「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

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アベノミクスの六年間がもたらしたもの(1)

(1)野口悠紀雄氏の一連の記事 「日本社会に新たな二重構造が出現!」

 豊富な経済データを駆使して日本経済の問題点を浮き彫りにすることで定評のある、野口悠紀雄一橋大学名誉教授によるダイアモンド オンラインに先月掲載された三つの記事に要注目。 データ等の確認も含めて各記事を読んでもらえばよいのですが、簡単な要約を以下に示しておきます。


・この数年間、上場企業の利益は顕著に増加したが、零細企業は全般的に利益も賃金も低下した。

・全産業でみると、零細企業(資本金1000~2000万円)の一人当たり給与は大企業(資本金10億円以上)のそれの約2/3であり、アベノミクスの六年間(2012~2018年)で4.5%下落。大企業の一人当たり給与も1.7%下落。

・製造業で見ると、零細企業はこの六年間で従業員数が約一割減少、一人当たり給与も5%減少。人と給料を減らしてやっと黒字化している。一方、大企業はこの六年間で利益を九割増やし、一人当たり給与も4%増加。

・非製造業では、零細企業の六年間の利益の伸びはほぼゼロ、一人当たり給与は0.9%の伸び。大企業は、六年間に利益を六割増やす一方、一人あたり給与は4%の減少。

・非製造業で零細企業の場合には、一人当たり給与が六年間で極めて低下している業種が目立つ。飲食サービス業が40%減、宿泊業が12%減、小売業が10%減など。

・規模別・業種別の収入格差は極めて深刻であり、零細飲食サービス業の2018年10~12月期の一人当たり給与は平均で16.5万円/月に過ぎない。一方、製造業の大企業のそれは平均で43.7万円/月である。介護分野での平均は、大企業が29.7万円/月、零細企業が22.1万円/月である。

・非製造業零細企業の従業員は約671万人であり、製造業大企業の従業員291万人の二倍近い。政府は「好景気が続いている」と宣伝しているが、製造業大企業だけを取り上げてそう言っているのである。その約二倍の従業員を抱えている非製造業の零細企業の現状については触れようとはしない。

・日本の労働市場は高生産性産業(例:製造業大企業、情報通信業大企業)と低生産性産業(例:小売業零細、飲食サービス業零細、医療福祉業零細)に分断されている。かって日本経済は、近代的大規模企業と前近代的中小零細企業が併存する二重構造といわれていた。その後の高度経済成長によってこの二重構造による格差は解消したと言われていたが、近年は上に見たような「新たな二重構造」が復活したと考えてよい。

・企業が人件費を減らすための手段として、女性や外国人によるパート、非正規の就労を増やしている。女性の就労拡大や外国人労働者の拡大を安易に考えるべきではない。

・以上は、日本の総就業者6456万人の中の、法人企業統計(金融機関を除く)がカバーしている全産業の従業員約3440万人に関する話(そのうち、資本金10億円以上の大企業の従業員は781万人。零細企業の従業員は847万人)。
  さらに国家・地方公務員339万人を除いた総就業者中の残りの約2700万人の大部分が自営や個人事業で就労していると推測されるが、彼らの労働状況は零細企業よりもさらに劣悪と想像される。


・国内全企業の営業利益は2012年から2018年までの六年間に55%も増加したが、人件費はたった7% (記事には0.7%とあるが、たぶん記載ミス)しか伸びなかった。仮に人件費も伸びていれば、営業利益がこれほど増加することはなかったはず。

・この六年の間に零細企業全体の売り上げは1.7%しか伸びず、その人員は約7%減少、一人当たり人件費も0.7%減少した。一方、大企業全体では、売り上げは12.2%増加、人員も12.2%も増えているにもかかわらず、一人当たり人件費は逆に1.2%減少している。これは、零細企業から放出された人員の多くが、同じ賃金かさらに低い賃金レベルでより大きな企業に非正規職として再び雇用されたことを示していると思われる。

・以上は全産業での状況だが、非製造業での零細企業と大企業の間の業績格差は極めて大きくなってきている。この六年間に、非製造業零細企業では売り上げ高が1.3%の増加、人員は6.2%の減少、一人当たり人件費は0.1%の減少。これに対して非製造業大企業では、売上高が16.2%増加、人員も22.8%も増加、一人当たり人件費は3.1%の減少である。

・次に非製造業の各部門別に見てみよう。
 小売業では、零細企業は売上高は47.7%減少、人員は23.1%減少、一人当たり人件費は6.0%の減少。大企業は売上高は2.1%の減少、人員は6.5%増加、一人当たり人件費は4.6%の減少。

・飲食サービス業では、零細企業は売上高5.9%減少、人員は22.0%減少、一人当たり人件費は45.1%も減少。大企業は売上高18.0%減少、人員は27.8%減少、一人当たり人件費は11.9%の増加。

・医療・福祉業では、零細企業は売上高43.2%減少、人員29.5%減少、一人当たり人件費1.0%増加。大企業は売上高1.6%増加、人員22.5%増加、一人当たり人件費は0.2%の減少。

・零細企業では大半の業種では売上高と人員の減少が急速に進んでいる。一人当たりの人件費も医療・福祉業を除いて減少している。元々賃金が低い零細企業で、さらに賃金低下が進むのは大きな問題だ。

・いくら政府が春闘に介入しても、その効果は大企業の賃金を改善するだけにとどまり、国民の大半を占める零細企業従業員や自営・個人事業者に賃上げが波及しないのは明らかだ。


アベノミクスの六年間で、全産業での売上高と利益の伸びを企業規模別に見ると、資本金五千万円以上の大中企業と五千万円未満の小企業では大きく異なる。大中企業では売り上げと利益ともに大きく伸びているのに対して、小企業では売り上げは横ばいか減少、その利益も減少もしくは若干の伸びに留まる。

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・全産業の人員数と賃金についても企業規模別に見てみよう。人員は、大中企業ではこの間に一割から二割近くまで人員を増やしているが、小企業では一割近く減少。一人あたりの賃金については、資本金2000から5000万円規模の小企業を除く全ての企業規模で横ばいか減少。人件費は大中企業では一割から二割近く伸びているが、小企業では横ばいもしくは減少。

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・まとめれば、小企業では売り上げが伸びないため人員を削減、この労働力が大中企業に移動した。しかし、低賃金のままの移動であったので、大中企業が利益を大幅に伸ばしたにもかかわらず、その賃金は横ばいか若干低下した。大中企業は、結局は、主に人件費の抑制によって利益を増やしたのである。

・小企業から大中企業へ移動した労働者の低賃金が変わらないままであるのに対して、元から大中企業にいた労働者の賃金はこの間順調に上がったものと推測される。

・過去の日本では、農村から都会に供給される労働力が経済の高度成長の原動力であった。現在の日本では、小企業、零細企業、自営業等から放出される低賃金の労働力が大中企業の成長を支えている。潜在的な低賃金労働力はまだ大量にあるものと思われ、これが日本全体の賃金が上がらない主な要因だろう。

・現在の日本の賃金統計や労働統計は、労働力の移動を直接には捉えていない。労働者が実際にどのように移動したか、そして賃金がどうなったかは、今の統計では直接には分からない。統計の取り方を時代に即して変えていく必要がある。

・現在言われている人手不足は、小企業・零細企業では顕在化しているが、大企業ではそれほど深刻な状況ではない可能性がある。

(2)感想

 政府はアベノミクスで企業収益が大幅に上がったと強調し続けているが、その収益の大部分は低賃金の労働者から収奪したものである疑いが強まった。
 大企業の収益増大が生産性の向上や新規分野の開拓によるものではなく、低賃金労働者に働きに応じて本来渡すべき賃金をケチることで達成されたものであるとは、実になさけない限りである。 首相は「同一労働同一賃金」を叫んでいるが、例によってスローガンだけで中身のないものに終わるだろう。実際にはそれとは逆の動きが進んでいるのである。

