「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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外国人研修制度の仕組み

 先日国会で成立した「改正出入国管理法案-外国人労働者受け入れ拡大法案-」、その前提であった今の外国人研修制度の実態が今一つよくわからなかったが、今日の次の記事を読んでやっとその仕組みが理解できた。

 要するに、日本と賃金格差が大きい現在のベトナムのような国からの研修生導入は、送り出す側にとっても、受け入れる日本側の業者にとってもおいしいビジネスであると言うことのようだ。ただし、そのおいしいところは、研修生からの法律の範囲を越えた、度を越えた搾取から成り立っているのである。

 数年間、日本で順調に働いて借金を返済した上でひと財産をつくって帰国できればよいのだが、日本で悪徳業者に当たってしまうと借金を抱えたまま逃げ出すほかはない(これがいわゆる失踪の原因なのである)。その結果、日本への恨みと借金を抱えたまま帰国する研修生を生むようなことになってしまっては絶対にならない。

 先例の中国と同様に、ベトナムの賃金も現在急速に上昇中だから、この現状も数年後には大きく変わってくることだろう。休日に鳥取市内の格安全国スーパーに行くと中国語を話している若い女性をよく見かけるが、今後はベトナムからの研修生に置き換わっていくのだろう。

 この記事に出てくる日本の「監理団体」。鳥取でも時々ベトナム語の通訳募集中との求人を見かけるので調べてみたら、意外にもたくさんあった。「鳥取+外国人+研修生」で検索するといっぱい出てくる。

 その一例を下に示しておこう。上の記事によると、監理団体の幹部の中には外国出張のたびにキックバックでおいしい思いをしている例もあるとのことだが、日本の恥になるようなことはつつしんでもらいたいものである。

 最近、市内の私立高校が主としてベトナム人を対象として百人規模の日本語学校を開設するとの報道があった。日本語学校 鳥取に」。 昨年から教師を募集するなどして準備を重ねてきたようだ。「鳥取城北 日本語学校

 近年、全国的にも有名になって来た同校のことだから、いい加減なことにはならないとは思うが、研修生にとっても、受け入れ企業にとってもウィンウィンの結果となっていただきたいものである。「外国人+研修生+失踪」で検索すると、ネガティブな事例がいくらでも出てくる。

 さて、「外国人労働者受け入れ拡大」法案は成立したものの、枠組みを決めただけで、その具体的な中味はまだほとんど何も決まっていない。同じく今国会で成立した「水道事業民営化」法案もまたしかりである。今日の鳥取市議会一般質問では、某議員がこの水道法の問題点を指摘されていたが、「枠だけ決め従来の政策と大差がないように見せかけておいて、後で各省庁からの補助金制度をくっつけて政府が望む方向に誘導する」恐れがあるとのことであった。

 麻生太郎副総理は九州の麻生財閥の四代目。同財閥は炭鉱経営で急速に成長したのだが、かっての中核企業であった「麻生鉱業」は、戦前は朝鮮人被差別部落民を、戦争中には外国人捕虜までも引き受け、危険な労働環境の中で酷使して財をなした。その蓄財を使って何不自由なく育てられた大財閥のボンボンこそが麻生氏なのである。またしても外国人を使って、ご先祖の先例のマネを始めたのではないかと危惧する次第である。

/P太拝

詩人「菅原克己」の紹介(2)

 七月に菅原克己という戦前から活動し既に亡くなられた詩人を紹介しました。その後、同氏の別の詩集を入手しました(「陽気な引っ越し」 西田書店)。アマゾンは巨大すぎてあまり好きじゃないので、別の通販サイトで注文して手に入れました。

 その中から、筆者が好きになった詩をいくつか紹介したいと思います。いずれも暖かくて、でもどこか哀しくて、作者の人柄をしのばせる詩ばかりです。疲れて周囲にうんざりした時に読むと、少しは元気が、身近な人への信頼が再び湧いてくるような気がします。


「手」

その手が警察から俺をかばった。
その手が、冬、
冷たい留置場のたたきの上で
俺の額にかかる髪の毛を掻きあげてくれた。
そして、その手が家で、
昔ながらの悲しい煙管の音をさせながら
何年となく俺の帰るのを待っていた。

俺の母よ、
その老いたる手よ。

八重桜の散る日、
重たい晩春の空気をゆすぶって
燕がなくとき、
俺は家に帰ってその手を抱いた。
かつて、その身に報いられることのなかった
病み衰えて死んで行く母親の、
俺の手に最後の震えをつたえる
痩せたる、皴よった手を、
俺は俺の手で、泣きながら暖めていた。
それが今、俺の母親に対する
ただ一つの報いになるかのように・・・・。
 

「光子」

二十年前の唱歌のうまい幼女は
十二年前おれのお嫁さんになった。
あの桃色のセルをきた明るい少女よ。
お前は今でも肥って明るい。
まるで運命がお前を素通りするように。

どんな失敗があっても
お前の善意が帳消しにする。
どんなに困ることが起きても
必ず解決されるとお前は信ずる。
未来への肯定、その明るさがお前の身上。
それが、われわれの、
ながい貧乏ぐらしの灯となった。

何のためにそんなに明るいのか。
おれを信ずるのか。
この生活をか。
ときどきおれはふしぎそうにお前を見るが
肥った身體はやはりゆっくり道をあるき、
笑いは何時までも
あの桃色のセルを着た娘のようだ。



おとなりのとものりがきた、
元気よくドアを叩いて
たからものを見せに。

この間は
幼稚園のクレヨン画、
その次は
カブト虫とカミキリ虫、
きのうは
カイジュウの消しゴム。
今日は・・・

くるなり、得意そうに
見せびらかした、
ひざ小僧のすり傷を。

誰にもないたからものを
いっぱい持ってる
小さなとものり。
ぼくはお前のすり傷ほども
持ち合せがない。
この世で
お前ほど
信じられるものを持った
ためしはない。

/P太拝

市会議員に「就職」したい人たち

 昨日は鳥取市会議員選挙の告示日。各紙の予想通り、定員32名に対して35名が立候補したとのこと。飛び入り候補者という波乱もなく、これから一週間、つまらない選挙戦となりそうだ。

