「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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名刺を渡そうとしない鳥取市の職員

 当「開かれた市政をつくる市民の会」が先月上旬に深澤市長宛てに提出した「旧本庁舎の活用方法」に関する公開質問状ですが、先月末に回答がありました。先日この回答に対する当会としての見解を会の公式サイトに掲載しました。詳細については同サイトの記事をご覧ください。大変遅くなってしまい申し訳ありません。

 なお、この機会に、水害時の鳥取市の避難体制に関する疑問点を再度の質問状として提出しました。八月初め頃には担当の危機管理課からの回答が帰ってくる予定です。どの程度くわしい内容の回答が返ってくるのかはまだわかりませんが、今後の水害発生時の避難行動の参考としてください。

 さて、先月から何度か新市庁舎を訪れて数名の市職員と面談する機会がありました。以前から疑問に思っているのですが、面談時に市の職員から名刺をもらうことはほとんどないのです。今回も面談の最初に職員の皆さんは(上の)姓を口頭で告げただけ。肩書すら名乗らない人もいました。

 先月の面会後、家に帰ってから念のために市の職員名簿を調べようとしたが、市の公式サイト上には職員の氏名は一切公開されていない。仕方がないので人事異動の記事を調べたが、市のサイトには市職員の人事異動のデータすらも載っていない。要するに、鳥取市は職員の氏名が市民に知られることのないように異常なまでの努力を払っているのだということだけはよく判った。

 この鳥取市の異常なまでの隠蔽体質と、知事から各部署の非正規職員に至るまで(多分)全ての職員名が部署ごとに公開されている県の公式サイトとを比べると、その間の落差には天と地ほどの違いがある。

鳥取県職員名簿 

 以前から市の公式サイトには市職員名はほとんど掲載されていず、各部署の職位ごとの電話番号くらいしか載っていなかった。昨年11月に新市庁舎に引っ越して市公式サイトを更新してからは、市の情報隠蔽度はさらに高まり、現在では各部署の電話番号としては部署の代表電話番号しか載っていない。なんでここまで隠すのか?

 ふと思い立って、手元に保管している名刺を調べてみた。筆者は年に数回程度は県庁を訪問する機会があるが、県職員の対応は鳥取市職員とは全く違う。初顔合わせの職員との面会の場合、必ず相手が自分の名刺を差し出してくれる。筆者は県の政策に対しては批判的になることが多いが、他の人への対応を見ても、県職員の対応が相手が県政に対して持っている意見次第で変わるようなことはないように見える。

 手元に残っている名刺の枚数を数えてみたら、その割合は、県職員:市職員=8:1程度の比率であった。市役所を訪れる回数は県庁と大体同じくらいだったと思うので、市職員からもらう名刺の枚数は県職員に比べて圧倒的に少ない。

 会社員時代からの習慣で、筆者は面会直後には必ず名刺に当日の年月日を記入することにしている。日付を確認したら、市役所の中で市職員から名刺をもらったのは2016年が最後だった。この頃に「市民には名刺を配るな」という内容の市長通達が出たのかもしれない。2017年以降、市役所内で面会した市職員からは、一枚の名刺すらももらえていないのである (市役所外で市職員に会うことも稀にはあるので、その場合は除外)。

 さて、面会した相手に対して名刺を渡すこと、即ち、自分の氏名、所属先、連絡先を明らかにすることの意味は一体何なのかを少し考えてみた。自分の氏名と担当分野に関する情報を公開することは、「この件については、自分はなにがしかの範囲で責任を持つ」という意思を表明していることに他ならない。だからこそ、日本のみならず世界中において、ビジネスに関わる人々は、名刺の手渡しやメールアドレスの交換で自分の身元と所属先を明らかにすることを以て、商談・折衝・交渉を開始するのが慣例となっているのである。
 そのように考えると、鳥取市職員が筆者に名刺を渡そうとしないという事実が意味することは明白である。自分はこの件に関する責任を取りたくないという意思の表明に他ならない。自分に関する詳細な情報を相手に与えると、後で自分自身を指名して連絡がくるので迷惑だと思っているようにさえ見える。

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 「名刺を渡さない」=「自分は責任を取りたくない、かつ、二度と会いたくない。」

→ その結果、市民は誰が本当の責任者なのかわからない。

       市役所の各部門を右往左往、要するに「たらい回し」が頻発。

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 鳥取市の歳入の約三分の一は鳥取市民から取り立てている税金や手数料、残りの三分の二は国や県からの地方交付税や支出金・補助金から校正されている。要するに、市職員の給料の約三分の一は鳥取市民が支払っている税金なのである。その対価として、市職員は市民に公共サービスを十分に提供する義務がある。

 民間企業に例えてみれば、お客様である市民にサービスを提供する対価として市職員は給料を受け取っていることになる。お客に対してサービス提供を怠るような従業員は会社の存続を危うくする存在でしかないので、経営者が彼の給料を減額、怠慢がはなはだしい場合には解雇するのは当然のことだろう。しかし、鳥取市職員の場合には、市民への公共サービス提供を怠っている職員であっても、何ら恥じることも無く堂々と給料を受け取っているように見える。

 筆者は公務員、特に行政職は住民全体を対象としたサービス業の一種と捉えているのだが、こと鳥取市に限ってはこの見方は当てはまらない。彼らが「自分たちはこの街の支配者だ」と勘違いしている可能性は高いのではないか。約四十年前、関東地方から鳥取市にUターンした際の住民票の転入作業が、あまりにも役人の都合本位で市民に不便を強いていることに怒りを覚えた時から、筆者はこのように感じている。話し出すと長くなるので、この話はまた別の機会にしたい。

 市職員が名刺も渡さず公式サイト上に自分たちの氏名さえも公開しない理由としてもう一つ考えられるのは、彼らが鳥取市の一般市民からの批判を恐れているのではないかということだ。

 しかし、市職員に対する鳥取市民の怒りはもっともなことではある。何しろ、「市庁舎新築は不要」との市民の明白な意志が出た住民投票結果をひっくり返して、新市庁舎建設を強引に進めた深澤現市長の当選に大いに貢献したのが、現在の市職員の大半なのである。2014年4月の三氏が三つどもえで争った市長選挙では、市職員は一丸となって深澤陣営の集票に奮闘、市職員からのはえ抜きである自分たちの仲間を市長に押し上げることに大いに貢献したことは市民周知の事実である。当選後の深澤市長は、市経済の衰退が進む中で、職員給与の引き上げという形で職員に当選御礼を返している。

 おかげで我が鳥取市は、「住民投票結果を無視してひっくり返した、戦後日本政治史における初の自治体」の汚名をこうむることとなった。さらに約百億円と巨額の新市庁舎建設費の負担も一因となり、近年の市民に対する公共サービスの質は低下の一途をたどっている。市民の市職員に対する不満は、このような過去十年間に及ぶ市職員の行動の積み重ねに対する不信感に由来している。筆者の知人には、「鳥取市にはもう税金を支払いたくない」との理由から、他の自治体に毎年多額の「ふるさと納税」をしている例も存在する。

 要するに、元々は自分たちが蒔いたタネなのである。市民からの批判を恐れるあまりに被害妄想となり、せっかく親からもらった自分の名前を正々堂々と名乗ることも出来ずに、新市庁舎の中に閉じこもっているだけなのではないか。

 さて、市民の眼を一番恐れている市職員とは、深澤市長自身だろう。以前、当会サイトの記事「深澤市政二期目の公約の実施状況」にも書いたが、市が主催し一般市民との貴重な対話の場所である「地域づくり懇談会」の開催回数は年々減少。昨年度はたったの七回に過ぎなかった。今年はコロナ騒動を理由に未だにゼロのはずだ。市長は「今年は出なくて済む」と胸をなでおろしていることだろう。