 ほかにも紹介したい記事がいくつかありますが、次回に回します。

/P太拝
 

2011年以降、日本国内で先天性奇形の乳児が急増

最近読んだ中でショックを受けたのは次の記事です。

 
続編として次の記事もあります。こちらには「停留精巣」の増加率の全国マップも載っています。増加が福島周辺だけにとどまらず、全国的に一様に増えていることが驚きです。
 
 
 詳細はこれらの記事を読んでもらえばいいのですが、不可解なのはアメリカの主要メディアが報じているのに、日本国内で報道したのは中日新聞だけ、ということ。ほかのテレビや全国紙が一斉に沈黙を守っていることです。
 
 これでは、「日本国内で先天性奇形が増えていることを知らぬは、当の日本人ばかりなり」、と言うことになってしまいます。諸外国が日本産の食品を再び敬遠したり、日本観光を控えたりする事態に発展することも予想されます。そのような可能性をはらんでいる重要な事実を報道しないというのでは、報道機関が本来の役割を果たしていないことになります。
 
 話が少しそれるが、いわゆる就職氷河期世代は現在四十代。彼らが大学を卒業した当時、就職先として一番人気があったのはテレビや新聞などのいわゆるマスコミ業界でした。当時、マスコミに就職できた連中は、いわゆる「勝ち組」に他ならない。
 
 激しい競争を勝ち抜いてやっと就職できた彼らですから、既存の体制に従順なのは当然でしょう。彼らは現在四十代、ちょうど中堅管理職として会社実務の中心となっている年代です。自社の、あるいは現政権の当面の危機に発展しかねない記事の報道を彼らが自主規制するというのは十分に予想される行動です。
 
 マスコミが現政権や関係業界に忖度して、本来報道すべき事実を握りつぶして国民に伝えようとしていないことは上の例を見ても明らかです。
 幸い、今では我々個人個人が情報発信することが可能になりました。上の二つの記事を、皆様のブログやSNSを経由してできるだけ多くの人に拡散していただくよう、よろしくお願いいたします。
 
/P太拝

県知事選と県議選

 金曜日に県議選が始まってからは、少しは鳥取市内が騒がしくなった。知事選は先々週から告示されていたのだが、いままでその宣伝カーに遭遇したことは一度もなかった。静かな知事選である。

 当「市民の会」(正式名称は、「開かれた市政をつくる市民の会」)は鳥取市政の透明性を実現することを目的として設立した会であり、会として県政まで踏み込んで公式メッセージを発することはない。今までと同様、県政に関する以下の文章もあくまで筆者の個人的見解に過ぎない。

(1)知事選

 勢力図を客観的に見れば、平井知事の四選は既に確定的と言ってよいだろう(残念ながら・・)。ここでは、既に三期十二年間に及んだ平井県政が鳥取県にもたらした結果について、筆者の視点で何点か挙げてみたいと思う。

① 県政トップの独裁的傾向がさらに強まった。

 具体的には詳しくは知らないが、二期前の故西尾邑次知事は、外部や職員の意見をよく聞く比較的温厚なタイプの方だったようだ。このブログで昨年末に紹介した経済学者の宇沢弘文氏も、西尾知事の提唱した「鳥取園都市構想」に全面的に賛同されていたそうである。

 その次の片山知事は西尾知事と異なり、いわゆる「ワンマン」タイプの指導者であり、聞いた話によると知事から県の幹部職員が叱責されることがはなはだ多かったそうである。県幹部は片山知事の言動に注目し常にピリピリとしていたらしい。「自己の立場の安定的確保」を最優先するのは国や自治体を問わず役人の基本的な習性であり、独裁傾向の強い自治体首長にとっては(国の首長にとっても・・)、役所の人間集団以上に御しやすい集団はないだろう。結果として、この時期に、県職員中に「上御一人」の指示に盲従するイエスマンが激増したのではなかろうか。

 ただし、付け加えておかねばならないが、片山知事がこの県職員中に強まる盲従傾向を強く危惧されていたことは明らかだと思う。三期以上の継続が当然視されていたにもかかわらず、片山氏が二期八年ですっぱりと知事を辞めたのは、三期以上続けることで、これら「思考停止型」職員がさらに増加することを危惧されたためと推察する。

 さて、現在の平井知事である。片山前知事の時代には、県政の方針は「行政の透明性向上」、「防災対策などを目的とした県財政の健全化」等で明瞭であったと思う。平井知事の時代になると、いったい県のトップが何を目指そうとしているのかよくわからなくなってきた。漫画やコスプレなどの個人的趣味を、県の予算を使って実現するのが最優先なのではないかとさえ思えてしまう。

 片山前知事の自発的な辞任にもかかわらず、平井県政の元で「思考停止型」の県職員はさらに増殖した。「トップの指し示す方向がどっちを向こうと、それに即反応して同調さえしていれば我が身は安泰」という役人根性が、平井独裁体制との間でさらに共鳴を強めたのだろう。

 筆者は何回か県の説明会等に参加することがあったが、県側の提供するデータには、明らかに県の政策をよく見せるための粉飾やゴマカシが施されていることをいくつか確認した。データねつ造とまでは行かず「印象操作」の範囲にとどまっているとは思われるが、なんとも巧妙なやり方である。(詳細を知りたい方は、「市民の会」のメールアドレスまで連絡ください。)最近の県人事を見ていると、ゴマカシの巧みな職員ほど出世しているように見えるのである。

② 鳥取県の一人当たり県民所得は平井県政になってから急激に低下

 2007年に平井知事が就任して以降、鳥取県の経済は右肩下がりであり、この点については今回の知事選の対立候補の二人が等しく指摘している所である。一例として、福住候補のサイトを紹介しておこう。

 この内閣府の統計データ中の「一人当たり県民所得」を詳しく調べてみると、一人当たりの県民所得で鳥取県は2010年以降2015年まで六年連続で全国46位となっている。最下位の沖縄との差は最近は数万円台にまで縮小している。近年、沖縄県は日本国内のみならず東アジア全体のリゾート地として人気を集めており、さらに電子部品等の東アジアでの流通拠点としての地位を高めている。今現在、既に沖縄県に抜かれて鳥取県が全国最下位に転落している可能も高いのである。

 県経済が振るわないのは県の主要産業であった電機産業がリーマンショックで壊滅したためとされてはいるが、同じく製造業が主力産業であった他県に比べるとその回復が著しく遅れている。電気・機械産業の主要な競争相手はもはや海外企業であり、国内企業の投資先が需要先に近い海外に移っているのに、県の産業振興の基本方針はいまだに企業誘致一本やりなのである。

 典型的な失敗例が(四年前にもこのブログで指摘したが)、米子市への電気自動車開発会社の誘致だろう。自動車開発を専門とする技術者が一人もいない会社に、補助金として県の税金を何億円もつぎこんで回収不能になるというお粗末な話であった。県は裁判に訴えて補助金を回収するのかと思っていたが、いっこうにその気配がない。おそらく、司法の場にこの問題を引っ張り出すと、県のずさんな判断が白日の下にさらされるのを恐れているのだろう。

 別の例では、平井県政の一期目から二期目にかけてはずいぶん液晶産業への取り組みに熱心であったが、筆者は「県が年間わずか数億円の予算で、いったい液晶のどの分野を支援しようとしているのか」、はなはだ疑問に思っていた。世界の複数のトップ企業が毎年数千億円の巨額投資を続けている産業分野なのである。さらに、日本の各企業の研究開発者は、海外のライバルとの競争で日夜必死に働いているはずだ。門外漢の県職員に詳しい話をしている暇はないし、守秘義務もあり最先端の話はできない。地元との義務的なおつきあいとして、一般論を短時間話してお茶を濁すぐらいのことしかできないだろう。結局、液晶産業への県支援も、なんら成果を得ることなく立ち消えになってしまったようである。

 このように経済無策と言っていい平井県政なのだが、不思議なのは県財界からいっこうに平井県政への批判が出てこないことである。自民党の主要政策は産業振興・経済発展のはずなのだが、同党も真っ先に平井続投を要請する始末である。産業の健全な発展のためには事実に即した多様な批判が不可欠と思うのだが、県財界も県政与党も、もはや批判するエネルギーすら失ってしまったように見える。

 全国紙、県内紙、NHKをはじめとするテレビ局、すべてのマスコミが、この県経済の低迷を正面から報道しようとはしていない。忖度は霞が関だけでなくて、鳥取県庁記者室にも色濃く存在しているようである。全国紙やNHKの記者はたいていが入社して数年と若く、何年かすれば他県に転勤してしまう。「こんな田舎で問題を起こして、都会の局に転勤できなくなったら大変」と思っているのかもしれない。しかし、それでは、イエスマンだらけの県幹部と何ら変わることがない。自分の身を守ることに汲々としているだけの人間に、はたして報道機関に籍を置く意味があるのだろうか?
 