 昨日は、「〇〇が立候補のごあいさつに伺いました。」という宣伝カーにあちこちで出会った。名前だけを連呼するのはうるさいだけで無意味だから、もういい加減にやめて欲しいと思う。訴えたいことがあるならば、人通りの多いところに立って、一時間でも二時間でも、自分の実現したい政策をとうとうと述べればよいのだ。宣伝カーで名前だけ連呼して済ますのは、実際は何も訴えたいことを持たない、ただ議員であり続けたいだけの候補にほかならない。

 当「市民の会」でも自前の候補者の擁立を進めていたものの、候補予定者側に「嫁の反対」騒動が勃発して断念。「出たら離婚、と言われている」と聞けば擁立をあきらめるしかない。当会会員にはずいぶんと恐妻家が多いようだ。

 既に投票所への入場券が送られてきているが、例によって候補者の政見を載せた選挙公報がまだ来ない。先回は投票日の三日前くらいになってからようやく届いたと記憶している。どうせ「きれいごと」しか書かないだろうから、投票の参考にはならないだろう。

 当会が先週まで市内各所で配っていたチラシに見るように、与党の三会派(会派新生、公明党、市民フォーラム)は、この四年間、市長提案にほぼ100%の割合で賛成してきた。こと与党に限れば、議員の個人的意向よりも、「市長提案をあくまで支持し続ける」という会派の方針の徹底が最優先なのである。与党の各議員の今後の四年間の行動は「常に市長提案に賛成する」という意味で、既に決定済みなのだろう。

 個々の与党議員が今まで選挙公報で述べて来た「あれをやる、これをやる」等のきれいごとが、果たして今までまともに実現できた実績はあるのか?データを示し事実に即して詳しく説明してほしいものである。まだしも野党側議員に限れば、選挙公報での個々の議員の主張をそれぞれに読みこんで、互いにその優劣を比較してみる価値があると思う。

 さて、三週間ほど前のことだが、立候補予定の無所属新人のうちの一人である某候補の「しおり」(表紙に候補者の写真がある折り畳み式の、例の小さなカード)を拝見する機会があった。正直言って、この内容には仰天した。なにしろ、公約らしきものがほとんど書かれていないのである。「自分は小さい時から実に優秀で立派な人間であったし、今では各方面の有力者と付き合いがある」という程度の内容しか載っていないのだ。

 この候補者は何か重大な勘違いをしていると思う。有権者は、まず第一に、あなたが今後四年間の議員任期中にどういう政策を主張し、実行してくれるのかを聞きたいのであって、あなたが人並み優れて立派な人物かどうかを問うているわけではないのである。

 聞くところによると、この候補者を含めて何人もの無所属新人の立候補者が、すでに市議会与党の最長老議員の所にあいさつに行ったそうだ。「当選したら貴会派に入りますから、よろしくお願い」ということだろう。当選して与党に入りさえすれば、後の四年間は楽なものである。まわりの先輩議員と同じマネをしていさえすれば、何とか議員としての恰好は付く。一般質問で市長寄りの発言をしようと思えば、二千五百人もの市職員(その半分は非正規だが・・)が寄ってたかって質問材料を提供して助けてくれる。

 反対に野党側に立って市長方針を正面から批判しようとすれば、市職員からの援助は基本的な範囲にとどまり、あまり期待はできないだろう。国の法律や国の政策方針にまで踏み込んで、自分自身で批判するための根拠を細かく調べ上げる必要がある。

 我々の税金からねん出される鳥取市会議員の報酬は年に約八百万円である。出席義務のある本会議や各種委員会の日数は年間で百日程度に過ぎず、議員以外の副業も許されている。うわべだけ市民のことを考えているふりをしてさえいれば、怠けようと思えばいくらでも怠けられる。怠け者にとっては、これ以上においしい商売は他にめったにないだろう。唯一の難関は四年に一度めぐって来る選挙だけだが、一定数以上の票を取りさえすれば、選管に預けた供託金30万円は全額が帰って来る。宣伝カー、ウグイス嬢、ポスター等に掛ける経費も、一定の枠内までは税金から全額支給される。

 このような背景があるからこそ、本当に市民のために働こうとしているのか疑わしい人たちが、ぞろぞろと市議会与党になだれ込んで行くのだろう。この傾向は、現在定職を持たないがゆえに市会議員に「就職」したい新人候補者たちだけにはとどまらない。現職の与党議員にも、その同類の人たちがたくさん含まれているように見える。

 与党の某若手議員は、当選する前は会社を経営していたそうである。今でも経営しているかどうかはよくは知らないが、議員になったことで廃業したのであれば実に残念なことだ。与党議員となり市長方針にひたすら賛成し続けることで税金を報酬として受け取る側になった現在よりも、会社事業を発展させ雇用を増やして市税収を増やす側にとどまり続けていた方が、よほど鳥取市全体への貢献になっていたはずである。

 市議会の各議員ごとの一般質問議事録を見れば、その質問が件数稼ぎの形だけのものか、あるいは本当に市民の負担を減らすべく市長政策をチェックしているのかどうか、容易に判断がつく。件数稼ぎの質問は、その大半がわざわざ本会議場で聞くまでもない単なる事実確認に終始している。市の担当者を事前に議員控室に呼んで、あらかじめ事実確認をしておきさえすれば済むだけの話だ。本会議での貴重な時間は、あくまでも市長方針のチェックをするとか、よりよい対案の提案に使うべきであると思う。

 今回の市議選に再び立候補した現職の某与党議員のしおりを見ると、「私は常に弱者の側に立って頑張ってきました」と書いてある。市長の出してくる政策のほぼ全てに賛成し、百億円の市庁舎新築移転にも、下水道料や水道料の値上げにも賛成して、結果的に弱者をいじめて来た議員が、なんで今さらこんなことを書けるのだろうか?実に不思議と言うほかはない。

 筆者は、市長の政策をチェックするために日々勉強を重ねて、市財政の何億円、何十億円ものムダ遣いを防ごうと一貫して努力してきた議員には、当然のことではあるが、年間約八百万円の議員報酬を受け取る資格が十分にあると思う。その反対の、選挙の時だけはペコペコと頭を下げ、当選後には一転して「議員様でござい」とふんぞり返り、市長の出してくる政策には百パーセント賛成して結果的に市民によけいな負担を押し付けて来た議員には、この報酬を受け取る資格は全くないはずだ。

/P太拝

久しぶりの東京

 先日、親戚の慶事があり、久しぶりに東京に行った。会社員時代には二カ月に一度くらいの割合で関東方面に出張していたものの、会社を離れてからは行く用事も特に無く、実に五年ぶりの東京であった。

