「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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詩人「菅原克己」の紹介

 台風が来たら涼しくなるかと思っていたが、台風が通り過ぎてもやっぱり暑いてすね。先日の知人からのメールには、「このままでは地球が壊れるのでは?」とありました。
 返事としては、「このままでは、(我々が)地球を壊すことは確実でしょう」と言うべきか。そう思ってはいながらも、今日も車を数十km走らせ、今夜も部屋のエアコンつけっぱなしで寝、二酸化炭素を一日に数kgは大気中に放出し続けている私。

 こうやって、自覚しながらもどんどんと破滅に向かって突き進んでしまうのが人間のサガなのでしょうか。「わかっちゃいるけど、やめられない」のは、地球温暖化も、日本政府の債務増大も同じこと?

 でも、少なくともEUでは、政府債務の削減については、当然のように達成済。地球温暖化についても、「原因がわかった以上は、やめましょう」と、具体的かつ大胆な将来ビジョンをすでに構築して日々努力中。いつになったら我々は、自分たちの将来について、世界をリードできるような大局的な立場から建設的な議論をできるようになるのでしょうか?狭い範囲内での職人技だけを欧米相手に自慢して、自己満足しているだけではしょうもない話。

 さて、地球温暖化には何の関係もないのですが、今回は詩人の菅原克己さんの紹介です。私の大好きなハンバートハンバートが唄っている「ブラザー軒」の詩を書いた方。次の記事で同氏の略歴が分かります。


 このサイトからは、故高田渡氏が「ブラザー軒」を歌っているyoutubeにもアクセスできるようになっています。筆者はかって高田氏のファンだったですが、この映像についてはどうにも好きにはなれません。ここでの高田氏は歌詞を棒読みしている感じで(実際、棒読みしているのですが・・)、まるで感情移入ができていません(例によって歌う前から入れているはずのアルコールが、まだそんなには入っていないのでしょうか?)。

 一方、ハンバートハンバートの唄う「ブラザー軒」では、「亡くなった父と妹に対する哀切の情」が見事に表現されています。さっそく紹介したいところですが、あいにく youtubeにはアップされていません(筆者の手元にCDがあるので、そのうちに自分でアップするかもしれません・・)。

 


 亡くなった文学者のお墓を捜し歩くという、変わった趣味を持つ方が書いているサイト。「ブラザー軒」の詩の全部が載っています(歌の歌詞とは若干異なります)。

 上の年譜の記事にあるように、菅原氏の生涯ですが、11歳の時に小学校長の父が急死、父のようになるべく教職を志して入った師範学校では友人を救おうとして退学処分、社会変革を志して加わった政治活動では逮捕されてブタ箱入り、結婚後も職を転々として貧窮生活が続くという散々なものでした。

 しかし、彼の詩からは、誰かのせいにするのでも、恨むのでもなく、生涯の大半を不運と貧窮の中にあり続けた自分自身を、外から見て少々面白がっているような気配すら感じてしまうのです。人が生きることの強さと明るさを実感させてくれる詩が多いのです。

 学生だった頃、角川文庫の「全集・戦後の詩」というシリーズを買ったことがありました。最近、久しぶりに取り出して読んでみたら、その中の第二巻に菅原氏の詩が載っていました。以下、その中から二編ほど紹介しておきます。

「菜の花」

大きくなった君と
会ったのは電車のなか。
お河童は
何時かひっつめ髪になっていた。
ゆれる電車のなかで
笑いながらいろいろのことをはなしした。
君はうすオレンジのフランネルの着物、
しめったやわらかい声をしていた。

君は働いていたので
会うのは造作もない。
ただ電車にのればよかった。
電車にさえのれば
フランネルの娘がいつもいた。

また、会ったのね、
やわらかい声で無邪気にいう。
色の白い喉もとはくりくりし、
丸顔にはそばかすがあり、
何だかいい匂いがした。
僕は君を見るとすぐ動悸がした。

ある日、
僕は町はずれで摘んだ菜の花を
いっぱい抱えて電車にのつた。
どこにも君はいない。
まるで、僕のたくらみを
すっかり知ってでもいるように。
僕は親ゆずりの背広を着こみ、
どんなに落胆したか。
菜の花ははなやかに車内をいろどり、
そのまま終点まではこばれて行つた。


「マクシム」

誰かの詩にあったようだが
誰だか思いだせない。
労働者かしら、
それとも芝居のせりふだったろうか。
だが、自分で自分の肩をたたくような
このことばが好きだ、
<マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか>

むかし、ぼくは持っていた。
汚れたレインコートと、夢を。
ぼくの好きな娘は死んだ。
ぼくは馘になった。
馘になって公園のベンチで弁当を食べた。
ぼくは留置場に入った。
入ったら金網の前で
いやというほど殴られた。
ある日、ぼくは河っぷちで
自分で自分を元気づけた、
<マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか>
 
のろまな時のひと打ちに、
いまでは笑ってなんでも話せる。
だが、
馘も、ブタ箱も、死んだ娘も、
みんなほんとうだった。
若い時分のことはみんなほんとうだった。
汚れたレインコートでくるんだ
夢も、未来も・・・・・。
 
言ってごらん、
もしも、若い君が苦労したら、
何か落目で
自分がかわいそうになったら、
その時にはちょっと胸をはって、
むかしのぼくのように言ってごらん、
<マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか>
 
/End