③ 県という行政機関が存在する意味はあるのか?

 上に述べたように、平井県政の第一の特徴は、「その時その時の流行りものに真っ先に飛びついて、派手なイベントをして世間の注目を引くこと」である。実際の政策効果ははともかくとして、マスコミ向けの話題作りのうまさにかけては卓越したものがある。おそらく、マスコミの報道内容には常時気を配って、今現在の「はやりもの」が何なのかを日夜調べておられるのだろう。

 一見して積極的な姿勢であり、よくやっているようには見えるが、その実際の効果を検証すると、イベントをやっただけで後は尻すぼみとなることがはなはだ多い。電気自動車しかり、液晶しかり、北朝鮮からのミサイルが飛んでくるかもとの報道があれば全国で真っ先に対策会議を開いて見せるとか・・・。あの「まんが王国」の経済的効果はいかほどだったのだろうか? 境港の鬼太郎ロードはよく頑張っているようだが、あれは地元の長年の努力のたまものであり、県はそれに便乗しているだけだと思う。

 唯一、障碍者支援の分野ではよくやっているようには見えるが、イベントを数多く開いたことによる印象操作の結果でそう見えているのかもしれない。正確な評価のためには、障害者側からの実際の評価と、この分野への県予算の推移を確認する必要があるだろう。

 平井県政があと四年間続いても、県政は今までの延長線上を走るだけだろう。トップの発想と能力には限りがあり、その下にいるのがイエスマンぞろいと来ては、新しい施策は期待できない。鳥取県の職員数は約4200人(行政、福祉、公営企業の合計。教育職と警察は除く。)もいるのだが、もったいないと思うのは、何かにつけて知事の指示が最優先されるために、職員個々の発想と能力が十分に生かされていないように見えることである。食フェスタ、スポーツ功労者の表彰、新規政策の説明等々、何にでも知事本人がテレビのニュース画面に登場する(隠れた選挙運動といってよいだろう。)県職員が主役として取り上げられることはめったにない。

 さて、県は「中二階」とよく言われる。国と市町村の中間にあって中間的存在であるためである。市町村は我々の生活に密着した存在で欠くべからざるものであり、国という単位は、遠い将来には地球が一つの国になるのかも知れないが、過去の歴史で形成されてきたある程度同質の人間集団のまとまりとして、当面は無くすことのできないだろう。

 県という行政機関の役割は、正直、筆者にはよくわからない。最近のパフォーマンスだらけの鳥取県政を見ていると、「本当に必要な仕事をしているのか?」と思ってしまう。なんだか、「仕事をしているふりをするのが仕事」という人たちが、県職員の中には大勢いるような気がしてしょうがないのである。

 最近は「道州制」を主張する声をあまり聞かないが、例えば「中国州」を考えてみてはどうか。州都は広島市に置くとして、県の機能を解体してその人員と財源と権限の多くを市町村に移す。 例えば、教育職と警察の監督は州に移管、行政・福祉・公営企業の人員の大半は市町村へ移す。農林水産業関係や食品加工の研究機関は地域の条件によって検討内容が大きく異なるので、そのまま現在地に残す。旧県庁は州の出先機関として残すが人員は大幅に削減し、旧県内の各自治体の行政内容のチェックのみを担当する。県知事職と県議会議員職は廃止、州知事と州議会議員を州全体の選挙で選ぶ。なんていうのはどうでしょう?

 州知事とそれを取り巻く専門性の高いスタッフともなれば、現在の鳥取県に見るような知事の暴走はかなり抑止できるのではないだろうか。例えば、先に挙げた実体のない電気自動車企業への愚かな融資や、これも四年前に当ブログでとりあげた「湖山池汽水化事業」のように生物多様性を破壊する非常識な事業は到底認可されなかっただろう。

 ちなみに湖山池への海水導入だが、筆者は「知事がシジミ欲しさで強引に推進した事業」だと思っている。当時、東郷池シジミが「黒いダイヤ」としてもてはやされていた。さらに、この汽水化事業のための検討作業が、当時、県の各部署で一斉に開始されている。県のトップの指示がなければ、こんなことは到底不可能である。

(2)県議選

 上に述べたように、筆者は県の存在意義自体に最近疑問を持つようになったので、正直言って県議選についての関心も薄れつつある。
 二年ほど前、誘われて初めて県議会の傍聴に出かけたことがある。野党会派の代表質問とのことで緊張感のあるやり取りを期待して出かけたのだが、何のことはない。知事の業績を持ち上げる「ヨイショ」系の質問が延々と続いた。これに答える知事の発言内容もこの議員個人をほめる言葉が多く、なれ合いだらけのやり取りに失望してさっさと議場を後にした記憶がある。「平井翼賛体制」も成立間近なのではないかと思ってしまった。  
 
 一年ほど前のことだが、鳥取空港から「かろいち」までの乗車時間を数分間短縮するために、県が数億円をかけて松林内に県道を建設し開通した。当時の当ブログの記事でも指摘しているが、これが地元県議への利益誘導にほかならないことは明白である。与党議員の日頃の協力に知事が感謝の意を示したのであろう。片山前知事の時代であれば、大半の納税者にとっては不公平なこのような事業が認可されることは到底あり得なかっただろう。こんなミエミエの利益供与に平気で県の税金が使われる事業を、あっさりと通してしまう現在の県議会、実に残念というほかはない。

 最後に、今年の3/3に山陰中央新報に掲載された片山前知事の記事を紹介しておきたい。文中で、「教育や子育ての経費は不足している一方で、つまらないイベントには多額のお金をついやしている・・・ピント外れの自治体」と片山氏に指摘されている自治体。どこの自治体なのかは、すぐにお分かりだろう。


 盛り上がらない選挙ではあるが、少しでもこの県をよくするために、棄権はしないで投票にはいきましょう。

/P太拝

電力の地産地消のすすめ

 先回に続き、最近参加したイベントの話題です。3/9(土)に鳥取市さざんか会館で「鳥取県消費者大会 講演 -生存可能社会に向けた社会の変革-」が開催されました。

いかにもカタい題ですが、講演される京大名誉教授の内藤正明氏は長年にわたり環境問題の重要さを訴えて来たこの分野の第一人者とのこと。退官後に自らの退職金でNPO法人を設立されたそうです。以前から原発問題や地球温暖化に強い関心を持っていた筆者としては、この機会にもう一度勉強しなおそうと思った次第です。

 約一時間超の講演は脱線あり、関西人特有のオチありで、なかなかに楽しいものでした。会場からは女性を中心に時々笑いが漏れていました。内藤先生は既に終活に入られたそうですが、予定時間を軽くオーバーして主催者側を少々あわてさせるという元気さを発揮されていました。当日の参加者は約60名。もっと多くの人にこの話を聞いてもらいたいものでした。

 以下、当日の配布資料の一部を引用しながら概要を紹介します。なお、講演資料に使われたイラストの一部は「ハイムーン工房」さんのものであり、同工房のコメントによると元のイラストは自由に使ってよいとのことなので、以下の漫画イラストは直接同工房のサイトから引っ張ってきています。漫画以外の図は後援会当日に配布された資料からの抜粋です。

(1)講演 「生存可能社会に向けた社会の変革」 内藤正明

・ 何十年も前から、自分は「このままCO2を出し続けていれば温暖化で地球はダメになる」と指摘し、太陽光発電など再生可能エネルギーへの転換を主張し続けてきたが、霞が関の役人からは「それで可能なのは全エネルギーのたかだか、0.数パーセント、屁のツッパリにもならん」と嘲笑されてきた。しかし最近、日本の再生可能エネルギーの割合は飛躍的に増え、世の中の風向きが変わってきた。