 久しぶりに電車に乗って気付いたのは、七割から八割の人がスマホをいじっていること。三十代以下に限ればほぼ全員がスマホの画面からいっときも目を離さない。文庫本や雑誌を読んでいる人は中年世代以上が大半であり、一つの車両に二、三人いるかいないか。

 十年以上前、今でいうガラケーがほぼ普及し終わったころ、職場の飲み会にやって来た新入社員が会話の輪に加わらず、一言もしゃべらずに携帯でゲームばかりやっているのを見て不気味に感じたことがある。職場で隣りに座っている同僚とすら、会話を交わさずにメールだけでコミュニケーションを取ろうとする社員が出現したのもそのころだ。日本人の対面コミュニケーション能力は、当時よりもさらに劣化しつつあるのかもしれない。

 日本語が聞こえずシーンとした都内の電車の中で、ひときわ大きく響いていたのは外国語の会話ばかりであった。欧米系、中東系、東アジア系等々、様々な外見の人たちが電車を乗り降りしている。筆者の隣に立っていた小柄な女性、日本人とばかり思っていたが、急にスマホを取り出して北京語で猛烈な勢いでまくし立て始めたのにはびっくりした。

 いささか周囲に遠慮はしているらしく小声で話してはいたが、眼を閉じて聞いていると中国のどこかの街の地下鉄にのっているような気がしてくる。中国の電車の中でもスマホに熱中している若者は多いのだが、携帯に向かって大声で仕事の話をしている人たちも車内のあちこちにいる。結果、車内は常にワンワンとうるさいのだが、慣れてしまえばそう気にはならない。もちろん、電車の中では大声で話さないのが日本の常識であり、「あ、こういうのが典型的な文化摩擦の原因なんだな」と思ったしだいである。

 それにしても、車内にひっそりと座ってスマホ画面をひたすら見続けている日本の若者と、大声で会話を楽しんでいる外国人を見比べていると、なんだか生物としての基本的なパワーの差を感じてしまうのである。

 外国人と言えば、久しぶりに行った都内の観光地も外国人だらけであった。特に明治神宮や上野公園不忍池などの日本の伝統を感じさせる場所では、歩いている人の半分以上が一目で外国人とわかった。東アジア人は見た目は日本人とほぼ変わらないので、中韓台からの観光客を含めればもっと多いのだろう。かって筆者が好んでよく訪れていたアメ横秋葉原も外国人客であふれかえっていた

 埼玉に住む兄の話では、家の近所の街のメインストリートが、最近は「アジアン通り」と呼ばれているとのこと。近くの大学の留学生が住み始めたのがきっかけで、アジア系の住民が年ごとに増えている。近くの保育園や小学校でも、日本語のほとんどできない子供たちが次々に入って来るので、対応に苦労しているそうだ。

 少なくとも東京周辺では、もはや外国人の存在抜きには、観光も、日々の仕事も回らなくなってきている。数日間の滞在でそう実感した。この傾向は今後ますます強まるだろうし、日本全国にも急速に波及するだろう。

 「今は人手が足りない」からと受け入れておいて、将来、「もう君たちは要らないから自分の国に帰ってくれ」と言っても、それで納まるはずもない。労働者を受け入れる以上は、その家族も含めて受け入れるのが当然だろう。国と企業の都合だけで、「文句を言わずよく働く労働者だけが欲しい、その家族は要らない」というのでは、まさに奴隷制度の復活である。人を人間扱いしている国家とは到底言えないだろう。

 さらに、日本で働く外国人は基本的には日本の所得税と住民税、社会保険料を負担するのだから、日本国は彼らに対してそれなりの処遇をして報いなければならないはずである。国政への参政権は別としても、生活に身近な地方自治体での参政権くらいは認めるべきではないか。移民に対して日本は国としてどう対応するのか、いっときの方便としてではなく、真剣に議論すべき時が来ていると感じる。


 
 さて、ちょうど今、入管法に関する議論が国会で行われている。今週読んだ記事の中では、立命館大の上久保教授による以下の記事がもっとも的確に状況をとらえていると思うので紹介しておこう。
 



 
・ 筆者がこの記事に付け加えたいこと。
 
 現在、外国人一般労働者の導入解禁を声高に叫んでいる人たちは、十年ほど前に製造業への派遣労働の解禁を主張していた人たちの層とかなり重なるのであろう。自社の利益を出すために正社員を派遣・非正規社員に切り替えただけでは飽き足らず、さらに低賃金の外国人に目をつけたのだろう。日本国内の社会格差を大幅に助長しておきながら、彼らには何の反省も見られないのである。
 

 
/P太拝

ウソつき議員は国会だけではなかった!

 11/18の鳥取市会議員選挙まで、あと約三週間です。我々「市民の会」では、候補者選択の参考資料としてチラシを作り、現在市内各所で配布中です。詳しい内容については下記の記事をご覧ください。
 
 先週、チラシを配っている会員からこんな声を聞きました。『 昨日、F町でチラシを配っていたら、内容を見た住民から「何だいや、こりゃあ!」と言われた。話を聞いてみると、この方は、同町を地元とする某議員に、「水道代が上がるそうだから、しっかり対応してくれ」と頼んだら、「自分にまかせてください、しっかり頑張ります」と言われた。「てっきり値上げに反対するものと思っていたが、このチラシを見たら賛成しとるじゃないか!」と怒っていた 』とのこと。

 

 この話を聞いて、数年前の自分の体験を思い出した。2013年当時、その一年前に行われた住民投票では現市庁舎の耐震改修案が圧倒的に支持されたのに、当時の竹内市長がいつまでも同案を棚上げにしたままなので、当会の前身である「市庁舎新築移転を考える市民の会」では、早期実施を求めて署名活動をやっていた。


 筆者も、K町の各戸を訪ねて署名のお願いをして歩いていた。ある家を訪ねてご主人と話をしていると、「この町から出ているS議員は新築移転には反対しているんでしょうね」と言われた。

 同議員は与党会派の所属であり、もちろん市庁舎新築移転を一貫して推進している中心人物でもある。驚いて、「いいえ、あの人は新築移転賛成派ですよ」と言うと、「そんなことはありゃーせん。地元では、自分は新築移転には反対していると言っとるで・・・」とのこと。よくもまあ、ここまで白々しいウソをつけるものかと、心底あきれた思い出がある。

