「開かれた市政をつくる市民の会(鳥取市)」編集者ブログ

当ブログの内容は編集者個人の見解であり、「市民の会」の公式見解ではありません。当ブログへのリンク、記事内容の引用等はご自由に!

アベノミクスとはいったい何だったのか(2) -賃金、世帯収入、消費の推移-

 河井克行元法相は自身の裁判で弁護団を一括解任、その後に同じ弁護士を再び採用するなど、明らかな裁判遅延行為を繰り返している。これは、なるべく裁判を長引かせて議員歳費をできるだけ多く手に入れようとするためという見方が一般的である。

「「なんで検察官の方を向くんだ!」威圧に号泣 河井克行・案里被告の裁判は“無法地帯”」

 今年の夏には、河井夫妻は獄中にいながらにして多額の夏のボーナスを受け取っている。

「河井夫妻にも夏の「ボーナス」、2人で638万円 野党は「議員辞職を」と批判」

 現在獄中にいる国会議員としてはもう一人、IR事業にからんで中国企業から多額の賄賂を受け取った容疑で逮捕された自民党秋元司衆院議員がいる。この議員に支払われ続けている歳費は年間で四千万円以上になるそうだ。同議員の公設秘書等に支払われる金額も含めれば、年間で七千万円を超える税金が犯罪者の可能性が極めて高い人物とその周辺に支払われ続けていることになる。河井克行河井案里がそれぞれ受け取っている税金もこれとほぼ同額だろう。

「秋元司容疑者再逮捕されても議員辞職せず “無駄な給料”がいくら払われ続けるのか」

 調べてみると、逮捕された国会議員に対する歳費凍結法案は、既に2003年に当時の民主党によって国会に提出されたが不成立に終わっている。日本学術会議に支払っている税金10億円で大騒ぎするよりも、かくも愚劣、かつ我利我利亡者に過ぎない逮捕議員三名に支払っている無駄な税金を凍結する方を優先すべきであろう。ちなみに、河井克行は以前から菅総理の側近としてよく知られており、秋元司は二階派の所属である。

 さて、前置きが長くなったが、今回の本題はアベノミクスの評価の続きである(第一回目は当ブログの9/14付の記事)。菅内閣発足早々に日本学術会議の任命拒否事件が起こったため、そちらの方に時間を費やしてしまった。

 我々の個々の生活にとって最重要事項といってよい収入と消費の安倍政権下での推移について調べてみよう。いくつかの記事を読んだ中では、次の岩崎氏の記事が最もデータ面で充実していたので、その内容を紹介したい。

「貧困層とお金持ち 「アベノミクス恩恵」の大格差 -「格差が拡大した」との通説をデータで検証する-」

 

(1)実質賃金は下落、世帯収入は増加、株価と企業利益は急上昇

 記事中のデータの概要は以下のようになる。重要と思われる部分を赤字で示した。各々、安倍政権下の七年間(2012~2019年)の各収入指標の変化について。一部のデータは六年間について。なお、それぞれに調査機関と調査方法が異なるので、例えば④と⑤の給与増加率の間には若干の差がある。

 

①個人の賃金 実質賃金(名目賃金から物価上昇の影響を差し引いたもの)
 7年間で105.3 → 99.6 (2015年を100とする) と5.7ポイントの低下

 ②世帯の収入 世帯当たりの実収入(家族の名目賃金の合計)
 2012年……51万8506円(月額平均)→ 2019年……58万6149円(同)と約6万8千円、13.0%の増加。

 ③世帯の可処分所得 可処分所得(実収入から税金・各種社会保険料を除いた残り)
 2012年……42万5005円(月額平均)→ 2019年……47万6645円(同)と約5.2万円、12.2%の増加。

 ④平均給与(年間)
 2012年……408万円 → 2018年……440万7000円(男545万円、女293万1000円)と32.7万円、8.0%の増加。

 ⑤正規雇用者と非正規雇用者の平均給与(年間) 
 「正規雇用者」 2012年……467.6万円 → 2018年……503.5万円 と35.9万円、7.7%の増加。
 「非正規雇用者」2012年……168.0万円 → 2018年……179.0万円 と11.0万円、6.5%の増加。
正規と非正規の給与格差は、299.6万円から324.5万円へと、24.9万円、8.3%の増加。

 ⑥相対的貧困率(世帯の可処分所得が、全世帯の中央値の半分に満たない世帯の割合)
 2012年…16.1% → 2015年…15.7% → 2018年…15.4% とほぼ横ばい。
なお、子供の貧困率は、2012年=16.3% → 2015年=13.9% → 2018年=13.5% と若干改善。

 ⑦企業の経常利益(税引き前利益) 
 2013年……59兆6381億円(全産業)→ 2018年……83兆9177億円(同)と約24.3兆円、40.7%の増加。

 ⑧企業の人件費
 2013年=196兆円 → 2018年=208兆円と12兆円、6.1%の増加。

 ⑨家計支出(2人以上の世帯当たり) 
 2012年……343万4026円 → 2019年……352万0547円 と8.7万円、2.5%の増加。

 このうち、基礎的支出(食品や家賃、光熱費、保険医療といった生活に欠かせない支出)
2012年……190万4710円 → 2019年……200万2085円 と、約9.7万円、5.1%の増加。

 選択的支出(生活に直接必要ではない贅沢品、教養娯楽費等の支出)
2012年……152万9317円 → 2019年……151万8463円 と、約1.1万円、0.7%の減少。

 ⑩日経平均株価 
 2012年12月25日……1万0080円 → 2020年8月28日……2万2882円  約1.28万円、127%、2.3培もの急増

 ⑪首都圏マンション平均価格  
 2012年……4540万円 → 2019年……5980万円 と1440万円、31.7%の増加。
なお、その他の住宅地、戸建て住宅等の平均価格は、おおむね横ばい。地方では下落傾向が続く。

 ⑫国民負担率 =(租税負担率+社会保障負担率)/国民所得

 2012年……39.7% → 2020年……44.6%(見込み) と4.9%の上昇。消費税増税社会保障費増加で負担が大きく増加した。

 

 なお、上の①を除いて、②~⑤、⑨、⑪については名目賃金、名目価格での表示なので、これらを実質賃金、実質価格に修正するためには、この間の物価上昇分を差し引かねばならない。消費者物価の変化は次のようになる

消費者物価(総合) 2012年 96.2 → 2019年 101.8 (2015年を100とする)  七年間で5.6ポイントの増加。

「政府統計の総合窓口 -統計で見る日本-」

 この物価上昇分を差し引くと、④の平均給与、⑤の雇用者報酬は六年間でわずかに1~3%程度の伸びでしかない。特に、⑨の家計支出については、増加どころかマイナス3.1%の減少である。これでは、多くの国民が「生活が苦しくなった」と感じるのも当然のことだろう。

 

(2)妻の「外助の功」で世帯収入を維持

上のデータによると、①個人賃金は減少。その一方で、②世帯収入と③可処分所得は増加と矛盾する結果となっている。その理由を大和総研の研究員による次の記事で知ることができる。

「賃金上がってると主張するアベノミクスの実態——それは専業主婦世帯の減少だった」


この記事では、夫婦共に30~34才で子供二人の四人世帯を例として、2012年から2018年にかけてのデータの推移をまとめている。この間の可処分所得の変化を示す図を下に転載した。

 左から、「(a)妻が正社員」、「(b)妻が専業主婦」、「(c)妻がパート」の三種類に分類。2012年から2018年の六年間で、(a)36→43%、(b)34→25%、(c)29→31%と変化している。要するに、今まで専業主婦であった妻のかなりの部分が外に働きに出るようになったのである。世帯平均としての収入と可処分所得の増加は、妻が働く世帯が大きく増加したことで全体としての平均値も上昇したことによるものであろう。

 一方で世帯の可処分所得については、(a),(b),(c)のいずれの種類においても若干減っている。自由に使えるおカネは一向に増えず、むしろ減少しているのである。

 

f:id:tottoriponta:20201023115120j:plain

 上の例は若い世代のみの世帯のケースであるが、一般世帯でも定年を過ぎた高齢者が働き続けている例は相当増えているはずだ。(1)の②世帯収入、③世帯可処分所得が増えている理由は、従来は働いていなかった妻と高齢者が続々と働き始めていることによるのだろう。家族総動員で忙しく働くことでやっと生計を維持しているのが、アベノミクスの七年間の家計の実情なのである。

   以上の結果をまとめてみると、アベノミクスは株を持っている高額所得者や企業(特に大企業)を大いに潤したが、一般世帯の家計への恩恵は少なかったことが明らかである。特に、税や社会保障費の負担増のために、主婦や高齢者までもが働きに出なければ家計を維持できなくなっている構造が浮かび上がってくる。日本人の大半はアベノミクスの七年間を経てより忙しくなり、生活上の時間的余裕がなくなってきたのである。

 全体として言えば、アベノミクスは大企業の関係者については大いに恩恵を施したが、大企業の雇用者数は、自営業も含めた日本全体の就業者約6200万人の約二割でしかない。残りの八割がアベノミクスで特に恩恵を受けることは無かった。それどころか、破綻した中小零細業者から放出された大量の労働者が、安価な非正規労働者として、現在、続々と大企業の傘下に吸収され続けているのである。

 菅内閣安倍内閣の 路線を全面的に受け継ぐと表明しているので、上に述べた格差拡大傾向が今後も続くことは間違いない。今までと異なるのは今回のコロナ禍の影響であり、今後、大企業も含めた全就業者・全世帯の平均収入が一時的にせよ大きく低下することは避けられない。

 既に、「「GO TO トラベル」で業績が上向き始めたのは高級旅館・ホテルとJTB等の大手旅行代理店だけ、中小零細の旅館・ホテルや代理店は、もはやつぶれる寸前!」との報道が目立つようになってきた。大企業とそれに癒着した政治家による「コロナ禍に乗じた税金の火事場泥棒」の典型例であろう。