 批判者を排除した安全な場所でしかモノが言えない臆病な人物が市のトップでは、鳥取市の衰退を止められるはずもない。市民からの批判を恐れず、自ら市民の中に飛び込んで行って、市の将来について市民と熱く議論できるリーダーこそが、今、求められているのである。

/P太拝

「目の前の小石」を拾っている人ばかり

 先週、小池都知事が再選された。366万票を獲得しての圧勝だった。この人については、以前から、顔を見るたびに「うさんくさい」「薄っぺら」という言葉が頭に浮かんでしまう。三年前の「希望の党」騒動も、いったい彼女がどういう政治を実現したいのかよくわからないままに終わってしまった。

 あの時は、批判する側も「排除の論理はよくない」という言葉尻だけをとらえての批判に終始していた。自分の政治主張に合わない候補者を自党から排除するのは新政党の提案者としては当然の行為だと思うのだが・・・。ただ彼女の場合には、その政治的主張の具体的な中身がよくわからないことが最大の問題であったようだ。明確な線引きを示さないものだから、野党の面々は、新政党に参加してよいのやら悪いのやら判断停止の状態にあったのだと思う。結局は、互いにイメージだけの言葉をメディアを介して投げつけ合うだけで、後に意義あるものを何一つ生まない不毛な騒動となってしまった。

 現在の日本の政治の混迷の原因は、このように具体的な政策レベルでの政治方針を一向に示そうとしない政治家と、メディアに流れるイメージ量の大小だけで投票先を決める有権者(それでも、投票に行かない有権者よりはまだマシだが・・)にあると思う。

 そもそも大都市の有権者はイメージ戦略に弱い。大阪ではかって漫才師の横山ノックが知事となり、東京ではテレビでの露出度が多いタレントや、タレント的な政治家が最近の知事の多くを占めている。

 二十代の頃、東京都内でアパートを探したことがあった。不動産屋の車に乗って物件を案内してもらっていたら、彼は「この町内は意外と有名なタレントさんが何人も住んでますよ」と自慢していた。「そんなことと街の価値の間に何の関係があるんだ」と思いながらも黙って聞いていた。「テレビに出ている人は、どういう人物であれ、出ること自体に相当の価値がある」と思い込む傾向は全国的な現象なのだろうが、東京ではその種の人の割合が全国平均よりもかなり高いようだ。

 そんなことを考えていたら、昨日、面白い記事を読んだ。石原慎太郎元知事の腹心で副知事を務めた浜渦武生氏へのインタビューである。同氏のwikipediaを見ると、石原氏と同様にかなり強権的かつ暴力的な人物のようであるが、この記事の末尾に出て来る表現が何とも面白いので以下に紹介しておこう。

「小池知事の父の夢支えた浜渦元副知事「百合ちゃん幸せか?」」


 共感したのは、この記事の末尾にある「彼女には政治家としてやりたいことなどなく、ただ目の前の小石を拾い上げているだけに見えます」という部分である。

 「目の前の小石を拾い上げているだけ」というのは、考えてみれば、その場しのぎのパフォーマンス合戦に終始している日本の大半の政治家にピッタリな表現である。小池氏だけではなく、安倍総理を筆頭とする内閣の閣僚の面々、与党と野党の多くの議員がやっていることは、目前に差し迫った解決しなければならない問題という名の小石を優先してに拾いあげることで、課題に真摯に取り組んでいるかのように国民に対して見せかけるというもの。内閣と与党の場合には、拾った小石をいったん官僚に渡し、官僚は国民がその問題を忘れた頃に別の場所に小石を再びそっと落として歩くだけのことのようである。

 小石は拾って見せる一方で、大きな石は最初から避けて通ろうとする。この大きな石とは、先進国中最悪の政府負債、停滞し他国に置いてきぼりにされるばかりの生産性、それらの結果としての日本経済の没落、一向に改善しない出生率等々である。国の今後を左右する課題は数えきれないほどあるのに、一向に正面から取り組もうとはしていない。熱心に小石を拾って見せることで自分のイメージを良くし、次の選挙に備えることが最優先なのである。

 大きな石に正面からぶつかって自ら動かそうとしている政治家が、現在の日本に何人いるだろうか。目前の大きな石の一つであるコロナ対策にしても、国民の自主規制で今までは何とか感染の広がりを抑えて来てはいるものの、政府対策の実行の遅さは先進国中では最低ランクであることが既に露呈してしまっている。

 「小石を拾うだけの人」は、当然だが、地方政界では大半がそうである。地方自治では大きな石に出会う機会はめったに無いのでそれでも良いのだが、問題は「小石すらも拾わずに税金で飯食っているだけの人」の存在である。例えば、鳥取市議会の、特に与党の多くの議員は、「就職先として市会議員を選んだ」だけである可能性が高いように見える。

 議会内でも役所内でも、実際には拾ってもいないのに「小石を拾っているふりをするだけの人」もかなり多い。市職員の中では、本当に小石でもよいので真面目に実際に拾っている人は、それだけでもかなり貴重な存在なのかもしれない。

 この「小石を拾う」という表現、色々な場面で活用できそうである。

/P太拝

香港は死んだ

 今回も中国ネタです。これで三回連続。自分は、昔から人権侵害や人の自由を奪う行為を見ると黙ってはおれない性格なので、最近はどうしても香港報道に注目してしまう。市民の発言の自由を奪うような政府は、右だろうと左だろうと「さっさとクタバレ!」と言いたい。コロナや豪雨水害も気になるが、情報が毎日あふれるほど流れているので食傷気味。また別の機会に取り上げようと思います。


 今月初め、ついに「香港国家安全維持法」が施行された。もはや「香港は死んだ」と言ってよい状況となってしまった。
「香港の挽歌 もう誰も共産党を止められないのか」

 次の記事の内容によれば、中国・香港籍ではない外国人でも、中国政府を批判していれば香港を訪れた際に逮捕される可能性があるそうだ。一部を抜粋しておこう。

「・・・中国外からの香港民主派支援や中国共産党を批判する言動も同法に抵触する恐れがあり、2日付の香港紙・明報は「外国人が海外で違反行為をした場合、香港を訪れた際に逮捕される可能性がある」と報じた。国家安全法第38条は「香港特別行政区の永住権を持たない者も香港以外で規定の罪を犯した場合、本法が適用される」と明記。香港の司法関係者は「全世界80億人が対象だ」と困惑する。・・・」


「違反外国人、香港で逮捕の恐れ 国際金融センターの地位に影 ― 国家安全法」

 「この法律の施行が、中国共産党王朝の今後の長きにわたる没落の最初の一里塚になるだろう」などと当ブログに書いている筆者のような一般平凡人も、今後香港に行けば逮捕される可能性が出てきたのかもしれない。この法律をその文字通りに運用したら、香港を訪れる外国人の多くが逮捕されて中国に送られ、中国国内の刑務所が満杯になりかねないだろう。

 中国の法律の怖い所は、判断基準を故意に曖昧にして、その運用を司法側の解釈しだいにしているところだ(最近では、日本の司法にもそのような傾向が見られるようだ)。実際には、警察や検察はその場の気まぐれや、上部への忖度の度合いによって逮捕対象を決めるのだろう。表面的には法治を装いながらも実質的には人治とすることで、取り締りの対象からの権力側への賄賂の増加を期待しているのではないかとさえも思いたくなる。

 いずれにしても、もはや香港にも、まして中国大陸にも足を踏み入れる気にはならない。何処に行っても監視カメラの網目から逃れられず、その記録が後でどのように利用されるのかわからない国には到底行く気がしないのである。香港には過去に四度ほど行ったことがあるが、もうあの鉛筆みたいに細い高層ビルが林立している街を、多種多様な人種で混雑しているオモチャ箱をひっくり返したような街の中を歩けないかと思うと何とも残念だ。

