「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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県知事選と県議選

 金曜日に県議選が始まってからは、少しは鳥取市内が騒がしくなった。知事選は先々週から告示されていたのだが、いままでその宣伝カーに遭遇したことは一度もなかった。静かな知事選である。

 当「市民の会」(正式名称は、「開かれた市政をつくる市民の会」)は鳥取市政の透明性を実現することを目的として設立した会であり、会として県政まで踏み込んで公式メッセージを発することはない。今までと同様、県政に関する以下の文章もあくまで筆者の個人的見解に過ぎない。

(1)知事選

 勢力図を客観的に見れば、平井知事の四選は既に確定的と言ってよいだろう(残念ながら・・)。ここでは、既に三期十二年間に及んだ平井県政が鳥取県にもたらした結果について、筆者の視点で何点か挙げてみたいと思う。

① 県政トップの独裁的傾向がさらに強まった。

 具体的には詳しくは知らないが、二期前の故西尾邑次知事は、外部や職員の意見をよく聞く比較的温厚なタイプの方だったようだ。このブログで昨年末に紹介した経済学者の宇沢弘文氏も、西尾知事の提唱した「鳥取園都市構想」に全面的に賛同されていたそうである。

 その次の片山知事は西尾知事と異なり、いわゆる「ワンマン」タイプの指導者であり、聞いた話によると知事から県の幹部職員が叱責されることがはなはだ多かったそうである。県幹部は片山知事の言動に注目し常にピリピリとしていたらしい。「自己の立場の安定的確保」を最優先するのは国や自治体を問わず役人の基本的な習性であり、独裁傾向の強い自治体首長にとっては(国の首長にとっても・・)、役所の人間集団以上に御しやすい集団はないだろう。結果として、この時期に、県職員中に「上御一人」の指示に盲従するイエスマンが激増したのではなかろうか。

 ただし、付け加えておかねばならないが、片山知事がこの県職員中に強まる盲従傾向を強く危惧されていたことは明らかだと思う。三期以上の継続が当然視されていたにもかかわらず、片山氏が二期八年ですっぱりと知事を辞めたのは、三期以上続けることで、これら「思考停止型」職員がさらに増加することを危惧されたためと推察する。

 さて、現在の平井知事である。片山前知事の時代には、県政の方針は「行政の透明性向上」、「防災対策などを目的とした県財政の健全化」等で明瞭であったと思う。平井知事の時代になると、いったい県のトップが何を目指そうとしているのかよくわからなくなってきた。漫画やコスプレなどの個人的趣味を、県の予算を使って実現するのが最優先なのではないかとさえ思えてしまう。

 片山前知事の自発的な辞任にもかかわらず、平井県政の元で「思考停止型」の県職員はさらに増殖した。「トップの指し示す方向がどっちを向こうと、それに即反応して同調さえしていれば我が身は安泰」という役人根性が、平井独裁体制との間でさらに共鳴を強めたのだろう。

 筆者は何回か県の説明会等に参加することがあったが、県側の提供するデータには、明らかに県の政策をよく見せるための粉飾やゴマカシが施されていることをいくつか確認した。データねつ造とまでは行かず「印象操作」の範囲にとどまっているとは思われるが、なんとも巧妙なやり方である。(詳細を知りたい方は、「市民の会」のメールアドレスまで連絡ください。)最近の県人事を見ていると、ゴマカシの巧みな職員ほど出世しているように見えるのである。

② 鳥取県の一人当たり県民所得は平井県政になってから急激に低下

 2007年に平井知事が就任して以降、鳥取県の経済は右肩下がりであり、この点については今回の知事選の対立候補の二人が等しく指摘している所である。一例として、福住候補のサイトを紹介しておこう。

 この内閣府の統計データ中の「一人当たり県民所得」を詳しく調べてみると、一人当たりの県民所得で鳥取県は2010年以降2015年まで六年連続で全国46位となっている。最下位の沖縄との差は最近は数万円台にまで縮小している。近年、沖縄県は日本国内のみならず東アジア全体のリゾート地として人気を集めており、さらに電子部品等の東アジアでの流通拠点としての地位を高めている。今現在、既に沖縄県に抜かれて鳥取県が全国最下位に転落している可能も高いのである。