(注: 今年3/11付の日経新聞記事によると、経産省データによる電源の構成比は、2017年度の原発3.1%に対して、再生エネルギー全体の割合は16.0%、うち太陽光が5.2%となり、太陽光は既に原発を超えている。
2010年には、原発25.1%に対して、再生エネルギー全体が9.4%、うち太陽光は0.3%であった。)

・ 霞が関の役人とは環境問題で何十年も付き合ってきた。霞が関から出てくる政策は、その大半が「いかにして日本の大企業にもうけさせるか」という観点からのものである。彼らは、「一般国民は、大企業の儲けからしみ出て来るお余りを受け取ればそれで十分、受け取った以上は文句を言うな。」と考えている。それどころか、自分が天下りするためのポストの増設に躍起になっている。

・ 国際的な取り組みは「低炭素」から「2050年までに脱炭素」へと移ってきたが、地球温暖化の防止は非常に困難。日本では国が、温暖化防止から、「いかに温暖化に順応して生きのびるか」との目標へ方針転換。温暖化対策としての新製品を開発し、これを国民に買わせる方向。
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・ 事業が社会に配慮しているかどうかを認めてもらうための「認証システム」(動物福祉への配慮など)が普及し始めた。さらに強制力のある制度として「炭素税」、「環境税」が検討されている。

・ 日本は人口減少に伴って地方社会崩壊の危機を迎えており、これを食い止めるためには「地方自立」、「脱近代の模索」、「ソーシャルファミリー(社会的な家族)」、「地方循環経済の確立」が必要。

・ 日本の食品は「安全・安心」だと日本人は信じているが、日本で認可されている食品添加物の数は欧米に比べて圧倒的に多い。(日本1550品目に対して、英21、米133、独64、仏32)。地域社会と事業者の自主規制が必要だ。

・現在は地球全体が「資源と環境の危機」に瀕しており、十年後には39億人が渇水に悩むと予想されている。また、「自然生態系も崩壊」しつつあり、毎年、九州と四国を合わせた面積の森林が消失している。これらに伴って、現在のグローバル経済も崩壊の危機にあり、これを救う手段としては、「地域の循環経済の形成」を急ぐしかない。

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・ 下の図に示すように、自動車を運転することで発生するCO2の量は飛びぬけて多い。最近は省エネのために照明器具のほぼ全てがLEDに切り替えられつつあるが、家の中の照明すべてをLEDに取り換えてみても、自動車を10分間運転することにより排出するCO2の量には到底追いつかない。

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・ 滋賀県嘉田由紀子前知事とは京大教員時代からの友人(嘉田さんは、京大教員仲間ではマドンナと呼ばれていた)。嘉田知事の時代には、知事と協力して温暖化防止のための様々な提案を行った。県議会は反対したが知事が押し切った。その成果として滋賀県では、例えば琵琶湖から京都までを瀬田川宇治川水系を経由して船で貨物を輸送する試みが始まっている。

・ 現在、内藤先生が注力しているのは、地域社会で住民が互いに支えあう共同体・ソーシャルファミリーの実現。実践例としては滋賀県東近江市があり、「東近江三方よし基金」(内藤先生が理事長)による取り組みが挙げられる。高齢者・障碍者の就労支援、太陽光発電などエネルギーの地域内での自給、ごみリサイクル・森林保全等の環境事業などの分野で活動中。

・ 今後進むべき方向としては、下の図の右側から左側への移行をあげられていました。経済の分野では、当サイトで昨年末に紹介した米子市出身の宇沢弘文氏の思想的立場が、あの「竹中平蔵」氏の立場とはまさに正反対の対極に位置しているのがとても興味深い。
 日本がこれから目指すべき社会は、「メンバーは組織のためにある」軍隊や株式会社を中心とする社会ではなく、「組織がメンバーのためにある」はずの協同組合、NPO、地域社会などが中心の社会であるべきだ、というのが内藤先生の主張です。
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                         (画面右下隅のクリックで拡大します)

(2)電力の地域内自給に関する報告
 講演に続いて、電力の地域内自給の実践例として、以下の二つの団体からの報告がありました。

(a)「原発フリーのグリーンコープでんき」 グリーンコープ生協とっとり 小倉理事長

 グリーンコープは食べ物の安全を守る運動から始まった組織。2011年の福島の原発事故をきっかけにエネルギー供給の問題にも踏み込んだ。現在、大阪から鹿児島まで西日本の14の団体と連合して活動中。九州を主に七カ所に太陽光発電所を設置、さらに地域と共同で設置したものが五カ所。
 鳥取県内ではまだ未設置。過去には北栄町に好適地を見つけたが、2億円の建設費に対して中国電力が6億円の電力網への接続費用を要求してきたので設置を断念した。

 電気料金の約三分の一が電力網で電気を送るための「託送料金」(電線使用料)だが、その中には稼働していない原発の託送料も余分に含まれている。
 2020年には託送料の見直しが行われるが、この中には原発廃炉費用や原発事故の賠償費用が上乗せされようとしている。この案は国会での審議を経ることなく、経産省の省令で決められようとしている。原発のために電力料金の余計な値上げをされないように監視を強めなければならない。

 (b)「株式会社とっとり市民電力の設立と取り組みのご紹介」 同社 大谷部長

 「とっとり市民電力」は鳥取ガス90%、鳥取市が10%を出資して設立した会社。鳥取市からの人的支援はなく、現在の社員は鳥取ガスからの三名のみ。
 現在、鳥取県内の電力需要の35%が再生可能エネルギーで構成されており、この比率は全国平均の約二倍。残りの大半は中国電力の火力(その大部分は石炭火力)。
 平成27年に「とっとり市民電力」を設立、主に市内の公的施設に電力を供給。現在、3500件程度の顧客を確保している。現在、年間360kWHを供給して年間約10億円の売り上げ、三期連続増収中である。
 供給電力の大半は外部購入だが、自前の発電所も持っており、主なものとしては、市内東郷地区の3haに2MW、710世帯分の太陽光発電、秋里下水処理場に400世帯分のバイオマス(メタンガス)発電を稼働中。今後、県の水力発電所が民間委託(コンセッション化)される計画があり、そちらにも参入していきたい。

(3)感想
 今回の講演を聞いて、自分自身の課題として今後取り組もうと思ったことは次の二点。

(A) 自動車に乗る時間を減らし、極力自転車を利用する。
 筆者は、現在、一日に30分程度、自動車を運転している。仕事の関係でこの時間をゼロにはできないが、今後はなるべく自転車を活用するようにしたい。今までもエアコンはなるべく使わないようにしてはいたが、車のCO2排出量とは比較にならないことが判った。

(B) 再生可能エネルギーによる電力を多く提供している事業者への切り替えを検討する。
 別に、筆者の友人や親せきが生協や鳥取ガスに勤めているわけでもなく、また、特に中国電力に対して恨みがあるわけでもないが、「原発はすぐに廃止すべき」と従来から考えて来た我が身としては、この機会に切り替えに踏み切りたい。

 各大手電力会社の経営者や与党政治家は、今までの原発推進路線を惰性で延長することしか考えていないのだろう。約五十年前、原発は「トイレのない新築マンション」と言われていた。あれから五十年も経つというのに、いまだに「使用済み核燃料廃棄場というトイレ」のないままに、「原発による電力は安い」と言ってマンションに住み続けることを推奨しようとする人たちがいる。彼らは、今後のトイレ建設費用と、それを将来約十万年間も維持管理し続ける費用を計算に入れないでモノを言っているのである。未だにトイレひとつすら作れない産業を、なんで先端技術と言えるのか?