 以前にも書いたかもしれないが、香港では「そごう」デパートによく行った。元々は日系資本だったが、日本のそごうが経営破綻して香港から撤退した後は、現地資本が店を引き継いで店の名前はそのままにしていた。五階か六階には日本の雑誌を置いている書店コーナーがあり、日本の文字に飢えていた筆者は定価の約五割増しの雑誌を何度か買ったものである。当時の中国本土では英語が通じるのは若い人だけだったが、香港ではたいていの人が英語を話せる。ただし、地元出身者同士になると北京語とは発音が著しく違う広東語での会話なので、はたで聞いていると何について話しているのかさっぱりわからない。
 このデパートの近くには中国政府の批判書をたくさん置いていることで有名な「銅鑼湾書店」があり、十数年前に一度訪ねてみたことがある。予想外に小さな店で、鳥取市内で言えば、今はもう無くなったが若桜街道沿いの今井書店の二階部分程度の狭さであった。大陸では禁書の毛沢東批判本などが堂々と売られていた。店の外に出ると、近くの街頭で「中共を殲滅せよ」とのノボリを立ててアジ演説をやっている人達もいた。今思うに、彼らは江沢民政権から大弾圧を受けて国外にのがれた「法輪功」集団の一部だったのかもしれない。法輪功については、また別の機会に触れたい。

 中国本土でこんなことをやったら、直ちに警官が駆け付けて来て、ボコボコに殴られて引っ張って行かれるだけのこと。「香港は本当に自由なんだ」と思ったものである。この店の店主等は、2015年以降に相次いで中国政府に不当にかつ暴力的に拘束され、今ではこの書店名のままで台湾に移転済みである。その気にさえなれば、自ら作った法律も、他国との間の約束も平気で破るのが今の中国政府なのである。彼らの言うことを信用してはならない。


/P太拝

香港と中国のこれからは・・・

 今年初めから当「市民の会」で取り組んできた鳥取市の旧本庁舎跡地問題ですが、ようやく会としての提案をする段階にまでに至りました。今月初めに市長あてに公開質問状を提出、今月末くらいには回答が得られる見込み。提案の骨子は、「旧本庁舎は解体せず耐震改修して存続させ、災害時の中心市街地の避難所として再活用する」というもの。
 市内の避難所の分布を調べてみて、市中心部には避難所が全く無いことに気づいたのがこの提案を検討するきっかけでした。先日、市内では二日間にわたって激しい雨が降り続いたが、梅雨も台風もこれからが本番。なのに、鳥取市の現状では避難所の確保さえもまともにできていない。市内中心部が水没したら、いったいどこに逃げたらよいのでしょうか。鳥取市民の方は是非ご一読ください。

 

 日々のニュースはあいかわらずコロナの話題が大半で各種情報が入り乱れ、最近は食傷気味で取り上げる気にもなれないのだか、気になる点を一点だけ。

 「日本のPCR検査が少ないのはやむを得ない」という主張は二月時点からあったのだが、最近は「PCR検査が少なかったからこそ、日本は感染を抑え込めた」という珍説まで登場しているようだ。少し調べてみると、このような「検査数抑制肯定論」を唱えている論者の大半が医療関係者、または医療界に詳しいジャーナリストであった。彼らは検査数を増やせない理由を日本医療界の現状を説明しつつ展開しているのだが、傍目で見ると「できない理由をあげつらって現状維持をもくろんでいる」ようにしか見えないのである。

 視点を変えて、「なぜ韓国、ドイツ、米国等は急速に検査数を拡大させて、一日の検査能力を日本の数十倍、数百倍に出来たのか」という点を突き詰めていけば、日本の欠陥が浮き彫りになると同時に有効な対策も明らかになると思うのだが。他国と比較してみない限り日本の欠陥は見えてこないが、そのような論者はまだ表れていないようだ。

 この「出来ない理由をあげつらうことで新しいアイデアをつぶす」という姿勢は、上は国政レベルから下は零細企業の経営にいたるまで、日本国内の至るところで日常的に見られる光景である。先日、「九月入学論」(筆者はこの案に賛成!)がつぶされたのもその一例に過ぎない。

 この「出来ない理由の展開論者」とは、今までの体制の中で既得権益を確保しそれにしがみつこうとしている者、または新しい体制に踏み出す自信が無いか不安を覚える者に他ならない。彼らは、「出来るようにする努力」を最初から捨てて、「出来ない理由」を数え挙げることばかりに精力を費やしている。ぬるま湯につかっているカエルは、「アア、極楽、極楽、ここから出たくない」と眼をつぶってのんびりしているうちに、いつしか湯から出ることもままならなくなり、ユデガエルと化してしまうのである。

 

 さて、コロナ感染以外の話題で最近気になっているのが香港と中国のこれからである。香港の政治的自治を破壊しようとする現在の中国の姿勢については、筆者は「金の卵を自ら踏みつぶすようなもの」と思っているのだが、同じ見方をする論者が大半のようである。

「習近平の大誤算…いよいよ香港から「人」も「カネ」も大脱出が始まった!」

 福島さんの記事を読むのは久しぶりだ。産経新聞の元記者で、北京駐在時に取材内容で上司と対立してホサれ、結局は退社してフリーとなった経歴を持つ。取材力には定評がある人。
 もう一つ記事を上げておこう。経済面から見れば、米中対決では元々から中国には勝ち目がないことがよくわかる。

「香港「国家安全法」巡る米中対決、中国に勝ち目ナシと言える理由」

 もう、中国は「大国意識」を早く振り捨てた方がよいと思う。過去の栄光の復活を追い求めて長大な国境線を維持しようとし続けることで、ウイグルチベット内モンゴルの人権を踏みにじると共に彼らの伝統文化を破壊、国内では単なる見栄にすぎないバカでかい建物を建て続けることで膨大な資源を浪費、全ての国民の行動を常時監視、各種宗教を弾圧、いまだにまともな選挙すら実施できないありさまである。「中国の特色ある社会主義」の実態とは、結局は、かってジョージ・オーウェルが描いた「1984年」の具現化、「監獄国家」の実現にほかならない。

 そもそも、移民を受け入れない(移民が行きたがらない)国が、超大国として長きにわたって君臨した例はない。ローマ帝国、唐代の中国、チンギスハンが建てたモンゴル帝国大英帝国、現代の米国。大国化の過程では相当悪辣なこともやったが、超大国に成長したのちは、むしろ憧憬の対象となって大量の移民を受け入れ、各種の民族や宗教も含めた多様性も容認し続けたのである。現代中国に移民したい人間が、今、世界中に何人いるだろうか。

 今回のコロナ騒動の前から中国経済は成長が止まりつつあったが、この騒動による各国企業の生産分業体制の見直し、さらに香港への政治的介入によって、海外から中国への投資は今後一段と細るだろう。人材の流出も加速するはずだ。

 今年のアジア地域大学ランキングによると、トップ10大学のうちの実に三校が香港の大学なのである。(ちなみに、日本からのトップ10入りは東大だけ。)中国大陸から香港の大学に入学した学生も多いようだが、一度自由の空気を吸った若者が、自らすすんで再び監獄国家に戻る可能性は低いだろう。香港経由で中国大陸からの資本と人材の流出が加速していくことになる。

 輸出による外貨獲得で成長し、「一帯一路」構想で途上国に投資する立場にまで至った中国だが、その経済の前途には暗いものがある。経済が下降し始めた途端に社会が不安定化し、時の王朝が打倒されるのが中国の歴史の常なのである。習近平が「中国共産党王朝」の最後の皇帝となる可能性も、わずかながらも出てきたのかもしれない。

