「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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三代ごとに政府が潰れる国(2)-世襲政治家の蔓延-

最近は、自分の子供を公務員の要職に手前勝手に任命する政治家がやたらと増えていて、「これでも国のリーダーか、よくも恥ずかしくないものだ」と腹立たしく感じることが増えました。今の日本は建前としては民主主義国家のはずなのだが、いつのまにか「総理大臣と国会議員は世襲して当たり前」という国になりつつあるらしい。

そこで、世襲政治家の割合を調べてみることにしました。まずは国内政治家のトップに位置する総理大臣の世襲の程度を調べました。

世襲度の強弱を図る尺度として「太子党度」を定義しました。「太子党」とは最近の中国でよく使われるようになった造語です。隣国でも世襲政治家が目立つようになって来たようです。

 

(1)戦後の総理大臣の太子党度の推移

以下に「太子党度」の計算方法を述べます。

まず、総理大臣本人については、本人よりも年長の兄弟姉妹とその配偶者、さらには総理の両親とその兄弟姉妹とその配偶者、祖父母とその兄弟姉妹とその配偶者、曾祖父母とその兄弟姉妹とその配偶者の中で、日本の国会議員(戦前の貴族院議員も含む)の経験者及び国会議員でない大臣の経験者が何人いるかを調べた。

総理大臣の配偶者の親族についても同じ作業を行い、両方の合計人数をその総理の「太子党度」と定義した。
なお、各総理大臣の親族については次のサイトに依った。

「内閣総理大臣の一覧」

戦後の総理大臣計34名の就任年、太子党度、最終学歴、初職歴、家系親族を以下に示す。なお、敗戦直後に総理に就任した東久邇宮稔彦王は皇族出身ということもあり、戦後の総理の系列には含めず、後で示す戦前の総理系列に含めた。なお、総理個人の敬称は省略した。

表-1 戦後の総理大臣の太子党度・その他(下の表の拡大はこちらをクリック)

上の表から各総理の太子党度の推移をグラフ化して下に示す。なお、内閣が短期間で倒れて同じ年に別の内閣が成立した年もかなりあるので、グラフの横軸には同一年が複数個ある場合も含まれる。


図-1 戦後の総理大臣の太子党度の推移(図のクリックで拡大)

このグラフから、太子党度の観点から見れば、戦後の総理大臣の系列ははっきりと以下の三つの期間に分けられると言ってよいだろう。

第一期は1954年就任の鳩山一郎までの5名で、その全員が東大法学部の出身である。吉田、芦田、鳩山は戦前からの政治家家系の出身、残りの幣原と片山も社会の上層階級の出身である。

この第一期は、米軍の占領下でその指示に忠実に従い、かつ戦前の官僚体制をある程度維持しながら戦後処理を着実に実施して来た時期であると言える。このようにやるべき課題が上から与えられ、かつ誰の眼にもその必要性が明瞭であった時期には、事務処理能力に長けた東大出身者が政治のトップとして適任だったのかもしれない。

 

第二期は、1956年就任の石橋湛山から1991年就任の宮沢喜一までと見てよいだろう。

この時期の総理14名の特徴は、何と言っても、その大半が政治家家系の出身ではないということだ。この期になると、それまでとは違って総理の出身家庭が一気に社会の中間層にまで拡大しているのである。

この中では、佐藤栄作はその実兄の岸信介が既に議員として居るので太子党度1としたが、本人も兄と同様に東大法を出て中央官庁に就職しているから、実質的には自力でその地位を獲得したと言ってよいだろう。

池田隼人と三木武夫太子党度1だが、これは妻の父が議員だったことによるもので、本人の優秀さを見込んだ政治家が自分の娘と結婚させたという側面もあるのだろう。これらの場合も、実質的には本人が自力でその地位を得たと言ってもよかろう。こうしてみると、親族の地盤を受け継いだ真の意味での太子党と言えるのは、この期の中では最後に出て来る宮沢喜一しかいない。