 私たちは、次の世代に「迷惑なモノ」を押し付けたくないだけなのである。
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/P太拝
 

「シンポジウム 倭人の真実-青谷上寺地遺跡-」の報告

 先週末の3/2(土)、鳥取市とりぎん文化会館で開催された弥生時代の遺跡に関するシンポジウム「倭人の真実」に参加しました。会場となった小ホールの座席数は全500席、開演前にはそのほとんどが埋まっており、県民の関心の高さを感じました。

 今回のテーマとして取り上げられた上寺地遺跡の詳細については、wikipediaの「青谷上寺地遺跡」などを見てもらえばよいのですが、発掘物の保存状態が極めて良いことから「弥生の宝庫」とも呼ばれているそうです。今回の講演の目玉は、何と言っても、青谷上寺地遺跡で発掘された殺傷痕のある大量の弥生時代の人骨のDNA分析の結果の公開でしょう。弥生人のDNA分析については、今までは九州出土の人骨のみでの分析が行われてきており、九州以外での弥生人集団の骨の分析は青谷上寺地遺跡が初めてとのことです。このシンポジウムでは、「この上寺地遺跡の分析によって今年が弥生時代の『DNA元年』となった」というような表現が目を引きました。

 国立科学博物館の篠田謙一副館長による講演「DNAが語る青谷の弥生人」の概要を以下に紹介します。最近盛んにおこなわれるようになった古代人骨のDNA分析ですが、その分析対象には、母系を示すミトコンドリア、父系を示すY染色体、全遺伝子の交配度合いを示す核ゲノムの三種類があります。分析の難しさもこの順に高くなります。

(1)ミトコンドリア
 昨年11月の時点で既に公表されていますが、この遺跡の人骨から確認された29の母系系統のうち、縄文人固有の母系を示すハプロタイプM7aの1系統のみであり、残りはすべて弥生時代になってから大陸から渡来した渡来人に固有の母系系統系統であったとのこと。このことから昨年の時点では、「殺傷痕のあるグループの大半は渡来人で構成され、しかもその構成は多様であり、外部から青谷に来て短期的に滞在していた可能性が高い人々」と解釈されていました。

縄文人ミトコンドリアハプロタイプの中で縄文人固有なタイプとしては、N9bが58%、M7aが25%、D4h2が9%、合計で92%。現代日本人では、縄文人固有のそれはM7aが8%、N9bが2%であり、合計10%。
 対して、上寺地遺跡での縄文人固有のミトコンドリアハプロタイプはM7aのみの3%。確かに、上寺地遺跡では、現代日本人での比率よりもさらに渡来系の比率が多くなっています。 参考:wikipedia「縄文人」)

(2)Y染色体
 父系を表すY染色体ハプロタイプについては、現在4体の分析が終わっているとのこと。そのハプロタイプは、Oが一体、C1a1が2体、Dが1体。このうちC1a1Dタイプは縄文系かつ日本列島に固有なタイプ。Oタイプはその大半が大陸の漢民族に含まれており渡来系とのことです。つまり、少なくとも4体中3体が縄文系ということになり、ミトコンドリアの分析結果とは相反する結果となりました。まだ分析数が少ないので断定的なことは言えませんが、弥生末期になっても縄文的要素が多く残っていた可能性が高くなってきました。
 
(3)核ゲノム
 人類の各集団間の混合度合いを推定する手法としては、核ゲノムの分析、すなわち全遺伝子の分析以上に優れたツールはありません。この全遺伝子に関する上寺地遺跡の分析結果については、まだ6体分(Y染色体分析分を含む)しか終了していないとのこと。
 今までの分析結果によれば、青谷上寺地遺跡のそれは意外にも現代日本人の全ゲノム分析結果とほぼ重なる範囲にあるとのこと。この結果は、北部九州の弥生人骨の分析結果とほぼ同様だそうです。
(国立遺伝学研究所の斎藤成也教授の著書によると、現代日本人の核ゲノム全遺伝子に占める縄文人由来の遺伝子は、12%から20%の範囲にあるとのこと。)

 弥生時代の始まりはBC1000年頃、青谷上寺地遺跡の集団人骨は二世紀後半、即ちAD100年代後半のものであり、弥生時代の初めから1200年近くの間、大陸から人が次々に渡来し続けていたとすれば、縄文人と渡来人は既に十分に交じり合っていたと考えてもよいのではないかとのことでした。

 シンポジウムの後半では、篠田副館長、「青谷上寺地遺跡をの弥生人をとりまく古環境」の表題で今回講演をされた韓国慶文化財研究所の安特別研究員、弥生時代を専門とする考古学者である国立歴史民俗博物館の藤尾慎一郎教授の三者によるパネルディスカッションが行われました。その発言の一部を以下に紹介しておきます。

藤尾 「二世紀半ばは降水量の変動が激しく、青谷平野のように水害の影響を受けやすい地域ではコメの収穫量が大きく変動した可能性がある。飢饉の年には集落間で戦争が起こって大量殺戮の原因となったのかもしれない。この時期は魏志倭人伝にある「倭国大乱」の時期にほぼ重なる。
 この遺跡で発見された大量の人骨は、いったん重なり合うように埋められた後で一度掘り返されており、骨が散乱しているのはその結果。掘り返された理由はよくわからない。」

篠田 「今回のDNA分析結果はまだ解析途中であり確定的なことは言えない。また、渡来人のDNAについては、韓国や中国の古人骨のデータがまだ不十分な状態であり、その進捗を待ちたい。
 現在言えることは、青谷上寺地については、少なくとも当時の韓国南部とはかなり重なるDNAを持っていたのではないだろうかということ。またDNAの構成から見て、当時の北九州と青谷上寺地も同じ位置づけにあったと思う。定住ではなく互いに行ったり来たりしていたのが、当時の各地の住民の姿だと思う。」

安 「当時の上寺地遺跡の周辺には平地に杉林が豊富にあり、住民はこの杉を使って水路の護岸や建築物を整備していた。同様の平地の杉林は湖山池周辺、さらに福井の三方湖付近にもみられる。
 韓国には杉の木はないので、渡来民は青谷の杉林を見て驚いたのではないだろうか。上寺地遺跡の周辺からは、トチ、クリ、クルミ、モモ等の実、アワ、キビなどが出土しており、水田以外にも畑や果樹林があったようだ。」

藤尾 「DNAから見ると、上寺地遺跡は閉鎖的な集落ではなくて、各地との交易の拠点であったと思われる。鉄器、木製品が豊富に出土することもそれを裏付けている。韓国南海岸の勒島(ヌクト)遺跡からは、上寺地とそっくり同じものがいくつも出ている。
 二世紀の後半は、それまでの銅鐸や銅矛などの青銅器を対象とする祭りから、卑弥呼を主とするヤマト王権への祭祀への過渡期。淀江妻木晩田遺跡も二世紀後半が最盛期。これら他の集落との関係が当時どうであったのか、大量殺戮に他の集落が関わっていたのかどうか、大変興味深い。」

 以上で今回のシンポジウムは終了。

 なお、パネルディスカッションのコーディネーターを務めたのは、県埋蔵文化財センターの濱田竜彦係長。各発言者への話題の割り振りは適切、かつ全体の議論の進行管理もスムーズに感じました。事前の調整があらかじめあったのでしょうが、その働きは高く評価されてよいと思いました。

 参考までに、弥生末期当時の青谷平野の想像図を下に示しておきます。現在の青谷平野の状況と見比べてみてください。

弥生時代の南側から見た青谷平野(想像図)
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・現在の青谷平野
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 上寺地遺跡は、日本海側に多数ある潟湖を利用した交易を主とする集落であり、このような地形を利用した弥生時代の集落は、県内には淀江東郷池周辺、湖山池周辺等、数多くあります。これらの集落相互の関係はどうだったのか、交易の主導権をめぐって互いに争うことはなかったのかが気になるところです。

 上の想像図は、安研究員が大学院生として日本に留学されていた当時、同女史が青谷で発掘した花粉の分析結果から推定した植生をもとにして書かれたものです。日本に留学していただけあって、安さんは流ちょうな日本語で講演されていました。

 また、今回の分析結果で注目されるのは、この遺跡に限定したことではなく日本全国での傾向として言えることですが、渡来人系も縄文人系も、母系と父系での比率の大小の違いはありますが、ともにかなりの比率を維持しつつ交じり合っていることです。

 ある人類集団に対して別の集団が暴力的に侵略した場合には、その結果として、父系には侵略者側の、母系には被侵略者側のDNA比率が高くなることが一般的であると言われています。中南米地域はその典型例であり、スペイン人を主とする侵略者側は男性がほとんどであり、侵略後は現地のインディオ女性を妻とし、インディオ男性は殺すか奴隷として酷使しました。まだ詳しいデータを見つけてはいませんが、そのような侵略の結果として、現在の中南米の混血系住民の大半の遺伝子では、父系はスペイン系、母系はインディオ系になっているものと思われます。