 中国共産党もいずれは歴史の舞台から退場することになるだろうが、大陸の中国人はその後の将来像としてはEUを参考にするのがよいと思う。各地域の自治を重視しつつ、全体としてはゆるくまとまっている連合体を目指せばよい。各地域毎の在り方としては台湾がよいモデルとなるだろう。地域ごとに独立色を強めた方が、大陸の中国人は今よりもはるかに幸福になれると思うのである。

 もはや国家間で大きな戦争をするような時代ではないので、国の軍隊の規模を誇る必要はない。。現代の戦争とは経済覇権をめぐる競争、細分化すれば、資源確保力、技術力、文化的ブランド力をめぐる競争であり、最新兵器や軍隊は既に「相手を威嚇するための見せ球」と化しつつある。あまりにも互いの経済的・人的関係が深まりすぎていて、「国家間で全面的な戦争をしたくても実際にはできない」のである。

 1989年6月4日、日曜日の早朝、筆者は四国の山中にテントを張って小型ラジオから流れるニュースに耳を傾けていた。当時はまだ、暇さえあればあちこちの山に登りたかった頃で、前日から四国の山に遠征していた。天安門広場近くに人民解放軍が集結しているとの報道が前々からあり、気になってラジオを持参していたのだ。「天安門広場で軍が発砲している」との報道を聞いた瞬間、これからいったい中国はどうなるのだろうと思ったことを覚えている。自分が将来、中国で一定期間働くようになるとは、当時は想像もしていなかった。

 その後の展開は周知の通りだ。欧米が批判を強める中、「人権よりも目先の儲けを最優先」する財界の圧力を受けた日本政府は、他国に先駆けていち早く中国との経済交流を再開させた。1990年代に入ると日本の製造業が先を争うようにして中国に進出、中国経済の高度成長を技術と資本の両面で大いに支援したのである。筆者が在籍していた業界でも、大半の会社が中国に進出して自前なり合弁なりの工場を持ったものの、いまや大半の製品でお株を奪われて国内工場は軒並み閉鎖。国内メーカーで元気なのは、特定の分野に特化して競争力を磨き続けた少数の部品メーカーだけとなった。

 当時の中国は経済的には小国にすぎず、日本が欧米諸国と足並みを揃えて中国を経済的に孤立させることは現在よりもはるかに容易であったはずだ。当時の日本政府がそのような選択肢を取っていたら、今の中国がこれほどまでに世界に対する大きな影響力を持つには至らなかっただろう。

 今後、香港で天安門事件のような規模の大虐殺が再び起きるとは思えない。リーダーになり得る優秀な若者ほど、人民解放軍がやってくる前に早々と香港から逃げ出すだろうから。英米を始めとする欧米諸国も、台湾も、もろ手を挙げて彼らを歓迎している。日本文化に親しみを感じる香港の若者もかなり多いとのことなので、日本にもどんどん来てもらえばよい。日本政府も、日本の経済界も、31年前の経験にあらためて学ぶべきだと思う。

/P太拝 

My favorite songs (12)  -テレサ・テン-

 香港の自由が奪われようとしている現在、自由な香港を愛した台湾生まれの歌手、テレサ・テンさんを想い、あらためてその素晴らしい歌声を偲んでみたいと思います。

 高校三年の頃、当時よく読んでいた高校生向けの雑誌に香港?から来日した歌手の紹介が載っていました。「丸顔で可愛い子」と言うのが第一印象。ずっとテレサ・テンに関する記憶だと思っていたが、改めて 「wikipedia テレサテン」を見ると日本でのデビューはアグネス・チャンの方が先、単なる筆者のカン違いだったのかもしれない。 


 日本でデビューして数年後の1974年に「空港」が大ヒット、その後の展開はご存じの通り。以下、yotube上の曲をジャンル別に分けてみました。

(1)日本での発表曲

「空港」(1974)  まだ日本語が少したどたどしいです。

「つぐない」(1984) 榊原郁恵さんもまだ細かった!時代。

「愛人」(1985)   中国語の「愛人」(アイレン)は自分の配偶者を指す言葉。日本人は誤解しやすいので要注意。

「時の流れに身をまかせ」(1986) 

「別れの予感」(1988) 

「悲しい自由」(1989)  天安門事件発生から五か月後の映像。最後の「So long あなたの背中 見送るは・・」とは、大陸中国に送る言葉であろうか。

 

(2)中国語での歌

「山茶花」 牧村三枝子の「みちづれ」を改詞した曲。「山茶花」とは椿の花のこと。

「雨夜花」  発音が理解できなくても、漢字があると何となく意味が分かるでしょう。この曲は台湾民謡との説もあり、発音は標準中国語(北京語)ではなく台湾で広く使われている閩南語。

「月亮代表我的心」 華北の某市で仕事をしていた頃、取引先の役員と仲良くなり何度か一緒に食事に行った。話しているうちに、互いにテレサテン(中国名 鄧麗君 デン リーチュン)のファンとのことで、さらに意気投合。彼は筆者より十歳程度年下であり、改革開放が始まった1980年前後には二十歳くらいだったはず。「人民解放軍の兵士は、昼は鄧小平の演説を聞き、夜は鄧麗君の歌を聴く」というのは本当だったんだと思った。
 ある日、彼は食事の場に「僕の女友達、鄧麗君にそっくりでしょう」といって若い女性を連れてきた。正直言って、テレサテンよりもさらに数段綺麗。日本に連れて行ったらすぐにアイドルになれそうな感じである。この「月亮代表我的心」は中国国内でもよく知られていて、彼女はその一部をうたってくれた。

 それにしても、どう見ても彼女は二十代、親子ほど年が離れているカップルには恐れ入った。中国では、何かしらの権力を持っている人物の場合、奥さん以外の女性を食事の場に堂々と連れてくることはよくある話だ。権力誇示の一種かもしれない。

 他の人から聞いたところによると、彼の父親は党の有力者だったとのこと。普段の彼は、特にこれといった仕事をしているようには見えない。地方政府や税務署との関係で会社がトラブルに巻き込まれた際に出て行って、昔から築いてきた人間関係を使って穏当に解決するのが彼の本来の役割らしい。いわばミニ太子党といったところか。どの家に生まれたかで人生が決まるのが今の中国なのである。マルクスエンゲルスが今の中国を見たらなんというだろうか。

 

(3) 他の歌手の持ち歌

 テレサテンの歌で好きなのは、どちらかというと、彼女の持ち歌よりも他の歌手の持ち歌を彼女が歌っているもの。彼女の声にはなんとも言えない哀しみが含まれており、聴いているうちに実にせつない思いに包まれてしまうのである。悲しい曲ばかりになるが、筆者がよく聞いている歌を以下に紹介。

「愛しき日々」

「そして・・・めぐり逢い」 五木ひろしの持ち歌。

「心凍らせて」

「北の旅人」 

「想いで迷子」

 以上、テレサの歌を紹介してきたが、最近、彼女の人生の総集編ともいえる動画がTBSの画像を使ってアップされました。約50分の長編だが、時間のある時にゆっくり見ていただきたい。この動画の最後には、天安門事件の直前に香港で中国国内の民主化を支援するテレサの姿が紹介されている。

 「テレサ・テン名曲熱唱」 

 1995年5月8日、出張で上司と一緒に新幹線に乗っていたら、突然、車内前方のニュース表示板に「テレサ・テン、急死」の文字が流れた。筆者と同世代でまだ42才、しばらくは呆然とした。最近は、youtubeであらためて彼女の歌声の素晴らしさを楽しめるようになった。まさに国境を越えた東アジアの、いや世界的な大スターであったと言ってよいだろう。あまりにも早い逝去が惜しまれる。台北の公園にある彼女の墓を訪れることは、今後、自分がしなければならないことの一つだと思っている。

