこの莫大な負債を完全に返し終えたのが、戦争終結から実に61年も経った2006年であった。それまでの間、英国の国民は苦しい節約生活を強いられた。
「GDP比250%の政府債務を2度も返した英国」


話が少し脱線するが、17世紀から19世紀にかけての英国の富の蓄積がいかに急速であったかについては、次の図、各国の一人当りGDPの推移によっても知ることができる。一言でいえば、19世紀の英国が経済の高度成長を達成できて政府の借金を減らせたのは、武力を背景としてインドや中国から巨額の富を収奪できたからだと断言してもよいだろう。


図-2 8世紀~19世紀における各国の一人当りGDPの推移

なお、この図の17世紀における英国のGDPの急速な上昇開始は、この図の引用元のサイトによれば1665年の黒死病で人口が激減したためとしているが、当時の英国の人口は実際には若干の減少にとどまったようである。

英国は1588年にスペインの無敵艦隊を打ち破ったことをきっかけに海洋進出を加速させており、貿易の拡大によって17世紀以降の急速な経済成長が始まったというのが正しいように思う。17世紀後半からは東インド会社を介したインドへの進出を加速させており、それに伴う英国経済の急成長とインド経済の停滞・下降とがこの図からも確認できる。
英国と中国との貿易が本格化したのは、18世紀末に英国主導でインド産アヘンの中国への密輸出を始めてからのことだが、中国のGDPは既に18世紀初頭から急速な下降が始まっている。これは、おそらく18世紀における清王朝下の急速な人口増加によるものだろう。18世紀の百年の間に中国の人口はほぼ二倍に増えているのである。

18世紀から19世紀にかけての中国では、急速な人口増加に経済成長が追い付けなかった上に、さらに英国にアヘンを売りつけられたことで膨大な量の銀が国外に流出したというのが清王朝の衰退の主因だろう。

上の図によると、欧米各国による植民地化でインドと中国の経済が衰退する一方で、江戸期の日本の経済は、ゆっくりとではあるが着実な成長を続けている。

その要因としては、①鎖国政策による欧米植民地化の回避、②国内流通網の整備による各地の商品経済の着実な成長、③間引き等による人為的な人口抑制、が挙げられるだろう。18世紀半ばから明治維新に至るまでの人口は三千万人前後でほぼ停滞していたものと推定されている。

さて、本題に戻ろう。次の図は明治初期から現在までの日本の国債残高の推移を示している。

図-3 明治初期から現在までの日本の国債残高の推移

 

この図のグラフは2018年度までだが、その後の新型コロナ対策の大盤振る舞いによって国債残高は急速に増え続けており、現時点での財務省の予測によれば2022年度末にはGDPの262%に達するものと想定されている。

ここまで増えた政府負債を「借金踏み倒し」することなく減らすことができた国は、上に述べた英国以外には前例が無いと思われる。19世紀の英国とは異なり、今の日本は収奪の対象とする植民地を持っていない。従って、20世紀後半の英国と同様に、国民に節約を強要し、かつ増税を強いて、自国民から収奪して借金の穴埋めをする以外には今後政府財政を改善する手段はないのである。

それ以外の解決方法としては、上の図の敗戦直後に見るように、戦後の「新円切替」のような政府自ら自国通貨の価値を意図的に切り下げて「過去の借金の帳消し」を行うしかない。その前例は世界中に無数に存在する。

政府の借金は大幅に減るが、同時に我々が銀行に預けておいた預金の価値も国際通貨である米ドルに対して激減することになる。この手法も、要するに「国民と民間企業とが所有していた資産の政府による強奪」に外ならず、結局は増税と同じことなのである。

なお、別の機会に詳しく述べるが、明治維新の直後、明治新政府徳川幕府が抱えていた巨額の負債を一円も引き継がなかった。静岡に追いやられた徳川家には負債を返済する能力は既になく、幕府にカネを貸していた大商人は丸損となって数多くが倒産した。日本では、過去の約150年の間に「国債が紙くずと化した」現象が二度発生している。三度目は絶対に起きないという保証はどこにもない。