 その後、同議員は県議に転出し、今では市議の年収約八百万円よりもさらに何百万円か多い年収を税金から得ている。国会では大ウソをつく議員ほど出世するものだと以前から思っていたが、どうやら鳥取市議会のレベルでも同じことが言えるらしい。こんな連中にダマされないためにも、我々が配っているチラシをしっかりと読んで投票に臨んでいただきたいものである。

 なお、現職全議員の全議案に対する賛否の一覧は、市の公式ホームページに載っています。今回のチラシの内容も同サイトから書き写したものです。ご自分の興味のある議案について、どの議員がどのような対応をしたのか、一度調べてみてはいかがでしょうか。

/P太拝

台風24号は去って行ったが・・。

 昨夜の台風24号は、県東部ではそれほどの被害も残さず北へと去っていきました。ただし、県西部と中部ではかなりの雨量があったとのことで、琴浦町では、道路の崩壊に巻き込まれた軽トラに乗っていた方が不幸にも亡くなられたそうです。お悔やみもうしあげます。

 台風の進路自体は、過去に鳥取県内に水害をもたらした典型的なパターンでしたが、今回は(先日の9/4の台風21号の時もそうだったのですが)、上陸時の大陸の高気圧の勢力があまり強くなかったせいか、それほどの雨量にはなりませんでした。 

 ただし、今回は東部よりも中西部の降雨量が多くて、天神川と日野川では「氾濫危険水位」を越えたそうです。鳥取市内で「氾濫危険水位」を超えたのは、中部に近い日置川水系の青谷町駅前周辺と、千代川の支流である野坂川の二か所だったようです。野坂川のデータについて少し調べてみたので、以下に紹介しておきます。


 昨日、千代川の水位がそれほど上がらなかったのに(それでも行徳付近のスポーツ広場は今年七月に続いてまたしても水没)、野坂川が氾濫寸前までいった理由は上流の降雨量の違いによります。


 気象庁の「過去の気象データ検索」のサイトによると、9/29~9/30二日間の総降雨量は、智頭159.5mm、鳥取162㎜、鹿野384.5mmでした。七月豪雨の時は、7/5~7/7の三日間の総降雨量が、智頭476.5mm、鳥取308mm、鹿野369.5mm。今回は、鹿野周辺の雨量が千代川本流域よりも突出して多かったことがわかります。野坂川の上流部は安蔵地区で、鹿野町の背後にある鷲峯山の東側山麓に位置しています。昨日は、野坂川上流部にも鹿野町と同様に大量の雨が降ったのでしょう。

 下に示すのは国交省が野坂川の徳尾集落近くに設置した水位計のデータです。

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 避難判断水位を越えたのが昨日の18h過ぎ、氾濫危険水位を越えたのが19h30m頃。野坂川沿いの「徳尾、徳吉、古海、緑が丘1,2丁目、南安長1,2丁目 計2822世帯の6247人」に対して避難勧告が発令されたのが20h12mでした。


 避難勧告発令の主たる根拠は、この国交省が設置した徳尾の水位計のデータに拠っているはずですが、避難判断水位を越えてから約二時間もたってからようやく避難勧告を発令した理由は何なのでしょうか?また、既に氾濫危険水位を越えているのに、最後まで避難指示を出さなかった理由は何でしょうか?

 県や市が国交省に相談なしに独自の判断で発令するとも思えないので、特に国交省にはこの間の経過を詳しく説明する責任があるはず。最近、筆者が行政の水害対応を調べていて一番のブラックボックスと感じているのが、この国交省、県、各自治体間の連携の中味です。避難命令の発令までの情報伝達と検討判断はどのようになされているのか、一体どの部署が責任者として最終的な判断を下しているのかを、早急に市民の前に明らかにしていただきたいと思います。

 今朝、少し回り道をして野坂川の徳尾の水位計の周辺の様子を見に行ってきました。この水位計の設置場所は、鳥取駅から布勢への国体道路を西にまっすぐ進んでカインズホームの角の交差点を直進した少し先、約300m長の徳尾大橋の真下です。下に野坂川右岸から左岸の徳尾集落側を写した写真を示します。
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 図中で赤い線で示しているのが、昨夜の増水で草がなぎ倒された斜面上の最高水位。あと1.5mほど増水していたら、濁流が堤防を越えて徳尾集落へ、さらに海側の緑が丘や南安長の新興住宅地へと押し寄せていたことでしょう。写真に見るように堤防の高さは民家の二階の床の高さにほぼ等しいので、氾濫が発生していたら広い範囲で床上浸水が発生していたはずです。

 さて、他にも色々と問題点はあるのですが、今回の野坂川の増水の特徴は、あまりにもその増水速度が急激であったことです。昨日の17hから22h、わずか五時間ほどの間に水位が約2mも上がっているのです。

 国交省の近年の治水思想は、「雨が降ったらなるべく速やかにその水を下流に流すこと。そのためには、堤防を完全に整備すると共に、流れを妨げる堤防で囲まれた範囲内の立木等の余計なものは極力排除すること。」ではないかと推測します。この考えは都市部に近い下流域では正しいのかもしれませんが、果たして未利用地や耕作放棄地、荒廃地が多い上流域まで適用する必要があるのでしょうか。

 支流のすべてについて、何ら遊水域を設けることなく一斉に堤防を整備すれば、地域に降った雨が各支流を介してほぼ同時に本流に流れ込むことになります。下流域はおおむね舗装されて都市化が進んでいるので、排水溝から集まってきた雨水も同時に本流に流れ込んできます。結果として、本流の水位が急激に上がって堤防を越える事態を招きかねない。各支流や排水路からの流入に対して意図的に時間差を設けることも、洪水防止には有効なのではないかと思います。

 2016年10月、我々「市民の会」では、鳥取大学地域学部の小玉先生をお招きして「地震・洪水災害に対する学習会」を開催しました。その中で小玉先生は、「単に堤防整備にとどまらず流域内に意図的に遊水地を設けることも必要」と指摘されていました。実例としては千代川支流の大路川に最近設けられた遊水地を挙げられていました。

 この遊水地の完成後については、下流側の千代川の高水位による逆流によって大路川の水位が上がる現象が頻発しているため、期待したほどの効果は得られていないようですが、それでも遊水地がなかったころに比べれば流域の危険性が減少していることは確かなようです。従来の治水思想の再考が必要な時期に来ているのではないかと思います。