 自由と平和を愛し、アジアの各国の人々を愛し、今は天国にいるテレサは、現在の香港の状況を見てどう思っているだろうか。絶対に、香港の自由が奪われることがあってはならない。

/P太拝 

特別定額給付金10万円、オンライン申請は大混乱

 先日、鳥取県を含む39県に関する緊急事態宣言の解除が発表された。しかし、感染者数が減ったのは、過去約一か月にわたる外出の自主規制によって感染者との接触が減ったことによるものであり、ウィルスの感染能力とその危険性が多少なりとも減ったというデータは今のところ何一つない。

 宣言解除に浮かれて出歩いていては、再び感染者数が増加に転じることは確実だろう。真の「緊急事態宣言の解除」とは、国民全員の個人レベルまでの感染有無確認が可能になった時点、もしくは、画期的な治療薬又はワクチンが承認されて誰もがその適用を受けられるようになった時点であることは、いまさら言うまでもない。

 さて各自治体では、いわゆる「特別定額給付金」、各世帯当たり10万円の政府支援金の支給が始まっている。しかし、この支給開始の時期については、各自治体の間に極めて大きな差がある。わが鳥取市では、大半の世帯が支給を受けられるのは、早くて来月六月の初め。対して、米子市では今月初めから支給のための審査を既に開始しているとのこと。この「県内格差」に関する記事は、当「開かれた市政をつくる市民の会」のサイトに先日掲載したので、詳しくはそちらをみていただきたい。我が鳥取市は、おそらく鳥取県内では最も支給開始が遅いグループに入るようだ。

 この「鳥取市の何事につけても遅い対応」については、今後あらためて触れてみたいが、今回問題にしたいのは、「この給付金制度の仕組みが欠陥だらけ」ということについてである。10万円の申請については、「オンライン申請」と「郵送による申請」の二通りがあるが、この「オンライン申請」の仕組みが穴だらけであることが早くも露呈してしまった。

「給付金で大混乱「市役所窓口」のヤバすぎる内情 現場で起こる"3つの問題"に職員は怒り心頭」 

 問題点を整理すると、

① マイナンバーカードを持っている人の割合が低い(今年一月現在で約15%)のに、他国のまねで格好だけつけて同カード経由の申請ルートを作ってしまった。
② 根本的な欠陥は、この申請システムが各自治体の住民基本台帳システムとの間に全く関連性が無いこと。そのために、各自治体の職員が手作業で時間をかけて紐づけしなければならない。仮に一人が何度も申請した場合、職員の見落としがあれば同一人物に10万円が何度も支給されることになってしまう。
③ その他、政府サイトの回線の容量不足、政府広報の不徹底による住民の誤解等々、欠陥だらけ。

 他市に遅れてオンライン申請受付を始める鳥取市だが、はたして申請をうまくこなせるのだろうか。一人で何度も10万円をゲットする例が出てこなければ幸いである。

 なお、筆者はマイナンバーカードを持っていない。政府がカードを何に利用するか判らないので作る気にはなれない。

 「政府はカードの用途をあらかじめ明示しておくこと。この指定用途以外の目的にカード情報を利用した者、または利用を指示・教唆した者は、罰金一億円、もしくは十年以上の懲役に処す。」というような法律が成立すれば作る気になると思う。

 しかし、何事につけても指示内容を曖昧にして、後で「人治が介入する余地」を極力残しておこうとする我が国の官僚の体質をみれば、このような法律が実現するとは到底思えない。
 また、各自治体の住民管理システムが全くバラバラであることはこの記事を読むまで知らなかった。役所の業務効率がこのような有様では、国全体の生産性がOECD諸国中で最低ランクにあるのも当然の結果だろう。こういう問題の解決こそが政治家の出番のはずなのだが、政治家も官僚も関連業界も、お互いに摩擦を避けて既得権益の中に安住するばかりである。

 それにしても、この内閣の無能さ、実行力の無さにはあきれるほかはない。元々は「下駄についた雪」、もしくは「濡れ落ち葉」であったはずの公明党にダダをこねられて導入した一世帯当たり10万円だが、安倍総理と今井補佐官を始めとする一部の取り巻きが主導、官房長官以下の内閣の主要閣僚は総理の独走をただ傍観していただけのようである。通常の意思決定ルートであればもう少し各層官僚機構によるチェック機能も働いたのだろうが、功をあせった拙速の結果、このオンライン申請システムも、未だに届かないアベノマスクと同じく大失敗に終わりそうである。

 この我が国政府の対応とは対照的な事例も紹介しておこう。一つは既にその迅速な対応がよく知られている台湾、もう一つはコスタリカである。

「「自粛最小限でも感染ゼロ」台湾の絶妙なやり方 「休校」も「営業自粛」もこんなに違っていた」
 この記事シリーズは漫画入りで判りやすい。他の記事も参照されたい。

「台湾のコロナ対策を賞賛する、日本の人たちに知ってほしいこと」
 今の台湾の民主主義は市民が血を流して獲得したものであることがよくわかる。これを読むと、選挙のたびに投票率三割が当たり前になりつつある今の日本は、本当に民主主義国家なのかと疑問に感じてしまうのである。

「台湾のコロナ対策が爆速である根本理由 「閣僚に素人がいない」  ポストを実力本位で振り分けている」 
 非常に優秀な人を選んで大臣にしていることが、台湾の迅速な意思決定の背景にある。閣僚21名中で国会議員は3名しかいず、他は各分野の専門家とのこと。政権与党が交代しても引き続き閣僚に留まる専門家も多いとのことである。

 大臣ポストの選定が総裁選での論功行賞の場と化し、「パソコンに触ったことがないIT担当大臣」、「三権分立の意義が理解できない法務大臣」等々の存在に、日頃からため息をついている日本人から見れば、なんともうらやましい話である。日本の政治が台湾並みになるのは何時の日だろうか?

 ご存じのように、台湾は大陸中国との間で常に臨戦態勢にある国(あえて国と言いたい)なのだが、それとは対照的にコスタリカは軍備を放棄した国として有名であり、ある種の理想国家でもある。強権的国家でなくても、ちゃんとコロナ対策ができるという素晴らしい実例である。

「コスタリカは、なぜたったの1か月でコロナ患者を半減させられたのか?」
 担当大臣が医療専門家であること、患者の窓口負担が無料(保険料は必要)、治療方針の早期明確化、軍事費が無いことで保健体制が充実できた等がその理由だが、何と言っても同国が人口約五百万人の小国であり、政府が国の隅々まで実情を把握していることが有効な対策を打ち出す上では大きいのだろう。

 これを読むと、日本政府も自己満足と支持率狙いのパフォーマンスばかりやっていないで、早急に各県に権限と財源を渡し、各県ごとに地域の実情に応じた対策を取った方がコロナ感染対策には有効だろうと思うのである。

 /P太拝 

日本政府はコロナウィルスの検査数をなぜ増やさないのか?(6)