 13世紀に東アジアから東欧にかけてユーラシア大陸の大半を武力で征服したあのジンギスカンと同じタイプのY染色体をもつ男性が、一説によれば、今日の世界には千数百万人はいる(真偽のほどは不明)と言われているのも、別の例にほかなりません。

 現在の日本人で、父系母系ともに縄文系と渡来系の遺伝子比率で大きな差がないという事実は、大陸からの渡来が暴力的ではなく平和裏に行われたこと、男性集団のみの渡来ではなくて家族を伴ってこの列島へ渡来してきたことを示しているものと考えられます。弥生末期には集落間の抗争がかなり発生したとはいうものの、約三千年前から二千年くらい前までは、我々のご先祖様の片割れである縄文人が、同じくご先祖様のもう一方の片割れである渡来人をおおむね平和裏に受け入れていたという事実は、今後の日本社会の在り方に対して示唆するところが多いように感じました。
 
 なお、筆者の母親の里は、この上寺地遺跡のすぐそばにある小集落。約二千年近くも昔の話ということもあり、今までは、この遺跡に住んでいた人たちは自分とはあまり関係のない人たちだろうと思っていました。しかし、今回、DNAが現代の我々とほとんど変わらないという事実を聞いて、なぜか急に身近に感じるようになりました。あの大量殺戮された人たちの中には、ひょっとしたら、私自身のご先祖様、あるいはその御家族が含まれているかも知れませんからね!

 最後に、青谷の話題ついでに、当日配布されたパンフの末尾に載っていたコラム二編のタイトルを紹介しておきましょう。著作権の関係があり、ここで全文を載せることは出来ませんが、県の埋蔵文化財センターに問い合わせればパンフ入手は可能なのではないでしょうか。保障はできませんが・・・。

「青谷人の気質」
 最近批判されることの多い、因幡地域固有の『煮えたら食わぁ』精神の擁護論です。今どき珍しい内容。

「青谷の子どもは、ええ子だで」 
 読んでホッコリしました。子供たちへの筆者の視線の温かみを感じました。
 
/P太拝

社会格差が広がると寿命が縮む

 先日1/31付の「新・階級社会」記事に載せた「戦後日本のジニ係数の推移」のグラフをある人に見せたところ、「2010年以降のグラフはないの?」と聞かれました。調べてみたら、政府の発表は三年に一回だけ、最新のデータは2014年のものでした。それを見ると2011年の数字とたいして変わらない。もっとも、最近の国会を見ていると、政府発表の数字は全然信用できない。

 今までは、政府や自治体が出してくるデータは民間のそれよりも信用できるだろうと思って記事を書く際には引用していたが・・。「中国のGDPはでたらめ」と嘲笑してきた某新聞や某雑誌など、「目くそが鼻くそを笑う」典型なのだろう。中国GDPは確かにねつ造数字なのだろうが、日本のGDPだって、安倍政権になってからかなり上げ底しているらしい。
「統計操作で「GDPが上がった」と喜ぶ産経」
 
 さて、先日の記事の中では、「ジニ係数が大きく社会格差が大きい国ほど平均寿命は短い」と書きました。橋本教授の本の記載をそのまま引用しただけなので、実際に本当かどうか少し調べてみようと思いデータを探し出しました。そのデータ(OECDサイトから引用)を元に作ったグラフを下に示します。

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 横軸は、政府が累進課税で富裕層から税金を多く取って年金・健康保険・生活保護等の公的社会保障によって貧富の差を減らした後の、「再分配所得に関するジニ係数」です。


 OECD(経済協力機構)はヨーロッパ各国が作った組織。ヨーロッパ以外の加盟国としてはアジアでは日本と韓国だけですが、中国やロシア、インドなど非加盟国だが主要な国のデータも併せて公表しています。グラフの中で特に注目される国を〇印、一般の国は×印、旧ソ連圏に属していた東欧・中央の国は△で示しています。

 このグラフから判ること。

・欧州諸国の大半が日本より左に位置しており、ジニ係数が低い、即ち貧富格差が小さい。手厚い社会保障の結果だろう。

ジニ係数が大きくなるほど平均寿命が短くなるという傾向が鮮明である。平均寿命が60才に届かない南アフリカでは、殺人やレイプの人口10万人当たりの発生率は日本の百倍以上、保健・医療インフラも劣悪で国民の五人に一人がエイズ感染者というすさまじい状態。

・日本より右側にあって格差の大きく、かつ寿命が短い国は、ほとんどが現在の大国か将来の大国になるのが確実視されている国々。一方、日本より左側にある国々は、ドイツ、フランス、オーストラリア、カナダ(みな、スウェーデンや韓国のそばに位置している)、さらに人口数百万の北欧諸国など、そのすべてが人口や面積が中規模か小規模の諸国。典型的な例が、人口35万人、鳥取県の半分ほどの規模でしかないアイスランド
「小さい国ほど貧富の差が少なくて、健康で長生きできる傾向がある」というのは事実でした。

旧ソ連圏の諸国は社会格差は小さいものの、寿命は西欧諸国よりも短い。社会主義時代に医療インフラが十分に整備されていなかった影響ではないだろうか。また、特にロシアでは、男性が大量飲酒で寿命を縮めていると言われている。「ウォッカ効果」と呼んでいいのかもしれない。ロシア男性の平均寿命は66.5才、女性のそれは77.1才であり、その差は10.6才(2016年)。一方、日本では、男性が81.0才で女性は87.1才、その差は6.1才(2016年)となっている。

 先回の記事でみたように、ここ四十年間、日本のジニ係数は年々上昇を続けています。今は政府や自治体による所得再配分によって、何とか格差拡大を抑えている状況だが、低賃金の非正規労働者が今後も増え続けると事態はもっと悪くなるでしょう。国の借金もふくらむ一方であり、近いうちに社会保障費の削減が始まれば、一気に図の右下に向かって転落しかねない。

 その後に待っているのは、英米型の「格差容認、社会保障抑制、貧乏なのはあくまで自己責任の結果」という社会です。当然犯罪や社会不安は増大し、現在世界で一二を誇っている日本国民の長寿も、今後は下がり始める可能性があります。

 最近よく聞くのは、「就職氷河期に学校を卒業し非正規職の多い現在四十代前後の世代が、定年を迎える約20年後、早ければその前に日本の年金制度や健保が破綻するだろう」との予測です。今の日本は、上のグラフで右に行くのか左に行くのか、まさに分岐点にさしかかっているのです。

 あなたの老後も、あなたの子供たちの生活も、今後の政策の選択しだいで大きな影響を受けることになります。今の日本の政治家の大半は、次の選挙で自分が当選するためにはどうするかということしか考えていません。与党も野党も既にポピュリズムに毒されています。長期的な視野を持った数少ない政治家を見つけ育てて、彼らと一緒に考えていく以外には道はありません。

/P太拝
 

子供を産まなかった方が問題?

 昨日の2/3、麻生太郎副総理は地元の福岡で、「子供を産まない女性が現在の日本国の問題だ」と受け取れる趣旨の発言をしたそうです。

 一夜明けた今日には、さっそく発言を取り消したとか、しないとか。九州の炭鉱で労働者をタコ部屋に入れてこき使って急成長した大財閥の跡取りに生まれて、小学校から大学まで学習院で育てられたボンボンだから、死ぬまで一般国民に向かって上から目線でしかモノが言えないのでしょうね。彼のような「生まれた時からの権力者」から見たら、「女性の日本国民は、子供をたくさん産んで国威を発揚し、かつ経済を浮揚するための道具」にしか見えないのでしょうか?大政治家の孫で同じくボンボン育ちの首相も、同様の考えなのでしょうか?