 今週末には再び台風25号がやって来る可能性が高まってきているそうです。市の防災無線は昨夜も何か放送していましたが、例によってほとんど聞き取れませんでした。これだけテレビ、パソコン、スマホ、ラジオで避難情報を流すようになったのですから、もう防災無線はほとんど不要ではないかという気もしてきます。

 さて、過去にも何度か紹介していますが、水害関連の情報をより詳しく知りたいという方のために、国交省の河川情報のサイトをあらためて紹介しておきましょう。これからは、一年に何回もこのサイトを開かなければならない時代となりそうです。

① 「国土交通省 川の防災情報」を開く。
② トップページの「川の水位情報」をクリックして日本地図を出し、地図を拡大して見たい川を探す。水位情報が得られる川は青い線で表示されている。青い線の無い川の水位は、このサイトでは提供していない。

③ 青い線で表示されている川の所々にあるマーク(水位計、カメラ等)をクリックするとその地点の情報が表示される。

 
/P太拝
(「国交省 川の防災情報」のサイト移転に伴い、文末の水位情報の検索方法を変更しました。2021/02/05 追記)
 

My fovorite songs(10) -沖縄の唄-

 台風24号はちょうどこの時間に室戸岬付近を通過したようです。関空がまた浸水しなければいいのですが・・・。ここ鳥取市は予想ほどには雨量も多くなく、一時間ほど前から風が強くなってきたものの、今のところ大きな被害にはならない見込み。

 ちょうど今日が沖縄知事選の投票日。あと数時間で結果が判明するが、沖縄の未来を拓く結果になればいいですね。東京の政府側は「携帯電話を安くする」とか、アメ玉を目いっぱいばらまく約束をぶち上げているそうですが、今のように借金を積み重ねていれば、どうせあと数年もすれば政府はアメ玉を買うカネにも不自由するようになる。日本中どこの地方でも、自前の稼ぎでやっていくほかはなくなるはずです。

 第一、ろくに自前の努力もしないで、東京からのカネを背景として地方で政治家でございと威張っている連中、実にみっともないというほかはない。

 沖縄といえば、約一週間前に鳥取市内のコンサートで初めて聞いたある沖縄の唄が非常に気に入ったので、以下に紹介しておきます。

 このイクマさんがこの歌の元々のオリジナル歌手だそうです。とにかく、聞くと一発で元気が出る唄です。今年の夏の甲子園では各チームの応援団が一斉にこの曲をとりあげたとのこと(この夏は金足農の試合しか見なかったので気付かなかった)。 こっちのバージョンには歌詞も載っています。
 
 今日の知事選の結果が、この歌詞の中の、「・・・名も無き民の 声なき歌を 道に立つ人よ 風に解き放て・・」のようになってほしいものです。この一週間で十数回はこの曲を聞いたせいか、最近は自分の頭の中で、思わぬ時に突発的にこのメロディーが流れるようになってしまいました。

 90年代にネーネーズを聞くようになってからは、沖縄・奄美の音楽に結構はまりました。この機会に何曲か紹介しておきます。あまり知られていない歌手を選んでいます。

作曲者の大島保克さんのバージョンもありますが、自分はこの歌い手未詳のバージョンが気に入っています。長年潮風に打たれ続けたような喉で、カスれた声調で淡々と歌われるこの唄に言いようのない諦念と安らぎとを感じます。「イラヨイマール」とは、単なる囃子ことばらしい。

 この曲でも、癒しの中に一種の諦念というか、あきらめと悲しみが漂っているように感じます。曲調は全然違うのですが、南米のインディオの曲を聞いた時の感じに似ているような気がします。

(4)「島々清しゃ」 フォーシスターズ
 もちろん、夏川りみさんや、ネーネーズ初代メンバーの古謝美佐子さんのバージョンもありますが、ここでは1970年代の沖縄民謡アイドル草分けグループのフォーシスターズのバージョンを紹介します。若いころの写真を探してみたら、四姉妹の皆さん、いずれも美人ぞろいでした。

/P太拝

「日本はアジアの静かな中心」であれば、それでよいのだ。

 昨日付の「東洋経済オンライン」を読んでいて、共感できる記事があったので紹介しておきます。

 表題だけから見ると、最近やたらと多い「日本はこんなにすごい!」と一方的に自尊心をあおるだけの、「精神的マスター〇〇〇ョン」をあおるだけの記事かと誤解されかねない。しかし、ご存知のように、著者の沢木氏は世界中を放浪しながら冷徹な眼で外から日本を見つめなおす作業を一貫して続けてきた人であり、そのたぐいの記事とは一線を画す内容です。

 既に70代となった沢木氏は、「アジアの人々が日本に気軽に訪れるようになった今こそ、彼らが日本を見る目を通して逆に我々が日本を再発見できるのではないか」と問いかけています。

「・・・・かつてアジアを旅していたときに私が驚き、感動した対象が彼らにとって意外なものだったように、私たちも彼らが驚き、感動するものを知って、意表を衝かれる。まるで、合わせ鏡で自分の見えないところを見させてもらったかのように。そう、旅人とは、その土地の人々にとって、ひとつの鏡となりうる存在なのだ。・・・」

 ところで、この記事を読んでいて「山口文憲」という名前にぶつかり懐かしく思いました。1980年前後には「面白半分」という雑誌があり、その中には当時香港在住の山口氏のエッセイが連載されていました。この香港報告のエッセイを結構笑いながら読んでいたのですが、先ほどどんな人だろうと検索してみて驚きました。全く知らなかったけど、なかなか波乱の人生を送ってきた人だったんですね。

 海外経験はほとんどアジア専門だった筆者ですが、この記事を読んで自分が初めて海外に行った時のことを思い出しました。大学生だった1974年の11月、下関から関釜フェリーに乗り、一晩波に揺られて一睡もできずに翌朝釜山に着きました。

 釜山では、最初のうちは下関のユースホステルで知り合った30代のドイツ人と一緒に行動していました。一年かけて世界一周旅行中のレンガ職人とのこと。「ドイツでは職人でも一年間も休んで世界一周できるんだ」と驚いたことを覚えています。彼は「日本では無理だったので、これから女を買うんだ」と息巻いて、さっさと街の中へと消えていきました。

 釜山では日本語で話しかけて来た20代の韓国人と知り合ったり(結局はポン引きだった)、ローカル線に乗ったら車内で小銭稼ぎに歌を歌っている人(現地の人によれば単なるコジキ)の唄が演歌そっくりだったり、いろいろとありました。