また、この期のもう一つの特徴は、総理の学歴の幅が一気に広がったという点である。昭和期で初の大学卒以外の総理となった田中角栄(現代でいえば中学校2年生に相当する高等小学校卒)がこの期を象徴している。なお、田中角栄以外で非大卒で総理になった例は、現在に至るまでゼロである。

また、戦前からの総理へのエリートコースであった東大法学部卒も、この期になると14名中6名と全体の半分以下に激減している。

なお、この期の一番最初の総理である石橋湛山は、大学制度が始まって以来初の私立大学を卒業した総理でもある。戦前の唯一の私立大学出身の総理としては、5.15事件で暗殺された犬養毅総理がいたが、彼は慶応大中退であって卒業はしていない。

この第二期は日本が経済の高度成長期とその絶頂期を迎えた時期でもあり、その恩恵が広範な国民にもかなりの程度で還元された時期でもあった。経済の発展と並行して政治の在り方も多様化し、「一般家庭の出身者でも、努力次第では総理大臣にまでなれる」という夢が持てた時代であった。

 

第三期は、1993年の細川護熙から現在の岸田文雄までである。この期になると太子党度が一気に上がる。

この期の総理15名の太子党度の平均を取ると2.0となり、第二期の平均値の0.36からは飛躍的な上昇である。なお、自民党系に限れば2.2、その他では1.7でその差はあまりない。

これは野党系でも、選挙に勝って政権を奪取するためには、有名な家系の出身で太子党度が高く、社会的知名度もある程度高い細川や鳩山を野党勢力の象徴としてアイコン的に押し立てたという背景があったからだろう。

この第三期のもう一つの特徴は、かっては総理へのエリートコースであった東大法学部卒の総理が一人も含まれていないということである。この意味するところを、筆者はまだ十分に理解できてはいない。

この期の15名の中で東大に在籍したことがあるのは、東大工学部卒の鳩山由紀夫ただ一人である。その一方で、東大の代わりに早大卒が一気に増え、15名中5名を占めるに至った。「総理になりたいのなら、まず早稲田に入れ」という時代になったのだろうか。

この第三期の約30年間は、日本経済が停滞したいわゆる「失われた三十年」にぴったりと重なっている。政治における新陳代謝の停滞が、経済の停滞と正確に対応し、シンクロしているのである。

 

さて、日本のように民主主義を国是とする国で、政治家の世襲はそれ自体問題であることは一応は判るのだが、念のために、この場で改めてその問題点を確認しておきたい。

 

(a)世襲の総理には、国の制度の根本的な転換や改革はおそらく不可能

多分、これが世襲政治家が増えることの一番の問題点だろう。

政治家家系の創始者は、ほぼ自分の能力だけを頼りに政界での道を切り開いて上昇して来た。後継者が先代の後を継ぐ頃には、ある程度の支持基盤(いわゆる地盤)が既にでき上がっているはずだ。

国の政治とは、簡単に言ってみれば、国民の中の誰からより多く税金を徴収するのかということと、集めた税金の使い道をどうするのかということを議論する場に他ならない。政治権力を握った者が、自分の支持勢力をさらに固めようとして、特定の業界により多くの税金を投入する事例は毎日のニュースに見る通りだ。

また、自民党とその支持者の本質を一言に要約するならば、「ずっと政権与党で居続けたい人たちの集まり」ということになるだろう。

政策決定権を握る人たちを強く支持してさえいれば、政権と距離を置く人たちよりも税負担は軽くなり、受け取れる補助金も増えるだろう。その詳細はなかなか表面には出て来ないが、おそらく公共事業の事前情報も得やすくなるのだろう。

政権との距離が近いほど得られる恩恵も増えることは間違いない。政権与党側でも、自党の支持団体が増えれば増えるほど次の選挙での勝利は確実となり、より長期にわたって権力を独占できることになる。

このようなもたれあいの関係が何十年も続いた結果、現在の日本では自民党の支持組織が国内のあらゆる業界にくまなく存在するに至った。その支持団体の詳細は、国政選挙での自民党立候補者の経歴を、特に比例区候補のそれを見ればよく判る。