  この報道を聞いて、時々見ているサイトの漫画記事を思い出しました。

 この「夜回り猫」が書いた記事のシリーズ、筆者は以前から好きで時々読んでいますが、時に、こちらの胸がグサッと刺されて涙することもあります。読んで心が元気になることも多いです。記事のいくつかを読んで、ファンになっていただけたら嬉しいです。

/P太拝

新・階級社会

 昨年読んだ記事の中で衝撃を受けたものの一つに、雑誌「週刊ダイヤモンド」の四月の記事、「あなたの階級はどれ?現代版カーストの恐怖」がありました。「日本の格差が拡大し固定化されて、新しい階級社会が出現してしまった」という内容です。この説の主要な提唱者の一人が早稲田大学橋本健二教授。まず、橋本氏が提唱している「新・階級社会」の概要を下の図に示します。

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                         (週刊ダイヤモンド 2018.4.7号 P32より)

注:上の図は、図の右下隅にカーソルを持っていくと出てくる (+) マークをクリックすると拡大します。(以下の図・表も同様です)

 上の図の中の数字を表としてまとめたものを下に示します。
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 「労働者階級」を除く他の四つの階級では、2005年対比で2015年の個人年収と世帯年収がいずれも下がっています。「現在は戦後最長の景気回復中と政府発表 」と先日のニュースで報道されていましたが、「これも最近話題の、政府のウソの一つ?」と疑いたくもなります。

 この表の中で注目されるのは、「アンダークラス」の貧困率と男性未婚率の異常なまでの高さでしょう。少子化対策は、この階級を構成している非正規労働者の待遇改善なくしてあり得ないことを示しています。

 最近法案成立した外国人労働者の受け入れ大幅拡大も、この法案を要求した経済界の主な狙いは、このアンダークラスの量的拡大を意図したものに他ならないと感じます。実際に外国人労働者が大量に入ってくれば、この下にさらに新たな階級が形成される可能性も出てくるでしょう。

 さて、上の記事の元となった橋本教授の「新・階級社会」(講談社現代新書)を最近入手したので、その内容も簡単に紹介しておきます。この本の冒頭に、日本社会の格差が確実に拡大しつつあることを示すグラフが出てきます。下の図です。
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 「ジニ係数」が大きいほど格差は拡大し、この係数が1の場合には、一人がすべての収入を独占し他は収入ゼロ、ジニ係数がゼロの場合には社会構成員全員が等しく同じ収入を得るということになります。「ジニ係数再分配所得)」とは、富裕層から多く税金を取って社会保障費等で貧困層に還元した後のジニ係数を意味しています。
 いずれにしても、「男女別賃金格差」が横ばい(先進国では日本が一番男女間の格差が大きい)であることを除けば、個人間の格差を意味するジニ係数を始めとして、企業規模別、産業業種別、生活保護率等、ほぼすべての指標が近年の日本社会の格差拡大を示しているのです。

 この小さな本には豊富なデータが含まれていて、とてもすべては紹介しきれませんが、読んで最も衝撃的だったのは、アンダークラスの健康状態が飛びぬけて悪いこと、精神疾患も一番多いこと、そして体格すらも他の階級に比べて劣っているという事実です。このことは、格差が家族単位で固定化され、拡大再生産されている実態を表しています。それは、体格が一番良好な「資本家階級」層の大半が、親からその地位を相続している事実によっても裏付けられているのです。

 「アンダークラスの連中が病気になろうと、早死にしようと、自分には関係ない。俺は、自分と自分の家族だけががリッチで長生きできさえすればそれでいい。」と思っている人も多いかもしれません。しかし、橋本教授はこの本の中で、「先進国の中では格差の大きい国ほど平均寿命が短くなる傾向がある」と述べています。犯罪が増加し社会的ストレスが増えることで、日常の不安感と生活コストが増すことが影響しているのではないかとのことです。

 就職氷河期に世に出てその多くが非正規化した世代は、現在四十代前後。老後の備えをするような余裕はありません。彼らが退職するころには社会保障費はさらに巨額になるとともに、日本社会のストレスもかって経験したことがないレベルにまで高まるでしょう。

 橋本教授らの社会学者グループの調査対象は各階級別の意識や政党支持にまで及んでいます。「資本家階級」の多くが支持する政党については、予想通りの結果でした。この階級は外国人(おそらく、白人以外の外国人)を見下す傾向が一番強いという結果も出ています。いわゆるネトウヨは、貧困層ではなくて富裕層が大半のようです。

 さて、なぜ現代の日本では、米国、フランス、韓国で頻発しているような困窮する若者の反乱がおきないのでしょうか?橋本教授は、現在の日本で蔓延している「自己責任論」に原因があるのではないかと分析しています。

 「お前が今貧乏なのは、お前が今まで努力してこなかった結果だ」という自己責任論を一番支持しているのは当然「資本家階級」なのですが、他の階級でも、アンダークラスにおいてさえも、一定程度の支持者が見られるのです。

 皆がほぼ同じ程度の家庭環境の元で育てられることがあらかじめ保障されている北欧のような社会でならともかく、階級社会と化した今の日本で「自己責任論」を振り回すのは無理があります。

 経営者の子供と、ひとり親の元で育つ子供を同じスタートラインに立たせて「よーいドン」して、負けた後者を「お前の努力不足」と切り捨てるのは残酷と言うほかはない。母子家庭が九割を占める「ひとり親家庭」の貧困率は現在50%超、主要国中最悪です。「親の年収が一千万円を超えていなければ東大に入るのは無理」と言われるようになった昨今です。

 自己責任論と言えば、筆者の経験でも、従業員がサービス残業まみれで働いているいわゆるブラック企業ほど、自分の能力不足を自覚したがるタイプの人が多いように感じます。こういう人たちによくみられるのは、ただでさえ少ない自由時間を使って自己啓発本を買い、セミナーに参加しては自分の能力を伸ばそうとしていること。会社の組織自体に欠陥があるのではという発想をせず、期待に応えようとひたすら周りに自分を合わせようと個人で努力し続けること。結果として、このタイプの人たちがブラック企業を支え延命させているのです。

 我々の世代の少し上のいわゆる「全共闘世代」は、ヘルメットをかぶり徒党を組んでゲバ棒を振り回し、機動隊に石を投げて暴れていました。自己肯定的な彼らにとって、敵はあくまで自分の外にありました。ゲバ棒を捨てて就職した彼らの多くは、相変わらず自己肯定的なままに、今度は企業戦士となりライバル企業を敵として、自分の会社の発展のために夜中まで働きました。

 一方、今の若い世代は、あくまで個人の範囲にとどまり内向し、自分の敵を自分自身の中に見出そうとしているように見えます。「今の自分が苦しいのは、何よりも今までの自分がダメだったからだ」と自身を責め続けているのではないでしょうか。日本特有の「引きこもり現象」も、この自己責任論の蔓延と関連がありそうです。

 この「新・日本の階級社会」を読んで、今の日本はちょうど分岐点にさしかかっているように感じました。このまま惰性で先に進んでしまうと、将来の日本はずいぶん暗い社会になりそうな予感がします。日本の将来について再考してみたい方に一読をお勧めします。

 なお、「開かれた市政をつくる市民の会」のサイトで何度も取り上げていますが、下の図に示すように、現在の鳥取市職員中の非正規職員の割合は50%を超えています。人口20万人弱の規模の自治体の中では、おそらく国内最悪の比率。自治体自らが「アンダークラス」を量産し続けている鳥取市、いったい誰のための市政なのでしょうか? 
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/P太拝
 

追悼、梅原猛さま

 松の内もとっくにあけてしまいましたが、遅ればせながら本年もよろしくお願いいたします。さて、筆者がその著書を愛読していた梅原猛氏が、四日前に亡くなられました。先回の記事に引き続いて故人に関する投稿となってしまいました。
 
 梅原氏の思想内容を初めて知ったのは、1985年発行の「ブナ帯文化」(思索社)を読んだことがきっかけでした。登山を趣味としているうちに大山などのブナ林の美しさに魅了され、ブナ林とともにはぐくまれてきた伝統文化を知りたいと思って買ったのがこの本でした。執筆者各氏が書かれた内容もなかなか面白かったのですが、一番印象に残ったのは、梅原氏による巻頭の「日本の深層文化 ブナ帯に生きた人々の世界観」という章でした。