 つぶれた中小零細企業の従業員は、その多くが非正規職としてより大きな規模の企業に吸収されることになるだろう。菅内閣の下で今まで以上に格差が拡大しないように、今後の同内閣の政策の行方を注意深く見守りたいものである。

/P太拝

 

霞が関高級官僚の没落

 日本学術会議が推薦した六名に対するの任命拒否の件については、いまだに菅内閣からのまともな説明はない。法律的・論理的に既に破綻していて今さら説明のしようがないことは確かなのだが、あえて選定基準を示さないことで学界への圧力を今後も加え続けようとも狙っているのだろう。真綿で首を絞めつけるように、国内各界に対してじわじわと陰湿に圧力を加え続けるのが「菅流」のようである。

 当面は、事務方の落ち度として説明を済ませたいらしいが、ここでは国の法律に反して推薦者名簿を改ざんした当事者とされる杉田和博官房副長官について触れておきたい。wikipediaで見ると、東大法学部卒で元警察官僚。ちなみに、1986年には鳥取県警察本部長として鳥取に赴任している。最高学府を出て「法律の番人」となっていた人物が、いつの間にやら「内閣の番犬」へと成り下がってしまったのである。

 

 同様に高級官僚であった佐川宣寿元国税庁長官についても触れておこう。同氏は、財務省理財局長当時に森友学園に関する文書改ざんを部下に指示した疑いが極めて強い。改ざん指示の結果、当時の担当であった近畿財務局職員がそれを苦に自殺している。


 佐川氏の経歴だが、こちらも東大出で経済学部卒、旧大蔵省に入省後は順調に出世の階段を上がっている。改ざんを指示して部下を自殺させ、かつ、その後も国会で公然とウソをつき続けたことが事実であれば、前記の杉田氏よりもその罪ははるかに重い。退職金は減額されて七千万円から五千万円になったそうだが、多額の年金もあり彼の老後は安泰だろう。しかし、倫理的には犬以下である。犬は、少なくともウソはつかない。

 国内最高とされる大学を出た高級官僚が、安倍内閣に関わることでそろいもそろって人間以下の存在へと(「社畜」にならって「官畜」と呼びたい。これからは「菅畜」か?)、なぜ転落してしまったのであろうか。

 次の記事を読むと、キャリヤ官僚と呼ばれる若手の優秀な国家公務員が現在大量に退職している理由が判る。皆、上司のような「官畜」にはなりたくないのである。骨のある優秀な若手官僚がいなくなり、政治家の顔色を伺っては自分の保身しか考えない臆病な役人ばかりが後に残るようでは、日本の未来はますます暗くなる。

これから「若者の公務員離れ」がさらに加速する3つの理由

 なお、この記事の中では「業務民営化が進む地方自治体」の現状についても触れられている。民営化が進むことで、今後は地方公務員の多くが不要となる。たぶん、業務民営化では国内最先端を突き進んでいるであろう鳥取市の職員の皆さんにとっても、このことは他人ごとではあるまい。

/P太拝

「総合的、俯瞰的な観点から判断して、「スガ」=「スガーリン」、最後は「スカ内閣」?」

 10/3に紹介した日本学術会議が推薦した六名に対する菅内閣の任命拒否の撤回を求めるネット上の署名ですが、明日の昼12時でキャンペーンを終了するそうです。まだ署名していない方に対する紹介をよろしくお願いいたします。

「菅首相に日本学術会議会員任命拒否の撤回を求めます!」

 さて、10/2に菅内閣が任命拒否したことが明らかになった「日本学術会議」新会員候補6名の中の一人が、加藤陽子東大教授です。他の5名の方の業績についてはよく知りませんが、この加藤先生については、筆者は既に数冊の著書を読んでおり親近感を持っています。専門は現代史、特に昭和前期の日本が悲惨な戦争という泥沼にはまり込んでいく過程に関する実証的解明に詳しく、この分野では国内の第一人者といってよいと思います。視点が特定の政治党派に偏ることはなく、あくまで事実関係の解明を目的とした研究内容です。

 今まで読んだ加藤先生の本の中では、特に「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」がお薦めです。鎌倉市にある私立の中高一貫進学校栄光学園」の中高生を相手に、日本がずるずると戦争に深入りしていってしまった過程を、加藤先生が具体的事実を踏まえてわかりやすく解説されています。先生の明快な解説とともに、同学園の学生・生徒の理解力のレベルの高さにもビックリしました。テレビの教養番組にも解説者として何度も登場されており、なんで菅総理がこのような優秀な学者を任命拒否したのか、その理由が全く理解できません。

 以上のように思っていたら、今回の事件の背景がよく判る記事が10/4になって出てきました。二ページ目の「安倍さんも菅さんも法学部出身なのに、憲法を理解していないんでしょうかね。授業中、寝ていたのでしょうか。・・」という部分には相当笑えます。多分、授業に出席すらもしていなかったのでしょう。この記事に出て来る杉田氏と和泉氏は、現在の菅内閣においても相変わらず要職を務めています。

「「杉田官房副長官、和泉補佐官に政権批判した学者を外せと言われた」学術会議問題を前川喜平氏語る」

 その後、日本学術会議を含んだ学会に対する安倍政権時代からの圧力が続々と明らかになってきています。今までの報道からわかることは以下です。

(1) 前首相も現首相も、法律の条文を読解する能力が決定的に欠けている。法学部の卒業証書を出身大学に返還することをお勧めしたい。
 日本学術会議法には「会員は(日本学術会議の)推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とある。一方、憲法には「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」と書いてある。今回の任命拒否が法的に正当だというならば、「国会が指名した内閣総理大臣を、天皇が任命拒否することも可能」ということになる。

 

(2) 内閣が法律に書いてある内容と違うことをしようとするならば、まず国会に法案を提出すべきである。内閣の解釈次第で法律に書いてないことをしても構わないというのであれば、日本は「法治国家」であるとは到底主張できなくなる。

 法律があって無きがごとき国家の代表格、何事も習近平の一言で決まる中国共産党政府と同レベルの政府へと堕落するのである。内閣の裏二階で暗躍する昭和の遺物的妖怪的長老の存在を見れば、首相官邸周辺に限れば、既に同レベルに堕しているのかもしれない。

「中国共産党化する日本政治」

(3) 日本学術会議の年間予算約10億円の用途が不適切との政府報道が出て以来、「学問の自由」問題よりも「この予算の使われ方」を強調する記事が、政府の御用評論家、チョウチン持ち連中によって一斉に書かれ始めた。安倍政権以来の伝統的手法と化した「問題のすりかえ論法」である。次のトップを狙う河野大臣までもが、当面は点数稼ぎに徹するつもりなのか「行革の対象だ」とわめき始めた。
 数日前に聴いた鳥大の某先生のお話によると、「この予算の半分くらいは会議の専属職員の人件費、残りは会議開催のための旅費・諸経費など。約200人の学者会員に入る正味のおカネは、出席日数に比例する日給制で一日あたり一万数千円であることを考えると、一人当たりで年間二、三十万円程度でしょう。皆、半ばボランティアで、自分の研究のための貴重な時間を削って、日本の学術の将来に対する義務感から会議に参加しているのだと思いますよ。」とのことだった。
 専属職員の人数は約50名。雇用側が負担する社会保障費分も含めた一人当たりの人件費を国内中堅企業社員並みの年間約一千万円と仮定すれば、確かに職員人権費の総額は年間五億円程度となる。御用評論家諸氏は、まず具体的な数字を確認してから記事を書くべきであろう。

 彼らがそんなに税金の無駄遣いを指摘したいのであれば、まずは「確信犯的女性差別主義者」である杉田水脈氏を衆院選比例区に高順位で擁立し、ほとんど選挙活動することなく当選させた責任者の責任を厳しく問うべきであろう。国会議員としての能力と倫理水準に著しく欠ける人物に対して、現在、歳費・手当・経費の総額で年間四千万円以上もの税金を支払っているのである。なお、国会議員の歳費については次の記事を参照されたい。
「新型コロナ 国会議員は「手当」総額450億円余を返納して医療従事者の支援に充てろ」
 また、既に逮捕されて現在裁判中の河井克行・案里夫妻に自民党が昨年1.5億円もの選挙資金を提供した件の責任者は一体誰なのか?自民党の資金の多くは税金から支給された政党助成金であり、自民党には国民に対してその責任者を明らかにする義務があるはずだ。さらにこのような確定的犯罪者(カネを受け取った証人が百人以上もいる)を、いったんはよりによって法務大臣に抜擢した前首相は、自分の眼がフシアナであったことを国民に対して公式に謝罪するべきではないのか。

 ウソをつき続けるトップの下では、下っ端もその真似してウソをつき通そうとするものである。悲しいのは、トップがウソをつき通してヌケヌケと罪を逃れようとしているのを見て、下っ端が「自分も同じように居直り続ければ罪を逃れられる」と錯覚していることである。下っ端の犯罪に対しては、検察と国民が許すはずもない。

 これら「杉田・河井」問題の不透明さに比べれば、日本学術会議に関する不透明さの程度など数桁も低いことは間違いない。河野行革大臣は、まず自民党内の掃除を徹底するべきであろう。


(4)説明能力の欠落。10/2の加藤官房長官の記者会見をテレビニュースで見たが、「御飯論法」の熟達者の面影はなく、記者からの質問にたじたじとなっていた。「憲法を侵害しているのではないか」との質問には、根拠も示せずに「決してそのようなことにはあたらない」と言いながらも、さすがに恥ずかしいのか眼を伏せていた。どうやら内閣内部でも、この問題に関する情報共有と対応方針がこの時点では出来ていなかったのだろう。その後、問題をすり替えるために、日本学術会議の運営不備を突くことにしたのだろう。
 菅新首相に至っては、記者会見は就任以来一、二度しか開かず、もっぱらお気に入りの記者だけを招いたインタビュー形式でしか取材に応じていないそうである。まあ、あの顔でボソボソとしゃべられても、国民が聴いてもどうにも元気は出ない。