 県経済が振るわないのは県の主要産業であった電機産業がリーマンショックで壊滅したためとされてはいるが、同じく製造業が主力産業であった他県に比べるとその回復が著しく遅れている。電気・機械産業の主要な競争相手はもはや海外企業であり、国内企業の投資先が需要先に近い海外に移っているのに、県の産業振興の基本方針はいまだに企業誘致一本やりなのである。

 典型的な失敗例が(四年前にもこのブログで指摘したが)、米子市への電気自動車開発会社の誘致だろう。自動車開発を専門とする技術者が一人もいない会社に、補助金として県の税金を何億円もつぎこんで回収不能になるというお粗末な話であった。県は裁判に訴えて補助金を回収するのかと思っていたが、いっこうにその気配がない。おそらく、司法の場にこの問題を引っ張り出すと、県のずさんな判断が白日の下にさらされるのを恐れているのだろう。

 別の例では、平井県政の一期目から二期目にかけてはずいぶん液晶産業への取り組みに熱心であったが、筆者は「県が年間わずか数億円の予算で、いったい液晶のどの分野を支援しようとしているのか」、はなはだ疑問に思っていた。世界の複数のトップ企業が毎年数千億円の巨額投資を続けている産業分野なのである。さらに、日本の各企業の研究開発者は、海外のライバルとの競争で日夜必死に働いているはずだ。門外漢の県職員に詳しい話をしている暇はないし、守秘義務もあり最先端の話はできない。地元との義務的なおつきあいとして、一般論を短時間話してお茶を濁すぐらいのことしかできないだろう。結局、液晶産業への県支援も、なんら成果を得ることなく立ち消えになってしまったようである。

 このように経済無策と言っていい平井県政なのだが、不思議なのは県財界からいっこうに平井県政への批判が出てこないことである。自民党の主要政策は産業振興・経済発展のはずなのだが、同党も真っ先に平井続投を要請する始末である。産業の健全な発展のためには事実に即した多様な批判が不可欠と思うのだが、県財界も県政与党も、もはや批判するエネルギーすら失ってしまったように見える。

 全国紙、県内紙、NHKをはじめとするテレビ局、すべてのマスコミが、この県経済の低迷を正面から報道しようとはしていない。忖度は霞が関だけでなくて、鳥取県庁記者室にも色濃く存在しているようである。全国紙やNHKの記者はたいていが入社して数年と若く、何年かすれば他県に転勤してしまう。「こんな田舎で問題を起こして、都会の局に転勤できなくなったら大変」と思っているのかもしれない。しかし、それでは、イエスマンだらけの県幹部と何ら変わることがない。自分の身を守ることに汲々としているだけの人間に、はたして報道機関に籍を置く意味があるのだろうか?
 
③ 県という行政機関が存在する意味はあるのか?

 上に述べたように、平井県政の第一の特徴は、「その時その時の流行りものに真っ先に飛びついて、派手なイベントをして世間の注目を引くこと」である。実際の政策効果ははともかくとして、マスコミ向けの話題作りのうまさにかけては卓越したものがある。おそらく、マスコミの報道内容には常時気を配って、今現在の「はやりもの」が何なのかを日夜調べておられるのだろう。

 一見して積極的な姿勢であり、よくやっているようには見えるが、その実際の効果を検証すると、イベントをやっただけで後は尻すぼみとなることがはなはだ多い。電気自動車しかり、液晶しかり、北朝鮮からのミサイルが飛んでくるかもとの報道があれば全国で真っ先に対策会議を開いて見せるとか・・・。あの「まんが王国」の経済的効果はいかほどだったのだろうか? 境港の鬼太郎ロードはよく頑張っているようだが、あれは地元の長年の努力のたまものであり、県はそれに便乗しているだけだと思う。

 唯一、障碍者支援の分野ではよくやっているようには見えるが、イベントを数多く開いたことによる印象操作の結果でそう見えているのかもしれない。正確な評価のためには、障害者側からの実際の評価と、この分野への県予算の推移を確認する必要があるだろう。