特に必要でもない公共工事の恩恵にすがり続ける土木建築業界、新型コロナ対策で明らかになった日本医師会との癒着などが代表例である。さらに経団連等の大企業はもちろん、JAなどの農業団体、中小企業団体、看護師、検査技師、左官業、建具製造業等々に至るまで、その枚挙にはいとまがない。

はては、過去からのズブズブの関係が現在問題となっている統一教会等の宗教団体もその例であるし、昔は天敵であったはずの労働組合に対しても最近は関係強化を図ろうとして接近している。

このような「八方美人的政策」を国内の隅々にまで行きわたらせ、票と引き換えに各業界にそれ相応の還元を約束した結果、現在の自民党には、時代の変化に即応して歳出配分を組み替え、重点部門に税金を集中投入するという大胆な政策転換がもはや出来なくなってしまった。蜘蛛が糸をくまなく張りめぐらせた結果、自分で張った糸に自分自身がからめとられて動けなくなってしまった状態とでも言えようか。

おまけに、給付金や商品券のバラマキ以外の政策の提案が無いというか、そもそもその種の政策を提案する能力を持たない公明党(同党は、経済成長を促進して歳入を増やそうとするたぐいの政策の提案を過去に一度もしたことはないのではないか?)と長年にわたって組んできたこともあって、歳入の可能な上限を無視して大盤ぶるまいを続けたために、国の財布はとうの昔にからっぽになってしまった。空になっただけでは済まず、現在の我が国の政府は世界史上空前の借金を抱えるに至った。

その根本原因は、目先の選挙のことしか眼中になく、将来展望も考えずにポピュリズム政策に走った自民党の体質そのものにある。その発端は、多分、竹下内閣が1988年、バブル経済の頂点の頃に始めた「ふるさと創生事業」だろう。下の記事の「黒石市こけし館」の所を読むと、我が鳥取市の河原城のことを連想してしまうのである。

「光り輝く「1億円」の悲しい末路(平成のアルバム)ふるさと創生事業」

「お前は自民党の批判ばかりしているが、野党はどうなのか。野党もダラシナイじゃないか。」との声がここで挙がるだろう。その通りである。野党も実際、ダラシが無い。

2009年8月の衆院選民主党が勝利して民主党政権が発足したが、この選挙での民主党の公約が「政権交代」だった。筆者はこの公約を見てずいぶんとあきれた記憶がある。「具体的な政策については何も言っていないじゃないか」と。

「こんなことでは、政権を取ってもすぐにつぶれるだろう」と思っていたが、案の定、内部の主張が四分五裂して、三年も持たずにつぶれた。この民主党政権とは、要するに反自民勢力の寄り集まりでしかなく、各勢力が主張する政策は最初からテンデンバラバラであった。潰れるのは当然である。

まず、基本的な思想と政策とを提示して、それに賛同する人々が寄り集まって政党を作るのが本筋だが、我が国ではそのような手続きがなかなかできない。最初に、とにかく自分たちの集団を作るのが先で、カタマリを作った後で初めて政策を考えるようなパターンが多いのである。

さて、世襲政治家の欠点という本題に戻ろう。上に述べたように、自民党とは、選挙に勝つこととその後の利益配分を支配することを最大目的として集まった集団なのだから、世襲候補が増えるのも当然なのである。

いったんそれなりの地位を得た政治家が、苦労して作り上げた利益分配構造と選挙に勝てる仕組みとを他人に渡すのはもったいない、出来れば自分の子供に渡したいと思うのは、親の気持ち自体としては自然なことだろう。

よほど優秀な人物でない限りは、日本で年収数千万円を稼げる職業はそんなに多くはない。息子や娘にしても、親のマネさえしていれば高収入は得られるし、社会的地位としても羽振りが良い。異性にもモテるだろう。年収数百万円の一般のサラリーマンのままで一生コツコツと働くことなんぞは、阿呆らしくてやっていられないと思うのは当然の流れなのだろう。