 この日本学術会議問題で印象に残った言葉は、「総合的、俯瞰的な観点」という、何も言っていないに等しいものでしかなかった。この用語は、当記事のタイトルのように使うのが正しい使用法であるはずだ。「任命拒否した具体的な理由」を求められたのに対して、このような言葉を使えば具体的なことを全く答えなくても済むと思って使ったのだろう。首相の言語能力の貧困さを象徴する言葉である。今年の「流行語大賞」の候補にはちょうどいいのかもしれない。

 

(5)失敗の研究こそが、次の成功の源泉となる。歴史上の失敗に学ぼうとしない愚か者は、これからも同じ失敗を再び繰り返すことになる。

 冒頭に紹介した加藤陽子先生の研究は、個人としては極めて優秀であったはずの戦前のエリートであった政治家・官僚・軍人が、それぞれの既得権益の確保を優先した結果、日中戦争の泥沼にはまって抜け出せなくなり、そのことでさらに英米との戦争へと転落していった経過を克明に実証しようとするものである。

 集団化した途端に全体として極めて無責任となり、個人から見れば明らかに不合理な方向に集団として引きずられて行っても、誰もブレーキを踏もうとしなくなってしまうのが日本人集団の特性、というよりもむしろ遺伝的な宿痾(しゅくあ)なのだろう。現代に引き直してみれば、急速に膨張するばかりで誰もブレーキをかけようとしない政府の国債残高こそが、再来した国家的危機の実例なのだろう。加藤先生の提供される著作は、この日本人の集団的無責任体制を考えなおすための貴重な資料なのである。

 そのような貴重な仕事を、前首相と現首相は、単に自分たちの当面の政策に反対する部分が含まれているというだけの理由で圧迫し、国民の眼から隠そうとしている。あるいは、戦前の体制を賛美したいがために、その体制の愚かさを少しでも明らかにしようとした者を許せないのかもしれない。要するに臆病な小心者、かつ、自分のアタマで物事を深く考えるための思考力に欠けた阿呆なのである。

 学界からの多様な意見を広く聞き、それを元にみずから国の将来像を組み立てて国民に分かりやすく示すのが真の国のリーダーとしてふさわしい姿のはずなのだが、彼らはうわべだけを見て敵と味方に峻別し、いったん敵と見たものは徹底して排除しようとする。その一方で、いったん味方で自分の子分とみれば、上の(3)に挙げた杉田や河井のような最低レベルの連中を徹底してかばおうとするのである。「臭いものにフタ」を繰り返しているうちに、自分自身も「臭いもの」になってしまったことには全く気づいていないのだろう。


 さて、菅総理安倍内閣官房長官時代に官僚の人事権を手中に収め、内閣への迎合程度によって昇進・左遷を決めるという恫喝を含んだ手法で権力を拡大、ついには総理へと登り詰めました。その一方で、彼がどのような政策の基本方針を、ひいては世界観を持っているのかは一向に見えて来ません。権力を握って手放さないことが最重要であり、その権力を使って日本をどのように変えていくという点については関心が薄いように見えます。あるいは、何かしらの構想を持ってはいるものの、言語能力の不足によってそれが適切に表現できないでいるのかもしれません。

 菅氏による今回の日本学術会議に対する任命権の行使は、今まで自らが成功体験を積んできた霞が関の官僚に対する人事権による支配が、他の分野でも通用するかどうかの小手調べであるように思います。携帯電話業界に対する値下げ要請も、産業界が自分の指示にどの程度反応するのか、自分の敵に廻るのかは誰なのかという地図を作るための再確認のように見えます。

 大手携帯電話業界からの自民党への献金額の例としては、NTT系列が1200万円、KDDIは600万円(H27年度)。いずれも企業規模から見ればハシタガネ程度ですが、このお返しは数桁も大きい金額となるのでしょう。なお、この年度の自民党への献金リストには、ソフトバンク楽天は載っていませんでした。

 ちなみに携帯電話業界の献金額は、土木建築、自動車、電機等の大手の億円単位の献金額に比べれば一けた、二けたも低く、人気取りのために叩くターゲットとしてはちょうど都合がよかったのかもしれません。

 携帯電話業界が値下げを確約した段階で、それを手土産に衆議院を解散して総選挙を実施するであろうことは見え見えです。勝利して政権を盤石にしておいてからの、菅氏の次のターゲットは中小企業と銀行業界の再編でしょう。筆者も日本の中小企業の再編は必要と考えますが、それはあくまで経営者レベルでの、下からの自発的な判断に基づく再編であるべきで、政府からの強制で行うべきものではありません。第一、菅氏の後ろには既に政商と化した竹中平蔵氏の影がちらついています。

 竹中氏の目標は、日本国内を政権と癒着した大企業の草刈り場に変えることです。竹中氏の意図は、彼が最近唱え始めた「ベーシックインカム」論によく現れています。この政策の実施と引き換えに年金・健康保険等の一切の社会保障制度を廃止、低賃金ブラック企業の激増は必至と予想されています。詳しくは、次の記事を参照してください。この問題については別の機会に論じたいと思います。
「月7万円で「生活保護廃止」 竹中平蔵氏が提唱するベーシックインカムは何が問題か?」


 話が飛躍しますが、裏方で人事権を掌握して駆使することで自己の権力を拡大、ついにトップに立った政治家の代表例としては、旧ソ連の創立期から前半期にかけて独裁者として君臨したスターリンが有名です。ソ連創立期のロシア共産党の主要メンバーとしては、党の指導者にして理論家のレーニン、次に演説と国内戦指導者として著名なトロツキーが挙げられ、スターリンは三番手以下であり、知名度が低く目立たない存在でした。しかし1923年に党書記長に就任してからは人事操作で配下を徐々に増やし、レーニンの死後は政敵追放や秘密警察による暗殺等の過激な手段を駆使。ついには1930年代の大粛清で優秀な軍人を大量に処刑したことで絶対的な独裁体制を確立しました。

 さて、菅氏の人事権と恫喝を主要手段とした国内各界における支配体制の確立は、果たして成功するのでしょうか?かってのスターリンに重なるところの多い統治姿勢に対しては、「和製スターリン」との意を込めて「スガーリン」という尊称を奉りたいと思います。もともとから国政に関する青写真を持たず、将来ビジョンの構想力によっても、演説の魅力によっても国民を引き付けられない彼にしてみれば、手当たりしだいに人事権を掌握してアメとムチとをふるうこと以外には権力拡大と維持のすべを知らないのでしょう。

 100年以上前の帝政ロシアならいざ知らず、建前では一応は民主主義国家であるはずの現代日本では、内閣が直接持っている人事権は官僚に対するものでしかないはずです(大学の自治権を無視し、国立大学の個々の教員に対する直接人事権も持っているものと菅氏が思い込んでいる可能性はある)。今の日本には皇帝直属の秘密警察は存在せず(ひょっとして国家公安委員会が候補?)、裁判無しで政敵を銃殺することも不可能です。
 とはいえスターリンの例に見るように、陰湿な手段で政権を手に入れたトップは、死ぬまで権力にしがみついて、決して自ら手放そうとはしないものです。

 権力にしがみつくための人気取り政策を連発するだけで何ら実質的な効果が打ち出せない政権に対して国民がダメ出しし、中身が空でスカスカの「スカ内閣」と化して終わりを迎える可能性も大いにありそうです。

/P太拝

「菅首相に日本学術会議会員任命拒否の撤回を求める」署名にご協力ください!

日本学術会議」が推薦した新会員候補105名人のうち、6名が任命されなかったことが昨日明らかになりました。法学者や歴史学者が大半であり、特定秘密保護法や安全保障関連法制定、共謀罪の新設に反対した人が含まれているらしいとのこと。この菅内閣の今回の決定は、従来の政府見解をひっくり返す行為であり、憲法23条で保障された「学問の自由」を政府自ら否定する暴挙と言ってよいでしょう。

早速、ネット上の署名サイトであるchange.orgで撤回を要求する署名キャンペーンが始まりました。賛同される方は是非ご署名ください。本日AM11h頃に開始されましたが、四時間で既に一万人に達する署名が集まりました。さらに署名の輪を広げて速やかに任命拒否を撤回させましょう!

「菅首相に日本学術会議会員任命拒否の撤回を求めます!」

/P太拝

鳥取市役所に冠水被害を連絡したら・・・

 正直言って、昨日読んだこの記事には本当にあきれた。

「冠水被害を連絡したら…市コールセンター「閉庁日だから、月曜にかけ直して」」

 最初に読んだ記事は「マイクロソフトニュース」のサイトだったが、他のサイトでも同じ内容が続々と報じられた。昨日のうちに「ヤフー」、「ライブドア」、「goo」等々の主要ニュースサイトで一斉に日本全国に向けて報じられているのを確認した。記事の内容はみな同一であり、いずれも読売新聞の記事を転載したもの。まさに恥さらし、全国の嘲笑の的と化した鳥取市である。

 今日、もう少し調べてみたら、地元日本海新聞オンラインが9/16付で同様の記事を載せていた。同サイトによると、この事実が判ったのは記事の前日の9/15とのこと。この記事内容を読売新聞が取り上げたことで、昨日になってから一気に広まったようだ。上のリンクは最初に確認したマイクロソフトニュースに張っているが、数日中に消される可能性も高いので、あらためてその主要部分を以下に抜き書きしておこう。

 

『市民からの問い合わせなどに対応する鳥取市のコールセンターが今年6月、大雨被害を知らせる電話連絡に対して、当初、翌日に電話をかけ直すよう伝えていたことがわかった。
 連絡をしたのは市議で、市やこの市議によると、県全域に大雨洪水警報が出た6月14日、市内の道路が膝上まで冠水しているとの情報を伝えるため、市議が市に電話をかけた。コールセンターにつながり、道路課に電話を回すよう要請したが、当初は「(日曜で)閉庁日のため、月曜にかけ直してほしい」と返答されたという。そこから数分間、現場の状況についてのやり取りがあった末、道路課に電話がつながったという。
 市は昨年9月から、代表番号にかかってきた電話にコールセンターが対応する方式を採用。緊急時などには、市の管理室を通して担当職員らに電話をつなぐことになっていた。市は電話対応に不備があったことを認めたうえで、「緊急連絡の受け付け態勢を徹底したい」としている。』

 

 防災対策のための部門として危機管理課を設置し、日頃から市民に対して防災意識の徹底を再三呼び掛けてきたはずの鳥取市が、市民からの、しかも市会議員からの冠水発生の連絡をいったんは無視したのである。しかもその理由が「今日は日曜日だから・」というのでは、開いた口がふさがらない。いったい鳥取市の危機管理体制はどうなっているのか?