なお、この「三代ごとに政府が潰れる国」の記事については、上に示した年表を基本に、今後シリーズ化して政治、経済、社会等の各分野ごとに現在と過去の出来事とを比較しながら詳しく見ていく予定である。

今回は上の図に関連して、国債に関する最近の話題をあと一点だけ述べておきたい。

昨年末からの防衛費増額を巡っての議論の中で、現職の経済安保担当大臣が「増税で防衛費を増額するのなら大臣を降りる」と総理相手にタンカを切って見せた。

「「高市氏「罷免でも仕方ない」 防衛費巡る増税方針に反発」」

増税で増額しないのなら新規国債を発行するしかないのだが、はたして国債発行で得たカネを防衛費に充ててもよいものだろうか?この点について考えてみたい。

昨年夏の当ブログの記事で既に述べたように、日本、韓国、台湾の安全保障上の最弱点は、これら三か国ではエネルギーと食料の自給がほぼ不可能であるという点だ。

例えば、今の日本が自給できる食料と鉱物資源は何かと言えば、米と野菜とセメント原料の石灰岩くらいしかない。石油無しでは海の魚を獲りに行くこともほぼ不可能だ。元々、これら三か国は単独で長期の戦争を戦えるような体制にはなく、また国土の地理的な条件から、今後そのような体制を実現することもほぼ不可能なのである。

仮に日本が敵対国と緊張状態に入った場合、敵対国は最初にどのような戦略を実施しようとするだろうか。一番可能性が高いのは、実際に自国の軍隊を動かして自衛隊と交戦状態に入る前に、まず日本へのエネルギー供給網を遮断しようとすることだろう。

上記の昨年夏の当ブログの記事では「日本殺すにゃ核ミサイルは要らぬ タンカーの一、二隻沈めればよい」と書いたが、実際には船を沈める必要すらない。

日本向けに原油LNGを運んでいる輸送船の頭上に巡航ミサイルを一発通過させればそれで済む。その直後には、世界中の海運業者の日本向けの船便が一斉にストップすることになる。ウクライナ戦争の場合と同様に、ロンドンの保険組合は日本への輸送船を保険対象から外すことになるだろう。

日本国内の株式は、現在は外国法人がその約26%を保有している。これが一斉に売られて巨額の円からドルに換金されることになるだろう。当然、円は対ドルで暴落する。昭和10年代とは違って現代の世界金融業界は即座に反応する。悪いニュース一発によって、その日のうちに何十兆、何百兆円という金額が国境を越えて移動することにもなりかねない。その動きに遅れた金融機関は「ババを引いた」結果として確実に破綻することになる。

さらには日本の国債が一斉に売られることになるはずだ。現在、日本国債の外国人保有率は14%。これが一斉に売られたら、国債価格は暴落して国内金利は急上昇する。日本国債を売りたいのは国内の銀行や保険機関も同様だろう。国民から預かって国債に替えているカネをみすみすドブに捨てるようでは、銀行の信用が失墜して預金しようとする国民はいなくなるからである。

現在、既に実質的な国債の買い手はほぼ日銀だけなのだが、買い手が日銀の他には本当に誰もいなくなってしまえば、外国からは「財政ファイナンスの完成」と見なされ、日本円の信用も失われて超円安となり国内の物価は高騰する。某大臣の主張通りに防衛費を国債に依存しきってしまった場合、本格的に軍隊同士が交戦する以前に、巡航ミサイル一発で日本政府が財政破綻する可能性もあり得るのである。(仮に防衛費向けにさらに国債を積み増さないとしても、既にこの段階にまで到達しているのかもしれない。)

敵対国が国内でエネルギー自給が可能な中国やロシアである場合には、日本には最初から勝ち目はない。仮に米軍の支援を得たとしても、自衛隊と米軍が個々のタンカーまで護衛してくれるとは到底思えない。