親の政治家を支持して来た側としても、世襲候補ならば親の指導も行き届くだろうから、従来の利益配分構造が代替わりでホゴにされる心配は少ない。その考えがよく判らない血縁外の候補者が跡継ぎになった場合には、自分たちへの利益配分が今後どうなるのか判らないという不安が高まることになる。かくして、世襲候補が地盤を継いでくれさえすれば、現在の体制が将来も保証される可能性が高くなり、三者ともにとりあえずは満足ということになる。

このようにして当選した世襲政治家が、そのお陰で自分が当選できた従来の政治システムを根本的に変えようとするはずもない。親ゆずりの利益分配構造をそのまま維持しなければ、次の選挙では自分の地位が危うくなるからである。かくして時代に合わなくなった政治システムが延々と続くことになる。

一方、この利益分配構造に関わっていない国民から見ればいつまでも古い体制が続くことになり、自分たちは税金を取られるばかりでその見返りは少ないという思いをますます強めることになる。

また、政治家の新陳代謝と能力の向上が進まないことで、時事刻々変化していく世界の変化に対して常に遅れる、或いはもはや対応できなくなる事態が頻発するようになる。今の日本はまさにその状態に陥ってしまっているのだろう。

 

(b)世襲政治家は、仮に先代よりも能力が低くてもその地位は安泰なことが多い。

企業経営者の中にも親の地位を世襲した経営者は多い。代表例は日本最大の企業であるトヨタ自動車だろう。ただし、トヨタの現在の社長の豊田章男氏の前には豊田家以外の人物が三代続けて社長を務めている。

企業の経営者には、まず経営者としての資質が最優先で要求される。先代の息子だからと経営者としての能力に欠ける者をトップに据えた場合には、近い将来にそれが原因で企業業績の悪化をもたらすことになりかねない。企業経営の分野では、市場という場における健全な淘汰圧が常に働いている。

これに対して政治家の場合には、少なくとも日本の与党政治家の場合には、この淘汰圧がいっこうに働かない。上に述べたように、政治家の世代が変わっても、利益配分構造である地盤が旧来通り維持される限りは当選回数を重ねることができる。

よほど能力が低いかスキャンダルを連発するような人物でない限りは、普通の能力でさえあれば、我が国の国会議員はそこそこ務まる。少なくともオミコシに載せるに足りる程度の人物であると地盤を支える各勢力に認めてもらえたのなら、とりあえずはそれで十分なのである。

企業とは違って政治家の場合には、世代の間にその家系以外の者がいったん入ってしまったら、たいていはそこで世襲が途切れる。先代の後継者が親族以外になってしまった場合には、後で息子や娘がその地位を取り返すことは非常に難しいだろう。

世襲政治家である太子党の中にも親よりも優秀な者はいくらかはいるのだろうが、政治家には能力だけではなくて意欲も必要である。社会を良くしようとして政治家を志す一般家庭の出身者と、たまたま政治家の家系に生まれて有利な道が目の前に開けていたためにトコロテン式に政治家になった者とでは、政治に対する意欲や社会改革への熱意に雲泥の差があるはずだ。

このように考えると、世襲政治家の割合が増えるほどに、政治改革が停滞して社会も停滞の度を強めるのは当然の結果なのである。上に挙げた図-1と日本経済の停滞の関係を見ても、そのことは明らかだろう。

 

(c)政治家はある程度の権力を持ったとたんに世襲二世を、世襲二世は世襲三世を作りたがる

菅前総理は総務大臣であった2006年に、当時は無職同然のバンドマンであった自分の長男を大臣政務秘書官に採用した。長男はその後「総務省担当」として放送事業を行う東北新社に入社し、放送事業の担当官庁である総務省幹部に対して担当者として何度も接待を行った。
「東北新社役職員による総務省幹部接待問題」

岸田文雄現総理は、2022年に自分の長男を首相秘書官に起用して「公私混同」との批判を浴びた。また、今年1月に岸田の外遊に同行した長男が、パリで現地大使館の公用車を使って土産物を買って批判された。