 平井県政があと四年間続いても、県政は今までの延長線上を走るだけだろう。トップの発想と能力には限りがあり、その下にいるのがイエスマンぞろいと来ては、新しい施策は期待できない。鳥取県の職員数は約4200人(行政、福祉、公営企業の合計。教育職と警察は除く。)もいるのだが、もったいないと思うのは、何かにつけて知事の指示が最優先されるために、職員個々の発想と能力が十分に生かされていないように見えることである。食フェスタ、スポーツ功労者の表彰、新規政策の説明等々、何にでも知事本人がテレビのニュース画面に登場する(隠れた選挙運動といってよいだろう。)県職員が主役として取り上げられることはめったにない。

 さて、県は「中二階」とよく言われる。国と市町村の中間にあって中間的存在であるためである。市町村は我々の生活に密着した存在で欠くべからざるものであり、国という単位は、遠い将来には地球が一つの国になるのかも知れないが、過去の歴史で形成されてきたある程度同質の人間集団のまとまりとして、当面は無くすことのできないだろう。

 県という行政機関の役割は、正直、筆者にはよくわからない。最近のパフォーマンスだらけの鳥取県政を見ていると、「本当に必要な仕事をしているのか?」と思ってしまう。なんだか、「仕事をしているふりをするのが仕事」という人たちが、県職員の中には大勢いるような気がしてしょうがないのである。

 最近は「道州制」を主張する声をあまり聞かないが、例えば「中国州」を考えてみてはどうか。州都は広島市に置くとして、県の機能を解体してその人員と財源と権限の多くを市町村に移す。 例えば、教育職と警察の監督は州に移管、行政・福祉・公営企業の人員の大半は市町村へ移す。農林水産業関係や食品加工の研究機関は地域の条件によって検討内容が大きく異なるので、そのまま現在地に残す。旧県庁は州の出先機関として残すが人員は大幅に削減し、旧県内の各自治体の行政内容のチェックのみを担当する。県知事職と県議会議員職は廃止、州知事と州議会議員を州全体の選挙で選ぶ。なんていうのはどうでしょう?

 州知事とそれを取り巻く専門性の高いスタッフともなれば、現在の鳥取県に見るような知事の暴走はかなり抑止できるのではないだろうか。例えば、先に挙げた実体のない電気自動車企業への愚かな融資や、これも四年前に当ブログでとりあげた「湖山池汽水化事業」のように生物多様性を破壊する非常識な事業は到底認可されなかっただろう。

 ちなみに湖山池への海水導入だが、筆者は「知事がシジミ欲しさで強引に推進した事業」だと思っている。当時、東郷池シジミが「黒いダイヤ」としてもてはやされていた。さらに、この汽水化事業のための検討作業が、当時、県の各部署で一斉に開始されている。県のトップの指示がなければ、こんなことは到底不可能である。

(2)県議選

 上に述べたように、筆者は県の存在意義自体に最近疑問を持つようになったので、正直言って県議選についての関心も薄れつつある。
 二年ほど前、誘われて初めて県議会の傍聴に出かけたことがある。野党会派の代表質問とのことで緊張感のあるやり取りを期待して出かけたのだが、何のことはない。知事の業績を持ち上げる「ヨイショ」系の質問が延々と続いた。これに答える知事の発言内容もこの議員個人をほめる言葉が多く、なれ合いだらけのやり取りに失望してさっさと議場を後にした記憶がある。「平井翼賛体制」も成立間近なのではないかと思ってしまった。  
 
 一年ほど前のことだが、鳥取空港から「かろいち」までの乗車時間を数分間短縮するために、県が数億円をかけて松林内に県道を建設し開通した。当時の当ブログの記事でも指摘しているが、これが地元県議への利益誘導にほかならないことは明白である。与党議員の日頃の協力に知事が感謝の意を示したのであろう。片山前知事の時代であれば、大半の納税者にとっては不公平なこのような事業が認可されることは到底あり得なかっただろう。こんなミエミエの利益供与に平気で県の税金が使われる事業を、あっさりと通してしまう現在の県議会、実に残念というほかはない。

 最後に、今年の3/3に山陰中央新報に掲載された片山前知事の記事を紹介しておきたい。文中で、「教育や子育ての経費は不足している一方で、つまらないイベントには多額のお金をついやしている・・・ピント外れの自治体」と片山氏に指摘されている自治体。どこの自治体なのかは、すぐにお分かりだろう。


 盛り上がらない選挙ではあるが、少しでもこの県をよくするために、棄権はしないで投票にはいきましょう。

/P太拝