 あらためて事実を確認しておこう。アメダスの記録によると、鳥取市では今年の6/11から6/14にかけての四日間連続して降雨があり、特に当日6/14の降雨量は78.5mm、前日の6/13の降雨量は99.5mm。四日間の総降雨量は212mmであった。

 近年の鳥取市の年間降雨量は平均で約1900mm、四日間で年間降雨量の一割以上が降れば、市内のどこかで水害が発生しても不思議ではない。このような状況下でも市の担当部局はなんの危機感も抱かず、市民からの緊急通報への対応をコールセンター任せにしていたのである。

 さて、いったい市内のどこが冠水被害を受けたのだろうか。県の公式サイト「鳥取県の危機管理」の「災害情報一覧」を見ると、「6/13からの大雨による被害情報等」が載っている。その中の6/15 AM8時時点公表の資料の中に「住家被害の発生状況」が載っている。

 その記載によると、「6/14 18;30 鳥取市福部町高江で床下浸水一軒発生」とあるので、被害が発生したのは福部町のJR福部駅前地区のようだ。このあたりは、近くを流れる塩見川の越水によってしばしば冠水が生じる地区である。また、市役所に電話をかけた市議も推定できた。福部町在住で公明党所属の前田市議だろう。興味のある方は、同市議のブログの6/15付の記事を参照されたい。

 今回の不祥事(「市内で火災発生」との電話を受けた消防署が、「今日は日曜日だから、その件は明日また電話して」と言っているようなものだ。これを不祥事と言わずして何と形容するのか?)を産んだ背景を、筆者なりに以下にまとめてみたい。

 

(1)上に示した不適切な対応をしたのは直接的には市が契約して業務を委託したコールセンターの担当者だが、コールセンターの業務の拠点は、北海道や沖縄、はては日本語学習者が多い中国大連市など、人件費が安いとされている地域に設置している業者が大半である。

 鳥取市内にも某業者のコールセンターの拠点があるが、市が同所に業務委託しているかどうかは、実際の契約を見なければ何とも言えない。おそらく鳥取市の実情を全く知らない担当者にしてみれば、市民からの電話への応対の指針となるのは鳥取市から提供された業務マニュアルにしかないはずだが、その中には「閉庁日の災害発生連絡に対する対応方法」は明記されていたのだろうか?仮に明記されていたとしても、提供したマニュアル通りに実際の業務が運営されていることを、市はコールセンターの現場に行って確認していたのだろうか?

 コールセンターの担当者の不注意が今回の不祥事の直接の原因だったとしても、そのような管理不行き届きな業者を選び、かつ実務能力へのチェックを怠った市担当部署(総務部?)には業者選定に関する責任が、最終的には各部署のそのようなルーズな対応を黙認した深澤市長に今回の不祥事の責任があることは明らかである。
 
(2)今回の騒ぎで明らかになったことは、市の危機管理課という部署は、いったい何を担当しているのかということだ。電話した市議は数分間やりあったあげくに市の道路課につないでもらったそうだ。筆者は、危機管理課という部署は災害発生には前面に出て市の各部署に適切な指示をするのが任務と思っていたが、どうやら全く誤解していたようだ。平時に災害対策の青写真は作るが、実際の災害発生時には他部署の後ろに引っ込んでいるだけらしい。
 数年前の大雪の際、いつまでも町内の除雪が進まないために、雪が降った三日後に危機管理課に当会会員が乗り込んで行って「いったいこの間、この課は何をしたんだ」と問い詰めたことがあった。担当者の答え曰く「県に電話を一本かけました」との返事だったそうだ。
 今日も、ある会員から、旧袋川の堤防に穴が開いているので市に電話したら「それは県の担当なのでそっちに電話して」と言われただけだったと聞いた。市の防災担当部門はいったい何のために存在しているのか?単に電話の取次ぎや転送しかしていない部署は即刻廃止し、その窓口は県に統合して一元化すべきだ。

 現在、危機管理課は約十人の人員を抱えている。市の正職員の給料は県の正職員よりも高い。市財政ひっ迫のおり、付加価値のある仕事をしていない市の正職員はリストラして、その業務を県に統合すべきである。

 

(3)最近の当会の公式サイトでは、事あるごとに「市業務の全面的外注化」の問題点を指摘してきた。新庁舎の窓口担当職員の大半は、既に東京の上場企業であるニチイ学館からの派遣職員に置き換わった。市のゴミ収集事業、可燃物処理事業、下水道処理事業、市の各種施設の運営、市立保育所の実務等々の担当は、既に外注民間業者、市設立の外郭団体、市が一時的に雇用した非常勤職員等々にまかされてしまった。旧本庁舎の跡地活用問題では、今まで市職員自から行っていた市民へのアンケート調査や意見聴取さえも、今年からは外部業者に丸投げしてしまった。

 いったい市の正規職員はどのような付加価値のある仕事をして、我々市民の納める税金からその対価としての給料を受け取っているのだろうか?市内の勤労者の中で一番生産性の低いのが市の正規職員ではないのか?

 鳥取市の市職員の約半分が非正規である。この比率は同規模の人口の国内各都市の中では異常に高い。外注業者は別として、市外郭団体職員や非正規職員の年収は、おおよそ、市正規職員の二分の一から三分の一である。鳥取市自らが市内の格差拡大を促進しているのである。

 このような経緯の結果、市の正規職員の主な仕事は新庁舎の会議室で会議をするだけになったかのように見える。

 その結果、

①市正規職員が現場の実態を知らない。

②市正規職員の実務能力の低下。

③実務経験がないために、外注業者が出してくる見積もりを市正規職員が精査できない。その結果、市の財政に、ひいては市民に対して損害を与えかねない。

等々の弊害を生じるようになった。防災対策における今回の不祥事は、まさに鳥取市の行き過ぎた業務外注化の弊害の具体例というほかはない。

 

(4)深澤現市長の経歴は、市職員から副市長、さらに前市長からの後継者指名を受けての市長当選であった。2012年の三つ巴となった市長選での同氏の当選は、当時の市職員の応援によるところが大であった。 

 当然、自分の元々からの仲間である市職員には極めて甘い。今の市長は、市正規職員に対しては何事につけても厳しく対処できない。今回の不祥事は、このような市長の市職員に対する甘さがもたらしたものという見方も当然ある。

 最後に言いたいこと。

 今回のようにずさんな現在の災害対策を今後も放置しているようでは、近い将来に必ず発生する災害時には、鳥取市は他市ではあり得ないほどのブザマな災害対応を露呈しかねない。

 今後、我々の鳥取市が日本全国に対してこれ以上の恥をかかないためにも、市長と市職員の全面的な反省と早急な改善とを求めたい。

/P太拝

内閣支持率は常に右肩下がり

 菅新政権が発足したとたんに、内閣支持率が6~7割へと急上昇した。新首相自ら「前内閣を継承する」と公言しているのに、何で前内閣の末期の支持率が一気に二倍にまで上がるのか?実に不思議だ。日本人に特有の「新しいモノ好き」現象の一種かもしれない。

 そう思って過去の内閣支持率の推移を調べてみた。菅政権成立直前までのデータを見つけたので下に示しておこう。各内閣の支持率推移はその大半が右肩下がりとなっている。特に今世紀に入ってからは、全ての内閣が右肩下がりだ。一方、'50年代から'80年代にかけては、各内閣の任期内での支持率はやや減少傾向にあるものの大きな変動を示してはいない。当時の日本国民は「総理を誰にするかを決めるのは、我々ではなくて雲の上の人たち」と思いこんでいて、あまり関心を持たなかったのかもしれない。

 このグラフを見ていると、長期間安定していた自民党政権が突然終わったという点で現在は小泉内閣の終了時に似ているように見える。先回と同じように短期政権が何代も続くことになるのだろうか。

 

f:id:tottoriponta:20200924083725j:plain

 元々のグラフがやや見づらかったので、1980年代以降の各内閣の区切りとして細い縦線をいれた。また、内閣発足理由が直前の国政選挙の勝利によるものである場合には、内閣名を赤い四角で囲んだ。
 1980年代以降で見ると、赤い四角で囲んだ政権はわずか三つしかない。このうち細川内閣は日本新党などの複数の野党が連立して成立したものである。第一党の政権交代による新内閣は、鳩山内閣と第二次安倍内閣のたった二回しかない。

 これは、この期間の大半において自民党が常に第一党であった結果、もっぱら、自民党内の権力争いに過ぎない総裁選の結果で内閣交代が行われてきたためである。今回の菅内閣の誕生も実質的には前首相の後継指名によるものであり、その意味で、日本の政治は再び先祖返りしてしまったとも言ってよいだろう。

 さて、選挙で勝利した陣営による新内閣の支持率が高くなるのは当然のこととして、前政権と同じ党派に属する人物が代わって総理になっただけに過ぎない場合にも、なぜ支持率が急激に上がるのか?単に看板を掛け替えただけなのに、かくも歓迎されるのはなぜなのか?外国ではどうなのだろうか。