まさに「太子党の自己拡大再生産」現象である。彼らが国民の生活を最優先で守るというのは口先だけのことで、実際には国民が納めた税金を使って自分の子供を雇う方を最優先するのである。国が衰退しても、我が家さえ栄えればそれでよいのである。

最近ではこのような現象を「親ガチャ」と呼ぶらしいが、この言葉を多く使って富裕層を批判する若い世代になるほど自民党の支持率が高いのはなぜだろうか。筆者には理解不能である。

 

(2)戦前の総理大臣について

戦後の総理大臣を調べたついでに、戦前の総理大臣についても昭和期のみに絞って表を作ってみた。下に示す。

日本に帝国議会貴族院衆議院)が出来たのは1890年であり、昭和前期にはまだ国会議員の子息が総理となった例は無かったので「太子党度」の項は省略した。

 

表-2 戦前昭和期の総理大臣の出自、経歴(表の拡大はこちらをクリック)

この表から判るのは以下のような点である。

・総理17名中で10名が軍人、特に末期は6名連続で軍人。

・出身家系は、旧藩士が12名、皇族・公家2名、その他(農林業、商業)3名。旧藩士が圧倒的に多く、江戸期の身分が上層階級であった家の出身者が大半である。

・最終学歴は、軍人10名については空欄としているが、実際にはその全てが陸軍大学校、または海軍大学校である。軍人以外では東大法4名、京大、慶応が各1名。

戦前は大学まで進学するのは富裕層に限られており、一般家庭の出身者は、中学4年(16歳)以上で入学が認められて学費が無料の陸軍士官学校海軍兵学校師範学校へと進むものが多かった。

・戦前昭和期の総理には畳の上で亡くなることが出来た者は少なく、暗殺、刑死、自殺者が非常に多い。このことだけでも、昭和前半がいかに異常な時代であったかがよく判る。

戦争拡大に反対していた海軍上層部が特に暗殺対象となることが多く、海軍出身の総理4名のうち3名が2.26事件で陸軍若手将校によって襲撃されている。残る米内光政も、のちに連合艦隊司令長官となった山本五十六と同様に当時はテロの対象とされていて、いつ襲われても不思議ではない状況だったようだ。

・上の表には含めていないが、大正時代の1921~1922年にかけて第20代総理大臣を務めた高橋是清も2.26事件で暗殺されている。「ダルマさん」の愛称で国民に親しまれ、また少年時代に留学に行ったはずの米国で奴隷として売られた経験があることでも有名な人物であった。

先回の記事でも触れたが、当時、軍事費増額のための軍からの国債発行増額要求に対して、国家財政を悪化させるとして蔵相の立場で反対し続けたことが襲撃された理由である。

・海外駐在経験の項を設けたのは、日本を外から眺めることで自国を客観視できるようになるのだが、その経験の有無を確認したかったからだ。

軍人総理の多くが大使館付き武官として海外勤務を経験しているが、どうやら陸軍軍人は、その多くがドイツに駐在したこともあってか、日本を客観視することが不十分であったようだ。対照的に海軍の軍人、特に斎藤寶や山本五十六のような米国駐在経験者は米国と日本の間の国力の圧倒的な差を正確に認識していた。彼らが米国相手の開戦にあくまで反対したのもこの経験があったからである。

また、海戦というのは使用する機材の物量と性能とで結果がほぼ決まるのであって、陸軍のように「精神力」という計量不可能な要素をあてにすることが少なかったことも、その判断の客観性を強める上で役立ったようだ。

・この表の中には「世襲政治家」はいないが、「世襲軍人」というのが一人だけいる。戦後、A級戦犯として絞首刑になった東条英機である。

陸軍中将止まりだった彼の父が、自分を超える陸軍軍人とするべく息子を幼少期から厳しく育てたそうだ。そのこともあって、東條は陸軍大将になることを人生の目標として日夜努力を重ねたらしい。