 開通したばかりの高速鉄道に乗ってソウルに行ってからも、国立博物館で高麗青磁に魅了され、にぎやかにおしゃべりしながら道端でキムチを漬け込んでいるおばさんたちの姿、初めて食べたビビンバが美味しかったこと、早くもマイナス五℃くらいに冷え込むソウルで宿のオンドルの暖かさにホッとする等々、珍しいことだらけでした。

 当時は朴正煕大統領の時代で韓国全土が戒厳令下にあり、うっかり軍施設にカメラを向けてしまって門を警備していた兵士にカービン銃を突き付けられたこと、脱走兵を探して軍の部隊が銃を片手にソウルの繁華街を歩き回っているのを目撃したこともありました。

 しかし、一番印象に残ったのは、夜の街の人通りのにぎやかさでした。どんな小さな通りを歩いていても、屋台がたくさんあって道は人であふれんばかり。ただ通りを歩き回るだけで楽しく、上の記事の中で沢木氏が香港の街を連日歩き回ったのと同様の体験をしました。日本に帰ってきたら、夜の街でにぎやかなのは都市の中心部だけでほとんどの通りには人影はなく、大半の日本人は家の中でテレビを見ているばかりでした。この落差に愕然としたことをはっきりと覚えています。
 
 もう、「沸騰するアジア」の中心は中国やインドにまかせておけばよく、日本はこれからは「静かなアジア」の中心になればそれでよいのではないでしょうか。仕事で疲れたアジアや欧米の人たちが一週間くらいのんびりできる息抜きの場所、それが日本であればそれでよいのでしょう。イージス艦、ミサイル、F-35等々の所有数を誇るよりも、世界の人々に共通して認められる休息と癒しの場であり続けることの方が、この国を守るうえではよほど大切なのだろうなとあらためて思いました。
 
/P太拝

風疹の撲滅は国の責任!

 先月読んだ記事の中でもっとも印象に残ったのは、「先天性風疹症候群」で18歳で亡くなった女性に関する記事でした。風疹とは、成人がかかってもほぼ軽症ですむ病気ですが、ワクチンを打っていない女性が妊娠期間中に風疹にかかると、胎児に重大な障害が発生する確率が高いそうです。眼、耳、心臓と三か所に障害を持って生まれてくると言うのは、どんなに苦しくて大変なことだったろうかと思いました。

 この夏、関東では風疹の流行が始まっていて全国に拡散が始まっているとのことです。風疹患者、一週間で倍増

 風疹体験者の手記をもう一件紹介しておきます。生後三カ月で白内障の手術を受けなければならなかったとは、あまりにもかわいそうです。
 
 
 ワクチンさえ打てば撲滅できる病気なのに、未だに障害を持って生まれてくる赤ちゃんを放置し続けているようでは、日本は日頃自称している先進国とすらも呼べないでしょう。次の記事は風疹の根絶方法について詳しく述べています。

内容を要約すると、

・ワクチン対策のしっかりしているアメリカ、カナダでは風疹はほぼ撲滅済。

・風疹の感染力はインフルエンザの数倍強い。症状がまだ出ていない潜伏期間でも他人に感染させてしまう可能性が高い。

・ワクチンを二回打っていれば感染する恐れはほとんどない。今年四月で28歳以下の男女であれば二回接種済だが、それ以上の年齢層ではゼロまたは一回しか接種されていない。

・特に一度もワクチンを接種されていない39才以上の男性が、現在の主要な感染源となっている。

・60才以上の男女では、既に幼少期に感染して抗体を持っている人が100%に近いので、接種の対象外としてよいらしい。

 このような大規模な感染症対策は自治体まかせでは到底無理なので、国が本腰を入れて乗り出すべきでしょう。それでこそ本当の先進国です。
 
 その財源としては、例えば、トランプに無理やり買わされることになった、下記の記事によれば実際には役立たずのイージス・アショア二基の値段が4664億円。この記事は著名な軍事専門家によるものですが、ボッタくられる上に防衛上の意味はほとんどないとの厳しい評価です。
 こんなものを買うのをやめれば、風疹ワクチンは一本当たり一万円だから日本国民の約4~5千万人分に相当、全対象者にワクチン接種できておつりが来ることになります。
 
 ところで、我が鳥取市の風疹対策は大丈夫なのでしょうか。今年の四月には中核市移行に伴って県東部福祉事務所が廃止され、県東部の保健所業務全体が鳥取市に移管されました。これに伴って、風疹・エイズ等の診察場所も、従来の県立中央病院敷地内から通行者の多い鳥取駅南口に近い「市立さざんか会館」に移転しました。保健所では以下に示すように、エイズウィルス、性感染症(梅毒・クラミジア)、肝炎ウィルス、風疹抗体検査等の診療を行っています。
 
イメージ 1 この診療を行っているさざんか会館の二階の「鳥取市保健所」には、診療所に隣り合って「健康支援課」があり、同課では不妊治療費助成の申請を受け付けています。
 
 また、三階には「子ども家庭相談センター」や「健康推進室 成人コーナー」が、四階には母子健康相談に対応する「中央保健センター 母子コーナー」があります。
 
 自分が風疹ではないかとの疑いを持って二階の診療所を訪れた人と、妊娠を希望する女性、健康相談に訪れた母子や一般成人が、この会館内の一階ロビー、二階、階段、エレベーターで隣り合わせとなる可能性は極めて高いと予想されます。風疹やその他の感染症の拡大を防ぐという観点からは、まさに最悪の場所に保健所を選んだというほかはありません。
 
 もう一つ問題なのは、この保健所には精神障碍者の相談窓口もあることです。以前の中央病院敷地内であれば駐車場からすぐに相談室に入れたのに、現在の相談室があるさざんか会館二階に達するためには、ボランティア団体の拠点である一階を通るしかありません。さらに五階には最大で240人収容可能な大会議室があり、二階から四階までにはボランティア団体関係者、健康相談に訪れた人等がひっきりなしに出入りしています。
 とてもじゃないが、精神の悩みを抱えている人が気軽に出入りしたくなるような環境ではありません。鳥取市が相談者のプライバシーの問題を、人権の問題を完全に無視していることは明らかです。こんな場所に移転したがために、感染の心配をしている市民や、障碍を抱えている市民が、公的なサービスを十分に受ける権利すら阻害されてしまったのです。
 