 今のところは直感的な推測でしかないが、「特に日本人には、新しくやって来たものには何でも価値があると思い込みたがる」傾向があるためではないか。新しい流行に先を争って飛びつくことで、まだそのことをよく知らない周りの人間に対して自慢することができる。最近の例ではタピオカ、ハローウィン小泉進次郎・・・、いずれも一時的には大流行するが、やがて飽きられて捨てられる。新首相の高支持率も一過性消費行動の一変種なのかもしれない。日本人の大きな特徴が、この「何でも水に流してしまう軽薄さと芯の無さ」にあることは間違いなかろう。

 小泉内閣の時には、小泉純一郎首相が選挙応援で地方に行くたびに、ジジババが大挙して会場に押しかけてきて、サインや握手を求めて興奮状態になっていた。その様子を報じたテレビニュースを見て「こいつら、バッカじゃない?」とあきれた記憶がある。

 「郵政民営化」の意味も理解できないままに、ただ首相の外観がカッコいいというだけの理由で熱狂していたのである(アホか!)。あの「郵政民営化」とは、米国金融業界の要望を汲んだ米国政府によって、日本国内の巨額(約350兆円)の郵便貯金残高を狙って仕掛けられたものであるという見方が、今では一般的である。

 日本人のもう一つの特徴は、自らの過去の歴史に全く学ぼうとしないことである。学ばないがゆえに同じ失敗を何度でも繰り返すが、自分たちが失敗したことすらすぐに忘れてしまう。一向に反省することが無い。

 小泉内閣にキャーキャー言っていたあの高齢者たちは、小泉内閣が2006年に強行採決した「後期高齢者医療制度」が2008年に福田内閣により施行されたことによって、小泉内閣からの最後のプレゼントを、自らの年金から医療保険金を天引きされるという冷や水を浴びせかけられた。

「後期高齢者医療制度は小泉政権下で強行採決されたもの」

「後期高齢者医療制度の作られ方 」

 現在、菅内閣に拍手している人々が、将来同じような仕打ちを受けないことを願うばかりである。

/P太拝

アベノミクスの成果とはいったい何だったのか(1) -求人倍率は本当に上がったのか?-

 過去数年間、鳥取市政を観察していて判ったことがある。与党議員は、与党に属していること自体に大きな意義と利益とを見出しているということだ。与党である限りは行政側の情報を野党よりもいち早く入手できる。同じ与党である首長を介して市職員に個別に圧力をかけることも、その気にさえなれば十分可能だろう。次回の選挙で再選するためには、予算権限を持つ行政と一体になって動くことが何よりも大事。与党の綱領や政策などははっきり言ってどうでもよい。要するに、議員は与党に属してさえいれば何かと得なのである。

 この構造は国政でも変わらないらしい。単なる文言に過ぎない政治信条よりも、与党で居続けることの方が何よりも大事という議員が与党の大半を占めているように見える。党是であったはずの池田大作氏の平和主義に反してまでも、「ぬれ落ち葉」とか「下駄の歯の雪」と揶揄されながらも自民党にしがみつき続けている公明党がその典型例だろう。

 民主党が政権を取った際には自民党から民主に鞍替えする議員が続出した。自民党が政権を奪還してからは、反対に旧民主党から自民へと引っ越す議員がポロポロとさみだれのようにいまだに続いている。このような議員体質を見れば、菅氏有利と見たとたんに各派閥が一気に菅支持へと雪崩を打ったのも当然の現象だろう。

 菅氏が「安倍政権の継承」を明言したからには、自分たちの既得権益や縄張りは従来通りに保護される。改革を唱える候補が勝てば、かえって自分が損をする可能性も出て来るかもしれない。早く勝ち馬に乗れば、その分、後でおいしいポストにつけるはず。後は、先を争って新総理に対する忠誠心を表明するだけのこと。

 こんなことばかりを繰り返して重要な政策転換をいつまでも先送りしているうちに、日本人全員がユデガエルになってしまうのではないかと危惧する人は、筆者以外にもたくさんいると思うのだが・・・。

 本日、自民党総裁選が行われるが既に勝敗は決定済。もはや各候補の主張を載せた記事をいちいち読む気にもなれない。総理の辞任表明の際には「やっと終わった」といったんは喜んだのだが、総裁就任間違いないとされる後継者が「安倍政権の継承」をうたっているようでは、いままでの流れが大きくは変わらないことは確実だろう。

 特に言えることは、政権からの情報発信がますます隠ぺい化の度合いを深めるだろうということ。記者会見で「菅官房長官の天敵」と言われた東京新聞の望月記者がそのように指摘している。フジ産経と読売の御用新聞化はますます露骨になるだろう。突っ込み処が多かった安倍政権とは異なり、菅政権では表面的な整合性は整えられるものの、情報隠蔽度と陰湿度はさらに増すことになりそうである。モリカケ・サクラ問題についても、全容解明はますます困難となりそうだ。

「菅首相誕生で政権とメディアの関係はどうなる」

 次の記事も参考になる。人事面で官僚に圧力をかけることで自分の思い通りに操るという点については菅氏は非常に優秀なようだが、それが国民のためではなく、もっぱら自分への権力集中を強化することに使われているように見えるのが哀しい。昨日の報道にも「菅氏は内閣人事局を維持する意向」とあった。官僚による総理へのへつらいと忖度とが今まで以上に強まることになるだろう。
 また、ふるさと納税制度が富裕層への優遇策であることは明白であり、菅氏がとりわけ熱心であったIR誘致も米国巨大企業への日本市場の提供であることは明らかだ。今後の菅政権では「格差是正」は選挙対策向けのスローガンにとどまり、日本国内は日米の大企業の草刈り場と化して「国内の格差の拡大」が実質的に加速する可能性は高い。

「菅官房長官に意見して“左遷”された元総務官僚が実名告発 -「役人を押さえつけることがリーダーシップと思っている」-」

 総裁選での勝敗は既に決定済で各候補の比較記事も最近は冴えないが、少し前の記事で面白いと思ったものも紹介しておこう。筆者の古谷経衡氏はパニック障害の病歴がある元ネトウヨと自称しており、ネトウヨからの距離感に基づいて各候補を採点している。石破氏が最高点の5点で小泉進次郎が0点というのも面白い。ただし、ネトウヨが最も嫌っているのが石破氏であるという古谷氏の主張が正しいのかどうかについてはよく判らない(筆者は、ネトウヨの主張内容などはほとんど読む気がしないので・・)。

「ふるさと納税、カジノ推進、辺野古移設…本当は地方重視の「真逆」 菅義偉の評価は「星1.5」 -ポスト安倍を辛口採点-」

 菅氏自身の経歴については、約一年前にジャーナリストの戸坂弘毅氏が書いた次の記事があるのでそちらを参照されたい。これを読む限りでは、菅政権は来年秋の自民党総裁選までのつなぎで終わる可能性が高いように思う。

「次期首相に最も近い男・菅官房長官、哀しいまでの「中身のなさ」-腕力はあるが、志はない-」

 さて、メディアの提供する記事をまとめて紹介ばかりしているだけでは本ブログの存在価値は乏しいので、筆者が集計したデータも示しておこう。菅氏は「アベノミクスの継承」を主張しているが、アベノミクスの成果とはいったいなんだったのか。総理が交代する今の時点でいったん振り返ってみたい。

 各種世論調査によると、安倍内閣の強固な支持層は二十代から三十代にかけての若年層とのこと。支持の主な理由は、安倍内閣発足以来、求人倍率が上がって現在の四十代が経験したような「就職氷河期」から脱したこと、さらに若者に多い嫌韓層にアピールすべく韓国に対して強い態度を取り続けたことにあるようだ。

 後者の理由については、中韓叩きで読者を引き付ける以外にはもはや経営選択肢を持てないフジ産経グループと同様の手法だが、安倍内閣では韓国は叩いても、「中国という巨大な虎の尾」を踏むことについては慎重に避けている点が異なる。いずれにしても、経営不振の新聞社や米国史上最も愚かな大統領であるトランプ政権の真似をして、特定の国や民族への敵視をことさら強調することで支持率を稼ごうとする手法は、まともな政権が取るやり方とは到底思えない。

 さて、若者層が安倍内閣を支持する理由のひとつとされる「求人倍率の増加」について実際のデータを調べてみた。グラフを以下に示す。なお、これらのデータは以下のサイトから引用した。

https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0301.html
https://www.works-i.com/surveys/adoption/graduate.html

f:id:tottoriponta:20200914205550j:plain

 求人倍率の推移を見ると、大きなピークは、①バブル崩壊直前の1990年、②リーマンショック直前の2007~2008年、③コロナショック(?)直前の2019年、の三か所である(③については2020年の求人倍率が低下することは既に確定的。)「就職氷河期」と言われた2000年前後は、確かに、求人倍率が過去45年間の最低値となっている。

 大学新卒は正規職が大半であり、一般求人は正規と非正規の全ての職種形態が対象のはず。安倍内閣になってから大学新卒に対する求人倍率が改善したと思い込んでいる若年層が多いようだが、実態は未だに2007~2008年の求人倍率には届いていないのである。

 一般求人倍率については、最近は既にリーマンショック前のピークを越えて改善が続いてきたが、これは非正規職に対する求人が大幅に増えてきたことを反映しているものと推測される。安倍内閣の七年間で雇用率は改善したものの、賃金格差はむしろ拡大しているはずだ。

 さて、最近の求人倍率の改善理由の第一に挙げられるのは、何と言っても国内労働人口の急速な減少であろう。上の図に赤い点線で生産年齢人口の増減率を示しているが(元のデータが五年おきなのでそれを反映)、改めて過去の生産年齢人口の推移を下に示しておこう。

f:id:tottoriponta:20200914120538j:plain

 1995年をピークに、以降は急速な減少傾向が続いている。既にビーク時に比べて約16%も減少している。特に2010~2015年にかけて大きく落ち込んでいるが、これは1950年以前に生まれた「段階の世代」が60歳を超えたためである。ちょうどこの労働人口の急減期とリーマンショックからの回復期が、運よく安倍内閣の前半と重なったために、「アベノミクスで雇用が改善した」という誤解が生じたものと思われる。