その結果、陸軍大将まで上り詰めて近衛内閣の陸軍大臣を務めるまでに出世したが、彼には将来を見通した大きな戦略を立てる資質も、その方面への興味も無かったようだ。自分固有の意見は特に持たず、ひたすら組織の中での出世を目指したという点では、世襲政治家との共通点が多くあると感じる。

なお、近衛内閣瓦解後に、昭和天皇に次の総理として東條を推挙したのが内大臣木戸幸一だが、彼も太子党の一人であって、明治維新の元勲の木戸孝允の孫である。視野が狭いという点で、木戸と東條とはよく似ている。


(3)一般国会議員の中の世襲議員の割合

今までは総理大臣の太子党度について見て来たが、一般の国会議員についても確認しておこう。

衆参合わせた国会議員の定員総数は713名。うち、自由民主党の国会議員は、2023年(令和5年)1月18日現在、衆議院議員261名、参議院議員119名の計380名である。これら議員の家系を一つ一つ調べるのは大変な作業なので、ここはネット上の記事の引用で済ませることにしたい。

次の記事によれば、日本の国会議員の約三分の一が世襲議員なのだそうである。これは世界の民主主義国のそれが数%程度であるのに比べれば異常に高い数字だ。日本でも1960年には約3%でしかなかったとのことだから、総理大臣だけを対象とした上の図-1の傾向と一致している。この記事では小選挙区制の導入が世襲議員の増加の主な原因との結論である。

「増殖する世襲議員「政界ネポベイビー」の大問題」


さらに、日本の国会議員が他国に比べていかに優遇されているかについても見ておこう。次の記事も世襲議員の多さについて触れているが、彼らが世襲を狙う主な目的である国会議員の極端な優遇についても詳しく述べられているので、その内容を紹介しておきたい。

「日本の首相「7割が世襲」の異常。政治を“家業”にして特権を独占する世襲議員の闇」

以下は、上の記事中の国会議員の待遇に関する記述の要約。( )内は筆者のコメント。

(a)国会議員の給与等

「①給与に相当する「歳費」月額129万4千円、年額で1,552万8千円。
 ②ボーナスに相当する「期末手当」が年間635万円。
 ③「調査研究広報滞在費」が月額100万円で年間1,200万円。(無税、かつ使途の明細報告も不要)
 ④会派経由で入る「立法事務費」が年間780万円。
 ⑤年間320億円弱の「政党交付金」(この財源は国民一人あたり250円の税金徴収)が議員一人当たり年間4,400万円が政党に配られ、議員個人に対しては最低でも1,000万円程度分配。

 ⑤を1,000万円と仮定すると、①~⑤の合計は 年間で5,167.8万円

 ③に関して言えば、手取りで年間1,200万円の受給は、年収2,200万円のサラリーマンの税率40%が引かれた後の手取り額とほぼ同等。さらに、年間収入約5千万円超は、2021年時点での東証一、二部上場企業の社内取締役の平均報酬額3,630万円を軽く凌駕している。」

(口を開くたびに差別発言を繰り返す杉田水脈も、昨年七月の参院選に当選したのにドバイに逃亡したままで一度も国会に出席していないガーシーとやらも、自分の愛人も一緒に新幹線にタダ乗りさせていた元歌手も、記者会見でまともな発言すらできない皆が忘れていた昔アイドルのオバサン議員も、議場で居眠りしているグータラオッサン議員も、国会議員である以上は全員が年収五千万円超を得ている。

「いったい、誰だ!!、こんな連中に投票したのは(怒!!!)」

参議院議員ならば解散もなく、6年間の任期を一期務めるだけで3億円以上が手に入る。その全てが我々国民が払っている税金から出ているのである。)

 

(b)諸経費補助

「国会議事堂そばの議員会館の家賃、電話代、水道光熱費はタダ。
 地方選出国会議員なら赤坂にある議員宿舎(82平方メートル・3LDK)は、相場の2割程度の家賃(12万6,000円)で住める。
 海外視察旅行代、JR全線のグリーン車での運賃、私鉄運賃、地元選挙区との航空券の往復チケット(月に4回分)、その全てが国から支給され、自己負担はゼロ円。
 公設秘書が3名雇え(第1秘書、第2秘書、政策秘書)、その給与の年間合計2,400万円は国が負担。その秘書から強制的に議員の政治資金管理団体への寄付までさせている議員もいる。身内や親戚を秘書にするケースも少なくない。」