 昨日の5/6、韓国は早々と外出・集会制限を緩和したそうである。
「韓国、外出・集会制限を緩和 公共・スポーツ施設再開 新型コロナ」

 ドイツも今月中にサッカーリーグを再開するとのこと。先日、緊急事態の延長を決めた日本とは対照的だ。
「ドイツ、封鎖措置を大幅緩和 プロサッカーも月内再開」

 各国のPCR検査数の今までの累計を見ておこう。次の4/30付の東京新聞の記事が主要各国の同時比較としては現時点では一番新しいようである。

「PCR検査態勢 積極的 遅れ 明暗分けた各国」

 この累計検査件数を各国人口(2018年)で割ることで、人口千人あたりのPCR検査件数を計算し比較してみた。

 韓国 11.7 ドイツ 24.1 ロシア 20.6 UAE 102.3 米国 16.4 日本 1.0

 日本がダントツで他の国よりも一桁以上も検査数が少ない。人口千人あたりの検査件数が韓国並みになれば外出規制の緩和ができるものと仮定し、さらに日本の今後の検査数を一日当りの平均で一万件 (いまだに一度もこの件数を越えたことはないのだが・・・) と仮定すると、日本が韓国並みに外出規制を緩和するまでには、あと145日、約五か月近くもかかる計算になる。

 ちなみに、より新しい検査累計数としては、韓国が5/3時点で630,973名、日本が5/6時点で156,866名との数字が出ている。

「韓国の新型コロナ感染者13人増え計1万793人 新規の市中感染3人」

「東洋経済オンライン 新型コロナウイルス国内感染の状況」

 さて、今月に入って、日本国内の新規感染者数がやっと減少に転じたようだが、急いで経済活動を再開すれば再度増加に転じることは明白である。上の各国の比較でも見たように、経済の回復と感染の収束を両立させるためには単に「三密」を避けるだけでは十分ではなく、PCR検査や抗原・抗体検査の検査数の激増こそが不可欠であることは、いまさら言うまでもない。

 最近はようやくPCR検査の拡充が遅れている原因に関する記事が散見されるようになってきたので、今回はあらためてその話題を取り上げてみたい。5/4の政府専門家会議後の記者会見で、副座長の尾身茂氏(地域医療機能推進機構・理事長)がこの点について触れている。

「PCR検査拡充されず「フラストレーションあった」 専門家会議」

 尾身氏によれば、PCR検査数が増えない理由は、まず過去の経緯としては以下。

① 日本では感染症対策は地方の衛生研究所が主に担ってきた。ここは既知の感染症対策が主な業務であり、新しい感染症を大量に検査する仕組みが国内にはなかった。

② 2003年のSARS流行が国内で起きなかったために、大流行した韓国やシンガポールに比べて体制の確立が不十分なままであった。

 次に現時点での問題点として、以下を挙げている。

③ 保健所の業務過多
④ 入院先の確保が不十分
⑤ 地域外来・検査センターの不足
⑥ 感染防護具、検体採取キット、検査キットの不足
⑦ 検体採取者の養成
⑧ PCR検査体制の把握、検査数や陽性率のモニター公表が不十分

 これを見ると、三月以降の二か月間、厚労省は一体何をしていたのかと言いたくなる。本来は自省が率先して当然手配すべき数多くの業務を、各県の保健所と衛生研究所に丸投げして傍観していただけではないのか。

 この尾身氏の会見の前に安倍総理の会見があり、その中でもPCR検査が増えない理由として上とほぼ同じ点を挙げているが、総理自身が動いて各部門の尻を叩くことも無く、今までこの状態を放置し続けて来たという点に対する反省は一切見られない。「自分とは関係ない、どこか他人事」という態度に終始している。

「首相記者会見全文(8)伸びぬPCR検査数「大都市圏中心に対策徹底」」

 また、次の記事を読むと、「厚労省は検査増大すべしとの旗を降っているだけ」で、現場の保健所は疲弊する一方で、日本感染症学会、日本環境感染学会学会は検査数の増加に反対し続けていることがわかる。

「PCR検査「全然受けられない人」を続出させる闇 クラスター対策への拘泥が現場を疲弊させる」

 政府が主導して、なかなか言うことを聞かない各抵抗勢力間の調整を図るべき局面のはずなのに、安倍総理指導力を発揮するどころか、国会では内閣府厚労省が作った作文を棒読み、品質劣悪なアベノマスクだけは積極的に率先して立案、官邸でソファに座って愛犬の頭をなでている動画を配信しては受けを狙っているだけなのである。

 日本医師会がそんなに怖いのだろうか。先回の記事でも述べたように、同医師会の推薦で自民党に加わっている議員は、たかが参院議員二名ではないか。安倍総理は国民の命よりも自民党議員二名の方が大事なのか?

 毎日のニュースには「医療崩壊」の文字が踊っているのだが、崩壊は病院内だけで起こっているのではない。一般家庭も含めた日本の医療体制全体がまさに崩壊しつつあるようだ。

 次の記事は、おそらく風邪だったろうと思われるのだが、先月下旬に突然38℃台後半の高熱を発した女性ライターが、四日間も開業医と相談センター(保健所)に相手にされず、自宅で寝ているしかなかったという生々しい体験をつづったものである。都内での話と推測されるが、既に地方でもこのようなタライ回しが起こっているとの記事が散見される。全く他人ごとではない。

 我々自身、明日にもこのライターと同じ状況に陥るかもしれないのである。おちおち風邪にもかかれない。現在、一般国民をこのように苦しめている責任が、無為無策安倍内閣厚労省にあることは明らかだろう。

「発熱は診療拒否、100回かけてもつながらないコロナ相談センター」

 さて、このような現状を見ると、日本という国はあいかわらず補給を軽視する国であることがよくわかる。先の戦争では食料や医薬品の補給を考えずに無謀な作戦を強行したことで多数の兵士の人命が失われた。実際の戦闘での戦死者よりも、餓死者・病死者の方が何倍も多かったことは周知の事実である。

 上に挙げた尾身氏によるPCR検査が増えない理由の③~⑦は、まさに物的・人的面における補給体制の不足に他ならない。直接責任を持つべき厚労省は、補給の責任を地方自治体や保健所に押し付けて傍観しているだけなのである。総理と厚労相の国会答弁だが、その実質はあの「大本営発表」の再現にほかならない。

 次の記事は、旧日本軍の失敗例を取り上げた名著『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』の内容と同様の失敗が、今回のコロナ感染に対する日本政府の対応にも認められるとの指摘である。筆者もこの本は何度か読み返しているが、確かに、今回の政府対応には、旧日本軍の行動特性と共通する点がたくさんあると感じていた。改めて読み直してみようと思っている。

「繰り返される日本の失敗パターン」

 なお、この記事の最後で触れている「・・・安倍首相と親しいある評論家が、厚生労働省の戦略に批判的なテレビ番組に対して電波使用を停止すべきだなどと言い出した。・・・」の評論家とは、有本香氏のことである。

 次の記事が問題の彼女の主張である。「国民一丸」を阻んでいるのは、既存権益を死守しようとする厚労省日本医師会の身勝手な振る舞いを放置し続けている安倍総理自身だと思うのだが・・・?

「【有本香の以読制毒】「国民一丸」阻む敵は誰か? 批判ばかりの左派野党にあぜん、不安あおるワイドショーには罰則を」

 この記事の中で有本氏が使っている言葉の品性の無さは、例えば北朝鮮メディアのあの口汚い記事にそっくりであり、読んでいるうちにだんだん不快になってくる。全文を通して読むのは不愉快でしかないので、問題の下記部分は三ページ目にあるとだけ指摘しておきたい。「・・・非常時の悪質なフェイク報道には「電波使用停止」などのペナルティーを検討すべきである。・・」

 有本氏はフジ産経グループに所属しているニッポン放送文化放送も同じくフジ産経グループ)の常連コメンテーターも務めており、どうやら有本氏はフジ産経グループ専属の「評論家」らしい。こんな愚劣かつ低レベルの記事を恥ずかしげもなく堂々と書いているようでは、他のメディアからは到底お呼びがかからないであろう。総理のお友達には、実に優秀な面子がそろっているようである。

 4/6に「一日二万件のPCR検査体制の実現」を約束しながら、未だに検査数が最大でもその半分にも達していない安倍総理の発言こそが「フェイク」ではないのか?