 実際には、リーマンショック等の外部からの影響はあったものの、2000年以降は労働人口の減少に反比例して求人倍率は基本的に右肩上がりなのである。要するに、仮に安倍晋三氏以外の人物が総理であったとしても、仮に民主党政権が2013年以降も今までずっと続いていたとしても、求人倍率という指標に関しては過去の十年間と同様に上昇し続けていた可能性は極めて高い。

 日本の生産年齢人口は今後も急速な減少が続き、2050年あたりまでは年率1.0~1.5%で減っていくものと予測されている(2012年の政府予測による)。雇用面では今後も「人手不足」が続くとはいうものの、日本の今の経済規模を維持し続けるだけでも大変な課題となることは間違いないだろう。

 多くのマスコミが政府の広報機関と化しつつある現状の中では、政府が提供するプロパガンタやフェイクニュースを信じ込まないためには、自分自身で事実を確認するしかない。幸い、ネット上で多くの公的データが公開されるようになってきたので、自分でデータをまとめたうえで考えることも可能となった。皆様にも、是非、マスコミ報道のみで判断するのではなく、自分自身による検証を試みられることをお勧めしたい。

/P太拝

 

My fovorite songs (13) 森田童子

 森田童子を一言で評するならば「喪失感を唄う歌手」と言ってよいのだろう。知ったのはごく最近で約半年前。これもYoutube上をフラフラと探索している最中に偶然知った。本当にYoutubeさまさまである。
 経歴を見ると1970年代に活動していたとあるが、テレビなどのメディアに出ることはほとんど無く、東京近辺でのライブが主な活動の場だったらしい。当時は東京周辺にはいたものの、コンサートには無縁だった自分が知らなかったのも当然のことかもしれない。

「たとえば僕が死んだら」 

 彼女(男装しているが女性)の歌詞の特徴は、少ない言葉をもって聞き手の眼前に情景を描きだせる能力だと思う。下に示す三番の歌詞などがその典型例なのだろう。二番の「たとえば眠れぬ夜は 暗い海辺の窓から・・・・」も好きなところだ。

「たとえば雨に打たれて 
 杏の花が散っている
 故郷を捨てた僕が上着
 襟を立てて歩いてる」


「孤立無援の唄」 

この唄の三番の歌詞は以下。

「ネェ何か アルバイトないかなァ
 君はモノクロ テレビのプロレス見てる
 ふたりはいつも 負け役みたい
 でんぐりがえって 地獄がためだネ
 窓ガラス あけると
 無難にやれと 世の中が 顔をしかめてる」

 約50年近くも昔の唄だが、今の日本も当時とあまり変わっていないようである。


「さよなら ぼくのともだち」 

wikipedia「森田童子」によれば、「・・全共闘などの学園闘争が吹き荒れる時代に友人が逮捕されたことをきっかけに、1970年に高校を中退。・・20歳のとき友人の死をきっかけに歌い始めた。」とある。

 上の記事の内容が正しければ、彼女は筆者の一学年上にあたる。筆者は1972年春に大学に入学したが、四月の段階では学内はロックアウト中で入学式は中止、授業が始まったのは五月になってからだった。その後の一、二年間は学内で自死する学生がかなり多かったと記憶している。入学して大学の寮に入ったが、寮内には大学に居続ける目的を失ったように見える上級生がたくさんいた。彼らのうちのかなりの人たちが卒業することなく中退していった。後で人づてに知ったことだったが、中退後に自殺したという他寮の知人もいた。

 当時の学生運動に対する対応については学生個々それぞれであったが、同級生の中で東京出身者の対応はひときわ異なっていたように思う。彼らは、学生運動などは既に経験済というような感じでもはや関心を向けることも無く、ただ個々の興味のみに没頭しようとする傾向があった。

 都内の有名私立高校出身の友人のアパートに行くと、そのころ売り出し中であった小柳ルミ子のレコードを毎回たくさん聞かされて(特に嫌いというわけではなかったが)少々辟易した経験がある。彼に学生運動に対する姿勢について聞くと、もうたくさんだという表情をしながらも、「運動の原点は怒りだよ」と言っていたことを覚えている。都内では既に高校段階でかなりの経験というのか、怒りに始まる紆余曲折があり、最終的な挫折があったようである。

 森田童子の友人(恋人?)が、高校又は大学での闘争の結果としての敗北感の中で、生きる目的を失い自死を選んだことは想像に難くない。この唄が、いや彼女の唄の全てが、その友人の自死をきっかけとして生み出されたものであるのは確かなことだろう。


「ぼくたちの失敗」

「地下のジャズ喫茶
 変われないぼくたちがいた
 悪い夢のように
 時がなぜて行く」

 「そういえば、あの頃はよくジャズ喫茶に行ったな」と思い出しながらこのフレーズを聴いている。わざと照明を落とした暗いジャズ喫茶の中で、コルトレーンマイルス・デイビスを聴きながら、コーヒー一杯で何時間も粘りながら難解な哲学関係の文庫本を読んでいた。読んでいた内容は結局は何も頭に入らなかったが、当時はそういう姿がカッコいいものと思い込んでいたのである。

 この曲は、森田童子本人ではなくて、死んだ友人の視点から唄われているように思う。「だめになったぼくを見て きみもびっくりしただろう」という詞からそう類推するのである。Youtube森田童子の各曲へのリスナーからのコメントを見ると、彼女の唄を聴くことで救われたという内容がかなりある。「だめになったのは自分だけではない」と感じることも時には必要なのだろう。その意味で、彼女は既に亡くなったが、彼女の残した唄が多くの人を今も癒し、救い続けているのだろう。

 今年の春には「生きものがかり」の曲を何曲か紹介した。彼らは常に、未来への希望を明るく力強く唄い続けている。その対極に位置するであろう森田童子は、過去の追憶と後悔?だけをずっと唄い続けて既に死んでしまったのだが、我々には両方の唄が必要なように思うのである。


「男のくせに泣いてくれた」

 今までのネクラな内容の曲紹介とは一転、華やかな美男美女が織りなすテレビドラマ「高校教師」の中で使われた曲である。若いころの真田広之赤井英和、そして桜井幸子が登場しているこのドラマの脚本を書いたのは野島伸司だが、彼は森田童子が既に発表していた唄の内容に合わせてこのドラマのストーリーを描いたのだろう。森田童子がこのドラマの放映に際して新しく曲を作ったことは一切ないのである。それはともかくとして、このドラマのヒットによって、改めて森田童子の曲が脚光を浴びたのは確かなことだ。

 筆者は、昔からテレビはドキュメンタリーとスポーツ番組以外はほとんど見ないので、1993年放映のこのドラマは当然見た記憶もなく、このドラマの存在は森田童子がらみで最近初めて知った。知ってから改めて思うのは「桜井幸子さんはすごい美人」ということ。十年ほど前に芸能界を引退されたのが惜しまれる。若い真田広之さんも実にカッコいい。これら美男美女による話題満載のドラマの全てを通して見たい方には、youtube上にて「高校教師」で検索されることをお勧めしたい。

 あらためて思うのは、1970年代の学生運動の挫折をきっかけとして作られた唄が、その約20年後には、一転して教師と生徒間の恋愛の結果としての喪失感を表現する唄として受容されるようになったということ。愛する対象を失った喪失感を表現する唄は、それが作られたきっかけが何であれ、我々の心は区別することなく受け入れているのだろう。

「ラスト・ワルツ」 

「この暗き部屋の窓から
 街の灯はまばゆく 自由が見える
 すべてが遠きこの時よ
 このまま若い日が終わるのなら
 せめて最後にラスト・ワルツ」

この二番の歌詞を聴いていると、ちょうど香港の若者たちが今置かれている状況を思い浮かべてしまうのである。

 さて、筆者には、気に入った唄を何回か聞いているうちに、ある時点から無意識のうちにその歌が突然脳裏に流れ始めて止まらなくなってしまうという習性がある。この二か月ほどの間、昼間の仕事中にも、森田童子の様々な曲の歌詞が不意に頭の中に流れ始めて止まらなくなってしまうという経験が何回もあった。このような経験を繰り返しているいるうちに思ったことは以下のようなことだ。

森田童子は、既に二年前の2018年4月に亡くなった。しかし、彼女が言いたかったことは、彼女の唄の内容を若干なりとも理解した筆者の脳裏の中に刻みこまれた。その唄を知った時点、今年の早春の時点で、彼女の意識の一部が自分の意識の中に部分的にせよ移植されたような気がする。

・改めて思うのは言葉の持つ強さである。筆者の脳裏に森田童子の歌詞が繰り返し浮かぶのは、彼女の作った歌詞と曲が普遍的な強さと万人に受け入れられる平易さを持っているからだろう。

・唄の持つ力を見くびってはならない。森田童子の唄を聴いたことで自死を思いとどまった人間が実際に何人もいるのである。こんなことは、我々の身の回りとかテレビの中で毎日のように見かける「偉そうにふんぞり返っている人々」には逆立ちしてもできることではない。

・例え、一国の総理大臣であろうと、国を代表する巨大企業のトップであろうと、「自分の言葉を持たない人間は、その地位を失った瞬間に忘れ去られる」。その後は、彼または彼女が死んだ時点で新聞紙上に一片の訃報が流れるだけである。しかし詩人は、その残した詩が理解される限りは忘れられることはない。言い換えれば、「詩人の魂は、その理解者がいる限りは永遠に存続しうる」。