 鳥取市の計画では、来年秋は新市庁舎が完成したら駅南庁舎一階にある分庁舎が新庁舎に引っ越して、その跡に保健所や母子センターが入ることになっているそうです。しかし、現在の駅南庁舎の二階より上に入居している市立図書館、放送大学、スポーツジム等は現状のまま残るとのことなので、不特定多数の一般人が保健所周辺を出入りする傾向は現状以上に激しくなるものと予想されます。
 
 自分が感染したかもしれないという不安を抱えている人、妊婦や幼児などの他者からの感染には脆弱な立場にある人たち、精神の不安を抱えている人たちが、背景不明な多数の一般人と同じ空気を吸い、かつ同じエレベーターに乗り合わせることになるわけで、今以上に公衆衛生上の危険性が増大するでしょう。
 
 そもそも、なぜ保健所をさざんか会館に移転しなければならなかったのでしょうか?副市長時代から前市長の市庁舎新築移転方針に一貫して従順であった深沢市長は、三つどもえで争った2014年4月の市長選で初当選、さらに同年11月の市議選を経た同年12月の市議会で市庁舎新築移転の位置条例可決を得ました。この時点まで深沢市長は、新庁舎と現在の駅南庁舎を併用し、新庁舎面積は19,400m2、付帯費用を含む建設費は65.6億円としてきました。
 
 ところが位置条例が可決されてから数カ月しかたたない2015年5月に、深沢市長は突如として新庁舎面積を23,100m2、付帯費用を含む建設費を一挙に五割増しの98.4億円にひきあげると発表しました。その主な理由とは、保健所を駅南庁舎に入れることにしたので現在の駅南庁舎の事務スペースを新庁舎に付け加えることになったためというものでした。新庁舎の完成は来年秋なので、それまでの約一年半の間は保健所をさざんか会館に一時的に設置することとなりました。
 
 そもそも鳥取市中核市移行方針は、竹内前市長の時代から既定路線として推進されてきましたが、中核市移行に伴って県から移管される県東部の保健所の位置については、深沢市長はそれまでは一言も触れて来ませんでした。市に移管されてからも、今までの場所で業務を続けるか、あるいは市内にいくらでもある市有の遊休施設を活用すれば済むだけの話でした。わざわざ保健所を駅南庁舎に移転しようという話自体、大半の市民にとっては寝耳に水でした。
 
 位置条例が可決されたとたんに市長が急に保健所の駅南庁舎への移転を言い出したのは、保健所移転をダシにして新庁舎の建設費を釣り上げることが本当の目的であったとしか思えません。保健所の関係者からみれば、余計なお世話、いい迷惑でしょう。当初の約束から五割増しとなった市庁舎新築費用まで負担させられる市民全体にとっても、迷惑この上ない話です。
 
 
 さて、鳥取市議会では、米村議員が過去再三にわたってこの保健所移転の問題点を一般質問等の場で指摘し続けてきました。しかし、深沢市長の回答は毎度のごとく、「すでに決まったことだから・・」と、例によって「木で鼻をくくった」ような内容に終始してきています。
 
 以前、当会のサイトにも関連する記事(2015/6/23)を載せていますが、2015.6.22の市議会での米村議員の一般質問に対する市長答弁(発言No.55)では、あろうことか、「感染症の方が直接に保健所を訪れることはない。電話相談を受けるのみ」と市長が断言。深沢市長は、さざんか会館の保健所で日常的に感染症患者を診察している現状をどう説明するのでしょうか?重要な問題なので、市議会議事録から市長のありのままの発言を引用しておきます。
 
「・・・現在の保健所によりますと、感染症の方が直接保健所を訪れられるということはなく、不安のある方等、電話相談を受けまして、治療が必要だと、そういった判断をされた場合には専門の医療機関を案内しておられるということであります。・・・」
 
 保健所がエイズ等の感染症患者の診察を引き受けていることは、県東部福祉事務所のサイトに長年にわたって公開されており、既に公知の事項です。国の法律で決まっていることでもあり、行政トップの市長たるものが知らないはずはありえません。市議会という公の場で見え透いたウソをつき通した深沢市長。そこまでして前市長の指示に従おうとしているのかと思うと、怒りを通り越して、むしろ哀れみを覚えます。
 
 聞くところによると、鳥取市議会最大与党の会派新生の最古参であるU議員も、この保健所感染症問題については、「何が病気がうつるだいや、(保健所に)電話をダイヤルするだけだがな!」とのたまったとのこと。この場合は、ウソというよりも単なる無知によるものでしょうが・・・。
 
 この古参議員さん、市の公共事業が巨額になればなるほど次の市議選で自分への業界票が増えると期待しているようです。鳥取市民の安全や健康などは、彼にとってはどうでもいいように見えます。

/P太拝

鳥取市の防災行政無線は、いったい何の役に立っているのか?

 今日は朝から一日中サウナに入っているような暑さでした。夕方のTVニュースによると、鳥取空港での気温は午後には39℃を越えたそうです。
 このフェーン現象をもたらした二つの台風ですが、19号は黄海方面にそれたものの、続いて20号が日本本土に来襲。現時点での予報では、先ほど四国に上陸、日付けが変わった明日8/24の午前1h頃には鳥取市上空に達する見込みとか。

 今日の14h頃に「市の防災行政無線」が何やら放送していた。切れ切れにしか聞こえなかったが、どうやら今夜の台風に関するものらしかった。音が周囲の建物に反響してくるので、言葉がほとんど聞き取れない。たまたま窓を開けていたので、どうやら台風についてのことらしいと推測できたが、細かい具体的な内容については何も聞き取れなかった。

 18h頃に市内の別の場所に居たら、また防災行政無線の放送があった。先回と同じように台風に関する注意情報らしいが、周囲の建物からの反響が重なるので、言葉のひとつひとつがやはりよく聞き取れない。おまけに、隣接するスピーカーからの音も若干遅れてから重なり合うので、益々聞き取りにくい。この時も、具体的に市当局が何をすべきと言っているのかよくわからなかった。

 この時はたまたま外を歩いていたので放送していることだけは判ったが、この暑さの中、自宅の部屋で窓を閉め切ってエアコンをかけていたら、放送があったことに気付かなかった可能性が高いだろう。車を運転している場合には、さらに気付きにくい。今日のような気温38℃に達する暑さの中で、この防災行政無線の内容を聞き取れた市民が何人いるのだろうか。おそらく、スピーカーのすぐ近くに住んでいて、たまたま窓を開けていたか外を歩いていた人に限られるのではないか。詳しい放送内容まで逐一聞き取れた鳥取市民は、多くても数%レベルなのではなかろうか。