 森友問題等でも国会で公然とウソをつき続けている総理を一貫して擁護し続けているフジ産経グループこそ、「フェイク記事垂れ流しメディア」の代表であり、即刻電波停止すべきではないのか?

 有本氏には、「天に向かって唾を吐く自称評論家」との称号を謹んで差し上げたいものである。 

 /P太拝

日本政府はコロナウィルスの検査数をなぜ増やさないのか?(5)

 今朝のニュースによると、鳥取県内であらたに二人の感染が判明したとのこと。うち一人はNHK鳥取局の20代のディレクターだそうだ。

 米シリコンバレーで血液サンプルからの抗体検査を実施したところ、既に確認された感染者数の五十倍以上の住民が感染していたことが推定されるとの結論に至った。公式に感染者が一人確認されたら、その背後には五十人以上の未公認・無自覚の感染者が潜んでいることになる。もう鳥取県内も安全地帯とはいえないだろう。当面は外出を控え、手洗い・消毒を徹底する以外には我々ができることはない。
「米シリコンバレー、実際のコロナ感染者数は公式発表の50倍超 研究」

 先日、安倍総理が記者会見をして「一人あたり10万円」の支給が決まったが、これは一時しのぎのバンドエイドのようなものだ。根本的な解決は、あくまで検査数増加と感染者隔離の徹底、治療薬の早期承認、ワクチンの開発にしかない。第一、10万円の一回こっきりでは、本当に困っている人には少なすぎる。これでは一カ月程度しかもたない。また、当面の余裕がある人はこれで消費拡大なんかしない、将来の不安に備えて貯蓄にまわすだけのこと。目の前の商品券や補助金しか頭にない公明党に責められた結果、12兆円以上がばらまかれ、国の負債がさらに積み上げられてしまっただけである。ひと月後に元のモクアミに戻ってしまうことは確実だ。公明党には長期的な視野が根本的に欠けていると言わざるを得ない。

 ところで、税金を466億円も使って一世帯当たりに二枚支給されることになった「アベノマスク」。早くも品質クレームが発生しているそうだ。洗うと縮んでしまって到底使用できる代物ではないらしい。「やっとマスクが手に入る」と期待している皆様(筆者もその一人)、あまり期待しない方がよろしいでしょう・・・。まさか、安倍晋三氏のお友達企業が安価な低品質品を調達して国に買い取らせてボロ儲け、なんてことはないでしょうね!?
「アベノマスク、正しい方法で洗ったのに「驚くほど縮んだ」」

 さて、筆者は、日本のPCR検査、簡易PCR検査、抗体検査等の検査数が他国に比べてあまりにも少ないことが、日本のコロナウィルス対策上の最大の問題点とずっと指摘してきた。検査数が少ないのは、東京をはじめとする国内各地で医療機関自らが検査拒否をしているからである。その概要は次の記事で知ることができる。このような話は、半月くらい前からあちこちで報道されている。

「新型コロナ「検査拒否」の実態、電話中に咳をしたら切られた…他」

 検査拒否の背景にはいったい誰がいるのかがずっと疑問だったのだが、先週の4/14に週刊朝日にその背景に迫る記事が掲載された。この週刊朝日を入手しようとしたのだが、ここ鳥取市では一般雑誌の発売開始は東京よりも一、二日遅れが普通。筆者が近くのコンビニでようやく買えたのは発売日から二日遅れの4/16であった。

 話が脱線するが、振り返ってみれば、筆者がいわゆる紙媒体の総合週刊誌を店頭で買ったのは、今回が確か三、四年ぶりのこと。普段は、ネット上の記事で知識が得られるので、わざわざ紙の雑誌を書店やコンビニに買いに行く必要がない。いかに紙の雑誌が衰退しつつあるかを改めて感じたしだいである。

 それはともかくとして、その紙媒体の内容を当ブログに紹介しようと思っていたら、昨日の4/18に朝日新聞社系列の aera.dotでほぼ同一の記事がネット公開された。購入した週刊誌からの引用は、下に示した記事「現役医師が告発する「コロナ野放し」の実態」のトップの写真だけにしておこう。これは東京都医師会が作成した、「PCR検査対象絞り込みのためのフローチャート」の現物とのこと。

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以下、下に示すネット上の最新版の記事に沿って報道内容の概要を示したい。

「医師が告発「PCR検査の条件は『38度が2週間』と言われた」真相を医師会に直撃」

・ 東京都医師会が都内開業医向けに配布したフローチャート、その日付は3/26となっている。

 「患者がPCR検査を受けられるまでの流れ」

(1)①発熱37.5℃以上、倦怠感、②呼吸苦、頻呼吸、③聴診にてラ音捻髪音、④低酸素血症(SPO2(動脈血酸素飽和度)が93%以下)

①以外にも②~④の症状が確認できたら(2)へ。①のみの場合は三日程度自宅療養。
④のSPO2は平常時は98%程度。SPO2が93%とは、「ゼーゼー、ハーハーといって、死にそうなくらい苦しい状態」とのこと。
厚労省の指針では、①の条件が四日以上続くだけでPCR検査が受けられることになっている。

(2)血液検査・胸部X線検査

X線検査で肺炎像が認められ、かつ、(1)の①と④を満たした者だけが(3)へ。

(3)PCR検査を実施 

 このように、東京都医師会は厚労省の検査条件に、さらに独自の条件を非公開で加えて検査対象を絞り込んでいる。その結果、感染が強く疑われながら検査を受けることができずに自宅に追い返される患者が激増している。東京都内の具体的な悲惨な状況については、詳しくは上の記事を参照されたい。なお、ネット記事にはないが、上記の週刊朝日の記事によると、このような対応は埼玉県でも既に行われており、4/10にさいたま市の保健所長は「PCR検査の条件を厳しくして検査数を抑えていた。病院が患者であふれるのが嫌だった。」と報道陣に語っている。鳥取県も近い将来、東京や埼玉に近い状況となる恐れがある。

 東京都医師会の上部団体は日本医師会だが、当初は日本医師会から各地の医師会に対して検査数抑制の指示があったのではないだろうか。3/24の東京五輪中止発表以前には、「公表患者数を極力減らしたい」安倍内閣からの要請があった可能性も高い。


 この週刊朝日の4/14公表の暴露記事に慌てたのか、最近になって急に日本医師会側が政府対応の遅れを批判し始めた。下に示す一昨日4/17付の記事には、「横倉氏は・・・、感染経路が不明の感染者が増えた3月下旬か4月初旬には(厚労省が)検査対象を拡大すべきだったとの認識を示した。」とある。自分たちも積極的に片棒を担いでおきながら、問題が発覚したとたんに相棒のせいにしようとするのは、国民に対して無責任な組織の自己防衛の常套手段に他ならない。

「PCR検査への政府対応の遅れ指摘 日本医師会横倉会長」

 日本医師会のコロナ対応に対する批判は、調べれば他にもたくさん出て来る。次の記事は日本医師会厚労省が進めてきた安全なオンライン診療の普及を妨害して、実施を一か月も遅らせたというものである。
「日本医師会が「新型コロナ対策」の足を引っ張っている…あきれた実態」

 「厚労省には「政府・自民党に大きな影響力を持つ日医に逆らうと、省内で出世できない」という不文律がある」とのこと。またこの騒ぎに乗じて、日本医師会はコロナ対策には関係のない補助金も要求してきたそうである。「火事場泥棒」、「災害に乗じた焼け太り」と非難されても仕方がない。