二、三か月で国内のエネルギー備蓄はなくなる。国内各地に点在する石油やガスの備蓄基地までもが攻撃されたならば、その時期はもっと早まる。大規模停電とガソリン不足で国内の物流も工場も止まる。我々国民はやるべき仕事を失い、車や電車で避難することもできず、停電した暗い家の中で空腹のまま膝を抱えてひたすら耐えるしかないのである。

今後、いくら戦闘機やイージス艦を増やしてみても、燃料無しでは何の役にも立たない。その戦闘機やイージス艦を政府の借金である国債で買いそろえていたならば、敗北と政府破綻の後には、全く役に立たなかった兵器を買ったことでさらに増えた借金の返済という重荷が待っている。

以上に述べたようなことは、金融面の常識をある程度理解していれば、誰にでも推測可能な内容なのである。そのような想像力すら持ち合わせていない人物を、よりによって経済安保担当大臣に任命したのでは、岸田総理の見識が問われるというものである。某大臣の背後にいる自民党内の「増税反対派」も、また「増税反対」を一斉に唱えている野党も某大臣と似たようなものなのである。

ちなみに、上の図-3の中の「西南戦争」と「二・二六事件」という小さな文字は、元の図に後で筆者が書き加えたものである。1877年の西南戦争で政府負債が一気に増大したことに見るように、近代の日本では戦争をするたびに政府負債が急上昇している。戦争をしないのに政府負債が急増したのは、現在に至る「失われた三十年」が明治以降で初めてのことなのである。

1936年に発生した二・二六事件では、それまで軍の新規国債発行要求に一貫して抵抗し続けてきた高橋是清蔵相が「昭和維新」を叫ぶ陸軍青年将校によって射殺された。相次ぐ政治テロに身の危険を感じた政治家と官僚は、この事件以降は完全に軍の言いなりとなり、軍の要求どおりに軍備拡張のための国債を乱発した。その結果、この図-3に見るように国債残高は加速度的に急増し、それに並行して日本は中国、さらに米国との戦争へとのめり込んでいったのである。

現在、某大臣とその仲間とがさらに新規国債発行を求めるのなら、この先例にならって、「令和維新」のスローガンを掲げて新たなクーデターを計画されるのがよろしかろう(これは冗談・・)。

まあ、想像力と資質の問題というよりも、現代の日本の政治家が「国の行く末」よりも「自分の行く末」の方ばかりを優先して考えていることが根本原因なのかも知れない。彼らの最大の関心事は、次の選挙までのあいだに、自分の姿が選挙民の眼にどう映っているのかということでしかないのである。与党も野党も、日本の政治家の大半が既にポピュリズムに深く毒されてしまっている。

政府が「増税が必要」と言えば、国全体の危機への対応策を真剣に、かつ具体的に考えようともせずに、反射的に一斉に「反対!」と唱えることだけが彼らの習性となってしまっている。一言でいえば「政治の劣化」であり、日本の本当の危機はここにあるのだろう。上の図に見た世界史上空前の政府負債残高の根本原因も、ここにあることは間違いない。

最後に、昨日再読した本の中に面白い一節があったのでこの機会に紹介しておきたい。ベストセラーになった「超入門 失敗の本質」(鈴木博毅 ダイヤモンド社 2012年)の中で紹介されていたもので、元々は日本の終戦工作に尽力した高木惣吉元海軍少将による言葉である。

「 日本軍人(陸海軍)は
  ・思索せず
  ・読書せず
  ・上級者となるに従って反駁する人も少なく
  ・批判を受ける機会もなく
  ・式場の御神体となり
  ・権威の偶像となって
  ・温室の裡に保護された 」

(「太平洋開戦史」/高木惣吉岩波新書より)

この「日本軍人」のところを、今の「日本政治家・官僚」に置き換えてもそのまま通用するというのが哀しい。

/P太拝