・言葉を後世に残すことで、精神面で現在も生き続けている詩人、作家、哲学者、宗教家等は無数に存在する。日本では、千年以上前で言えば、万葉集大伴家持源氏物語紫式部など。近い例では、宮沢賢治寺山修司阿久悠、等々(筆者の好きな名前だけを挙げた)。外国ではホメロス司馬遷ソクラテス仏陀、キリストなどは、二千年以上前に彼らが抱いた精神が、その理解者が今も存在することで現在も生き続けていると言ってもよいのだろう。

 このように考えているうちに、「人間としての最高の職業は自分の言葉を後世に残せる職業、例えば詩人」との結論に達してしまった。技術者なんぞになるよりも作詞家になればよかった。筆者は作曲方面については全く無能力だが、作詞方面では少しは何とかなったかもしれない。

 しかし、年齢的にはもう遅い。やり直しが効く二十代くらいのうちにこの真理を発見していればよかったのだが・・・、なんとも残念である。今はただ、先人が作った素晴らしい歌詞や曲、文学作品や著作を楽しむことくらいしか自分にはできそうも無い。

/P太拝

日本政府はコロナウィルスの検査数をなぜ増やさないのか(8)

 本日未明のニュースによると鳥取県内で21人目の感染者が米子市内で確認されたとのこと。

「米子市で新たに1人感染 30代女性会社員 鳥取県21人目」

 この感染例では、発症してから六日後にようやくPCR検査を受けて感染が確認されている。この間に他の人に感染を拡大させてしまった可能性も大いにありうる。検査能力を飛躍的に増やして感染疑いのある人を迅速に検査するという検査体制の拡充こそが、感染拡大防止にとって必要不可欠であることがこの一例を見てもよく判る。

 一方、既に陽性となった人の濃厚接触者である県内20例目の場合には、三回目の検査でようやく陽性が確認されている。
「新型コロナ鳥取県20例目の感染者 3回目の検査で陽性判明」

 感染者がいったいどのような段階で感染拡大させているのかが気になるところだが、忽那賢志医師による次の記事で詳しく知ることが出来る。感染初期の場合には、ウィルスの数が少ないために誤診が生ずることもかなりあるようだ。

「新型コロナ マスク着用による感染予防の最新エビデンス」

 記事の一部を抜粋すると、「・・・・新型コロナの感染伝播の総量を100とすると、この発症前の無症状者からの伝播が45%、そして無症状のまま経過する無症候性感染者からの伝播が5%ということで、合計50%は無症状者からの伝播であることが分かっています。・・・」

 要するに、「自分は無症状だから人にうつす心配はない」と思い込んでマスクも付けずに人に接している人が一番危ないということ。最近の感染増加は主として無症状者によるものとの説が一般的となっている。

 この事実を見れば、現在の「症状を医師が確認してからPCR検査を実施」との政府方針では感染拡大を止められないことは既に明らかなのに、日本政府は未だに検査拡大には踏み切ろうとしないのである。それどころか、感染が収まっているわけでもないのに「GoToトラブ(?)ル」を前倒しして、わざわざ税金を使って無症状感染者を国内にばらまいて感染拡大を促進しているのである。「愚か」と言う以外には形容する言葉が見つからない。

 さて、先回の記事から約一週間、この間に日本の陽性率はどう変化したのだろうか。「Our world in data」から再び本日時点でのグラフを抜き出して下に示す。8/3までの七日間平均値は5.8%まで上昇している。


f:id:tottoriponta:20200807120847j:plain

 相変わらず陽性率は急上昇中であり、市中感染がさらに広がっていることを示している。なお、先回のグラフから最近の数値が下がっているのは、東京都等でPCR検査に加えて抗原検査の結果も含めるようになったためとのこと。四月前後の陽性率が特に大きく下がっている原因はよく判らない。いずれにしても厚労省の発表データを元にオックスフォード大学の研究者が作成したグラフなので、これが日本政府の公式のデータのはず。厚労省のデータ集計方法には一貫性が無いように見える。


「中国のPCR検査能力、1日484万件 5カ月で4倍に増強」

 七月末現在で中国の検査能力は一日当たり484万件とのこと。一か月前の六月末からは検査能力が114万件も増えている。一方、現在の日本の検査能力は最大で一日当たりわずかに3.5万件。さらに検査実績は、一日あたり一万件程度に過ぎない。

 さて、あまりにも増えない検査数の実態に業を煮やして、世田谷区では区自ら公費での検査補助の実施へと踏み切るとのこと。世田谷区の取り組みには大いに期待したい。他の自治体でも後に続いてもらいたいものである。

「保坂展人・世田谷区長に聞く PCR検査を独自拡大する狙い」

 日本医師会もようやく重い腰を上げたようで、中川新会長自ら緊急提言を発表した。当初は検査数拡大に否定的だった医師会も、やっと変わりつつあるようだ。「安倍の大親友」と言われた前会長が、先日の会長選で敗れた効果が早くも出てきたのかもしれない。
「医師判断でコロナ検査を 委託契約省き促進―日本医師会が提言」

 さて、日本国内のPCR検査が一向に増えない理由を最近読んだ記事を参考にざっと書き出してみると、以下のようになるだろう。

① 医師の判断が無い場合には公費による検査を認めない。
② 医師を経由しないで自発的に検査したいのであれば、その費用は自己負担(約2~3万円/件)。会社の費用負担で従業員に検査を受けさせているケースもあるが限定的。
③ あくまで「保健所→衛生研」の流れでの検査が主であり、民間機関による検査は徐々にしか増えていない。
④ 唾液によるPCR検査や、短時間化した改良PCR検査も既に開発済だが、信頼性に疑問があるとして多くの医師が使いたがらない傾向がある。
⑤ 誤判定を恐れる医師が多い。
⑥ 陽性と判定した場合の入院・収容先を心配して検査数を減らそうとする傾向がある。

⑦ 採取した検体を検査機器のある衛生研等に送る段階で、人手不足等によって輸送に時間がかかっている。

 ①~③については日本以外の少なくとも先進国では、医師の判断なしで希望者は誰でも検査を受けることが出来、かつ検査費用は全額公費負担が一般的らしい。検査費用については、検査総数を増やして民間企業に競争させればすぐに数分の一以下になるだろう。

 仮に一件につき一万円と仮定しても、日本の全国民を検査するための費用は1.25兆円。先に全世帯に10万円ずつ配った配布金の費用は、現在の世帯数から計算すれば約5.3兆円のはず。この先、国がさらに各世帯に何十万円もバラまいたとしても、今の不安感が解消されるはずもない。先回のカネがあれば全国民に対して四回は検査できたはずだ。「自分も含めて誰が感染しているか判らない」という不安感が外出を控えさせ、経済を落ち込ませているのである。

 感染防止と経済の両立は検査数を増やして各個人の不安感を取り除く以外には実現する手段がないことは明白なのに、日本政府は一体何をしているのか?この騒ぎに便乗して国民からの税金を吸い取ることでボロ儲けしようとしている電通などの大企業に、火事場泥棒の場を提供しているだけではないのか?

 口先で「注意しましょう」と言うばかりで具体的に実行可能な方法を一向に示そうとしないのは、「頑張れば、竹槍でB29を落とすこともできるはず」と言っているようなものだ。窮地に陥った際、具体策を何ら示さずに精神面ばかりを強調しようとするのは、日本人に伝統の宿痾(しゅくあ)なのかもしれない。

 ④~⑦については、医師の不安感を取り除くべく、国が資金面も含めて強力に支援するべきである。誤判定の確率が三割あるとしても、感染しているかどうかが全くわからない人間が街中を歩き回っている現状よりははるかにマシである。医療関係者のように絶対に陰性であることが要求される職種については、検査を数回繰り返し全て陽性になった人だけがあたればよい。

 また、検査希望者に対しては、誤判定が原因で生じた経済的被害については一切保証しないことを検査前にサインさせるべきである。訴訟狙いの悪質な希望者を排除するとと共に、余計な訴訟リスクも事前に取り除いておくべきだ。

 検査結果が絶対正しいとは言えないことを検査希望者に周知徹底しておけば、陰性となった者も検査後に度が外れた振る舞いはしないだろう。もちろん、陰性と判定した直後に感染症状が現れて陽性判定に転じた誤判定者の治療費用についても、一般感染者と同様に公費負担とすべきである。

 軽度・無症状の感染者が増えすぎて医療機関や借り上げ施設に収容しきれなくなった場合には、自宅隔離とするのが欧米では一般的なようなので、それにならえばよい。コロナ禍で解雇された非正規社員が現状増えつつあるのが、感染者のサポート役や検査補助のための臨時職員として国が率先して雇うべきだろう。

 最後に次の記事を紹介しておこう。ちょうど一月前の記事だが、今の状況は当時とあまり変わっていない。

「【図解・社会】新型コロナに関する各国の検査件数(2020年7月)」

この記事の最後にある次の部分、何度読んでも腹が立つ。
「・・・厚労省の担当者は今後の検査体制について、「能力は民間で伸びているが、現在の3万件からどの程度増えるかの見通しは立たず、目標は設定していない」としている。」

 厚労省は検査体制の拡充を民間に丸投げして、今後どうするのかについての計画すら立てていないのである。検査数が増えず、あちらこちらで目詰まりしていてもほったらかしたまま。厚労省は責任を持つべき当事者ではないのか、いつまで評論家でいるつもりなのか?