 どうやらこの日本医師会の幹部連中は、自分たちの既得権益の保護と、コロナ騒ぎに乗じた権益拡大にしか関心がないらしい。諸外国では民間機関がPCR検査やその他の検査の多くを担っているのに対して、日本ではいつまでも保健所が検査を独占しているのも、「新規参入企業に自分たちの縄張りを荒らされたくない」という日本医師会幹部の意向が反映されているように見える。彼らと、最前線の激務の中で日夜戦い、疲労困憊している医師や看護師の思いとの間には深刻な断絶が存在する。

 そうやって日医の幹部連が政府と政治的駆け引きをやっている間に、とうとう日医所属の医師たちまでもが大量に院内感染する事態となってきた。ここにきてようやく彼らも事態の深刻度を認識し始めたようだが、長年しみついた政治的駆け引き優先の習性は容易に抜けきれないものと思われる。さて、これからどうなることやら。ひとつ確実に言えることは、ここまで国内感染を深刻化させた責任の多くが日本医師会にあることは明らかということだろう。「面従腹背」は中国共産党政府の地方役人の専売特許と長らく思っていたが、既に日本の公務員や各業界にも広くまん延していたことがようやく判った次第である。

 日本医師会については、今までは「大きな圧力団体のひとつ」というくらいの認識しかなかったので、この際に少し調べてみた。wikipedia「日本医師会」によると、同会に所属している医師数は国内全医師の約半分程度とのこと。公式の統計は見つけられなかったが、「街のかかりつけ医院」等のいわゆる開業医の約八割、病院勤務医の三~四割が会員になっているようだ。

 このwikipediaのページの下の方にある「日本医師会綱領」の内容も参照されたい。特に、

「①日本医師会は、国民の生涯にわたる健康で文化的な明るい生活を支えます。

 ②日本医師会は、国民とともに、安全・安心な医療提供体制を築きます。・・」

の部分には笑うしかない。

 自民党との関係だが、日本医師会からの自民党への献金は年間2億円(2018年)となっており、企業・政治団体から自民党が集めた献金総額29億円の中では最大の献金額である。

「自民党への企業・団体献金」

 政治献金の効果も大きいが、自民党日本医師会を頼りにするのは、第一に組織が持つ集票力だろう。日本医師会政治団体である「日本医師連盟」出身の候補が参議院比例区で毎回当選しているのである。日本の医療と政治との間の癒着が国民のためになっていないことは明らかである。この癒着をいったん断ち切るための最も有効な方法は、次の選挙で日医が推薦する候補を落選させることである。

 民主党政権当時、3.11の原発事故の際に自らヘリコプターに乗り込んで原発上空を飛んだ菅直人元首相、「首相のすることではない」と世論からの大ひんしゅくを買った。筆者もあの行為は批判されて当然と思うのだが、東電本社に自ら乗り込んで東電を説得し、政府と東電が一体となった統合本部を早急に設立したことについては評価したい。

 対して、今の総理は、自ら日本医師会本部に乗り込んで日医幹部の尻を蹴とばすこともせず、省内出世と天下り先の確保が最大の関心事の厚労省幹部に日医との交渉を丸投げするばかり。ソファに座り込んで犬の頭をなでている動画を投稿しては、自分の役目を果たしたとカン違いしている情けなさである。

 このコロナ騒動の対策の統轄責任者は、彼をおいて他にはいないはずなのである。犬の頭をなでている時間などあるはずもないのだが・・・出るのはため息ばかりだ。もっとも彼の出番が多くなると、また第二、第三のアベノマスクが送られてくるだけかもしれないから、今のままの方がまだいいのかも。

 それにしても、この「誰が日本政治の責任者なのか、一向にわからない」という今の事態、先の戦争の時もこうだったらしい。

 /P太拝

ネット上での署名活動「Change」のご案内 -佐川局長に書類偽造を指示され自死した赤木氏の奥様への支援を-

 既にご存じの方もあると思いますが、「Change」というネット上でのキャンペーン(署名活動)を行っている団体の活動が、最近は広く知られるようになってきました。

 筆者は三年ほど前に登録済。送られてくる内容の中で主に環境問題等、賛同できる問題に関しては内容を確認した上で署名をすることが多いです。送られてきたキャンペーンに対して署名するか否かは登録者側の自由意志しだい。内容に賛同できなければ無視しても構いません。また、署名後にはたいていはSNSによる情報拡散のお願いが「Change」本部から送られてきますが、これも強制ではなく、署名者側の自由意思に任されています。

 財務省理財局長当時に、あの森友問題の国会答弁で虚偽答弁を行いその功績で国税局長官に栄転した佐川宣寿氏。答弁内容の虚偽は明らかであるにも関わらず、不可解な理由により大阪地検特捜部は佐川氏に対する起訴を見送りました。しかし、その佐川氏の指示で虚偽の文書を作成させられ、それを苦に自殺した故赤木氏の妻による佐川氏および安倍総理以下の国を被告とする損害賠償を求める民事訴訟裁判が来月五月に始まろうとしています。

「佐川元局長と国提訴へ 森友事件、遺書に局長の指示」 

 この裁判を支援して、佐川氏と国(主に安倍総理と麻生副総理兼財務相)の責任を問うキャンペーンが「Change」でも既に始まっています。筆者は既に賛同の署名をしましたが、下記のキャンペーンの内容に賛同される方には同様に署名をしていただければ幸いです。

「私の夫、赤木俊夫がなぜ自死に追い込まれたのか。有識者によって構成される第三者委員会を立ち上げ、公正中立な調査を実施して下さい!」

 国のトップと、それに忖度する霞が関の官僚機構によるパワハラの犠牲者を二度と出さないためにも、皆様にご協力をお願いする次第です。

/P太拝

日本政府はコロナウィルスの検査数をなぜ増やさないのか?(4)

 4/5に4/4時点でのデータを使って投稿したBCG接種と死亡率の相関関係から一週間たったので、最新のデータを使って再び集計してみました。図を下に示します。各国の死亡率のデータは本日12h時点での日経電子版から引用。今回からはOECD諸国+中国に加えて、南米主要国のデータも追加しました。

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 先回の傾向と同様に、BCG接種制度がある国の方が、元々制度がない国、いったん採用したが廃止した国よりも著しく死亡率が低い。ただし、BCG接種国が非接種国よりも感染率自体が低いという明確なデータは得られていない。今のところ言えるのは、BCG接種国の方がコロナウィルスによって重症化・死亡化する割合が低いということだけである。

 接種国と非接種国の比較としては、先回と同様に経済面や文化面、遺伝子的な面で共通性が多い隣り合う国同士を比較して見ればよい。スペインとポルトガル、イギリスとアイルランドスウェーデンノルウェーエクアドルと他の南米諸国等々、どのケースを取ってみても接種国の方が非接種国よりも死亡率が低い。

 全体的に見て、前回よりも死亡者数が二倍程度になった国が多い。今回の結果から言えることは、以下。

・日本の死亡者数は一週間前よりも61%増。対して韓国は18%増であり、両者の差が縮まって来ている。近い将来、日本の死亡者数が韓国のそれを上回ることは確実だろう。

・中国のこの一週間の死亡者増は、わずかに0.39%増でしかない。この一週間の感染者数もわずか0.38%の増に過ぎない。どこの国でも大量の無症状の感染者をほとんど捉えきれてはいず、彼らがさらに感染を拡げていることは既に世界的に公知の事実である。いくら感染が収まってきたとはいっても、このように一気に増加率が激減するはずもない。この中国が発表した数字は極めて人工的であり、架空のものである可能性が高い。

・カナダ、オーストラリア、ニュージーランドのように、人口密度が低い国ほど死亡率が低い傾向がある。これは日本国内でも、人口密度が低い島根、鳥取、岩手が長らく感染者ゼロであったのと同様の背景によるものだろう。

/P太拝