 

(c)政治資金という名の企業からの「合法ワイロ」

「2019年の自民党の本部収入は約245億円で、うち政党交付金が72%、企業・団体からの政治献金が10%。
 (国会議員380名を要する自民党への政治献金を24.5億円と仮定すると、議員一人当りでは644.7万円。) 
 これに加えて、ホテルの大宴会場で開く「政治資金パーティ」による収入もある。」

 

(d)米国との比較

「人口が日本の2.6倍の米国の上下両院議員の総数は535議席。議員個人に入る年間報酬額は、17万4千ドル(1ドル110円換算だと1,914万円、1ドル136円換算だと2,366万円)。
ただし、(政策立案調査のための)立法経費は上院議員で約2億円分、下院議員で約1億円分まで計上してスタッフを雇えるが、透明性は日本の比でなく高いため、議員個人のポケットに入れられる性格の金銭ではない。米国と比べて、日本の国会議員が、いかに曖昧で莫大な報酬をフトコロに入れているかがわかる。

米国と比べて約710名もいる日本の国会議員は多すぎる。せめて半分の350名ぐらいにすべきだ。そうでないために、世襲やタレントでの「政党の員数合わせ」が幅を利かす。こうした日本の国会議員の報酬額や数々の特権は、多数派の政権与党がお手盛りで法案を通過させ、成立させてきたからこそのオイシイお宝だった。」

 

(4)まとめ

以上に見てきたことを、筆者の提言も含めて以下にまとめておこう。

① 今後は、原則的には世襲候補者には投票するべきでない。彼らが増えれば増えるほど、日本の政治や経済などのあらゆる面における動脈硬化がさらに深刻化する。

ただし、親の選挙区から遠く離れた場所で立候補する等の、意欲と根性と能力とが認められる候補者については、この限りではない。

② 立候補するためのカネがかかり過ぎるのも、政治の新陳代謝を妨げている大きな要因である。選挙前の一定期間に限って、SNSやユーチューブ等に流す候補者紹介の動画作成を公費で支援する(現状でも無料で作れるが、選挙関連の動画が広告付きになるのは大いに問題)などの工夫が必要だろう。

③ 上の記事の指摘にあるように、国会議員の定数が多すぎるために、現状に見るような愚劣かつ低質な当選者が数多く発生するのである。次回の国政選挙には、是非「国会議員の定数を半分に」という公約を掲げる政党に出て来てもらいたい。

議員立法で法案を提出しようとしても、衆議院では20名以上、参議院では10名以上の賛成がないと提案することができないが、まずは現状に一石を投じて既成政党の反応を確認する必要がある。

④ 国会議員の給与の半減も必要だ。民間の時給が米国の半分以下なのに、なぜ国会議員の給与だけが米国議員の二倍以上なのか?このことを公約に掲げる政党が出て来たら、積極的に投票に行って支持しよう。

 

最後に、敗戦直後の三か月間だけ皇族初の総理大臣となった東久邇宮稔彦王による戦中の日本に関するコメントを紹介しておこう。この人は皇族にしてはなかなかユニークな方だったようで、wikipedia の記事を読んでみると結構面白い。フランスに留学していたせいか、皇族の枠から大きくはみ出した自由主義者であったようだ。


東久邇宮第二次世界大戦中の日本について、「戦時中、日本は小さなことにこせこせしたが、大きなことにはぬかっていた。全体と部分との混同が、至るところに見られた。部分的には実に立派なものであるが、全体的に総合すると、てんでんばらばらのものばかりで役にはたたなかった」と評価している。」

今から約80年も前の日本を批評した言葉だが、今の日本も、この頃とあまり変わっていないように思えて仕方がない。

/P太拝