 普段は厚生・医療行政の細かい点についてやたらと口うるさく、自分たちの権限拡張に血眼になるくせに、今回のような大ごとになると一転して役所の中に閉じこもり、ただ自分たちの既得権益が侵害されないように既存の体制を死守しようとしているだけだ。自ら進んで国民の生命を守ろうとすることもなく、自分たちの縄張りと将来の天下り先を守ることにしか関心がない。小役人根性丸出しである。

 怠惰な厚労省のケツをひっぱたくこともなく放置し続ける安倍内閣の無能さ加減については、今さら言うまでもない。アベノマスクの実用に耐えない小さなサイズと調達納期に関する無知ぶりからも、このマスク配布事業が総理とその取り巻きの補佐官だけで決められたことがよく判る。関係官庁も巻き込んで進めていたのなら、もう少しはましな結果となり、こんな無様なマスクが多額の税金を無駄に使って全世帯に配られることも無かっただろう。総理の取り巻きの出世官僚の失敗を願う厚労省の幹部連中は、アベノマスクのみじめな評判を見て「それ見たことか」と陰でせせら笑っていたのかもしれない。

 現在急がれるのは、臨時国会を至急招集して、必要な法律を整備し予算をつけて検査体制を抜本的に強化することしかない。このままずるずると無為に時間の浪費を続けていては、国内でのさらなる感染の蔓延と日本経済の再度の落ち込みは必至である。仮に今後奇跡的に日本だけが感染拡大防止に成功したとしても、世界各国の現状を見れば、来夏の東京五輪開催などはもはやあり得ないだろう。安倍総理が予定していた晴れ舞台は、既に風前の灯と化している。

 もはや安倍総理臨時国会を召集する気がないのであれば、内閣総辞職して次のリーダーに政権をゆだねることこそが、彼に最後に残された国民に対する責任の取り方というものであろう。

/P太拝

 

 

 

日本政府はコロナウィルスの検査数をなぜ増やさないのか(7)

 昨日一日のうちに、鳥取県内のコロナ感染者数が一気に増えて10人になったとのこと。県は「県版新型コロナ警報」を県東部地区に発令したそうです。どういう内容かと思って下の県公式サイトをのぞいてみたが、我々一般人に関しては、「会食や飲み会の場で、感染予防に最大限の注意を払っていただきますよう強くお願いします」というだけのこと。従来の生活にさらに強い制限がかかるということではないようで拍子抜けしてしまった。

「新型コロナウィルス感染症特設サイト」

 「東京アラート」は一回出ただけでなぜかお蔵入りになってしまったが、少なくとも、県の「コロナ警報」が東京のような薄っぺらなカタカナ外来語を使っていない点については好感は持てると感じました。


 さて、昨日の新規感染者数は1200名越えで過去最高を更新、岩手県でもついに初感染者を記録とのこと。岩手県民も今までの緊張感が抜けて、ある面、ホッとしているのかもしれない。この日本でのコロナ感染も重大な岐路にさしかかりつつあるようなので、久しぶりに検査数の問題を再度取り上げてみたいと思います。まずは最新データの紹介から。

 次のサイトは英国オックスフォード大学の研究者が運営しているサイト。各国の最新データが日々更新されていて、各国の現状が把握できます。このサイトから世界の主要な国38カ国における昨日7/29時点での直近七日間の陽性率と検査数(千人当たり)の平均値を拾いました。対象国としては人口が多い国を、また人口が少なくても、感染が急速に増加、またはうまく抑制できた国も加えました。

 このサイトには各国ごとに色が塗り分けられた地図がありますが、地図上の各国の上に(マウス等の)ポインターを載せると国別の数字が表示されます。


「Our world in data」

 また、各国の昨日までのそれぞれの累積検査数、累積感染者数、累積死者数も調べることにして、以下のNHKサイトから国別の数字を、さらに各国の2019年時点での人口を以下のサイトから抽出して各指標の千人当たりの数字を計算しました。

「NHK 新型コロナウィルス特設サイト」

「GLOBAL NOTE 世界の人口 国別ランキング・推移(国連)」

 以上の各国の指標を表にしたものを下に示します。なお、各国の現時点での感染拡大の傾向を示す指標として「陽性率(直近七日間の平均値)」に注目しました。

 また、各国の感染状況の把握の度合いとして「検査数(直近七日間の平均値)」と「 累積検査数」にも注目しました。

 表中では、各国の現状と日本の現状を比較するために、日本よりも各指標が悪化、または劣っている国の指標を赤字で示しました。さらに、「陽性率」と「検査数」の両方ともに日本よりも劣っている国の国名を赤太字で示しました。
 なお、「検査」方法としては、このサイトではPCR検査のみを対象としてカウントし抗体検査等は現時点では除外しているとのことです。

f:id:tottoriponta:20200730075855j:plain

 以下、この表からわかること。

①「陽性率」では、メキシコとブラジルが60%台を記録。これは感染拡大のスビードに検査能力が全く追い付いていないことを示しているのだろう。いわゆる医療崩壊の状態なのではないか。コスタリカは、当初は感染抑制に成功した国として報道され当ブログでも以前紹介したが、六月以降に急速に感染拡大したとのこと。今のところ、同国に関する新しい記事が見つからないのでその原因はまだよく判らない。欧州全域、アジアの一部、オセアニアでの陽性率は低い。

 症状が出ている人から検査を始めてその周囲に検査対象数を増やしていけば陽性率は低くなるはずだが、最近の日本では検査数を増やすと共に陽性率も上がってきている(後述のグラフ)のだから、感染の拡大傾向は明白だ。こんなことも判らないのはK都知事くらいしかいないだろう。

 

②「検査数」が日本よりも少ないのはわずかに七カ国のみ。感染をほぼ完全に抑え込んでいる台湾は検査の必要性が少ないためと思われるので除外すると、残った六カ国にはいわゆる先進国は一つもない。これらの国は医療インフラが不十分なために検査数を増やせないのだろうが、はるかに医療先進国であるはずの日本が、バングラデシュ、メキシコ、ペルー、パキスタンと同程度の検査しか実施していないのはどう見ても異常。

 比較的「中進国」であるはずのタイが検査数が少ないのは、同国が現在は軍事独裁政権下にあることと、観光業が主要産業であることが関係しているのではないか。政権が意図的に検査数を下げている可能性がある。

 

③「累計検査数」が一番多いのはUAEであり、既に国民(外国人労働者を含む)の約五割に検査を実施済。ロシア、イスラエル、米国、ポルトガル、オーストラリアが一~二割台で続く。これらの国では、個人への「PCRパスポート」の発行も近いうちに視野に入ってくるだろう。

 「累計検査数」が日本よりも劣るのは、わずかに五カ国。前述の理由で台湾を除けば、ナイジェリア、コンゴ(データが無いが推定で入れた)、タイ、インドネシアの四カ国のみ。ここでも「先進国」日本の遅れがひときわ目立つ。

 

④「累積感染者数」については、各国の検査対象の選定方法がかなり異なるので単純な比較はできない。「累積死者数」についても各国の「コロナ死」の判定基準はバラバラなようだ。アフリカ諸国や南アジア、中南米などでは、コロナによる死と特定されないままに処置されている病死者がかなり多いものと思われる。

 判定基準がかなり共通していると推定される北米、欧州、東アジア、オセアニアで見ると、やはり欧州の死亡率の高さが目立つ。逆に東アジアの死亡率の低さも際立っている。週刊誌やニュースサイトには「日本だけがダントツで死亡率が低い」と書き立ててる記事が多いが、そんなことはない。東アジアに共通した現象である。これについては今後の記事で触れてみたい。

 

⑤  現在の日本の陽性率の高さ、未検査者が圧倒的に多数であること等から見て、今後のさらなる感染拡大は確実だろう。これらの指標が日本とよく似ているパキスタン、インド、インドネシア、フィリピン等の今後の推移についても要注目である。

 そもそも、自分自身も含めて誰が感染しているのか判らない現状では、外出を控えて極力人との接触を避けようとするのは当然の行動である。結果として消費は大きく落ち込み、いつ回復するのかの見通しすら立たない。

 広範囲な検査を実施して感染者と非感染者を明確に分け、感染者を治療して回復を待つ一方で、当面は非感染者だけで経済を回していくしかないことは子供でも判る。それなのに、厚労省は検査を増やせない理由を並べ立てるだけで一向に動こうとしない。今こそ政治家がリーダーシップを発揮すべきである時なのに、総理は公邸にオコモリしたままで国民に呼びかけることすら避けている。「不思議の国、日本」というほかはない。

 

 ついでに、日本の陽性率の推移のグラフを下の図に示しておこう。出所は上と同じく「Our world in data」から。

f:id:tottoriponta:20200730080215j:plain

 7/22から「GO TO トラベル」が前倒しで始まった。その成果なのか、開始してから一週間たった昨日の7/29には新規感染者が急増している。この前倒し日程が決まったのは7/16の会議でのことだったらしい。観光業界を自分の支持団体としている二階幹事長からの強引な圧力で前倒しが決まったとの説が有力である。

 上のグラフでこの7/16前後の陽性率の推移を見ると単調増加中であり、感染が既に拡大傾向にあることは明白であった。専門家がデータに基づいて危険性を指摘しているのに、政治家と官僚は自分の椅子確保と今後の出世だけが目的で、データを無視して無茶な、余計な政策をゴリ押しで決めている。国民から集めた税金を無駄に使っては事態を一層悪くする。毎度おなじみの光景が毎日のように繰り返されている。日本の政治の内実を知れば知るほどに、我がタメ息は増えるばかりだ。

 さて、現在の最大の問題は、日本のPCR検査がいつまでも途上国並みにとどまっていてなぜ増えないのかということだ。約一か月前の報道によれば、中国国内のPCR検査能力が一日当たり370万件になったとのこと。一方、上の表の値から計算すると、現在の日本の検査実績は一日当たり1万1千件にすぎない。

 一か月前の中国の検査能力は、千人あたりに換算すれば日本の最新実績の約29倍に相当する。中国経済が世界に先駆けていち早く回復しつつあるのは、検査数の圧倒的な多さを見れば当然の結果だろう。なんでここまで差がついたのか?

 検査対象を全国民に拡大さえすれば、経済と感染防止の両立などは容易な話なのに、なぜ日本政府はいつまでもやろうとしないのか。皆さんは何が原因だと思いますか?

 次回の記事ではこの点に焦点を当ててみたいと思っています。

/P太拝