 過去にも防災行政無線の放送は北朝鮮のミサイルや豪雨等、何十回も聞いたように記憶するが、筆者の場合、その詳しい内容が聞き取れたことは一度もない。せいぜい何について話しているかがわかる程度であった。

 この「役立たずの防災行政無線」に、鳥取市は今までいったいどれだけの税金をつぎ込んできたのだろうか。ちょっと調べてみた。正確には年度ごとの決算内容を調べる必要があるが、あまりにも大変な作業となるので、手始めに「今年度の合併特例債の活用状況」を調べてみた。これを見ると、今年度時点で「防災行政無線整備費用」として11.13億円もの合併特例債を発行している。合併特例債は最大で総事業費の95%まで発行できることになっている。従って、この事業の総額は少なくとも11.8億円以上であることがわかる。

 合併特例債という名金融機関から借りた借金の元利合計の返却分の七割は、国が鳥取市に支給する地方交付税に含めて手当される約束となっている。(国の鳥取市への地方交付税は毎年減少しており、はたして約束通りに支給されているのかはなはだ疑わしいものがある。(詳しくは、「開かれた市政をつくる市民の会」のサイトの、今年6/23開催学習会のPDF資料のP21、「鳥取市への地方交付税構成内容の推移」をご覧ください。)

 この「防災行政無線整備事業費」の総額が仮に12億円と仮定すると、その約三分の一の約4億円が鳥取市の負担、約12億円が国の負担と言うことになる。しかし、国の負担と言っても、我々の納めた消費税、我々が勤めている会社が払った税金、他自治体に住んでいる我々の親戚や友人を含む日本国民が苦労して払った税金等から構成されているのである。決して無駄に使っていいカネでは毛頭ないのである。ほとんどの鳥取市民が聞き取ることができないような「防災行政無線」に、鳥取市民・日本国民が苦労して納めた税金約12億円をあたら無益に使い果たしてしまったとしたら、これを「ムダ遣い」と言わずして何と表現するのであろうか?

 さらに悪いことは、現在の防災担当の鳥取市職員が、「このすでに確立した「防災行政無線」で放送さえすれば自分の担当業務は十分に果たした」と錯覚しているように見えることだ。その効果を検証するのは後回しであり、市民から「聞こえない」という苦情が来ても、適当にあしらって時間稼ぎしておけばよいと思っているようだ。

 市民が防災無線の放送を聞いていようといまいと、「自分の仕事は上から決められたことや、前任者から引き継いだことを、その通りに落ち度のないようにやればよい」。 「どうせ三年たったら他部署に移動するのだから、三年間は以前から決められたことだけをやっていればよい。下手に新しい取り組みを始めて失敗したら、将来の自分の退職金に差し支える。」とでも思っているのではないか。実際には落ち度だらけであることは、当会サイトの「7月豪雨に対する鳥取市の対応を検証する」の記事で述べたとおりなのである。「市民の安全に対する責任感よりも、自分の立場を守ることに汲々としているように見える」と言ったら言い過ぎか?

 筆者は数年前までは日本と中国を行ったり来たりしながら仕事をしていた。2012年6月の事だが、携帯電話に突然メールが入り、「今日から明日にかけて集中豪雨が起きる可能性があるので、十分注意するように」との内容だった。発信元は当時滞在していた中国中部某市の担当部門であった。携帯はこの街の店で購入したものであった。このころから中国の各都市では、台風や集中豪雨の前には、該当自治体の住民のすべての携帯やスマホ自治体からメールが入るようになったらしい。

 鳥取市のサイトを見ると、避難指示等の際には携帯・スマホ向けに「緊急速報メール」を発信するとある。先月7/7早朝6:43には鳥取市内全域にむけて避難指示が発令されたが、筆者が日本で使っているガラケーにはそのようなメールは入ってこなかった。先ほど調べてみたら、筆者のガラ携帯の機種では、緊急地震速報は入るが災害・避難情報は入らないとのことであった。中国の携帯では六年前にはすでに豪雨注意情報が入るようになったのに、日本の携帯にはいまだに入らない。この点に関しては、中国とはすでに六年分の差がついているのではないか。

 避難すべき地区の住民が持っている携帯やスマホに避難情報を送るようにすれば、おそらく七、八割の住民が直接かつ確実に危険を認識することができるだろう。いつまでも、大半の住民が聞き取れないような防災行政無線を使って「仕事をしました」と言っているようでは、外国人の笑いものになりかねない。

 明日の朝の台風による雨は短時間でもあり、先月ほどのことにはならないだろう。しかし九月になると、今は北海道付近にある秋雨前線が南下して本州付近に停滞する。これに台風が近づいて集中豪雨が発生するというのが山陰地方東部の典型的な豪雨パターンなのである。これからは年に何回も千代川が氾濫しかねないような集中豪雨がやってくることになるだろう。これも、今まで我々が好き勝手に温暖化ガスを出し続けたツケが回ってきただけの話なのではあるが。

 最近、調べてみてあきれたことがあった。千代川には百を超すほどの数の水門があるのだが、その管理責任者が国・県・市と完全にバラバラなのである。最近の浸水騒ぎを見るとこれらの行政機関の責任分担もまことに不明確なままのようである。しかも、彼らは「自分だけは責任を取りたくない」とばかりに、互いに責任をなすり合っているように見える。

 情けないというほかはないが、とりあえずは、我々は自分の身は自分で守るしかない。テレビやネットをみれば情報はふんだんに発信されているので、無責任な自治体を当てにするよりも、まずは自分で情報を収集し、自己判断で避難開始することに努めるべきだろう。

 誰も聞いていない防災行政無線システムは、即刻廃止にするがよかろう。少なくとも約12億円が無駄になるが、こんなものがあるから鳥取市の防災担当者が何も考えないのである。実際には役立たずの防災行政無線であっても、それで放送すれば自分の仕事は済んだと錯覚し、その範囲を超えて市民を守ることは自分の守備範囲外と思っているのではないか。

 実際に千代川が氾濫すれば、その被害額は12億円では済まないし、何人も人が死ぬだろう。役立たずの市の防災担当(危機管理課等)は不要である。緊急時の指令組織は極力簡単にして、誰が見てもわかりやすくすべきだ。少なくとも鳥取県内の範囲については、緊急時の指令組織は県に一元化すべきだろう。

/P太拝