 この章の中で梅原氏は、「ブナ帯文化とは縄文文化と同質であり、その基層の上に弥生時代に渡来した稲作農耕文化が移植されたことによって伝統的な日本文化が形成された」と述べています。現代でも東北地方には縄文文化の名残が色濃く残っており、その内容は縄文文化の後継者である北海道のアイヌ文化と共通するものが多いとのこと。(例としては、東北のオシラサマ信仰とアイヌのシランパカムイ信仰の関連性、コケシの源流はオシラサマにあったらしい。)

 この章を読んでいるうちに、筆者自身、自分の心の中にも縄文思想の名残が色濃く残っているような思いにとらわれました。日本の神社については、日本最古の神社と言われている奈良県桜井市三輪山の麓にある大神(おおみわ)神社に見るように、三輪山全体を御神体としていたのが日本古来の神社の形です。沖縄のウタキ信仰も同様であり、その御神体は森そのものです。

 縄文思想とは、山や川、草や木、鳥や獣のすべてに無数の神々が宿るとみなす、いわゆるアニミズムの一種に他なりません。稲作が伝来して弥生時代になってからも、我々のご先祖は縄文時代から継承してきた数多くの神様、いわゆる八百万(やおよろず)の神々に対する信仰をそのまま引き継いできました。

 大半の日本人と同様、筆者の宗教的立場も、その場で必要とされる無数の神々に対し用途ごとに使い分けをしながらながら手を合わせるという全くの多神教信奉者に他なりません。年末のクリスマスには外来神キリストの誕生日を祝って酒を飲み、年が明ければその土地土地に祭られている神様のもとに初もうでに出かけて一家の安全と繁栄を祈り、知人や親せきの葬儀では一時的に仏教徒(お釈迦さまも外来神)へと変身して念仏を唱えます。

 筆者の趣味である登山では、登山ルート上でたまたま神社に出会うたびに土地の神様に前途の安全を祈り、お賽銭を投げては柏手を打つというのが長年の我が習慣となっています。現代の我々の精神の中には、今から約三千年前以前の縄文人の世界観がいまだに脈々と息づいているように感じます。

 上で紹介した「ブナ帯文化」とは別のいくつかの本で、梅原氏はアイヌ語現代日本語との関連についても述べています。梅原氏が挙げた例の多くは日本語学の専門家からは否定されているようです。しかし、東北地方の北部の地名にアイヌ語の名残が集中して見られることは既に学会の定説となっています。西日本の一部地名にもアイヌ語で解釈できるものがあるという説もあり、筆者も時々探してみています。
 
 この近くでの例を挙げれば、例えば、鳥取市福部町の山奥に久志羅(クジラ)という地名があります。なんで山奥にクジラという地名があるのか以前から疑問でしたが、アイヌ語では、kus-ru(クシル)とは「通る-道」、転じて「越す-道」、すなわち峠の意味があるとのこと。釧路市の地名の語源は網走方面への峠道があったからとの説も あります。久志羅の西側には県道が通る榎峠があることで判るように、地形から見て、この付近を通る道はすべて峠道と言ってよいのです。この地名、ひょっとしたら縄文時代からの歴史を持っているのかもしれません。

 話を元に戻すすと、梅原氏の思想を一言で表すならば、仏教用語の「山川草木悉皆(しっかい)成仏」であると言われています。「山や川、草や木など自然界のすべてに仏さまが居らっしゃる」という思想であり、縄文のアニミズムと同一思想にほかなりません。本来はアニミズムを含まなかった仏教を、日本人が受け入れる際に古来からのアニミズム信仰を付け加えたということになります。

 最後に、「ブナ帯文化」の中の梅原氏の文章から筆者の好きな部分を抜粋しておきましょう。

『 もういちど人間の運命を、人間からではなく宇宙の方から考えねばならない。人間が神によって動物と違った理性を与えられ、すべての動植物を支配しあるいは殺害する権利をもっているなどと思うのは、やはり人間のおもいあがりであろう。・・・

 もういいかげんに人類は進歩などという迷妄を捨てた方がよい。・・・・・ 近代人が進歩という名でよんだ歴史は、ひょっとしたらそれはおおいなる破滅への道であったかもしれない。大きな自然の循環の摂理のなかで生きる智恵を、人間は再び自分のものとしなければならないであろう。』
 
 今頃、梅原さんはあちらの世界で、敬愛してやまなかった西田幾多郎氏に初めて面会して人類の未来について熱く議論している最中なのかもしれません。あの梅原流の大胆な仮説を、これからはもう聞くことができないのは実に残念です。 

/P太拝
 

米子が生んだ心の経済学者 宇沢弘文が遺したもの

 上のタイトルは、米子出身の経済学者である故宇沢弘文氏の足跡を紹介する番組名。
 一昨日の12/26夜、NHKBS1で同番組を見ました。二年前にケーブルテレビ局である中海テレビで製作された番組とのこと。次のサイトから無料で見ることができるようです。
 

 日本で一番ノーベル経済学賞に近い経済学者との記事を以前に読んだ記憶はありますが、実際にどういう業績を上げた方かはよく知りませんでした。この番組を見てある程度の知識を得ることができました。ただし、この番組の内容はゆかりのある方からの聞き取りが主。地方の小さなテレビ局としてはずいぶん頑張った内容だとは思いますが、同氏の業績の内容については、もう少し深く紹介してほしかったという感想も持ちました。

 以下、番組の内容について簡単にまとめておきます。

・父は小学校教員、母は米屋の跡取り娘。三才まで米子で育つ。その後一家を挙げて東京に移住したが、その後も両親の実家のある米子には頻繁に帰っていた。

・当初は数学に興味を持っていたが、学生時代に河上肇「貧乏物語」を読んで衝撃を受け、経済学を学ぶことを決意。

・一高、東大を出て民間会社に勤務したが、論文が認められて米国に留学、経済学者となる。シカゴ大では、のちにノーベル経済学賞を受賞することになるスティーグリッツを指導した。

ベトナム戦争を続ける米国に疑問を持ったことが契機となり、日本に帰国、東大で経済学を教える。

・高度成長を続ける日本で自動車の激増を見て「自動車の社会的費用」を執筆。車一台当たり200万円(当時)のコストを社会全体で負担をしているとの試算を発表し、社会に衝撃を与える。自動車を利用せず、自宅から大学まで走って通勤という実践例を自ら示す。

・成田空港問題では、反対同盟のメンバー宅に酒を持参して酌み交わしながら対話。現場に直接出向いて社会病理を診断することを実践。「誰もが幸せになれる社会」をつくることを提唱した。

・「社会的共通資本」の概念を提唱。森林などの自然、水道・電気等の社会的インフラ、医療・教育等の制度資本の三つの分野それぞれについて、多くの著作を発表。「弱者に寄りそう社会の医者」になることを目指した。

・生涯にわたって米子市鳥取県への思い入れが深く、西尾邑二元知事が1998年に提唱した「鳥取園都市構想」には全面的に賛同した。(元とっとり総研の三田清人氏の談)

米子市今井書店二階では、月に一度、「よなご宇沢会」(代表 安田寿朗氏)が例会を開いている。宇沢氏の本を読んで感想を話し合っている。
 参加者の感想は、
「お金を持った人が勝ち組、という社会を考え直すきっかけになった」、
「環境を考える人たちに先生の考え方を広げていきたい」等々。
 会の中心メンバーである藤原聡司さんは、「受験教育に疑問を持つことで北欧の教育に関心を持つようになった。塾に行けるかどうかで大学への入学が決まるようになってはいけない」と話す。

・宇沢氏の思想の原点は、日南町下石見の曹洞宗永福寺にあった。宇沢氏は、米国に行く1956年まで、この寺に通い続けたとのこと。宇沢氏はここで修行し、先々代の住職であった米積氏の教えを受けた。
その内容とは、
「一人一人が豊かに成長できる条件を作れ」、
「人間はいつ死ぬかわからない、というのが人間の本質」、
「自分を整えられない人間によって科学が使われた場合、科学は人を不幸にする」
というもの。

 筆者もこの正月中に宇沢氏の著作を何冊か読んでみたいと思って探し始めている所ですが、発行年が古いこともあってすでに書店では売っていないようです。ネットで買うか図書館で借りるかしないとダメみたいです。

/P太拝